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<東京怪談・PCゲームノベル>


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「調伏――二係」
 綾和泉汐耶は、渡された名刺に印刷された、耳慣れぬ機関の名を口に上せた。
「宮内庁の一機関です」
「聞いたこともないですけど」
「秘密ですから」
 黒服に黒タイ、黒眼鏡の男は言った。

  宮内庁 長官官房秘書課 第二調査企画室・調伏二係
  係長代理 八島 真

 都内某所の、図書館の一室である。館長からふいに呼び出しを受けて、引き合わされたのが、この黒ずくめの男だった。国の秘密機関――。そして「調伏」なる名称、汐耶を訪ねてきたこと、男の身にまとう雰囲気……それらから、汐耶は、だいたいの察しをつけた。
「ご用件をうかがいましょうか」
「私たちは、日本国内における霊的災害、怪奇事件、神秘現象の調査・研究を行う機関です。その過程で、野放しにするわけにはゆかない物品を入手することもあり……そうした場合は、しかるべき処置を行います」
 汐耶は頷く。闇夜のような黒眼鏡のせいで、男の感情は読めなかった。
「綾和泉汐耶さん。貴方にある書物の封印処理をお願いします。私たちの中にも、そうした技をもつものはおりますが……こと書物に関しては、貴方の右に出る物はいないと」
「ご冗談」
 汐耶は謙遜の苦笑を漏らしたが、協力することはすでに心に決めていた。
「……そんなに危険な書物なのですか」
「ご覧いただきましょうか」
 八島と名乗った男は、ジェラルミンのケースを、机の上に乗せた。汐耶の目には、それがただのケースではないことがわかる。それ自体、すでに小さな封印の結界ともいえるだけの力を帯びているのである。それだけは、不十分だというのだろうか。
「…………」
 ケースの中には、和綴じの、古々しい書物が収まっている。
「『水妖の足音』といいます。大正期にラテン語の原典を、とある好事家が翻訳した私家版ですね……。ずっと東北のとある旧家の蔵に死蔵されていました。今まで、人の手に触れてこられなかったのは幸運というほかありませんよ」
「拝見」
 保存状態のよくない書物にふれるときはいつもそうするように、白手袋をはめた手で、そっと手に取った。
 どくん――、と、汐耶の指がふれた瞬間、書物が歓喜にふるえたような……そんな不気味な感触があった。それでなくとも、ケースが開けられたときから、汐耶は、書物が異様な、妖気とでもいうべきものを発散しているのを感じ取っていたのである。
「内容は……」
「お知りにならないほうが、よろしいかと」
「でも――対象をよく知らなければ、封印は不完全なものになってしまいます」
 くずれそうな頁を繰る。びっしりと、墨文字がしたためられている。
「われわれが交渉を持つべきでない、古い神々にまつわる記述です」
「……では、お預かりします」
「よろしくお願いします。……そしてどうか、お気をつけて」
 そして――
 八島が辞した後。元通りケースを閉じると、とりあえず汐耶は鍵のかかる棚にそれをしまいこんだ。八島の仕事は、特に急かされてはいない。それよりも先に片付けてしまいたい作業があったので、ひととき、彼女の意識は、その危険な書物からはそれたのである。

「あ。いけない、こんな時間」
 本たちに向いあっていると、つい、時を忘れる。
 新しく所蔵することになった稀覯本の目録作りが終わって時計を見ると、定時はとっくに過ぎている。汐耶の、地下の作業場は、他に立入る人間がほとんどいないので、なおさら、時間に気がつかないことが多い。
 ちらり、と、棚に目を遣るが……やはり、明日にしようと思いなおして、帰り支度をはじめた。足早に、廊下を抜け、守衛室の前を通り過ぎ――
「え……?」
 裏口のドアを開けた彼女を待っていったのは、豪雨のカーテンだった。
「雨? そんな……」
 天気予報ではそんなことは一言も言っていなかったけれど。しかも、鞄を探るが、折り畳み傘も見当たらない。用意周到に、いつも入れておいたと思ったが、気のせいだっただろうか。困った顔で守衛室をのぞきこむ。もしかしたら置き傘が……
「…………」
 置き傘どころか、守衛室には誰もいなかった。
 そのときになって、ようやく、ただならぬ雲行きであることを感じ、汐耶は表情を引き締める。
 ――べちゃり。
 どこかで、水に濡れた足音のようなものを聞いたのは気のせいか。
(『水妖の足音』……)
 突き動かされるように、汐耶はもと来た廊下を走って戻っていた。
(まさか!)
 ドアを開けるなり、息を呑んだ。
 部屋中のひきだしがすべて引き抜かれ、棚からキャビネットから、なにもかもが開けられている。当然、あの棚も。
 鍵など何の役にも立たず、そこにはからっぽのケースだけがあった。せめて簡易な防護だけでも施しておけばよかった――、汐耶は唇を噛んだ。そして眉を寄せる。部屋は、まるで天井から水が漏れたとでもいうように、なにもかもが濡れていたのである。そして、鼻をつく、異様な匂い……。
 ――べちゃり。
 なにかいる……?
 汐耶の身体に緊張が走った。廊下に出る。うす暗い廊下に、点々と、水の跡が続いているのが見てとれた。彼女はそれを追う。
(あっ)
 行く手の曲り角を、なにかが曲がった。
「待ちなさいっ」
 出合い頭に、彼女はそこにうずくまる、ぼろをまとった小さな影につまづきそうになる。だが、それは、しっかりと、例の書物を抱えているのだ。
「その本を――」
 ばさり。
 翻ったぼろ布の下にあったのは……見てはいけないものだった。汐耶でさえ、一瞬、魂が消し飛ばされそうな感覚を味わった。人のようで人でないもの。ぐっしょりと濡れた、矮小な猿のような、粘液にまみれた両生類のような、鱗をてらてらと光らせた深海魚のような――
「ぐえぇええっ、ぐぅううぇえええっ」
 名状しがたい、叫びとも、鳴き声とも、言葉ともつかぬ音。それが、のろのろと、汐耶のほうへ手をさしのべてくる。彼女は、その指のあいだに水かきがあり、そして指の先端にまがまがしい爪がそなわっているのを見た。
 魚の腐ったような臭いが鼻をつく。
「あうぇええいいい、いぐないいぃい、いあ! いあ!」
 それが発したのは、呪詛か、勝利の宣言か、考えてはいけない何者かへの祈りか。
 次の瞬間!
 明かり採りの窓が割れ、ガラスの破片が降り注いだ。
「綾和泉さんッ!」
「あ――」
 汐耶は、その声に、呪縛をとかれる。雨とともに窓の破れ目から飛び込んでくる黒スーツの男。その革靴が、異形のものの鼻づらをしたたかに、蹴った。
 ぐっしょりと濡れぼそった八島は、汐耶を振り向くと、
「すみません、綾和泉さん。かれらがこうも早く行動を起こすとは迂闊でした。無用な危険に巻き込んでしまい、申し訳ありません」
 と、言った。
「そ、そんなこと……」
 汐耶が言いかけるより先に、それが身を起こしつつあった。
「いえぇがぁあああ、いあ! いあ!」
「あれは……」
「呪文で召喚された下級の奉仕種族だと思います。この程度なら、私でも相手がつとまりますからね。不幸中の幸いでした!」
 するり――、と、八島がネクタイをほどいた。その表面に、あやしい紋様のようなものが輝いて浮かび上がる。
「綾和泉さんッ」
 ネクタイを鞭のように振るう。それに撃たれると、異形のものがギャッと悲鳴をあげた。書物が、その手を離れる。
「お願いします!」
 無言で頷くと、汐耶は本を拾い、廊下を駆け出す。背後で、八島と、怪物の闘いが始まるのを尻目に、最地下への階段を駆け降りる。もどかしく、鉄の扉の鍵を開けた。
(汐耶、どうした)
(えらく慌てておるの)
(やや、それは)
 付喪神たちの声ならぬ声がざわめく。
(なんと面妖な)
(災いじゃ。災いじゃ)
(おお、生臭くていかんわい)
(そいつをわしらの棚に並べるつもりではあるまいな)
「大丈夫。……お願い、すこしだけ静かにしていて。これは意外と――手強いみたい」
 手早く、儀式の手順をたどる。
 ごぼごぼ――古い紙でできているはずの、本の装幀が、不気味にうごめき、泡立ったような錯覚があった。いや……、実際に、頁のあいだから、じゅくじゅくと、水がしみ出してきているではないか。それは腐臭を放つ海水のようだった。
 その嫌悪感に心を乱されまい、と息を整え、半眼で、汐耶は本の上に手をかざした。
 音にならぬ叫び声。書物は、あきらかに抵抗していた。
 ふわり、と、清浄な光が、本を包みこむ――。
(人間め! 人間め!)
(我に触れるな!)
(人の分際で、我を――)
 閃光。
「静かになさい」
 汐耶は、閲覧室で私語にふける者を注意でもするように、一喝した。
(本が悪いのではないのだと思う)
(ただ、邪悪な意図で本をつくるものもいて……)
(本がよくないことのために使われてしまうこともある)
(だけど、せめて)
(せめて、静かに……)
 汐耶は、そっと目を閉じる。
「眠りなさい。このまま、静かに――」


「……そんなこともありましたね」
 うっすらと微笑んで、汐耶はコーヒーに口をつけた。
 対面に坐っているのは、八島真。
 その後――。八島からは書物の封印以外も含めて、いくつかの依頼があり、汐耶はそのたびに、彼の期待に応えてきた。そのうちに、八島の肩書きは係長代理から代理が取れて係長になっていた(しかし、これは不幸な出来事の結果だったので、べつだん昇進祝いなどは催されなかった)。汐耶も、ひょんなことから家族が増えて引っ越しをするなど、ふたりのあいだにはそれなりに時間が流れている。例の書物は、あれ以来、汐耶による封印を施されたまま『二係』の「永久保管」の倉庫に眠っていた。
「――で。今回は何です。『水妖の足音』に第二巻でもありました?」
 汐耶は、この男が、第一印象ほど無機質でも冷淡でもないことを知るようになっていた。しかし、相変わらず、彼が汐耶の勤める図書館にあらわれるときは、手にジェラルミンのケースを携えて来るのだ。
「実はまた厄介なものが転がり込んできましてね……」
 言いながら、八島はおもむろにケースの中身を、汐耶に示すのだった。

(了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1449/綾和泉・汐耶/女/23歳/都立図書館司書】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。
NPC登場シチュノベ・ゲームノベル(?)、ご依頼、ありがとうございました!

おひさしぶりです。
八島サンとの出会いのエピソード(なんです)ということで、ちょっとよそよそしい感じの八島サン(当時は係長代理)とか、なんだか書いてみて新鮮でした。
危険な書物といえば……という連想で、ちょっと某神話テイストにしてみた次第です。