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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


銀の刃に滴る紅

【壱】

 噂は鼓膜をそっと撫ぜるように不意に響いた。
 子孫を探している刀がいる。
 過去にしがみ付き、何を得ようとしているというのだろうか。緩やかな時間の波に流され、今の世まで流れ着いてまで何を過去に求めようとするのだろう。過ぎてしまったものは戻らない。指の間をすり抜けるようにして、遠くへ去っていったものの一つ一つは決して戻ることはないのだ。ただ些末なものだけが残される。他愛も無いもの、役に立たないものばかりが残されるだけなのだ。
 だから子孫を探すことなど無意味だと夜栄は思った。
 そこには刀が真に欲しているものなど残されていやしない。ただ些末な過去の残滓がひっそりと漂っているだけなのだ。そうであるような気がする思い出。思い込みによってそうだと改竄される記憶。それらを求めたところで、どうなるというのだろうか。真に欲するものなど疾うに失われてしまっている。それが果敢無い人間という生き物に対する思い出あればあるほどに、真実は疾うに失われ、過去に埋葬されてしまっているのだ。
 物は物であるが故に人に想いを寄せてはいけない。
 思って夜栄はアンティークショップ・レンのドアを開けた。
 すると多くの品々に埋め尽くされた店内に、見知った顔があることに気付いた。黒髪がしっとりと白い肌を引き立てている。浮かべられた微笑の穏やかさ。しかしその内側に秘められたものを思うと、外見だけで人を判断してはいけないものだと夜栄は思う。
「こんばんは」
 夜栄の姿を見とめてティーカップを片手に天樹燐が微笑む。
「月が綺麗な夜だから少しお話をしようと思って……」
 涼やかな声は今宵の月の光のように透明に響く。すっとソーサにティーカップを戻すささいな仕草や夜栄に微笑みかけるその笑顔は淑やかな女性の理想のようなものである。けれどその双眸の内に秘められた鋭い光を夜栄が見逃すことはない。
 燐の前には桐の箱に収まった一振りの刀が置かれている。テーブルの上にそっと置かれているだけだというのに異様な存在感がある刀だ。その存在感の理由。それは過去の重さにあるように思う。現在にではなく、過去へと向かって紡ぎ出されている想いが刀という物質の存在感を強くしている。
「それは?」
 夜栄が問う。
 それに燐は微笑と共にさらりと答えた。
「不思議な因果で再会した刀です」
 その言葉に導かれるようにして夜栄は燐の傍らに立つ。燐はそんな夜栄に空いていた椅子を勧め、静かに言葉を紡ぎ始めた。燐は刀とまるで古くからの付き合いがあるのだとでもいうような声で刀の過去を語った。それは遠い懐かしみにも似た声で、それでいてどこか深く静かな憎しみを抱いているようでもあった。
 緩やかに燐の声で語られる刀の過去。一点の曇りもない銀色の滑らかな刃にまつわる過去。もう二度と手にしてはもらえない人の側にあった刀の想い出は、それと同じだけ遠くに位置する燐の過去にもまっすぐに直結した。二人の間に今も過去の感情が残っているとしたら、思うだけですっと背筋を冷たいものが滑り落ちる。
 けれどそうした夜栄の心を見抜いたかのようにして燐は微笑む。
「―――仇なれど昔の事」
 不意に凛とした女性の声が響く。導かれるように声のしたほうへと二人が視線を向けると、そこには和装の女性がテーブルの上に片肘で頬杖をつくようにして腰を下ろしていた。高く結い上げた黒髪がはらりと白い頬にかかる。それを書き上げる白い指先はきちんと整えられた紅色の爪に彩られていた。
「この女を憎くないと云えば嘘になるが、憎んだところで主が戻ってくるわけではないからね……。人は果敢無い。死の前には無力だ」
 薄い紅色の唇から言葉が紡がれる。透明に響く凛とした声。現の者ではないと頭ではわかっていても、そこにある女性の姿に二人は本当にその美貌の女性が現に存在しているような錯覚を覚える。
 夜栄は燐と刀の具象化した女性との間でかわされる会話に耳を傾ける。
 歴史とは、時間とはなんて残酷なものだろうかと思う。過ぎてしまった過去のなかに眠る憎しみさえも目覚めさせてしまう。燐は以前、刀の持ち主を殺し、今目の前で言葉を紡ぐ彼女を封印したのだという。憎しみは消えないと刀は云う。燐はそれを静かな微笑みで受け止めていたが、その胸のうちで何を思っているのかはわからなかった。夜栄にわかることがあるとしたら、もし刀が復讐のためにその切っ先を自分に向けるようなことがあれば燐は躊躇うことなく切り捨てることができるであろうことだけだ。
「最早あたしはこの時代では無用の長物。……できることなら主の子孫のもとでひっそりと眠りたいんだ」
 ふっと漏れる笑みに香るひっそりとした淋しさ。
 勝手なものだと燐は静かに思う。けれどそれが傍らに在る夜栄に気付かれた様子はなく、夜栄はまるで刀に同情するようにして云った。
「燐。持ち主の子孫というやらを探してやったらどうだ」
 童のような外見とは似つかわしくない言葉遣いで云う夜栄に燐は笑顔で答えた。

【弐】

 総て、あの夜が偽りに脚色されていたことを二人がお互いに確認しあったのは刀をどうするべきか、どちらからともなく言葉を発した時だった。真意を隠しあっていたことにお互いの言葉に気付かされ、最終的な目的が同じであったことを知った。夜栄は血を好む刀をこの時代は必要としないと云い、燐は似ているから許せないのだと云った。深く追求しあうことはなかったが、それだけで十分だった。
 理由など事象の前には無力なものだ。
 そして事象を彩る理由ほど愚かしいものはない。
 だから二人は敢えて言葉を続けなかった。
 特別多くの言葉を重ねる必要性など感じられなかったからだ。
 事は静かに着実に帰結する場所へと向かっている。
 燐の力が最も弱くなる新月の夜。その底を刀を抱えてひたひたと歩きながら、二人は桐の箱のなかから発せられる刀の言葉に耳を傾けていた。
 戦乱の世でのことだったという。刀の主は用心棒として村から村へ、国から国へと流れ歩いていたそうだ。痩身で長身。一見して刀などを振れるような体躯の持ち主ではなかったそうだが、鞘から刀を抜いた刹那に主の身体はそれを振るうために生まれてきたかのようにして滑らかに刀を振るったそうだ。
「強い奴だったよ。鮮やかに人を殺すことができたんだ」
 云う刀の口調はどこか誇らしげだった。
 そして遠い過去に自分を手に主が身軽に人を切るその姿を見るようにして続ける。
 百戦錬磨とは主のためにあった言葉だったと刀は云う。負けるということなど絶対になかったそうだ。滑らかな白い肌の上に醜い刀傷が刻まれることはなかった。その肌に寄り添うように生きていた短い日々。刀はただ主のためにだけ人を切り、その度に自分の存在理由を確認していたそうである。皮膚を切り裂き、溢れる鮮血の温かさを銀の刃に感じる度に自分を生み出してくれた人間に感謝し、自分を造ることを刀鍛冶に以来した主を誇らしく思ったそうだ。
「あたしはあいつのためだけの刀だったんだよ。あいつでなければ駄目だったんだ。だからあたしばかりがこの世に流されてしまったが故の悲劇が起こった。無駄な人死にを出してしまったのは、何もかもあいつがあたしを墓まで持っていなかったせいさ」
 それは無駄な人死にを出してしまったことを悔やんでいるというよりは、墓まで持っていってもらえなかったことを悔いているような響きで二人の鼓膜に届く。
「あんたには悪いけどね……」
 燐に向かって刀が云う。
「封印は時間の流れと共に解かれているんだよ。―――だからあたしはこの時代まで流れて来る間に多くの人間を殺してしまったのさ。あいつの手を思い出して、あんたに殺されたあいつのことを思い出して、人を切り続けてきたんだ」
「家が絶えているということはないんですか?」
 不意に燐が訊ねる。
「ないだろうよ。あいつには弟が二人いた。そのどちらかが家を継いでいるはずだ。戦乱の世が終わって、今に至るまでの間ずっと噂だけは聞いていたしね。没落したということは聞かなかったよ。誰かは生きているんだ」
「その確信はどこくるのだ?」
 夜栄が問う
「約束したんだよ。あいつがそれを果たしたかどうか確認したいんだよ。―――だから今回あんたに頼んでいるのはあたしの我侭なんだよ」
 呟くように刀は云って、それきり言葉を綴ることをやめた。
 まるで母親のようだった。主であった男を信じきっている。盲目的にただ一人の人間を信じきることができる。その確信はどうやって得られたものなのだろうか。二人は思う。
 夜の底に伸びる道。燐と夜栄がどちらからともなく空を見上げるように視線を投げると、視界を遮るように大きな日本家屋があった。長き年月を感じさせる重厚な佇まいでひっそりと夜の闇のなかに建っている。
『止まっておくれっ!』
 不意に刀が叫んだ。
「どうしたんですか?」
 燐が問う。
『あいつの匂いがするんだよ』
「……主の匂いというやつか?」
 続けて問う夜栄に叫ぶように刀は答える。
『他に誰がいるんだいっ!血の匂いなんかじゃない。落ち着いた、今にも終わってしまいそうな匂いだ。あたしが間違えるわけがないんだよ。この家にはあいつの血族がいる』
 刀の言葉に従って二人が足を止めると、そこは丁度日本家屋の門の前だった。燐は抱えなおした刀を手に歩を進めると、ずっしりとした日本家屋に物怖じすることもなく門の傍らに備え付けられた不釣合いなインターホンを押す。小さなレンズの存在を確認して、きっと自分の姿は相手に見えていることだろう。思って燐は小さなスピーカーに向かって云う。
「夜分遅くに申し訳ありません。こちらのご主人様にお話があって参りました」
 すると予想していたような不快感を露にした返答ではなく、快い返答が響く。
『どうぞ奥へとお進み下さい』
 穏やかな男の声だった。もしかするとこの声の主こそが刀の云う主の子孫なのかと思って燐が腕のなかの刀、夜栄が燐の腕のなかの刀に視線を落とすと、刀が云った。
『あれがあいつの子孫さ』
 その声に後押しされるようにしながら門を潜り、玄関の前に立つと、まるで待っていたかのようにして内側から引き戸が開かれた。
「いらっしゃいませ」
「この刀についてお話しがあって参りました。唐突なのは承知の上ですが、お時間のほうは大丈夫ですか?」
「大丈夫です。立ち話もなんですから、奥へどうぞ」
 云われるがままに屋内に導かれて、二人は日本家屋のなかへと一歩を踏み入れた。

【参】

 主人だという男は、年の頃三十半ばの和装が良く似合う穏やかな雰囲気の持ち主だった。主人自ら質素でありながらもささやかな花々が彩りを添える客間へと迎え入れて、お茶を淹れてくれた。薄暗いと不快を思わせるわけでもない、ひっそりと落とされた明かりのなかに夜都の漆黒の装いは馴染む。
「刀とは、この平穏なご時世に似つかわしくないお話ですね」
 云いながら小首を傾げるようにする主は静かに微笑むばかりで、突然の訪問を責めるわけでもなければ刀の話しなどという突飛な理由での訪問した二人に奇異な眼差しを向けるでもなかった。
 その主の前でそっと包みを解く。そして刀の収まっている箱の蓋をそっと取り去ると、不意に室内が闇に包み込まれた。
 それはまるで箱のなかから溢れ出してきたかのようだった。
 つい先ほどまで煌々と室内を照らし出していた蛍光との明かりが静かに闇に呑まれ、そのなかに方なの銀色が滑らかに浮かび上がる。
 ―――覚えているだろう?あたしのことを忘れただなんて云わせやしないよ。
 闇のなかに声が響く。
 それは男にも聞こえたようで、声の主を捜すように辺りを見回す。そしてある一点に焦点を結ぶと、不意に俊敏な動作で座卓の上で開かれた箱のなかに収まる刀に手を伸ばした。柄に触れた手の滑らかな動き。着物の袖が柔らかにはためき、跳躍した爪先は微かな音をたてた。男は虚ろな双眸で燐の前に刀の切っ先を突きつける。燐はその背後に刀の姿を見た。
「約束したんだよ。家が絶えずに残されていたなら、復讐をしようと。血が覚えている、忘れずにいるから再会を果たした後には必ず復讐してやろうとね」
 男の虚ろな容貌の傍らに高潔な笑みを浮かべ、まっすぐに自分を見つめる女がいることに燐は気付く。
 そして咄嗟に傍らに立っていた夜栄に手を伸ばす。
「夜栄君、頑張って下さい!」
 云って突き飛ばし、どうしてといったように視線を向ける夜栄を無視して、障子戸を突き破って外へ飛び出す。それを視線で追いかけて、夜栄は場を繋ごうと言葉を紡ぐ。
「今の時代、お主の存在は必要か?」
「物であるあたしの存在理由など時代が決めてくれるさ。―――今ここにあることが総ての証明ではないのか」
 言葉と同時に不意に銀の刃が目の前を掠めた。夜栄の髪の先端が切り落とされ、はらりと舞う。
 愚かだと夜栄は思う。
「今の時代、血を好む刀は必要とせぬ」
 後退さりながら燐の姿を確かめて夜栄は云う。
 皆が口を閉ざすと辺りはただ静かだった。
 闇のなか、銀の刃だけが艶かしく輝いている。
 燐と夜栄はその影に血の紅を見る。
 軽やかに庭に下りた燐は、じりじりと後退る夜栄とその向こうに立つ男の姿を見てふと過去に刀が云っていた言葉を思い出した。
 ―――子どもにあたしが望まれぬのなら朽ち果てるのも一興だね……。
 燐はその言葉に覚悟を決めた。
 この世には刀を望む人間などいない。
 本来の主はあの時、燐の手によって殺められたのだ。
 既に過去の人間。鬼籍の人となった者が刀を待ち続けているわけがないのである。
 思って 覚悟を決めた。
「戦うために、人を殺めるだけの存在であるのなら、貴方と私は……似ていたのかもしれませんね……」
 呟くように云って手の中にしっくりと収まる白帝に気を込める。
「夜栄さんっ!」
 叫んで爪先で地面を蹴る。新月の夜だというのに勢いが制御できない気配。夜栄が上手く避けてくれればいいと思いながら、思い切り刀を抜いた。
 黒い髪が柔らかく靡く。
 白い腕が滑らかに曲線を描く。
 硬質な音が闇を裂く。
 刀に触れた刹那、憎しみに触れた気がした。
 折れて、足元に突き刺さる刀の切っ先。
 刀を握り締めていた手を緩めて男が倒れる。
「ただ、求めてくれる人がいるか、いないかの違い……なのかもしれませんね」
 穏やかな微笑を足元に突き刺さる刀の切っ先に向けて云う燐を、しんと冷えた表情で夜栄が見ていた。
「おやすみなさい……」
 終わったのだと思った。
 本当に、終わってしまったのだと。
 刀の長き歴史がその突端でようやく終わったのだと思った。
「帰りましょう」
 燐の言葉に誘われるようにして夜栄は歩を進める。
 憎しみだけが鮮やかに夜に咲いた。それを摘み取る鮮やかな技を目の前にして、夜栄は憎しみは憎しみでしか消せないのかもしれないと思う。燐の躊躇いもない抜刀術には刀の持っていた憎しみにも似た何かがあった。自らの過去の半端な封印に向けられたものなのか、それとも刀に向けられたものなのかは判然としない。
 けれど確かに憎しみの影があったと思った。
「燐。―――憎かったか?」
 訊ねる夜栄に燐は笑ってはぐらかすことで答えることを拒絶した。
 言葉にすれば本当になってしまう。
 思って燐は総てを終わらせるために口をつぐんだ。
 新月の夜の闇のなか、二人は沈黙を抱えて明日の当然のように訪れる朝へ向かって歩き出した。


 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2942/刀神夜栄/男性/999/神様】

【1957/天樹燐/女性/999/精霊】



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■         ライター通信          ■
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この度のご参加まことにありがとうございます。沓澤佳純と申します。


>刀神・夜栄様

初めまして。この度はご参加ありがとうございます。
書き始める前にバストアップを拝見させて頂いて、そのあまりのかわいらしさに天樹様に突き飛ばされているあたりを想像してはかわいらしい…と思って書かせて頂きました。


>天樹燐様

初めまして。この度はご参加ありがとうございます。
素敵な美人さんで、書いていてとても楽しかったです。夜栄様を突き飛ばし盾にするあたりが妙にツボでした。
あまり内面を描写せずにちょっと影のあるような感じになってしまったのですが、いかがでしょうか?


この度のご参加まことにありがとうございました。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
今後また機会がございましたらどうぞ宜しくお願い致します。