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<東京怪談・PCゲームノベル>


『花唄流るる   ― 【仄暗いの水の底という悪夢 沙樹が彼女に捧げる花束】 ― 』

【オープニング】

 そこは仄暗い水の底。


 こぽこぽこぽ・・・・


 気泡が彼女の口から漏れた。

 私は小首を傾げた。気泡とは息をしているから出るものであって、息をせずとも良いその人があげるのがひどく不自然な物に見えてしまったから。
 そして無意識にそれに思い当たった私は口の中にあった酸素をすべて吐き出してしまった。
 口の中に流れ込んでくる湖の淡水。味覚が麻痺して、喉が痛い。
 そう、今私の目の前にいるのは死者なのだ……。
 私はどうすれば……
 私にどうしろというのだろう?


 こぽこぽこぽ・・・
 ――――――気泡があがり、
 そして水の音がどこかしらじらしく私の鼓膜を震えさせる。


 ゆらゆらと水の中を沈んでいく彼女は、私の顔をとても恨めしそうな瞳で上目遣いに見上げていて………


 そして私はその右の目元に泣きほくろのある美しい女性をじっと見送っていた。
 ―――――仄暗い水の中で……………………


 ……………。
 ………なんて、夢…………。
「はぁー」
 ようやく得体の知れない悪夢から眼を覚ました私は瞼を開いた。
 そこにある私の部屋の見慣れた天井はだけど、どこかひどくよそよしく感じられた。
 私はなんだか喉の痛みを覚えた。
 喉が渇いているのか?
「夢の中であれだけ水を飲んだのに…」
 うなされていたのかもしれない……それで声を出しすぎて喉が渇いたのかも…。
 どちらにしろ、あまり歓迎のできない状態だ。私はとにかく下に降りて、台所で水を飲もうと想いベッドから立ち上がるべく体に力を入れようとして、だけど体に力が入らない。
(金縛りだ……)
 ぞくりと全身に鳥肌が立ったのがわかった。
 動けぬ私の頬を真夏だというのに冷たい汗が伝うのがわかる。
 どうしよう???
 私はまた何かの霊を引き寄せてしまったのであろうか?
 幼き日より何度も体験している事だけど、だけどいくら経ってもこの感じに慣れる事は無い。
 恐怖のままにその感情や戸惑い、そして同時に感じるどうしようもない怒りのままにそれらを口から迸らせたいと想っても、だけど私の口から声を発する事もできない。
 ―――――私は息苦しさに喘ぐのみ。
 ぽとり、と、どこかで水が滴る音がした。
 そしてぽとり、という音は容易に私の中でこぽこぽ、というあの気泡の音と重なって、その瞬間にあの見た悪夢が蘇った。
 まさかあの女性がここまで来た?
 そんなあれはただの夢じゃなかったの???
 私は恐怖に怯える。
 鼻腔をくすぐるのはひどく不快な香りだった。湖の淡水の香りと、そして何かが腐ったような臭い………
 ――――――――まさかその香りの元とは…………………
(嫌だ。助けて。誰か、助けて。高嶺ちゃん!!!)
『・・・・・・・・・・・・・・・』
 ぽとぽとと雫が垂れる音に重なって、しゃがれた声が私の耳朶を震わせた。
 それを聞いた私は両目を見開く。
 彼女(姿を見なくとも、私には今この部屋にいるのがあの悪夢に出てきた女性だって容易にわかった)は、こう言ったのだ。


 貴女なら、わたしと代わってくれる?



 言ってる意味はわからない……わかるけど、わからないふりをした。私はただ眼を強くつぶって、歯をがちがちと鳴らす。
 私の頬に触れるのは水に濡れた冷たい彼女の髪。
 ――――――だけど………私の顔に落ちるのは……………
 私は瞼を開いた。
 しかしその時にはもうそこには彼女はいなかった。
 ―――――――――――――――――――――そして私はそれでようやく眼を覚ました。
 私は私の上に乗っかる二つの重みに思わず眼を半眼にして呆れてしまう。怒るというよりも呆れてしまう。だけど私はゆっくりと一匹づつ私の上に乗っかって眠っている蓮と蘭をどかした。
「もう、蓮と蘭のせいで嫌な夢を見ちゃったじゃない」
 ため息混じりにそう言いながら見た暗闇の中で光っているコンポのデジタル時計が表示しているのはAM2時03分。
 あの悪夢の中では随分と長く感じたが、実際はあの夢は3分だったのかもしれない。
 ―――――――――そう、AM2時00分ジャストから始まって………
「まさか、ね」
 そう言いながらも私が私のその馬鹿げた予感を一笑に伏せないのは………


 暗闇の中にある私の部屋には確かに水の香りと、それに混じって何かが腐ったような臭いの残り香があるからだった………。



 ――――――――――――――――――――
第一章 高嶺の見合い

 雨上がりの夕方の空気はひどく澄んでいて、私はそれを胸いっぱいに吸い込むと、静かに吐き出した。
 道場の入り口に立ち、私は神を祭る祭壇の方に一礼をしてから、もう一度礼をして、そして道場に入った。
 誰もいない道場の空気は冷たく、そして静謐だ。
 私はその道場の空気を揺り動かし、竹刀を振るう。
 ぶんぶん、と竹刀が空気を揺り動かす音と竹刀がしなる音とが私の耳朶に届く。
「一、二、三、四………」
 素振りの数は決めてはいない。
 私はただ竹刀を振るった。
 頭の中を真っ白にしたかったのだ。
 だって……


 それは今朝の事・・・・・・
「はあ? それって本当の事なんですか?」
「はい。奥様が嘆きになっておられました。お嬢様も旦那様も何を考えているのかわからないって。わたくし、あまりにも奥様が不憫で。ですから沙樹お嬢様からもそれとなく訊いていただけませんか? 高嶺お嬢様は何をお考えになってお見合いをお引き受けになられたのか」
「あ、え、はい」
 ―――――訊くまでも無い。高嶺ちゃんは自分で先方に断りをはっきりと入れるつもりなんだ。
 高嶺ちゃんはそういう人だから。
 それにしても………


 どうして、高嶺ちゃんはさっき電話をした時に何も言ってはくれなかったのだろう?
 ―――――相談のひとつでも…………ううん、愚痴のひとつでも零してくれればよかったのに!!!!


 私がそんなもやもやとした怒りとも悲しみともつかない感情を胸に息苦しさに喘いでいると、
「どうしたの、沙樹? 寝不足???」
 と、玄関から姿を出した高嶺ちゃんがわずかに眉根を寄せて言った。その顔を見た瞬間に私はとても泣きたくなった。心の奥底から声の限りに泣いてやりたくなった。だって高嶺ちゃんは絶対に自分の事であっても泣こうとはしないから!!!!
 そんなのあまりにも哀しいし、悔しいじゃない。
 だから私は………
 ―――――だけど私はそれをしない。だってそんな事を高嶺ちゃんは望まないから。
 それなら………それならば、私には高嶺ちゃんに対してしてあげられる事って、何かあるの?
 私の心はそんな悲しい想いに囚われて………
「ちょっと、長く話しすぎたかな?」
 そう言って小首を傾げる高嶺ちゃん。
 ――――長身で、容姿端麗。さらさらの長い髪だってすごく綺麗で、性格は…すごく弱いところはあるけど、だけど本当の彼女はとても優しく温かい人。
 倉前、というブランドが無くたって、彼女と結婚したいと想う男の人はたくさんいる。


 私は私の心の中にいる自分に問う。
 ――――今、私の中にあるこの感情は何?
 これは哀れみ?
 それとも子どもじみた独占欲?
 嫌だ。
 いやだ。
 イヤダ。
 私はそんな感情を高嶺ちゃんに抱きたくない。
 私と高嶺ちゃんは対等なのだ。
 そんなんじゃ……
 そんなんじゃぁ………
 ――――――――――――――何かが壊れてしまう……………とても大切なモノが……


 だから私は戸惑う高嶺ちゃんをだけど置き去りにして歩き出した。今私の中にある感情を高嶺ちゃんに知られたくなかったから。
「あのさ、沙樹。どうしたのよ? 訳わからないじゃない。ちゃんと言ってくれないと…と」
 その言葉にどくんと心臓が脈打った。高嶺ちゃんには本当にわからないの?
 ――――私は彼女を振り返った。
「あ、あの、沙樹……」
「ひどいのは…高嶺ちゃんだよ」
「はあ?」
「はあ、じゃない。どうして言ってくれなかったの、電話をかけた時、お見合いの事を」
「え、ああ、うん。えっと、お見合いじゃなくって……ただの顔見せ…」
「それを世間ではお見合いと言うの」
「あのさ、ごめん。沙樹に余計な心配をかけたくなかったんだ。それにこれはあたしの問題だから」
「あたしの問題って……だから私には言ってくれなかったの?」
「え、あ、うん」
「高嶺ちゃんはいつもそう。そうやって自分の事は全部自分で背負っちゃう。私だって高嶺ちゃんの事を想っているんだよ。大好きなんだよ、高嶺ちゃんのこと。私にぐらいは見せてよ、高嶺ちゃん。高嶺ちゃんの弱さを」
「・・・」
「どうして何も言ってくれないの?」
「それは………ごめん」
「もういい」
 ―――――――――――ほんとど八つ当たりだ。
 大切な人を、
 何でも言って欲しい人を、
 自分が守りたいと想う人を、
 自分で傷つけてどうするのよ????


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 それからは高嶺ちゃんとはしゃべってはいない。
 ――――と、言うよりも私が彼女から逃げていた。きっと私は高嶺ちゃんを傷つけている。どうしよう? 最低だ、私。
「ふむ。無心、というよりも何かを振り切ろうとしてるみたいだね、それは」
「綾瀬…さん」
 道場の入り口には綾瀬まあやさんがいた。
「えっと………」
 何をしに来たのだろう?
 彼女は剣道部ではないはずだが。
「ストレスを運動で解消するのはいい方法だよね。ストレス発散にもなるし、何よりもダイエットにもなる♪」
「綾瀬さんはダイエットの必要なんてないでしょう?」
「沙樹さんもね」
 彼女はひょいっと肩をすくめると、にこりと悪戯っ子そっくりの笑みを浮かべた。
「ただ竹刀を振るうだけじゃ、余計な事を考えちゃわない?」
「え、ええ」
「だったらさ、一緒に乱取りでもやろうか?」
「え、乱取りって…剣道の?」
「ここは剣道場でしょう? まあ、柔術でも合気道でも可だけど。なんなら全部やってみる?」
 彼女は長い髪を掻きあげながら、にこりと笑った。
 そして彼女は本当に防具の横に私が置いておいた更衣室の鍵を取ると、それを持って部室棟の方へ行き、そして十数分後に戻ってきた。制服から道着に着替え、長い髪もピンでアップにしている。どこか彼女の道着姿は凛としていた。
「さてとそれではやりましょうか?」
「ウォームアップは?」
「今朝、一生懸命走ったから充分」
「えっと…」
「冗談。そうだね。それじゃあ、付き合ってくれる。軽く流しましょう」
 彼女はそう言うと、床板を蹴って、私の間合いに踏み込むと同時に上段からの剣撃を叩き込まんと竹刀を振り下ろした。私はそれを間一髪で受け止める。
 竹刀を押し返すと、彼女はその力に逆らわずに後ろに飛んだ。
(なんとなく面白い…)
 うちの剣道部には私の相手になる人はいない。だからいつもの練習では力をセーブしているのだけど……
 私は自分から彼女の間合いに踏み込み、
「てぇい」
 横薙ぎの一撃を彼女の腰目掛けて放った。だけどそれもやはり彼女の竹刀に受け止められて、
「なかなかやる」
「そちらこそ」
 そして私達はそのまま乱取りも何もなく、防具すらつけずに竹刀で打ち合った。
 武道場の窓から差し込む橙色の光が背中を預けあって座る私達を照らす。
「強いんですね、綾瀬さん」
「そちらこそ。4回見逃してもらった」
「いいえ。6回です」
「これは手厳しい」
 私達はくすくすと笑いあう。
「ねえ、それでどうする事に決めたの?」
「え?」
「高嶺さんの事」
「あ、はい。あのね、私が怒っていたのは高嶺ちゃんにじゃなくって、自分になんです。今朝の私、高嶺ちゃんが見合いの事を黙っていた事にほんとにショックで、それで私には何もできないんだ…って想って、それもショックで…それで八つ当たりしちゃって、そんな自分が恥ずかしくって、高嶺ちゃんにどうすればいいのかわからなくなって…」
「うん」
「だから、逃げてしまって………」
「うん。でもさ」
「はい」
「高嶺さんはありがたいと想っているよ。沙樹さんの事。大切に想っている。だってあなたはそんなにも彼女の事を想っている。それは伝わっている。人ってさ、自分の存在に理由付けしたくなる事ってあるのよね」
「はい」
「高嶺さんはあなたの中にご自分の存在を見られる。それはすごく素敵な事だと想わない? そしてあなただって彼女の中に自分の存在を見ているのでしょう。なら大丈夫。通じ合えているよ」
「はい。私もそう想います。でも」
「でも?」
「明日の朝まではちょっとお仕置き。それから仲直りします」
「上等。がんばって」
「はい」
 私は綾瀬さんにお礼を言って、道場から立ち去ろうとした。その時、
「あ、ちょっと待って」
「はい?」
 彼女は私を呼び止めると、私の耳元で口笛を奏でた。
「あの、今のは?」
「おまじない」
「おまじない?」
「そう。おまじない。あのね、沙樹さん。だけどこれだけは覚えておいて。人の手の大きさは決まっている。その手の平に収まり切れないモノは持てないの。だから無理な事は無理と言わなければダメよ。優しい人は何でもその手に乗せようとするから」
「え、あ、はい」
 ―――――正直、綾瀬さんの言っている事はわからなかった。
 そして道場から出て見た夕焼け空。それはどこかまるで血の色のようで不気味に思えた。


 今にして想えばこれがあの高嶺ちゃんと私が関わった事件の舞台の幕開けを意味する真紅のどん帳だったのかもしれない。


 ――――――――――――――――――――
第三章 旅は道連れ

「沙樹、その恰好、何?」
 一日ぶりに会った高嶺ちゃんの最初の言葉はそれだった。
 私はドラムバックを下げた方じゃない肩をすくめる。
「決まってるでしょう。高嶺ちゃん。私も高嶺ちゃんについていくんです」
「行くんですって言われても……」
「叔父様と叔母様の了解は得ているわ」
 ――――――――ほんとど私が押し切ったのだけど。
「それよりもさ…」
「ん?」
 私が小首を傾げると、
「いや、いいや。うん、沙樹がついて来てくれるならそれが一番いい。ついて来てくれる?」
 高嶺ちゃんは私の顔から顔を逸らして、前髪を弄りながらどこか恥ずかしそうに言った。そんな高嶺ちゃんを見て、つい私は想ってしまうのだ。
 ―――――――――――――――高嶺ちゃん、かわいいな、って。
「うん。だからそう言ってるじゃない。高嶺ちゃん」
「うん」
 そして私たちはどこか幼い少女たちのように手を繋ぎあって、叔父さんが手配してくれた車に乗った。
 車はそのまま桐生家へと向うのだけど、しかし………
「あっ」
 車が信号で停まり、そして何気なく見た先にいた人に私は思わず声をあげてしまった。
 そこにいたのは白さんとスノードロップちゃんだったのだ。
「どうした、沙樹。忘れ物?」
「え、あ、じゃなくって……」
「ああ、白さんとスノードロップか」
「あ、うん。街路樹の往診をなされてるみたい」
 ――――私がそう言うと、高嶺ちゃんはくすりと笑った。何となくその笑みに嫌な予感と言うか………
「ごめん、運転手さん。ちょっと停めてくれる」
「はい、お嬢様」
 車が停まり、そして高嶺ちゃんは、
「あ、あの、高嶺ちゃん」
 と、どこか戸惑ったような声を出す私に彼女はにこりと微笑んで、
 そして車の中から出た彼女は、白さんに話し掛けて………
「じゃあ、沙樹。あたしは助手席の方に座るから」
 と、言う彼女に私は慌てる。
「ちょ、ちょっと高嶺ちゃん」
 だけど彼女は聞かずにスノードロップちゃんをお菓子で釣って、一緒に助手席へと入ってしまって、
 それで私は、
「こんにちは、沙樹さん」
「あ、はい。こんにちは、白さん」
 隣に座った白さんと耳まで真っ赤にしながら、今育てている花の事などについてお話をした。


 ――――――――――――――――――――
第四章 彼女の中へ

 桐生家当主である桐生遊馬さんにこの屋敷の庭に植えられた樹木の診療を頼まれた白さんのお手伝いを私達は一緒にやっていた。
「それにしても変な家でしね。どうして湖の真ん中にある島に家なんかを建てたんでしょうね? わたしにはわかんないでし」
「ああ、それは桐生家が元は村の祭祀様であったからだよ」
「祭祀、さまでしか?」
 どんぐり眼をぐるぐると回す彼女に白さんはにこりと微笑んだ。
「宗教などで一番偉いお方、と考えれば良いのですよ、スノードロップ。今ではもうほとんど見受けられなくなりましたがその昔はどの村にもそのようなまじないを生業とする人がいたものです。今でも本当に時たま蟲払いをします、という広告を見る事ができるでしょう。それと同じです」
 白さんの言葉に私は頷いた。そんなような話は聞いた事があった。確か……
「そう言えば以前にお祖母様に桐生家はもともとはこの付近にあった村々が信仰していた土着信仰の祭祀であった、と聞いた事がある。ね、沙樹」
「うん」
「ど、土着信仰、なんでしか?」
「その土地それぞれの神を崇めて、称えるモノですよ」
 樹をとんとんと叩きながら、白さんが言った言葉に、藤井さんはこくりと頷いた。
「本当におまえさんは若いのによく知ってるな。そうだよ。桐生家はこの付近一帯で信仰されていた土着信仰の祭祀であった。だからこの湖の島に家…社を建てて、暮したのさ。湖の神を沈めて、神隠しを無くすために」
 ざわりと空気が震えた。
「神隠し?」
 私はなぜだから鳥肌を立てながらそう訊いていた。
「そう、神隠し。昔からこの付近一帯では神隠しが多く発生していて、それでその子どもらをさらったのは、この湖に住む土地神様だと言うのさ。それで、桐生家はこの湖の真ん中に位置する島に社を建てて自分も住み、神隠しや色んな災いを村々に起こさぬように土地神様に頼んだと言うことさ」
「すごいでしね」
「すごい。馬鹿な事を言っちゃあいかん。桐生家は何も言霊だけで土地神様を縛ったわけではない。人身御供もちゃんと用意してたのさ」
「人身御供?」
 ――――――どこかでこぽこぽと、気泡の音が聞こえたような気がした。
「そう、人身御供。村々からうら若く美しい生娘たちを連れてきて、この島のどこかにある水牢に閉じ込め、土地神様に捧げたのさ」
 それまでとても気持ち良かった夏の夕暮れ時の涼しい空気がしかし一変して、どこかひどくよそよそしく禍々しいモノへと変質してしまった。
 私はまるでどこか暗闇を怖がる幼い子どものようにそんな周りの風景を眺めるのだ。
「大丈夫、沙樹?」
「あ、うん。平気」
「平気と言っても、少し顔色が変ですね」
 白さんがそっと私の額に手の平を触れさせた。
「少し熱いかな?」
 ―――――――自分でもどっちで熱いのかわからない。
 高嶺ちゃんに視線を送ると、彼女は苦笑いを浮かべた。
「ごめんなさい、白さん。沙樹は休ませますね」
「はい。それがいいと想います。沙樹さん、ゆっくりと体を休めてくださいね。後ほど僕も行きますから」
「はい」



 そして私は高嶺ちゃんに看病されつつ、いつの間にか眠っていて・・・・・・・


 こぽこぽこぽ・・・・


 またあの夢を見ていた。
 深い深い深い湖の其処・・・。
 そこにいる女の人の口からこぽこぽこぽと気泡が零れている。
 腰まである長い髪は水の中で広がって、そして彼女はとても哀しそうな瞳で私を見つめている。
 囁く唇。


 貴女ならわたしと代わってくれる?


 代わる・・・その意味が今ならあの日の夜よりもまた鮮明に理解できた。


「あなたは誰?」
『わたしは咲耶』
「咲耶さん?」
『そう。咲耶。わたしは殺された女』
 ―――――――――――――――――殺された? 人身御供として…という意味???
「あ、あの・・・」
 私は彼女に手を伸ばす。するとその私の手を捕まえて、彼女はさらに湖の奥深くまで潜ろうとする。
 急激に下がっていく気圧の変化にひどい耳鳴りがした。
 体中が痛い。
 苦しい。
 助けて・・・
 助けて、高嶺ちゃん・・・
 だけどその時に突然、彼女の動きが止まった。
 そして私の顔を彼女はひどく怯えた幼い子どもが浮かべるような表情をしながら見ていて・・・
 ――――ああ、それで私は想ったんだ。
 誰よりも苦しんでいるのは彼女なんだって。
 そして私はだから彼女を抱きしめて、
 私を驚いたように見る彼女に頷いた。



「良い、よ」



 そう言った瞬間に彼女は泣き出し、
 そして私の体は更に湖の奥深くに・・・・
 私は瞼を閉じる。
 ―――――その私の耳に聞こえた誰かの声。



『あーぁ、やっぱりこうなちゃったか。言わなかった? 人の手の大きさは決まっている。その手の平に収まり切れないモノは持てない、と。その人を持つと言う事は、それは即ちあなたの指の隙間から高嶺さんは零れ落ちるという事よ?』



 ―――――だけど私には選べない。高嶺ちゃんは確かにとても大切な人だけど…だけどそれでも私は知ってしまったから……この人の悲しみを…………。
『救い方は一つだけじゃないわ』
「え?」
 脳裏に響く綾瀬さんの声。これが彼女の能力?
『行くわよ』
「どこへ?」
『この彼女の中へ』
 ―――――――――――――そうしてどこかで美しいリュートの音色が聞こえたかと想うと、私はとても見知った場所にいた。


 ――――――――――――――――――――
第五章 過去の過ち・・・繋がる業

「ここはどこなの、綾瀬さん?」
『咲耶、というあの女性が生きていた時代よ』
「タイムスリップしたの?」
『いいえ、違う。あたしたち…いえ、沙樹さんの魂が、彼女の魂に同化して、それによって記憶の共有をしているのよ。つまりは映画を見ているようなモノね』
「あの、綾瀬さんの状況は?」
『ああ、あたしはあの時…口笛をあなたの耳元で吹いたでしょう? その時にあたしの意思の欠片をあなたの中に送ったの。つまりはこのあたしはあの時のあたしの残留思念のようなモノね。ちなみにあたしからあたしに情報が行くような事は決して無いから、だからプライバシーの保証はするわ』
「あ、ありがとう」
 私は私の中にいる綾瀬さんに苦笑いしつつ周りを見回した。
 風景は今の桐生邸がある島となんら変わらぬが、しかしそれでも若干の違いを見て取れた。
 どうやら私がいた時代よりもほんの少しだけ昔らしい。
 私はとにかく歩き出した。
 目の前にある桐生邸は私が知っているモノよりもまだ若干新しく、木の香りがした。
 ドアノブに手を伸ばす。しかし私の手はすり抜ける。
『ふふん。一度やってみたいと想った事はない?』
 私は苦笑いを浮かべながら思い切って、ドアに突っ込んだ。すると、するりとドアを通り抜けたのだ。
 そして私は記憶の中にある現在の桐生邸と私の目の前にある桐生邸とを比べながら進んだ。
 と、どこかからか子守唄が聞こえてきた。
 私はそちらに向う。
 そこにいるのは母親とまだ生まれて間もない子だった。母親は子どもを腕に抱きしめながら、とても優しい声で子守唄を歌っていた。
 部屋の片隅で、その母親の慈愛に満ちた歌声と、表情に見とれていると、その部屋の扉をこんこんとノックする音が聞こえた。
「はい」
「失礼します、奥様」
「あら、咲耶先生。こんばんは。いつこちらにお着きに?」
「先ほどです。藤井さんに乗せてきてもらいました」
 ――――藤井さん? 藤井さんって、あの藤井さん? それではこの人はつまり桐生家長男の斗馬さんの本当のお母さん?
「そう」
「あれ?」
「どうかしました、咲耶先生?」
「いえ、ちょっと……あ、いえ、何でもありません。はい、すみません。ちょっと子どもの成長って早いな、って。そう想っただけですから」
 ――――――――――その時の咲耶さんの表情は何やらとても深刻そうだった。
「ねえ、咲耶さん」
「はい」
「それで東先生とはいつ結婚なさるのかしら?」
「あ、いえ。それが…」
 そう言葉を詰まらせた彼女に、母親は子どもを傍らにあったベビーベッドに寝かせると、身を乗り出して質問攻めを始めた。何時の時代になっても、何歳になってもそうした事は変わらなくって、本当に微笑ましいなって、私は想ってしまう。
 ――――――――だけどしかしどうしようもなくやはり咲耶さんの様子は変だった。彼女はちらちらと、赤ん坊の方を見ているのだった。



 ――――――――――――――――――――
 場面が変わる。
 そこは暗い夜の森の中だった。
 二人の男女が言い争いをしている。
「どういう事ですか、藤井さん。奥様が抱いている赤ん坊は斗馬君ではありません。あれはあなたのお子さんではありませんか?」
「な、何を根拠にそんな事言うのですか、先生。わ、私の息子が奥様に抱かれている訳無いでしょうがぁ」
「ちゃんとわたしの眼を見てください」
「・・・」
「藤井さん。わたしはこれでも産婦人科医です。自分が取り上げた子どもの事はご両親の次にわかっているつもりです。いえ、世界で一番最初にその子を見る分、両親が知らない事だって知っています。知っていましたか? あなたのお子さんにはあなたと同じ右肘の所にほくろがあるのですよ。そして奥様が抱いていた赤ん坊には確かに右ひじにほくろがあった」
 そう静かに彼女に言われた彼は大きく両目を見開き、
 そして慌てた仕草で自分の肘を見た。
 ――――――だけどそこには当然の事ながらほくろなんかある訳もなく・・・・・・・
「やっぱりそうだったんですね・・・」
 咲耶さんは哀しげに言った。
「だ、黙っていてください。お願いします」
 藤井さんは騙された事を怒るよりも、彼女に土下座をして、そう懇願した。だけど・・・
「本当の斗馬君はどこにいるのですか?」
「・・・」
「どこにいるのですか、藤井さん。おっしゃってください」
「・・・・・殺しました」
 咲耶さんは大きく開いた口を片手で覆って、両目を固く閉じた。
「なんて・・・馬鹿な事を・・・・・」
 藤井さんは頭を横に振る。
「こうするしか無かったのです。こうするしか・・・。うちではもう子どもを育てる余裕なんか無くって・・・苦労をかけるばかりで・・・だけど同じ時間同じ日に生まれたここの坊ちゃんは明るい未来をもう約束されていて、それを考えたら自分の子が不憫で。不憫で。だから俺は・・・・坊ちゃんとうちのせがれを入れ替えて、そしてぼっちゃんはうつ伏せにして死なせたんです」
「何てことをぉーーーー」
 咲耶さんはものすごくヒステリックな声で叫んだ。そして彼女はそのまま彼を置いて、その場から立ち去ろうとした。
 その彼女に彼は慌てた。
「せ、先生、どこへ?」
「決まってます。警察に行きます。警察に行って告発します」
 ――――――ざわりと夜が震えた。
 それを目の当たりにする私は足下に転がる木の棒を必死に拾おうとした。だけど私の指はそれを掴む事はできず、
 そして――――――――――



「させるかぁ、そんな事はぁーーーーー」
「きゃぁぁぁーーーーーー」



 藤井さんによって、咲耶さんは殺された。



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


『いつまでも泣いていないで。これは過去なのよ』
「あ、あなたは、綾瀬さん。これについて何も感じないのぉ??? 私達の前で、今人が死んだんだよ? 何もしていない・・・ううん、いい事をしようとした人が死んだんだよ。なのにそんな言い方・・・」
『気持ちはわかるけど、割り切らないと次には進めないよ、人の生き死になんて、さ』
「綾瀬さん・・・」
 ―――――――――――――――そんな風に人の生き死にを割り切ろうとする発想を持つ彼女が、私にはとても悲しい人に思えた。
 そして目の前ではさらに惨い事が行われている。
 藤井さんは湖の淵に、咲耶さんの靴などを揃えて置いて、そして彼女の死体を担ぎながら、島の外周をぐるりと回って、それで祠に入っていった。
 そこは天然の鍾乳洞で、その一番奥深くには竪穴が存在した。
 その竪穴の中に、彼は咲耶さんの死体を捨てた。
 藤井さんがいなくなると、そこかしこから巫女の服を着た少女達の幽霊が現れた。
 そしてじぃーっとその竪穴を見つめているのだ。
 


 こぽこぽこぽ・・・・・・



 その竪穴から聞こえてくる気泡の音。
 私は己が身を両腕で抱きながら泣いてしまう。
 それまでは私にはその音はただの気泡にしか聞こえなかった。だけど今の私には聞き取れていた。その声が・・・
 そう、彼女は口から酸素を零していたんじゃない。
 必死に助けを求めていたのだ。



 お願い・・・助けて・・・・・・わたしのお腹の中の子だけは助けて・・・・・・



 それは子を想う母の愛。
 この世で一番の無償の愛は、
 だから暗い復讐の怨念の餌食となった。
 巫女の服を着た少女達。だけど彼女らの誰が望んでそこに来たであろう?
 くだらない時代遅れのエゴイズムの犠牲となった少女達はだから咲耶さんの死体が捨てられた竪穴に入り込み、彼女の死体から、生まれ出でる事の無かった命を引きずり出した。
 小さな赤ん坊の霊はにこにこと笑っている。
 ―――――――――――――――――そう、それこそが咲であったのだ。
 桐生家に復讐するためだけに産み落とされた哀れな魂。
 そして、
 私は・・・・・・・・・・・・・。



 光景が再び変わる。
 私は水の中。
 そこがようやくどこだかわかった。
 ここはあの竪穴・・・水牢の中なのだ。
 彼女は……咲耶さんはその水牢の中でずっと泣いていたのだ――――――
「ねえ、綾瀬さん。私には何ができるの? 彼女のために何をしてあげられるのかなー?」
『彼女の意思を伝える事。それがあなたの役目』
「咲耶さんの意思を伝える事?」
『そう。おそらくあなたがここに呼ばれた事は偶然ではない。そう、この世には偶然は無い。全てが必然。ならばこうなることも必然。過去から繋げたい糸は業のみ?』
「ううん。幸せへと繋げたい」
『上等。だったらまずは引いてもらいましょうか。あなたをいるべき場所へと』
「どうやって?」
『あなたと高嶺さんの繋がりの力で』
「私と高嶺ちゃんの繋がりの力で?」
『うん。あそこには白さんがいたわね』
「ええ。それにスノードロップちゃんも」
『ああ、あの虫はスルー。肝心なのは高嶺さんと白さん。沙樹さん。庭の植物に思念を送るの』
「庭の植物に?」
『そう。植物と話ができるあなたなら、やれるわ。そのための媒介はあたしがしてあげる。あたしはそれで消えてしまうのだけど・・・・信じられる?』
「もちろん。高嶺ちゃんも白さんも、そして綾瀬さんも信じます」
『OK。それでは強く想いなさい。高嶺さんを。あなたの高嶺さんを想う心と彼女があなたを想う心が糸となり、この精神世界からあなたを浮上させる。そしてその出口は白さんが教えてくれるわ。あなたの思念を感じ取った白さんがきっとあなたを助けてくれる』
「はい。・・・・あの、綾瀬さん」
『ん?』
「ありがとう。二学期にまた学校でね」
『あら、夏休みには会ってはくれないの?』
「あ、すぐにそうやってまた人の揚げ足を取る」
『これ、我の本分なりってね。じゃあ、がんばるのだよ。倉前沙樹』
「うん。ありがとう」


 そして私は綾瀬さんの力を借りて、植物に思念を送った。



 ――――――――――――――――――――
第六章 沙樹帰還

 ―――――さん。白さん、出口が作られますよ。
 あなたが探していた少女が出てくるための道が作られ、その出口が開きますよ。
 それは白に語りかける植物たちの声であった。
「沙樹さん」
 畳の上に敷かれた布団の上に眠るみゆの隣で正座をしていた白は立ち上がるが、しかしその足を細くそして冷たい手が掴んだ。
 その手のあまりもの冷たさに白はぎょっとして自分の足首を見た。そこにあったのは白の足首を掴む白く冷たい濡れた手。
 視線をその手が伸びてる方へ移す。そこにいたのは・・・
「みゆ、さん・・・」
「みゆ、じゃない。あたしは咲。咲耶の子」
「あなた…何を言って………集合霊?」
 みゆの体がぶんと揺れたかと想うと、それは半透明の女に変わっていて、見た目は19歳ぐらいの少女であったのに、今は20代前半ぐらいの女性に変わっていた。右の目元に泣きほくろのある。
「あなた方に邪魔はさせないわ」
 そしてその咲と名乗る女の幽霊は白昼夢のように白の前から掻き消え、
 遠くから悲鳴が聞こえた。
「これは藤井さんの悲鳴……どうして?」
 しかし白を呼ぶ声は聞こえている。植物たちが言っている。沙樹が帰ってくると。
 だから白はそちらはおそらくは向っているであろう高嶺に任せて、声がする方向へと走った。
 庭にある一本の巨木。
 白はその樹に触れる。


 今から帰るから。
 だから繋がった道に出口を作ってあげて・・・。


「なるほど。沙樹さんは精神世界に囚われていて、だけど高嶺さんとの繋がりで道を作り…僕がその出口を………」
 ―――――その出口はただ念じればいい。それだけでそこに光が生まれ、その光は少女を精神世界から救い出す。



 ――――――――――――――――――――
 そして私は白さんが作ってくれたその出口に向って湖の中を掻き泳いだ。
 その私の視界に映るのは刀が打ち落とされようとしているのに動けない高嶺ちゃん。思わず私は叫ぶ―――――
「高嶺ちゃん、危ない」
 その瞬間に私は明確なる私となって、完全に元いた世界に戻り、同時に彼女を横合いから抱き倒していた。
 高嶺ちゃんと一緒にごろごろと転がる私は、ようやく止まってそして私の下にいる彼女に…珍しく素直に泣きそうな表情を見せた高嶺ちゃんににこりと微笑んだ。
「ただいま、高嶺ちゃん」
「お帰り、沙樹」
 私たちは立ち上がった。そして桐生健一郎さんと、咲さんに共に対峙する。
「沙樹、あれ・・・」
「うん。千賀咲さん。とてもかわいそうな娘。ごめんね、高嶺ちゃん。彼女は私に任せてくれる」
 ――――――――――そう。それは私に託された事…私にしか出来ない事だから。
「わかった。任せた。でも気をつけてね」
「うん」
 そして私は彼女と対峙する。
 ―――――――――――――――――――だけど私には高嶺ちゃんと違って霊を祓う力は無い。その私に何ができる?



 私にできる事?
 ―――――――――――――――――――――――私にしかできない事・・・・・・・



「くすくすくす。邪魔はさせないの。誰にも」
「何を邪魔させないの?」
 ―――――――――――――――――外見は25歳の女性だが、中身は子どもだ。



「復讐」
「復讐・・・あなたを殺した?」
「うん。そう。あたしを殺した藤井への復讐。そしてあたしたちを殺した桐生への復讐」
「………彼を、桐生健一郎さんを巻き込んだのはなぜ?」
「巻き込んだ、違う。あの子はあたしの弟。だったら弟がお姉ちゃんのために働くの当然でしょう? それにあの子も苦しんでいた。助けを求めていた………だからあたしはあの子に取り憑いた」
 ―――――――――――――――彼女はにこりと微笑んだ。
「だって殺さなかったのだよ、あの子のお母さんが嘆き苦しんだら、そしたらそれはそれでお終いだった。だけどあの母親は泣かなかった。だから死んだ。そう、チャンスはあげた」
 あたしは頭を振る。
「だけど健一郎さんは本当は殺したくなかったんじゃないの? だからあなたの事を報せるための暗号を残した。あなたに取り憑かれ、正常な判断ができなくなった中で一生懸命に」
「そうだね。だけどダメ。あたしはあたしじゃなく、あたしたちだから」
 ―――――――――――――――そう言った瞬間、彼女の背後にはおぞましいほどの光景が出来上がる。彼女の後ろにおびただしいほどの数の巫女服を着た少女達の亡霊の姿が浮かび上がっているのだ。
「冗談じゃない」
 私は思わず後ずさりそうになって・・・
 ―――――――――――だけどその私の脳裏にあの悲しげな咲耶さんの顔が思い浮かぶ。
 彼女はどうしてあんな哀しい表情をしていたのだろう?
 成仏できないのが哀しい? だから私に身代わりを求めた。
 違う。彼女が悲しいと想う事は、愛した人の子どもが殺人を行う事、
 そして自分の娘がそれをさせる事。



 咲耶さんが救いたかったのは自分じゃない。
 彼女が救いたかったのは・・・
 健一郎さんと咲さん―――――――――



「健一郎さんは高嶺ちゃんが救ってくれるから、だから咲さん、あなたは私が救うわ」
「な、何を?」
「決まってる。あなたを抱きしめるの」



 そう、誰よりもあなたをこの世界で一番抱きしめたがっていた咲耶さんの代わりに。
 私の中にまだあるあなたのお母さんの残滓を・・・想いを感じ取って―――――



 憎しみに負けないで―――――――



 私は咲さんを抱きしめる。
 その瞬間彼女の体に触れた部位がとても熱く、私はその激痛に悲鳴をあげそうになったけど、だけど私はそれを堪えて、彼女を抱きしめる。
 私の腕の中の彼女に…泣き出す寸前の顔をしている彼女に、
 彼女達に――――――
 私は微笑んだ。



「もう良いのだよ。その想いに囚われなくっても。さあ、もうお帰り。あなた方が行くべき場所へ」



 その瞬間、私が抱きしめる咲さんの体からおびただしいほどの数の橙色の光の玉が空に飛んでいき、
 そして私の腕の中からふわりと浮かび上がった咲さんは、とても優しく温かい金色の光に包まれていた。



「ありがとう。沙樹」



 そして彼女はそのまま空へと昇っていき、
 彼女が消える瞬間に私が見たのは、
 抱き合う母娘だった。


 ――――――――――――――――――――
最終章 死者たちに捧げる花束

 私は高嶺ちゃんに肩を貸してもらいながら、藤井さんの前に立った。
 彼はひどくおどおどとした様子で私達を見ている。
 おそらくは私達がどうして自分の前に立ったのかわかっているのだろう。
「残念ながら藤井さんの時効は成立してしまっています。ものすごく悔しいけどもう法であなたを裁く事はできません」
「刑法では無理でも、民法で訴えれば、あんたに罰を科す事は可能なのだけどね」
「うぐぅ」
 下を向いてしまった彼に私は顔を横に振る。
「それも私はしません。今回の悲惨な連続殺人事件は、そして25年間呪いに囚われてきた咲耶さん、そして咲さんの魂の悲劇はすべてあなたが原因なのです。あなたの歪んだ我が子への愛情が招いた・・・だからこそあなたは生きてください。生きて罪を悔いてください。それが最後に独り残されたあなたの勤めです」
 私にそう言われた彼は、その場に座り込んでぼろぼろと涙を零しながら声を押し殺して泣き始めた。
 報われない・・・私は顔を横に振る。
 と、その時に一本の樹が目に入った。そしてその樹から一本の白い手が生えて、私を呼んでいる。
 私はその樹の方へと行った。
 そしてそっと私は私を呼んだ樹に触れた。
『あなたにはわたしの声が聞こえるのですね』
「はい。私は倉前沙樹と言います。私にはあなたの声が聞こえますよ」
『はい。わたしの足下には25年前に彼に殺された女性のコートのポケットから零れ落ちた物があります』
「え? それは本当ですか?」
『はい。それをわたしはいつか彼女を想う誰かに渡せる日を願ってずっと持っておりました。沙樹さん、あなたがこれをお持ちください。それが一番良いと想います』
「はい」
 私は彼女の根元に両膝をつき、手を延ばした。指先に触れたのは紙の感触だった。ぼろぼろになった紙がくっついた小さなケース。それを開けると、そこには時計があった。
「健一郎さんが言っていたよ。咲耶さんが亡くなったのは東さんの誕生日の前の日だって。それはきっと・・・」
「うん、誕生日プレゼントだったんだよね。これ、絶対に修理しようよ。修理して、刑務所にいる健一郎さんの所へ持って行こう」
「うん。その時はあたしもついていく」
「うん」


 そして私は、多くの悲しい想い出を孕んだ湖に花束を捧げて、その場を後にした。



 ― fin ―





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


2182 / 倉前・沙樹 / 女性 / 17歳 / 高校生
 


 2190 / 倉前・高嶺 / 女性 / 17歳 / 高校生





 NPC / 白


 NPC / スノードロップ


 NPC / 綾瀬・まあや






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■         ライター通信          ■
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こんにちは、倉前沙樹さま。
こんにちは、倉前高嶺さま。
いつもありがとうございます。
今回担当させていただいたライターの草摩一護です。


このたびはご依頼本当にありがとうございました。
お任せでやらせていただけるとの事でしたので、
お二人それぞれの性格や抱えているモノに合わせたストーリーを書かさせていただきました。


沙樹さんで書きたいと想ったのはやはり彼女の優しさです。
高嶺さんを想うその優しさ。
その優しさと彼女の設定にある霊に寄ってこられやすいという事、
それらのせいで千賀咲耶に頼られて、神隠しにあってしまい、
そしてそこで見る真実、
その真実を知って、それではどうするの? という事になれば、
ラストのあの描写。
咲をぎゅっと抱きしめて、その優しさで咲を、人身御供にされた少女達を救う沙樹さんの優しさ。
それがすごく書きたくって、それでこういうお話に。
それとあちらでもテーマにあったように沙樹さんと高嶺さんの繋がりの強さもすごく。
それらとても僕が好きなモノを、そして沙樹さんの魅力をたくさん描写できるように書かさせていただきました。
今回のお話、満足していただけていましたらライター冥利に尽きます。^^


さてさて、今回のお話で綾瀬まあやからの親密度UPしましたので、相関を上げさせていただきますね。


それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
またよろしければご依頼してください。^^
それでは失礼します。