コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


あちこちどーちゅーき 〜先駆けの夏の島より〜



前略

 お元気ですか? もちろん、俺は元気です。

 今俺は南方の離島に来ています。そちらはまだ涼しい頃合だと思うけど、こっちではもう初夏と言ってもいい感じです。
常緑樹林の木陰で、もぎとった果物を食べたりしてると、押し寄せる夏の気配にむせ返りそうになるよ。
今でもこんなに暑いのに、真夏になったらどんなに暑いんだろう、ってさ。
 そうそう、ここほどきれいな海は初めて見ました。
波の色が青じゃなく、緑なんだ! 水彩絵の具の黄緑色に、水色と、あと黄色を混ぜたらこんな海の色になるかもしれない。
……そう思って、慣れない筆とスケッチブックを構えてみたけど、結果は散々。民宿のおばちゃんには「新しい風呂敷の柄かい?」なんて言われたよ。

 今こうしてあなたに手紙を書いているのはふもとの港町でなんだけど、昨日まで何日かかけて、俺は山の中を散策していました。
昨日だったかな? そこで、ちょっとしたことがあったんだ。


 小島だと侮っていたここには予想以上に深い森が広がっていて、しかもそれは人の手が入ってない原生林。
 足元は腐葉土でおぼつかない、しかも南の方だから暑いし、空気は湿っぽい。あてもなくさまよっているうちに俺はすっかり疲れてしまって、まるで熱にうかされているような怪しい足取りで山道を登っていました。
 すると、ぽっかり林が切れている場所に出たんです。いつの間にか頂上にたどり着いていました。
 広がる頭上の青い空にとてもとてもほっとした途端……降ってきたのは雨。空には雲ひとつないのに、天気雨が。
俺が来た道を戻ろうか迷ったその時、行く手に小さな小屋が見えてさ。
 俺は雨宿りのひさしを借りようと、とりあえず走ったんです。
 
 近づいてまじまじと見たら、それは本当に古い掘っ建て小屋でした。
はり合わせてある薄い板は隙間だらけで、雨風が吹き込んだりしないのかな、とまで考えたほど。
誰か住んでるようにはとても見えず、もしかしたら何かの資材置き場なのかもしれない、そう思ったけれど、念のためにとんとん、とノックしてから扉を開けたよ。(雨がますますひどくなっていて、ひさしだけじゃ間に合いそうになかったんだ。)
 と、誰もいないと思っていたそこには人影が。俺は驚きで飛び上がる寸前。
「誰だ?」
 薄暗く、少しばかりほこりっぽい部屋の隅に、座り込んでいたのはひとりのおじいさん。右手にぐい呑み、左手には一升瓶。
赤い顔をよりいっそう赤くさせて、俺をじろりと睨んできたんです。
「人の家に勝手に入りおって、失礼な奴じゃな」
その声で我に返った俺は、慌てて頭を下げたよ。
「す、すいません、誰もいないと思ったものですから。あの、雨が降って困ってるんです。
止むまででいいので、少し場所をお借りできませんか」
雨はますます強くなっていて、入り口に立ち尽くしていた俺の背中はすでにぐっしょり。
 と、おじいさんはつまらなそうにふん、と鼻を鳴らしたよ。
「そのぐらい、勝手にせぇ」
……追い出されるかと思ったから、その答えに正直ホッとしたんだ。

 それで俺が入り口の近くに荷物を置くと、なんじゃ、とおじいさんは言ったんだ。
「そんなところじゃなくて、わしの近くに来んかい」
「でも」
「いいから来い。雨宿りさせてやるんじゃから、酒の相手ぐらいせぇ」
 俺が迷いながらもおじいさんの前に腰を下ろすと、おじいさんは視線を逸らしたまま、ぽつりと一言。
「この雨は、わしが悪いんじゃねぇぞい」
 ――この言葉の意味は、もちろん最初は分からなかったけどさ。
 
 
 薦められたお酒は辛口の日本酒で、俺にはちょっと強すぎました。(あなたにそんなこと言ったら笑われそうだけど)
 だから俺は最初の一口だけ付き合っただけ、あとはおじいさんの話に耳を傾けるばかりでしたが、なかなかどうして、彼の話は興味深いものでした。
「わしには一人娘がおってな。それはそれはかわいい娘じゃった」
 そんな語り口で始まった、おじいさんの過去の話。
 奥さんは娘さんが5歳の時に亡くなったこと、それ以来男手一つで娘さんを育てて来たこと。
娘さんがくれた初めてのプレゼントのこと、喧嘩して顔を殴った時の娘さんの表情のこと、娘さんの切ない初恋のこと。
 そう、気がついてみれば娘さんのことばかり。だけど語っている時のおじいさんの恍惚とした表情。青二才の俺にはまだまだたどり着けない領域だと思いました。
 辛いことも苦しいことも我慢して、涙も胸の奥にしまいこんで、そうしたらあんな表情が出来るんでしょうか。
同じ男として、少し憧れます。
(そういえば俺の祖父も、亡くなる直前あんな顔をよくしてたな……)

 娘さんが長い長い片思いを実らせた(そしてそれは初恋の相手でもあったそうです!)そこまで語ったところで、突然おじいさんは黙り込みました。
だから俺は、無神経にもこう言ったんです。
「それで、娘さんは今ご一緒じゃないんですか?」
……言ってしまってから俺の頭をよぎった『しまった!』という後悔。
 でもおじいさんは黙ったままでした。口をつぐんだままじろりと俺を見、そして勢い良く杯をあおりました。
気まずい雰囲気に、俺は思いました、『まさか』と。
 からり、と小屋の扉があいたのはその時でした。

「お父さん」
 

 小屋の入り口に、白無垢を着た美しい女性が立っていました。驚いている俺を尻目に、女性は――そう娘さんは、むっつりとしたままのおじいさんに笑いかけました。
「一緒に参りましょう。私は、お父さんを残して行けません」
 長い長い、静寂でした。おじいさんは赤い顔をうつむけたまま、座り込んで動こうとしなかったんです。
迷った末、俺はおじいさんの肩を叩きました。
「おじいさん、娘さん綺麗ですよ。見てあげてください」

 ――他に言葉が見つからなかった俺の正直な、そして精一杯の言葉でした。
 
 と、おじいさんは一升瓶を差し出してきました。
「まだ残ってんだ、飲む奴がいねかったら、もったいねぇだろが」
戸惑う俺に、おじいさんはやっぱり怒った顔のまま言いました。
「雨はじき止む、そしたら空見上げてみぃ。……ありがとな、敦己さんとやら」



 そこで、俺はふっと意識が切れてしまった俺。
気がついたら誰もいなくなった小屋で、一升瓶を抱えたままぼんやりと座り込んでいたんです。
屋根を叩いていた雨音は聞こえなくなっていました。それに気がついた俺は慌てて立ち上がり、小屋の扉をからりと開けました。
 途端射してくる日の光のまぶしさは、咄嗟に目がくらんだほど。
恐る恐る目を開けると、景色が一変していました。
 見下ろす山間に広がっていたのは雲の海。光の束に反射して、きらきらと風に流れていました。
それは幻想的で、少しばかり神秘的な風景で、例えて言うなら、いつか見た宗教的な絵画のようでした。
そして『空見上げてみぃ』おじいさんの言葉がよぎって、俺は空を仰ぎました。


 驚きよりも感激よりも、まず俺はこう思いました。
「あなたに見せてあげたい」って。
 ――頭上にかかっていたのは、色鮮やかに視界を横切る虹の橋。
その輝きは手を伸ばせば届きそうなほど、それは近く、大きかった。




 そして今に至ります。
 俺が今泊まってる民宿のおばちゃんによると、この辺りには南蛮渡来のキツネが生息しているそうです。
昔からこの島の住人と関わりが深く、伝承も数多く残っているとか。
「あんた、『キツネの嫁入り』に出くわしたんだよぉ! 化かされて災難だったねぇ!」
そう言って笑われましたが、でもあんなお礼がもらえたんだから悪くない。
 あのおじいさんは、きっと今頃娘さんとそのお婿さんとで仲良く暮らしているんだろう、そう思います。
またいつか会うことがあったら、今度は孫の自慢とかされたりして。



 それでは、そろそろ船の時間なのでこの辺でペンを置きます。
 この手紙があなたの元へ着く頃には、また別の旅路についているでしょう。いずれまた、旅の便りを出します。
 そしていつか、あなたと二人同じ風景を眺めたい。……なんて、つれないあなたの顔が目に浮かびますが、俺はなかなか諦めの悪い男なんです。

 季節の変わり目ですが、どうぞお変わりなくお過ごし下さい。
 あちこちさ迷う道中の旅人より、あなたへ。
 
 
 桐苑敦己 拝
 
 
追伸.
 兄貴にもよろしく伝えておいて下さい。あ、追伸ついでに言ってた、ってことは内緒でヨロシク。