コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


猫股レボリューションズ


 日はとうに暮れ、瀬名雫は今日も遅くまでネットカフェのパソコンと向かい合っていた。
 ――あの事件の後からだ。モニターに向かう時間が倍に増えた。
 パソコンをしている人間が突如猫のように発狂し、失踪してしまう通称『猫股ウィルス事件』は、行方不明者全員の保護という形で一応の解決を見た。
 しかし、ともに捜査した者の証言によると、失踪者が発見された現場に、魔女のような格好をした一人の少女がいたという。
 ――その少女は人ではない、猫股だったというのだ。
 事件はまだ終わっていない。あれから雫は独自に猫股ウィルスの調査を行った。知り合いのハッカーを総動員して、ウィルスに関連すると思われるサイトを総ざらいした。
 そしてこの日、雫はついにたどり着いた。
 多重に仕組まれたウィルストラップとファイヤーウォールを越え、ローカルサーバのとあるアドレスを手に入れる。はやる気持ちを抑えつつ、雫はURLを打ち込んむ。
 そこは殺風景なデザインのバーチャルチャットルームだった。窓のない四方壁の部屋に、雫はひとりたたずんでいる。
 空中に、ポップアップウインドウが表示される。そこに黒づくめの小さな子供が表示される。

Jakob>いけない子ね。こんなところにまで入ってくるなんて。

 なんだ、こいつは? Jakob……。このハンドルネーム、どこかで見たような……。
 雫は臆せず言葉に力を込めた。

SIZUKU>とうとう追いつめたようね。
Jakob>追いつめた? 笑わせないで。あなたはこれから、返り討ちにあうのよ。

 雫のこめかみに冷たい汗が伝う。

SIZUKU>……どういうこと?
Jakob>今にわかるわ。プロテクトをかけてももう遅いわよ。あなたの魂は、もうあたしのカゴの中だもの。

「しまった!」
 雫は思わず声を上げた。モニターを見ても反応はない。まさか――、新種のウィルスか!
 即座にチャットルームを閉じ、メールソフトを立ち上げる。時間がない。
 アドレス帳に記録されたあらゆる友達、知り合いのアドレスをコピーする。件名はなんでもいい。出来るだけ短い文、かつこちらの危機を明確に使える言葉……SOS!
 送信アイコンをクリックした直後、雫の意識は遮断された。
 どさりと、大きな音がして、彼女の身体が床に投げ出される。近くの客が悲鳴を上げ、店内は再び騒然となった。

 同時刻、海原みあおの携帯電話が、メール着信を告げた。
 眠い目をこすりながら、みあおは確認ボタンを押す。こんな夜中に――彼女の感覚では午後9時は立派な深夜だ――いったい誰だろう、ディスプレイを覗き込んで眠気は一気に吹き飛んだ。
 差出人は瀬名雫。件名は『SOS』。本文はなし……。
 雫に何かあったんだ。おそらく、この間の猫股がらみ。眠っている場合じゃない! みあおはベッドから飛び起きると、急いで着替えと外出のしたくを始めた。
 あの廃工場で見た、慈悲のかけらもない猫の眼が頭をよぎったが、こわくなんかないもん! と自身に一喝した。

 同時刻、警視庁地下の廊下は喧噪に包まれていた。せわしげな足音が壁に反響し、怒号が飛び交っていた。
 その原因は、霊安室にあった。
「消えた? あの女の子の身体が、跡形もなく、か……」
 霊安室の前では、複数の刑事が呆けたようにたたずんでいる。その中で最も若い刑事が、歯を食いしばりながらうめく。
「魂のないただの入れ物が、勝手に動くはずがない。誰かが持ち出したんです」
 彼は少女を逮捕した張本人だった。――いや、確保したのは少女の『身体』のみで、そこに宿っていた邪悪な魂は逃してしまったのだ。
 となりにいる中年の刑事が無線を取り、指示を出す。
「23区主要道路、すべてに検問を張れ。すぐにだ!」
 折り返すように、刑事の胸ポケットの無線がガリガリと音を立てた。
「対超常現象本部機動チームへ出動を要請する。S区ネットカフェにて変死事件発生。被害者は私立神聖都学園中等部生徒の模様。繰り返す……」

 3時間後、海原みあおがたどり着いたのは、臨海副都心のとある高層ビルの屋上だった。
 みあおがここまでたどり着いたのは偶然ではない。彼女が持つ幸せを呼ぶ能力のおかげだった。その『幸運』は彼女のへのものではない。おそらく今まで猫股ウィルスの犠牲になった、そしてこれから犠牲になる運命にある人に作用する。その力が彼女に、夜空を駆ける見慣れない大きな黒猫のシルエットを気づかせたのだ。
 鉄扉を開いたと同時に、淡い月の光と、身の毛がよだつような、あの廃工場で味わった、醜悪な気配が漏れてきた。ここは地上何十メートルだろう。風が強い。
 身体を押し戻されそうになりながら、みあおは足を前に踏み出す。
「あら、思わぬお客さんね」
 屋上の真ん中に、ふたりの人間がいた。いや、人間に似て非なるものがいた。
 ひとりは以前に見たことがある。廃工場で、魂を抜かれた人びとの山を積み上げていた張本人、黒いローブの少女だ。
 もうひとりは、見慣れない顔だった。身なりは少女と一緒で黒ずくめの衣装だったが、電柱を思わせるような長身痩躯で、顔にもたくさんのしわが刻まれ、面影は老婆に近かった。オウムのくちばしのように鼻は高く、その先端には大きなデキモノがあった。
 みあおは真っ先に連想した。老婆は典型的な『魔女』の姿だった。
 対して、みあおは重装備をしていた。背中にはリュックを担ぎ、水筒をたすきがけし、首にはネックレスのようにかつお節をぶら下げている。
 老婆は口元に笑みを浮かべて言った。
「知ってるわこの子。例の工場まであなたを追いかけてきた子じゃない」
 声は滑らかなテノールで、男性のように安定していた。いや、もともとこの魔女は性別不詳なんだ。
「余計なことは言わないでクレーマー」
 少女がきっと老婆をにらみつける。
「余計? ここで殺してしまえば関係ないことよ」
 みあおは思わず後ずさる。その様子を愉快そうに眺め、クレーマーと呼ばれた魔女は続けた。
「だいたいあなたは普段から詰めが甘すぎるわ。だからこの前みたいなヘマをするのよ」
 クレーマーがみあおに向かって一歩歩いたそのとき、老婆の進行方向に少女の腕が割り込んだ。
「待って。そこまで言われては引っ込みがつかないわ。あたしにやらせてちょうだい。この子を片付けて、貸し借りなしということにしましょう」
 みあおはさかんに瞬きをしながら言った。
「そ、そんな野蛮なことはやめたほうがいいんだよっ」
 クレーマーは鼻で笑った。
「流血の歴史をさんざん繰り返している人間が何を言うの。500年前の仕打ち――、忘れたとは言わせないわ」
「忘れたっていうか、みあおは生まれてないもん、知らないもん。なんでこんなことしているか知らないけど、猫股ウィルスなんてやめたほうがいいよ。効率が悪いし――こんな目立つことしてたら、そのうち、人間に仕返しされちゃうよ。雫をいったいどこにやったの? 返さないとたいへんなことになるよっ!」
「図々しい子ね。あんたみたいな子供に教える義理が、この世界のどこにあるっていうの」
「まあまあ、いいじゃない」
 黒いローブの少女が、クレーマーを制した。
「死ぬ前に教えてあげる。こういうの、冥土の土産っていうのよね」
 ごくりと固唾を飲み込んでみあおはうなずいた。
「はい、クレーマー、教えてあげて」
 少女の言葉に、クレーマーは目を丸くした。
「え、ヤーコプが説明するんじゃないの?」
「今その名前で呼ぶのはやめて。あんたのほうが口がうまいの。誠心誠意説明して差し上げて」
「……仕方ないわねえ」
 クレーマーはコホンと喉の調子を整え、
「あたしたちは、もう500年も死んだ人間の魂を運ぶ仕事をしているの。大人になったら働かなきゃいけないの。わかる?」
 と言った。
「魂を……運ぶ?」
 目をパチパチさせるみあおに、クレーマーは仏頂面で続ける。
「人間の世界で言われているところの『死神』っていうのがいちばん近いのかしら。……たいしてうまみのある仕事じゃないわよ。毎度、汚い死体を見ることになるし、魂は駄々をこねるのがほとんどだし」
「へえ……運び屋さんはたいへんだ」
 感心したように頷くみあおに、クレーマーは
「そうなのよお!」
 手をひらひら振って同調した。その仕草は近所のおばさんに似ていた。
「そのサイテーな仕事を少しでもラクにするために開発されたのが、今回のウィルスなの」
「ええ? あれが?」
「詳しい原理は知らないわよ。作ったのは研究室のオタクな人たちだもの。なんでも、人間が作ったネットワークを通じて、人の魂とダミーの魂を交換するらしいの。人の魂はそのネットワークを使って私たちの元に収容される。ダミーの魂は人知れず回収するってわけ。
 ダミーには人が発狂してどこかに失踪したように見せかけるようプログラムしてあるの。実際いるんでしょ? ずっとコンピュータと向かい合っているうちに、おかしくなっちゃう人間。それを真似たのね」
 なるほど……とみあおは思いかけたが、何か引っかかるものを感じた。そして、その正体にすぐ気づいた。
「……待って。じゃあ、おばちゃんたちがやってることって、まだ生きている人間から無理やり魂を抜き取ってるってんじゃない。そんなの、ズルいんじゃない?」
 クレーマーはこともなげに言った。
「人間、遅かれ早かれ死ぬのよ、たいした違いはないわ。それにこっちも生きるためにやってるの。ライバルを出し抜くには、これくらいしないとね」
「ライバルって……?」
「そ。あたしたちのほかにもいるのよ、同業者が。最近勢力を伸ばして、こっちは商売あがったりよ」
「そのために、今回の事件を起こしたの?」
 やせぎすの魔女は、ほこらしげに胸を張った。
「事件を起こしたなんて、人聞きが悪いわね。新しいビジネススタイルと言って欲しいわ。広範囲で魂を回収できるし、押し問答の精神的負担もなくなる。一石二鳥じゃない」
「そんなの……」
 みあおは唇を噛んだ。
「そんなの、ひどすぎるよ!」
「はいはい、道徳の時間は終わり」
 ヤーコプという名前らしいローブの少女が言った。
「もう分かったでしょ? じゃあ、そろそろ死んでもらうから」
 少女は、つかつかと歩み寄る。
 みあおは、吸血鬼に十字架を突きつけるみたいに、少女にかつお節を見せつけた。
 ヤーコプは口元をゆがめた。
「残念だけど、お腹はすいていないの。明日のお腹のために、あなたの魂が欲しいだけよ」
 みあおはいまさらながら恐怖を覚えた。
 魂を抜かれる瞬間って痛いのかな。痛いのはやだな。友達とはもう会えなくなっちゃうのかな。クレーマーの言ったとおり、死なんて、遅いか早いかの違いなのかな。
「さようなら、小鳥さん」
 ヤーコプが目の前に立ちはだかる。ロープの中から杖を取り出し、振り上げる。それは羽根を広げた悪魔のシルエットに見えた。みあおは強く目をつむった。
 ……そのとき、どこからか声が聴こえた。
 屋上の隅っこの方向だ。人間ではない何かの叫び声だ。
 恐る恐る目を開ける。頭からヤーコプのローブがかかっているのか、目の前は真っ暗だ。視界をさえぎる黒い生地をかき分け、首を動かして、声のしたほうを見る。
 夜の闇にまぎれて、何か小さなものがいた。かろうじて見ることができたのは、下界の街の明かりがあったからだ。
 その獣は、吠えるように啼いていた。こちらに向かって敵意をむき出しにしている。
 その獣の名は、猫。魔女のローブと同じ色の黒猫だった。
「あら……? あんた、や、ヤーコプじゃないの!」
 クレーマーの驚きの声に、『そうだ!』と言わんばかりに黒猫がまた吠える。
「じゃ、じゃあ、この子はいったい……」
 みあおは、地面が消え失せるのを感じた。違う。黒いローブの少女に抱きかかえられたのだ。
「ここまでね。今の会話は録音させてもらったわ」
 クレーマーは口から唾を飛ばしながら怒鳴った。
「だっ、誰よあんた!」
「全員そこを動かないで!」
 少女の声とともに、周囲が光に包まれた。同時に空からヘリコプターの爆音が轟く。サーチライトが屋上をたちまちに真っ白に染める。
 クレーマーも、彼女がヤーコプと呼んだ黒猫も、完全に不意をつかれた格好になった。黒猫は自慢の俊足で柵を飛び越えようとしたが、退路はすでに絶たれていた。警視庁対超常現象本部機動チームのヘリが投擲した捕獲ネットは、瞬時に屋上のほとんどスペースを覆いつくした。
 魔女クレーマー、黒猫ヤーコプともに、網の下で必死にもがいていたが、網の目は文字通り猫の身体より小さい。もはや逃げる術はなかった。


 ビルの屋上は、事後処理にあたる警官たちが忙しそうに動いていた。
 その傍らで、
「雫のSOSで飛んでいったみあおが、バカみたいじゃん」
 とみあおは言って、頬をぷうとふくらます。
「そんなことないよ。みあおちゃんがいなかったら、こんなにきれいに解決しなかったもん。相手が手の内を全部白状してくれたしね」
 そう言って、ローブの少女は携帯電話――みあおとクレーマーの会話が記録されているのだろう――をいじりながら柔らかい笑顔を見せる。
「ま、いいけどお……」
 どぎまぎしながら、みあおは顔をそむけた。笑顔の中にあった眼は、あの廃工場で見た猫股のものとは、まったく違っていた。しっかり雫の眼になっていたのが、なぜか無性に気恥ずかしかった。
 みあおは上目遣いになって、雫に話しかける。
「雫は……」
「ん? なあに?」
「いつから、この身体に入ってたの?」
「不意打ちだったの。ゴーストネットでウィルスが身体に入ってきて……、あたしはネットの海へ引きずりこまれた。だけど必死にしがみついて、なんとか警察のサイトにたどり着いたの。新種のウィルスにも欠陥があったみたいで、あたしの意識を完全にコントロールできていなかったのよ。猫股だった身体を見つけるのは簡単だったよ。厳重にプロテクトがしてあったからすぐに分かった」
 つまり、雫の魂はネットを経由して警察に到達し、猫股だったヤーコプという少女の身体を借りたというわけか。そして、仲間のふりをして、クレーマーに近づいた。
「ネットの海を泳ぐのは、けっこう楽しかったんだ。身体がないってのも、身軽でいいものね」
 雫はあっけらかんとした調子で笑った。立ち上がると伸びを作って、みあおに振り返った。
「さて、あたしは警察行ってくるね。元の身体が恋しくなってきたし、あの化け猫コンビの様子も気になるしね。人の魂で儲けようなんて、とんでもない連中よ」
 歩き出した雫の背中に、みあおは呼びかける。
「そういう世界って、本当にあるのかな」
 行き場を失っている魂を回収、もしくは無理やり抜き取って、私腹を肥やす――いや、何とか食いつないでいる者たち……。
 雫は立ち止まる。街の喧騒が反響する夜空をふっと見上げ、つぶやいた。
「知らぬは人間ばかりなり……か」


おわり


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1415/海原・みあお/女性/13歳/小学生

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 ライターの大地こねこです。
 海原みあお様、お待たせしました。『猫股レボリューションズ』をお届けします。
 あくまで平和的な手法で事件を解決できたのは、みあお様の人柄のおかげだと思います。
 このたびはご依頼ありがとうございました。またのご参加をお待ちしております。猫股はきっと、また街のどこかで現れると思います。