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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


オモイ。

*オープニング*

 煙草を買いに出た草間は、ついでに郵便物を取って興信所の階段を昇った。
 ドアの前に立つと、ややくぐもった電話の音。
 興信所は誰もが出払っていて、今、電話の一番近くにるのは草間。となれば、当然草間が電話を取らなければならない。
 しかし、草間は直ぐさま電話に飛びつきはしなかった。迷いつつ、けたたましい音を立てる電話の前に立つ。
「取るべきか、取らざるべきか……」
 呟きながらも受話器に手を伸ばしかけて、辞める。
 と言うのも、最近興信所に奇妙な電話が入るのだ。
 相手はまだ若い声の女。名乗らず、草間以外の者が取ると切れてしまう。
 草間が電話に出ると、その女は何故か一方的に草間への想いを告げるのだ。
「またあの女か、依頼の電話か、」
 或いは依頼の調査に出払った者からの電話か。
 別に居留守を使ったからと言って全然問題はない。が、やはり目の前で電話が鳴っていると取らなければならないような気がする。
 溜息を付いて、草間はゆっくりと受話器を取った。
「はい、草間興信所」
 ほんの僅かの間をおいて、電話口に軽やかな女性の笑い声が届く。
「ふふ、草間さん。私が誰か、まだ思い出せない?」
 やはり、ここ最近電話を掛けてくる女だ。
 相手は草間を知っているようで、草間に対する愛情を電話口で次々と並べてくれるのだが、あいにく草間にはどうしても女の名前が思い出せない。
「失礼、そろそろ名前を明かして頂けませんかね?」
 溜息を隠して答える草間。女は再び笑った。
「いじわるね、草間さん。どうしてそんないじわるを言うの?ああ、分かったわ。私がどれほど辛抱強いかテストするつもりなのね?私の愛が深ければ深いほど、あなたの意地悪を許せると思っているのね?」
 草間は頭を抱えて椅子に腰を下ろす。女は続けた。
「私を思い出せるものを届けたのよ。見て貰えた?あなたが素敵って褒めてくれたでしょう?」
 一瞬何のことか分からなかったが、草間はふと自分の手に持ったままの郵便物を見た。
 請求書とダイレクトメール、一番下に、差出人も宛先も書かれていない薄紅色の封筒があった。
 草間は受話器を肩に挟んで、その封筒を開く。
「ああ、届いていますよ。待って下さい、」
 びりびりと封を破る草間。しかし女性は何も言わず電話を切ってしまった。
「チッ」
 忌々しそうに舌打ちして、受話器を置き封筒を開く。
――中から出て来たのは、長い黒髪。
「な、何だ?」
 リボンに結ばれた一房を机に置いて、草間は顔をしかめる。
 髪の毛など、送られて嬉しいものではない。ましてや、思い出せない人物を思い出す材料になどなりはしない。
「一体誰なんだ……」
 あなたを愛しているの。
 あなたが大好きなの。
 女性に言われて嫌な気持はしないが、相手が分からないとなると話は別だ。
 また電話がかかってくるのだろうか、思い出すまで電話をしてくるつもりなのだろうか。
 草間は何か背中に泡立つものを感じた。

 暗い顔で溜息をつく草間の前に立ち、少し人の悪そうな笑みを浮かべる男が1人。名をケーナズ・ルクセンブルクと言う。
「探偵がストーカー行為に悩まされるとは因果な話しだ」
 本来ならば探偵がストーカーの如く対象となる人物に付きまとうべきところを、逆に付きまとわれているのだからもっともな発言だ。
 苦笑を零し、ここは一つ草間をからかって遊ぶのが一番……と、興信所にいる面々の一部は思っているのだが、大切な恋人の身を案じるシュライン・エマを前にすると、そうそうからかってもいられない。
「武彦さん、電話聞き始めてから体力落ちてきた等の体調不良はないわよね?」
 女の不快極まりない行動へ腹を立てるよりも、シュラインは純粋に草間の身を案じている。
「いや、そんな事はないが……」
「ないが?」
「記憶力の低下を実感している。何せ、何処の誰なんだか何度声を聞いても思い出せないんだからな」
 溜息を付くシュライン。
 ソファに座っていた真名神慶悟が小さく鼻を鳴らして笑った。
「そりゃ、記憶力の低下と言うより脳の老化だろう……」
「ああ、それは大いにあり得る」
 一緒になって笑うのは、蒼王翼。
 名前も外見も少年のようだが立派な少女である彼女は、現在興信所にいる中では人形の四宮灯火を除いて最年少だ。もっとも、そんな年齢の若さなど微塵も感じられないが。
「誰かわからない人間からの電話の調査はキミの十八番だろう?まぁちょうどオフだし、僕は手伝っても構わないぜ。けど久しぶりに怪奇とは無縁そうな事件じゃないか」
 喋り言葉まで少年のようだ。
「確かにそうだが、相手に覚えがないし思い出せない。自分で調査するより、第三者にやって貰った方が早く解決するんじゃないかと思ってね」
 現在興信所にいるのは草間を覗いて6名。呼び出した者がいれば偶々訊ねてきた者もいる。この6人で相手を捜し出して解決して欲しい、と草間は言う。
「ただ働きか……」
 溜息を付く慶悟。
「ラーメンくらいは奢る」
 草間に奢って貰うラーメンとは、随分高く付きそうだ。
 溜息を付く慶悟の横で、観巫和あげはと灯火は顔を見合わせて笑った。

「なぜ、このような物を送ってきたのでしょうか……?素敵だと誉めてくれた事がよほど嬉しかったのでしょうけれど……」
 ソファの上に立ち上がって灯火はテーブルに置かれた黒髪をじっと見つめて言った。
「そこまで想われるというのもなかなかない事ですけど……髪の毛は何だか怖いですね……」
 あげはも頷いて黒髪を見る。
 外国の恋愛小説などを読んでいると、戦地に赴く恋人に髪を送ったり、亡くなった恋人の遺髪を大切にしまっておいたりと言った事があるが、この場合は戦地でも遺髪でも、ましてや恋人でもない。
「髪とは言え、身体の一部を送り付けるとは尋常ではないな。勿論それが本物であるなら……だが」
 と、慶悟もテーブルの上の髪を覗き込む。
 一見しただけでは本物かどうか分からないが、かと言って気安く触れるには抵抗がある。
「草間君、本当にその黒髪やリボンには心当たりがないのか?髪も染めておらず、ある程度長くてリボンでまとめていたとしたら、該当人物は限られてくる気もするんだが。依頼人はもちろんのこと、キミの行動範囲内でそういう人物はいなかったか?」
 草間はしきりに首を捻ったが、思い出せないらしい。
「キミがしょっちゅう出入りしているようないかがわしい場所にも、いないのか?絶対に?」
 いかがわしい場所、とは多分、美人なおねぇちゃんが多くやたらお高い飲み屋を指しているのだろう。
 草間は溜息を付いて首を振る。
「宛名も差出人も手紙も、ないわねぇ、本当に」
 シュラインは封筒をひっくり返したり中を覗き込んだりしたが、署名も手がかりらしいものもない。
 女を特定する材料は、今の所、草間に掛かってくる電話と髪とリボンしかない。
「この黒髪をさわってみても宜しいでしょうか……?この物の想いを……聞いてみたいから……。」
 灯火の言葉に、草間が顔を上げる。
「それは構わないが……、」
 手がかりが髪とリボンである以上、触れなければ分からない事があると思うのだが、何やら激しい念が込められていそうで触れる事を躊躇っていた。
「私もとりあえずそのリボンと髪をサイコメトリーしてみよう。正直気は進まないが、キミはこの女性に愛を告白されてもちっとも嬉しそうじゃないからな」
 ケーナズが言うと、草間が当たり前だと怒って見せる。
「女なら誰でも良いと言う訳じゃないんだぞ」
「その割には、髪を褒めたりして気のある振りをするんだな?」
 翼に言われて、反論出来ない草間。と言っても、褒めた記憶はサッパリないのだが。
「私も、出来る事をやらせて貰いますね。髪やリボンを念写すれば、相手の方の顔や住んでいる場所の風景が分かるかも知れませんし……」
 分け合って髪とリボンを手にした灯火とケーナズの前に、愛用のデジカメを持って進むあげは。
「相手の女は、ここが怪奇興信所だって事を知らなかったのかも知れない」
 ふと口を開いた慶悟に、翼が首を傾げた。
「陰陽師にしてみれば髪は充分な得物だ。左道では意とする相手の身体の一部を用い呪詛を施し縛り、時に殺める。その髪を用い式神を打って居場所を割る事も出来る。もし相手がここを怪奇興信所と知っていれば、そんな場所に自分の髪を送りつけたりはしないだろう?」
「それじゃ、何か呪術的な意味があって送って来たワケじゃないのね?」
 慶悟の言葉に安堵の息を付くシュライン。
「だが妄執に憑かれた霊よりも、妄執に満ちた生者の場合の方が厄介だぞ」
「一方的に愛を語って髪を送りつけてくるような相手だからな、厄介極まりないだろう。もう一度電話が掛かって来たら僕に代わって貰おうか」
 翼の持つ能力で相手の女を魅了してしまえば、女の話を聞くことは勿論、情報を聞き出す事は容易い。
「あら、でも武彦さんじゃなくちゃ切れてしまうんでしょ?あんたが電話に出たら切れちゃうんじゃないの?」
「僕が、話すんだよ?切らせたりなんてしないさ」
 そんなにもアッサリと相手を魅了し、催眠にかける事が出来るのだろうか?
 首を傾げるシュラインに、翼はゆっくりと微笑んでみせた。

「それで、どうだったの?」
 休憩に、とコーヒーを入れたシュラインが全員にカップを配りながら尋ねる。
 御茶請けには灯火の雇い主が彼女に持たせたお土産の最中と、あげはが持ってきた蜜豆。
「どうもこうも……、」
 ケーナズはコーヒーを一口飲んで言った。
「凄い」
「凄いって、どう言う風に?」
「激しい感情、と言いましょうか……、髪もリボンも、草間様が好きだと言う思いばかり……」
 ケーナズと灯火が言うには、髪とリボンから伝わって来るのはただただ、草間を愛しく思う感情なのだそうだ。
 草間さん草間さん草間さん草間さん、大好き大好き大好き大好き、嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい、草間さんが大好き、髪を褒めてくれた草間さんが大好き、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる……。
「何処か暗い場所……、多分外だと思うが、泣いている女性がいる。キミはその女性に声を掛けたんだ。それで、ここまで気に入られたんだから自業自得だ」
「自業自得と言われても、覚えていないものは覚えていない」
 草間はうんざりとした顔でケーナズを見返した。
 勿論、始終黙りこくっているわけではない。外へ出れば人と出会うだろうし、人と会えば多少話しもするだろう。だからと言って、話した相手の人となりを全て覚えていられない。偶々すれ違いざまに肩をぶつけた相手を、1年後に思い出して詳しく話せと言われるようなものだ。
「あの、草間さん、写真が」
 あげはがデジカメを草間に渡した。
 そこに映った念写写真。1枚目は長い黒髪の女の後ろ姿だ。
「黒髪、ね……。勿論、この黒髪の主なんだろう。見事と言う程でもないけれど」
 モニターを覗き込んだ翼が言う。
 目の前にある一房の髪もそうだが、褒めるほどの綺麗な髪ではないように見える。最近にしては珍しく、脱色もカラーリングもしていないバージンヘアと言う程度だ。
「黒髪だから褒めただけなんじゃないのか?」
 慶悟はチラリとシュラインの髪を見て言った。
 常にすっきりとまとめ上げられてはいるが、解けばシャンプーのCMに出られるほど見事に違いない。
「黒髪と言うならそちらの2名も黒髪ではないか。草間君、キミは黒髪の女性なら誰でも良いのか?」
 灯火とあげはを指して言うケーナズ。
 ひらひらとシュラインが手を振った。
「全く記憶にないと言うんだから、多分、武彦さんは酔っぱらっていたんだと思うわ……。ほら、よく飲み過ぎてどうやってここに戻ったか覚えていない時があるでしょ?」
「つまり、酔っぱらって前後不覚の状態で女の髪を褒めた……、褒められた女はそれが嬉しくて付きまとい始めた……?」
 今時、髪を褒められたくらいで喜ぶ女がいるだろうか。しかも相手は酔っぱらい、嘘か誠かも分からない言葉だ。
 よほど髪に思い入れのある女なのか、と慶悟は思う。
「草間さん、2枚目に相手の方の顔が、少しですが映っています。顔を見たら、思い出しませんか?」
 あげはに言われて、草間は2枚目の写真をモニターに写す。
 一般的な日本人の肌、特に整っていない目鼻立ち。雑踏に立ってもさして目を惹かない、ありふれた女の横顔がそこにあった。
 派手でもない、地味でもない、ただ辛そうに目に涙を溜めた女。
「全然、思い出せませんか?」
 モニターを近付けたり離したりして、草間はまじまじと写真を見た。見ながら、外で泣いている黒髪の女を、脳のどこかに埋もれた記憶から呼び覚まそうと首を捻る。そして、
「……あったような、なかったような……」
 言われてみればそんな事があったような気がしないでもないし、何処かで誰かの黒髪を褒めたような気がしないでもない。気がしないでもないが……、草間の中では、必死になって首を捻らなければ思い出せない、その程度の出来事だ。
 別段その女性に気があって髪を褒めたワケでもなく、多分、本心からそう思って言った訳でもないだろう。ただ、偶然知り合って偶々目についたのが髪で、褒めたと言うほどのことでもなく、「綺麗だ」と口にしただけなのではないかと思う。
「……むやみやたらと人を褒めないことだ」
 翼は溜息を付いて電話に目を遣った。
「電話は日に一度しか掛からないと言う訳ではないんだろう?今日最初の電話から2,3時間過ぎた。また掛かって来る頃じゃないか?」
「掛かってきたら、私が武彦さんの声を真似て出てみるわ。2人で出来る限り色々聞き出してみましょう」
 言って、シュラインは窓の外からこちらを見ている場合に備えてブラインドを閉めた。

「でも……なぜリボンで結んであるのでしょう…?なんだか……贈り物のよう……」
 テーブルに置かれたままの黒髪を見て、ふと灯火が呟く。
「贈り物?確かにリボンを結んではいるが……、」
 髪をプレゼントされても嬉しくないし、普通、髪などプレゼントするだろうか?
 そう言うケーナズに、翼はゆっくりと首を振った。
「いる。何故か写真や髪をプレゼントと言って送ってくる」
「そうなのか?」
 尋ねる慶悟に翼は頷く。
 最速の貴公子と呼ばれるF1レーサーの翼にはファンが多い。当然、女性のファンも多く、何故か女性のファンは花や手紙と共に自分の髪や写真を送りつけてくるのだと言う。
「それは……、どんな理由で送ってくるのでしょう?写真は自分の顔を知って欲しいからとして、髪は?」
「多分、側に置いて欲しいと言う意味だろう。髪で作ったお守りを贈られたこともある」
 頷いて、あげははテーブルの髪を見る。
「と言うことはこれは、草間さんに自分を思いだして、側に置いて欲しいと言う意味でしょうか?」
「その辺も、電話の時に聞いてみましょ。……でも、随分まどろっこしいことをするわねぇ……、控え目な性格なのかしら?」
 シュラインの言葉に、草間が小さな溜息を付く。
「控え目な性格でストーカーなんぞするもんか……」
 控え目だからこそストーカー紛いの事をするのではないか、と誰かが言いかけた時に電話が鳴った。
 シュラインと翼は頷きあって電話の近くに移動する。
「取るわよ?」
 シュラインは草間に確認してから受話器を取る。そして、正確に模写した草間の声で口を開いた。
「はい、草間興信所」
 シュラインは言いながら他の面々にも相手の声が聞こえるようにスピーカー印のボタンを押した。
「草間さん、そろそろ私の事を思い出して貰えたかしら?」
 若い女の声だ。
 悪戯を面白がっている風な声ではない。純粋に、草間への電話を楽しんでいる声だ。
「あの夜は酷く酔っていたから……、思い出すのに随分時間がかかった」
 シュラインの口から出る草間の声。
 女は嬉しそうな声をあげた。
「私は、忘れなかったわよ。ずっとずっと、あの日からずっと、あなたのことばかり考えていたわ。ねぇ、また会ってくれる?一緒に飲みましょう?素敵なお店を見つけてあるの……、草間さんなら気に入ると思うわ」
「こちらからもあなたをお誘いしようと思っていたところでしてね……、是非、もう一度お会いしたい。連絡先を教えて頂けますか?都合の良い日に、連絡しましょう」
 ふと、女の方が黙った。
 何か失敗をしたかとシュラインが気に掛けたとき、女が言った。
「ねぇ、草間さん。名前を呼んで頂戴。草間さんの声が私の名を呼ぶ場面を、もう何度も想像していたの。ねぇ、お願いよ。『あなた』なんて他人行儀だわ。私のこと、名前で呼んで頂戴」
 名前で呼んで頂戴、と言われても名前など知らない。さてどうしたものか、とシュラインが考え始めたとき、翼が受話器を渡すよう合図をした。
「武彦は好意を寄せた女性を「あなた」と呼ぶのが好きなんですよ。勿論、名前で呼ぶこともあるけれどね。女性の命と言う髪をプレゼントするほどだから、本当にキミは武彦のことが好きなんだね。僕には武彦の良さなんかちっとも分からないが」
 受話器を持つなり、相手に口を挟ませない早さで一気に喋る。
 相手が電話を切ってしまえばそれで終わりだが、不思議なことに電話は切られなかった。
「……これが、声で魅了する、と言うことですか……?」
 人間の女性の耳に翼の声がどんな風に届いているのか灯火には分からない。それでも、どこか心地よい声だと言うことだけは分かる。
 受話器の向こうで女は黙っていたが、翼は続けた。
「実は、キミの噂は武彦から聞いているよ。とても武彦を想っているそうだね。電話や贈り物の数々……、女性らしくて素敵だと思うよ。でも彼はああ見えてもなかなか純なところがあってね、自分から女性に踏み込んだ質問なんて出来ない。そこで、僕が武彦の代わりにキミに色々質問したいんだ。ああ、失礼。僕の名は蒼王翼と言う。キミは?」
 一瞬その場にいた全員が息を詰めて電話に注目した。
 蓮井さや子、と返事がある。
 草間を見ると、「知らない、サッパリ記憶にない」とでも言うように首を振った。
 まったく、と呆れて溜息を付くシュラインの横で、翼は女の草間に対する愛情を褒め称えつつ次々と質問をしていく。
 女……蓮井さや子は一つ一つそれに答えていった。そしてついには草間との馴れ初めに至るまでさや子に語らせた。
「お見事……」
 明日の夕方に会う約束を取り付けて受話器を置いた翼に、ポンポンと手を打つ慶悟。しかし草間は横でイヤそうな顔をする。
「待て、誰が会うと言った、誰が」
「けれど、きちんと会ってお断りしなければ……」
 灯火の言葉に頷く一同。
「ストーカーとか言う輩は無視すれば無視するほど執拗にもなるが、逆に下手に優しく断っても執拗になると言うからな。これはあんたが直接、きっちり断るしかないだろう。第三者の言葉を聞くような相手とも思えない。まぁ、心配はするな。女とあんたの形代を作ってある程度は守ろう」
 言って、慶悟はいきなり手を伸ばして草間の髪の毛を抜いた。
「ある程度ってのは、どの程度なんだ」
 突然の痛みに顔をしかめながら尋ねる草間。慶悟は事も無げに言った。
「ある程度と言ったらある程度、だ。勿論明日は俺達も見学に行くつもりだからな。その時の状況によるだろう」
 慶悟は念の為に全員の形代を作ると言って髪の毛を提供させた。今日はは自宅に帰ってコツコツ形代作りだ。
「キミが言う通り、」
 と、ケーナズは慶悟を見てから草間に目を移した。
「ストーカーまがいの人物にまともな理屈でお引き取り願うというわけにはいかないだろう。取り敢えず、私が草間君の仮の恋人と言うことではどうだ?ホモなら諦めてくれるんじゃないのか?私ならキミのことも守ってあげられるぞ」
 ある程度、ではなくて、キッチリと、と言うケーナズ。
 シュラインはにっこりと笑っていたが、目はあまり笑っていないように見える。
 草間は溜息を付いて相手にしなかったが。

 翌日、翼が指定した喫茶店に7人はいた。
 1人でテーブルについた草間が見え、尚かつ何かあった際にはすぐに近付ける場所に6人は腰を下ろす。と言っても、人形の灯火が1人で座るのも妙なのであげはが抱いて席に就いている。
 喫茶店の内外には慶悟が式神を張り巡らせてある。もしさや子が逃げようとしても、叶わない。加えて、夜なべして作った形代を持っているので、例え相手が何らかの形で攻撃してきても一同が負傷する事はない。
「形代を持っているのに、式神も使うんですか?」
 さや子の形代も作っていると知って、あげはは首を傾げた。
「ああ。人の意思は何よりも強い。縛を逃れ何を遣らかすかは実際解からんからな。念には念を入れて、だ」
 慶悟が答えたところでさや子が現れた。
 息を詰めて2人の会話に耳を澄ます一同。
 実際に顔を見れば思い出すかと思ったのだが、相変わらず草間は誰だか分からないと言った顔をしている。
 対して、さや子の方は満面の笑み。草間に会えた事がそんなに嬉しいのだろうか。
「……よく聞こえないな。草間君は何と言っているんだろう?」
 店内は混雑していると言うほどでもないが、音楽の音量が高く会話が聞き取りにくい。
「し」
 シュラインは唇に指を宛ててから耳を澄ました。
「あら、武彦さんったら、正直に思い出せないって言っちゃったわ……、」
 さや子の顔から笑みが消えた。
「あ、グラスが……、」
「あら……、泣き出してしまいましたね……」
 6人が見ているとは思いもしないだろうさや子は、テーブルに顔を突っ伏して泣き出してしまった。
 グラスが倒れ、水が零れる。
 草間は慌ててそれを拭きながらこちらに助けを求める。
「仕方がない、ここはやはり草間君は私の恋人と言う事で話しを……」
 立ち上がり、2人に近付くケーナズ。
 止める間もなく2人のテーブルに行ったケーナズは、泣くさや子の前でイキナリ草間を背後から抱きしめ、言った。
「これは私の大切な恋人でしてね。残念だが、キミに譲ってあげることは出来ない。この通り、物覚えも悪いし大した容姿でもないが、私にとっては大切な存在でね」
 『これ』呼ばわりされた草間は溜息を付いたが、さや子の方は全く反応なし。
「申し訳ない、どうも酷く酔っていたようで……、君の髪を褒めたかどうかも定かじゃないんだ。折角好意を寄せて貰っているところ申し訳ないが……」
 頭を下げる草間。
 さや子は少し恨めしそうに顔を上げた。
「あなたも、私を何の特徴もない冴えない女だって言うの?綺麗だって、褒めてくれたじゃない。綺麗な髪だって……、私、どんなに嬉しかったか。それなのに、覚えてないなんて、」
 酷い、と女は呟く。
「皆同じことを言って私から去って行くのよ。あなたもそうなのね?あなただけは違うと思ったのに。あなたは私を愛してくれると思ったのに。こんなにあなたを愛してるのに、どうして私じゃいけないの、ねぇ、どうして……」
 肩を震わせて泣くさや子。
「あ、あの、落ち着いて下さい、」
 あげははさや子を落ち着かせようと肩を撫でたが、泣きやむ気配はない。それどころか嗚咽は酷くなり、何を言っても耳に入らない様子だ。
「仕方がない」
 小さく息を吐いて、慶悟は正気鎮心の符を取り出してさや子の背に貼り付けた。
「草間には既に意中の人物が居る。それを踏まえろ」
 嗚咽の緩くなった女に言う慶悟。続けてあげはも口を開いた。
「人が人を想う事は誰にも止める事は出来ないかもしれませんが、草間さんが貴方にした返事を真摯に受け止めては如何でしょうか……。あなたは自分の事を特徴のない冴えない女だと言いますけれど、草間さんに電話を掛けたり髪を送ったり、情熱的な処があると思います。人は外見で判断されるものではありませんから、今回の事を次に踏み出す切っ掛けにして、新しく進む事が出来ると思います」
 それに強く頷いて、草間はさや子に再び頭を下げる。
 これまで何人もの男に詰まらない女だと言って捨てられたのだとさや子は言った。
 冴えない退屈な女。取り立てて褒めるような外見でもなく、至って地味な性格で、褒められた事もない。
 草間に会った日も、丁度付き合っていた男に捨てられたところだった。
 髪と言えど、褒められた事が無性に嬉しかった。
 この人に想われたい。そう、思ったのだと言う。
「私を好きになって欲しかったの。私があなたを愛する分だけ、愛して欲しかったの。あなたが褒めてくれた髪……、それだけでも、あなたの側に居たいと思ったの……」
 まさか他に付き合っている女性がいるとは考えもしなかった。一方的な思い込みで迷惑を掛けて申し訳ない。
 慶悟の貼った符の所為か、すっかり落ち着いたさや子は取り乱す事も声を荒げることもなく言って、草間に詫びる。
「キミはどうして自分を何の特徴もない冴えない女だなんて思うんだろう?女性はね、何時だって誰だって美しいものなんだよ。キミだって例外じゃない」
 笑みを浮かべる翼。
 つられた様にさや子も笑みを浮かべる。さして特徴のある笑みではなかったが、少し晴れ晴れとした顔をしている。
 もう二度と電話をしない。草間の事は忘れるし、迷惑は決してかけないと約束をしてさや子は喫茶店を後にした。
「形代も式神も用がなかったな……、勿論、良いことだが」
 ほっと息を付いて式神を呼び寄せる慶悟。
「よくもまぁ、歯の浮くような科白が言えるものだ。私も少し真似をしてみよう」
 苦笑するケーナズに、翼は「酔った勢いで女を適当に褒める草間よりはマシだ」と言って笑い返す。
「人の想いとはとても強いものなのですね……。草間様、これからは十分にお気を付けて下さいませ……」
 あげはの腕の中でそっと呟く灯火。
「本当に。草間さん、簡単に女性を褒めてはいけませんよ。その他大勢よりも、一番近くにいる人を褒めてあげなくちゃ」
 言って、チラリとシュラインを見るあげは。
「そう言えば私、武彦さんに髪を褒めて貰ったことなんてないわ。……ねぇ、武彦さん?」
 シュラインは今日もきちっと結い上げた髪を撫でて見せる。
 ニヤニヤ笑う6人に囲まれて、草間は消え入りそうな声で言った。
「……本当に綺麗だと思っていたら口に出して褒める必要なんかないんだっ」
 聞こえない、と笑う6人。
「そんなことより、無事ストーカーは去ったんだ。約束通りラーメンを奢るぞ!」
 草間は慌てて財布を取りした。



end



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086 / シュライン・エマ    / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1481 / ケーナズ・ルクセンブルク/ 男 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員)
3041 / 四宮・灯火       / 女 / 1  / 人形
2863 / 蒼王・翼        / 女 / 16 / F1レーサー兼闇の狩人
0389 / 真名神・慶悟      / 男 / 20 / 陰陽師
2129 / 観巫和・あげは     / 女 / 19 / 甘味処【和】の店主

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■         ライター通信          ■
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ジメジメとして気分に黴が生えそうな佳楽です、こんにちは。
この度はご利用有り難う御座いました。
また何時か何かでお目に掛かれたら幸いです。