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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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歪に響く虚ろ音
「おや、久し振りじゃないかい、未だ生きてたんだねぇ?」
ここ――アンティークショップ・レン、の店主である碧摩蓮は本日最初の来訪者である男に気怠げな笑みを向けた。ロッキングチェアの背もたれに身を預け、愛用の煙管を唇に、久方の出会いにも常の様子は変わらない。
「お陰様でぴんしゃんしてますよ。そろそろ草臥れて来てもおかしかないんですがね」
男は碧摩に軽く頭を下げてから笑って言った。白い着物に、白い髪の男は右目は黒く、左目は赤く……一目で普通の人間ではない事を見る者に知らしめる外見だ。だが、顔に浮かぶ表情は穏やかであり、危険な香を漂わすものではない。
鈴を鳴らして開いた入口の扉が、再び鈴の音とともに閉じられた。
「何の用だい? どうせ客として来たんじゃないんだろ? 暇潰しならウチは向いてないよ」
ふ、と煙を吐き出して碧摩は物憂気な視線を戸口から離れて自分の目の前に立った、着物姿の高い背に上げた。
「そりゃ、酷い言い種ってものですよ。私は、今日客として伺ったってえのに」
大袈裟に悲嘆の体を見せて、男は肩を揺らす。
「最近、貴女の所に鈴が入ったでしょう……? 濃紅の綾紐に通された、とても綺麗な音を立てる鈴が」
近くにあったダイニングチェアを引き寄せて腰を落として、色違いの双の瞳を、碧摩に寄せて問う。
「……それ、売り物なんだけどね?」
「良い椅子ですね。ブナとウェルナット、このエプロンの張り出し……クイーンアン様式でもオランダタイプ、ですか」
「……ま、イイけどね。椅子ってのぁ座るもんだ。アンタの事だから間違っても傷付けるってこたないだろ」
碧摩は溜息にも似た吐息を、紫煙と共に空に押し吐いた。
「で? その鈴ってのが何だって?」
「見せて頂けませんか」
「……ウチに入ったってのは誰に聞いたんだい」
「商売柄、色々と情報は入りますんで」
赤い瞳だけを細めて口の端を上げる男に、碧摩も倣うように僅か笑んだ。
「フン、まあいいさ……確かに入ったよ。でもすぐに出た」
「出されたんですか、アレを?」
「欲しいって客があれば売るのが商売人ってモンだろ?」
「あれが人の手に渡すべき物ではないと、貴女が気付かなかったとは思えないんですがね?」
咎めの響きが滲む声に、碧摩は片眉を撓らせる。
「……言ったろ? アタシは商売をしてるンだ。需要があるなら供給するまで。それともアンタは売れるもんを寝かせとくってのかい?」
男は肩を竦めた。
「出した商品がすぐに手許に戻る様な悪どい商いは、いたしませんよ、いくら私でも、ね?」
「……アンタ、随分性格が捻くれたねえ、昔はもう少し可愛げがあったよ。陰陽の旦那にも言われないかい?」
「昔からこんなものでございますよ」
態とらしい程の人の好い笑みが、碧摩の溜息を誘う。形の良い指を男の前で振った。
「降参だ。アタシも気にはなってたのさ。考えている間に売れちまってね。……実の所は困ってたのさ。売っちまったのはアタシの留守を預かってた者だったんでね」
「では、僭越乍ら貴女の背を私が押させて頂きましょう。私からの依頼ってえ事にして、買い戻しちゃいかがでしょうかね?」
「……アンタに借りを作っちまうのもねェ」
碧摩は室内の昏い照明を淡く青色に反射する硝子の灰皿に、煙管の灰を落とした。
「そうも、言ってられないか……ウチの評判を鈴一個の為に落とすのは割に合わないってもんだ」
「では」
「ああ、その依頼引き受けようじゃないか? 鈴を買い戻そう。だけどどうするんだい、その鈴? アンタが買い取るったって、そりゃ商売が違うだろ?」
「申し上げたでしょう?」
ん、と碧摩が目を眇める。
「私は今日、客としてこちらにに訪れたんですよ」
「中津海」
「あの鈴は、人の手にあっちゃあいけない。しかるべき所に送ってやるべきなんですよ」
男……中津海のその言葉は囁くような小さな声だったが、はっきりと碧摩の耳に届いた。
りん、りん。
少女の手の中で鈴が左に右に転がる。
りん、りん。
室内の照明を受けて、銀色の表面に光が奔る。
「もしかして、これのお陰なのかな」
少女の声は、小さく……鈴の音よりもかすかに。
紡ぐ唇は、微笑みに象られ。
りん、また一つ小さく鈴の音が、鳴る。
セレスティ・カーニンガムはステンドグラスの小さな窓から入る光に麗とした白い貌を向けた。強い光は彼にとって害となるが、濃い色の厚い硝子を通した光は元々の明度を和らげ、彼の銀の髪と白い面に色彩を落す程度だ。ステンドグラスを前に佇む聖人のごとく静かな高貴をたたえたその姿は、一幅の絵画を思わせる。
「雨が止んだ様ですね」
「ああ、夕方から止むって言ってたからねえ」
カーニンガムの声に応えたのはアンティークショップ・レンの主たる、碧摩蓮だ。いささか不機嫌そうに潜められていた眉が、カーニンガムに視線を向けて後、僅かに開いた。
「良い、タイミングで来てくれたよ」
吐息のような呟きを聞き留めて、カーニンガムはゆるく顔を傾ける。
「難事でもありましたか?」
「あァ、鳥渡ばかり、しくじりを、ね」
「貴女がですか……? これは珍しい話が聞けそうですね」
悪戯げな微笑が白い面に浮かぶ。それに、碧摩は溜息で不満を示した。
「笑い事じゃないんだよ、旦那」
恨めしげな声に、カーニンガムは更に笑みを深めた。
「私でお力になれるのでしたら喜んで、と申し上げようと思っていたのですが」
余計な事でしたか、と添えれば碧摩は少々慌てたようにロッキングチェアに沈めていた身を乗り出した。
「いやいや……言ったろ? 良いタイミング、だったのさ」
碧摩が言い終ると同時、扉のベルが来訪者を報せる。
「ああ……「良いタイミング」が続いたようですよ」
顔を扉へと上げもせずに、来訪者の正体を察してみせた麗人は、碧摩に幸いを告げた。
来訪は三名が同時であった。
一人の女生と、二人の少女……その中の一人に、カーニンガムは声を掛けた。
「奇遇ですね、綾和泉さん」
「セレスティさん?」
着物姿の少女を促すように、小さな肩に手を置いた綾和泉がカーニンガムの声に顔を上げ、声の主の微笑を認めると応えるように目許に柔らかな表情を浮かべた。そうすると男性と間違われる事すらある中性的な顔立ちが、女性のそれへと変わる。
「何の符牒かしら「ここ」で貴方とお会いするなんて」
冗談めかして言うと、綾和泉はカーニンガムから碧摩へと視線を移した。
碧摩は苦笑いのような表情で、揃った四人を見渡した。
「その答はアタシが持ってるよ、多分ね」
持っていた煙管の雁首を、とん、と掌上で跳ねさせる。
「手を貸して貰いたい」
いつもの飄々とした体がなりをひそめ、真摯な空気を纏って、碧摩は唇を開く。
「先日ここで一つの鈴が売れた。それを買い戻したい」
「どんな鈴ですか?」
場の意見を代表するようなカーニンガムの問いに、碧摩は一枚の紙を取り出した。
示してみせた紙の上には鈴の絵が描いてある。鈴自体の大きさは1.5cm程。銀色の球体の下方に細く切れ目がある……シンプルな形の鈴だ。上方にある輪に濃紅の綾紐が通されている。
「正しくこの絵の通りの鈴だよ。一見何の変哲も無い。謂れも特に無い……単なる鈴さ」
「これを何故、買い戻す? 不良品だったのか?」
凛と通るは鬼石の声。
「不良品……ある意味ではそうかも知れないね。音は鳴るよ。綺麗な音さ。聞く者が聞けば本当の音が聞こえるだろうけれど、普通の人間にはとても綺麗な音にしか、聞こえない……だがこれが曲者でね」
「人……に害を……与えるのですか……?」
何処か表情に欠けた声は着物姿の少女、四宮だ。
「……ああ。察しの通りだよ。放っておけば死人が出てもおかしくない」
「何故そんな危険な物を売りに出したんですか?」
当然と言えば当然すぎる程の質問は綾和泉だ。碧摩は煙管の吸い口で頬をかく。
「お恥ずかしい話なんだが、アタシの留守を預かった者が勝手に出しちまったのさ」
言い訳にもなりゃしないけどねえ、と碧摩が零し終らぬ内に、四宮が音も無く立ち上がる。
「どうかした?」
問う声にも反応せず、四宮は碧摩の話を聞く為に自然と輪になって座す形になった三人の後方へ何かに引かれるように足を向ける。そこには和箪笥があった。そして上に座るのは人形……ビスクドールだ。
「貴方様は……鈴を……見られたのですね……」
四宮の背よりも高い箪笥の上に置かれたビスクドールを見上げて、四宮は話しかける……人形に向かって。それを見守る者で彼女を訝しむ者は無い……彼等はこういう事に慣れていた。だからこそ、碧摩が依り頼む事が出来るのである。
四人が見る前で四宮はふわりと浮き上がり、ビスクドールと視線を合わせた。ゆるやかに両の腕が上がり、着物の袂が揺れた。
「……そう……ですか……」
まるで、会話をするように四宮が相槌を打つ。ビスクドールを見れば一言を発する所か微動だにしていない。碧摩の店にある物に曰くの無い物は全くと言って良い程に無い。この人形も例に漏れる事はないだろう。だがそれでも、動き出し話す等と言う事はないようだ。見るだけではただの古い人形である。
だが、四宮は動かず物言わぬ人形から意志を汲み取る事が出来るのか傍目には一方的な会話を続ける。
「判りました……教えて下さって有難うございます……」
律儀に礼を述べて、四宮はすとんと地面に降り立った。着物に焚きしめられた香の薫りがふわりと匂い立つ。地面に着いた足を暫し見つめてから四宮はす、と視線を上向けた。彼女に視線を集中させる一同を見る。
「その鈴は良くないものです……。大きな恐い虚が見えたと……教えてくれました」
「恐い虚……?」
「虚は人を喚ぶそうです……そして捕えて、同じものにしてしまうのです……」
ゆっくりと言葉を選ぶように話す四宮の声を聞き逃すまいと全員が彼女の声に集中する。
「鈴、は持ち主の……心を糧にするのです……多分……そういう事だと、思います……」
「蓮さん」
鋭い声が碧摩を呼んだ。
「なんだい」
「鈴は何時売れたのですか」
微笑を収め、幾分固い表情へと変えたカーニンガムである。
「……確か五日前だったね」
「急ぎましょう」
カーニンガムの杖の石突きが床を叩く。
「時間が経つ程、あまり歓迎出来ない状況へ陥るように思われます。五日もあれば魔の領域にあるものが、徒人を己の域に引き摺り込むには充分過ぎる程でしょうから」
碧摩を除いたその場の全員が声無く頷いた。
りん。りん。
少女の手の中で鈴が鳴る。
「また一人……消えてくれた」
少女に意地の悪い事ばかり言う少年だった。
少年は、車通りの多い道路を横切ろうとして車に跳ねられた。
命はとりとめたようだが、暫く学校に出て来られないだろう。
「この鈴を買ってからいいことばかり」
少女は妖しく微笑んだ。
碧摩からの情報によれば、鈴の購入者は少女……高校生だと言う事だった。碧摩の留守を預かり少女に鈴を売った者が、着衣を覚えていたのである。それはアンティークショップ・レンから程近い高校の制服であったらしい。
四人はカーニンガムの自家用車で高校の近くに到着した。時は既に七時を回っている。
「容姿が判るだけ捜し易いけれど、もう下校しているでしょうね」
綾和泉が閉ざされた門を目にして言う。
少女の顔については四宮がビスクドールから記憶を読んだのを、皆に伝えた……四宮は物から得た情報を触れる事で他者に伝える事が出来るのだ。
「部活に入っていても、終っているだろうな」
しんと静まった校庭を見て、現在自身も高校生である鬼石が言った。
「明日の朝迄待つと言う選択もありますが……」
鬼石と同じく校庭を見ているカーニンガムが静かに言うのに、綾和泉が首を振った。
「少しでも早い方がいい……そんな気がするけれど」
「そう、仰ると思いましたよ」
カーニンガムが、いつもの微笑みを口許に浮かべた。前方に視線を据えていた綾和泉がその言葉に、カーニンガムを見る。
「学校にでしたら何かしら手懸りがあるでしょう」
「でも今の学校はセキュリティが確りしているから、侵入すればすぐに警備会社から人が来るのじゃないかしら」
「それに関しては任せて頂けますか……少しだけここで待っていて下さい」
言うが早いか、カーニンガムはここまで乗って来た車へと踵を返した。
その背を見送って、鬼石がぽつりと呟く。
「済まないが私は一度、自宅に戻る」
「ああ、貴女は未成年だものね。御自宅に連絡を入れないと」
「それに関しては心配要らないんだが……すぐに戻る」
鬼石は制服のスカートを翻して走り出し、すぐに夜の幕に姿を消した。
「……二人になってしまいましたね」
微苦笑で肩を揺らした綾和泉に、四宮が小首を傾げた。表情のあまり無い四宮に、何となく続く言葉を失い、綾和泉は学校へと視線を戻した。
「ここには特に邪気はないようだけど」
伊達眼鏡の奥の理知的な瞳を細め、綾和泉は呟く。
夜を迎え、眠りについた学校には静穏が満ちている。
「何か……感じますか?」
「……ここからは……」
「……やっぱりせめて中に入れないと……か」
こくりと四宮が頷く。四宮自身は一人で潜入出来る能力を有するが、物質として存在する事には変わりなく、セキュリティをかいくぐって動けるかは難しい所だ。そもそも、四宮にはセキュリティシステムの何たるかが良く判らない。
所在なげに二人、学校を前に立ち尽くして十分程経ったろうか。カーニンガムがゆっくりとした足取りで戻って来た。
「お待たせ致しました」
言い乍ら正門の前まで歩み、綾和泉を振り返る。
「済みませんが、この門を開けて頂けませんか」
一瞬意を捉えられず、反応が遅れた綾和泉は、だがすぐに門へと歩み寄った。
「校舎内に入っても大丈夫なんですか?」
「少しだけ反則をしましたので」
和やかに言われて、綾和泉は門を開け乍らそうですか、とだけ返した。
「長く生きていると、こう言う時には役に立つ伝手を得たりするものなんですよ」
そう言って微笑む姿は確かに、永い時を生きて来た者を思わせる、雰囲気を纏っていた。
明かりの無い暗い校内に明かりが点る。それは校内を行く三人によるものだった。
「校内探索の許可を頂くと共に、購入者の少女について調べる様頼んだのですが」
誰に、とは明確にしないカーニンガムに、だが綾和泉も四宮も詳しくは問わない。
必要なのは、どうやって誰に、ではなく、その結果であるのだから。
「やはり時間が時間ですから、有益な情報を得られるまでに少々時間が掛かりそうです。こうして直接探る方が早いかも知れませんね」
「そうすると、先ずは職員室辺りから、でしょうか」
綾和泉が廊下の窓から外を見乍ら言う。
生徒の資料となれば職員室に置いてあるだろう。名前も判らない生徒を捜すのは骨が折れるだろうが、写真があるかも知れない。
捜索について話し合う二人を余所に、四宮は辺りを見回していた。
「何か、視えますか?」
四宮の様子に気付いたカーニンガムが声をかける。少女人形は顔を上げた。
「……教えて頂いた時に感じた……気配と同じ軌跡が……少しですが視えるのです」
「残留しているのね」
四宮の言葉に、綾和泉が声を低める。
「追えますか?」
「大分……消えかかっているのですが……」
言って四宮は視線を彷徨わせてから、再びカーニンガムを見た。
「出来ると、思います」
静かな声にはだが、感情薄く見えた少女の意志が見て取れた。
「お願い致します……残留する程の念です……早く見付けて差し上げたいですね」
カーニンガムの瞑目しての言葉に、二人も瞳を伏せた。
「ここ、です」
四宮が示したのは、永く東西に伸びた校舎の二階部分の半ばあたりの教室だった。室名札を見れば『2−4』とある。
綾和泉が扉を開ければ四宮はすうと中に入って行く。明かりの無い教室に迷いも無く。光があるか無いかは、この少女人形には係りないようだ。
「流石に明かりがないと辛いですね」
言ったのは綾和泉だ。カーニンガムも視力に頼っているわけではないから、明かりが必要なのは綾和泉だけだ。
「……ここは」
カーニンガムが眉を寄せる。
「何か……?」
「視えませんか……この澱んで、溜まった気が」
綾和泉は言われて、神経を研ぎすませてみる。集中する為に、伊達眼鏡を外した。よりクリアになった視界を、縦横に薄い影のようなものが揺らめいた。
「……なんて、邪気」
残留にしては濃い邪気が、教室内に溜まっていた。湿気が籠った部屋を行くのに似ている。重い、重い、まとわりつくような、粘った気が充満していた。
「こんなところに毎日居たら……」
「いずれ神経がまいりますね」
綾和泉の、途切れさせた言葉をカーニンガムが継ぐ。
「……ここ、が一番強いようです……」
四宮が声を上げたそこは教室の、右後方にある席だった。綾和泉が小走りに寄ると、四宮は机の上に手を置いている。
「……聞こえます。鈴の、音……」
言われても、綾和泉には音は聞こえなかった。取り敢えず、と椅子を引き、中にあるものを出してみる。何冊かの教科書と、ノートがあった。
ノートに名前がある……「檜垣芳美」。
「この子が鈴を買った子、でしょうか」
名前を読み、誰に問うでも無く言う綾和泉に、カーニンガムが頷く。
「恐らく……」
「では後はこの名前を名簿から捜せば住所が判りますね」
そう綾和泉が言った所に、教室の戸口で音がした。
三人が同時に振り向いた先には、鬼石が立っていた。
「遅くなった……」
余程急いだのか、僅かに息を上げた少女は、息を整え乍ら三人に歩み寄る。
「……それは?」
カーニンガムが、鬼石の持った細長い布袋に注視する。その意をすぐに悟った鬼石は幽かに笑む。
「鈴だ。……自宅に退魔の鈴があるのを思い出したのでな。取りに行っていた。何かしら役に立つかも知れん」
「鈴、は魔を祓うのにも使われるわね」
思い出したように呟く綾和泉に、鬼石は頷く。
「……それと、ここへ戻る途中で気になるものを見た」
「なんですか」
「……人だと思うのだが、それにしては邪気が濃かった。憑依、されていたのかも知れない。暗くて男か女かも判らなかったが……一応追わせている」
鬼石が言い終わると同時、教室の窓外に影が浮いた。
「?!」
咄嗟に身構えた綾和泉の腕を、鬼石が宥めるように掴む。
「心配無い……私の使いだ」
鬼石は言うと窓へと歩み寄り、開け放った。影は、大きな鳥だった。白鷺に似ている。
羽音をたてて中に入ると、その姿が融解し、光の塊のようになったかと思いきや、そのすぐ後には人の姿と変わっていた。白い髪、白い着物の青年の姿をしている。
「曜、あれは家に入って行った」
「何者だった……?」
「そこまでは……下手に近付けば勘付かれよう。逃れられては不味いのだろう?」
「そうか……地王は?」
「見張りの為に残した。……そうだ、家の表札は見た」
「名は?」
その問いに応えたのは、白髪の青年ではなかった。
「檜垣さんと……言いませんか」
振り向いた鬼石に、カーニンガムが微笑む。
「……そうだ」
白髪の青年は、憮然と、肯定した。
りん、りん。
鈴の音は段々と高く、澄んで行く。
少女の願いが叶えば、叶う程。
「また、一人」
少女はどろりと濁った視線で、鈴を見る。
鈴は変わらず銀を艶やかに、光を弾いていた。
四人は学校を後にし、檜垣家へと向かう。一同が乗る車を、再び鳥と姿を変えた白髪の青年が先導した。
家は学校から三十分程の場所にあった。静まり返った住宅街に、他の家と変わらないただ見るだけならば普通の、家があった。
「ここだ」
人の姿に戻った青年……天王が示す。
二階の窓に入って行ったと言う。
「確かにここのようですね……」
教室で見た邪気以上のものが、二階の窓から漏れ出で、四人の肌を撫でる。その感触。
「冷気が背に落ちるようですね」
邪気をそう称して、背を震わせる綾和泉を横目に、鬼石が二つの袋を閉じる紐を解き中からそれぞれ一振りずつ日本刀を取り出した。
「かなり危険な状態ですね……もう少し遅ければどうなっていたことか」
飽くまでも穏やかな声はカーニンガム。だが杖を持つ手には僅か乍ら力が入っていた。
「どうやって、呼び出しましょうか……芳美さんを」
「先ずは正攻法でやってみましょう」
カーニンガムは足を進め、インターホンを鳴らした。二度、三度。それから暫し待つ。
「……応答がありませんね」
もう一度、鳴らした。
「……あ……」
四宮が声を上げる。
「……音が、消えました……」
「……ええ、途切れましたね」
「どういう事だ……?」
日本刀を手に、カーニンガムと四宮の後方に立った鬼石が問う。
「インターホンの音が、不自然に途切れたようです……恐らく、壊された」
玄関の扉が内側から吹き飛んだのは、カーニンガムの台詞が終るとほぼ同時だった。
「下がれ!」
鬼石は咄嗟にカーニンガムと四宮を後ろに庇った。
それと共に、手にした日本刀を鞘から抜き放つ。
鬼石の言葉に従い後ろに下がったカーニンガムは、元々後方に在った綾和泉に近寄り、言う。
「……狭い範囲で構わないのですが、ここを封じられますか」
「場を、ですか……この辺りには詳しくありませんから、どれだけの事が出来るかは判りませんね……でもやってみましょう」
綾和泉は、眼鏡を取り、目前の家に視線を据えた。周囲の道を思い浮かべ、家を囲むように、意識をこらす。家を中心にして、意識を広げ、道を辿るように脳裏に描く……封じを。
カーニンガムは綾和泉のその姿を見つめ、スーツの内に手を差し入れた。再び出た手には小さな瓶が握られていた。中を透明な水が満たしている。
その瓶のコルクの栓を抜き、中の水を地に垂らす、一滴二滴と、街頭の光を反射してきらめきながら水滴が地に落ち、染みを作り――それが地を奔った。
ほんの二滴の水が、意志を持って地を滑り……綾和泉の封じをなぞって行く。青い光を地から天へと立ち登らせ乍ら、目で追えぬ程の速度で。
綾和泉の「封じ」とカーニンガムの水の「結界」が場を閉じ、外界と内界を隔てた。
それはほんの僅か……一分程も経たぬ内に行われ、吹き飛ばされた扉の内から出て来たモノが外へと飛び逃れようとするのを防いだ。
ぎぃぃんっ
鈴の音が響き渡る。だがその音は、濁り、耳を覆いたくなるような、音だった。
扉から出て来たのは、餓鬼に似た姿の、鬼のようだった。細い手足の先には鋭い爪が生え、額には二本の角、鼻は潰れ、口にはやはり鋭い牙が生え揃い、赤黒い染みに汚れていた。
それ、は外へ逃れ得ぬ事を悟ると、一番姿の小さな四宮へと向かった。
咄嗟の事に、青い瞳を見開いたまま硬直した四宮の小さな肢体を狂爪が薙ぎはらおうとする。だがそれは白い刃によって遮られた。
「止めるんだ……もう、こんな事は!」
二本の刀を交差させ、一本を支えに、一本で爪を受け止めた鬼石が語気強く言う。
「これ以上人を傷付ければ元に戻れなくなる……!」
鬼からは死臭が漂って来る。濃い、血の臭いに目眩がしそうな程。
鬼は嗤った……鬼石の言葉を理解して、なのか。その笑みは愉悦に満ちている。
ぎぃいん、いいいぃん。
耳障りな鈴の音が、鳴る。それは、鬼の喉から生じていた。鼓膜に直接届いているかのような、衝撃すら感じる程の、音。堪え切れず、鬼石の腕が緩む。
『ぎいぃんぃん………邪魔、ヲスルモノハ消エレバイイ』
鈴の音と共に吐き出された声は、少女の声だった。
『消エテ? ソウスレバ私ハラクニナル……』
叫んで、嗤う。その声に鈴の音が重なり、辺りが共鳴するように激しく震えた。
その震えに足を取られ、鬼石の刀を持つ手が更に緩み、爪の力に押され、鬼石は膝を落す。
「鬼石さん!」
体勢を崩した鬼石に向けられる爪に、綾和泉が咄嗟に手にしたものを投げ付けた。外した眼鏡だ。それは目標から外れる事なく、鬼の爪を直撃した。威力は大して無いが、気を削ぐのに成功した。
そこへ、カーニンガムが瓶の中身を揮う。瓶の口から出た水滴が、地に落ちようと滴り、直後鋭い針と化して鬼へと飛来した。
『イイヤアアアア』
鬼の目に、水針が突き刺さり、鬼は目を覆ってよろめき後退った。
「綾和泉さん、家の中に行って、鈴を」
「え?」
カーニンガムが続けて瓶を揮う。その度に水滴は鋭く閃いて、鬼へと突き刺さって行く。
「これは本体ではありません……本体は飽くまでも鈴自身です。それはまだ二階のあの部屋にあります。それを壊して下さい……それが出来なければ、せめて持って来て頂けませんか」
殆ど視力の無い筈のカーニンガムの瞳には何が視えているのか、台詞で示す二階に閉じた瞳を向け、言う。
「判りました」
綾和泉は頷き走り出す。鬼のすぐ横を走り抜け、扉の無くなった玄関へ飛び込んだ。中は電気もついておらず暗かったが、構わず走る。暗闇にぼんやりと見える階段を駆け上がり、光が扉の隙間から見えるのを頼りに、その部屋迄一気に駆け、扉を開け放った。
そこには、少女が机に身体を伏して居た。
「芳美……さん?」
思わず呼び掛けるが反応は無い。用心深く近寄り、肩に手を置いたがぴくりとも動かなかった。まるで固まってしまったかのように。見れば右手に何かを握りしめているようだった。指の間から、濃紅の綾紐が見えた。
「綾紐……これですね」
綾和泉は芳美の手を開かせようと、手に触れた。
りぃぃ……ん。
得も言われぬ、美しい鈴の音。
りり……ん。
先程聞いた、割れ鐘のような耳障りな音ではない。澄み切った、高い音。それは、何としても自分の手に、と言う望みを起こさせる。手に入れて、自分の手の中で転がし、この美しい音を、自分のものだけにしたい、と。
綾和泉は、固く閉じられた拳を解こうとする手を止め、綾紐へと手を伸ばそうとした……その手を、誰かが掴んだ。
「……?」
「駄目……です。これに触れてはいけません……」
四宮だった。四宮が小さく、冷たい手で綾和泉の手を押しとどめている。それは華奢な見目と違い、強い制止の力を持っていた。
「この音は歪んでいます……鈴の中は虚ろです……あるのは暗い暗い、引き込む力だけ」
四宮の声に、ようやく綾和泉は我に返る。もし四宮に止められていなかったなら、綾和泉は芳美の手を切り落としてでも鈴を手に入れようとしただろう。
ぞっと、背を震わせて綾和泉はそれでも冷静な声を取り戻し、問う。
「この鈴は……何?」
「……よくは判りません……けれど、これは陰府の穴に似ています……暗くて深い底の無い虚ろ……」
人の心を呑込んで行く、虚無の口。いくら呑込んでも満たされる事無く、人を喚び誘い狂わせるだけの、歪つな存在。
「……確かにこれは人の手に在ってはいけないものですね……」
自分の右手を、左の手で強く掴んだ。そうしないと無意識に手を伸ばしそうだった。それ程の引力。知っていてさえ尚、これだけの引力があるのなら、知らぬものは知らぬままに手を出したろう。先にあるが破滅とも気付かずに。
「私なら……大丈夫です」
四宮は静かに言うと、少女の手に触れた。今度はさほど力を入れていないように見えるのに、少女の手が緩み、鈴が転がり落ちる。落ちた鈴は、鳴らなかった。ただ、金属が木の机に当たる音だけ。
「……でも私には……壊せません」
四宮は鈴を手にして、途方に暮れたように言う。
「じゃあ、あの鬼はどうやって消せばいいの……?」
綾和泉は、唇を噛んだ。
「……あの鬼、からはこの穴と同じ匂いはしません……もしかしたら、この紐、が」
四宮は紅く染まった紐へ視線を落す。
「兎に角一度、二人の許に戻りましょう……彼等なら判るかも知れない」
綾和泉が、四宮の背を促した。
カーニンガムの攻撃は瓶の中身が終ると共に途絶えた。だが、刺さった水針は、元の姿へと戻る事はなく、鬼に刺さったまま、苛んだ。
『イタイィ………イィィィ』
鬼は顔を振り、身を捩り痛みを訴える。その声は、姿を見なければただの少女の声だった。
「……どう、すれば」
鬼石が刀を手にしたまま、唇を噛む。
この鬼を斬って捨てるのは容易だ。殊に痛みに気を取られている今なら。
だが、この鬼は少女と繋がっている。下手に斬れば、少女を傷つける事になろう。
「もうすぐ二人が戻ります……鈴を持って」
カーニンガムが告げる。神の預言を告げる者のように。
「鈴に付けられた紐を斬って下さい……そうすれば取り敢えずこの鬼だけでも消す事が出来ます」
『イタ、イイイイイイ………!!』
カーニンガムの声を遮るように、痛みに耐え兼ねたか叫んだ鬼が、我武者らに爪を振り、鬼石に向かって来る。鬼石は咄嗟に刀を構え――鬼の後方に、降りて来た二人を見た。その刹那、爪が鬼石に向かって正確に突き出された。鬼石はそれを右手の一本で受け流し、二本目でニの攻撃を撥ね上げた。そして、隙の出来た脇からすり抜け、鬼の後方に走る。
「鈴を……!」
声に呼応するように、四宮が手にした鈴を投げた。鬼石の刀がそれを捕え――。
紅の紐が、斬られて、地に落ちた。
『アアあああああああアア』
鬼は、絶叫と共に、その姿を闇に透かし、消え去った。
「……芳美様、は……」
表情薄くも、心配げな声にカーニンガムはゆっくりと歩み寄り、自分より小さな背の傍に立つ。
明かりが着く二階に視線を上げ、微笑んだ。
「大丈夫です……暫くの間眠る事になるでしょうが、命に別状はありません」
穏やかな宣言に、三人の密やかな吐息が唱和した。
鈴と紐から影響を受けない四宮が鈴と、紐を持ち、四人は揃って店に戻った。
戻った店には、碧摩と、見知らぬ男が居た。白い髪、白い着物の青年……だがそれは鬼石の使いではなく、碧摩の友人のようだ。
「無事に戻った様だね、良かったよ」
碧摩が目許を和らげて労う。
「この鈴はどうなるんです?」
綾和泉の問いに答えたのは、碧摩ではなく男の方だった。
「私が処分致します……頂けますか?」
手を差し出した男に、四宮は首を振った。
「でも……これは……」
男は全くの徒人と言うわけではないようだったが、それでも四宮のように人形ではない。影響を受けないとは限らない……この鈴の狂った音に惹かれないとは言い切れない。
「お優しい方ですね……私は大丈夫ですよ」
色違いの瞳を細めて、微笑む。その笑みには揺らぎがない。四宮はおずと手を差し出した。鈴と、紐を、男に手渡す。
「有難うございます」
男は礼を述べると、鈴と紐をひとまとめに、紫色の小さな風呂敷に包んだ。
「これは私が責任を持って……二度と人の世に出さぬように致します」
言って、深々と頭を下げた。
「大変だったろう……アレの相手をするのは?」
碧摩が、煙を吐き出して、聞く。
カーニンガムは、苦笑ともつかぬ笑みを浮かべて座していた椅子から立ち上がった。
「そうですね……後少し遅れていればあの少女の命も危なかったでしょう。もし、少女が傷付けた人々が亡くなられていたらもっと、早くに終わりが訪れていたかも知れません」
「…………」
カーニンガムの言葉に、唇を閉ざした碧摩に、青く澄んだ水のごとき瞳を向けて麗人は言葉を紡ぐ。
「確かに貴女らしくない失態でしたね……」
カーニンガムは、少女について、調べさせていた。その報告が入ったのが、一同が店に戻ったとほぼ同時。少女の魂を得た鬼は、少女が望む人間を排除する為に動いていた。だが手にかけられた者で死亡した者はなかった。全員命をとりとめていたのだった。
もし一人でも死者が出ていれば、紐を断ったとしても少女が目覚められたかどうかは判らない。
「あそこまで危険だったとは、ね」
バツが悪そうに再び煙を吐き出す碧摩に、カーニンガムはいつもの優しい笑みを浮かべた。
「貴女も人だったと言う事でしょうか……あの鈴に、魅入られた?」
「……止しておくれよ」
不機嫌に潜められた眉に、カーニンガムは小さく、笑い声を零した。
>>終
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【3041 / 四宮・灯火 (しのみや・とうか) / 女性 / 1歳 / 人形】
【1449 / 綾和泉・汐耶 (あやいずみ・せきや) / 女性 / 23歳 / 都立図書館司書】
【1326 / 鬼石・曜 (おにし・あきら) / 女性 / 18歳 / 学生(退魔剣士)】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしまして申し訳ございません。
ライターの匁内アキラです。
自己管理がなっておらず、体調を崩し、ペースを崩し、皆様には多大なる御迷惑をお掛けしました事を先ず始めにお詫び申し上げます。
■セレスティ・カーニンガム様■
初めまして……そしてお待たせ致しました。
本性は人魚であり、人より永い時を生きて来られている事、そして視力は弱くとも鋭い感覚にて物事を把握していらっしゃると言う設定から、他の方には感じられない見えない部分を担当して頂きました。
人を超越した、でも人の傍らに在る麗人の雰囲気を描き出せておりましたでしょうか。
この度は本当にお待たせ致しました。
楽しんで頂けるように祈りつつ、失礼させて頂きます。
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