＜東京怪談ウェブゲーム　草間興信所＞ ピアノの記憶 ------＜オープニング＞-------------------------------------- 「はぁ……ピアノがねぇ」 　たった今草間の元に持ち込まれたのは怪談でよくある類のものだった。 　勝手にピアノが鳴り出すという典型的なもの。 　しかし、その依頼を草間の元に持ち込んだ高校生の水井・和杜（みずい・かずと）という少年は真剣だった。 「別に怖い訳じゃないんです。ただ何故誰も弾いていないのにピアノから曲が流れてくるのか……それが知りたいだけなんです。お願いできませんか？」 　そう和杜は言う。 「害がないんだったら別にそのままでも……」 　草間の言葉に和杜は左右に首を振った。 「このピアノから流れてくる曲はどれも凄く情感溢れていて、聞いているとプロが弾いているのかと錯覚するくらいとても感動するものなんです。ただ毎回色々な曲が流れるんですけど、必ず最後に悲しい曲が流れて。ずっと聞いてたらピアノは悲しいのかなって思って。中古だけどやっと手に入れたボクにとっては大切なピアノなんです。ボクはピアノが奏でるくらい上手くは弾けないけれど、弾いていてとても嬉しいし楽しいのに、ピアノの方がこうやってずっと悲しい気持ちでいるのは淋しいなって」 　草間はそれを聞いて、うーん、と唸る。 「誰かが弾いているとかそういうのが見えたことは？」 「ありません。ボクが見えないだけなのかもしれませんけど」 「じゃぁ、誰かがいるかもしれないって訳か」 　はい、と小さく頷いて和杜は草間にもう一度頼む。 「お願いできないでしょうか……」 「そうだなぁ……適任者、適任者…」 　そう言いながら草間は手元のパソコン上に羅列された名前を眺め始めた。 ------＜骨董店＞-------------------------------------- 「あ、そういえば……」 　骨董品の手入れをしながら綺戸・律は思い出したように声を上げる。 　すると近くの椅子の上で微睡んでいた律の使役する妖魔である晴明が怠そうに首をもたげ、大欠伸をしながら律に尋ねた。 「ふわぁぁぁっ。…どうした、律」 「草間さんの所に取りに行かなくちゃならなかったのを思い出して……曰く付きの骨董品を引き取って貰いたいって言っていたから」 「そんなん後にして先に腹減ったから飯」 　犬の姿をした晴明は、ひょい、と椅子から飛び降りて尻尾を振りながら告げる。 「でもまだ昼には早いようですよ」 　律の声に気づいたからか奥からもう一匹の犬がやってきて晴明へと声をかける。 　こちらも律の使役する妖魔の冬至だった。 　行儀良く律の足下に座った冬至は律を見上げ、草間の引き取って欲しいという骨董品の詳細を尋ねる。 「いつ頃その話はあったんですか？」 「昨日だったかな？急いでたような気もするんだけど」 　やっぱり行った方が良いよね、と律は手入れを中断し店の戸締まりをし始める。 「飯はー？」 　床にべたっと伏せた晴明が面倒くさそうに声をあげると、律が忙しそうに窓に手をかけ言う。 「帰ってきてから。そんなに長居はしないと思うし大丈夫」 「動けねぇ」 「え、でも。……それじゃ、私一人で行ってくるから留守番よろしくね」 　駄々をこねるような晴明に、行ってきます、と律は笑って手を振るが隣に立つ青年に目をぱちくりとさせる。 「一緒に行きましょう」 　そのままの姿では街中は少々不便ですから、と人間の姿になった冬至はそう言ってのけた。 　いつもは見上げられている律だったが、今はその冬至の顔を見上げ呆然とする。 「別にそれは構わないけれど。……それじゃ今度こそ行ってきます」 　カラカラと扉を開けた律の足を引っ張るのは先ほどまで駄々をこねていた晴明だった。 「俺も行く」 　そう言って晴明も瞬時に人型になると律の隣へとやってくる。 　結局はいつものメンバーでの外出となったのだった。 　草間興信所に着いた三人はパソコンと睨めっこをしていた草間に大歓迎をうけた。 　既に先客がいたにも関わらず、草間は、いいからいいから、と奥へと三人を連れて行く。 　そして冷たい麦茶を零が持ってきて目の前に置いた。いつにない歓迎ぶりを見せる草間興信所。 「あの……草間さん。私たちは骨董品を受け取りにきただけなんですけど……」 　その待遇に戸惑いながら律が声を上げると草間が、それはまた後回しで、と事の次第を話し始めた。 「ピアノがですか……でも私たちは……」 「骨董品買って貰おうと思ったんだがこの仕事引き受けてくれたらプレゼントしよう」 　もちろん報酬も支払う！、と草間は断言する。 　骨董品をただで貰えるのは律にしてみればとてもありがたいことだ。それでなくても任された店の財政状況は芳しくない。 　暫く考えた律はちらっと冬至と晴明を眺める。 　穏やかな表情をしている冬至とあからさまに面倒だとでも言いたそうな晴明。 　後で色々二人から言われるにしても今、決断権は律にあった。 　考え抜いた末、律は背に腹は換えられないと頷いた。 「分かりました。私たちで良ければ……」 「俺はもっと暴れてすっきりする依頼が良い」 　ぼそり、と晴明が呟いて犬の姿へと戻る。ふん、と律にそっぽを向いて座った晴明に冬至が、またか、という様に溜息を吐く。 「暴れるようなって……どうしてそうやって血気盛んにならなくちゃいけないの。何もない方が良いに決まってるでしょう」 「何もないってそんな世の中甘くないんだって何度言ったら分かるんだ」 「だからって……！」 　まだ続きそうな二人の会話に終止符を打つのはいつもと同じ役割分担で冬至だった。 「まぁ、油断しないようにね。何が起こるか解りませんから」 　にっこりと有無を言わせぬ作り笑いを浮かべた冬至に晴明が面白くなさそうな表情を向ける。 　晴明が犬に戻ったことで冬至も同じ姿で律に付いていくことにしたのか人型を解く。 　ふてくされた晴明の隣にすとんと座った冬至は苦笑しながら晴明に声をかけた。 「全く、お子様二人の保護者は大変ですよ」 「うるせっ。律は考え方も甘いし、手緩すぎるんだ。そこが可愛くもあるが…霊能者にゃむかねぇ」 　だから一緒に居るんでしょう？、と冬至が晴明に言う。 　うっ、と言葉を詰まらせた晴明は律を見上げる。 　そんな二人の会話を律は草間と話をしていて全く聞いていなかった。それに少しだけ晴明は安心する。 「よーし！助かった！よろしく頼む」 　草間の嬉しそうな声に押されるように、一人と二匹は依頼者である和杜の前に座り詳細を尋ねたのだった。 ------＜音色＞-------------------------------------- 「スミマセン、こんな所まで来て頂いて」 　和杜の話を聞いた限りでは、霊が居るのかもピアノに何かが取り憑いているのかも曖昧すぎて分からなかった。 　これは直接見た方が早そうだということで、和杜の家へとやってきたのだ。 「いいえ。お役に立てれば嬉しいですし。それにそのピアノの音色も聞いてみたいですから」 　にっこりと微笑んだ律に和杜は嬉しそうに笑みを浮かべる。 　この少年にとってピアノは本当に大事な品なのだろう。 　骨董品を扱っている律にもものの大切さはよく分かる。他人にしてみればどうでもいいと思われるものでも、本人には本当に大切なものだったりするのだ。 　どうぞ、と通された今にあるグランドピアノに律は近づいて触れる。 　足下には晴明と冬至が律に寄り添うように付いてきている。 　ふいに冬至がピアノの椅子の方へと歩き出した。 　それに気づいた律は、あ、と小さく声を上げる。 　律の目に映っているのはピアノの椅子に腰掛けた初老の男性の姿だった。 　特に攻撃をしてくるというわけでもなく、律達の姿も目に入っていないようだった。少し悲しげな表情でピアノを眺め続けている。 「……律さん？」 　一点を見つめたまま動かない律に和杜が声をかける。 　はっ、と我に返った律は椅子に初老の男性が腰掛けていることを和杜に説明した。 「え？あぁ、それじゃ霊はやっぱりいるんですか。ボクには全然見えないんですけど」 「穏やかな方で私たちに危害を加える気は無いみたいです。ただ悲しそうで…」 　伏し目がちに律が言うと足下の晴明が律の靴を軽く噛んだ。そして小さく、バァカ、と声をあげる。 「大丈夫」 　小さく笑って律はその初老の男性へと近づいていった。その後を晴明も追う。 　そして律は落ち込んだように見える男性の肩に、ぽん、と手を置いた。 「こんにちは」 　その挨拶はねぇだろ！、と晴明が突っ込むが律は気にせず男性に声をかける。 「私は綺戸律と申します。あなたのお名前は？」 　微笑んだ律に男性は初め驚いた表情を見せていたが、柔らかな律の笑顔を見て危険は無いと判断したようだった。 　苦笑しながら男性は、こんにちは、と律に挨拶をした。 「お嬢さんは私が見えるんだね。誰も私のことは見えなかったんだよ」 「えぇ。こうしてお話しすることも出来ます。あなたの演奏される曲がとても素敵だと伺って」 「あぁ、聞きに来てくれたのか。嬉しいことだ。私が死んでから演奏を聴いてくれたのはあそこの少年だけだったなぁ」 　これでも一応名の売れたピアニストだったんだよ、と男性は言う。 「私の名は鳥海正司というんだ」 「それじゃ…この間………」 　その名前を律は聞いたことがあった。先日テレビのワイドショーで大きく取り上げられていた名前で、偉大なるピアニストと言われていた。 「そう。胃ガンだったよ。まだ弾きたかった。ピアノは私の人生だった」 　音もなくピアノの蓋が開き鍵盤が現れる。 　鳥海は、ぽーん、と一音鳴らした。 　澄んだ音は部屋に広がっていく。和杜はピアノをじっと見つめていた。 「ピアノだけが私の人生だった。このピアノのせいで私は人間としての幸せも失ったがね」 「え？それは……」 　律の問いかけに応えるつもりは無かったらしい。 　鳥海は滑らかな動きでピアノを一心不乱に弾き始めた。 「ショパンの革命……」 　和杜が呟く。 　激しい熱情のような音の奔流。 　鳥海のピアノを弾くその姿からは先ほどの穏やかな雰囲気は何処にも感じられない。 　指が鍵盤の上を滑る様に動き、力強い音が響く。 　それは鳥海の中に隠された感情の波なのだろうか。 　律はただその姿を見つめるしかない。 　鳥海はピアノが人生そのものだと言った。確かにこのピアノの音色に込められた思いはそれに相応しいのではないかと律は思う。 　いつの間にか律の隣に来ていた和杜は革命の説明をする。 「この曲、確かショパンが故郷のことを思って作ったって聞きました。この人もそうなんでしょうか……」 　先ほど鳥海が言っていた『人間としての幸せを失った』という言葉を思い出す。 　故郷……それは家族も含まれるのだろうか。 　今度はうってかわって優しい音色が響く。音の重なり合いが柔らかで光の差し込む様が見えるかのようだ。 「今度はドビュッシーの月の光ですね。ボク、この曲好きです」 　和杜の頬が綻ぶ。律もその音色にうっとりと聞き入った。 　高い音でその曲が締められると律はパチパチと拍手をしていた。 「綺麗でした。私音楽には詳しくないですけど、すごく胸に響く音で…」 「ありがとう」 　本当に嬉しそうに微笑んだ鳥海は気をよくしたのか、それとも本当はずっと誰かに話したかったのか、昔話なんだが、と話し始めた。 「私はね、さっきも言ったようにピアノだけが人生だと思っていたんだよ。私にはこれしかないと自分でも思っていたし、周りもそう思っているようだった。だから私は頂点まで上り詰めてやろうと思った。野心家だったんだよ。自分自身の力で何処まで行けるのか試したかった、というのもある。そうがむしゃらに突き進んで、私は本当に頂点まで上り詰めた。嬉しかった」 　でもね、と鳥海は淋しそうに笑う。律にはとてもその姿が小さく見えた。 「私は頂点に上り詰めると同時にたくさんのものを失ったんだ。周りを顧みず、自分自身のことだけを考えて。とうとう親の死に目にも会えなかった。そして私を必死に支えてくれた妻さえも病に倒れ先立った。妻には淋しい思いをさせたし、何一つしてやれなかった気がする。私のために人生を棒に振ってしまったのではないかと。親が倒れた時になんて馬鹿だったんだろうと気が付いた。でもその時にはもう遅かったんだよ」 　律は鳥海にかける言葉が見つからずただ話を聞き続けるしかなかった。ぎゅっと握りしめた拳を下から晴明が見つめている。 「私は本当に愚かだった。それからは私は前以上に仕事の鬼になった。ピアノ馬鹿だった私には、ぽっかりと空いてしまった心を埋める術がそれしかなかったんだよ。そして妻に申し訳なくてずっとここに留まったままでいる」 　そこまで聞いていた律は首を左右に振った。 「駄目です。それでは」 　今まで黙ったままだった律に鳥海は驚いたように目を向けた。 「それではずっと奥様は一人きりです。鳥海さんが此処に留まったままではもっと淋しい思いをしてしまいます。今からでも遅くないと思います。今度は奥様の為だけにピアノを弾いて差し上げれば良いじゃないですか」 「妻に……」 「俺もそう思うぜ、おっさん」 「そうですね。同感です」 　晴明と冬至が下から声をあげる。犬が話したことに鳥海は驚いたようだったが、すぐに気にしないことにしたようだ。 「妻は許してくれるだろうか…」 　鳥海はそのまま俯き黙り込む。 　律は優しく語りかける。鳥海の思いはピアノに込められていた。あの曲を聴いていれば言葉にしなくてもきっと思いは伝わっていたはずだ。 「先ほどピアノに込められていた思い。きっと奥様にも届いていたと思います。鳥海さんはピアノが人生だと仰いました。奥様もきっとそれを解っていらしたのではないですか？だから必死に鳥海さんのサポートを。鳥海さんの一番のファンだったのはきっと奥様です」 　その言葉に鳥海は顔を上げ律の顔を見上げる。 「そうだろうか。本当に……」 「はい、きっと」 　律が微笑みながら頷くと鳥海の顔に少しだけ笑みが浮かぶ。 「そうだな、私はこれから妻の為に曲を奏でて行こう」 　送って貰えるか？、と鳥海は律に言う。 「分かりました。奥様と同じ場所へ…」 「あぁ、頼む」 　深々と頭を下げる鳥海に慌てた様子で律は肩に手を置く。 「止めて下さい。あの、奥様とお幸せに」 「ありがとう。キミは優しい子だね」 　その笑顔は心からのもので律は嬉しくなった。 「聞いてくれてありがとう」 　そう言って、鳥海は思い出したように告げる。 「そうだ、さっき故郷の海を思い浮かべて作った曲があるんだ最後に聞いてくれるかい？」 「はい、ぜひ聞かせて下さい」 　その曲を律は聴いてみたいと思った。先ほどのショパンの曲とどのように違うのだろうかと純粋な興味もあった。 　男は瞳を閉じ、鍵盤の上に指を置く。 　そして静かに音を奏で始めた。 　周囲の音は消え、ピアノの音が周りの音を侵蝕していく。静けさを感じる圧倒的な音色は周りの音を飲み込んで、律達をも飲み込んだ。 　さざめくような波の音が聞こえてくるような曲。 　それは優しくて温かくて、そして何ものにも代え難いそんな思いが感じられた。 　誰の中にもある故郷への思い。鳥海の中の思いが部屋に音となって広がる。 　やがてゆっくりと弾いていった波。 「キミたちに聞いて貰えて良かった。妻に聞かせたらなんて言われるだろうね」 「素敵って言ってくれると思います」 「キミにそう言って貰えるとなんだか心強い」 　さぁ送ってくれ、と男は瞳を閉じる。 　律は呪札に霊力を込め、鳥海の上に翳す。 「さようなら。お幸せに」 　律の持った呪札が鳥海に触れると煌めくようにその姿は消える。 　ピアノが今まで自分を弾いていた主を失ったのを悲しむように音を軽く鳴らした。 ------＜賑やかな骨董店＞-------------------------------------- 「やーっぱつまんねぇ依頼だったじゃねぇか」 　腹減ったしやってらんねぇ、と晴明が店の中で騒ぐ。 「そんなことない。とっても素敵な曲が聴けたじゃない」 「曲で腹は膨れねぇ」 「全く二人ともその位にして」 　冬至が二人の間に割って入る。 「だーっ！お前はなんでそうやっていつもいつも」 　晴明の怒りの矛先が冬至へと向かう。 　しかし冬至の笑みに晴明は凍り付いた。 「なんですか？いつもいつも…？」 　ふん、とそっぽを向いた晴明に律は、どうしたんだろう、と首を傾げる。 「いいんですよ、律。放っておいて。それよりあの和杜という人はピアノをこれからも使うことにしたんですか？」 「そうみたい。あんなに大事にしてたんだから私はそうしてくれて良かったと思ってるんだけど」 　問題ないはずだし、と律はお茶を飲みながらそう告げる。 「そうですね、問題ないでしょう」 　するっと人型になった冬至も目の前に出されたお茶に手をつける。 　その時、カラカラと店の扉が開かれた。 「おや、お客様ですね」 　反射的に律は、いらっしゃいませ、と振り返り笑顔を浮かべる。 　窓から差し込んだ柔らかな光が律の色素の薄い髪を煌めかせた。 　今日も律と使役妖魔の二匹が預かる骨董店は賑やかなようだった。 ＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝ ■登場人物（この物語に登場した人物の一覧）■ ＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝ 【整理番号／ＰＣ名／性別／年齢／職業】 ●3349／綺戸・律／女／19歳／大学生・【青嵐】臨時店長代理 ＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝ ■□■ライター通信■□■ ＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝ 初めまして、こんにちは。夕凪沙久夜です。 今回の依頼にご参加頂きありがとうございました。 ギリギリ納品も良いところで大変申し訳ありません。 律さんはとっても優しそうな柔らかな雰囲気でしたので、そんな雰囲気を出せていたらいいなぁと思います。 そして使役妖魔さんたちですが、人型になったり犬型になったりと忙しく変化して頂いてしまいました。こ…こんな感じでよろしかったでしょうか。 思い浮かんだイメージで突き進んでしまったところがあるのですが、イメージぶち壊していないことを祈るのみです。（苦笑） ピアノ曲に関してはネット上でもあちこちで音源聞くことができると思いますので、そちらを聞きつつ読んで頂ければなぁと思います。 これから律さんのご活躍が始まるのだと思います。 影ながら律さんと使役妖魔さんたちを応援させて頂きます！ そしてまた機会がありましたらお会い致しましょう。 ありがとうございました。