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待ち人は満開の桜の下に
【壱】
自宅へ帰る新幹線の車内。窓際の席に腰を落ち着けて、窓の外を瞬く間に流れていく風景を眺めているのにも飽きた綾辻焔は、何気なく携帯端末からゴーストネットOFFにアクセスした。特別何か興味があるスレッドがあるわけでもなければ、何かを求めていたわけでもない。もし理由を用意しなければならないとしたら、それはただの暇潰しに他ならなかった。
しかし暇潰しというものは時に妙な方向へと導くことがある厄介なものだ。
焔はずらりと並んだスレッドのなかにふと気になる記事があることに気が付いた。
【TITLE】:桜の話。
【NAME】:SAKURA
【MESSAGE】:こんにちは。
何処かにある桜の話しだと思うんだけど、それが満開になっているのを見ると死んじゃうみたいなんだ。
ほら桜の下には屍体が埋まっているって云うでしょ?あれみたいに桜が人を殺すんだって。
あれ、桜の下の屍体は殺されたわけじゃなかったっけ?でもね、桜が人を殺すのは本当みたいなの。
女の人が満開の桜の下に立っているのを見ちゃうと死んでしまうんだって。
でもね、なんか哀しい逸話つきみたいで恋人を待っているんだって。
それでその恋人に似ている人がたて続けに死んでるみたい。
もう桜の季節も終わりだけどその桜が満開なのは季節を問わず、みたいなんだよね。
春だけじゃなくて、夏でも冬でも満開の時があるみたいで、
それも決まって夜なんだって。昼間に行っても春でも枯れ木。
でも見える人には見えるみたいなんだ、満開の桜が。
これって調査できたりするのかな?それとも何か有力情報持っている人いる?
ちょっと興味があるので良かったら教えてもらえると嬉しいです。
気になるというそれは、些末なもののようでいてとても厄介なのである。喉に突き刺さって取れない小骨のように、いつまでも意識の端のほうに腰を落ち着けて動こうとしなくなる。画面に映し出されるドッドが形成する文字が、ダイレクトに意識に引っかかる小骨に姿を変えて焔の意識に腰を落ち着けるのがわかる。
画面から視線を引き剥がして、瞬く間に過ぎていく風景を眺める。こめかみに感じる鈍痛。それは眉を顰めても、そっと人差し指でこめかみを押さえてみても消える気配はない。
桜の下で恋人を待ち続けている。
記事に記されたそこだけの事実が酷く焔の興味を惹く。インターネットのなかの情報がどれだけ曖昧で、不鮮明なものであるのかは十分理解しているつもりだったが、スレッドに続くレスポンスのなかに記された桜の木があるというその場所にどうしても行かなければいけないような妙な使命感を感じてしまう。思い込みだと一蹴することができないその強さに、焔は予定の変更を決めた。
その場所へ行けば総てが明らかになるだろう。
諦めるような気持ちでそう思って、焔は痛むこめかみをそっと指先で押さえながら果たして誰を待ち続け、もし相手が訪れるようなことがあるとしたらどうするつもりでいるのだろうかと思う。所詮偶然にも巡り逢えたとしても相手と待ち人の間には越えられない隔たりがある筈なのだ。
季節を問わず桜を満開にさせることができる者が、人間である筈がないのである。人外の者に成り果ててまで、どうして待ち続けているのだろうか。思って、ふと焔は自分の胸のうちにそっと腰を落ち着けたままのあの人の存在を思い出す。
ただ一人に向かう盲目的な感情。
それは何よりも強く焔を縛り、離さない。意識ではどうしようもない感情だ。生まれた刹那にはもう現実になり、どこまでも真っ直ぐに向かっていく。恋だの愛だのと名付けることさえ無意味。ただ真っ直ぐに向かう感情だけが本当だ。言葉にすれば嘘になってしまうかのように、感情というそれだけに収束されたそれだけが本当になる現実を焔は誰よりも理解しているつもりでいた。
だからなのかもしれない。こめかみの痛みなど理由ではない。ただ自分の胸のうちにある感情がそこへ向かえと云っているだけなのかもしれない。感情は時に意識をいとも簡単に裏切っていく。鮮やかなまでに、まるで当然だとでもいうようにして。
シートに躰を預けて、焔は人知れずひっそりと深く息を吐き出した。
車窓を過ぎ行く景色のように瞬く間に目的地が変わった。
けれどそれに不快を感じているわけではない。
焔はそんな自分が不思議だった。
【弐】
インターネット上に氾濫する情報は、思いがけず本当であることがある。
焔はそれを今目の前にある桜の存在によって実感していた。
住所を頼りにしてもなかなか辿り着くことのできなかった小さな公園の片隅にその桜はひっそりと佇んでいた。遊具は色褪せ、遊ぶ子どもたちの姿もなく、陽は沈み、辺りを薄闇が包んでいるせいか余計に淋しげに見える。季節外れの桜の木ほど哀しげなものはない。薄紅色の花弁が散り去り、緑も鮮やかさを失いつつある今、そこには春の宴会日和の時のような華やかさはない。ただひっそりとした静けさと、僅かな淋しさを感じるだけだ。
焔は一人、その桜のすぐ傍に立っていた。囲いもなにもない、ただひっそりと佇む桜。それがまるで何かを訴えかけるようにして焔の目の前に立っている。
誰を待っているのだろう。
思うと不意に視界が鮮やかな、目が眩むような満開の桜の花弁に埋め尽くされた。
息を呑むような情景。
そんな単純な言葉しか出てこない。季節相応に咲く桜の花には感じることのない美しさが目の前の桜にはあった。はらはらと舞う花弁の一片一片から、溢れんばかりの想いが零れているような気がする。一片の花弁のそのなかに、ひっそりとしたたくさんの嘆きが潜んでいるような気がする。
溢れる淋しさと誰かを求めてやまない気配。
それに導かれるようにして焔はそっと手を伸ばして桜の幹に触れると、不意に記憶がフェードバックしてきた。断片的に脳裏で展開していく明らかに過去の情景。まるでスライドを切り替えるようにして、入れ替わる映像。
その重さを振り切るようにして焔は手を離し、呟くように名前を呼んだ。
「……伏姫…」
それが合図だったとでもいうようにして傍らに一頭の狼にも似た獣が現れる。それのまとう雰囲気は気高く、上品でそこらに存在する獣とは格段に違う美しさがあった。しんとした静寂と共に現れ、傍らに寄り添うようにして焔を仰ぎ見る伏姫に焔は淡々とした口調で云う。
「この桜の記憶を探せるか?」
伏姫はそれに答えるように軽く頭を振ると、耳を澄ませるようにしてぴんと耳を立てた。まるで微弱な音を聞き取ろうとしているようなその姿の真摯さに、もしかすると自分の真意を知っているのかもしれないと焔は思う。
知りたいと思う。
純粋に、何を望み、誰を待っているのかを。
こんなにもひたむきな思いを抱えて、ここにとどまり続けるその理由を知りたいと思う。
ふと視線を向けると伏姫がこちらを真っ直ぐに見ていた。わかったのだろう。思った焔にはもう言葉などいらない。
桜に残った記憶。
それは言葉にすれば霧散してしまうほどに弱く、それでいてまっすぐに誰かに向かっている過去のものだ。手で触れたそれを伏姫が探し出した記憶と照らし合わせる。
一言にすれば執念。
もしくは怨念。
それを肌で感じて、消滅させることは簡単だと焔は思う。しかし彼女の、桜の木の傍に寄り添って離れない彼女の心が知りたいと思う。残りたいのか、場に縛られて動けないだけなのか。総てを彼女の言葉で聞いてみたいと思う。
「どうしてそこにいるんだ?」
呼びかけるように焔が云うと、舞い散る花弁の間に一人の少女の姿が浮かび上がる。一見中学生のような幼さを残した少女の姿に、焔は眉をひそめた。彼女のまとう洋服から露出した肌には無数の傷跡。そして頸には青痣のようにして肌に馴染んだ細い紐が巻きつけられたかのような跡がある。
自殺の果ての姿なのだろうか。
思うと不意に声が響く。
―――待っているの……。
か細い声。
「誰を?」
重ねて問う焔の声に、少女は今にも泣き出しそうにして顔を歪めた。
【参】
少女の色褪せた薄い唇がぽつりぽつりと言葉を綴る。
過去と現在が交錯する不可思議な言葉が少女の現状を明らかにする。
約束したのだと少女は云う。必ずここで逢おうと、そう約束したのだと。そしてずっと遠くへ行こうと約束したのだと。
「どうしておまえだけがここにいるんだ?」
焔の問いに少女は静かに頸を振る。その動きと共に小さな雫が舞い散る花弁のようにして散る。
「そんなに相手が恋しいか?」
肉体を失ってまでも逢いたいほどに、そんなにも一人を恋しいと思うのだろうか。
―――ただ、逢いたいの……。一目、逢いたかっただけなのよ。気付いたらこうなっていただけ。
思いの強さは死して初めて罪になるのかもしれないと焔は思う。生きている限り、自分も相手もこの世界のどこかで生きている限りいつか出逢うことができるかもしれない。けれど生と死に隔てられたその刹那に、それは不可能になるのだ。生と死の隔たりは絶対だ。肉体だけで相手を認識している相手であれば尚更である。
「おまえはもう、死んだんだぞ」
云う焔の言葉に少女が悲しげに俯く。それは頷きのようにも見えたが、ひどく弱々しい頼りなげなものだった。
―――知っているわ。そんなこと、わかっているの。でもね、ここを離れられないのよ。
少女がすっと顔を上げる。
その表情はまるで何かに縋るように、救いを求めているかのような眼差しだった。
だから焔は云う。
「もう待たなくてもいいのか?」
少女は静かに微笑んだ。涙に頬を濡らしながら、諦めたように微笑んで見せた。
―――だって、どんなに待っても来てはくれないもの……。人を殺すのはもうたくさんよ。
「知ってたのか?」
―――知っていたわ。ずっと、誰かがあたしのために死んでいくのを見ていたもの。私は何も望まなかった。ただあの人に逢いたかっただけ。それだけなのに関係のない人ばかりが死んでいったわ。あの人はここに来なかった。それだけでもう十分なの。もう、誰も殺したくはないのよ。
その言葉に焔は、もう終わっていることなのだということに気付く。
少女が言葉にすれば総てが本当になる。少女の望みが言の葉に変われば、それで救われるのだ。思いは言葉になった時にだけ本当になる。個人の願いは容易く叶えられる。その裏側で嘆く人がいるのは、生きている時だけなのだ。
「もう、自由なんだ……」
呟くように焔が云うと、少女は柔らかな笑みを浮かべた。
―――ありがとう。……とても躰が軽いわ。あなたが来てくれて良かった。本当に、良かった……。あなたで、良かった……。
言葉は風に消えるようにして溶けて、視界を埋めていた桜の花弁もまた溶けるようにして消えていく。
それまでの総てが幻であったかのようにしてゆるゆると溶け出して、ふと気付くと目の前は闇だった。
人を想うことは罪なのだろうか。
人を想いながら死ぬこともまた、罪だと人は断罪するのだろうか。
思って焔は、それは生きている人間のエゴにすぎないと思う。
少なくとも今は、あの人が居る世界で生きていたいと思う。自分はまだ死を選びたいとは思わない。あの人がいるその場所で、自分はただ生きているだけでいいのだと思う。
「伏姫、終わったよ……」
云って焔は静けさのなかに沈んだ桜に背を向けた。
人が人を想うことの罪。
それは永遠に消えることはないだろう。孤独が絶対にならない限り、人は人を求めてやまない生き物だ。孤独の重さに耐え切れない脆弱な生き物なのである。自分もまたその一人なのだと思って、ただ生きていこうと思った。
想いを抱えて生きていく。
それだけがリアルならば、それもまた幸福。
今はただ一人のために生きていく。
それだけで十分だ。
死を選ぶ必要などどこにもない。死してあの人が手に入るわけでもなければ、所有したいと思うわけでもない。
―――ただ、貴方が居る世界。……その場所で、俺は生きていたいだけ。
そう思って、焔は一歩を踏み出した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0856/綾辻焔/男性/17/学生】
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■ ライター通信 ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
素敵なバストアップに一目惚れ状態で書かせて頂いたのですがいかがでしょうか?
死しても尚誰かを想い続けることが本当に幸福なのかどうか、それは私にもわかりませんが少なくともこの作品の少女は綾辻様によって救われたと思います。
この度のご参加本当にありがとうございました。
少しでもお気に召して頂ければ幸いです。
今後また機会がございましたらどうぞよろしくお願い致します。
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