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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


その死神の名は


 水の滴る音で目を覚ました。
 目を開けたはずなのに、何も見えなかった。視界に何も映らなかった。見渡す限り、闇、闇、闇――。まるでまぶたが二重にあって、外側のまぶたが目玉にはりついたまま動かないみたいだった。
 もちろんそんなはずもなく、うっすらと景色が見えてくる。少しずつ意識もはっきりしてきて、手足と重力の感覚も戻ってくる。
 どうやらうつ伏せに寝転がっているらしい。……いや、違う。立っている。壁と壁に挟まれているのだ。
 顔を動かすと頬にぬるりとした感触を覚えた。左右に神聖都学園の壁が競り上がり、月の光がほのかに降り注いでいる。
 そうか――、思い出した。
 昼休み、屋上でくつろいでいた。柵にもたれぼーっとしていたところを、後ろから誰かにものすごい勢いで押されて――!
 ――この壁と壁の間のわずかな隙間に落ちてしまったんだ。
 叫んだ。助けてと精一杯叫んだつもりだった。だけど、声にならなかった。すでに身体は痛みを感じられないほど衰弱しきっていた。
 絶望。
 やがて、どこからか足音がやってくる。その音が大きくなるに連れ、だんだん左右の壁が退いて、隙間が広がっていくような気がした。
 ぬめる顔を動かして、もう一度見上げる。
 左側の壁に――そんなばかなことがあるはずがないけど――人が立っていた。重力から90度身体を傾けて、壁の上に垂直に立っていた。
 小学生ぐらいの女の子で、なんだかヘンな格好をしている。露出度の高いフリルのついたドレスに、頭に猫の耳の飾りをつけ、あまつさえ、お尻にまで尻尾をつけているようだ。こんな夜中にコスプレ趣味だろうか――考えながら、目の前のあまりに非現実的な光景に、頭の感覚さえ麻痺していることを知る。
 少女はきょとんとした顔で言った。
「あれ、まだ死んでないの?」

「死んでません」
 と、月夢優名は血まみれの顔で答えた。
 ちゃんと声が出せたのだろうか。不安に思ったのは一瞬で、優名には今の言葉を正確に相手に伝えられたという確信が、なぜかあった。
 口を動かさなくとも、自分の意思を伝えられる。ひょっとしたらそれが『麗体』への――、『死』への第一歩なのかもしれない。そう考えると、優名は胸の奥がきゅんと震えるのを感じた。
 あらためて壁に立つ女の子を見る。やっぱり目を引く猫耳と尻尾の飾り――、というか、飾りとは思えないくらいによくできている。なんか、こういう格好の女の子が活躍するアニメ番組があったような気がする……。
 けど、彼女の容姿はすぐにどうでもいいことになった。
「困ったなあ……。まだ死なない?」
 と、奇抜な格好の少女は言う。
「それはちょっと私も分かりません。それより……」
「ん?」
「本は汚れてないでしょうか」
 猫耳少女は優名の身体――ちょうどうなじの向こう側あたり――をのぞきこみ、眉をひそめた。
「少なくとも、君よりは汚れてないと思う」
「よかった……」
「それにしても、ひどい死に方よね」
「そうですね……まだ死んでないですけど。まさか私も、こんな最期を迎えることになるなんて思わなかったです」
「まだ若いのにね」
 猫耳少女はその場で、壁を地面にしてしゃがみこんだ。
「どうしてこんなことになったの?」
「さあ……。昼休みに、屋上の柵の近くで刺繍の本を読んでいたところまでは覚えているんですけど……」
「屋上……」
 猫耳少女は背後の夜空を振り仰いだ。左右にそびえ立つ壁のせいで、星の瞬きは渓谷の下を流れる川のように、一本の線になっている。
「あそこから落ちたのね」
「そうみたいです。……あ、あの……」
「ん?」
「後ろから誰かに押されたような気がするんですけど……」
「ええっ? それって殺人じゃない!」
「いえ……、まだ死んでないですし……」
 優名はちょっと言いにくそうに顔をうつむけた。動かしたときに、頬のあたりでまたぬるりとした感触がした。
「といいますか……、私はてっきりあなたが突き落としたものかと……」
「ええっ? じょ、じょ、冗談やめてよ!」
 猫耳少女は黒目を剥いて否定した。
「いくら商売だからって、そんな乱暴はしない。ファラオの誇りにかけて、断じて!」
「ファラオ?」
「……あたしたちが所属している組織の名前よ」
「あの……」
 優名はつい訊いてしまった。こんな状況で、どうかしているとも思ったけど、湧きあがる好奇心には勝てない。
「そのファラオさんでは、どんなお仕事を?」
 猫耳少女は怪訝そうな顔をしてみせた。スカートから伸びる尻尾も、ぴしゃりぴしゃりと壁を叩いている。
 ……ちょっと詮索しすぎただろうか? と不安になったが、少女はため息と一緒に肩をすくめると、
「そういえば、紹介遅れたね。あたし、マウっていうの。ファラオで回収業をちょっと」
「何を回収されているんですか? ……ひょっとして」
 マウは壁の上で立ち上がって、誇らしげに鼻を鳴らす。
「お察しのとおり、あなたのような迷える死者の魂を、ちゃんと天国と地獄に送り届けることよ。人間の言葉を借りると、『死神』っていうのかしら」
 優名は目を輝かせて言った。
「まだ死んでいませんけどね」

 猫耳少女マウの持っている携帯電話は、いまどきの女の子らしく、ストラップの周りにごちゃごちゃしたアクセサリがたくさんついていた。
「だから! 本当にこの子は、今日死ぬ予定に入ってたの? 早く確認してよ! 名前? ……えーと、なんだっけ?」
 マウが顔を向けたので、優名は
「月夢優名です」と答えた。
 その後も、電話の向こうとの微妙に噛み合わない会話は続き、数分後、マウはやっと電話を切った。
「シストラからお許しがもらえたわ。やっぱり間違いだったみたい」
「間違い……?」
「今日死ぬ運命にはなかったってことよ。あなた、あいつらにはめられたんじゃない?」
 マウは手品師のような軽やかな動作で、指をパチンと鳴らした。
 すると、身体を圧迫していた左右の壁が、ゆっくりと退き始める。支えを失った優名はその場に前のめりに倒れた。手をついたのと同時に、後ろから血のからみついた黒髪が流れ落ちた。自分自身の鉄の匂いを嗅いで、優名は軽くめまいがした。
「一緒に来れる?」
「いえ、無理です」
 優名の消え入りそうな声に、マウは眉根を寄せる。
「具合……悪いの?」
「そういうことではありません。わたし……」
「なによ?」
「死後の世界って、なんだかこわくって……。あの、わたし、まだ死んでないですし、そっちへ行くべきではないと思うんです」
「はあ? なに理屈こねてるの。……大丈夫よ。今回はあたしたちのミスなんだから、強引に魂取ったりしないよ。それに、結構楽しいところだよ」
 優名はうずくまったまま、軽く首を振ってつぶやいた。
「ごめんなさい、行きたくありません」
 呆れ顔のマウはがっくりと肩を落として、
「……もう、めんどくさいなあ。どうしてあたしがシュプレンガーの尻拭いをしなきゃいけないの……?」
「シュプレンガーって?」
「魂欲しさに、あなたを屋上から突き落とした連中よ。たぶんね。たまたまあたしが通りかかったから、尻尾を巻いて逃げたのね。あいつら、最近やることが荒っぽくなって、こっちも迷惑してるの。まったく……そのうち、業界全体の信用問題になるわよ」
「つまり……、ファラオさんとシュプレンガーさんは、熾烈なシェア争いをしているわけですね」
 優名の言葉に、マウは目を何度かしばたたかせたあと、大きな声でにゃははと笑った。
「そうだね。そういうことになるね。まあ、あんなの敵じゃないけどさ。……いいわ。上にはあたし一人で行ってくるよ」
 マウはまた指をパチンと鳴らす。
 すると、驚くべきことが起こった。
 はるか遠くの夜空から、パタパタパタパタパタパタパタパタと、折りたたみ式の階段が降りてきた。昔遊んだおもちゃが、大きくなったようなやつだ。
「十分ほど待ってて。ちょっと手続きしてくるんで。んじゃ」
 そう言い置いて、マウは軽やかな足取りで、手すりのない階段を上っていった。
 残された優名は、まず足元に落ちていた本の状態を確かめた。――良かった。血も泥もあんまりついていない。
 次に、広がったビルの隙間の地面をぼんやりと眺める。
 視線を次第に遠くにやると、暗がりの中、さらに暗い何かの影が映った。
 優名はくらくらする頭を抱えながら四つんばいの姿勢で、ゆっくりとそこに横たわる塊に近づく。
 それは人だった。見たところ小等部の制服を着ている。
「しっかりして」
 反射的に肩を抱き上げる。まだあどけない顔をした女の子だ。全身傷だらけで、銀色の髪に赤黒い血が絡みついている。目を背けたくなるようなありさまだったが、見えないだけで、自分自身の姿もこんなものなのだろうと優名は思った。
「……う、ううん……」
 うめき声を出して、女の子は薄く目を開ける。
 良かった。この子もまだ生きてる。
「名前、言える?」
 優名がたずねると、小学生の女の子は答えた。
「きさら……。高木……、貴沙良……」

 貴沙良と名乗った少女は、壁に上半身をもたれるのが楽だと言った。優名もとなりで同じ姿勢で座り、マウの帰りを待つことにした。
「この身体は不便すぎるんです」
 と、少女は顔をうつむけたままで話し出した。
「背中を押される直前に、誰かの気配は気づいていたんです。でも、身体が反応できなかった。結果、このありさまです。……魔力の反作用なのか、それとも前世で他人の身体をずうっと借りていたせいでしょうか。せっかく初めて手にした『自分の身体』だというのに、恨めしい限りです」
 訥々と語る貴沙良は常に伏し目がちだった。そんな姿を見ていると、優名は胸が締めつけられる思いがして、この子にかかる影の正体を知りたくなった。だけど、それは余計な詮索だということも分かっていた。
「詳しい事情はわからないけど……、とにかく、助かってよかったよ」
 貴沙良はこくんとうなずいた。
「もうちょっと待ってれば、助けが来るから」
 優名が言ったそばから、空に伸びた階段から、タンタンと足音が聞こえてくる。マウが帰ってきたのだ。
「あれ!」
 猫耳少女は七色の派手なリュックサックを背負っていた。そして貴沙良の姿を見るなり、大きな耳をピクピクと動かした。
「ひとり増えてるじゃん!」
 優名が事情を説明すると、マウの表情がたちまちに曇る。
「揃いも揃ってぼうっとしているから、シュプレンガーにやられちゃうのよ」
 優名は穏やかな口調でなだめる。「僭越ながら……、死神でありながら、貴沙良ちゃんの存在に気づかなかったマウさんにも、責任の一端はあると思います……」
「お願いします!」
 貴沙良も頭を下げる。
「なんなら、とっておきの情報をお教えします!」
「……情報?」
「駅前の限定ジェラート、あれは朝から並ばないと駄目なんですよ。それとも、ショッピングモール名物のバケツパフェなんかいかがでしょうか。友達と3人で挑戦しましたけど無理でした。食べきれません。おすすめは、新しくできたファミレスのお昼のランチ。すっごくおいしいんですよ」
「ちょっと待って!」
 マウは鼻を鳴らしながら、スカートのポケットからメモを取り出した。どうやら彼女にとって非常に有益な情報だったらしい。ボールペンをカチカチとノックしながらぼやく。
「……まあ、書類は予備があるからいいけど、シストラに怒られるのはあたしなんだからね。そこんとこ、わかってる?」
「わかってますわかってます」
 本当はわかってなかったが、優名と貴沙良はそう答えた。
 メモを終えたマウは、かついでいたリュックを下ろすと中から鉄パイプのような数本の部品を取り出し、組み立て始めた。それはどうやら仮設のシャワーのようだった。
「はい、これを順番に浴びて。服は脱がなくていいから」
 命令口調のマウに気圧されて、貴沙良がおずおずとシャワーの真下に来て、レバーをひねった。
 湯気を立てながらノズルから水が噴き出し、少女の身体を濡らす。――いや、違う。優名は目を見張った。ただの水ではない、貴沙良の傷つき、ささくれ立った肌が、見る見るうちに本来の滑らかさに戻ってゆく。このシャワーには傷を無効にする効果があるのか。
「なんだか、強くなれた気がします」
 そう言って、ニコニコ顔の貴沙良はシャワーを終えた。続けて優名も聖なる水を浴びる。まったく彼女の言うとおりだと思った。頭の中が、霧が晴れたみたいにすっきりして、世界のすべてを悟りきってしまったような錯覚も味わった。
「はい、次はふたりとも、これにサインして」
 仮設シャワーをリュックに仕舞いながら、マウが今度は2枚の紙切れを差し出した。
「印鑑はいいから。どうせ持ってないでしょ?」
 言われるまま、立った姿勢で壁を机代わりにして、優名と貴沙良は太枠の欄に名前や住所を書き込む。
 マウは慣れた仕草で書類を確認し、リュックの中にしまった。
「んじゃあ、あたしはそろそろ行くから。……本当に同業者が迷惑かけたね。だけど、あなたたちもこれから、せいぜい後ろに気をつけることね」
「善処します」
 優名と貴沙良は途中まで階段を上り、神聖都学園の屋上で降り、マウと手を振って別れた。
 時間はまだ夜明け前。ふたりはぼんやりと明けはじめた東の空を見ていた。
「わたしは、朝になるまでここで本を読んでるけど、貴沙良ちゃんはどうする?」
「迷惑でなければ、ご一緒します」
 ふたりは塔屋の近くに腰を下ろし(ちょうど窓の死角にあたる)、わずかな日の出の明かりを頼りに、優名の血で少し汚れた刺繍の本を読んだ。
 文字を追うのに難儀したが、内容はとても有意義かつ面白かった。マウのシャワーの効能か、文字が直接脳に沁み込んでくるようだった。今度は、お気に入りのハンカチにこの模様を入れてみよう。
 やがて、貴沙良が優名の肩に頬を乗せて、すやすやと寝息を立て始めた。優名は少女の寝顔を見てふっと微笑むとしおりを挟んで本を閉じ、ただぼんやりと群青色の空を眺めながら朝のホームルームを待った。


おわり


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

2803/月夢・優名/女性/17歳/神聖都学園高等部2年生
2920/高木・貴沙良/女性/10歳/小学生

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■         ライター通信          ■
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 ライターの大地こねこです。たいへんお待たせしました。
 死神にも良い死神と悪い死神がいるようで、今回は、良い(?)死神のおかげで、何とか事無きを得てよかったと思います。おふたりがこれからも健やかな毎日を送られることを、影ながらお祈りしております。
 このたびはご依頼ありがとうございました。大地こねこでした。