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<東京怪談ノベル(シングル)>


■オー・ドゥ・シエル〜祈り■


●甘やかな朝
 一日の始まりは霞みゆく少し湿気を含んだ風を受けて目覚めた。
 深い緑は訪れの早い夏のせいだろうか、懐かしいアイルランドの色に酷似している。
 つい先日の慶事の報告を受けて、心躍る気持は隠せなかった。そうでなければ、こんなに早くに目が覚める事は無いだろう。
 心からのプレゼントを。
 そう考えて昨日の夜は眠る事が出来なかったのだ。気温も丁度よく、しっとりと澄んだ夜風の所為でもあったのだが、どちらにしろプレゼントのことを考えて眠れなかったことは一緒だ。
 セレスティは自分のポケットにしまったカードを指で撫ぜた。

『 セレスティ・カーニンガム様

  この度、6月20日に結婚の挙式を挙げる事となりました。
  つきましては、○○教会のチャペルにて結婚式を、○○にて披露宴をかねたパーティーを催します。
  お時間の都合がつきましたら、ぜひご参加下さい。
  P・S…セレスティ、参加しなかったら承知しなくってよ?(笑)』

 伝統的なドイツのカードに達筆な文字。整って美しいカリグラフィーが彼女の気品を思い起こされる。どこか屈託ない雰囲気にセレスティは微笑した。
 きっと結婚しても彼女は何一つ今までと変わる事無く、そしてもっと幸せになるのだろう。その気持には揺ぎない確信があった。
 誰よりも幸せな花嫁が自分の友人である事に、この上ない幸福感を感じる。そんな二人の為に何が相応しいだろうか? そう考えて昨日は悩んだものだが、目の前に広がる一面の花々を見て、やはり彼女には花が似合うと感じた。
 そう、花の女王――薔薇が何よりも相応しいと。

●百の色と百の花と、たった一人の貴女
「困りましたねぇ…」
 取り寄せた薔薇の専門書を手に、セレスティは悩み込んだ。
 薔薇の種類の多さは知っていたのだが、専門書までこう多いとは思っていなかった。
 イギリス・ドイツ・ヨーロッパ各地の薔薇を紹介した原書、日本の園芸家が出版した本、アレンジメント作家の出版したデザイン本等など。数え上げたらきりが無い。
 彼女の容姿を考えれば、高弁咲きのクリスチャン・ディオールか。気品を考えればマダムヴィオレか、プリンセス・ミチコだろう。豊かな色彩で飾るならアプリコット・ビューティーとあわせてオレンジ色のパレオも良いかもしれない。
「色的には原種の方がいいのかもしれませんね…」
 ぶつぶつと呟きながら、仕事そっちのけで薔薇の本を捲るセレスティを見つめ、執事は笑いを堪えながらティーセットを彼の仕事机の上に置いた。
 本国(アイルランド)から空輸か、日本から空輸か。最近は美しさを保ったままどちらの方法でも贈る事ができる。
「ふぅ……」
 小さく溜息を吐いて肩を竦めるセレスティを見れば、執事はティーポットの蓋を外し、お湯を入れて捨てる。鍵つきの缶から紅茶の葉を茶匙ですくってティーポットに入れた。お湯を少し高い位置から注ぎ入れれば、紅茶の葉がポットの中で忙しないダンスを踊った。
 ポットの蓋を閉めてゆっくりと揺すれば、静かにテーブルの上に置き、今度はカップを暖め始める。
「セレスティ様、ミルクは何処の産地の物にいたしましょうか?」
「そうですね…今日は日本のもので飲みましょうか」
「かしこまりました。…では、栃木県は那須高原のものにいたしましょう。実は先程届いたばかりですので」
「それはいいですね」
 ニッコリと笑ってセレスティは言った。
 窓の外を見れば明け方の天気は何処かに行ってしまって、仄暗い空の下で白絹の雨に庭の薔薇が揺らされていた。
 曇天の下で一段と深みを増した緑と花々の色彩に目を細めて見つめた。どんな事象の下でも自然は美しい。
 黒に近い緑の陰と窓辺の小花、レンガ造りの街並みを思い起こせば、やはり、ドイツのかた故に伝統的な小振りのオールドローズにすべきなのだろうとセレスティは思った。
「薔薇はバイエルンあたりの農園に届けてもらった方が良いですね」
「分かりました。早速手配いたします」
 引出しから用意しておいたカードを出してメッセージを書き始める。書き終わるとセレスティは執事にそれを渡した。
「…ところでセレスティ様?」
「はい?」
「その…セレスティ様は……よろしいのでございますか?」
「え? …何を…」
「だから、セレスティ様のいい人には贈らないんですか?…ってことですよ」
「「え??」」
 不意に声がしたほうに二人が顔を向ければ、少し窓を開けた隙間から庭師がこっちを見ていた。少々、悪戯好きそうな笑顔を向けている。
 カチンカチンと剪定バサミを鳴らしてにこやかに笑う庭師は、真鍮のノブを押して体を部屋の中に忍び込ませた。
「ね〜ぇ? 良いモン手に入れたんですよね?」
「あ…。えー…まあ…」
 庭師の言葉に執事はコホンと一つ咳をする。
「実は…私、先日このようなものをですね…」
 少し得意げに言って、執事は足取りも軽く、ティーセットを運んできたキャニスターのクロスを捲った。下のほうから小さな箱を取り出すと、セレスティの方へと歩いてくる。庭師は始終にやにやと笑っていた。
「こちらでございます」
「これは…」
 セレスティは執事の手の上にある小さなピンクの宝石箱(コフレ)を見つめて言った。
「とある創作展に行きましたところ、非常に愛らしい商品とお見受けしまして…その…衝動買いをですね…」
 恥ずかしいのか、少々頬を赤らめて執事は言った。
「そうそう! 『俺も』良い物見つけましてね…ちょっと待っててくださいよ」
 そう言うと庭師もその場を離れ、すぐに戻ってきた。
 庭師の手にあったのは、切りたての薔薇だった。その中には赤い花も入っている。
「これですよ」
「これは……珍しい色ですね」
「でしょう? この時期に決まっただけしか出回らないんですよ」
 庭師が得意げに見せたその薔薇は、がくの付近が黄緑がかったクリーム色、全体が白、花びらの縁がシュガーピンクという、愛らしい中にも気品ある薔薇だった。高弁咲きで全体の色が鮮やかだが、どこか古典的な感じがする。
 その薔薇の中に混ざった花は木の実の赫色で、細い茎に細長い葱帽子のような可愛らしい花を咲かせていた。
「このコフレに合いそうなんで、探して来いって言われたんですよ」
「言われた? 誰にですか?」
「……わたくしめでございます」
 頬を赤らめたままの執事がこっそりという風に言った。
 花の説明を執事が少々たどたどしく説明する。そんな使用人の様子をセレスティは微笑んでみていた。
「この赤い花がストロベリーキャンドルと申します。…それで、こちらのですね…薔薇のほうは…」
「薔薇の方は?」
 少しどもるような執事の不明瞭な言葉に、セレスティは苦笑しつつ訊ねた。
「だ、ダーリンと…言う名前です。…はい」
「…………」
「ぶわはははッ!」
 執事が言うや否や、庭師は爆笑してその場に蹲った。
 腹が攀じれんばかりに笑って、どうも堪える事が出来なかったのか、庭師はとうとうその場に転がってしまう。
 執事は恨みがましそうな顔で庭師を見ていた。
「これを探しておいてくれたんですか? ……ありがとう」
 思いがけないプレゼントにセレスティは目を細めた。自分の大切な人に届けて欲しいと手に入れてくれた物だが、何故か自分にもプレゼントされたような気持になる。
 心優しいスタッフの気持にセレスティは微笑んでいた。
 執事と庭師はコフレに花を生けるため、その場を離れた。
 セレスティは薔薇の本を片付ける。淹れてもらった紅茶を手にして窓の方へと歩いていった。先程、庭師の居た場所には小さな薔薇の花弁が落ちていた。
 杖をついてゆっくりと近付く。腰をかがめて手にすれば、薄絹の手触りと青い薔薇特有の香りが鼻腔を擽った。
「あ…」
 ふと立ち上がろうと顔を上げれば、さんざめく六月の雨は雲の隙間から覗いた陽光に照らされて、金色に輝く細い雨を降らせていた。
 白い雲。それに混ざりこんだ灰色の雨雲。太陽と照らされた雨。ほんの少しだけ見えたターコイズの空。地に満ちた花々。
 かけがえの無い美しさに満たされた世界は慈雨に包まれて、まるで祈りのように密やかな神の愛を紡いでいた。
 天にある百の色彩と、地にある百の花と。

―― そして、たった一人しかいない貴女へ。