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<東京怪談ノベル(シングル)>


ある温泉街の風景


 かすかな硫黄の匂いが流れる町に、ぺたり、ぺたりと人間らしからぬ足音が鳴る。
 音の主は勿論、期待通り人間ではない。
 ペンギンである。

 より正確に今の状況を説明しよう。
 観光客でにぎわった行楽シーズンも一段落して、梅雨に入った温泉街の大通りを、至極当たり前の様に闊歩する人外の生物である立派なペンギンが一匹。
 そしてそのペンギンの名はぺんぎん・文太(―・ぶんた)。
 ペンギンと言っても、何処の動物園にいる様な種類の普通のペンギンでは無く、温かい温泉を好む種類の変わった『温泉ぺんぎん』なる生き物である。

 一見、何ともコメントしがたい風景であるが、実際見てみるとまるで最初からそこにあった様な変哲のなさを感じてしまうほど、文太は風景に溶け込んでいた。
 そこらの人百人に質問してみても『えー?最初からその場に居たけど気づかなかったー』的回答を八十三人位がしてくれるだろう。
 勿論『お前ら、何でそんな目立つペンギンを見つけられないんだよっ!』と言う切り返しはナシ。
 人間、自分に関わりのない事にはそれが例え異常な状況であろうが結構気づきにくいものなのだ。意外な事実。

 そして――。
 路傍の石の様に、あぜ道に咲く小さな草花の様に。
 立ち止まるでなく、まして何をするでもなく、文太は温泉街の中をゆっくりと進んでいく。

 温泉街ってヤツは、大抵が山奥の田舎の割に観光の収入源とか何とかで、結構な施設がそこそこある。
 飲み屋に土産屋スナックは当たり前、カラオケボックスやゲームセンターなんかもある。コンビニもその施設の一つだ。
 そんな人間の都合など文太には関係なく、コンビニの前を通り過ぎようとした。

 ――が。
 突如、大音響。

 割られるガラス、怒号、そして、それに続く叫び声――。
 そのあまりのけたたましい音に、思わず足を止めた文太が店の方を見上げると、丁度飛び出てきた怪しい毛糸マスクをした男と目が合う。
 ――思わず、見つめ合う二人。

「…………。」
「…………。」

 マスク男はしばし戸惑った表情のまま固まっていたが、それはすぐに決死の形相に取って代わる。
 なぜなら、彼の視界の隅に今一番会いたくない職業ナンバーワンである警察官らしき二人組が小さく視界に写ったからである。

 そして何故会いたくないかと言うと――。
 彼自身がコンビニを荒らした強盗だったためだ。

 強盗は、すぐさま町のはずれの方向めがけて走りはじめる。
 文太は、ゆっくりと強盗の行方を眺め続ける。
 
 しばらくすると、ようやく異常事態に気づいた警官がコンビニの方に走ってきた。
 二人の警察官は一人は自転車を押し、もう一人は警察犬を連れていた。――いかにも田舎町の巡査、と言ったところか。
「お巡りさぁん! ……強盗がうちに来ましたぁっ!」
 割れたガラスの向こうから店員の声が響く。おそらく、怖がって外に出てこれないのであろう。
「何っ!」
「んー、このペンギンが目撃者ですかねぇ? 先輩、事情聴取しておきますか?」
「のんきな事言ってるんじゃねぇ、馬鹿野郎! ンなモン、ペンギンに聞いても答えられるワケ無いだろうが!」
「解りませんよぉ、ペンギンだって知ってるかもしれないじゃないですかぁ……。」
 普通、山奥の温泉街にペンギンが居る時点で新聞(三面記事)に載るくらいの事件なのだが――多分この二人はきっと先ほどの百人中八十三人の中に入る人種なのかもしれない。
「とにかく、まだそんな遠くに行ってないだろう……捕まえてくるから後はよろしく頼む!」
 先輩と呼ばれた警察官は慌てて自転車に乗ると、強盗が逃げた方向に自転車を走らせる。
 その姿を残された片割れが少々不機嫌そうな表情で見送り、ポールに手綱を結わえ『待て』と犬に号令をかけた。犬は大人しく座り、そのまま不動の姿勢を保つ。
「……やれやれ、忙しくなってきたなぁ……」
 残った警察官は小さくぼやくと、なにやら手帳を開きながら店員コンビニの中へ入っていった。

 そこに残されたのは文太一人。
 いや、一匹。
 しばらく置物の様にただ不動を続けていた文太であったが、何かを思いついた様に首を小さくかしげ、そのまま『待て』の姿勢で動かない犬の前に歩き、止まる。

―我輩を連れていけ。―
―はぁ? 何処へだ? 何をしに?―
―決まってるだろう、捕物だ。我輩は犯人が何処に逃げたか知っている。―
―俺っちはここで待てって言われてるんだがな。―
―だが、お前は捕物をするために人に飼われているのだろう? 捕物をせずに何の価値がある?―
 人や獣とは一風違った不可思議な威厳を見せる文太に圧されたのか、犬は了解した様に大きく吠えると、跳躍した文太をタイミング良く背に乗せて、駆け出した。
 犬が速度を速めるにつれ、梅雨独特の湿気を含んでねっとりとした風が文太の身体を包み込む。

―次を右に曲がれ……ところで、お前の名前は?―
―別に、そんなもの良いじゃねぇか。……ほれ、鳥ってすぐ忘れるんだろ?―
―…………。―
―ほら、角に来たぞ? 次はどっちに曲がる?―
―……そのまま真っ直ぐだ。―
 犬は文太のナビゲートを頼りにぐんぐんスピードを上げてゆく。
 そして、数分後、二匹の視界の中に二つの人間の影が現れる。
 息もキレギレに走る強盗と、同じく息もキレギレに自転車を漕ぐ警察官。
 遅い速度で必死で走るあの二人の姿は、大地を疾く走る事に長けた獣である犬の目には実に滑稽に見えているに違いない――と、文太はぼんやりと考える。

―そろそろ行くぜっ! 旦那、しっかり捕まってろよっ!―
 犬は雄々しく吠えると、さらに速度を上げ――そのまま強盗めがけて一気に飛びかかる。
「……うわっ!」
 勝負はあっけなく数秒で付いた。
 強盗はいとも情けなく、腰に絡みついた犬(ペンギン付き)によってあっという間に転んでしまい――御用。
 こうして、田舎の温泉街の平和はなんとか守られたのである。
「わざわざ来てくれたんだな……偉いぞ」
 警察官は強盗に手錠をかけた後、流れる汗もそのままに犬を優しく撫でた。
 ついでに、乗ったままの文太も。
 その手の感触と光景に、文太は奇妙な懐かしさを覚えた。

 ――時代も場所も全然違う。細かい事だってほとんど思い出せない。
 ――だが、それは昔、友人と共にいた頃に見た事のある光景だった。
 
―……あの時も、こうやって駆けたな。―
―何の話だ?―
―何、我輩が若かった時の話を少し思い出しただけだ。―
 文太は会話を切る様に懐からキセルを取り出し、手慣れた手つきでキセルに煙草を詰めてゆく。
―ん? 旦那が煙草吸うなら降ろすぜ。―
―お前、嫌煙家か?―
―ああ。煙草ってヤツは、俺っち達犬には匂いが強すぎて鼻が痛ぇんだよ。―
―では……適当な所で降ろしてくれないか?―
 犬は迎えのパトカーを待つ警察官に向かって一吠えすると、その場所から少し離れた町はずれの道ばたに、文太を降ろした。

―世話になったな。―
―ああ……またいつか、縁があったら会おうぜ。―
 そのまま、犬は振り返らずに主の元へ帰っていった。

 文太は、その姿が視界から消えたのを確かめると、辺りをゆっくりと見回す。
 そこには、小さくひなびた温泉旅館。
「……く……」
 文太は微かに鳴くと、再び当たり前の風景と化して旅館に入り、その奥にある露天風呂の通路へ消えていった――。