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【 漆黒の翼で - 序曲 - 】
そこから感じる空気があまりにも新鮮で――神聖で――思わず足を止めてしまったことが、多分間違いだったんだろう。
「っ……」
「うわっ! っと吃驚した……」
大通りに出たというのに、驚愕のあまりに止めてしまった足のせいで、誰かとぶつかってしまったのだ。
何歩かよろけたが、転ばずにはすんだ。相手も平気そうに立っているから、怪我などはしていないだろう。
「すまない……」
謝りを一つ入れると、じっとぶつかった相手を思わず見てしまった。
綺麗な黒髪に、幼い容姿。身長も高いとは言えない。女性、だろうか。ファーが戸惑っていると
「――ってあんた顔色悪くないか?」
声を聞いて男性だということがしっかり判断できた。それにしても、大変中性的な容姿を持った男性だ。くわえタバコをしているところを見ても、たしかに女性とは判断しがたい要素の一つだったかもしれない。
「……大丈夫だと思うが……」
「いやいやいや、なんだか白い通りこして、青いぞ。朝飯ちゃんと食べてるか?」
言いながら、男はファーの肩に手を置いた。
その瞬間。
「げっ、何でっ!」
「っ!」
目の前で、男は突然姿を変化させた。本当に、突然だ。太陽の光を浴びた黒髪は膝の上ぐらいまでのび、何より背中には半透明の四枚の翼が見える。
「……いったい……」
「あれ、あんたもよく見りゃ羽あるな。お仲間?」
まさかそんなことはないか。と能天気な声を上げるが、ファーは目を点にしたまま、驚きのあまりに声が出ない。
神聖な空気を感じたのは、これだったのかもしれない。
あまりに神々しく、汚れることを知らない清き空気が、あたりにかもし出されている。
その空気に、なぜか血が逆流してくるように、熱く滾って――
「危険……」
冷たく凍りつくような殺気に気がついたときには、自分を追ってきている少女に、完全に間合いを詰められていた。
避けきれない。
しかも、身体が言うことを利かない。
そんな意識がふと脳裏によぎったとき、身体がふわっと浮いた感覚に後方へと視線を送る。
振り下ろされた鎌は、今さっきまで自分がいた場所を、完全にとらえていた。
「……お前……」
「そのままいたんじゃ、鎌でぐさっとやられてたな」
いたずらな笑みを浮かべて、身体を彼の手の中からおろされるが、うまく立っていられない。
「やっぱり、朝も昼も飯食ってないんじゃないか? 貧血起こしてるじゃないか」
「あ、いや……これは――」
貧血ではないと言葉を返そうと思ったが、無表情を顔いっぱいに貼り付けた少女の言葉にさえぎられてしまう。
「力が反応している。神聖な空気に反発して」
少女が淡々と告げる事実。
「その力こそ、貴方がいつか、人の害となる証拠です」
「……俺が、人の……害に?」
「だから――狩ります」
少女が再びファーへと攻撃を仕掛けるために間合いを詰めようとするが、
「黙ってみているのは性にあわないもんでな。悪いが、こいつに事情ぐらい聞かせてくれ」
有無を言わさずファーを抱え込んだ男は、四枚の翼で空高く舞い上がった。
「……あれは……天使?」
二人を見送った少女が、持っている鎌に話しかける。
『だからあの男が反応してたんとちゃうか?』
「だとしたら、二人にするのは……危険ですね」
『でも、天使なんやから、判断して邪悪なものと判断したら、殺すんとちゃうか?』
「……そうだと、いいけど……」
『様子をみたほうが、ええな』
◇ ◇ ◇
「追われてたから切羽詰まってたってわけか。なるほどね」
大空を舞いながら、担がれたファーはどうしようもないので、おとなしく男の言葉にうなずいた。
身体中を駆け巡っている血が、本能に何かを伝えようと自己主張をしている。
このまま本能に流されたら、少女の言ったとおり、自分は人の害となるのだろうか。
「……体調悪いの、大丈夫そうか?」
「……ああ……」
答えた言葉とは裏腹に、その声音はとても辛そうだった。
男は眉をひそめて一つため息をつくと、舞っていたスピードを上げたようで、受ける風が先ほどよりも多く感じる。
「一体……どこへ……?」
「俺の家」
「は?」
「もうすぐつくから――っと、よっと」
やっと地に足がついた感覚を覚えたかと思ったら、そこは誰かの家のベランダのようだ。
「咄嗟で悪かったな。俺もあまりこの姿、他人に見られたくないんでさ。それにあの場を回避する方法、他に思いつかなかったしな」
ファーは無言で男を見つめた。一体何を考えているのか、いまいち判断できない。
「で、良かったらうちに居れば?」
「……いや、そう言うわけには――」
「飯食ってないんだろ? 貧血に良く効く飯作ってやるから。それに俺の作る飯、結構美味いんだけど」
笑顔でそういわれては断る術が見つからない。それに、ベランダだからどっちにしたって家に入らないと、外に出ることはできない。
このまま家に入ったら、たぶん、外に出させてもらえないだろう。
しっかり食事を口にするまでは。
「……すまない、世話になる……」
「いいって。ほら、中に入った、入った」
少女のあの言葉を聞いてなお、自分に親切にしてくれるなんて、一体何を考えているのだろうか。
それにしても、先ほど垣間見せたあの姿は……?
四枚の翼に、長くのばした髪。かもし出される神聖さが増した、瞬間だった。
その神聖さに血が滾る思いがして。
「……そう言えばおまえ、甘いもの好きなのか?」
「あ……いや、紅茶を専門に取り扱った、喫茶店のようなものを開いているが……」
「なるほどね。だから担いだときに甘い匂いがしたのか」
こと細かく、生クリームの香りだったとか、バニラエッセンスの香りだったかもしれないとか、ぶつぶつ言っている男だが、手はしっかりと動いている。
キッチンに入ってから一時間も待たずに、座らされたテーブルに並んでいく料理の数々。手際がいいだけではなく、誘われるようないい匂いに、思わずじっと料理を見つめてしまう。
「どうだ? うまそうだろ?」
「……ああ」
「ほら、遠慮せずにどんどん食えって」
彼もファーの正面に腰をおろすと、料理に手をつけ始める。ファーはいただきますと、一つ口にすると、箸を手に持ち、一番初めに出来上がってきたレバーとにらの炒め物に手をだした。
「そうそう、すっかり自己紹介忘れてたけど、俺は嘉神真輝。神聖都学園の高等部で家庭科教えてる」
食事をしながらさりげなく名乗られ、思わず名前を聞きそびれるかと思ってしまったが、しっかりと耳に入っていた。
「これでも、24だ」
「……え、24?」
「ああ。見えないって言われるがな」
未成年かと思った。とは、さすがに彼を傷つけそうで口にできなかった。
相手の名を教えてもらっておきながら、自分が名乗っていないことにすぐ気がつき、慌てて「忘れてたが、俺の名前はファーだ……」と言葉をつむぐ。
「ファーね。了解」
そのほかにも何か聞かれるものだろうと思って名乗ったのに、何も聞いてこない真輝をまじまじと見つめて、疑問符を頭上に掲げてしまう。
「……何も、聞かないのか」
「言いたくないこと聞いても、しょうがないだろう。言いたくなったら、口にすればいい」
心地よい距離を置いてくれる存在。
赤の他人の自分に、こんなにも親切にしてくれて。
甘えさせてくれて――申し訳ない気持ちで、心があふれそうになる。
「……食事、うまかった。ごちそうさま」
「いえいえ、お粗末さまでした」
片づけをはじめる真輝を手伝い、手際よくファーは流し台へ自分の使用した食器を運ぶ。
そして。
「ティーポットと紅茶の葉、あるのか?」
「おお、そこの戸を開けたところに入ってるから、適当に使ってくれ」
「わかった」
ファーは自身が口にしたものを取り出すと、慣れた手つきで紅茶の用意を始める。普段していることを行い落ち着いたのか、ファーはポツリ、ポツリと、今日の出来事を真輝につぶやき始めた。
洗物をしながら、真輝はそんなファーの言葉を、一つひとつ丁寧に聞く。
「お前が突然姿を変えたとき、神聖な空気が場にかもし出されて、それに俺の血というか、本能が反応したことは確かだ。だから、貧血ではないと、思う」
「確かに貧血じゃ、なさそうだな。ってことは、こうやって今、俺と並んでいるのも辛いのか?」
ファーはかぶりを振った。
「心地よい雰囲気を感じるぐらいで、むしろ気持ちが和らぐ」
「そっか。まぁ……俺も何で自分がああなるのか分からないんだけどさ。とりあえず、おまえに触れたらああなったことは、確かだな。俺の中にある何かしらが、ファーの何かしらに反応したのかもしれない」
ファーの目にかすかに映る、真輝の背後に見える四枚の翼。
天使を思わせるその翼が、なぜ自分に反応し、そしてなぜ自分が神聖な空気に反応するのか。
人間の害になる自分とは――先ほど垣間見た、本能なのか――そのままに行動したらどうなるのか――。
「難しいことはわからないが、こんなうまい紅茶淹れる奴が、人の害になるとは思えないけどな」
真輝にとっては何気ない一言だったのだろうが、ファーはその言葉に脱力する自分を感じた。
紅茶をおいしいと言ってもらえること。
それはファーにとって、何より嬉しいことなのだ。
心地よい距離。
人の悩みを一発で吹き飛ばす言葉。
気持ちをやわらげさせる、神聖な雰囲気。
こんな人に、初めて出会った。
「ん? どうかしたか?」
黙ってしまったファーを不思議に思ったのか、真輝が声をかけてくる。
ファーはうつむいて、聞こえるか聞こえないかの小さな声で一言
「迷惑かけて……すまない」
そう、つぶやいたのだった。
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■ ○ 登場人物一覧 ○ ■
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‖嘉神・真輝‖整理番号:2227 │ 性別:男性 │ 年齢:24歳 │ 職業:神聖都学園高等部教師(家庭科)
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■ ○ ライター通信 ○ ■
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この度は、発注ありがとうございました!
初めまして、嘉神真輝さん。ライターのあすなともうします。
「漆黒の翼で」シリーズの第一話目、いかがでしたでしょうか。
神聖な天使が前世ということで、黒い翼と力を持ったファーにとっては対とも言
える存在として位置づけさせていただきました。でも、だからと言って敵対する
わけではなく、真輝さんの神聖さが心地よいと感じているファーですから、仲良
くしてあげてください(笑)二人のやり取りを大変楽しく執筆させていただきま
した!
楽しんでいただけたら、大変光栄に思います。
また、二話目の執筆も行っておりますので、もう少々お待ちください。
それでは失礼いたします。この度は本当にありがとうございました!また、お目
にかかれることを願っております。
あすな 拝
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