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<東京怪談ノベル(シングル)>


出会いの頃
「そういえば……初めて会ったのも、ここだったか」
 能力を使いすぎたせいで寝込んでいた黒冥月は、誰にともなくぽつりと言った。
「ああ、そうだったな」
 まるで自分に話し掛けられたのだと確信でもしているかのような様子で、かたわらの草間武彦が答えてくる。
 先日の依頼は武彦がらみの依頼だったため、見舞いにくらい来いということで冥月が呼びつけたのだ。
「もう、ずいぶん前のことみたいな気分になるな」
 武彦が冥月に向かって言う。
 おまえに向かって言ったわけではないと言おうかとも思ったが、冥月は言葉をのみこんだ。そんなツッコミを入れるより、今は少しだけ、感傷にひたっていたい。
 疲れているのかもしれない。冥月は目をしばたたかせながら思う。
 そういえば、あの日も、自分は疲れきっていた。

 あの日、冥月はここでひとりの少女を見張っていた。
 名前は聞いていない。そんなものは、冥月の仕事には必要がなかった。
 ただ、少女をさらうこと。そして、監視すること。
 それが、冥月に与えられた仕事だった。
 依頼してきた組織が新興の組織だとか、少女をさらったのは組織拡大のためだとか、そんなことはどうでもよかった。
 中国からわたってきたばかりの冥月には、とりあえず、仕事が必要だったのだ。
 猿轡をかませ、両手両足を縛り上げた状態で、少女は転がしてある。特になにか能力があるわけでもない少女ひとりを監視しておくことなど、冥月にとっては簡単すぎるほどに簡単な仕事だった。
「……ん?」
 部屋の外になにかの気配を感じ、冥月は顔を上げた。
 気のせいかとも思ったが、たしかに、外に誰かいる。
 影を操る冥月は、人の気配程度ならば難なく感知することができるのだ。
 だが、ここにたどりつくとは、ただものではなさそうだ。
「……仕方ないな、片付けるか」
 冥月はゆらりと立ち上がる。
 誰が来たのかは知らないが、仕事の邪魔になるのならば片付けなければならない。
 冥月は無造作にドアを開いた。
 外には、これまた無造作に、冴えない容貌の男が立っている。
「……なんだ、おまえは」
 冥月は思わず口にした。
 いったい、なんだというのか。
 だいたいの場合、こういうときには、少しは警戒するものだろう。なんだか拍子抜けしてしまう。
「なんだって言われても困るな……」
「まあ、いい。死ね」
 冥月は小さく口にした。影をあやつり、刃に変える。
「待てよ」
 男はあわてた様子もなく言う。冥月は眉を寄せた。いったい、なんだというのか。この男は。
 まったく行動が読めない。
「別にあらそうつもりはない。ただ、知らせておいた方がいいかと思ってな」
「知らせておいた方が?」
 なんのことだ、と冥月は訊ね返した。
「ヤツらはおまえのことも殺すつもりだ、ってことさ」
「私のことも、だと!?」
 冥月は思わず、壁にこぶしを叩きつけた。
 組織の人間が、自分になんの義理も感じていないことくらいわかっている。
 冥月自身、組織にはなんの義理も感じていない。
 だが、それでも、裏切りだけは許せなかった。
「……それが本当なら、ヤツらを殺す。嘘ならおまえを殺すからな」
 冥月はぎりりと男をにらみつける。
 男はひょい、と肩をすくめた。
「嘘なんか言っても意味がないだろう?」
「それは私が見て決める」
 冥月は言いながら、自分の影の中へと足を入れた。
 そして、そのまま沈んでいこうとする。
「待て。殺すな」
 男が冥月の肩をつかむ。
「……おまえには関係ない」
 冥月は言って、影の中へと消えた。

「……あのとき以来、か」
 武彦が懐かしむような様子で言う。
 冥月はそれを無視して、武彦がみやげに買ってきた杏仁豆腐を口へ運ぶ。
 そう、あのとき、最初は冥月は組織の連中を殺そうと思っていたのだ。
 だが武彦の言葉で助かったのだからと、半殺し程度ですませておいた。それから、武彦の依頼を受けることになったのだ。
 それほど前のことでもないのに、たしかに、ずいぶんと昔のことのようにも感じる。
「……そうしてると女に見えるな」
 くすくすと笑いながら武彦がぽつりと言う。
「なっ……! 貴様ッ!」
 冥月は目をむいた。
 普段ならば影を使って攻撃をくわえるところだが、今は、そんな力はない。
「……くっ。仕方ない、今日のところは許してやる」
 奥歯を噛みしめながら冥月は言った。
「――ああ。じゃあ、そろそろオレは帰るとするよ」
 武彦は笑いながら立ち上がる。
「今日は、ありがとう。感謝する」
 礼儀として、冥月は口にする。
 すると武彦は出ていき際にくるりと振り返って、
「なんだかしおらしくて気持ち悪いな」
 と笑い混じりに言ってきた。
「……!」
 冥月の中で、なにかがぷちりと切れる。
 出て行く武彦を見送りながら、冥月はこの借りは体調が戻ったら10倍にして返してやる――と心に誓った。