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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


カナリヤを見つけて

-1-

 その日、瀬名・雫は通いなれた店の使い慣れた一台のパソコンの前に座って、彼女が管理しているWebサイト「ゴーストネットOFF」を眺めていた。
 都市伝説やオカルトにまつわる噂というものは、時代を問わず大抵の人であれば少なからず心惹かれるものだろう。
彼女が管理しているサイトはそういった類いの話を寄せ集め、語り合うための場所だ。
都市伝説や噂といったものは類似した話が多く見られるし、ゆえに掲示板にも似たような投稿記事が
日々寄せられてくるのも無理は無いことだ。
――――だがしかし。
 雫は手にしていた缶ジュースを一口飲むと、手馴れた動作でパソコン画面のカーソルを下へ引っ張った。
「夕べから三件か」
 呟き、記事を確かめる。

==========
題名:魔界への扉
投稿者:foo

ここ最近話題になっている「魔界に通じている扉」ですが、私も知ってます。
場所は都内の某所、もう使われていない工場跡にあるそうです。
いくつかある扉のうち、それだけがどろどろとした色をしていて、その周りでだけ雑草が枯れているのだそうです。
普通は開かないようになっているみたいなのですが、なぜか偶然開けてしまった子がいて、
その子は今も行方不明になったままだとか・・・

==========
 
 同じような記事はここ数日連続で投稿されてきている。
アクセスを見る限り皆別々の場所から投稿してきているのだから、同一人物による連続投稿というわけでもなさそうだ。
「都内某所っていったって、そこがどこかはっきりしてないってところが、都市伝説だよね」
 呟き、雫は頬づえをついて眉根を寄せる。大きめな瞳が手で押し上げられて、少し不機嫌そうな表情を浮かべた。
「魔界に通じる扉、かあ……」
 
 確かに興味深い話ではある。
でも興味をそそられるのは確かだけれど、こうも連日かわりばえのない記事が続くと、少しばかり気持ちも飽きてきてしまう。
雫は頬づえをついたまま、片手でマウスを動かして画面のカーソルを下へと引っ張った。
幾つかの記事に目を通しつつ、新しい投稿記事へと目を向ける。
 ふ、と。雫の目が一つの記事で動きを止めた。
 
==========

題名:たすkて
投稿者:すず

私のカナリヤが悪魔に捕まって戻りませn
私はbじに戻ってこrt、カナリアが戻ってこnい
dれかみつけてください

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 ありがちな悪戯かもしれないとも思う。
けれど、雫は大きな瞳をゆらりと揺らしてその書きこみを何度も目で追った。
「魔界への扉かあ」
 もう一度呟いて頬づえを解き、興味深げな笑みを浮かべる。

 そもそも魔界というのはなんなのか。
 悪魔というものは空想のものではないのか。
 空想のものではなくて実際に存在しうるものだとすれば、それはどのようなものなのか。

 目を閉じて魔界に通じているという門を思い描き、悪魔というものを想像する。
そしてその悪魔に捕らわれたという子供のことを。

――――ひとまずこの、すずという人の記事にレスをつけてみようか。
そう思い立ち、缶ジュースを脇に置いてキーボードに指をかけた。
そして流れるような動作で指を動かしはじめたとき、雫の肩に小さな掌が乗った。
「しーずーく」
 小さな掌の持ち主である少女は雫の名前を呼ぶと同時に、全体重をかけて背中におぶさるような体勢をとってくる。
「みあおちゃん」
 少女の名前を呼び、雫は動かしていた指を止めた。
「ひっさしぶりー。元気そうだね?」
 小さくキャーと歓声をあげてみあおを抱き締めると、雫は彼女のやわらかな銀髪を撫でまわす。
みあおはくすぐったそうに瞳を細めると、「雫こそ元気そうだね」と返した。
「ところで今見てるのってゴーストネットOFFでしょ? レスしようと思ってたの?」
 雫の向こうにあるモニターに視線を向けてみあおが言うと、雫は首を縦に振った。
「ここしばらく、同じような投稿記事が続いててね」
 それに気になる投稿もあったから、と続けようとした雫の言葉を、いつの間にか現れていた少年の声がさえぎった。
 
 きちんと切り揃えられた銀髪。モニターを見つめる瞳は夕焼けのような赤。
「……魔界に続く扉があるという記事ですよね」
 少年は雫を見やることなくそう言うと、いつの間にか手にしていたマウスを動かして新しい書きこみを閲覧している。
「七重君」
 みあおを抱き締めながら名前を呼んだ雫にようやく視線を向けると、少年は小さく頭をさげた。
「これ、新しい記事ですよね。僕が確認したときにはなかった記事です……すず、か……レスもついてますね」
「レス?」
 七重の言葉に体を起こし、雫はモニターに目を向けた。
確かに、さっきまではなかった書きこみがいくつかついている。
それらのレスは悪戯は止せというようなものであったり、あるいはさらに書きこみを促すようなものもある。
 眉根をよせて低く唸った雫の背後に、さらにもう一人の気配が立つ。

「面白そうな書きこみがありましたよね」

 デスクに片手が乗る。驚いて後ろを見た雫の前に立っていたのは金髪の見目麗しい青年。
「ええと……モーリスさん?」
 それほどに見識のあるわけではない青年の名前を思い出してそう呼ぶと、青年は薄い笑みを浮かべて頷いた。
「もしかしたらこれに関して雫さんが動きを見せるのではないかと思いまして。馳せ参じてみました」
 デスクに片手を乗せたままでそう言うと、モーリスはゆったりとした眼差しで自分以外の客人を確かめる。
 
 少年のほうはモーリスと目があうと丁寧に頭をさげた。
 少女のほうは興味深げな目でモーリスを見上げている。

 二人に挨拶をしているモーリスを横目に、雫は再びパソコン画面へと視線を戻した。
「三人ともこの記事は知ってるよね?」
 三人がそれぞれに頷くのを見て、雫も首を縦に動かす。
「――――それなら話も早いかな。三人ともヒマかな? もしヒマなら、この噂とすずって人の書きこみに関して
ちょっと調べてきてもらえないかな? 単なる噂にすぎずに、これもただの悪戯だっていうならそれでいいんだ。
でも気になるしさ」
 缶ジュースを手にとって三人を順に見やる。

 返事は確認するまでもないだろうけれど。続けようとした言葉をジュースと共に喉の奥へと流しこんで。

-2-

「それじゃあ、もう少し詳しい情報を募集してみましょう」
 家路へとついた雫を送り出した後、ネットカフェに残った三人は引き続きゴーストネットを眺めていた。
 パソコンの前に座ってキーボードを叩いているのは銀髪の少年、尾神 七重(おがみ・ななえ)。
理知的な瞳には確かに揺らぐ影が見える。その影が示すのは、彼の心に淀むものなのかもしれない。
「うん、そうしようよ。っていうか、みんなに色々訊いてみようよ」
 その七重の隣で人懐こい笑みを顔一杯に浮かべているのは、海原 みあお(うなばら・みあお)。
大きめでつぶらな瞳はくるくるとよく動き、みあおを横目で確かめている七重の横顔を眺めている。
 その二人を見つめている青年の目にはやんわりとした笑みが浮かぶ。
艶やかな金色の髪を無造作にまとめ、きっちりとしたスーツはグレードが高いながらも嫌味のない着方をされている。
青年の名前はモーリス・ラジアル。
モーリスはキーボードを叩き始めた七重を見やり、のんびりとした口調で言葉をかけた。
「とはいえ、まずどれから調べましょうか? 都内とはいえ、大雑把な情報では確かな場所の確定が
とりにくいですし。確定できなければ調査の手段も決まりませんでしょうしね」
 みあおが銀色に光る眼差しをモーリスに向けて、大きな瞳を数度瞬きさせる。
「うん、あのね。みあお考えたんだけど、噂の出所を皆に訊いてみたらどうかなって思うんだ。
これだけ広がっている話なんだから、意図的に流された噂にすぎないか、それか」
「確かな出所があって、その場所を中心とした波紋なのか。――記事の投稿者に訊いてみたら解ってくる話でしょうね」
 みあおの言葉を七重が受け継ぐ。彼はそう告げて二人を見やり、小さな溜め息を一つ洩らした。
「都内とはいえ、郊外なども考えたら途方もない範囲になってしまいますしね」
 七重の体を預かっている椅子が無機質な音を立てて軋む。
 七重の言葉に頷きつつ、みあおが小さく手を叩いた。
「新聞記事とか調べてみたらどうかなあ? 行方不明になってる『すず』って子がいるかどうか調べてみて、
それと集まった情報を重ねてみたら、場所も特定できるんじゃないかな」
 良い思いつきをしたと満足そうに笑うみあおを見やり、モーリスが緑色の瞳を緩ませる。
「なるほど……それは良い案ですね。新聞からの検索となると、ちょっと面倒かもしれませんが」
 チラリと七重に目を向ければ、モーリスの表情を確かめるように見つめていた七重が睫毛を伏せる。
「……それほど面倒なことでもありませんよ。……まずはレスをつけてみて、待ち時間を利用して新聞の検索をしてみることにしましょう」
 カタカタとキーを叩く。

『すず』という名前の子の書きこみに対してレスをつける。
――――あなたは今どこにいるのですか?――――
「掲示板ではレスしにくいかもしれませんね……」
 デスクに体を預けるように寄りかかってモーリスが呟いた。
「僕が取得しているフリーメールを残します。……メールならば公共で言いにくい事でも書き易くなるでしょうし」
 カタカタカタカタとキーを叩き、『すず』に向けてそれを送信する。
「……七重、可愛いハンドル使ってるんだね」
 画面を見やりながらみあおが小さく首を傾げた。
七重の頬がほんのかすかに赤く染まる。
――――あなたは今どこにいるのですか? 良かったら僕のメールにお返事ください。/ 灰色兎――――
「兎ですか」
 口許を片手で隠してモーリスが小さく笑った。
「思わず狩りたく……いえ、可愛がりたくなる存在ですよねえ、兎って」
「――――……」
 モーリスの言葉に七重はほんの少しだけ眉根を寄せて、暗い赤を細ませる。
「あれ? もしかして七重、照れてるの?」
 そのわずかな表情の変化を見逃すことなくみあおが七重の顔を覗きこむと、七重は返事をすることなくキーを叩き終えた。
「……これで一通りの記事に対するレス付けは完了しました。……すぐに返信がくるとも思えませんし、
待ち時間を利用して新聞記事の検索をしてみますね」

 手馴れた動作で検索を始めた七重を見やり、みあおとモーリスはお互いに顔を見合わせて柔らかく笑う。
その二人を横目に見て、七重は再び眉根をよせる。
――わずかな時間が流れた。

 パソコン画面に表示された行方不明者のリストの中には、結局『すず』という名前は見つからなかった。
「考えてみれば、すずっていうのは名前ではなくて、愛称ということも考えられるのですよね」
 男性の割に滑らかな白く細い指で口許を覆い隠しながら、モーリスが画面に見入る。
その言い分に七重は小さく「ああ、そうか」と納得してみせ、椅子をくるりと回して振り向いた。
「そうなると名前からの特定は出来ませんね。……でも失踪している人の数がここしばらくで急増した地域は特定できました」 
 言い終えると再び画面に体を向けて、七重は一箇所を指で示した。
「…………H市」
 みあおが呟く。
「H市なら都内ってわけじゃないよね。……でもベッドタウンだし、人口は多いよ」
「そうですね。……そろそろ掲示板のほうにレスがついてませんかね? あるいはメールでも」
 みあおの言葉に深く頷きながらモーリスが告げる。七重は無言のままでマウスを動かした。 

 メールに対して返信は一通。そして掲示板でのレスは二件確認出来た。
合わせて三件の反応の内二件はH市の名前を挙げていて、廃工場の場所こそ微妙に異なってはいたが、
それでも場所的に行方不明者が多く出始めたという場所との符合が出来た。
「決まりのようですね」
 パソコンの電源をパチンと落としながら七重が立ちあがる。
「ではH市までドライブを兼ねて参りましょうか。僕の車が近くのパーキングにとめてありますし」
 スーツの裾をただしてモーリスが笑えば、
「途中コンビニに寄っていこうよ。冒険にお菓子とジュースは必須だよねっ!」
 肩がけのカバンからデジカメを取り出して、みあおが満面の笑みを浮かべた。

-3-

 到着したそこはH市の繁華街からはほど離れた場所にある、幾分か山野となっているようなところだった。
 過ぎていく風はやはり街中を巡るそれとは違って、涼やかな湿度を伴っている。
その風に柔らかな髪を揺らしながら車を降り立つと、みあおは手にしているスナック菓子の残りを頬張った。
「なんか陰気なところだねー」
 のんきな口調で言いつつ次の菓子の袋を開ける彼女を背中に、モーリスが口許に笑みを浮かべる。
「投稿記事によれば件の扉の周囲だけ草花が枯れているとのことですし。あっさり見つかるんじゃないでしょうか」
 楽観的なモーリスの言葉を一蹴するかのように、七重が低く呟いた。
「見つかったとしても扉の中は僕らの領域ではなく、その悪魔の領域です。……解決もあっさりと済めばいいのですけれども」
 人気のない工場を見据えて嘆息している七重の顔を覗きこみ、みあおが笑う。
「大丈夫だって。なんとかなるって。七重とモーリス二人の幸運に賭けようよ」
「幸運?」
 やんわりとした笑みを浮かべつつモーリスが訊ねる。するとみあおはクスリと笑って工場を目指し歩き出した。
暮れかけた空の下、どこからかフワリと鳥の羽が風に舞い飛んで、七重とモーリスの手に軽く触れて消える。
「――――幸運ですか」
 口許を隠して小さく笑うと、モーリスも彼女の後を追った。
「……幸運なんてもの……」
 嘆息を共に絞り出すように吐き出して、七重も歩き出した。
 
 工場の中は薄暗く、残されたままの機械や積まれたままのダンボール箱などが転がっていた。
割られたガラスがあちこちに散らばっていて、歩くごと破片が割れる小さな音を響かせる。
記事の通り、とまではいかないまでも。確かに扉のようなものがいくつか並んでいる。
しかしそのどれもが吹きぬけになったもので、扉と呼べるようなものは既に壊されているようだった。
「なんだか、予想していたものとは違いますね」
 足下に散らばるガラスの破片を踏みしめて、そこかしこに張られた蜘蛛の巣を払いながらモーリスが告げる。
「こう、閉じたままの扉がいくつもあるような光景を想像していましたよ」
「僕もです」
 一番後ろをゆっくり歩きながら七重が同意を示してみせる。
「でも吹きぬけになってるから、風の音が響いてて雰囲気を作ってるよね。歩いてるだけでわくわくする」
 袋からクッキーを取り出してそれを頬張ると、みあおが楽しそうに笑った。
「懐中電灯も持ってきたんだけど、今はまだそんなに必要でもない感じだし」
 肩からさげたカバンを片手で叩いているみあおを振り向き、モーリスが足を止めた。
「怖くないんですか? 女の子はこういう場所を怖がったりするものだと思ってましたよ」
「ふぅん、そうなの? みあおはよく解らないな」
 小首を傾げてそう応え、モーリスの向こうを確かめてみあおは嬉しそうに飛び跳ねた。
「――あれがそうみたいですね」
 歓喜の声をあげて飛び跳ねるみあおを追い越して七重が低く呟く。

 あっさりと見つかるかもしれないという言葉の通り、その場所はひどく簡単に見つかった。
他の扉などとは少しだけ違い、観音開きになっている扉の片方だけがかろうじて残されている。
吹きこむ風に揺らされている片側だけの扉が、廃工場という場所の陰な空気を倍増しているように見える。
 
 モーリスが先行して近付き、その場で枯れている雑草をひと掴み手にとって振り向いた。
「確かにその辺に自生しているものと同じ種類ですが、見事なまでに枯れ腐っていますね」
 そう言ってそれを二人に確認させると、静かに揺れている扉の向こうに視線を向ける。
「――――魔界に続く扉か否か。……確かめに参りましょうか」
 楽しそうな笑みを満面に浮かべ、モーリスが二人を手招く。
「すずって子が本当にいたとしたら、彼女を救出するのが第一です」
 ゆっくりとした歩調は変えることなく、七重が応える。
その七重を小走りに追い越してモーリスの横に立つと、みあおは食べ終えた菓子の袋を丁寧に折りたたんでカバンにしまう。
「もしかしたら悪魔からしたら招かれざるお客さんかもしれないし。迷惑してるかも」
「まあ出来るだけ話し合いで済むようにはしましょうか」
 片側しか残っていない扉に手をかけて、モーリスが緑の双眸を三日月の形に歪ませた。
  
-4-

 扉の中に足を入れた途端、吹き込んでいたはずの風の気配がぴたりと止んだ。
まとわりつくような暗闇と、足下に広がる一面の水場。
波一つないその水面の上に立ち、広がる波紋に目を落とす。
「――魔界っていうのは水場だったんでしょうか」
 それにしては少しも濡れた気配のない靴を確かめて、七重が視線を頭上へと向けた。
やはりあるのは音一つない一面の漆黒。それが空なのかどうかさえ疑わしいほどの。
「うん。もしかしたらあの悪魔が住む場所ってだけかもしれないね」
 なんの恐れも感じていないような声音。後ろ手に手を組んで微笑みを浮かべ、みあおは前方を見つめている。

 その視線を追っていくと、そこには能面が一つ宙に浮いていた。
それを被っている者があるわけでもなく、ただ唐突に浮いているのだ。
そしてその隣には竹で編まれたような鳥篭が、やはり同様に宙に浮かんでいる。
鳥篭の中では黄色い羽の鳥が時折小さく動いている。 
「遠目なので確認しにくいですが、レモンカナリヤですかね」
 明らかに現実からかけ離れている光景を目の当たりにしても、モーリスの口調はなんら変わらない。
余裕に満ちた、のんきな口調。
「能面は喝食(かっしき)でしょうか。あまり詳しくはないのですけれど」

 禅寺で給仕等の作業に従事する少年の顔をかたどった能面。ひかれた紅が薄く光っている。

「あのお面の足下……足なんてあるのかわかんないけど、見て」
 声をひそめてみあおが二人の腕を引く。

 水面の下、みあおと同じ年齢ほどに見える子供が沈められていた。
眠っているかのように瞼を閉じて、生死のほどは確認出来ない状態だ。

「――――あれが『悪魔』」
 赤い瞳を細め、七重が言葉を吐き出した。……と、同時にそれまで静寂そのものだった闇が大きく揺らぐ。
足下を走る波紋も大きく乱れて数多の輪を描き出した。

『侵入者侵入者侵入者侵入……』

 三人を囲む闇の中から、無数の声が響き出す。甲高い女のヒステリックな声もあれば、地鳴りのように低く伝わる男の声もある。 
幼い子供のようなそれもあれば、生まれたばかりの赤子のような鳴き声もまざっている。
『排除排除排除排除排除……』
 声はそれぞれに同じ言葉を練り上げて三人を取り囲み、足下に広がる水が触手のように三人の体を這い上がってくる。
しかし這い上がってきた水がそれぞれの首にまとわりつくと、七重とモーリスが同時に言葉を発した。
「無駄ですよ」
「不愉快ですね」
 それぞれがそう吐き出すと、まるで生物のように動いていた水が剥がれ落ちるようにして三人の体を離れていった。
「僕は重力を操ることが出来るんです」
「私は、対象を本来あるべきものへと戻してやることが出来ます」
 七重は眉根を寄せて。
 モーリスは腕を組んで楽しげに微笑みながら。
そしてみあおは自由になった腕を動かしてカバンからデジカメを取り出し、友達を写すときのようにウキウキと能面をシャッターに収めた。
シャッターを切る音と共に、宙に浮いている能面が斜め向きに位置を動かす。鳥篭の中のカナリヤが小さく鳴いた。
 その時

――パシャン

 魚が跳ねたような飛沫をあげて、能面の足下から少女が顔を出した。
少女は幾分か現状を理解出来ないでいたような顔をしていたが、間もなく自分の頭上にある能面の姿を目にすると火がつきだしたように泣きはじめた。
主の声に反応したのか、カナリヤも共に騒ぎ出す。
能面が――悪魔が斜め向きに歪んだままで雄叫びをあげた。
『排除排除排除排除排除排除排除ハ……オオオオオオオオオオォォ』
 闇の中から響いていた数多の声が同時に叫びはじめる。
「……場が崩れたようですね。――今の内に彼女とカナリヤを救い出して逃げましょうか」
 モーリスはそう言い終えると、連れだってきた二人の返事を待つことなく水上を走り出した。
磨き上げられた革靴の底に、次々と波紋が広がっては消えていく。
彼は悪魔のすぐ傍まで近寄るとようやく振り向き、みあおを見据えて告げた。
「みあおさん! 七重君! 僕の援護を!」
 その言葉に頷いたみあお手にしていたデジカメを手早くカバンにしまい、両手を大きく頭上に掲げる。 
どこからか地鳴りが聞こえ出している暗闇の中に、やはりどこから現れたのか解らない鳥の羽が雪のように降り出した。
羽はモーリスを柔らかく包みこむと、ほのかな光を放って彼の道程を先導していく。
 
 モーリスの手が鳥篭を掴み取る。既に自分も走り出していた七重が水面から突出している少女の顔を指で示す。
「お願いします!」
 みあおとモーリスの中間あたりで足を止めた七重は、そう言って伸べていた腕をそのまま上に動かした。
 少女の体が水の中から完全に浮きあがるのを確かめて、モーリスが少女の体と鳥篭の回りに檻を構築する。
「OKです。僕の”アーク”で彼女達を保護しました」
「それでは戻りましょう」
 モーリスの傍まで引き寄せられた少女の手を取って踵をかえし、七重が瞳を細めた。
「でもあの悪魔、すごく怒ってるよ」
 立ち止まって能面を見やったままでそう言うと、みあおは再びデジカメを取り出してシャッターを押した。
「ちゃんと写ってるかなあ」
「みあおさんも行きましょう。場が崩れて面倒なことになっても事ですし」
 みあおの手を取って歩き出すモーリスの口許には、やはりいつもと同じ笑みが浮かんでいる。
「みあおさん、鳥篭を」
 少女を抱きかかえた姿勢で一番後ろを歩く七重に促されて鳥篭を手に取ったみあおが、歩きながら首を傾げた。
「でもどうやってここから逃げるの?」
 
 振り向くと、一つだけだったはずの能面は数知れないほどに増えていた。
数多の怒声は止むことなく響き渡り、暗闇がどろりと歪んでいるのが見てとれる。

「それは僕が」
 少女をモーリスに預け、七重が暗く赤い瞳をゆらりと揺らす。
「重力を操って空間と空間とを繋げます」
「では僕が、あの悪魔の片付けをしておきますか」
 モーリスが小さく笑う。
「じゃあみあおは写真係ねっ。二人のカッコいいとこ、バッチリ撮るよ」
 屈託ない笑みを満面に浮かべ、みあおが続けた。

-5-

「それじゃ、そのすずって子は鈴(りん)って名前だったのね」 

 翌日。調査結果を知らせるために再び集まった三人を眺めて、雫はジュースの缶タブに指をかけた。

「ええ。学校にあった噂を聞いて興味を持ち、好奇心からつい一人で出かけてしまった。との事です」
「工場跡なのに?」
 七重の言葉に首を傾げた雫に、みあおがうーんと小さく唸る。
「それがね。訊いてみたら、工場跡には行ってないっていうの。すずの家から工場までは大人の足でもちょっと遠くて」
「――どういうこと?」
 開けかけていたジュースをデスクに置いて雫が問いた。
雫が座っている席の隣に腰掛けたモーリスが「それは」と口を開く。
「これは僕達の憶測にすぎないのですが、扉は工場跡だけに限らず無数にあるのではないかと。
だとすれば彼女が他の入り口から入りこんでしまったという線を見出せるのですよね」
「そうかーなるほど」
 モーリスの説明に納得したのか、雫は首を縦に振る。
「その証拠になるかはわかりませんが、彼女は通っている学校脇の廃屋に行ったんだと言っていました」
「そうかぁ……その辺どこにでも開いてるとしたら、それはそれで怖いかもしれないね」
 ジュースを口に運びながら応えると、雫はふいにみあおに視線を向けた。
みあおはなにやら眉根を寄せて頬を膨らませ、不機嫌そうな表情を浮かべている。
「どうしたの? みあおちゃん」
 みあおの顔を覗きこみつつそう話しかける雫に、みあおはデジカメを伸べてみせた。
「写真。撮れてなかったの。つまんないでしょ」
 せっかく色々面白そうなものが撮れたって思ったのに。そう続けて頬を膨らませると、みあおは大きな目を瞬きさせる。
「場がこちら側のものではなかったのですから、撮れなかったとしてもしかたありませんよ」
 七重がそう告げるとモーリスも頷いた。
「まあ、良かったじゃないですか。一応は円満解決できたわけですし」

 みあおはまだつまらなそうな顔をしていたが、雫からジュースを貰うとようやく笑みを浮かべて首を縦に振った。
「そうだよね。すずも家に帰れたんだしね……あ、そうだ。みあお、今日は友達と約束してたんだった!
ごめんね、雫。またゆっくり遊ぼうね! モーリスと七重も、またねー」
 ジュースを片手に握り締めたままでそう言うと、みあおは慌しくその場を立ち去っていった。

 気付くと、ネットカフェの中には学校帰りの学生達の姿が、まばらながらも少しづつ数を増やしていた。

「時々思うんだけどね。……噂とか人の想像力って、虚構のものを現実にしてしまう、そんな力を
持っているんじゃないかなって。……だとしたら、こうした投稿記事ってもしかしたら全部事実なんじゃないかなって」
 遠ざかっていくみあおの背中を見送りつつ呟いた雫の言葉に、モーリスが薄い笑みを浮かべて応えた。
「そうであってもそうでなくても、僕達がそこまで知る必要はないのではないでしょうか?」
 そう応えながら椅子から立ちあがると、モーリスは雫と七重二人に向けて、丁寧に頭をさげた。
「いつかその論の結果を調べなくてはいけないような時がくれば、話は別でしょうけれども」
 緑色の双眸をゆるゆると細めて笑みを浮かべ、モーリスはみあおの後を追うようにしてその場を後にしていった。
「もしも悪魔とかいう存在を生み出したのが、これまでの歴史を作り出してきた人間の成せる業だとしたら」
 小さな嘆息を一つつき、七重が睫毛を伏せる。
「その収束を担うのもまた、僕達人間なのかもしれませんね」

――――いつもと何ら変わらない時間。もしかしたら見えていない場所では今も怪異が起きているかもしれない時間。
 パソコン画面を見やる雫と七重の瞳には、いつもと変わらず、たくさんの怪異な噂を表示したゴーストネットOFFの掲示板が映されていた。


end


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2318 / モーリス・ラジアル / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者】
【2557 / 尾神・七重 / 男性 / 14歳 / 中学生】
【1415 / 海原・みあお / 女性 / 13歳 / 小学生】

以上、受注順


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■         ライター通信          ■
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今回「カナリヤを見つけて」を執筆いたしました、高遠一馬と申します。
まずは発注ありがとうございます。何気にこっそり凹んだりしていた時期でしたので、
受注窓が満員になったときは本当にありがたかったですし、嬉しかったです。
この嬉しい気持ちを少しでも作品に投影できていればと、心から願うばかりではありますが…

>尾神・七重 様
発注くださいまして、ありがとうございました! 前回の納品終了後の立て続けでしたので、
発注画面を確認した時は歓喜の声をあげてしまいました。お恥ずかしい…
七重様も今回、ちょっとだけアクティブに走らせてしまいました。七重様は走ったりイメージでは
あるのですけれども。イメージや設定と違う等のお声がありましたら、遠慮なくお申しつけください(汗
今回はありがとうございました。また機会がありましたら、お声かけをお願いいたします。