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いつか見たソープオペラの
ウィンが何の前触れもなく、ケーナズのマンションを訪れるのは、はじめてのことではない。それでもケーナズは、ぶっきらぼうを装って、
「電話くらいしろ」
と言いながら、双児の妹をリビングへ通すのだった。
ウィンは肩をすくめる。ケーナズが在宅しているかどうかなど、マンションの1キロ手前からでもわかる。べつだん、パワーを使うというわけでもなく……その程度のことは感覚的にわかるのだ。双児の兄妹がお互いが半身――などという言い方は陳腐に過ぎたかもしれないが、ふたりがこの世でもっとも近しい間柄の人間であることは、疑いようがないのである。
出がけにホテルの厨房で切り分けてもらったケーキの箱を片手に、ウィンは自分の家のようにキッチンに向った。
「雑誌を見た」
ケーナズが、キッチンの入口の壁にもたれつつ、妹の背中に声を掛ける。ウィンが、ビジネス誌に取材されたことを言っているのだ。
「なかなかいい写真だったでしょ」
湯を沸かしながら応える。
「出歩いたりしていていいのか」
「大丈夫。今月に入ってからはだいぶ大人しくしているし」
そんなことに気遣いをしないウィンではないことは、ケーナズはよく知っている。今も、彼女がかかとのないパンプスだったのを見て取っていた。
そして。
六本木の街を見下ろすケーナズの部屋のリビングに、兄妹は向かい合っている。ケーナズの前にはブラックコーヒーが湯気を立てているが、ウィンは自分のぶんとしてはハーブティーを入れた。
「マタニティ・ブルー?」
ケーナズが口火を切る。
「そうかも」
応えるウィン。言葉に、いつもの覇気というか、凛とした感じがないな、とケーナズは思った。
「不思議な気分だな」
ケーナズは言った。
「ウィンに子どもとは」
「お兄様も伯父さんね」
「それはともかく、だ」
子どもの父親はケーナズにとっても親友と呼べる間柄の青年だ。妹の妊娠は、そして結婚は、ケーナズにとっても嬉しいことだった。
「なにか話したいことがあるんだろ」
問いかける。
「…………」
幼い頃、ふたりは一心同体だったと言ってもよかった。
そもそも双児というだけで、そういう側面はあるわけだが、ましてやふたりは常人にはない能力を持っているのだ。その加減も意味もわかっていない、幼い頃、双児たちは言葉を使って話す以外に、互いの心そのものをふれあわせ、交流することを、言葉を修得するのと同じようにおぼえていった。
結果、感情や記憶の一部を共有してしまい、混乱することさえあり、ふたりが自我と個性をはっきり意識させる欧州流の教育を受けていなければ、自分というものを正しく保てないまま育ってしまったおそれさえあった。
そんなことの名残りか……傍にいるだけで、ケーナズには妹の懊悩する気持ちが、自分に自然と伝播するような、そんな気がするのだった。
「結婚の準備は順調」
「ええ」
「会社も問題ない」
「もちろんよ」
「……子どものことか」
「発育は問題ないわ。私の体調も……気をつけているし。心配は、彼が今からベビー用品を買い過ぎてるってことくらい……。ただ、ね――」
「…………」
「双児だってわかったとき、なんだかとっても不思議な気分だった。もちろん嬉しかったわ。喜びも2倍になった気がした。……でも同時に、私とお兄様のことを思った」
「言いたいことは、わかる。子どもが…………わたしたちと同じように、力を持っているかどうか、ということだな……」
ウィンは無言で頷く。
いったいいつから降りはじめていたものか……、窓の外は雨模様になっていた。
こういったものが、遺伝なのかどうかはわからない。しかし、そうではないかと思われるような、親子の特殊能力者の例は、かれらの周囲では枚挙にいとまがない。兄妹が、ルクセンブルク家における突然変異としてあらわれたのだとしても、その力が、ウィンの子どもには遺伝しないとは言い切れないのだ。
「力を持つこと自体が問題なわけでも、不幸でもないわけだが」
ケーナズが付け加えたことは、ふたりにとっては言わずもがなのことだ。ただ――
能力をコントロールすることが、うまくできるものばかりではない。
兄のサイコキネシスが暴走し、家具が揺れ、食器が壁にあたって砕け散った日々のことは、ウィンもよく憶えている。
ウィン自身はといえば、兄がPKやテレポートなど、外向きの能力に秀でているのに対して、サイコメトリーやテレパシーといった内向きの能力に優れる彼女は、比較的、早い段階で、能力の制御を身につけたほうだった。
それでも、なにかに触れるたびに、そこに残留した記憶を読み取ってしまうので、物にさわるのが怖くなったり、他人の感情が意識せずとも見えてしまって困ったことになったこともある。
「食器が飛ぶようになったら、隠しだてもできないだろう」
「…………でも、そうなったら」
「当然、わたしたちのことも話さざるを得ないな」
「…………」
「それが怖いんだな」
「信じてないわけじゃないの」
ウィンはきっぱりと言った。
おそらく彼は受け入れてくれるだろう。
そんなこと関係ないよ、ウィンちゃんはウィンちゃんじゃないか。
そう言って、やわらかな笑顔を見せてくれるだろう。
「そうだな。その点は間違いないと思う」
ケーナズも同感だった。だが、それでも、強硬に主張することができないでいるのだ。それは、ふたりにしかわからないことだったろう。
いくら頭ではわかっているつもりでも、人は自分自身でさえままならぬ感情を持つものだ。
(もし彼が、本当に普通の、ごくあたりまえの家庭をもつことを望んでいたとしたら?)
超能力を持つ妻と子どもの存在は、それを許さないかもしれない。
彼がなにもいわず、ともにその現実に立ち向かってくれることはわかっていても……いや、わかっているからこそ、それはひどく残酷なことのように、ウィンには思われるのだった。
そしてそもそも、能力者であることを知られたときに、相手が見せる反応に、いい思い出は少ない。いくらもう慣れたとはいえ、そして、彼がそんな反応を見せることはないだろうと思っていても、それは条件反射のように、兄妹に躊躇と不安を呼び起こさずにはいられないのだ。
長い沈黙が、ふたりのあいだに流れ、雨音だけが不穏な伴奏のように耳の底に反響する。
「『奥様は魔女』だな」
ぽつり、と、ケーナズが呟いた。
「えっ――?」
「『ごく普通の二人は、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でもただ一つ違っていたのは』……奥様はエスパーだったのです」
「…………」
「あのドラマな、ふたりの結婚式から始まるんだ。初夜に、夫ははじめて、妻が魔女だと明かされる。でも、家庭では魔法を使わないこと、というルールを決めて、ふたりは暮らすようになる」
「知ってるわ。……奥さんのお母さんがイジワルしにくるのよね」
「ふたりのあいだに産まれた娘も魔女だったんだ。でも……あの一家はいつだってしあわせに暮らしてたよな」
「そうね」
「しょせん、ドラマだ、と思うか」
しばし、考え込むように小首を傾げて……それからウィンは、やわらかく微笑んだ。
「お兄様はイジワルな姑さんの役割ね」
「冗談!」
ふたりは笑った。
淡いまぼろしのような空想が、見えたような気がした。
ママ、パパ、と可愛い声で呼びながらかけてくるふたりの子ども……。性別はまだわからないので、そこは都合良く、紗がかかったようにぼやけている。その娘だか息子だかが、ふいに、ふわり、と宙に浮かび上がって、両親のもとへやってこようとする。
(わっ、すごいや!)
大袈裟に驚く夫に、困ったような顔を向けてから、ウィンは、
(むやみに飛んだりしちゃダメって言ったでしょ?)
と、たしなめるのだ。でも、どこかその表情は嬉しげでもあり――
「決めたわ」
ウィンは、言った。
見果てぬまぼろしは消える。たとえそれが、そのひとときだけの、蜃気楼であったとしても――
「やっぱり、結婚すると決めた以上は、隠せないもの。黙っていたら……結局は彼を傷つけてしまうことになる気がする」
迷いなく、前を見る。
兄は、そっと頷いた。
「そのときは、わたしも同席してもいいか?」
「えっ」
「これはわたしと彼の問題でもあるんだ。……ウィンの口から、曲げて伝えられても何だしな」
一言付け加えずにはいられないのは、生来の皮肉ぐせか、それとも照れ隠しだろうか。
「いいわ。それじゃふたりで、彼には全部、本当のことを話しましょう」
いつのまにか――
雨はやんでいたようだった。雲間からは、うっすらと光が差し込みはじめている。不安がすべて吹っ切れたといえば嘘になる。けれど、少なくとも迷うことを、ふたりはやめた。
両手でつつみこむように、ハーブティーのカップを持つ。カモミールの香りを吸い込みながら、ウィンは決意を確かめるように目を閉じた。ソープオペラの、魔女のファミリーは、いつだって笑いに充ちていて、明るくて、あたたかで……。――それがただの夢物語だなんて言わせない。
ごく普通の二人は、
ごく普通の恋をし、
ごく普通の結婚をしました。
でもただ一つ違っていたのは――
(了)
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