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ずっとあなたの側に
――プロローグ
まず首を絞めた。
白い首を絞めた。ぎゅう、ぎゅうと力を込める。なにが起こっているのかわからなかった。
ただおれはこの首を絞めなければならない。この真っ白い顔をした若い女を絞め殺さねばならない。くそうと、口の中で呟いたが誰も聞いていない。もしかしたら、誰か聞いているのではないか。
もしかしたら？ 辺りを見回す。あり得ない、ここはおれの家のベランダではないか。女はもう息絶えている。ああ、また死体になった。死体は隠して捨てなければならない。なぜ、人は死ぬと死体になどなるのだろう。こんなに邪魔なモノになるのか。
そしてまた今日、死体が一体。妙子の死体が一体ある。この妙子の死体をおれは風呂場へ持ち込んで、手足をもいで首を落とし胴体を切り刻んだ。これでもう二度と死体になどなれないだろう。どうして、切り刻まれたものがまた元の人間の形に戻れるというのだ。
おれは、はははと笑った。おかしくなり、大きな声で笑った。笑いは風呂場のすみずみまでいき渡り、おれは自分の哄笑に酔いながら妙子の部品をゴミ袋へ捨てた。そしてゴミ収集車へ出してやった。ははは、ああおかしい。死体はもう戻ってこない。
そうしてまた今日、妙子の死体が一体ある。それも、おれの切り刻んでやった全ての物を繋ぎ合わせた状態できれいな死体が転がっている。おれは、死体を見て今度こそこの死体をなくならせなければと強く決意した。
おれは妙子の死体を風呂場でまた切り刻み、頭は大鍋を買ってきて中へ沈め他の部分は鉄板へ載せてじゅうじゅう焼いた。草が焼けるような匂いがした。肉は驚くほど早くに焼け、おれはそれを食らった。
おれは妙子を食らった。
肉も目も髪の毛も、骨までもおれは食らった。食っているうちに、突き上げてくるような嘔吐感に襲われたがおれは食べた。食らってしまえば、食らってしまえば妙子はもうどこにもいなくなるのだ。もう妙子はおれの元へなど戻ってこれないのだ。妙子はこれで死ぬのだ。死んでしまえ、おれの糞になってしまえ。
また今日、妙子の死体があった。
途方に暮れたおれは、もう見なかったフリをして死体の横でコーヒーを飲み始めた。妙子は笑いながらおれを眺めている。おれのコーヒーを持つ手が震えている。妙子が戻ってくる、妙子が帰ってくる。妙子が、また殺されるためにくる。
これはまさに、怪奇現象だ。
『怪奇探偵またお手柄』
おれの目に怪奇と共に飛び込んできた男は、若作りの眼鏡をかけた男だった。草間武彦……怪奇探偵だ。
おれは妙子を横目で見た。妙子は、ニタリと口許を笑わせたように見えた。
――エピソード
怪奇探偵事務所は、大盛況だった。
もっとも、ほとんどが雨宿りで訪れたのだけれど。
そういうわけで、草間探偵はイライラしていた。草間という男は人口密度が高くなると、不快感を現すのだ。現したところで、なにかあるわけではない。
草間・零とシュライン・エマが談笑しながらお茶を淹れてくる。
探偵事務所はやわらかい紅茶の香りで満たされる。そこにいる草間を除外した三人の男が、お茶を盆に載せたシュラインを見た。
「お手数お掛けします」
と桐崎・明日がシュラインを労う。草間に対しては、どちらかいうとそっけない男だが、シュラインに対しては明日はとても好意的だ。シュラインに限らず、女性には紳士的なのだろうか。
明日は薄暗い蛍光灯の光を銀色の瞳に反射させて、儀礼的に笑んだ。
「わーい、紅茶？ なにアッサム？」
「アールグレイよ。嫌いな人がいないといいけど」
明日の隣にちょこんと納まっていた瀬川・蓮が満面の笑顔で、手を叩く。シュラインが小さな子供に向けるような優しいまなざしで蓮へ微笑んだ。
蓮は金色の髪をした黒い瞳の少年だった。もう、十三にはなっただろうか。草間は子供が苦手だったので、例外はなく蓮も苦手だった。特に理由があるわけではない。ある種のワガママが、少し手に余るという感じだ。
明日と蓮はまだ少年と言える年齢の並びだった。その前の席に、白衣をまといバンダナで頭を覆ったリオン・ベルティーニが座っている。リオンは二十半ばに届く男だ。
零がクッキーを持ってやってきたのに、ニコリと笑って迎えた。
「こんな日も仕事なんて難儀だねえ」
「そんなことないですよ」
零が答える。リオンは「そうなんだ」と和やかに答えて安物のソファーで姿勢を正した。
草間が思いつく。
昨日受けた依頼人の元へ誰かを連れて行ったら、早急に事件は解決するかもしれない。むしろ、自分がほとんど動かずに解決、依頼料はイタダキという一石二鳥な考えだった。
「マンション最上階に立つ幽霊に興味がある人」
シュラインは草間の言葉に苦笑した。草間の意図が伝わったのだろう。少し申し訳なさそうに全員を見渡す。
蓮は皿のクッキーをパリンと齧った。
「おいしいねえ」
草間の台詞は宙ぶらりんだった。零が嬉しそうに笑って、蓮へ説明する。
「駅前のデパートで見つけたんです。外国のおかしだから、ちょっと高いんですけど」
「うん、とってもおいしい」
パクパクと一枚クッキーを平らげてしまい、蓮はクッキーを摘んでいた手を舐めた。
「いいよ、草間さん。手伝ってあげる」
十以上離れた相手に言われ、草間は眉根を寄せた。
「クッキー代ぐらいはしなくちゃね。そのかわり零ちゃん、クッキーの名前教えてよ」
零は白いリボンを揺らしてクスクス笑って
「危ないことなんてしなくったって、教えてあげますよ。メモに書いておきましょうか」
「うん、ありがとう」
蓮につられてか、リオンがクッキーに手を伸ばした。口の中へ放り込みながら、リオンは草間越しの窓を見上げて言った。
「雨やんだなあ、じゃあ、俺はここらで行きますね」
紅茶のカップを取って、液体に鼻を近づけて香りを嗅いだ後リオンはお茶をグビグビと飲み干した。それから立ち上がり、興信所に集まっている連中に片手をあげ、シュラインと零に向かって
「アールグレイよりレディグレイの方が好きなんですよ、俺」
いらぬ催促をして外へ出て行った。
蓮は初対面の、白衣の背の高い男へ片手を振ってみせた。
そのままクッキーの皿に手を伸ばす。蓮はモグモグと口を動かしながら、草間を見た。
「相変わらず、怪奇探偵やってるんだね。草間さんって」
明日が少し笑う。草間は渋顔をして、マルボロを取り出した。
「ほっとけ」
「依頼人の名前は横山哲史、ＩＴ企業に勤務している。歳は三十ニ歳。相当な高給取りらしい。前金に十万も置いていったんだ。だから、俺は怪奇現象でも仕方ないから捜査しようってことになって……」
草間探偵は、歩きながら蓮に話す。
蓮は興味がなかったので、聞き流していたが、どうやら草間は言い訳を言っているらしいと気付いてくすりと笑った。
「状況は単純だ。横山さんの住む、マンションのベランダに毎晩女の幽霊が立つっていうんだ。住まいはマンションの最上階。住んでいるマンションは三十階建ての高級マンションだ。最上階だから、まさか誰かが上っているとは思えない」
「幽霊なんでしょ」
「……横山さんはそう言ってる」
先ほどの雨は嘘のように晴れ渡っている。蓮は、昼間があまり好きではない。けれど、今のような夕方は好きだ。夜が終わる朝方も好きだ。曖昧な色が好きなのかもしれないと、自分でも思う。
蓮はいつもの通り、どこかの学園の制服のような服を着ていた。草間探偵は黒いシャツに麻のジャケットを着ている。二人の影はオレンジ色に黒く伸びていて、蓮はそれが案外面白いと思った。
東京の地理は車に適していない。適している場合もあるけれど、電車で行った方が早い場合の方が多い。草間の持論に従って、草間と蓮は横山の最寄り駅で電車を降り、地図を頼りに徒歩五分ほどの道のりを歩いているところだった。
「でも気の毒だなあ、ボクが行くと幽霊は成仏じゃなくて消滅しちゃうんだよ」
「……なにか違うのか、それ」
草間は怪奇現象について理解がない。だから、いつも解決しているのは草間の人徳ゆえに集まった他の連中だ。幽霊はいなくなればいいし、妖怪もいなくなればいいしと考える。正しくないわけではないけれど、それでは怪奇視点から見るとあんまりだ。
道を右折する。目に、白衣の大男が飛び込んできた。
「えーと……誰だっけ、あのおじさん」
蓮は逡巡する。興味がなかったとはいえ、さっき会った人物だと思い出した。
草間は元からあの男と知り合いだったのだろう。すぐに名を呼んだ。
「リオン、なにやってんだ、こんなとこで」
「ありゃ？ そっちこそ」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、ぽかーんとリオンが草間と蓮を交互に見た。リオンは草間よりも頭一つ背が高い。
草間はリオンの立っているすぐ横のマンションを指して、蓮へ言った。
「ここだ、ここ」
「ふーん」
「なに、ここって。さっきの幽霊の話？」
リオンが訝しげに訊く。草間は少し嫌な顔をして、答えた。
「守秘義務」
「お堅いこと。……ヨコヤマ？」
ニヘラと笑ってリオンは頭の上で両手を組んだ。蓮は、今聞いたばかりの名前におや？ と両眉を上げた。草間は狼狽して、早口に言った。
「なんでお前はそんなこと知ってるんだ？ 俺んちに盗聴器でも仕掛けてるんじゃないだろうな」
リオンはへなっと身体中の力を抜いて、うつむいて額に手を当てた。草間はドシンドシンとリオンに近付く。
「あんたの事務所の会話聞いたって面白いだけだろ。嫌な予感がしただけさ」
「予感？」
「俺も、ヨコヤマに用事があったからねえ」
半分諦めたような顔でリオンは言って、蓮に訊いた。
「ご一緒してよろしい？」
リオンの聞き方がおかしかったので、蓮は二つ返事でこくりとうなずいた。
「いいよ」
草間が不服そうにリオンを睨んでいる。
どうやら、この二人の仲はあまりよくないらしいな。蓮は他人事のように胸中で呟いた。
横山のマンションはきれいで大きかった。ただありがちなことに、自転車の駐車場を回ればマンションの中に入れる、エセオートロックのマンションだった。草間はそれだけ確認すると、部屋番号を押して横山を呼び出し、自動ドアを開けてもらって蓮達は最上階へ上った。
横山は玄関から出て待っていた。髪は少し乱れているものの、どちらかと言えばいい男の部類に入るだろう。目の下に隈が刻まれている。相当幽霊とやらに参っているようだ。
草間は、蓮の身体を肘でつついて訊いた。
「なにか感じないか、霊がいるとか」
「……うーん、特にはわかんないよ」
「全然わからん」
リオンが蓮に続いて言うと、草間は「お前には訊いてない」とリオンの高い頭を見上げて言った。
幽霊が出るマンションの中に入れば、そういうことに敏感な蓮ならば多少なりとも気配を感じるはずなのだが、そういうことがない。さては、幽霊というのは嘘かもしれない。蓮は簡単に当たりをつけた。
横山に導かれて、三畳ほどの簡素で近代的な玄関を抜け、大きなリビングダイニングに入った。そこからは、多くの建物を見渡せる。
「いい眺めだねえ」
蓮が思わず言ってベランダの窓へ近寄ると、キッチンへ入っていた横山が苦々しく言った。
「そこですよ」
蓮がきょとんと振り返る。
草間はソファーに腰をかけて、蓮のいるベランダの方を見ていた。
蓮は思う。やっぱり、幽霊なんて嘘っぱちだ。ここは何も感じないじゃないか。
それでも、草間興信所に横山は大枚を払っている。どうしてそんなことをしたんだろう？ 蓮は頭を巡らせるが、答えなんて出ない。
草間が後ろで訊いた。
「たしか、同じ時刻に幽霊は現れるんですよね」
「ええ、夜中の十二時に」
自信がなさそうな声で、横山が答える。
自信がなさそうな？ 蓮は引っかかって横山を振り返った。横山は、四人分のコーヒーをソファーの前のガラステーブルへ置いている。
どうして、横山は十二時に草間達を居させたくないのだろう。直感的に、蓮は感じた。
横山の嘘の元凶の一端が、そこにある筈だろう。
蓮はトトトとソファーの草間の横に並んで座った。
リオンは、リビングと廊下の境界に立っている。蓮はリオンを見やって、リオンが草間と同種の人間なのだと知った。霊や魔、異界に鈍感な者は境界の曖昧さに気付かずそこへ居続けることができる。境界は異界への入り口でもあるから、能力者は境界をけして踏まない。
横山が草間の前のソファーへ座った。蓮は、草間の耳元へ顔を持っていってこっそり言った。
「きっとね、十二時にならないとなにも解決しないよ」
草間が嫌そうな顔をする。
蓮は口を尖らせて
「しょうがないでしょ」
と念を押した。草間はオーライと片手を上げて蓮の案を了承した。
「横山さん、私達にもその、幽霊とやらを見せていただきたいのですが……」
草間が言うと、横山の顔が蒼白になった。
「え、でも、今の状態じゃわからないんですか」
「……ええ、ちょっとわからないんです」
「そりゃ、困ったな。ちょっと出掛ける用事があって……」
横山は山ほどの言い訳を募り、最後に依頼を取り消すようなことを言い出したので、蓮は面白くなって草間に加勢した。
「おじさん、今やらないとずっとその幽霊に祟られて死んじゃうよ」
横山は子供の蓮に向かってムキになって言い返した。
「じゃあ、今すぐに祓ってくれよ」
「幽霊って言うのはね、すごく強い想いの現われなんだよ。ちゃーんと話し合わないとダメだもの。だから、ボク達はその幽霊に会わないと「殺さないで」って言えないでしょ」
横山は、蓮の言葉に黙り込んだ。
草間の見ている前で、横山は思いつめた顔になり頭をガリガリとむしった。それから、思いついたように訊いた。
「死体を見つけると、罪になりますか」
草間は「？」を浮かべながら答えた。
「発見者は、そりゃあ罪にはなりません」
横山は、少し安堵の表情を浮かべた。
時計はもうそろそろ十二時を差す頃合いだった。
テレビがついている。蓮はこの時間帯にテレビを観る習慣がなかったので、退屈に思えた。隣に座ったリオンが、幽霊などまるで興味がないように、十一時半から始まった夜の連続ドラマを観ている。
ドサリ、とベランダで物音がした。それはかすかな音だったので、一瞬テレビの雑音に紛れて聞き逃すほどだった。横山がベランダを見たので、つられるようにしてベランダを見た。ベランダには、大きなものが落ちていた。
横山が、腰を上げる。それから、キッチンまで勢いよく後退する。横山は錯乱した様子で、声を荒げた。
「し、死体。また、妙子の死体！」
三人は立ち上がって、ベランダまで行った。蓮はベランダの窓を開けて、そっと落ちてきたものに触ってみた。カサカサしている。それから、すごく悲しい。それから、すごく嬉しい。伝わってきた感情が相反するものだったので、蓮は一瞬首をかしげた。
幽霊の正体はこれかあと、蓮は思う。草間を見上げると、わけがわからないという顔をしている。それは、リオンも同じだった。やっぱり、この二人は同じ種類の人間らしい。
蓮は素早く頭を回し、窓を閉めずに頭の上を指した。
「上から落ちてきたよね」
思考を停止していた草間が、納得したように大きくうなずいた。
「た、妙子……」
横山が口の中で呟いたのが聞こえる。蓮は横山が憐れに思えた。それも一瞬のことだった。どちらかというと自業自得なのかもしれない。憐れに思えるのは、横山がワガママな子供みたいだからだろうか。
蓮は、残念だけど。と呟いた。子供みたいな大人は子供じゃない。蓮が守っているのは、子供であって大人になり損ねた大人ではない。
靴を履いて外へ出る。
蓮は足早に歩く大の大人を追いかけながら、言った。
「ちょっと待ってよ！ ちょっと！ ねえ、上杉妙子って人いる？」
草間が上へ続く非常階段の前で立ち止まる。リオンは階段の上を覗き込みながら
「俺、別にああいうのに興味ないんだけどなあ」
とごちた。
草間は蓮が着くのを待って言った。
「横山さんの婚約者が、六年前に行方不明になっている。これは当人が言っていた。その女性の名前が妙子さんだ。妙子さんには捜索願が出ていて、出したのは兄の上杉京助さんだ。これは警察の名簿で確認した。横山さんと上杉京助は捜索活動をあれこれやっているが、見つからなかったようだ」
それから蓮を凝視して、顔を歪めた。
「……まさか、妙子さんは殺された？」
「へ？」
リオンは素っ頓狂な声を上げる。
蓮は当たり前さ、とうなずいた。
「殺してなきゃ、誰があんな藁人形を妙子さんだって勘違いするんだよ」
あそこに落ちてきたのは、人の半分ほどの背丈のある藁人形だった。だからカサカサしていた。ついていた札には、上杉妙子と名前が書いてあった。
そこには、嬉しい気持ちと悲しい気持ちが一緒にあった。流れ込んできた意識をすべて文字にすると
『いつも一緒にいられて幸せです。殺しやがって許さない。あなたに幸せになって欲しいです。のうのうと暮らさせてやるものか。もう私達は離れません。妙子をかえせ。ずっとあなたの側に』
支離滅裂だった。
リオンが草間に小さな物を渡した。
「じゃあ、これは、そういう関係の？」
草間が驚きの声を上げる。
「盗聴器？」
草間が非常口の階段を一歩二歩と上りながら、リオンに訊く。
「誰が？」
しかしそれには蓮が答えた。
「バッカだなあ、草間さん。京助さんだよ」
「なんだってえ？」
草間とリオンが一緒に立ち止まり、一番後ろの蓮を大きく振り返った。なんだかその様はおかしくて、蓮はクスクスと笑った。
「だって、藁人形なんて誰かが作らないとこの世にないし、誰かが落とさなきゃベランダに出現しないもん」
草間はなぜ自分達が上へ昇ろうとしていたのか思い出した様子で、難しい顔のままうなった。
屋上へ上がると、びゅうと湿気でしめっている風が吹いた。
蓮は、なんとなく予想していた。たぶん、ここにいるのは人間の術者だろう。坊主とか神主とか陰陽師とか。そうなると、無防備で出て行くと動きを封じられかねない。
凛とした声が、響いた。
「動くな、武彦」
草間の後姿は見えない。リオンの影だけが見える。
「動くな、リオン」
蓮は二人の名前が呼ばれたので、慌てて外へ出た。屋上の風に髪があおられる。そんなこと気にせずに、蓮は言った。
「動くな、京助」
蓮の目の前に、不自然な形で固まった草間とリオンがいる。それから、右手の人差し指と中指を立てた格好で、白いシャツと黒いズボンを着た男が止まっている。ギョロリと目が蓮の動きを追う。
蓮は邪気なく笑って、右手で空を切った。
すると、男の首が飛んだ。その瞬間に、男だと思っていたものは藁人形に変わりその場に転がった。
「ボクは術者じゃないから、呪っていうの？ それは使えないよ。魔力で同じようなことができるから、ちょっとやってみせただけ」
クスクス笑うと、給水タンクの陰からさっき首が切られた男が出て来た。
苦り切った表情だった。
「……なぜ、邪魔をする」
「どうしてって、えっとー、草間さーん」
草間とリオンはまだ固まっている。
「もう動けるってば」
蓮が言うと、ようやく二人は硬直を解いた。動いてもいないくせに、はあはあと荒く息をしている。
耳は聞こえていたのか、草間はずり落ちた眼鏡を直しながら答えた。
「依頼人だからだ」
「そういうこと」
蓮が笑う。
「キミの言葉？ 聞いたよ。でも、あれじゃあ妙子さんがかわいそうだよ。横山さんに本当のことを知ってもらえないし、あんな形で憑かせちゃ妙子さんの思念は藁人形ばかりに集まっちゃって、横山さんの側にいられないじゃん」
京助……と思われる男は、顔をしかめた。
「なんのことだ」
「妙子さんの声、聞こえないの？」
「妙子の……声？」
蓮は思い出しながら、つらつら言った。
「いつも一緒にいられて幸せです。あなたに幸せになって欲しいです。もう私達は離れません。ずっとあなたの側に」
付け足すように続ける。
「あんなに純粋な想いなのに、キミの怨念が憑いてるから、悪いものにしか見えないし。まあ、藁人形なんかに憑かせたらどんなもんだって変にしか思えないけどねえ」
ひゅうい、風が吹いて蓮の頬から赤いものが流れる。蓮は一瞬だけ黙って、子供らしく口を尖らせた。
「キミの気持ちもわからなくは、なかったんだけど」
空気の圧縮する音がする。まるで、何かを押し潰すような。
それから、小さな破裂音が連続する。京助が、羽虫がいるようにに両手で顔の辺りをパタパタとはらっている。
蓮の使う小悪魔が、パンパンと空気を破裂させているのだ。ふ、ふ、と小悪魔の吐く息が、全部小さく破裂する。
草間が訊く。
「……なにを、やってるんだ」
「ちょっと遊ばせておこうよ。あの人は、実際かわいそうなだけじゃん」
リオンが目を擦って京助を凝視している。けれどやがて諦めて、首をかしげながら「わからん」と呟いた。
横山は藁人形の解体を終えたところだった。
蓮達が風呂場を覗くと、ギラリと光る包丁を向けた。風呂場へ草間が身体を滑り込ませ、回り込んでおぼつかない横山の腕を叩いた。カツン、と包丁が風呂場へ落ちる。
蓮はくだらないものを見るように、横山を見据えた。
「また妙子さんの首を落として。何度目なのさ」
横山が喉の奥で「ひい」と言って後退る。バスタブにぶつかって、その後空のバスタブへ入った。
「妙子さんはね、キミの側にいて、殺す機会を窺ってるってさ」
「……妙……子」
「明日も明後日もずーっと先まで、眠ったら取り殺される」
蓮はずいとバスルームへ入って、座り込んで小さくなっている横山を一瞥した。
「覚悟はしてたんだろ、最初に殺したときから」
横山が目を見張る。
蓮は、汚いものを流すようにシャワーの蛇口をひねった。
サーと音がする。バスルームで草間が立ち尽くしている。リオンがバスルームと脱衣所の間に立っていた。
タエコ、タエコ。横山が念仏を唱えるように言った。
蓮はきびすを返した。
「妙子さんなら、隣にいるよ」
横山が「ぎゃあ」と悲鳴を上げた。
――エピローグ
妙子と横山が警察に連れられていく。横山は、茫然自失である。
妙子とと言ったが、それは蓮がそう言うから信じただけだ。草間には見えない。けれどもたしかに、横山には妙子が見えるようだった。
つまり、妙子はいるのだろう。
「蓮、どういうことになってるんだ？」
草間と共にリオンも疑問の視線を、小さな金髪の少年に投げかける。蓮は、天使のような少年だった。
「残留思念っていうの？ 横山の家の妙子さんの意識を、京助さんの藁人形が集めちゃったんだよ。京助さんは、妙子さんを殺した横山を呪う目的だったんだと思うよ、たぶん。妙子さんに見えるように、術をかけて、十二時に横山のベランダに落としてたんだね。
妙子さん、知らないんじゃないかなあ。横山が自分を殺したなんて。それか、知ってても愛してるのかもね。その辺はボクみたいなお子様にはわかんないけどさ。
妙子さんの思念は集まっちゃってて、妙子さんは横山の側にいたい。それで、こういう結果になったってわけかなあ」
草間がわからない顔で蓮を見ている。見れば、リオンも不可解そうな表情をしている。
蓮は黒い瞳をクルクルさせて、ふっと溜め息をついた。
「あーあー、疲れちゃった。ボクにはむずかしすぎたよ」
それから蓮は、思い出したように訊いた。
「リオンさん、どうしてここに来たの？」
リオンは「うん？」と言って、
「会社関係でね、ちょっとした仕事」
蓮は「へー」と興味がなさそうに言った。
リオンの仕事は主に暗殺である。草間は、思い出してじろりとリオンを睨んだ。
「あー、おなか減った。眠いー。でも、なにか食べにいこー！」
蓮が大きく伸びをした。草間が煙草をくわえる。
リオンが「あ」と何かに気付いた。
「京助さんって、あのまま？」
今度は、蓮が「あ」と言った。
――ｅｎｄ
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【0086／シュライン・エマ／女／26／翻訳家＆幽霊作家＋時々草間興信所でバイト】
【1790／瀬川・蓮（せがわ・れん）／男／13／ストリートキッド（デビルサモナー）】
【3138／桐崎・明日（きりさき・めいにち）／男／17／護衛屋兼元解体師】
【3359／リオン・ベルティーニ／男／24／喫茶店店主兼国連配下暗殺者】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、蓮さま。「ずっとあなたの側に」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
プロットを曲げずに、プレイングも叶えるという変な芸当にチャレンジいたしました。
精一杯書いたつもりです。
もし皆様のご期待に添えるものが書けていたとしたら、またご参加いただければと思います。
では、次にお会いできることを願って。
瀬川・蓮さま
改めまして、はじめまして文ふやかです。いただいたプレイングはこなせましたでしょうか。今回はあまりボケる瞬間がなかったので、こんな形になりました。
ご希望に添えていれば幸いです。
ご意見がありましたら、お気軽にお寄せください。
文ふやか
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