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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


迷い子 〜 追憶の天使 〜

 鏡に映ったその人の面影は、
 ひっそりと識域下に沈んだ遠い記憶の眠りを揺らす――。

 誰ダッタカナ?
 ――思イ出セナイ‥

 でも、きっと知っている人。
 だって、心がこんなにざわめく‥‥

 会イタイ人?
 ――ソレトモ、待ッテイタ人‥?

 ああ、誰だっけ‥
 もどかしくて、切なくて

 覗き込んだ鏡面に映っているのは、
 少し気難しげに眉を顰めた自分の眸。


□■


 木を隠すのなら、森の中。
 では、人が隠れるのに良い場所は――

 明らかにキャパシティを越えて殺到した人だかりに目を向けて、葉山・天翔(はやま・たかと)はげんなりと吐息を落とす。
 申し訳程度に通気ダクトを通した窓のない室内は熱気と人いきれで蒸し暑く、淀んだ空気は心なしか酸素が薄い。――否、気がするなんて曖昧なものではなく、きっぱりはっきり息苦しかった。
 “大感謝祭”とか“在庫一掃”、“全品半額”など。来客の購買意欲を刺激する文字の羅列が高らかに謳う色鮮やかな多色刷りの呼び込みが、天井の吊り広告から壁際の宣伝ボードなど‥‥およそ目に付きそうなところに貼られている。
 いわゆる、バーゲンセールというやつだ。
 人の世界はそれなりに面白い場所だと思っている天翔であるが、こればかりはどうにもなれない。
 どん、と。
 後ろから突き飛ばされて、あやうく転びそうになる。
「ちょっと。そんなところにぼーと突っ立ってないでよ!」
「‥‥‥すまん‥」
 大量のショッピングバックを抱えた中年の女に睨みつけられ、思わず首をすくめてしまった。文句のひとつも言ってやりたいところだが、どうにもその場の雰囲気に呑まれっぱなしである。――銀髪に赤い目の美丈夫も、バーゲンセールの前には形無しといったところか。見知らぬイケメンよりも、半額のブランド・バックだ。
(‥‥だから、イヤだと言ったのに‥)
 鼻息も荒くワゴンに群がる買い物客を遠目に眺め、天翔は憮然と顔をしかめる。

 気が乗らなければ動かない。が、信条であるはずの神鬼がバーゲンに賑わうデパートにいる理由。
 もちろん、それは――


□■


 もしかして、迷子になったのかしら‥‥

 いっそう白熱するバーゲン会場を眺め、膝を抱えた葉山・壱華(はやま・いちか)は少しばかり不安げに吐息をひとつ。
 青い空にぽっかり浮かんだ色鮮やかなバルーンにつられ、兄に強請ってつれてきてもらったのは良いけれど。
 押し寄せる人の波と熱気に飲み込まれ、うっかり手を放してしまった。――あまりにも賑やかで楽しそうな会場の雰囲気に、振りほどいて駆け込んで行ったともいうけれど。
 気が付けば、ひとりぼっちになっていた。

 むかし―と、言っても8年ほど前のコトだが―。
 誰も居ない山の中で、こんな風にひとりぼっちになった。
 寂しくて、心細くて。ついでにお腹もいっぱい空いて‥‥大きな木の下に座り込んで泣いているところを久遠・樹に拾われた。
 それ以来、壱華は樹の側にいる。天翔が迎えに来てくれたけれど、樹とお別れすると思うとなんだか帰る気にはなれなくて。
 気が付けば、母親の顔も思い出せなくなっていた。――記憶になければ、それほど恋しいとも思わないのだけれど。
 それでも、仲の良さげな親子連れなんかを見ると、ちょっぴり寂しくなったりもする。
 優しくて、暖かい立派な女性だった。
 壱華が母親について尋ねると、天翔は決まってそう答える。
 天翔がそう言うなら、そうなのだろう、と。漠然と納得しているのだが、時々、物足りないと思ったり‥‥。
 ワガママを言って、天翔を困らせたくなるのはそんなときだ。人の集まるところへ無性に入って行きたくなるのは、寂しさを紛らわせるためかもしれない。
 大勢の人に囲まれて、元気と活気を分けてもらう。壱華の元気回復術だ。失敗すると、もっと寂しくなってしまうのだけれども。
 そう。例えば、今日のように――


□■


「‥‥あら、あなた。ひとりなの?」
 頭の上から降ってきた穏やかな女性の声に、壱華は顔をあげる。すっきりとした和服姿の女性が、少し顎を引くようにして壱華を覗き込んでいた。
 麻の葉模様の紗着物に、紗献上の帯をあわせた品の良さげな女性である。若くはなく、また容貌もかつては美人だったかもしれないといった程度だが、やわらかなシワの刻まれた目じりがいかにも優しそうだ。
「お家の方は一緒じゃないの?――いけませんよ。小さなお嬢さんがひとりでこんなところにいては‥」
 気遣わしげに柳眉をひそめて。
 少しもお小言に聞こえない耳辺りの良い声に、壱華は慌てて立ち上がる。なんとなく、ひとりで来たのだと思われるのはいやだった。
「あたし、ひとりじゃないよ。天翔ちゃんと一緒だよ」
 そう、と。
 小さく首を頷かせて、彼女は白い顔に安堵を浮かべてにっこりする。どこまでも優しげなその笑みに、急に心細さがこみ上げた。
「‥‥でも、天翔ちゃんどこかに行っちゃった‥」
 天翔の名誉の為に言うならば。引きとめようとした兄の手を振り解いて人垣に駆け込んだのは、壱華の方である。――天翔が聞けば目を剥きそうな訴えだが、しゅんと萎れた壱華の様子に、女はあらまぁと白い顔に憂いを浮かべた。
「それは困ったわねぇ」
 そう言って、何やら思案するように視線を大勢の人で賑わうフロアに向ける。
 どうしたものかと少し考え。それから、またその穏やかな視線を壱華に向けた。うっかり覗き込めば吸い込まれてしまいそうな綺麗に見つめられ、何だか少し気恥ずかしい。――樹とはまた違う種類の‥‥ちょっぴり切ないどきどきで、胸がいっぱいになった。
「小母さんと一緒に迷子センターに行ってみましょうか?」
 12歳にもなって、迷子。
 壱華の矜持にとっては非常に不名誉な肩書きだったが、この状況が迷子以外の何でもないことは明らかで。
 それに、この人がついて来てくれるのなら、まぁ、いいか‥。などと、子供なりの葛藤と妥協に結論を出し。
「うん」
 と、頷いて差し述べられた手を取ろうとした、その時――

 ‥‥‥ぐぅ‥

 不安から解放されたお腹の虫が、空腹を訴えた。
「‥‥‥‥‥‥‥」
 気まずい沈黙が帳を下ろす。
 慌ててお腹を隠そうとした壱華の小さな手の下で1度、目を覚ましたそれは、宿主の面子など完全無視で。――壱華のお腹の虫は飼い主と同様、とても素直で正直なのだ。

 ‥‥‥ぐぅぅぅ‥

「あ、あのね。これは‥」
 可愛い顔を耳まで朱に染めて口ごもった壱華を見下ろして、女はくすりとやわららかな笑みを落とした。
「あらあら、お腹が空いているのね?」
 ころころと銀の鈴を振るように涼やかな笑声を転がし、彼女は差し伸べた白い手をふわりと壱華の頭に乗せる。
「先に何か食べることにしましょうか」
 軽く触れられた掌のぬくもりが、なんだかふわふわくすぐったい。胸の奥が、ぽうと灯が点ったように暖かくなった。


□■


 親の心、子知らず。
 ――天翔は、壱華の親ではないけれど。

 ひとりぼっちで泣いているに違いない、と。血相を変えて捜していた幼い末妹は、フロアの片隅に設けられた喫茶ルームで嬉しそうにホットケーキを頬張っていた。
 これぞ至福といった表情に、迷子の悲哀は微塵もない。――ヘタすれば、天翔の存在も綺麗さっぱり飛んでいるだろう。
 悪意のない子供のこととはいえ、ちょっぴり落ち込みそうだ。

 まったく。
 散々、心配した人の気も知らないで‥‥

 ひとこと叱ってやろうと口を開きかけ、ふと傍らの女性に気が付いた。
 涼やかな夏着物を品良く着こなした優しげな面差しの初老の婦人。――ホットケーキを食べる勢いと同じくらい元気良くに話しをする壱華を見守る穏やかな面差しは、ふと懐かしい誰かを想わせる。
 知らない人が見れば、仲の良い家族にも見える光景。
 見る者の気持ちをふうわりと和らげるのんびりと穏やかなその場の空気に、天翔は束の間、かけるべき言葉を忘れた。


□■


「いい人だったね」
 上機嫌でそう言って、壱華はしっかり繋いだ天翔の手を前後に揺らす。
 少し年配の女性が持つ穏やかで暖かい空気に包まれ。その上、大好きなホットケーキまでご馳走になって、大満足だ。
 樹や天翔も大好きだけど。
 ――でも、あの人はちょっと違う。
 暖かい気持ちで満たされて、そのくせ何だか切なく、やもやして上手く言葉にできないけれど。それは、決して悪い感触ではなく、誰かに優しくしてあげたい気分に似ていた。

 大声で幸せだと言いたくて。

 ひとつ思いついて、壱華は天翔に訊ねる。
「‥‥あたしのお母さんって‥‥優しかった?」
 仲の良い親子連れを見るたびに、ちょっぴり感じる寂しさと不安。樹や天翔では埋められない、恋しい温もりの記憶。
「‥‥ええと‥‥どうだったかなぁ‥」
 どこか懐かしい面影を持つ女性と親しげに話す壱華が、少しだけ羨ましかったとは言えなくて。
 曖昧に言葉を返し、天翔はうっすらと白く雲を刷いた空を見上げた。


=おわり=

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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☆1619/葉山・壱華/女性/12歳/子鬼
☆2792/葉山・天翔/男性/975歳/神鬼


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■         ライター通信          
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 おまたせしました。
「追憶の天使」初の複数PCの描写となりましたが、如何でしたでしょうか。おふたりはご兄妹でいらっしゃるのですね。
 鬼のお母さんはやっぱり角があるのでしょうか? 優しい笑顔、でも頭には角。にっこり怒ってるように見えるのかしら‥‥それはちょっと怖いな‥などと、書きながら余計な妄想を膨らましておりました。
 そういうどうでも良いことを考えるのは大好きです(ぉぃ)。
 子供にとって母親は神にも等しい存在だそうですが‥‥この後、おふたりがちょっぴりホームシックにかかってくださったりするとライターとしては密かにほくそ笑むことができるのですが――。
21/Jun/04 津田 茜