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呪いの招魂
空には暗雲。
湿気を伴った重苦しい風に揺れる木々が、人の焦燥を煽るかのようざわめいている。
――びょう。
と、ひときわ強い風が、空を臨むポプラの樹を大きく揺らした。
学び舎を見守り続ける背高の樹を、さらに上から二つの瞳が見下ろしている。
『ふふ…うふふふふ……』
密やかな笑い声がざわめきに紛れ、風に掻き消えた。
0と1の海を渡ったメールを受け取ったセレスティ・カーニンガムが、自らの活動の拠点と言っても過言ではない日本の別邸に二人の少女を招き入れたのは数日前の事である。
屋敷に招致した二人の少女のうち、一人目は瀬名・雫。不可思議な事象に関しては、驚くべき量の情報を保持する少女である。過去いくつかの事件で面識があるセレスティに、雫は一つの相談事を持ち込んだのだった。
それは残る二人目の少女、森野・京子が関わっている。無論…、雫が一枚噛んでいる以上、不可思議な事が起こっているのは間違いだろう。
「それで、何があったのですか?」
応接室で対面したセレスティは手短に挨拶を終えると、ゆっくりと穏やかな表情で訊ねる。端正な顔に浮かぶ笑みと心にすら染み入るような声音は、屋敷についてから、いや、おそらくはそれ以前からずっと、堅くこわばった表情をしたままの京子の緊張を解いたようだった。
京子は、隣に座る雫の顔をうかがってからぽつりと語り始めた。
「高校のクラスメイトが屋上から飛び降りたんです…」
数日前に起こった事件であろうか。
少女の自殺の理由がいじめを苦にしたものであったという事を思い出し、気取られない程度ではあったが、セレスティは僅かに眉を顰めた。
「ご友人だったのですか?」
果たして京子自身が、被害者であるのか。加害者であるのか。『クラスメイト』という表現に引っ掛かりを覚えたセレスティは、質問を投げた。
セレスティの質問に、京子はうつもいたまま小さく何度も頭を振る。
では…、加害者か…。暗澹とした気持ちになりかけたセレスティに向かって京子は言葉を続けた。
「友達と…いえる程仲良くはありませんでした…。
ただ…、彼女が…クラスの他の子にいじめられているのは…知っていました」
ならば、傍観者という事か。
だとするのであれば、果たして京子がどのように少女の自殺に関わっているのかが分からず、セレスティは小さく首をかしげて細長い指で自分の掌をトントンと叩いた。
「…わ、たし…私、怖くて。
もし、自分がいじめられたらと思ったら…。
……それで、だから、ずっと…見ない振りをしていたんです…」
徐々に、京子の言葉に交じり始める嗚咽。ぽたり…と膝の上で握りしめたこぶしの上に水滴が落ちる。
それは…仕方ない事ではあるまいか。人間、誰であれ自分の身が可愛い。自己防衛は当然であろう。
身を呈して誰かをかばうというのは、ひどく勇気がいる事だ。その行為を誉めこそはすれ、それが出来なかった人間を責めるのは筋違いというものだ。
「メールが…メールが入って。
なんか、様子がおかしくて…だから、学校の屋上まで…」
そこまで言うと京子の言葉は震え、泣き声へと変わる。それまで、隣で京子の話を見守っていた雫は、京子の肩にそっと手を沿え、続くはずの話を京子に代わり話始める。
「呼び出された先では、その子が待っていた…。
何で助けてくれなかったのか。気遣う事すらせずに、無視をした。
貴方がにくくてしょうがない。だから、私を殺した罪悪感を味わって欲しい。
それだけ伝えると、制止も聞かずに…飛び降りた」
唖然。その支離滅裂なまでの行為。
それほどまでに、少女は視野が狭くなっていたという事か。
「その後から、京子ちゃんのところにメールが届くようになった」
そっと雫が促すと、手で涙をぬぐった京子はかばんの中からかわいらしいストラップのついた携帯電話を取り出す。慣れた手つきで操作すると画面に、メールを表示させた。
『あなたのせいで死にました。』
『死ね。死ね死ね死ね死ね死ね!』
メール本文や件名は、一通ごとに違う。けれど、共通点が一つ。
それは、送信者に表示された名。そこには、女性の名前が表示されている。
「彼女からのメール。死んだ子から、メールが届いてるの」
雫はセレスティをまっすぐに見つめ、きっぱりと言い放った。
二人の少女が帰途へとついた後、セレスティは早速調査を開始した。
とはいえ、自ら動くのではない。常人に比べて極めて弱い視力。ステッキなしでは歩行すら困難な足は、実地調査には向かない。
しかし、セレスティにはそれを補って余りある手足がある。
『申し訳ないのですが、次のことを調べてください』
到底、部下への命令とは思えない口調でセレスティは、調査を依頼する。メールの発信元、故人である少女の実家、死亡現場と死因について。
そう時間がかかる事もなく、情報は手に入るだろう。
セレスティは、車椅子の背もたれに身を預けるとふぅと小さく息をつき、目元を押さえる。
疲れたのではない。圧倒されたというべきか。
京子の携帯を受け取った時に感じた負の気配。じっとりと絡みつくような怨嗟。
いままでに人間の負の感情を見続けたセレスティでさえこの有様だ。いまだ二十歳にも満たない少女、いや…子供とすら言える存在にとってあのメールが果たしてどれほどの影響をもたらすか。
…このままでは、壊れてしまうだろう。
セレスティには危惧があった。
携帯ごと預かる事が出来ればよかったのだが、京子はそれを固辞した。友人からの連絡が入るからと。
友人であれば、その旨を伝えればいいだけの話だと思うのだが、京子にとってはそうではないらしい。
言ってしまえば、京子の『友人関係』というのはメールというか細い物に頼った物であるという事だろう。で、あるからこそ、いじめられる少女を助ける事が出来なかったのだ。
しかし、故人である少女ともメールのやりとりをしていたというのであれば…、果たして友人と知人の線引きはどこなのか。
曖昧な関係にセレスティは小さく首をかしげた。
電話は鳴らない。
いまだ京子の元にメールは届いている。しかし、そのメールに返信する事は出来ない。電話をしても通じない。何故ならすでに、電話は解約されているからだ。
誰かが少女の名を騙っているのかとも思われたが、調べるにつれそれもまた違った。
やはりメールは、少女の携帯電話から発信されているのだ。本来は存在しないはずの発信先から。
「電波と霊波は似ているとはいいますが…、彼岸からの手紙ですか」
最悪の事態といっていい。もし、少女の名を騙る者がいたなら事は簡単だったのだ。それを突き止め止めさせれば済む話。けれど、存在しない者から届くメールを止める術はない。
京子が日に日に憔悴しているのは、誰の目にも明らかだ。昼夜問わずに度重なるメール。陰惨さを増した内容。
それでも、京子は携帯を手放さない。少女のメールに混じって届く、『友人』からのメールを待つために。
しかし、セレスティの頭には一つの問題が引っかかっていた。
『果たして、森野京子はそこまでうらまれる理由があるのか』
京子はただの傍観者にしか過ぎない。怨むのであれば、いじめの当事者をこそ怨むべきであろう。しかし、その当事者達には何のメールも届いていないというのだ。
少女がメールアドレスや電話番号を知らなかったというとそうではない。少女の下には度々メールが入っていたのだ。いやがらせの、あるいは金を持ってこいというメールが。
だからこそ、知らないはずがない。けれど、そちらにはメールの一通も届いていない。
分からない事が多すぎる。
ふうと溜息をつき、セレスティは次の報告書に手を伸ばした。
『…京子ちゃんが!!京子ちゃんが!!』
日曜の早朝、異変を告げる電話がけたたましくセレスティの屋敷に響き渡る。
家令を通して取り次がれた電話の向こうで、雫が明らかに動揺しているのが分かった。
「森野嬢が、どうかしたのですか?」
まずは雫が落ち着くようにと、セレスティは訊ねた。あくまで静かな声音は、波立った雫の心を水面のように穏やかにする。
『京子ちゃんが、携帯を置いていなくなっちゃったの。
「高校の屋上で森野さんのことをまってます」ってメールが…』
呼び出されたという事か。
高校の屋上。それは、京子と少女の母校である事は間違いない。なぜなら、二人の母校であると同時に…少女が命を絶ったまさにその場所に他ならない。
「分かりました…。私もこれから、学校へ向かいます。
そこで合流いたしましょう」
極めて冷静な口調ではあったが、内心セレスティは急いていた。
あれほどまでに携帯電話に固執していた京子が、携帯を置いていった。
果たしてメールに疲弊してしまったのか。あるいは他の理由で携帯を手放す事にしたのか。どちらにしろ、あまりよい状況とは考えられない。
急がなくては…と小さく呟いたセレスティは、めったに上げない大きな声で車を出すよう指示をした。
カツン。カツンと、冷たい音が響き渡る。
日曜の早朝。人気の少ない校舎の中を、京子は一人歩いていた。
いつもであれば、廊下には人が溢れ、うるさい校舎の中は、驚くほど静かだ。授業中の静けさとは違う。授業中の廊下でさえ、教室から漏れるざわめきに溢れていた。
『…ひとりだ』
ふと、京子の心に寂しさが去来する。
よく知っていると思っていたはずの校舎ですら、日曜には別の一面を見せる。学校生活の中で見えるものなど、ほんの一面に過ぎない。
校舎だけではない。
そう…校舎だけではない。そこにいる人間に関してもまた同じ。
授業のない週末に、一緒に遊んだクラスメイトがどれだけいるのか。メールのやりとりはあるが、『友人』と呼ぶべき人間は誰なのだろう。
メールの事も相談してみたが、最初こそ『気持ち悪い』『大丈夫?』等の反応はあったが、すでに今となっては誰もまともには対応してくれやしない。
疲れてしまった。
救いのメールは届かない。届くのは、地獄からのメールだ。
おそらくは自分と同じ状況に追い詰められ命を絶ったのであろう少女からの。
『もう、…いい』
もうどうでもいい。すでに京子は疲れてしまっていた。
ざわざわと樹がざわめいている。どこか生暖かい風が纏わりつく。
「来てくれたんだね。森野さん」
屋上にたどり着いた京子を、音を感じさせない声が迎えた。
きょろきょろと周りを京子が周りを見回すと、緑色のフェンスの向こうで微笑む一人の少女。
身にまとうは制服。普段京子が着ているものとまったく同じ物だ。それも当然。何故なら少女は京子のクラスメートだった存在なのだから。
「……ごめんなさい…」
「ふふ。謝るの?今更?
自分がかわいかったんだから仕方ないよね。私を見捨てても。
でもね、謝ってもダメ。許してなんか上げない」
少女は京子へと手を伸ばし、一歩足を勧めた。と、スカートの裾が翻る。しかし、それは風のせいではない。
彼女は、地上の風などに影響を受けはしない。まさに今、京子との間を隔てていたはずの格子状に編まれた緑色の古びたフェンスすらすり抜けたのだから。
「悲しかったの。森野さん無視をするのだもの。
だから、…あの人たちより憎かった。
だって……」
『だって、友達だと思っていたのに』
少女の言葉の途中から、男の声が重なる。
軋みを上げる重たいドアを開けて、セレスティと雫が姿を現す。バリアフリー等という言葉からは程遠い学校施設であるがゆえに、セレスティは合流した雫の手を借りて屋上まで上ってきたのだ。
「友達だと思っていたから、無視されたことが悲しかったのですよね」
違いますかとと続けるセレスティに少女は柳眉を逆立てる。
「あなた、誰?
私は森野さんと話をしているの」
「…森野さん、彼女はあなたを友達だと思っていたのです。
ただのクラスメートではなく…」
京子に告げるセレスティの声には悲哀の色が滲んでいる。なぜなら、そこには悲しい認識の齟齬があったからだ。
少女とその実家に関する調査書でセレスティは、知った。少女が、少女の家族が京子を『いじめの加害者の一人』でも『ただのクラスメイト』でもなく、『友人』と考えているという事に。
だからこそ、最後に京子に『屋上に来て』というメールを送ったのだと。
「あなたたちは、同じ『グループ』にいたそうですね。
お昼ごはんや遠足等の『グループ』は同じだったと聞きました」
少女達特有の感覚であろう。少女達はグループを作る。そして、学校内のイベントはほぼ『グループ』で行動するのだ。それにはどこか階級もあり、同じクラスの中でもどこか上位に立ったグループと下位になるグループがある。上位のグループからはじかれたものは下位のグループに入るか、あるいはひとりとなる。
グループの中全体が仲がいいかといえばそうでもなく、特に親しい人とそうでない人に分かれたりするのだ。
そして…、学校からの行き帰りに遊びはするが、週末に遊ぶ事などない者も多い。あくまで学校を起点にした『仲間関係』なのだろう。
「友達と思っていたから、助けてくれる、相談に乗ってくれる人だと思っていたから
見てみぬ振りをされ、傍観者となった事で裏切られたと感じた。」
それは、元から大して親しくもなかった加害者達の態度より、少女にはひどいものに感じられた。だからこそ、少女は京子に憎しみを感じたのだ。
京子はセレスティの言葉に、ごめんなさい。と何度も呟く。
「………ど、ういうこと?ねえ、森野さんどういうこと!?
友達じゃ…なかったの?だから、助けてくれなかったの!?
だって、メールで『なんでも相談に乗るよ!』っていってくれたじゃない!!!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「ひどい…ひどい!!」
少女の顔が醜いまでに歪む。緩やかに流れる黒髪が、言葉に合わせてうねり始める。
「…お待ちなさい」
今にも京子に向かい呪いの言葉を吐き出しそうであった少女をセレスティがやんわりと制する。
「彼女はあなたを助けようとしたではないですか…。気付きませんでしたか?」
「………」
「もぉ、一ヶ月も前になるのでしょうか。
その時もあなたはここに、森野さんを呼び出した。そうですよね?
無視をしていたはずの、何も考えなかった人間が
メールの呼び出しに応じると思いますか?」
「集団に、自分の意思を示す事はとても難しい。
矛先が自分に向かう事すらあるのですから…。
あなたは、森野さんと友達だったから、
だから彼女が身を挺して自分を庇うべきだったというのですか?」
セレスティは明確に物を捉えられない瞳で、けれど必死で少女の感情を読み取ろうとまっすぐに見つめた。
「おそらく…、それは最初で最後の機会だったはずです。
でも、あなたはすでに怨みにとらわれそれを見過ごしてしまった」
ねっとりと粘りつくような風が、重い沈黙に包まれた一同の髪を煽る。
京子も、少女も言葉をつむぐ事はない。
「…あなたたちは、互いに自分しか見える事が出来なかったのではないでしょうか…。
もう、止めませんか?
それに…、森野さんはあなたの事を忘れないでしょう。
このまま、あなたの感情のままに森野さんを殺しあなたの事が忘れ去られるより、
あなたがいたという事を忘れないでいてくれる。
その方が、ずっと幸せではないでしょうか」
「でも…、ここは淋しい…。このままなんて…」
「みな、遅からずそこにたどり着くでしょう。ならば、少し待ってみてはいかがですか。 100年なんて、ほんの一瞬です。
それに、自分の存在が忘れられること程悲しい事はありません。」
セレスティの諭すような声に少女はこくりとうなづく。
光が見えますか、もし見えるならばそこに向かっていってください。セレスティが告げると、少女はそっと瞳を閉じた。
ゆらりと少女の姿が揺らぎ始める。
「ま…待って!!
ごめんなさい。ごめんね」
消え行く少女に駆け寄ると、京子はそっと手を差し伸べる。しかし、京子の手は実体を伴わない少女の手をすり抜けた。
少女は京子に向かって被りを振ると、少女の口が動く。音にこそならなかったが、それがありがとうと告げていることは見て取れた。
そっと京子の手に少女の手が重なる。
次の瞬間、少女の姿は屋上から消える。と、同時に雫が持っていた京子の携帯が小さくなった。
それから数日後。
雫から入った連絡では、京子はわずかずつではあったが気力を取り戻しているようだとの事だった。
さすがにすぐに立ち直る事は出来ない。
けれど、ゆっくり時間をかけて京子は以前の生活に戻るだろう。
『ありがとう。それからごめんなさい。
…本当の友達になりたかった。
それだけが残念です』
最後に、最期に受け取った少女からのメールにはそう書かれていたという。
京子は、そのメールに返信をした。不思議な事に、今まですべて不着で帰ってきていたメールが、ただその一回だけは戻ってくる事がなかったらしい。
そのメールは、少女に届いただろう。いや、届いたはずだ。セレスティはそう確信している。
◇◆◇ライター通信◇◆◇
*セレスティ・カーニンガム様
この度は大幅に遅延してしまい、誠に申し訳ありませんでした。
失態をどのようにお詫びすればよいか…。
申し開きのしようもございません。
再度お詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。
今回はシナリオノベルという事で、このように相成りました。
実はもう一つの真相を用意してみたのですが、シナリオノベルの性質で書く事が出来ず…。
ご興味があるようでしたら、もう一つの真相の方もお知らせいたしますね。
では、この度はご不快にさせてしまい申し訳ありませんでした。
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