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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


ずっとあなたの側に


 ――プロローグ


 まず首を絞めた。
 白い首を絞めた。ぎゅう、ぎゅうと力を込める。なにが起こっているのかわからなかった。
 ただおれはこの首を絞めなければならない。この真っ白い顔をした若い女を絞め殺さねばならない。くそうと、口の中で呟いたが誰も聞いていない。もしかしたら、誰か聞いているのではないか。
 もしかしたら? 辺りを見回す。あり得ない、ここはおれの家のベランダではないか。女はもう息絶えている。ああ、また死体になった。死体は隠して捨てなければならない。なぜ、人は死ぬと死体になどなるのだろう。こんなに邪魔なモノになるのか。

 そしてまた今日、死体が一体。妙子の死体が一体ある。この妙子の死体をおれは風呂場へ持ち込んで、手足をもいで首を落とし胴体を切り刻んだ。これでもう二度と死体になどなれないだろう。どうして、切り刻まれたものがまた元の人間の形に戻れるというのだ。
 おれは、はははと笑った。おかしくなり、大きな声で笑った。笑いは風呂場のすみずみまでいき渡り、おれは自分の哄笑に酔いながら妙子の部品をゴミ袋へ捨てた。そしてゴミ収集車へ出してやった。ははは、ああおかしい。死体はもう戻ってこない。

 そうしてまた今日、妙子の死体が一体ある。それも、おれの切り刻んでやった全ての物を繋ぎ合わせた状態できれいな死体が転がっている。おれは、死体を見て今度こそこの死体をなくならせなければと強く決意した。
 おれは妙子の死体を風呂場でまた切り刻み、頭は大鍋を買ってきて中へ沈め他の部分は鉄板へ載せてじゅうじゅう焼いた。草が焼けるような匂いがした。肉は驚くほど早くに焼け、おれはそれを食らった。
 おれは妙子を食らった。
 肉も目も髪の毛も、骨までもおれは食らった。食っているうちに、突き上げてくるような嘔吐感に襲われたがおれは食べた。食らってしまえば、食らってしまえば妙子はもうどこにもいなくなるのだ。もう妙子はおれの元へなど戻ってこれないのだ。妙子はこれで死ぬのだ。死んでしまえ、おれの糞になってしまえ。

 また今日、妙子の死体があった。
 途方に暮れたおれは、もう見なかったフリをして死体の横でコーヒーを飲み始めた。妙子は笑いながらおれを眺めている。おれのコーヒーを持つ手が震えている。妙子が戻ってくる、妙子が帰ってくる。妙子が、また殺されるためにくる。
 これはまさに、怪奇現象だ。
 『怪奇探偵またお手柄』
 おれの目に怪奇と共に飛び込んできた男は、若作りの眼鏡をかけた男だった。草間武彦……怪奇探偵だ。
 おれは妙子を横目で見た。妙子は、ニタリと口許を笑わせたように見えた。
 
 
 ――エピソード
 
 怪奇探偵事務所は、大盛況だった。
 もっとも、ほとんどが雨宿りで訪れたのだけれど。
 そういうわけで、草間探偵はイライラしていた。草間という男は人口密度が高くなると、不快感を現すのだ。現したところで、なにかあるわけではない。
 零とシュライン・エマが談笑しながらお茶を淹れてくる。
 探偵事務所はやわらかい紅茶の香りで満たされる。そこにいる草間を除外した三人の男が、お茶を盆に載せたシュラインを見た。
「お手数お掛けします」
 と桐崎・明日がシュラインを労う。草間に対しては、どちらかいうとそっけない男だが、シュラインに対しては明日はとても好意的だ。シュラインに限らず、女性には紳士的なのだろうか。
 明日は薄暗い蛍光灯の光を銀色の瞳に反射させて、儀礼的に笑んだ。
「わーい、紅茶? なにアッサム?」
「アールグレイよ。嫌いな人がいないといいけど」
 明日の隣にちょこんと納まっていた瀬川・蓮が満面の笑顔で、手を叩く。シュラインが小さな子供に向けるような優しいまなざしで蓮へ微笑んだ。
 蓮は金色の髪をした黒い瞳の少年だった。もう、十二にはなっただろうか。草間は子供が苦手だったので、例外はなく蓮も苦手だった。特に理由があるわけではない。ある種のワガママが、少し手に余るという感じだ。
 明日と蓮はまだ少年と言える年齢の並びだった。その前の席に、白衣をまといバンダナで頭を覆ったリオン・ベルティーニが座っている。リオンは二十半ばに届く男だ。
 零がクッキーを持ってやってきたのに、ニコリと笑って迎えた。
「こんな日も仕事なんて難儀だねえ」
「そんなことないですよ」
 零が答える。リオンは「そうなんだ」と和やかに答えて安物のソファーで姿勢を正した。
 
 
 草間が思いつく。
 さっきの依頼人の元へ誰かを連れて行ったら、早急に事件は解決するかもしれない。むしろ、自分が動かずに解決、依頼料はイタダキという一石二鳥な考えだった。
「マンション最上階に立つ幽霊に興味がある人」
 シュラインは草間の言葉に苦笑した。草間の意図が伝わったのだろう。少し申し訳なさそうに全員を見渡す。
 
 
 明日が皿に載った甘い食べ物に手を伸ばした。
 シュラインは暇そうな男共を見渡した。そろいも揃って、この冴えない興信所で暇つぶしとはいかにも暇そうだった。
「幽霊?」
 明日が聞き返す。明日も蓮も特殊能力者だ。今話題の、幽霊退治をしてもらうには適任だと思う。
 明日の隣で蓮もクッキーをもごもご食べていた。リオンは、どさりとソファーに横になり寝てしまおうとしている。
 草間は明日の問いに答えた。
「幽霊をなんとかしてくれって依頼でなあ。ほれ、俺はそういう勘があるわけじゃないからな」
 怪奇探偵は、霊感がない。どちらかというと、肉体派で現実頭脳派なのだ。
 ……それは本人談だが、この頭脳派という言葉には異を唱えたい。と、最近シュラインは常々思っている。
 護衛を生業にしている明日は、素早く訊いた。
「報酬は?」
「パーラー鈴木のサースウィンドパフェ」
「のろう」
 シュラインは申し訳なくなって言った。
「いいの? なんだか、依頼人は胡散臭そうな人だったし、あまり関わらない方がいいわよ」
 草間が余計なことを言うなとシュラインを睨んだ。
 シュラインは、少し頬を膨らませて草間をちくりと見やった。
 明日は含み笑いをして答えた。
「だって、シュラインさんも行くんでしょう?」
「ええ……一応」
「じゃあ、俺みたいなのがついてった方が護衛にもなっていいでしょう」
 シュラインは草間を横目にしながら笑った。
「武彦さんよりは、全然頼りになるものね」
 草間が不服そうに呟く。
「なんだと」
「事実なんだからしょうがないですよ」
 明日が素っ気無く言うと、草間は頭をガリガリとかいた。
 
 
「依頼人の名前は横山哲史、IT企業に勤務している。歳は三十ニ歳。相当な高給取りらしい。前金に十万も置いていったんだ。だから、俺は怪奇現象でも仕方ないから捜査しようってことになって……」
 シュラインが後を継いだ。
「状況は簡単なの。横山さんの住む、マンションのベランダに毎晩女の幽霊が立つってこと。住まいはマンションの最上階。住んでいるマンションは地上三十階建ての高層高級マンションだ。最上階だから、まさか誰かが上っているとは思えないわ」
 明日はふうんと鼻で言い、銀色の瞳を伏せた。
「その、横山って人は調べたんですか?」
 先ほどまでの雨は嘘のように晴れ渡っていた。時はもう夕方だった。オレンジよりイエローよりの光が、三人を照らしている。
 明日はグレーのTシャツにジーンズ姿だった。シュラインは白地に青いストライプの入った襟のシャツを着ている。草間は黒いシャツに麻のジャケットを羽織っていた。
 東京の地理は車に適していない。草間はそういう持論を持っている。だから、横山の家へ向かうときも電車と徒歩だった。最寄り駅から横山宅までは、五分ほどだと聞いている。横山の書いた地図を片手に持っていた。
 シュラインはすべらかに明日へ答えた。
「横山さんは特に変わったところのない人みたいね。強いてあげるなら、六年前婚約者が失踪していること。捜索願はお兄さんが出しているわ。失踪者は上杉妙子さん、お兄さんは上杉京助さん。その京助さんと一緒に、横山さんは捜索活動をしていたけれど、努力は実らず妙子さんは行方知れずの状態なの」
 明日は一瞬頭を巡らせた。
「部屋に関してはどうです?」
 今度は草間が答える。
「そっちは、さっぱりだ。前の部屋主は何もなかったと言っている。この辺りで、死人の出る事故があったとも聞かないし」
 横山のマンションは大きかった。三人は呆気に取られたようにマンションを見上げていた。
 明日がまた訊く。
「幽霊はどういうのなんでしょう?」
 ロビーの中へ入った。草間はルームナンバーを押した。シュラインは声を潜めて訝しげに言った。
「変なのよ。毎回、幽霊について聞くたびに少しずつ話が変わるの。なんていうのかしら。まるで、嘘をついているみたいに。正確なのは、現れる時刻が夜中の十二時ごろだってことだけね」
 自動ドアが開いた。草間は二人を促して中へ入っていく。すぐにエレベーターがあった。エレベーターの上を押すと、止まっていたエレベーターのドアが開いた。草間は中に入ってから呟いた。
「嘘っぽい。けど、どうして金を積んでまで嘘をつかなきゃならない」
 シュラインが「そうなのよね」と同意する。
 明日は顎に手を当てて考えているようだった。けれど、エレベーターはすぐに目的地に着いて止まった。
 外へ出ると、見渡せる廊下の端に横山が立っていた。
 髪は少し乱れているものの、どちらかと言えばいい男の部類に入るだろう。目の下に隈が刻まれている。相当幽霊とやらに参っているようだ。
 草間は、明日の身体を肘でつついて訊いた。
「なにか感じないか、霊がいるとか」
「狂ってはいないと思います」
 草間はそうかと引き下がった。横山が近付いてくる。
 明日は小さな声で、シュラインにだけ言った。
「あ、あの人は狂ってますよ」
「狂ってる?」
「バランスが悪いってことです。幽霊が見えるのには、あの人にも問題があるってこと」
 シュラインは美人の顔を少し歪めて考え込む。
 聞いていた草間が二人を短く呼んだ。
「バカ、依頼人を告発するな」
 横山は自室へ案内する為に三人から離れたところだった。
 草間は横山に続いた。三畳ほどの大きく近代的な玄関に出迎えられ、長いフローリングの廊下を歩く。着いた先は大きなリビングで、ベランダに続く大きな窓が付いていた。
 草間は多くの建物を見渡せる景色に、思わずその窓へと近寄って感嘆詞を洩らした。
「いい景色ですねえ」
 そして振り返ると、キッチンへ入っている横山が苦々しく言った。
「そこですよ」
 言われた草間はまじまじとベランダを眺めた。「そこ」と言われても何もない。
 シュラインが隣へやってきて、同じようにベランダを観察している。シュラインは草間を見上げ、首をかすかに振った。
 明日がゆっくりとベランダへ寄る。明日はなんとなく、変な顔をした。
「……なんだ、なにかあったのか」
 草間が思わず問うと、明日は小刻みに首を振った。
「まあ、思念はありますが」
「あるんじゃないか」
「違いますよ。例えば、誰かが酔っ払ってぶつかった電信柱にだって、「この野郎」っていう思念は残るわけです。だから、街のどこにでもそんなものあるんですよ」
 シュラインが納得した声で言う。
「そういうことね……」
 草間は悔しそうに口をへしゃげた。
「ちぇ」
 そこへ後ろから横山に声をかけられる。
「ソファーへどうぞ。コーヒーでよかったですか」
「お構いなく」
 横山と草間のやりとりは、なんだか形式じみていて場にそぐわない感じがした。
 
 
 草間はコーヒーに口をつけてから訊いた。
「たしか、同じ時刻に幽霊は現れるんですよね」
「ええ、夜中の十二時に」
 草間は隣に座っている明日に尋ねた。
「幽霊に会えば、どうにかできるか」
「できますよ。確実に」
 明日が答える。
 横山が渋顔をしていた。二人のやり取りを聞いていたシュラインが、草間の言葉を代弁した。
「そういうわけなので、私達は幽霊に会わなくてはなりません」
「……そんなあ。私を祓うとか、部屋を祓うとかじゃダメなんですか」
 横山が力の抜けた声で抗議した。草間はコホン、ともっともらしく咳払いをした。
「私は探偵ですから。お祓い屋じゃあ、ないんです」
 ガラステーブルには四つのコーヒーカップが置いてある。
 横山はあれやこれやと言い訳をして、末は依頼を取り消すようなことを言い出した。シュラインと草間が顔を見合わせる。前金についてはお返し願わなくて結構と言われたので、二人に不利益はない。
 けれど、明日がゆっくりと口を開いた。
「今やらないと、祟られて死にますよ」
 横山はその一言に蒼白になり、うつむいた。
 
 
 横山がトイレに立つと、明日がぽつりと言った。
「妙子さん、死んでると思います」
 シュラインと草間がコーヒーを噴出しそうになっている。明日は構わず続けた。
「どうしましょう、俺は妙子さんが気の毒だから思いを遂げさせてあげたいんだけど」
「……依頼人が人殺し?」
 シュラインが眉根を寄せて言う。明日がこくりとうなずく。
「ただ、幽霊は人為的に作られたものです」
「そんなことできるの?」
「できますよ。殺した犯人には負い目があるわけだから、付け込むことは簡単でしょうね」
 シュラインがコーヒーカップを置いて提案する。
「殺人犯なら警察へ連れて行くしかないわ。どうやって殺ったのか聞き出して、連れて行きましょう」
 明日が不服そうに口を曲げる。
「それじゃあ、妙子さんはどうなるんです?」
「……だって、人為的なものってことは、妙子さんの意志じゃないかもしれないんでしょ」
 二人の言い合いに、草間が割って入った。
「ともかく。十二時を待って、コトが起きたらそちらを解決する。それから、横山さんに事情を聞いて、必要とあらば警察へ突き出す。だな?」
 二人とも少々納得のいかない顔だったが、渋々うなずいた。
 トイレから戻って来た横山は、青い顔のまま草間に訊いた。
「死体を見つけると、罪になりますか」
 草間はぎくりと身体を強張らせてから、冷静を装った風に答えた。
「発見者は、罪にはなりませんね」
 横山は、少し安堵の表情を浮かべた。
 
 
 時計はもうそろそろ十二時を指す頃合いだった。
 テレビがついている。だが、誰も見ていなかった。深夜の連続ドラマが、ヤイヤイギャーギャーと騒音を立てているが、誰も耳を貸さない。誰もが、時計とベランダを見比べている。
 ドサリ、とベランダに何かが落ちる。音はあまり大きくなかった。一瞬、テレビの雑音に紛れて、聞き逃す程度だった。ベランダにはそれ以外異変がない。
 シュラインは横山を見た。
 横山が腰を上げる。それから、キッチンまで勢いよく後退する。横山は錯乱した様子で、声を荒げた。
「し、死体。また、妙子の死体!」
 三人は顔を見合わせた。
 全員一斉に立ち上がって、ベランダまで歩いて行く。シュラインはベランダを開けて、そっと落ちてきたものに触った。カサカサしている。
 横山が幽霊だとごまかしたのは、このことだったのだ。
 草間はわからない顔で立っているだけだったが、シュラインは素早く上を見た。それから、落ちてきたものに触っている明日と草間に言った。
「上から落ちて来たわね」
「そうですね。上へ行ってみましょう」
 シュラインと明日が合点する。素早く動き出した二人の後を追うようにして、シュライン達は全員靴を履き外へ出た。
「た、妙子」
 という横山の呟きが、耳に残っていた。
 全員が見たカサカサしたものとは、子供ほどもある藁人形だった。頭の部分に、鋲で上杉妙子と書いた札が貼ってあった。
 シュラインが明日へ訊く。
「あんなものが、死体に見えるものなの」
「横山が狂っていたのは、そこなんでしょうね。上杉妙子さんと関係のない俺達が見ればただの藁人形、関係している誰かが見れば上杉妙子さんの姿に見える。殺した横山にいたっては、死体に見える。術者は藁人形に上杉妙子という名前を与えただけにすぎません。
 それにしても、妙子さんは殺されたと思っていないか、横山を恨んでいないようですね」
 非常口の階段の前で三人で立ち止まる。
「藁人形の意識には、二つの意識が混在していました。
『いつも一緒にいられて幸せです。殺しやがって許さない。あなたに幸せになって欲しいです。のうのうと暮らさせてやるものか。もう私達は離れません。妙子をかえせ。ずっとあなたの側に』
 一言ごとに妙子さん、術者の順の想いです。『妙子をかえせ』とあるように、これはやはり術者の念だと思う。そこで、術者を思い付くには、妙子さんを捜索していたもう一人の人物」
「上杉京助」
 シュラインが呟いた。
 草間がポケットを探ってシュラインへ小さな機械を手渡す。
「なに? これ、武彦さん」
「盗聴器だ。ソファーの隙間にあった」
 明日が捕捉する。
「つまり、京助さんは横山の苦しむ姿を確認する為に家の中に盗聴器を仕掛けたってことですね」
 明日は躊躇いなく屋上へ上って行った。
 草間はシュラインにここへ残るように言い、階段を上りだした。けれど、シュラインは引くことなく草間について階段を上った。


 凛とした声が響いた。
「動くな、明日」
 シュラインの位置から明日の位置は見えない。草間の影だけが見える。
「動くな、武彦」
 盗聴器で、シュライン達の名前を知ったのだろう。陰陽師の知り合いがいる。シュラインは、似たような術を見たことがあった。動くなと言われると、動けなくなってしまう。聞かないために、耳を塞いでも無駄だろうか。
 無駄云々ではない。今、草間はおそらく身動きを封じられているのだ。
 シュラインは意を決して屋上へ飛び出した。
 湿気の含んだ風が、びゅうと肌を撫でていく。髪があおられた。それでも、今は髪型を気にしている場合ではない。
「動くな、シュライン」
 言われた瞬間に、身体に芯が出来たように動けなくなる。
 カツリカツリ、月明かりに照らされた白いシャツの男が、三人の元へ近付いてくる。
 左から、草間、明日、シュラインの順番に止まっていた。黒いズボンを穿いた京助と思われる男は、悲しそうに言った。
「どうして、邪魔をする」
 誰も、答えられない。
 うう、と草間が声を洩らした。シュラインは逡巡した。絶体絶命なのだろうか。京助という男は、シュライン達をどうしようというのだろう。
 明日は術を破れないのだろうか。シュラインは固まったまま、屋上を吹く風に髪をさらわれていた。
「俺は妙子の無念を晴らそうとしているだけだ、邪魔者は消す」


 草間は思い至った。
 この男の術が、意識に働きかけるものであるのならば、意識を他に向ければよいのではないか。
 京助は草間、明日、シュラインの順に巡って行き、ゆっくりと語った。
「横山は妙子の婚約者だった。どうして妙子を殺したのかはわからない。ただ、横山は俺に嘘を言っていた。失踪当日、妙子には会っていないと言った。それは嘘だった。少し調べればわかった。それなのに、横山はいけしゃあしゃあと捜索活動に手を貸したりする。
 横山が妙子を殺したのだと俺が気が付くのに時間はかからなかった。だが、警察へ行くのは口惜しい。どうにかして、あの男に一生償わせなくちゃならない」
 かすかに口が動く、カツンと歯が当たる。噛み締める。舌をゆっくりと、噛む。痛みが伝わってくる。じわり、じわりと噛み締める。
 京助の長い独白の間中、草間は舌を噛んでいた。血の味が滲んできていた。そのうちにグラリと、身体が揺らいで、草間は足を動かした。踏みしめたコンクリート。たしかに、身体が動く。
 京助は気付いていないのか、話の最後を結んだ。
「申し訳ないが、先に妙子の元へ行ってもらう」
 シュラインへ手が伸びる。草間の目に、シュラインの白い首元が飛び込む。その首へ、京助の手が伸びようとしている。右足を軸にして、京助が振り返るのと同時に駆け出した。
 名前を呼ばれる前に。名前を呼ばれる前に。
 肩を左手で掴み、右手を振り上げて京助の右頬を殴る。全体重をかけたものだから、草間と京助は重なって転がった。
 シュラインが短く叫ぶ。
「武彦さん」
「明日」
 草間は明日を呼んだ。明日が、草間の横へ歩み寄る。
 術師はめんどうだ。肉体的に痛ませても、たった一言で形勢を逆転する能力を持っている。術師には術師を。明日は術師なのだから、そうして封じるのが一番だった。
「壊すなよ」
 京助を明日に任せて、その場にへたり込んでいるシュラインの元へ向かった。
 目線を同じくするように屈みこんで、シュラインの呆然とした色の瞳に声をかける。
「大丈夫か」
 草間はシュラインの白い首元をじっと見つめて、京助の手の痕がついていないことにほっとした。シュラインは目をしばたかせて、草間のジャケットを右手で掴んだ。
「エマ?」
「……怖かった」
「だから、屋上へ上るとき残れって言ったんだ」
 草間は少し怒ったように言った。それでもなるべく優しく笑んで、シュラインを一瞬だけ抱き締める。
「なんでもなくてよかった」
 シュラインは草間を見上げて、ぎょっと声を強張らせた。
「武彦さん、……口!」
 舌が切れて、血が出ていた。
 
 
 横山は藁人形の解体を終えたところだった。
 草間達が風呂場を覗くと、ギラリと光る包丁を向けた。草間はズカズカと風呂場へ入って行って、横山の手を叩いて包丁を落とした。
 草間は吐き出すように言った。
「また妙子さんの首を落として。何度目なんだ」
 京助は何度も藁人形を落としたことだろう。それが、横山にとって新たな死体になり続けたわけだ。たまりかねた横山は、怪奇現象をどうにかしようと思い、別の理由を考えて草間の事務所を訪れた。
 シュラインがバスルームの出入り口に立っている。彼女は冷たい声で訊いた。
「……最初に、妙子さんを殺したのはいつ?」
「俺は……俺は……妙子を? 妙子は飯能の山の中に」
 草間が顔を歪める。
「二度目も山に、三度目は生ゴミで、四度目は、食べた……五度目は」
「もういいわ」
 ぴしゃりと言い放つ。シュラインは、親指の爪を噛んでいる。
 草間はシュラインへ言った。
「山の中じゃ俺達だけで見つけるのは不可能だ。警察に任せよう」
「……かわいそう。妙子さん」
 明日が脱衣所から顔を覗かせて言った。
「妙子さん、あなたの隣にいますよ」
 草間とシュラインは横山を見つめた。草間には何も見えない。それなのに、シュラインはなにか納得したような顔で
「ホント、最初からあなたの隣にいたのね」
 横山は「ひぃ」と言ってバスルームを後退し、バスタブにぶつかり中へ入り端によって身体を丸くした。
 シュラインはツカツカと横山に近付いて行き、シャワーの栓を思いっきり回した。
「いつまでもお幸せに」
 サー、横山から湯気が上がっている。
 
 
 ――エピローグ
 
「最悪の事件ね」
「らいあくのちけんたな(最悪の事件だな)」
 二人の声はハモった。(ただし草間は舌の傷が悪化しすぎて何を言っているのか皆目わからない)
 上杉妙子の死体は今警察が捜索中だった。
 シュラインがボイスレコーダーで事の顛末を録音していたので、横山の独白は全て警察へ渡っている。
 ウェートレスが明日の残していった食器を片付けている。背の高いパフェが二つと、ビーフシチューの皿だった。シュラインもホットサンドを頼んだが、草間が一つも食べられない状態なので、気の毒で食べるのを控えているらしい。
 草間は腹が減っているにも関わらず、物を口に運べなかった。もちろん、飲み物も受け付けない。つまり、かなり痛いのだ。舌にピアスをはめている連中は頭がおかしいと、草間は認識することにした。
「……それにしても、それ、病院に行った方がいいわよ」
 シュラインがクスクス笑う。
 草間はバツが悪そうに顔をしかめた。言い訳をしたいのだが、しゃべるのが億劫だった。一言しゃべる毎に、寿命が一年縮まっている気がする。
「どうやったら物が食べられるかしら……これを機会にダイエットでもする?」
 草間は唇に煙草をくわえて、火をつけずに息を吸った。煙草でさえ、舌に染みて吸えないのだ。これはひどい代償だった。たとえ三日食わずとも、煙草さえ吸えれば我慢もできるものを。
「今はいい痛み止めがあるから、きっと明日にはちゃんと煙草吸えるわよ」
 シュラインが草間の心理を読み取ってフォローする。
 本当にそうならいいが。胸中で呟く。
「せっかくお金が入ったから外食しようって言ってたのに、災難ね」
 まったくだ。……エマ、お前零連れて二人で行こうとか考えてるんじゃないだろうな。言えずに胸にしまう愚痴が多すぎると、人間腐っていくような気がする。
「大丈夫よ、別に。焼肉なんて食べに行かないから」
 行くつもりなんだろ。草間は思う。
 シュラインはカラカラ笑って、物言わぬ草間へ言う。
「ホントよ?」
 ならいいけどな。草間がそっぽを向く。シュラインが少し心配そうな顔になる。
「武彦さん、ごめんなさい」
 それを言うなら、ありがとうだろうと、草間は考える。けれど、今日は口に出さない。
 照れ臭いからではなく、口が利けないからだ。
 
 
 
 ――end
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1790/瀬川・蓮(せがわ・れん)/男/13/ストリートキッド(デビルサモナー)】
【3138/桐崎・明日(きりさき・めいにち)/男/17/護衛屋兼元解体師】
【3359/リオン・ベルティーニ/男/24/喫茶店店主兼国連配下暗殺者】

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■         ライター通信          ■
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「ずっとあなたの側に」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。

プロットを曲げずに、プレイングも叶えるという変な芸当にチャレンジいたしました。
精一杯書いたつもりです。
もし皆様のご期待に添えるものが書けていたとしたら、またご参加いただければと思います。
では、次にお会いできることを願って。

 シュライン・エマさま
 
 シュラインさまは、とても聡明な方と思いますのに、助手やヒロインキャラに仕立ててしまっていてもったいないなあと思いつつの今回です。
 次回がありましたら、もっと頭脳戦をしでかしたいと思っております。
 ご希望に添えていれば幸いです。
 ご意見がありましたら、お気軽にお寄せください。
 
 文ふやか