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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


蒼き心臓

●闇からの依頼

「どうしても、殺して欲しい奴がいるんだが…」
 女は不穏極まりないことを言った。
 闇を溶かして弾丸に込め、逃げ惑う人々に死の宣告を与えるような声だ。
 黒いコートを羽織り、はちきれんばかりの肢体を黒いスーツの下に隠しこんだ姿は、この事務所に相応しくない。血の気の無い頬よりもさらに白い髪が、羽根のように背を覆っていた。
 いくら、オカルト探偵と呼ばれる草間武彦の、世の裏側に最も近い事務所だったとしても、これほどに不似合いな人間はいなかった。
 吐かれた紫煙が一筋宙を舞う。
「できるだろう?」
 女はちらっと辺りを眺め、その場に立ち尽くす調査員たちを見た。色とりどりの感情のオーラと眩しいほどの神気、天堕の気も感じて笑みを浮かべ、そして、視線をソファーに座った男に戻す。
 武彦に呼ばれた調査員たちは沈黙したままだ。
「私たちは殺し屋(ジョブキラー)じゃ〜、ありませんからね」
 氷獄の瞳を真っ向から受け止めて、かの枢機卿はニッコリと微笑む。
「馬鹿を言うな、ユリウス。…お前なら消せるだろうさ」
「えーっ…嫌ですよぉ」
 ユリウスはちょっとばかり眉を顰め、小首を傾げて見せた。
 苦虫を噛み潰すような顔をする代わりに、女は細巻煙草(シガリロ)をアルミの灰皿に押し付ける。その先には、運悪く入り込んだ蝿が絶命のダンスを踊っていた。
 針水晶色の瞳を向け、無言で押し付けたものを灰皿で擦る。
 胸ポケットから二枚のスナップを出して投げた。
 そこには若い男女が映っている。
 男の方も女の方も、ユリウスが知っている人物だった。
「見ての通りだ。男の方はペラギウス・ルテリオス……同胞だ。三日前に仲間を殺して逃げた」
「そう言う事する奴じゃ…なかったはずだよな、俺の知る限りでは」
 黙ってやり取りを聞いていた武彦は、ポケットに手を突っ込みながら言った。
「何人だったんだ? アレの腕じゃ、出来ても2・3人が精々…」
 探し、弄って求める先は煙草のようだ。筈かに数本残っただけの煙草が指先に触れないらしい。苛々と彷徨う手を眺め遣り、ヒルデガルド・ゼメルヴァイスは口角を上げる。
「…百人余もな」
「…ひ、ひゃく……。絶えちまうだろう、一族が」
「以前どんな人物だったか知りませんが、それにしても百余りとは随分と殺したものです」
 神山・隼人は感嘆の声を上げた。
 しかし、彼にとってゼメルヴァイス一族の支配が弱まり、他の一族の者が好き勝手な事を始めた結果、今の生活が乱されても面白くない。ここは協力しておくに限る。
 悪魔という本性を隠し、名を変えながら各国を渡り歩いて過ごしてきた神山としては、邪魔者は抹殺しておく必要があった。
「あぁ、有り難いことにな…お陰で公然と狩ができる」
 旧友ヒルデガルドの言葉に、武彦とユリウスは言葉を失う。
 均衡が崩れたのだ。
 そんなものは無いに等しいものではあるが、無いよりは遥かにマシだった。
「血か…サーヴァント。もしくは同朋の子を産む女か、産ませる男が……いや、両方必要だな。齢459歳になった私への最高のプレゼントだ……やっと結婚適齢期が来た。感謝をせねばならん」
「血を吸うか、異性ですかぁ? ヒルダさんてば…えっち♪」
「…………黙れ」
 長く伸ばした爪でユリウスの顎を撫でると、ヒルデガルドはやんわりと微笑する。
「そちらの女はお前達の追っている女だろう? この女は紫祁音(しきね)と言ったな? こやつはペラギウスにこれを渡した」
 ヒルデガルドがポケットから出したのは、何時ぞやの黒いカードと聖油瓶だった。
「こ、これは…」
 黒いカードを見たヨハネ・ミケーレは目を見張る。
 蝶が描かれたそのカードの持ち主を思い出して眉を顰めた。このカードを見た事のある調査員も、やはり複雑な表情をしている。
「小僧、知っているのか?」
「はい」
「そうか…」
「渡したのは仲間が見ている…その日にペラギウスは自分の血誓を破った。この始末は族長(リー)である私がせねばならない」
 見つかり次第、ペラギウスには永久の闇を。女には報復を。
 それが吸血鬼一族の長、ヒルデガルド・ゼメルヴァイスの依頼だった。


●会合

 話を一部始終聞いていたセレスティ・カーニンガムは眉を潜め、躊躇いがちにヒルデガルドに話し掛ける。
「あの…一族の仲間がペラギウス氏を匿っている可能性は無いのでしょうか」
「何?」
 不意の質問に微かに首を傾げて見せたが、怒る素振りも無く、ヒルデガルドは笑って返した。
「何故、そのようなことを考えるのだ? ミスター…」
「私はセレスティと申します。セレスティ・カーニンガムです…初めてお目にかかります」
 名を呼ぼうとして分からず、躊躇った彼女の為にセレスティは丁寧に名を告げた。
「そうか…申し遅れた。私はヒルデガルド・ゼメルヴァイスだ。ヒルダと呼んで欲しい」
「では、そう呼ばさせていただきます」
「あぁ…そうしてくれ」
 その声に頷くと、やはり言い難いのか少し小さな声でセレスティは話し始めた。
「一族の掌握力が不安定な今でしたら、可能かも知れませんから…念のために、ヒルダさんに一族の調査をお願いしたいのです。本当は…女性にあまりこういう物言いはしたくないのですが」
「構わん、気にするな」
 ヒルデガルドはそう言うと簡単な調査は済んでいることを告げた。怪しい人物は調べ上げたが、然程手間はかからなかったと言う。
 それもその筈、一族の殆どが殺されたのだから、探す範囲も少なくて済んだのだろう。
「今は長い間小競り合いを続けてきた他の一族をマーク中だ」
「そうですか…では、お言葉に甘えてもう一つ。同族であるなら、彼の弱点もご存じだと思います。有効手段を取るために教えていただけますか?」
 その問いには、流石のヒルデガルドも苦笑した。
「吸血鬼に弱点を聞く御仁も珍しい」
「申し訳ありません…」
 そんな言葉に微笑んだまま、ヒルデガルドはちらっと蒼王・翼とアリア・フェルミの方を見た。
「我らにとって最も相反する者を前にして、弱点を語ることとなろうとは…ねぇ、AMARA様?」
 ヒルデガルドは蒼王に笑いかけた。
 神祖にして『血の神』、カインと呼ばれた父と異界の戦女神を母に持つ蒼王は、吸血鬼の世界ではAMARA様と呼ばれ、彼らにとって恐怖そのものであった。
 蒼王の陽のような眩しいばかりの美貌が闇側の出自であることを感じさせない。蒼王とはそのような不思議な人物だ。相反する血筋ゆえに無力化する兄弟たちの中で、唯一、双方の力を兼ね備えていたせいだろうか。
 吸血鬼にとっては、まさしく苦痛を伴う存在だ。
 しかし、蒼王の方は無言のままにヒルデガルドを見遣るだけだった。
 一方、吸血鬼の天敵とも言うべき教皇庁側のアリアは、ヒルデガルドを親の仇でも見るような目で睨んでいる。
「異教徒と付き合わなくてはいけないのも忌まわしいというのに。何故、よりにもよって吸血鬼なのか…」
「確かに私はアリアさんから見れば異教徒ですが、私の目から見てもあなたは異教徒ですよ?」
 宮小路・皇騎は苦笑しつつ、そうアリアに返した。
 問題を起こした相手が人間ではなく吸血鬼である事が、アリアにとっては腹立たしいことこの上ないようだ。
「正論だが、あまり嬉しい見解ではないな」
 アリアは軽く応じた。
 眼前に佇む皇騎はアリアにとって異教徒だが、人間であるだけはるかにマシに感じられた所為だろう。
 並みの吸血鬼が強大な力を得るような物が他の一族にも流出するならば、人類社会最大の脅威の一つとなる。
 そう考え、アリアはこれを全力で阻止しする心算でいた。吸血鬼に協力することにはなるが、結果として人類繁栄が守れるならそれでいい。
「えぇ、正論ですし…協力できる間柄であるだけマシですよ、アリアさん? 彼女が絡む件である以上は、関わった者として放っておけませんしね。ところで、ヒルデガルドさん、その時の状況を教えてくださいませんか?」
 皇騎はヒルデガルドに詳細を訊いた。
「先程も話したとおりだ。三日前の夕方…そう、私たちが狩に出る時間に奴は仲間を殺し始めた。私の屋敷から奴の居場所までは次元回廊で隔ててある。奴が私を殺せなかったのはその所為だろう…その代わり、ペラギウスの奴は仲間を殺した。自分の住む次元回廊にいた者、全部を…」
「次元?」
「そうだ…そこにいる女のような奴に干渉されないよう、私たちは次元を隔てた向こう側に住んでいる」
 ヒルデガルドはアリアを見つめて言った。
 確かに、武装異端審問官に頻繁に逢うような事になったら、たまったものではないだろう。別次元に住んでいるというのは頷ける。
「くそう…そういうことだったのか…」
 吸血鬼の秘密を知ったアリアは苦々しげな表情を浮かべた。
「残念だが、探しても私の居城は見つからんぞ? 長が見つかるような場所に住む訳にもいかないしな」
 ヒルデガルドはコニャックの香りのする紫煙を燻らせる。
 ふと口角を上げて相好を崩した。
「へぇ…そんな手間とって生きてるのか…ご苦労な事だな。それで、その聖油瓶だけど…何が入ってるかは知らないんだろ?」
 依神・隼瀬はヒルデガルドに訊ねた。
「あぁ、知らん。仲間の中でも力の弱いペラギウスが変わり果てるほどの物だ…他の者に私が触らせるはずもないだろうが」
「そりゃそうだ」
「調べたが、紫祁音という女は危険な女だそうだな?」
 警察庁の中でも『紫祁音』と言うトップシークレットに入る情報を、いとも簡単に調べ上げた吸血鬼の長はユリウスに向かって訊ねる。
「えぇ、危険が服を着て歩いてるような女性ですよ…美人ですけれどもね」
「ほう、そうか…殺し甲斐があるな」
「それもこの瓶の中身が分析し終わってからですね。出来るなら、この中身の一部をお借りして実家の分析チームに送りたいと思うんですが」
 皇騎の言葉にヒルデガルドは答える。
「構わないが…開けるのか? 頼むから、私のいないところで開けてはもらえないだろうか…私がペラギウスのようになるわけにもいかんからな」
 それを聞いたアリアは眉を顰めて言い返した。
「俺はその聖油瓶の中身が吸血鬼の精神や身体能力を極限まで高揚・増幅させる薬物か呪であると考えている。そんな物をここで開けるなぞ…冗談じゃない。何かあったらどうするつもりだ」
「そうですね…人類の敵が二人に増えるのも危険ですし。…ヒルデガルドさんには、ご自宅でお待ちいただくのが良いでしょうね」
 皇騎たちの会話に綺戸・律は不安を隠し切れない表情で見つめていた。
 ネイビーのトレンチコートのポケットに手を突っ込み、中に仕舞った純銀製の懐中時計を指先で弄る。自分に出来る事は何であろうかと、暫し考えていた。
「状況の把握と対象人物の動向把握に実家の調査部の動員、応援の要員の手配をしようと思っていたんですが…異次元となると厄介ですね」
 皇騎は肩を竦めて言った。
「安心しろ、ミスター・宮小路。次元移動用のキャリーバイクを貸してやる。ただし、私の居城の場所はナビのデータには無いからな」
「へぇ、吸血鬼ってバイクに乗るのか」
 依神は珍しさを隠し切れず、ヒルデガルドにそう言った。
 ヒルデガルドは依神の言葉に頷く。吸血鬼たちは独自の科学形態を持っているようだった。
 液体からの汚染を避け、草間興信所から居城へとヒルデガルドは帰っていく。興信所の外に停めたリムジンは他のものとあまり変わりが無かったが、ヒルデガルドが乗り込むや、夜の街へと文字通り姿を消した。


●水の謎

 残された調査員は即行動に移った。
 皇騎は実家に電話をし、家の者を呼ぶ。ヒルデガルドがキャリーバイクを輸送してきたあと、家の者に聖油瓶の中身を分析をさせるためだ。皇騎は捜査を自分の家の者に任せ、対象の行方が判り次第、急行する事にした。今は聖油瓶の中身の解析が先だ。
「所属宗派や、成分を調査しる必要がありますね。解かったら協力してくださいね、ヨハネさん」
「は、はい…」
 鼓動が早くなるのが押さえきれない。ヨハネはそう言ってから唇を噛んだ。今回も危険が付き纏う。自分は無事でいられるだろうか、かなり怪しかった。
「丁度良いですから、宮小路さんのところと私のところでもこの聖油瓶の中身を調査しましょう」
 セレスティは皇騎に提案してみた。
「それが良いですね。では二つに分けましょう…何か入れ物はありませんか、ユリウスさん?」
「これでいいですかね」
 ユリウスは立ち上がると皇騎に小さな小瓶を三つほど渡した。
 貼ったラベルからすると、どうやら風邪薬が入っていた瓶らしい。アリアはそれを見て何か言いたそうだったが何も言わなかった。
 一部始終を見ていた冷泉院・柚多香はそっと手を上げて名乗りをあげた。液体類の扱いは慣れている。冷泉院は竜神だ。扱えない水は無い。
「じゃあ、私がやっていいですかね?」
「えぇ、構いませんよ」
「失礼しまーす」
  実は聖油瓶に興味を引かれていて、冷泉院はチェックしたかったのだ。
 中身の聖油が、自分の問いかけに答えてくれるようなら、ベラギウスに何があったか訊いてみようと思っていた。
 そっと聖油瓶の蓋に触れ、安全を確かめると、冷泉院は蓋を開けた。
「うわぁあああッ!!!」
 途端、冷泉院が絶叫を上げる。
 凄まじい負の気が冷泉院の手を溶かそうと纏わりついてきた。ありとあらゆる悪意の、災いの念が水となって冷泉院の手を犯そうとしている。
 冷泉院は自分の手を失うのではないかと錯覚しかけた。
「…ぁッ! …こ、これは…」
「チッ!」
 神山は舌打ちすると、液体を念で固定する。
 そうして冷泉院は水から逃れる事ができた。手早く水を四つの瓶に分け、慌てて蓋をした。
「な…何だったんだろう…」
 荒い息を吐きながら、冷泉院は瓶を見た。先程の気は聖油瓶の中に閉じ込められて、微塵にも負の気を感じる事は無かった。
 しかし、何故に風邪薬のビンに閉じ込めた水からも負の気を感じないのだろうか。不思議に思って冷泉院はユリウスを見た。
「ユリウスさん…この瓶に何をしたんですか?」
「え? ちょっと聖別化してみました♪」
 ニッコリと笑ってユリウスは恐ろしい事を言った。
 ちょっとやそっとで聖別化なぞできるものではない。こんな時にしか真面目にやらないユリウスに、アリアは銃口を向ける。
「猊下…どうして『いつでも真面目に』やらないんですかッ!」
「えー、だって疲れるんですもんv」
「…つ、疲れ…。…天国を見るにはまだお若いような気がします。猊下にはもっと出世していただかなければ…」
 銃口をユリウスから外さずにアリアは言う。
 その科白にユリウスは『一旦、死んでみますか?』と言われているような気がしてならなかった。
「わ、私…このままで充分です。足る事を知るのは聖職者にとって重要な事ですよ」
 ブンブンと首を振ってユリウスは辞退した。
「もしかして、こうなると使う道具を聖別化しないといけないんでしょうか?」
 無言で見つめていた律は小首を傾げて言った。
 黒いカードと聖油瓶を『見鬼』の力で探りを入れてみるつもりだった律は、込められた強い思念を感じて微かに震えている。
 そうなると一般人のスタッフにはこの液体を渡すわけにはいかない。セレスティはある伝手を使って成分調査をすることに決めた。
 聖別化された場所なら、宮小路家の敷地内に数多くある。皇騎は当初の予定のまま成分調査を進める事にした。
「充分に気を付けないと…普通の人なら即死しますよ」
 汗を拭きながら冷泉院は言った。
 まだ汗が止まらない。何か存在自体が違う液体のように感じた。
「そうですね…充分に気を付けることにしましょう。…では、私はこれを分析させるために実家に帰ります。…皆さんもお気をつけて…」
 皇騎はそう言うと立ち上がり、出口へと向かう。皆に手を振って出て行った。
「では、私も一旦帰ります」
「セレスティさん、気をつけてくださいね」
 杖をついて歩き始めたセレスティにユリウスが声を掛けた。
 笑みを浮かべ、小さく頷くとセレスティは扉を開けて出て行く。
 成分分析は一刻を争った。使用する器具や場所の聖別化をせねばならないとなると時間がかかる。時間は無い。
 時を同じくして教皇庁からの使いがやってくると聖油瓶を渡し、教皇庁内の呪術調査部に分析依頼をした。
 アリア・ヨハネ・神山・律・冷泉院を残し、他のものはそれぞれの目的の為に去っていく。蒼王は単身、次元の狭間へと。依神は警視庁九十九課に瓶を届けてから吸血鬼用に銃の改造をする為に出ていった。


●二通のメール

 数時間後、草間興信所に二通のメールが届いた。
 添付されたデータに武彦は驚愕する。そこには恐れていた事態が書かれていた。

『 草間武彦様
 本日承りました成分分析の件ですが、分析結果は不能――です。
 ありとあらゆる呪も薬品も受け付けません。
 呪力防御を施した場所でさえ意味をなさず、スタッフは原因不明で死亡。
 分析続行不能と判断し、ご連絡いたしました。
 ただ、瓶の蓋だけは死力を尽くして封じました事をお知らせいたします。

                             宮小路皇騎     』
 もう一通はセレスティからだった。
 ほぼ、同じようなことが書かれている。少し違ったのは、「西洋系の液体」とだけ分かったことが書かれていた。
「西洋? よく分からないな…」
 難しい顔をして武彦が唸る。
 不意に扉をノックする音が聞こえ、一同はハッと顔を上げる。扉が開き、そこには一人の女性がと塔乃院・影盛が立っていた。
「あら、あらあら。大変そうですね、ユリウスさん」
 のんびりとした調子で言った声につられて、ユリウスはそちらを見た。
 かつての師の一人である隠岐・智恵美は微笑んでいる。穏やかな表情に苦笑をちょっとトッピングしてはいたが、重苦しい感情は見受けられない。
「智恵美さん酷いなぁ…これでも危機感感じてますよー?」
 この師匠あれば、この弟子ありである。師弟共にのんびりとした雰囲気で話す様子は午後のお茶会と言った感じさえした。
「智恵美さんお願いしますよ、手が足りない…」
 武彦はそう言って出迎えた。
「この子がユリウスの生徒さんね? こんにちは、私は隠岐・智恵美です」
「は、はじめまして」
 尼僧服を来た智恵美にヨハネは堅苦しいような礼をした。その途端に隠岐は苦笑する。
「ちょっとした知り合いですから、そんなに緊張しないで良いですよ?」
「はいっ」
 そういわれても緊張してしまうヨハネだった。
 どう言う関係だかわからなかったが、何だかその場にいるだけで暖かい気持になれる。ヨハネにはこの隠岐と言う女性が、何故か自分の師の一人のように思えて少し嬉しい気分になった。
 武彦が苦戦すると考え、彼女の助けを借りようと連絡をしたのだった。先程、データを飛ばし、自動人形・七式も呼んでいる。これに宮小路家の技術が加われば、最悪の事態は免れる事が出来るだろう。
「ユリウス、久しぶりだな…」
 塔乃院はひょいと背を屈めて部屋に入ってくる。
「遅かったですねぇ、塔乃院さん」
「仕方ないだろう…分析に手間取った。…と言うか、あれは何だ? よくあんなものを精製できたものだ」
 塔乃院は頬に掛る髪を手で払いながら言った。
「おや、分析結果が出たんですか?」
「解析不能だ、馬鹿。あんなものが早々分析できるわけ無いだろうが。半分ほど結果が出たところで機械も壊れ、科学捜査官も多数死亡。式神をニ百体ばかり使って蓋を閉じた」
「警視庁の方でそうだとすると…教皇庁のほうはどうなんでしょうねぇ」
「俺が知るか…壊滅はせんだろがな」
「壊滅などするか、馬鹿め!」
 塔乃院の言葉にアリアは叫ぶように言う。
「ほう…確か、アリアとか言ったな。相変わらず元気そうだな」
 アリアは無視をして返事を返す。
 はははっと乾いた笑いを浮かべて、ヨハネが二人の間を取り繕うように挨拶した。
「こんばんは、塔乃院さん。お元気そうですね」
「あぁ、こんばんは…坊やもな」
「式神をそんなに使ったんですか?」
 ヨハネの問いに塔乃院は頷いた。
「使った。…解析にも出てたんだが、どうやら東洋の形式で作られた物じゃないな。吸血鬼にとっては麻薬に近い感覚だろう」
「西洋系の呪を使ったら大変な事になるでしょうね…」
 クスッと笑うと神山はそう言った。
「何だと! それを先に言えッ!」
 アリアは血相を変えるや、東洋神霊魔術に詳しい人物に電話し始める。ヨハネは西洋系の呪を唱えることの危険性を看破した神山を不思議そうに見遣った。
「神山さん…どうして分かるんですか?」
「調査員にそういう質問は無意味ですよ」
 そう言われてヨハネは黙る。
 素性を知らせないこの優しげな青年が、とても不思議な人物に思えて仕方が無かった。

 アリアの話によると、電話の相手は既に聖油瓶の中身の解析に携わった後だということだった。無論、教皇庁呪術調査部と科学調査部門はダメージを受けている。
 電話が掛け終わった頃、丁度、七式がやって来た。
「この依頼にわたくしめがお役に立てるのでしたら」
「いつでも役に立ってるさ、なな」
 フル装備でやってきた七式に武彦は言う。
 七式がやってくると、皆は吸血鬼が豹変した時の状況を詳しく調べることにした。
 何時、何処で、紫祁音が吸血鬼に接触したかを調査する必要がある。紫祁音は虚無の界とも関係があると考えられ、そうであった場合には苦戦をしいられる事が予想された。
 虚無の界が戦力を欲して吸血鬼用の麻薬を作ったともアリアは考えていたのだった。その予想も十中八九当たっていそうだ。先程の冷泉院の様子から、ペラギウスの暴走は瓶の中身の摂取や接触によると考えられた。
 皆は瓶の形やラベル・目印等を元に、生産元の教会や修道会を特定する作業に入る。
 瓶の素材や形状その物が危険と成りうる線も疑ったが、それは聖油瓶を模した普通の瓶で、何処の修道会で作られたのかも解からなかった。
 ただ、わかることは相当に古いものだということだ。
「何処の修道会のものなんでしょうかねえ…」
 ユリウスは本日のケーキ――シャルロット・ラ・オランジュをスプーンで掬いながら言った。
 のんびりとした様子にアリアは眉を潜める。
「猊下…事態が分かってらっしゃるんですか?」
「分かってますとも。でもね、今日食べなかったら…今日と言う日のですねー、おやつが…」
「最後まで言う勇気がございますか…猊下?」
「いいえ…無いです」
「分かればよろしいんです」
 そう言われて、ユリウスはすごすごと引き下がる。
 ユリウスがケーキを半分も食べないうちにヒルデガルドの部下達が次元移動用のキャリーバイクを搬送してきた。
 抜けるような白い肌と端正な美貌の吸血鬼たちは、妖艶な笑みを浮かべて調査員達を見つめている。バイクの説明をすると、音もなく部屋から退出し、その場から去って行った。
「さあ行きますよ、猊下」
「えぇッ! 今はおやつの…」
「げ・い・かぁッ!」
 それだけ言うと、アリアは素早く空圧衝撃銃を取り出し、ケーキに向かって銃口を向ける。破裂するような音が辺りに響くと、威力を意図的に弱めた空圧がユリウスのケーキを襲った。
 空圧に吹き飛ばされ、ケーキは無残にも塵と消える。
「…あ〜〜〜〜〜…。…あぁっ…私のケーキ…」
「ダメです。行きますよ」
「アリアさん…鬼…。このためだけにその銃を用意したでしょう…」
「それは勘違いです。…猊下、ケーキ如きの為に教皇庁の予算を私が使うと思いますか?」
「…ううっ…真顔で嘘をつかれても、信憑性は無いですよぅ…」
「フッ…お戯れを…」
 めそめそとケーキの残骸を見つめていたユリウスを掴まえると、アリアは無情にもドアの方へと引っ張っていく。
 一同も移動を始め…そして、草間興信所のドアは閉められた。


●次元移動

「へぇ…これがバイクねえ…」
 吸血鬼から借りた次元移動用バイクの前で武彦は感嘆の声を上げた。
 バイクというよりは、半分、車に近い。
 流線型のボディーが美しい車体は黒く塗られ、運転席であろう部分の前にはガラスが張ってあった。上部がスライドし、席が見える。
「おぉっ…クラシカル…」
 武彦はその内部を覗き、目を見張った。
 中世の装飾と最新鋭の機械が見事に一体化し、まるでオブジェのように見える。奥を覗けば席がもう一つあった。どうやらタンデムが出来るらしい。
「じゃぁ、行きましょうかぁ…」
 ユリウスは少々、虚ろな口調で言うと、バイクの一つに乗り込んだ。運転席には武彦が乗り込む。アリアもバイクに乗り、後ろのシートにはヨハネが乗る。塔乃院は単独でバイクに乗った。
 後からやって来たセレスティと依神のニ人もバイクに乗れば、全員集まった事を確認し、ナビに表示された空間軸に座標を固定してスイッチを入れた。
 エンジンが作動するごく静かな音が聞こえると、眼前のガラスがスクリーンになる。ハンドルは無く、座ったシートの両側にパネルがあるだけだ。
 パネルが光ると、最初は英語で、次は日本語でこのパネルに触れるようにと指示が出た。
 スクリーンにオートナビゲーションで目的地まで行くと、説明が現れて消える。こちらが戸惑わないように、予め操作しておいてくれたらしい。
 皆が乗り込んだことを確認すると、武彦はバイクを発進させた。

 何度かの次元跳躍の後、たどり着いた場所はドイツ辺りに良く似た土地だった。
 地上を追われた吸血鬼たちが自分達の土地を懐かしみ、似せて作り上げたのだろうとセレスティは思った。この風景を見ていると自分の大事な友人を不意に思い出し、永遠とも思える最果てに来てしまったかのような気がしている。
 武彦を含め、この次元にやって来た調査員達はバイクを降り、この美しい風景に見蕩れていた。
「まぁ…太陽だわ」
 呆然とした声で、律は呟いた。
 それもそうだ。どういう方法で再現されているのか、太陽は辺り一帯の田園を照らしていたからだ。吸血鬼たちだけの世界なら、夜が支配するものだと誰もが思うだろう。陽光が照りつける空の下を吸血鬼たちは恐れもせずに歩いている。
 森の中では、うさぎ狩をする人々の掛け声と馬の蹄の音が聞こえていた。一面に広がる畑で、多分、下僕(サーヴァント)であろう人々が農作業に追われている。
 律には自分達こそが異質な存在に感じられた。
「ん?」
 依神は何かの音を聞きつけて、そちらの方へと顔を向けた。
「何だぁ?」
 掛け声とガラガラという音が聞こえてくる。
 遠くで黒く見えた点をじっと注意して眺めていれば、それは次第に近付いてきた。それは数台の大きな黒塗りの馬車だった。
 それは次第に速度を弱め、調査員達の前で停まる。
「あれ? …ヒルデガルドさん、お迎えに来てくださったんですか?」
「いえ、私はヒルダではありませんよ。…ユリウス・アレッサンドロ枢機卿猊下。…私はロスキール・ゼメルヴァイスです。長旅は疲れましたか?」
 馬車の中の人はそう言った。
 備え付けの棺桶の上に座って穏やかな微笑を浮かべている。それはヒルデガルドではなく、非常によく似通ってはいたが、よく見れば幾分幼く見えた。表情も彼女のように厳しい感じではなく、春の陽だまりの様に穏やかな印象を受ける。多分、親類縁者なのだろう。
 実際のところ、彼はその名の通りゼメルヴァイス一族の者で、ヒルデガルドの弟だと言う事だった。
「何だか、おっとりした感じの奴だなあ」
 依神は微笑む吸血鬼の青年に向かって言った。
「良いじゃないですか。…好意的に接してくださるんですし」
 ヨハネは大人しそうなその青年に向かって微笑み返す。
 ロスキールの方もヨハネに向かって笑みを返した。
 キャリーバイクはオートドライブモードに入り、何処かへと走り去っていく。
 黒塗りの馬車はロスキールの指示を受けて扉を開いた。馬車には従者はなく、全てオートメーション化されている。馬車の内部はゴフラン織のクッションを敷き詰めたソファーと棺桶が備えられていた。ロスキールは棺桶に、調査員一同はソファーに陣取る。
「ほー…棺桶か」
 重そうな蓋をツンツンと突付いて依神が言った。
「やっぱ、こういうんじゃないとダメなのか?」
「えぇ…まあね。ソファーにも座るし、ベットでも寝ますけど…棺桶の方が安心しますから」
 苦笑してロスキールは答えた。
「今では祖先が残した大いなる遺産の一つと考えていますよ。…さぁ、こんな派内はこれぐらいにして行きましょうか」
 ロスキールが指を鳴らすと音も無くドアは閉まり、ゆっくりと馬車は走り出していった。

●吸血鬼の街
 石畳を敷き詰めた街道を行くと、大きな門を通り、馬車は街へと入っていった。
 人の人数は少ないが、行き交う人々はいた。流石に一族の者が反乱を起こしたとなれば、下僕達も動揺するようで、街のいたるところでひそひそ話をしている。
 馬車はある街の一角に停まった。
「着いたんですか?」
 半ば不安げな表情で律は言った。
「えぇ、そうですよ…可愛いお嬢さん。ここは生き残った者が住んでいます…話を訊き、これからの対処方法を考えましょう」
 ロスキールはそう言うと、馬車から降りた。
 彼の穏やかな笑顔に律は頬を少し赤らめる。
 モラルが低いと訊いてはいたが、こういう紳士的な方法はずるいんじゃないかと思う律だった。少し眉を下げて俯き、ロスキールの手に引かれて馬車を降りる。
 それに習って一同も馬車から降りる。建物の中に入っていくと、つんとすえた香りがした。
 隠し扉を押して地下に向かう階段を見出せば、ロスキールを戦闘にそこを降りていった。
「リヒター…いるか?」
 ロスキールの声に反応するものはいない。
 声だけが木霊する。
 ふと、暗がりの先に小さな光を見出した。
「誰?」
 ロスキールの声にやっと反応したらしい人物はこちらを向く。足元には大きな物と水溜りがあった。
「蒼王…さん?」
 ユリウスは見覚えのある顔を発見して思わず呟いた。
 蒼王の足元にあるのは死体と血だ。
 難しい顔をした青王はこちらを向く。
「やっと来た…遅かったね。目撃者は死んだよ」
「もしかして、蒼王さんが…」
「失礼な…僕がそんなことをするわけないだろう。…血から情報は読み取っておいた。…やはり、紫祁音という女はペラギウスに接触していたようだよ。気味の悪いものを作ったものだね」
 蒼王は顔を顰めて言った。
「あいつはそう言う事が得意だったからな」
 にべもなく塔乃院は言う。
 元上司としては考えられる範疇だったのだろう。しかし、今度の薬はそれを上回っていた。
「そこの者…ヒルデガルド・ゼメルヴァイス嬢に似てるね…姉弟かい?」
「えぇ、そうです…AMARA様」
「やっぱりな。…ペラギウスの行方は?」
「全力で追っています」
「キミ達じゃ無理さ…僕がやる」
 蒼王はそう言うと、風を呼ぶ。
 ぴたりと閉められていた扉が開き、風が呼び込まれた。蒼王が風に命令を与えると風はペラギウスを求めて捜査を始めた。
 神山も使い魔で捜査を始める。アリアはロスキールに頼み、時空間連絡の設備に案内してもらえるように交渉した。
 詳しい分析と出所の調査をさせるためだ。もしも紫祁音が精製したのなら、やはりこの次元では作っていないだろう。
 調査結果を基にして、薬を精製した施設を事前に召集しておいたトスカーナ聖堂騎士団を使い、教皇庁の総力を挙げて制圧するつもりでいた。
 依頼を受けてから約十数時間経っている。このままでは体力がもたないのは分かりきっていた。連絡がつくまで休憩をすることにした一同は、その次元から離れ、ロスキールの居城を目指していった。


●裏切りの夜
 城に着いた一行は、休憩すべく借り受けた部屋に入っていく。
 疲労は極限まで体を蝕んでいた。
 誰もがベットに寝転がり、目を閉じた途端に眠りにつく。
 月夜の中で息づいているのは、闇の眷属とその下僕だけ。あとはマシンドールの七式。そして、水霊使いのセレスティも目を覚ましていた。
「何か…眠れませんね…」
 セレスティは呟くとベットから起き上がり、杖を取って扉の方へと歩き始める。
 煌々と照る月を長めに歩き始めた。回廊を歩いて行けば、月見の庭へと向かって歩く。こんな日は月の見える泉で水浴びでもしたい気分だった。
 悲しいかな、この庭には池しかない。
 それでもよいかと、セレスティは池に近付いた。
 少し屈んで手を池に入れれば、心地良く冷たい水の感覚が心に染み込んでくるようで、ホッと溜息をついた。自分の顔と月を映しこんで、池の水はかすかに揺れていた。
「こんな時間に散歩ですか、ミスター・セレスティ?」
 明瞭な声をセレスティは捉えた。
「おや…ロスキールさん」
「ロスキールで構いませんよ」
 遠く背後で佇んでいた青年は微笑んで近付いてくる。
「貴方こそ散歩ですか?」
「えぇ…月より美しい人がこんな夜に歩いていたら、眺めに行かなければ失礼というものですよ」
 セレスティの隣に座ったロスキールは小さく微笑む。赫い唇から乱杭歯が覗いていた。
「それは光栄ですね」
「真実ですよ…だから、貴方を誘いにきました」
「誘いに?」
 ありとあらゆる快楽を吸血鬼は好む。それは氏族の者でも変わりが無い。
 素直なロスキールの誘いにセレスティはクスクスと笑った。
 セレスティに手を伸ばし、ロスキールは白い頬に触れる。無邪気な声で耳元に囁いた。
「そうですよ、ミスター。…綺麗な貴方は殺したくないから」
「え?」
 彼の言葉にセレスティは目を瞬く。視力の弱いセレスティは相手の表情を探ろうとじっと見つめた。
 至極、楽しそうにロスキールは微笑みながら言う。
「あいつに…ペラギウスに『掃除』は頼んだから、僕はこうして貴方と話ができる。邪魔な人間どもはいらない」
「ペラギウス氏に? …まさか貴方は…」
「そうさ…ペラギウスは僕の言う事しか聞かないしね。リヒターと一緒に消してやろうかと思ってここまで連れて来たけれど、貴方を殺すのは勿体無いな。僕は貴方だけ手に入ればいいし…。まぁ、あの神父の男の子も可愛かったけどね…惜しいかな?」
 そう言うや、ロスキールはセレスティの腕を掴む。セレスティは眉を潜め、腕を振り払おうとした。
「ロスキールさん、離して下さい」
「嫌だよ…僕は綺麗な玩具が欲しいんだ。ふふっ…僕が貴方の玩具になってもいいんだけどね…」
 戯れを言って、ロスキールは掴んだセレスティの腕を離さないまま、自分の方へと引き寄せようと試みる。セレスティは水霊を使って水の防御壁を張ろうとした。
 微かにロスキールは眉を顰めたが、掴んだ力は衰えない。
「離してください…」
 セレスティは静かな声で言った。
 念を集中して、彼にぶつけようとする。
 不意に激しい衝撃がセレスティを襲った。
「くッ!」
 強く背を打って倒れ伏した。顔を上げれば、そこに黒い人影が見える。
 長い髪を風にたなびかせるその姿は紫祁音だった。
「し、紫祁音さん…?」
「あら、名前を覚えてくださっていたのね…ミスター。光栄だわ」
「彼に何をするんだ、紫祁音ッ!」
 怒りを露にしてロスキールが叫ぶ。
 その声を聞いて、紫祁音は眉を潜めた。
「本当に淫乱な子ね…自分の命が掛っているときだというのに。そんなに快楽の方が大事なの? 自分に気があるペラギウスをたぶらかして、邪魔な姉を消そうとして…。それ以上欲張って失敗しても、私は知らなくってよ」
 呆れたように紫祁音は言った。
 ロスキールは彼女を睨み返したが、何も言わなかった。
「さぁ、邪魔者には死んでもらいましょうか? ミスター…貴方に相応しい棺桶を用意してさしあげますわ」
 そう言うや、紫祁音は妖霊弾を撃つ。かろうじてセレスティは避けた。
 切れた草が宙に舞う。青白い光がセレスティを襲った。
「セレスティさん!」
 叫んだ声の方向に顔を向ければ、目の端にユリウスの顔が見える。死を予感した瞬間に青い光はセレスティの眼前で止まった。
「何?」
 ユリウスが打ち込んだ魔法の矢が網状になって光を遮っている。その間にセレスティはその場から離れた。
「遅くなってすまない!」
 寝癖頭のまま武彦が走ってくる。
 後ろには、他の調査員達がいた。
「紫祁音、覚悟しろ!」
 塔乃院は紫祁音に向かって叫んだ。
「何? ペラギウスは…」
「あいつならそのうちに追いつくだろうな。だが、その前にお前を倒す」
「本当に小賢しい…」
 紫祁音は叫ぶと幾つものカードを投げ、呪歌を発動させる。
「くそぉッ!」
 依神は次々と発動する金属の呪符を鉄鋼弾で打ち砕いていった。
 凄まじい音の波動が辺りを包み、音に敏感なヨハネは奥歯を噛んで堪える。
「…ぁッ…」
 それを見るや、塔乃院は印を結ぶと式神を紫祁音に放つ。紙一重で避けた紫祁音も塔乃院に式神を打ち返した。
 塔乃院は襲い掛かる式神を捉えるや、素手で握りつぶす。
 蒼王は大地を蹴ると、一跳びに紫祁音の元へと向かう。使役神符を投げて、紫祁音は飛び退った。
 皇騎は月の霊力を込めて精製した銀と電子技術の融合した装備『雷甲牙』を纏い、音もさせずに跳躍した。機動性重視の装甲に補助されて、大幅な移動可能上限を上回る。
 先に武器召還しておいた神剣・天蠅斫剣と名刀・髭切を構えて近付いていく。清音の鈴を発動し、音の奔流からヨハネを救い出した。
「まだユリウス狙ってんのか。しつこい女は嫌われるぞ〜」
 依神の声に紫祁音は舌打ちすると、神符の束をお見舞いした。子鬼化した神符は次々と依神に襲い掛かっていく。
「お、図星みてぇだな」
「……お黙り…」
「へへっ…やだね」
 依神は鉄鋼弾をぶっ放した。
 削って広くした薬莢に火薬を詰めた鉄鋼弾は呪力も受けて破壊力を増してある。粉々に打ち砕かれた子鬼たちは符へと戻っていった。
「…そこのとうへんぼくなんて如何でもいいわ」
「酷いですねぇ」
 ユリウスののんびりした声をBGMに、七式は対霊銃・スピリットガッシュを撃ちまくる。対霊防護壁を瞬時に張って、紫祁音は避けた。
 武彦に向かって呪符を投げれば、子鬼たちが群がっていった。
「わぁッ!」
「モード、憤怒。命令不可、出力上昇中…敵をロックオン」
 抑揚の無い声で七式が告げる。
 その刹那、スピリットガッシュは子鬼たちを貫いた。赤熱化したナイフで七式は紫祁音に踊りかかる。後方へと跳躍すると、紫祁音は結界呪符で行く手を阻んだ。
「ペラギウス、来いッ!」
 その隙にロスキールが呼ぶ。風を切る速さでペラギウスが現れ、ロスキールの前に降り立った。
「くそっ! 足止めに失敗したか」
「そんなもの効く訳がないよ…『堕天の血』を触媒にした麻薬なんだから」
「な、何…まさか…」
 アリアは眉を潜めた。
「魔王(サタン)の血…」
 冷泉院は呟いた。
 それが本当なら、聖油瓶を開けたときの感覚も納得ができた。
「ペラギウスに与えたのは、堕天の血をホムンクルスに与えて造った試作品。ここにあるのは…堕天の血そのものを100パーセント使って造った物よ。これを与えたらどうなるのかしらね?」
「貴様ぁッ!」
 アリアは叫んだ。
 面白そうに紫祁音はアリアを見遣る。
「あぁ…貴女にはお礼をしなくてはね。大事な精製工場を破壊してくれたから…」
「何だと?」
「トスカーナ聖堂騎士団とか言ったわね…見つけられるわけもないと思っていたのに、ものの見事に発見してくれたわ」
「フッ…当然だ。聖堂騎士団を舐めてもらっては困る」
 アリアはニッと笑った。
「この借りは返してしまわないとね…」
「何だ。結局、工場を壊されたんじゃないか」
 依神の言葉に紫祁音は眉を上げずに薄笑いだけ浮かべる。
「薬はもう出来てしまったから、工場なんてもう如何でもいいわ」
 それだけ言うと、紫祁音はロスキールの方を見た。
 それに応じてロスキールはペラギウスをけしかける。理性を無くし、恐怖も無くし、殺戮のみを糧とする生物と化したペラギウスは、蒼王に踊りかかった。
 服の裾を翻し、軽く跳躍すると蒼王は靴先でペラギウスをいなす。それだけで遠くに吹き飛ばされたペラギウスは、庭園の噴水を木っ端微塵に破壊してやっと止まった。
「僕が誰かわかるだろう? 逃げられるとは思わない事だ…さぁ、続きをしよう?」
 蒼王は指をちょいと曲げて挑発する。
 ペラギウスの虚ろな瞳に燈る眼光だけが異様にギラギラとしていた。
 挑発に乗ってペラギウスが走りこむ。蒼王の顔面にパンチをお見舞いするが、蒼王は指先でパンチを止めた。吸血鬼の血を引く者だけが為し得る脚力で、ペラギウスの横っ腹に蹴りを叩き込む。
 冷泉院は叫んだ。
「蒼王さん、下がって!」
 竜神の神通力を馴染ませた水というのが「聖水」の範疇に入るのならば、自分にもできることが大いにある。
「やぁッ!」
 気合の声を上げれば、冷泉院に従う水達はペラギウスの周りに水の幕を張る。冷泉院の神気に触れた水はたちまち聖別化されていった。瞬時に聖水と化した水で囲って動きを封じる。
 そこに七式は左肩に追加装備された6連ミサイルポッドを開放する。ミサイルが次々に発射され、雨のようにペラギウスに降り注いだ。
 それでもなおペラギウスは足掻く。ミサイルによって胡散した聖水が消えると攻撃を再び開始した。それに乗じて、紫祁音も化け物を放つ。
 妖魅魂と呼ばれる霧状の化け物に、七式のフルサイトシステムが異常をきたした。
「フルサイトシステム正常値に戻るまで、サーチアイをメインに作動させます。全データをリライト」
 書き換えが終了するや、妖魅魂をスピリットガッシュで撃ちまくる。
 隠岐は律を守りながら神格を下ろして素手で戦った。
 ヨハネは霊力を込めたピアノ線で防御しながら攻撃を仕掛ける。あらかじめ用意しておいた札使役妖魔の2人と律は戦う。隙をついてペラギウスの足止めをし続けた。
 皆は一丸となって戦っていた。
 セレスティと冷泉院でもう一度池の水を聖水に変えて防御壁を作る。依神も『場の強制浄化』でペラギウスを追い込めば、すかさず七式がミサイルを撃ち放つ。そして七式は『勝利すべき黄金の弾丸』を撃ち込んだ。
 全身に負荷をかけて性能を200%引き出すリミットブレイクを上回る弾丸は、リロードを利用し、全エネルギーを集中して精製される。まさしく七式の最終兵器だった。
 解き放たれたエネルギーが光の弾丸となり、ペラギウスを狙った射線上の対象全てを消し飛ばしていった。
 心臓にかかる負荷に七式が顔を歪める。一発の反動が強いため、腕部がズタズタに破壊されていた。
「ななーッ!」
 攻撃の猛烈さに手を出せなかった武彦が叫ぶ。
「くッ…」
 攻撃を避けながら見ていた紫祁音は、倒されたペラギウスの姿を見ると、調査員達から距離を取った。それに習ってロスキールも後退する。
 かろうじて動ける程度のペラギウスを介抱する気なぞ、ロスキールには無い。氏族の底辺に位置する男に興味は無かった。自分の為に死ねるのだから幸せだろうぐらいにしか考えないのが、ロスキールという男の本当の姿なのだ。
「まったく…いい迷惑ですね」
 ぼそりと神山が呟く。
 神山は自分の不利益になる様な食い散らかし方をペラギウス達がしていなければ、邪魔をする気など全く無かったが、こうも大掛かりな悪戯をするのでは手加減などできるはずがなかった。
「消えてくださいね?」
 それだけ言うと神山は悲しき氏族の男に止めを刺した。
 遠吠えに似た声を発して、ペラギウスが手を伸ばす。その先には無表情に見つめている恋しい人がいた。
 見鬼の能力に反応して、律の心にペラギウスの想いが流れ込んでくる。子供のように一途な気持だけがそこにあった。
 唇を噛んで、律は紫祁音を睨んだ。
「次は貴女がたですよ、紫祁音さん?」
 神山が振り返る。
「残念だわ…出ずっぱりのオペレッタに付き合うほど、私は優しくなんかないのよ。またお会いいたしましょう、調査員の皆様?」
「紫祁音、お前は何を考えている」
 塔乃院が紫祁音に向かって言った。
 にこりと微笑むと、紫祁音は答える。
「さぁね? 答えが欲しかったら追ってくることだわ、影盛。…まあ、私の答えに興味が無くても、人類の未来には興味があるでしょう? この薬がもたらす災いの傍観者となるために、私はこれから存在するつもりよ」
「なんてことを…直接手を下しておいて、それは傍観などではないでしょう!」
 皇騎は大地を蹴ると、紫祁音に向かって跳躍し、天蠅斫剣を振り下ろす。
 天蠅斫剣は紫祁音の残影を切り裂いた。
「皆様、ごきげんよう…」
 嫣然とした笑みを浮かべて紫祁音は闇夜に消えた。
 同時にロスキールも姿を消す。
 荒れ果てた庭園に調査員だけが残されていた。

 ペラギウスには――永久の闇。
 それが依頼の内容。
 永劫の闇に捉えられた男は恋心だけを抱いて朽ちた。叶えられない恋と慕った人の裏切りが、この男に与えたれた唯一の餞別ならば、これほどにやり切れないものは無いだろう。
 動かぬ不死者の墓標を、律は無言で見つめていた。
 不響音を鳴らし始めた世界が、今まで通りのユニゾンを奏でるのはいつの日のことだろうか。殺戮という名のオペレッタはこれからも危険を孕み、人類をその顎へと誘い込もうとしていた。

 光と闇と…人と妖たち。

 世界が奏でる美しい音楽が戻ってくる日は、未だ遠いように思えた。

 ■END■

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0196 /冷泉院・柚多香/男/320歳/ 萬屋 道玄坂分室 室長
 0461 /宮小路・皇騎/男/20歳/大学生(財閥御曹司・陰陽師)
 0493 /依神・隼瀬/女/21歳/C.D.S.
 0979 /アリア・フェルミ/女/28歳/外交官(武装異端審問官)
 1286 /ヨハネ・ミケーレ/男/19歳/教皇庁公認エクソシスト・神父/音楽指導者
 1510 /自動人形・七式/女/ 35歳/草間興信所在中Machine Doll
 1883 /セレスティ・カーニンガム/男/725歳/ 財閥総帥・占い師・水霊使い
 2263 /神山・隼人/男/ 999歳/ 便利屋
 2390 /隠岐・智恵美/女/46歳 /教会のシスター
 2863 /蒼王・翼/女/16歳 /F1レーサー兼闇の狩人
 3349 /綺戸・律/女 /19歳/ 大学生・【青嵐】臨時店長代理

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■         ライター通信          ■
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 お久しぶりでございます、朧月幻尉です!
 皆様、如何お過ごしでしょうか?
 黒い蝶シリーズ第四弾、『蒼き心臓』をお送りいたしましたが、お気に召していただければ幸いです。
 感想・希望・苦情等、受け付けておりますので、ご一報下さい。
 これからも精進してまいります。

 この話は同じ題名で続く事となりました。シナリオUPは七月中旬となる予定です。
 シナリオ内の時間も一ヵ月後となります。
 今回より強力な薬を巡っての戦いとなりますので、武器の準備をよろしくお願いいたしますね(笑)
 ここに予習として(?)、次のヒントになるようなものを書いておきます。
 次回のOPの内容に反映される可能性があります。

 ・トスカーナ聖堂騎士団は30%のダメージを受けているそうです。
 ・精製工場跡地は東京の晴海です。
 ・尖兵となるはずだったペラギウスが倒されたので、人間か吸血鬼が襲われる可能性ありです。
 ・かろうじて解析された薬のデータは教皇庁にあります。
 ・虚無の境界に何某かの動きがあった模様です。

 今回は一度やってみたかった、『教皇庁VS警視庁VS吸血鬼』♪
 とても楽しかったです。今後は虚無の境界も絡めていきたいと思います。
 次回はOPで武器屋を出しますので、心許ない方は設定かプレイングに追加しておくのもよいかと思います。
 それでは今回もありがとうございました。

 朧月幻尉 拝