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<東京怪談ノベル(シングル)>


ずっと一緒に

 空気を切りくような鋭い音。
 ざわめく人々。
 その視線の先にあるのは一台の車と、一人の少女。

 ――脳裏に焼きついたまま、褪せることのない瞬間。

 道路が赤い血に染まり、少女は倒れたままぴくりとも動かない。
 飛鳥は、少女の名を呼び駆け寄った。
 抱きかかえようとして、通行人の一人に止められる。
「下手に動かさない方が良い、今、救急車を呼んだから」
 本当なら今すぐにでも抱きしめて、しっかりと此処に留めてやりたいのに。
 けれど思考の冷静な部分では、動かさない方が良いこともわかるから。
 せめて……少しでも此処に留めおけるよう、しっかりと手を握って、呼ぶ。
 だが、何度呼び掛けても答えは返らない。
 いつしか呼ぶ声は大きくなり、声は叫びへと変わる。
 そして――

「……っ!」
 飛鳥は、叫ぶ自分の声で目を覚ました。
 長く息を吐いて、呼吸を整える。まだそう暑い季節ではないのに、髪は汗でべっとりと肌に貼り付いていた。
「……夢、か」
 そう。
 妹が交通事故で死んだのはもう一ヶ月近くも前のこと。
 何かと飛鳥の世話を焼き、自分の境遇――神威流封術の血に連なる者として生まれ、普通の少女のようにはできなかったこと――を悲観することもなく、明るく振る舞っていた妹。
 暗い部屋の中を見つめていると思考までも暗くなりそうで、代わりに、窓の外に目を向ける。
 月が明るい。
 柔らかな月の光に、妹の無邪気な笑みを思い出す。
「くそっ!」
 あの時。
 傍にいたのに何もできなかったことが悔やまれる。
 実際には、傍に……と言っても間近に居たわけではないし――それぞれの学校の帰り道に偶然顔を合わせただけで、一緒に行動していたわけではない――次の瞬間交通事故が起こることなどわかるわけもないのだから、咄嗟に助けの手を伸ばせなかったのも仕方のないことではあった。
 だが目の前に広がった光景は、そんな論理的な思考で打ち消せるようなものではない。また、そんなふうにも考えたくなかった。
 近くにいたのに助けられなかった、その、事実。それだけが、今の飛鳥にとっての真実であった。
 もう、眠れそうにない。
 妹が事故に遭って死んでからというもの、毎日のように事故の光景を夢に見て真夜中に目が覚める。そして、眠ることもできずにそのまま朝まで起きている。
「情けねえな」
 自嘲気味に呟いて、机の上に置きっぱなしになっている妹の写真に目を向けた。
 その時。
 ふと誰かの声が聞こえたような気がした。
 聞き覚えのある、懐かしい声。
 そこに誰がいるのか。すぐに思い当たって、飛鳥は彼の気配の方へと視線を向けた。
「お兄ちゃん……」
 部屋の片隅に、にっこりと穏やかに微笑む妹の姿を見つけて飛鳥は声を失った。
「なんでこんなところに……」
 事故からもう一ヶ月。
 とっくの昔に天国に逝ったものと思っていた妹が、そこに立っていた。
「だって、心配だったんだもん」
 ぷくっと頬を膨らませて、拗ねたような表情で上目遣いに飛鳥を見上げる。
 人付き合いが下手で友達の少ない不器用な性格の飛鳥を心配して、時折無茶なことをやってのける飛鳥を心配して。事あるごとに見せていた表情だ。
 なんて、返せば良いだろう?
「……悪いな」
 妹がいてくれたことを嬉しく思ってしまった自分を叱咤する。だって死した人間が此の世に留まっていて良いはずがない。本当ならさっさと成仏して、新しい生を育むべきなのだ。
「なんでそんなこと言うのよ。私が、勝手に、心配してるだけじゃない」
 お兄ちゃんは何もできない子供じゃないんだからと言い足して、笑う。
「そうだな、だったらさっさと成仏しとけ。死んだ奴がこんなトコロに留まっても何もいいことはねえぞ」
「そうね」
 頷くくせに、離れる様子のない妹。訝しむ飛鳥に、妹はにこにこと無邪気な笑みでとんでもないことを告げた。
「離れられないのは、私の方なの」
 それから、しばらく次の言葉が出てこない。何を言うべきか――いや、どう伝えるべきか、思案しているらしい。
「だから、ね。私、これからもずっとお兄ちゃんの力になりたいな」
 笑顔は笑顔のまま。一途に真剣な瞳で、言う。
「……本気か?」
 その言葉の意味を悟って、飛鳥は半ば茫然と問い返した。
「もちろんっ」
 妹はいつもと変わらない口調で即答した。
 優しい面差し。穏やかな声。明るい笑顔。そして、強い意志。
 ぶっきらぼうで人付き合いの下手な飛鳥とは正反対な妹だが、自分の信念を以って決めたことは絶対に覆さないという強い意志は、良く似ていた。
 だからこそ、わかる。
 もう、言って聞くような次元は越えていること。
 そう申し出た妹の気持ちも少しはわかる。もし逆の立場だったら、やっぱり自分も、妹の傍で力になりたいと願うだろうから。
「いいんだな?」
 もう一度、聞く。
 通常の封術における能力封印は『封印(シール)』といい相手の能力をそのまま封じ奪い取るが、『契約(リアクト)』を行った存在は能力の消失がない代償に、能力の使役者の守護者として拘束される。
 一度『契約』を実行したが最後、妹の自由は失われると言っても過言ではないのだ。
「うん」
 真摯に、真っ直ぐに。
 迷いのない清らかな瞳で見つめられて、飛鳥はそれ以上の言葉を告げることができなかった。
 代わりに、行動で意思を示した。
 腰のホルダーからタロットを一枚抜き妹に投げるとそれは霊に張り付いた形で止まり、周囲に魔法陣を形成する。……月だけが唯一の明かりだった部屋の中が、魔法陣の淡い光で満たされる。
 飛鳥は、縛流の引き金を引いた。
「契約(リアクト)!」
 言葉とともに紡がれた魔力を受け、縛流に封印されていく妹の姿。
 そして……魔法陣と妹の姿が消えた時、カードには生前妹が最も得意としていた力が宿っていた。
 言うべき言葉も思いつかず、ただ、カードを見つめる。
 ――ふわりと。
 風が流れたような気がした。
 暖かい声が聞こえる。

『ずっと一緒だからね、お兄ちゃん……』