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<東京怪談ノベル(シングル)>


In the Dream

 門屋心理診療で、楷巽は博士論文を作成している。今は彼以外誰もいない。近くの道を車が走る。また、誰かが歩く足音のみ。繁華街の雑踏と正反対の静けさがそこにあった。家の主は神聖都まで出張カウンセリング、その甥っ子も下校中どこかで道草をくっている。留守番の間に論文を書いているのだ。
「……すこし……休もう……」
 彼は、論文をキリの良いところまで書き、いったん休憩のため席を立つ。大事な論文にうつぶせになってしまい、駄目にしては行けない。
 とはいっても、手頃に休める場所と言えばソファー程度。
「先生もやっているし……」
 ソファーに横になる巽。事情で感情を顔に表せない彼だが、かなりの疲れが溜まっていたためにそのまま眠りの闇に落ちていった。



  金属片のおと。
  ドアノブを握り回し続けている音。

  泣き声。何かを殴る蹴るをする音。

  まぶしすぎる夕日。
  それは少し濁ったセピア色。
  周りから蝉の鳴き声がする。
  何もかも、燃やしそうな熱さの夏。


「ここは……」
 巽は、アパートや文化住宅が立ち並ぶ通りに立っていた。
 記憶の断片が彼にそこは何かを知る。
「確かこの先に……」
 自然と歩いていく。
「ここだ……」
 と、ボロアパートの一つの部屋まで直ぐにたどり着いた。
 ドアを開ける。
 
 そこはすえた匂い、まぶしすぎる西日。六畳一間の1DK。
 玄関に、子供が泣いて蹲っている。
「この子は……」
 夏というのに、その子は長袖を着ていた。顔にはた沢山殴られた傷跡や、擦り傷が沢山ついている。
 その子を見たとたん、巽は過去の記憶が溢れるように思い出させた。
 
 漆黒の闇が胸を苦しめる。
 
 
  ご……ごめんなさい……。
 
  音……掌であれば周りに響く音。拳や蹴りで有れば鈍い音。
  畳みに倒れ伏す自分。
  思いっきり腹を蹴られ、口から血を吐いた。
  それは、映る物を全て赤く染める。
  ――きたないもん、だしてんじゃねぇ!
  罵声、怒り。
 
 
 
  力のない子供のとき、“親”に抗う術はない。生きようする本能のみで生きている。
  いきなり物心着いたときからそうだった。
  家の事情は、知識や知恵を得ることで、知った。
  しかし、幼いときに背負った心の傷は、今でも残る。いや、一生残る。
 
  そう、生きている限り。
 
――目の前に蹲って泣いている、傷だらけの子供は“自分”だ。


「ああ……昔の……」
 巽は完全に理解する。過去の夢であること。
 何とか、生きて心の病を克服するために臨床心理士になろうとする自分。

 いまは力になれるかも……。
 巽は“昔の自分”の隣に座り、寄り添って、
「辛いんだね……淋しいんだね……」
 と、言った。
 “子供”は泣いた。楷に抱きついて。楷はそのまま抱きしめる。
 子供は安堵したか、泣き疲れたか眠ったところまでは覚えている。

――ゆめのじかんだけど、いつまでそうしていたのだろう……?

 気が付くと、“現在”で目が覚めた。涙を流して。
「向こうでも眠ってしまったみたいだ……」
 楷は起きあがり、背伸びする。


――いつか必ず乗り越えてみせる。あの“過去”に。
 彼はそう決意した。夢でみた“自分”に誓うように。
 あの記憶は残り続けていくが、負けないように。

 まだ博士論文は完成していない。
 まだまだやることはあるのだ。
 
 
 End