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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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<THE AMULETTE>
------<オープニング>------
薄暗い店の中で、漣は指にぶら下げたその依頼品を見つめていた。
肘を突いた反対の方での手で長いキセルを口元から遠ざけると、不可思議な色合いの煙をそっと吐き出す。
「困ったわね……」
と呟く。
指にぶら下げているのは、長方形の小さな物体だった。地味だが意匠を凝らした袋のような物。英語で言うなら、アミュレット。日本語で言うなら御守りといわれる物だ。
漣はもう一度キセルを口に運ぶ。そして煙を御守りに吹きかける。
キンッ!!
空気が鳴った。同時に弱い衝撃波のようなものが御守りから放たれて、煙を掻き消してしまう。
漣は思わず顔をしかめる。指に下げた御守りは、まだ微かな黄色の光に包まれて発光しているように見えた。光が一瞬だけ微妙に人影を形作る。
それは数日前にこの店に持ち込まれたものだった。
持つ人や、保管してある場所に災いを呼ぶ逆御守り。いくつもの場所をたらいまわしにされた挙句たどり着いたのがここ、アンティークショップ・レンというわけだ。
見た感じでは何の変哲もないただの御守りだった。格別に飾り付けをされているわけでもない。どこかの格式ある神社で特別に用意された物でもない。どこにでもある、至極普通のものだ。
違いがあるとすれば、これが抱いてしまった想いの多さだろう。そしてこれを特別な物にしてしまった人間達にその原因があるに違いない。
この御守りは一種のツクモ神になってしまっているのだった。一つの物を使い続けたり、大事にし続けたりすると、物に意思が宿る事がある。そういったものを ツクモ神と呼ぶのだが、これは別の経緯を辿っていた。
漣が調べたところに拠れば、きっかけは単純な事であったらしい。誰かがたまたまこの御守りに願掛けをし、それが叶ったのだ。大病を治した利益のある御守り。どこにでもありそうな話だった。問題だったのは、その御守りがどこぞの新興宗教団体が作ったものだったという事だ。
たちまちにして祀り上げられたその御守りは、以降数多の人々の信仰の対象となり、また欲望の糧となり、そして歳月を重ね、人の願いを集め続けた。
「さすがに厄介ね」
しかし言葉ほどには漣の表情は深刻ではなかった。
「でも面白いから、ここには置いてあげる」
漣は薄く笑った。人手を集めて、この御守りに宿る余計な悪意の部分だけを取り払ってやればいいと。
<始まりの音>
けたたましく鳴り響く電話のベルに、漣華院紗威は午睡にまどろんでいた意識の覚醒を促された。電話を取る前に時計を見る。眠っていたのは三十分ほどか。それにしてはやけに視界が暗い。
その原因に思い当たって紗威はサングラスを外した。今日は午前中に来客があり、事務所の中でサングラスをかけていたのだが、どうもそれが眠気を誘ったらしい。
髪と同じ白銀の輝きを持つ瞳を薄く細めて、紗威は眩しさから一瞬顔を背けた。彼の一族は生まれつき、弱視なのだ。普段ならば見えざるものが見える代わりに、常なる視力を失ってしまっているのではないかと彼は思っている。
鳴り続ける電話の受話器を気だるそうに掴み、「鳴物屋です」と短く告げる。
この電話にかかってくるのは表向きの仕事だけだ。それも新しい顧客か、さもなければ間違い電話の類いだろう。知っている人間ならば携帯電話にかけてくるはずだ。
「その声は漣華院か?」
ぶっきらぼうながら澄んだ響きのある声の持ち主に、紗威は覚えがある。美しい声だ。一度聞いたなら音楽をたしなむ者として忘れるはずがない。
「いったい何処に電話をかけているつもりだ? ここにかければ俺が出るのは当然だろう」
「……相変わらず口が悪いわね。あなた」
「相手にもよる。……それで。何のようだ?」
彼の午睡を途切れさせた相手は碧摩蓮という風変わりなアンティーク・ショップの主だった。漣華院白鳳流の当代である紗威とは何かと縁のある人物である。有態に言えば厄介事を持ってくる相手だ。自分の店で扱う商品の中で彼女の手におえないものの後始末や何かを頼んでくる事が多い。
それもまた修行の内と引き受けていたら、すっかりこの有様だ。
「話が早くて助かる」と返ってくる声に、微かに笑みを噛み殺すようなニュアンスが感じられる。おそらく彼女は受話器の向こうで僅かに口元に笑みを浮かべているに違いない。
紗威はある意味で電話の相手である蓮が苦手だった。出会ってからこっち良いように使われているのは分っている。一度ならず反抗して見せた事もあったが、結局彼女の思惑にはまってしまう。無駄な労力を使う割には報われない。
だから、初めからいいなりになる事に決めているのだった。面倒臭くても手におえない事件を持ってきたことはないし、まあ修行にはなる。いい風に考えれば、ある程度の利益は確かに存在するわけだ。
彼女の事が苦手に思えるのは、おそらく蓮自身も紗威と同じく封ずる者の一族に属しているせいなのだろう。
漣華院家の当代である自分と、得体の知れない術で物体に超常の力を封じる彼女。感じているのは、同族故の忌避感なのかもしれない。
「逆守りか……」
電話であらかたの話を聞いた紗威は、溜息に似た吐息をその言葉と共に吐き出した。
御守りは民間に伝わった封じの呪いの中でも最もポピュラーなものだ。神社や仏閣で作られた物以外でも、ある程度の処方を知っていれば作り出すことが出来る。それ故に氾濫している物ではある。
時には間違った処方から「逆守り」と呼ばれる失敗作もできる事は確かにあるようだが、蓮の話を聞く限りでは今回のは少しばかり事情が違うようだ。
まあ、いずれにせよ封じてしまえば事は足りる。御守りに憑いている余分な力を鎮めてやればいいだろう。
紗威はスケジュール帳を見て、時間の空きを確認する。
「何の電話だったんだ?」
遠くから聞こえてきた声はこの事務所に居候している友人だった。清華堂冴椋という青年で、少なからず因縁のある間柄だ。漆黒の衣装に包まれた身体は均整が取れて細身に見えないこともない。しかしながら内側に溢れる隆々たる力の源を感じさせるシルエットが彼にはあった。しかもサングラスをしているせいだろう、変に威圧感がある。いや緊張感と言った方が良いか。その冴椋は、足音も立てずにしなやかな身のこなしで傍までやってくる。
「ああ、仕事だ」
「仕事?」
どっちの?
との言葉を飲み込んだ冴椋は微かにサングラスの奥の瞳を細めた。
「前に話した事があると思うが、碧摩蓮からさ」
なるほどな。と冴椋は黙って頷く。確かに聞いた事がある。風変わりなアンティーク・ショップの女主人だと聞いている。厄介事を度々持ちかけてくるのだと紗威が嘆くのを聞いた事がある。
「で、いつだ?」
「今晩だな。ちょうどスケジュールが空いている」
「そうか」と言うと、冴椋は紗威と斜向かいになるようにして反対側に座って、長い足を組む。
「で?」
「逆守りは当然知っていると思うが」
返事はない。ただ、少々コミカルに肩をすくめて見せて、冴椋は続けるように促した。
「どうやらただの処方違いではないらしい」
「ほぅ? じゃあ、ツクモ神の方か?」
「そうだと思うんだがな……」
形の良い顎にしなやかな指を当てて、紗威は僅かに首を傾げた。
「違うのか?」
蓮から聞いた話では、御守り自体は何の変哲もないものらしい。いや正確に言い換えれば、まったく利益のないものなのだそうだ。御守りとは名を打ってはいるが、実際はただの紙切れが入った布袋なのだ。巷に溢れる新興宗教団体の一つが売り出した「どんな願いも叶う御守り」とかいう代物で、そこの宗教団体の教祖様が息を吹きかけた紙切れが、厳かにも安っぽい装飾が過分に施された袋の中に納まっている。
「なるほど、読めた」
冴椋が呆れたように言う。
「つまりこう言う事だろ? たまたま願いが叶って、その教団が件の御守りを祀り上げた、と」
「まあな」
「燃やしちまえよ、そんなもん」
さも、つまらないと言うような冴椋の言葉にしかし紗威は「まあ聞け」と続きを話す。
事の発端は定かではない。確実に分かっているのは、何人かの持ち主が被害に遭った後、終には先日御守りを作った教団そのものが焼失してしまったに至って、御守りは碧摩蓮の所に預けられる運びになった。
「自業自得だ」
冴椋の意見に紗威も賛同した。
それを持つものに災いを与えるという逆守り。とうぜん碧摩蓮の身にも同じ事が起こるのは自明の理だ。彼女とてこの世界の人間だ。それぐらいは察知している。
いくつかの方法を試した後、結局全てが無駄に終わってしまった。御守りに何らかの力を加えようとすると、とてつもない圧力で弾き返されてしまう。そしてその時に薄っすらと女性の姿が浮かび上がるのだ。
「彼女の調べは付いているのか?」
「とっくにな。だが、本人と言うのではないらしい。……多分」
どう言う事だ? とは口に出しては言わない。サングラスの奥の冴椋の視線が疑問を静かに投げかけていた。
「本人は生きている。一応な。現在は植物人間状態だそうだ」
「逆薙ぎか」
「そうだろうな。病気が治った本人もこの世にはいないと聞いた」
「フム」と息をつき、冴椋は指先でサングラスを少しだけ押し上げた。
「怨みもこもるな、それは」
言いながら身体を起こし、膝の上で指を組む。
「知識の無い故の悲しさだ。元々が何の処置もしていないイミテーション。しかも逆薙ぎを逸らす術も、処理もしていない。当然の事なんだが、哀れではある」
やや固めの口調で紗威が言う。確かにその通りだ。もともとの原因はそんな物を信じた彼女自身の弱さと愚かさが原因だろう。
「ま、ユーはどうか知らないが、俺は女性の味方だ」
「植物人間だぞ?」
「ノン、ノン、ノン。弱き者を助けるのに理由なんか要らないぜ。それに原因はどうあれ、被害者には変わりないだろう。だったら助ける、それだけさ」
「結果がどうなろうとも、か?」
手振りの仕種で同意の意を表して、冴椋は腰を浮かした。
「じゃ、トランキリテの手入れをしてくるぜ。久しぶりのライブだろう?」
言いながら、ギターを掻き均す手つきをしてサングラスの奥の瞳がウインクする。そのまま掌を軽く振ると、冴椋は再び事務所の奥へと消えて行った。
「……そうだな。俺達の音楽を聞かせてやるとするか」
視線だけで彼を見送ると、一息つき、口元に微かな笑みを浮かべて紗威は呟いた。
<奏でられるは浄化の調べ、舞うは鎮魂への誘い>
明かりが思ったよりも眩しく、深夜にもかかわらず街は薄明かりの中あるようだった。その中にあって、まるで本来のあるべき闇を纏ったかのような漆黒の衣服に身を包んだ二人が並んで歩いてくる。
「おやおや……」
と思わず呟いて、碧摩蓮は口元を微かに緩ませた。
少しだけ開けた空き地である。普段ならめっぽう人目につきやすい場所であるが、今は深夜でしかも辺りには見えざる障壁「結界」が張られていて人目につく事はない。人払いの結界と呼ばれる物で、この結果以内にあるものを、起こっている出来事を、人は無意識に見ないようにしてしまう。
にもかかわらず、あの二人は真っ直ぐこちらへと歩いてくる。結界の効力が彼らに及んでいないのは明らかだった。
実は彼らが来てから結界を張っても良かったのだ。蓮のほんの遊び心だった。
「何のつもりだ? 冗談なら面白くないが」
「俺達を試したいんなら、ちょっと陳腐だな」
紗威と冴椋からそれぞれの意見が出たところで、蓮はキセルを吹かして薄く微笑んだ。
「なに、ほんの遊び心さね」
と言いながら、視線を見慣れぬ若者に向ける。
「あんたは?」
「清華堂冴椋。今の所は事務所の居候ってね」
言いながらにっと笑う。すると口の端から牙が覗く。本物ではない。イミテーションだった。しかし当本人の蓮はそれよりも彼のサングラスの奥に輝く瞳の方に興味を持ったようだった。射るような視線を送り、じっと見る。
普段はサングラスの奥に隠している彼の瞳の色を正確に知っている物は少ない。ましてやその理由を知る者ともなれば、数えるのに苦労がないくらいだ。
だが、彼女の視線はまるで表面の装飾を無視して本質を貫く鋭さがあった居心地の悪さを感じて、身動ぎする。
「それで、依頼の物ってなどこに?」
視線に耐えられなくなったようにして、冴椋が話を切り出す。蓮もそれで視線を外した。
「漣華院に清華堂。高名な退魔師の家柄がそろって御登場ってわけね。なかなかにいい見物だわ」と前置きを述べた上で「あれよ」と指を差す。
ちょうど結界の中心に簡単な台座が据えてあり、青白い光に包まれた小さな物体がある。
それを見た紗威と冴椋は同時に眉根を潜めた。
近付かなくても分る。圧倒的な威圧感。怖れという類の物ではなかった。他者を拒絶する強い意思が、まるで質量を伴って周りの空間ごと彼らを押し退けてしまうような、そんな感じがした。
視線を向けるまではまったく感じなかった感覚だ。見た瞬間から、彼女は目覚めたかのように近付く何物をも拒もうとする。
「ツクモ神ではないな」
確認の意味を込めて紗威が言う。それには冴椋も賛成だ。物の怪の類ではない。物体に意思が宿ったのではない。
「ああ。これは意思だ。純粋なまでの。呪いよりも遥かに厄介だぜ」
背中に担いでいた愛用のギター、トランキリテを手に持ち替えて、冴椋は心持ち重心を落した。
それを合図に、紗威は懐から装飾の施された鈴を取り出す。
「じゃ。後は任せたわ。よろしく」
二人の様子を見て、蓮はすっと音もなく後ろに下がる。面白い見ものになりそうだ。
紗威が徐に一歩を踏み出す。
キンッ!
という甲高い金属質の音が響いた。御守りを包んでいた青白い光が、弾ける様にして八方に光を放つ。内一筋が二人を目掛けて閃いた。
同時に、冴椋はトランキリテを掻き鳴らす。強く激しいビートが見えない壁となって閃光を阻み、光は砕けて四方に散った。
「見たか?」
と冴椋は訊く。
「ああ。間違いない。思念体だ。生霊や、霊とは違うな。始めてみる種類だ」
光の中心に人の姿が浮かんでいた。黒髪の女性。彼女の形相は穏やかには程遠い。釣り上がった眦が形作る表情は、怒りや憤りを通り越して怨嗟を具現化した仮面のようだ。
「さながら鬼子母神だな」
と冴椋が言う。
この勢いでは、確かに容易ならざる存在だろう。逆守りどころではない。持っていれば確実に死を招く。しかし、なぜここまでの恨みになった?
封じるには二種類ある。力で押さえ込む手段と、浄化して鎮める方法だ。一度発されてしまった恨みというものは、例え鎮まっても禍根を残す。その余波が残る。だから封印しなくてはならない。
今回も煩わしい事は抜きにして力で押さえてしまっても良かった。なるほど厄介な相手だが、二人には到底及ばない。その気になれば訳もないだろう。しかし、パートナーである冴椋の思惑は少しばかり違うようだった。
「少しの間、こいつを封じられるか?」
顔を向けずに冴椋が聞いてくる。
「ああ。任せておけ」
一瞬の間を空けてから、紗威は手にしていた鈴を一度だけ音高く鳴らして、両手を大きく広げる。
鈴を手に、ゆっくりと舞う。静かに澄んだ響を発する鈴は、彼の舞を幻想的に引き立てた。それに呼応するように冴椋の掻き鳴らすリズムが一転し、緩やかな色調を帯びる。哀愁を誘うようなメロディーが辺りを包み始め、冴椋は数歩前へと歩み出た。
「ヘイ! お嬢さん、聞こえてるな? もし俺の音楽が聞こえているなら答えてくれ。ユーはなぜこんな事をする? どうして他人を拒むのか、俺に教えてくれないか?」
おそらく言葉は聞こえていまい。しかし、音は聞こえているはずだ。言葉を伝えるのは何も形だけではない。音に乗せて、自分の想いは伝わるはずだ。
「心配は要らない。俺達は苦しめる為に来たわけじゃない。ユーの味わった苦痛を取り除いてやる為にきた」
ヘイ! 答えてくれよ 涙の訳を
背けた顔が 怒ってる
俺は 馬鹿で 愚かな ガキだから
君の気持ちは 分らないのさ
だから 答えてくれよ ベイビー
ハートの内側を 俺だけには 見せてくれ
俺はどうしようもないほど 馬鹿だから
君の言葉が必要なんだ
だから ヘイ! 答えてくれよ……
冴椋の歌声が静かに空気を揺らす。
まるでそれは秋風の様に優しく柔らかな調べとなって、放たれる凶暴な光の一つ一つを包み込んだ。
歌う内に、光が次第に収まっていく。結界全体に枝を伸ばすようにして放たれていた光が音もなく縮小していき、御守りとそして彼女の周りを、丸く球になって包み込んだ。
しかし冴椋は、なお演奏を止めようとはしない。
バラッドは色調を変え、ノクターンへと変化していく。夜を想う曲。静けさと安らかなる終局を思わせる優しい旋律。
すると彼女の顔を覆っていた鬼の形相に細かい皹が無数に走り始めた。まるで仮面が割れるかのように、冴椋をして鬼子母神と言わしめた表情の仮面が取れる。
ガラスの割れるような音でありながら、クリスタルを弾いたような旋律を伴って砕けた表情。直後に、彼女を取り巻いていた光の色合いが変わる。
橙色。温かい、慈愛に満ちた色。
同時に、何かが結界内に流れ出していた。御守りの中にあって、護り続けていた彼女の心の中、記憶、意思。そんな物が光と共に溢れ出していた。
冴椋はギターを鳴らす手を止めないままに、心の中に入ってくる彼女の想いともいうべきものに対して、ただ一言「そうか……」とだけ呟いた。
少しだけ首を動かして、紗威を見る。
鳴らしていた鈴を止め、舞をいったん収め、彼は佇んでいた。そして満ち溢れる彼女の想いを受け取るようにしてやや項垂れて目を閉じていたが、冴椋の気配に気がついて、目を開ける。
紗威の瞳に浮かんだ表情を見て、冴椋は視線で合図を送る。同じ事を考えているのは間違いない。
彼女の想いを浄化する。
全ての元凶はやはり彼女自身だった。
気が付かずに持ってしまっていた依代としての能力。無意識に使ってしまっていた自らの力が災いを呼んでしまっていた。そして自分も捕り込まれた。
稀にある事だった。
自らの身体を持って器とし、意志なる力を成就させる能力。霊を降ろし、力を借りる業。
漣華院家が手段として舞を用い、清華堂家の当代である冴椋が音を持ってして災いを祓うように。彼女は自らの肉体を通して意志を実現させる方を持っていた。
自らの力の無意識の解放によって弟を助けたまでは良かったが、彼女自身気がつかないところで起きた現象ゆえに凶祓いの儀式を誤ってしまったのだ。
たいていの術者の場合、儀式を執り行う前には必ず禊を行い身体に纏わりついた様々な気を落す。そしてまた、儀式を執り行った事よって身体に付いた災いの欠片を再度取り払うわけだが、その方法を間違えると逆薙と呼ばれる災いを自らに招く事になる。
通常ならざる力の行使には必ず危険が伴う。勢いがつけば必ず反動があるように、使った力に応じて反作用が必ずある。それらを回避する為には様々な手法がある。
彼女は無知ながらも無意識に代償としてそのとき所持していた御守りを選んだ。逆薙ぎを封印し、本来ならばその御守りはしかるべき場所で、しかるべき方法を持って鎮められなくてはならないはずだったが、所詮は偽物。しかも事もあろうにそのままさらに願いを成就させる為の依代として使われ続けるはめになってしまったのである。
一つ一つは小さな願いや欲望でも、積み重なれば重くなる。それに耐えるには、御守り自体もそして彼女も未熟だった。
当然、報いは術者である彼女に向けられ、強いては彼女の力の影響下にあった人物にも及ぶわけだ。
かくして、助かったはずの弟は逆薙ぎにさらされて命を落とし、その反動が今度は彼女を襲った。しかしそれでも尚、御守りは願い欲望とを聞き入れ続け、終にはこの有様だ。
力の暴走。
一つ一つの欲望は小さくとも、集まり固まれば大きな災いを呼ぶ。彼女にはどうしようもなかっただろう。
リンッ!
と音高く鳴らして紗威は再び鈴を振る。緩やかに大きく腕を振り出し、力強く舞う。それに前後して冴椋の奏でる曲は、激しく強く変化した。
十六ビート。
掻き鳴らす音は凶暴なまでに空気を掻き乱し、風を生じて唸りを上げる。
駆け抜ける疾風。
音の渦が光を纏い、直ぐに一筋の光条となって彼女の取り囲む光を貫き拡散させた。
その激震する音のリズムとは対照的に紗威の楽は静寂の中にあるかのように、乱れる事もなく、連綿と、しかし滔々たる川の流れの様に行われている。
不意に紗威が鈴を持つ手を高く掲げた。小刻みに打ち鳴らす。
それに呼応するように、ひと際激しく掻き鳴らされたギターの音色が甲高く唸りを上げた。
次の瞬間、拡散した光がまるで吸い寄せられるようにして掲げられた鈴に集まり、吸い込まれて行く。鳴り響く鈴の音が消え失せ、辺りに満ちていた光が消えてしまうまでは数秒とかからなかった。
紗威は光が消えてしまうのと同時に鈴を手中に収め、静かにしばし舞う。
舞が終わると、封を施した鈴を懐に仕舞い、改めて冴椋の方を見て互いに頷き合う。それから二人が視線を向けたのは、御守りの方だった。
「全ての付加された想いは取り除いた。後は彼女次第だ」
「それは任せてくれ。彼女は俺が送ろう」
トランキリテを僅かに傾けて、冴椋が言う。
御守りの傍に、彼女は祈るようにして跪いていた。
自分を苦しめていた様々な欲望や願いの残滓が取り除かれて、いまや御守りには最初の彼女の祈りと願いだけが残っている。
おそらく、強引に取り除かれた数多くの祈願の類いは本来の主達に多少の影響を及ぼすだろう。しかしそこまでは気にして入られない。元々がただ願うだけで物事が叶うなどと信じた救い難い勘違いの類いが多い。その酬いが自らに及ぶなら仕方のない事と思えた。
金儲け、恋愛、エトセトラetc.。
そんな物のために彼女をこれ以上苦しませる事はないだろう。その手の類いには安易な祈願は後に災いを呼ぶものだと理解してもらいたいものだ。
もし切なる願いが込められたのだとしたなら……。
いや、その時は相応の代償を既に払っているに違いない。彼女の様に。
紗威は冴椋から少しだけ距離を置いて足を止めた。自分の出番はもう少し後だ。今は相棒に任せておけばいい。
彼女の近くまで寄って、冴椋は固く目を閉じているその横顔を見つめた。
「小さな身体でよく頑張ったな。もう充分だぜ。後はゆっくりと休むがいい」
言いながら、弦を弾く。
流れ出したのはショパン夜想曲第二番変ホ長調九の二番。
ゆっくりと始まる曲は微妙な緩急を装いながら、繰り返す旋律の中に悠久を感じさせる。優しく、そして穏やかな響き。何もかもを飲み込んでしまうような大きさを感じさせる調べ。それに合わせて、彼女の身体が左右に揺れる。
後半部に入り、音が大きく弾けると彼女は天を仰ぎ見るようにして顔を上げた。その閉じた眼から涙が溢れ出る。
頑なだった表情に優しい笑みが浮かぶ。
すっと背後に近付いてきた紗威は、冴椋に視線を送る。
小さく頷いた冴椋の横を通り過ぎ、台座に置かれた御守りに手を触れる。
瞬間、声が聞こえた。
「ありがとう」と。
曲が終わり、静けさが戻る。
もう彼女の姿はなかった。
「ご苦労様」
といつの間にか寄って来た蓮が声をかける。
紗威は手に持っていた御守りを彼女に差し出すように掌を向けたが、蓮はそれに薄い笑いを浮かべて首を振った。
「お見事。完璧だね。でもね、完璧過ぎてあたしの出る幕じゃなくなったけど。ただのインチキ商品を飾って置くほど余裕のある店じゃなくてね」
それだけを言うと、蓮は背を向けて歩いていってしまう。
「いいでしょう。それではこれは私が供養させてもらいましょう」
彼女の背を見送りながら、紗威は呟いた。
〜了〜
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3191 / 清華堂 冴椋 / 男 / 25歳 / ミュージシャン】
【3316 / 漣華院 紗威 / 男 / 26歳 / 楽師(ミュージシャン)】
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■ ライター通信 ■
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清華堂様、漣華院様始めまして。ご参加ありがとうございました。とらむです。
大変時間がかかってしまいまして申し訳ありませんでした。
「THE AMULETTE」を御送りします。
時間はかかりましたが楽しく書かせていただきました。ありがとうございます。
お二人のイメージはとても掴みやすく、あまりにいろいろのパターンの話が浮かんできてしまって(汗
お二人の「すかした中にも優しさのある態度」というものを表現するのに苦労しました。結局、スタンダードな形に収まってしまいましたが……。
果たして御感想はいかがなものでしたでしょうか?
お気に召すと嬉しいのですが(汗
また機会がありましたら、ぜひお願いいたします。
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