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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


水妖の夢

【壱】

 静かな湖面。広がる水紋の気配さえもない。ひっそりと風だけが吹き抜け、辺りを埋め尽くすように聳え立つ木々を揺らしささやかに葉と葉が触れ合う音がする。一言で云えば美しい場所だった。他に言葉が見当たらないくらいにひっそりとして、鼓膜の奥には柔らかな温度が満ちる。
 酩酊感にも似たものをもたらす自然のただなかに佇んで、葛城夜都は少し後ろに立っておどおどした様子を隠そうともしない三下忠雄に冷たい一瞥をくれた。何を云ったわけでもないというのに、三下はそれだけでひぃっという言葉と共に肩を縮める。なんでこんな奴と行動を共にしなければならないのだろうか。思いながら夜都は静かな湖面に視線を戻す。
 三下の要領を得ない説明を聞いただけで確かなことは何一つとしてわからなかったが、兎に角この湖で失踪事件が起こっていることは確かであるようだった。ここを訪れる道すがら、三下がわけもなく申し訳なさそうに道を尋ねると人々は決まって眉根を寄せて、あんな所へ行くものじゃない、と云った。祟りがある、水神様にかどわかされると云った者までいたほどだ。
 何が起こっているのだろうか。
 こんなにもひっそりとした静かな場所で、何が起こりえるというのだろうか。
 あまりにも静かで、夜都には事件のような類とは一切無縁のような場所に思えた。
 その時不意に背後で枝を踏む音がする。はっと振り返ると、見知った顔の女性が立っていた。散歩がてらに来たのだといったような自然さで夜都に微笑みかける。
「あら、偶然ね」
 風祭真は云って、三下のほうへと視線を向ける。
「あまりに不親切な説明だったから時間がかかってしまったわ」
 厭味とも取れるようなことをさらりと云って、その言葉に顔を俯ける三下を他所にすっと夜都の傍らに立つ。
「三下さんと一緒にいるってことは、あなたも同じ用件でここにいるのよね」
 夜都は眼鏡をそっと押し上げて、軽く頷く。
「水神様の祟りなんて、そんなものがこの綺麗な湖のどこにあるって云うのかしら……」
 唇に人差し指を押し当てるようにして真が云う。夜都はそれに答えることもなく真と共に湖面に視線を投げる。
 本当に祟りなどというものがこの場所に存在するのだろうか。もし目の前にある湖がもっとおどろおどろしい雰囲気を盛っていたりさえすれば、そんな噂も信じられたのかもしれない。けれど今目の前に広がっているそれはひどく澄んで、祟りなどといったものとは無縁のように思えた。
 晴れ渡った空から降り注ぐ陽光が湖面に煌き、覗き込めば底が見通せそうなほど湖を満たす水は澄んでいる。
「三下さん」
 不意に真が二人の後ろでどうすればいいのだろうかといった体でおろおろしていた三下を呼ぶ。それにはっと顔を上げて、なんでしょう、と呟く三下に真は満面の笑みで云った。
「男性じゃないと駄目なんでしょ。疾風を護衛につけてあげるから、え……、じゃなくてとにかく男性がいることを相手にわかってもらわないとね。そうすればきっと姿を現すことはない筈よ」
 云い掛けた言葉が夜都にはわかった。真は三下を餌に相手をおびき出すつもりでいるのである。自分は高みの見物を決め込むつもりなのだろう。真らしいといえば真らしい。思って夜都は三下に冷たい視線を向ける。
 それに萎縮したのか、三下はおそるおそるといった体でゆっくりと一歩を踏み出し水際に立った。そして一度縋るような目を二人に向けたが二人は敢えてそれを無視し、互いに目配せをした。何かが起こった時にどうするのか。それは起こってみなければわからないといったような曖昧なものだったが、三下はそうした二人の態度に諦めたのか湖に向かって、自分の存在をアピールし始める。
 その姿が滑稽だったのか、真が小さく笑う。夜都が窘めるような視線を向けたが、それもまた真の柔らかな微笑の前では無力だった。
 不意に辺りの空気が揺らぐ。
「来たわね」
 当然のことのように真が笑って、夜都を見る。
 そしてすっと湖面に視線を移した。それに倣うようにして夜都もまた湖面に視線を向けると、それまで静かだった湖面の奥底から何かが湧き出してくるような水紋が広がり始めた。それを見て、三下がその場で腰を抜かす。
 ―――わらわになんの用じゃ。
 幻か。
 水面に俯き加減に佇む和装の女が立っている。艶やかな着物から推測するに、高貴な位にある人物なのであろう。長い黒髪が艶やかに紅色の着物の上に流れ、白い面がそれに良く映えた。
 ―――下賎な者どもが……。
 吐き捨てるように女が云う。
「それはあなたも同じでしょう」
 呟くように云って、真は夜都に何かを伝えようとするかのように目配せをした。

【弐】

「過去から目を叛けて、何をおっしゃるの」
 真は穏やかな笑みと共に鋭い口調で云う。
 すると女は面を上げて、きつく真を睨みつけた。その鋭い視線に宿る憎しみや恨みから、神などではないのだと夜都は覚る。
「男を喰らうあなたこそ、下賎な女ではないのかしら?」
 真は怯むことなく悠然と告げる。それに女は棘のような声で答えた。
 ―――おぬしもあの女と同じようなことを云うのか。あやつと共にわらわを笑い者にしたあの女と同じことを云うのか……。
「偶然ではないのかしら?私はあなたの云うあの女も、あやつなんて人も知らないわ」
 さらりと答える真は微笑を湛えたままだ。
 夜都は二人のやり取りから推測した。きっと彼女は古の姫。愛した男が自分よりも下賎な女を選んだことに怒り、気位の高さゆえにこの湖で自害したのではないのだろうかと。
 ―――死にたいか。
「いいえ。殺すおつもりなら、こちらもそのように対応させて頂きます。―――ねっ、夜都さん」
 真の言葉に夜都は静かに頷く。
 ―――その高慢な態度、本当によく似ておる。わらわを捨ててあやつが選んだ下賎な女に本当に良く似ておるぞ。
「それがなんだと云うの?」
 ―――わらわは神じゃ。
「それは錯覚よ」
 一言で一蹴して、真は続ける。
 女が下賎な女を選んだ男への怒りから自らの命を絶ち、その後この湖にとどまったままでいるのだという現実を突きつけるようにして淡々と云う。憎い男を引き寄せて喰らい、そのなかで自らを神だと思い込んでいるだけだと。過去から目を叛け続けたところで報われるものはないのだときっぱりと言い放つ。
 ―――おぬしに何がわかるというのじゃ。
 女の言葉に真ははっきりとした言葉で答える。
「あなたが神などではないことよ」
 もう真は笑っていなかった。いたって真剣な眼差しで女と向き合っていた。自身の性別が影響しているとでもいうのだろうか。神を名乗る女への情など微塵も感じられない冷たい雰囲気。突き放すようにして現実を突きつける言葉の一つ一つ。それが痛いほどに肌で感じられる。
「あなたを愛した男はもう別の女ものになっているのよ」
 云い放つと同時に、鋭い水の刃が真の髪を掠めた。
 はらりと一房の髪が落ちる。
 ―――つまらぬことを云いおって……。
 憎しみだけが総てになったその声にはもう理性の欠片も感じられなかった。

【参】

「あら、余程縁があるのね。―――そう思わない?夜都さん」
 真は矢張り怯むことなく夜都に云う。そしてどうするのかを問うように微笑むので、夜都は残された道はもう一つしかないだろうと思って頷いた。すると真はすっかり腰を抜かしている三下に向かって云う。
「三下さん、命が惜しかったらさっさと逃げてね。邪魔だし」
 微笑みは氷のように冷たかった。それに自らを守ってくれる者がどこにもいないことを覚ったのか、這うようにして三下が水際から退散していく。それを見届けて夜都は云った。
「この世の事象は名を与えられ姿を維持するまやかし。生を喰らい、生に足掻く獣に過ぎぬ。私には「真の紙」はわからぬが、神と名乗れば妖と同じ。災いをもたらすものであれば、狩るしかあるまい」
 その言葉に満足したのか真は一歩を踏み出す。そしてすっと息を吸い込むと、凛とした声で云った。
「風よ、凍れる気を纏い偽りの神を縛せ!」
 鋭く空気を裂くように響いた美声と共に生まれた風は瞬く間に辺りを凍てつく空気で満たし、目の前に広がっていた湖を凍りつかせた。そのなかで女が恨みがましい目で二人を見ている。
「これでは手も足も出ませんよね」
 艶然と笑った真は、これで自分の役目は終わったとでもいうように湖に背を向け夜都に微笑みかける。
「あとは任せたわよ」
 言葉に頷いて、夜都は腰から下げた漆黒の鞘に手をかける。そしてすっと妖刀を引き抜くと、軽い跳躍と共に白銀の刃で女の頸を切り落とした。冷たいそれを切り落とした感覚はひどく重たく、そして長きに渡る恨みや憎しみに触れてしまったような気がした。鼓膜を劈くような悲鳴が辺りに木霊す。
「……愚かな」
 呟くと真が微笑と共に夜都を見ていた。
「真の神は贄など必要としないのよ。己の力のみで十分。……今度はあなたが贄になる番のようね」
 ゆるゆると辺りに温もりが戻ってくる。そのなかで絶えていく女に向かって云い放つと、真は夜都の傍らに寄り添う紫黒へちらりと視線を向けた。そしてもう総ては終わったのだとでもいうような体で、滑らかな仕草で夜都が妖刀を鞘に戻すのを見届け問う。
「なぜここにって顔ね?なんでもないわ。ただの暇潰しよ♪―――じゃ、またどこかで会いましょ」
 白い手が夜都の頬に触れた。そして刹那、唇の温みを夜都は感じる。白い手の冷たさと唇の温みが頬に奇妙な感覚をもたらして去っていく。
 紫黒の姿を視界の端に捉えながら去っていく真の後ろ姿を視線で追いかけながら、果たして真はこの女の末路をどう思っているのだろうかと思った。頬に触れた唇の温度の温かさが不思議な疑問を残していく。
 しかしそれが解決されることはない。
 真は去り、自身は残された。
 それだけのことである。
 わかることは一つだけ。
 もう一つの出来事は終わってしまったというそれだけである。
 夜都はそっと眼鏡の縁に触れて、腰を抜かしたままの三下を一瞥して歩き出した。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3183/葛城夜都/男性/23/闇狩師】

【1891/風祭真/女性/987/『丼亭・花音』店長/古神】


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■         ライター通信          ■
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この度はご参加頂きまことにありがとうございます。沓澤佳純と申します。

>葛城夜都様。

いつもお世話になっております。沓澤佳純です。
非常に好みな方でいらっしゃるので、書かせて頂くことができて本当に嬉しいです。
毎度申しておりますが何よりも眼鏡が私の心を惹きつけてやみません。(笑)
書き手の私もいつも楽しませて頂いております。

>風祭真様。

初めまして。沓澤佳純と申します。
清々しさのようなものの内側にある本質的なものをあまり表に出さない方なのではないかと思いながら書かせて頂きました。
とても好みな美人さんでとても楽しく書かせて頂くことができて嬉しく思います。

この度のご参加本当にありがとうございました。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
今後また機会がありましたらどうぞ宜しくお願い致します。
この度は本当にありがとうございました。