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<東京怪談ノベル(シングル)>


早旦

 雨の日も嫌いじゃないけど、日曜日はやっぱりからっと晴れてる方がいいわ。だってその方が、お休みだから出来る事が、無限に広がるような気がするんだもの。

 …それに、雨だと散歩の時に足が濡れちゃうしね……。


 うふふ。
 「あら、なずな。ご機嫌ね?やっぱりなずなも晴れて嬉しい?」
 璃生は、自分の隣に並ぶなずなを見下ろし、穏やかに笑う。なずなの足取りは軽く、まるで踊るように四肢を跳ね上げて歩いている。爪でかっかっと乾いた土を蹴ると、朝靄に混ざって微かな砂煙が舞い上がった。
 雨が降る率が高くなったものの、まだ梅雨明け宣言の出ていない、とある日曜日。前日も昼まで雨が降っていたせいで、空気はしっとりと湿った感じがする。尤も、これだけ朝が早ければ、夜の名残の朝露もまだ葉っぱの上でゆらゆら揺らめいているし、昇り掛けた太陽の光に温められた湿り気が、草いきれとなって独特の匂いを漂わせている。河原には他に人の気配も無く、璃生はこの時間帯がとっても好きだった。
 他に人がいれば体面上、なずなにもハーネスを付けないといけないが、今は璃生となずな以外には誰もいないから、紐を外した自由な状態で散歩している。それでもなずなは自分勝手に走り出すようなことはせず、璃生と同じ歩調で常に隣の位置をキープし続けている。それはまるで、璃生の傍から離れてはならないと、堅く戒められているかのような、そんな忠実さでもって。
 「なずな、たまには思いっきり走ってきてもいいのよ?いつもいつも私と歩調を合わせてばかりじゃ、つまらないでしょう?」
 いいの、これで。
 「もう、なずなったら…いつまで私を子ども扱いするの?」
 ずっとよ。
 くすっと、なずながからかうように笑ったような気がした。勿論、なずなは犬なのだから、人間のような笑顔が作れる訳ではない。それでも璃生には、なずなが目を細めて笑ったような気がした。

 長い時間を掛け、山の天辺から川を伝って転がってきた石ころ達。角が無く、丸いそれらを自然が敷き詰めた河原を、璃生となずなは歩いている。両手を左右に大きく広げ、思いっきり深呼吸をすると、生まれたての新鮮な空気を、体の中一杯に吸い込んだような気がした。
 「ねぇ、なずな。水の匂いも素敵よね…私、大好きだわ。特に朝早い時の水の匂いは、格別なような気がするの。まだ、何にも触れてなくて全然汚れてないような感じ…。なんか、早起きした私だけの特権、って気がして、嬉しくなっちゃうの。なずなも嬉しくなっちゃうよね?」
 にこりと笑って見下ろしてくる璃生の青い瞳を見上げ、そうね、となずなも微笑み返す。勿論、実際になずなが表情として微笑んだ訳ではない。そうねと声に出して返事をした訳でもない。そんなような気がする、と璃生がいつも思うだけだ。
 今日の璃生は、いつも嵌めているカラコンもしていない為、生来の宝石のような青い瞳そのままである。璃生の瞳を、異端だとして疎ましく思う人もいるが、なずなはそのサファイアのような瞳がとても好きだった。その瞳に見つめられているだけで、気持ちはほわんと暖かくなり、この少女を、自分が守ってやらねばならない、と言った気持ちにさせられるのだ。そんななずなの想いに、璃生も一方的に寄り掛かる事はなく、持ちつ持たれつのいい関係を築き上げていた。

 璃生の靴先が、河原の小石をひとつ蹴っ飛ばす。思いのほか、強く蹴ったらしいそれは、勢い良く飛んでいって、そのまま川の中に飛び込んでいく。すると、丁度そこに居たらしい、小さめの鯉が、ぱしゃんと水飛沫を上げて飛び跳ねた。
 「あっ、ごめんなさい!そこにいるなんて知らなかったの!」
 ヒドイなぁ。びっくりしたよ。
 鯉が、ぱくぱくする筒型の口を尖らせるようにして、璃生に抗議する。が、鯉とて、璃生が意図的に石を自分の真上に蹴り入れたりする訳がない事ぐらいは承知の上だ。ただ、璃生と言葉を交わすきっかけが欲しかったに過ぎない。
 「…怒られちゃった」
 仕方ないわよ。
 なずなが、璃生を宥めるように、ふかふかの尻尾で璃生のふくらはぎを優しく叩いた。その声が聞こえたのか、また同じ鯉が、怒ってないよ、と言うかのよう、さっきよりも更に高く飛び上がって、黒銀色の鱗を朝日に煌かせた。

 街中から程近いこの河川は、然程大きな川では無いが、都心に近い割には静かで水も清く、いろんな生き物達の生活の場になっていた。
 魚や鳥や動物達には生命があると言う事は、殆どの人が承知している事と思う。だが、昆虫もそうである事をしっかり認識している人は少ないし、ましてや木々や花やただの草もそうであると分かっている人はもっと少ない。それはきっと、植物は人間の起こした行動に対して、はっきりと分かるようなリアクションを返してこないからだろう。
 「………あ、…」
 璃生が微かな声を漏らす。ナニ?と尋ね返したなずなが、璃生の視線の先を追って、これから行こうとしている河原の向こうを見た。
 足早に璃生は近付き、跪く。その傍らから同じようにそこを覗き込んだなずなは、鼻先を近づけて軽く匂いを嗅いだ。それは、普段以上に青臭い、生の草の匂いがした。
 「…可哀想」
 璃生がぽつりと呟く。そこにあったのは、名の無い小さな野の花である。本当は、ちゃんとした名前があるのだろうが、なずなは勿論、璃生も知らなかった。ただ、この辺には点在してたくさん咲く花で、その小さな薄紫色の可憐な花が、璃生もなずなも、とても好きだった。だが、その花も今は以前の面影は無い。一輪だけのその花は、何者かの無遠慮な靴の踵に踏みにじられ、花弁も茎も潰されてしまっていたのだ。
 「たくさん固まって咲いてたら、こんな事にならなかったかもしれないのにね…」
 そうね…。
 なずなも、寂しそうにそう呟いた。もふもふの尻尾が力なくだらんと垂れ、後ろ足の間にそっと挟まれる。璃生は何故か、こうした植物を見ると、心臓を冷たい濡れた手で直に鷲掴みされるような感覚を覚えるのだ。それは、さっきからなずなや他の生き物達と極々自然に会話を交わしているのと同じよう、植物とも気持ちを通わせる事の出来る、璃生の能力に他ならないのだが、本人はその事はまだ気付いていなかった。なずなとのコミュニケーションも、『そんな気がする』と思っているに過ぎない。
 「なずな…どうして人は、時々こんなに無神経なのかしらね…?気付いていれば、こんな可愛い花だもの、あえて踏み付けたりはしないと思うのよね……」
 ………。
 なずなは返事を返さない。なずなは、可憐な花がそこにあると分かっていて、あえて踏みにじり楽しむ人が居ると言う事実、世間の酷薄さや残酷さを知っているからだ。勿論、璃生もそれは知ってはいるが、ただ、璃生はなずなよりも、人の善意を信じようとする思いが強いだけだ。
 それと、なずなにしてみれば、世間一般のシアワセやヘイワを守るより、目の前の璃生を守る事が最重要課題なのだ。だから、儚い希望や不確かな未来を賭けるより、現実的に璃生の笑顔を守る方が大事なのだろう。
 ふと、璃生の青い瞳が驚きで見開かれる。なずなもほぼ同時に気付いて、鼻先を潰された野の花へと向けた。
 大丈夫。平気。
 その声は、茎が千切れかけた小花から確かに聞こえてきた。
 これぐらいじゃへこたれないの。
 無残な見た目からは想像が付かないほどに、野の花は力強くそう言い切った。雑草の力強さ、したたかさだろうか。これしきの事では、人間などに自分達の生を断ち切る事など不可能なのだ。そう、小さな花は主張していた。
 そして最後に、野の花はふわりと微笑んだ。ように見えた。

 ありがとう。

 「…植物って強いよね。見習わなきゃ」
 璃生が笑みを浮かべ、立ち上がる。既に再生に向け、目に見えない活動を始めている小さな花に軽く手を振り、行こうか、となずなを促す。なずなは頷き、また璃生の隣に並ぶと、歩調を合わせて歩き始めた。

 璃生の方がよっぽど強いわ。なずなはそう思ったが、それはあえて口には出さなかった。


おわり。


☆ライターより
先週の日曜日に納品できれば時期的には最高でした…もたもたしているうちに本当に梅雨入りしちゃったじゃないか!(涙)
と言う訳で(何)、はじめまして!シチュノベのご依頼、誠にありがとうございました。ライターの碧川桜です。
 遅筆なのは相変らずなのですが、納品のタイミングを見誤ってしまった事がプチショックで…(笑)それでご挨拶がてら、しゃしゃり出てきた訳です。
 ちっと時期のずれたシチュノベですが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。ではでは、またお会いできる事をお祈りしつつ…。