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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


優しき掌

 エリス・シュナイダーは歩いていた。茶色い短髪を風に靡かせ、紺のミニ丈エスーツからすらりと伸びた黒ストッキングを履いた長い足を交互に動かしながら。長身のメイドが颯爽と歩く姿は、嫌でも目立っている。
(いつも通りの、街ですね)
 エリスは辺りを見回し、ふと思う。周辺には、空に届いてしまうのではないかと心配になるほど背の高いビルが立ち並んでいる。歩道には、どこから集まってきたのだろうかと疑問にさえ思うほどの人間が行き交っている。車道には、交通機関がそれしかないのではないかという思いまで浮かんでくるほどの車が走っている。
(ゴミゴミとして……本当に、いつも通りの街)
 そんないつも通りの風景を映し出していた街は、突如として通常から外れた景色を映し出した。エリスは思わず目を見張る。自分の目がおかしくなったのではないかと、ごしごしと擦り、再びゆっくりと青の目を見開く。勿論、見間違いなどではなかった。
「あれは……」
 エリスは思わず呟く。目の前に現れたのは、巨大なメイド服の女であった。自分と同じような、ミニ丈のメイド服を纏った、巨大な女。驚いた事に、ビルよりも大きい。
(まるで……わたくしのよう)
 あらゆる物の大きさを自在に変える事の出来るエリス。自分を大きくしたかのような、またはこの大都市自体を小さくしてしまったかのような。
(わたくしは、ここにいますし)
 エリスは、確かにこの場にいた。自分を大きくしていようが、大都市を小さくしていようが、どちらにしてもエリスがこの場にいるというのはおかしな状況であった。
(それとも、あの方もわたくしと同じような力を持っているということでしょうか?)
 考えられるのはそれしかなかった。この特異ともいえる能力を、あの巨大なメイドも持っている……それしか考えられなかった。
「……おや」
 エリスは辺りを見回し、ふと気付いた。こんな状況になってしまったというのに、誰も叫んだり、逃げ出したりする人がいないのだ。普通ならば現れた巨大なメイドに、恐怖の感情を抱くであろうに。誰もそれをしないのだ。
「巨大なメイドだよ」
「あらまぁ、大きいわねぇ」
 呑気そうな会話に、エリスは思わず振り返る。人の良さそうな中年の夫婦だ。エリスは首を傾げつつ、夫婦に問い掛ける。
「どうして、逃げないのですか?」
 エリスの問いに、夫婦は顔を見合して笑う。
「どうしてって……なぁ?」
「ええ。逃げる必要なんて、ないじゃないですか」
「逃げる必要が……ない、ですか?」
 不思議そうなエリスに、夫婦は揃って頷いた。優しそうな笑みを浮かべたまま。エリスは呆然としたまま、再び巨大なメイドを見る。すると、周りの人々がだんだん逃げるのとは逆方向に動いている事に気付いた。メイドのいる方へと、集まっていっているのだ。
(逃げるのではなく……逆に近付いていっているというのでしょうか?)
 エリスは巨大なメイドから視線を外し、メイドに近付いていっている人々を観察する。人々は確かに、メイドに向かっていた。我先にと押したりする事も無く、綺麗に列を為して。整備をしている人など何処にもいないのに、皆マナーを守り、綺麗に並び始めていた。その列の先にいるのは、あの巨大なメイド。
(わたくしも)
 エリスはきゅっと手を握り締める。
(わたくしも、皆さんに倣って並んでみましょうか)
 エリスがそんな風に思うのは、至極自然な事のように感じた。当然の事のように、それが当たり前の事であるかのように。


 巨大なメイドに近付いていくと、メイドが本当に巨大なのであるという実感が湧いてくる。彼女に比べると、空まで届くのではないかと不安になっていた高層ビルが、空までなど夢のような話だったのだと思えるほど、ちっぽけに見えてくるから不思議だ。
(本当に、大きいですね)
 エリスは巨大なメイドを見上げながら、ふと思う。感心にも似た溜息が漏れる。
(そして……何だか不思議な感覚です)
 まるで、自分がそこに存在しているかのような感覚だった。自分はこうして自分とは違う存在である巨大なメイドを見上げているというのにも関わらず、何故だか自分が巨大化しているかのような。
(確かに、わたくしと彼女は全く違う存在だというのに……)
 巨大なメイドは、ビルにそっと腰掛ける。その気になれば、勢い良く腰掛け、壊してしまう事もできるであろうに。彼女は壊す事なく、ゆっくりと座ったのだ。柔らかな物腰のまま、彼女は自分の周りに集まっている人々を見つめている。
(ああ、何て)
 エリスは周りの人々がしているのと同じように、柔らかな眼差しを巨大なメイドに向ける。
(何て、優しい空気なんでしょう)
 エリスはそっと微笑む。巨大なメイドに対して、恐怖や怯え等は全く感じなかった。それどころか、その巨大なメイドと対話をしてみたい。そのように思えてくるのだ。
「あら」
 ふと気付くと、巨大なメイドは黒いストッキングを履いているだけであった。靴は、何故だか履いていない。
(どうしてでしょうか)
 どうでもない一つの事が、気になり始めるとどんどん気になってくる。エリスは周りを見回し、一人の男性に声をかける。
「あの、あの方はどうして靴を履いてらっしゃらないんでしょうか?」
「え?……ああ、何でも靴は街に入る前に脱いできたとか」
「町に入る前に?何故?」
 尚も尋ねるエリスに、男は小さく笑う。
「靴についた大きな岩や、土砂を、街に持ち込まない為だとさ」
(ああ……!)
 エリスは妙な納得を感じた。体中を駆け抜けていくような、そんな感覚を伴いながら。
(大きな岩や、土砂。それらはこの街には不要のものと感じたからですね)
 人々を怪我させないように。ビルなどの建築物を破壊しないように。細部にまで彼女の優しさが行き届いている。
(本当に……不思議ですね)
 エリスは再び巨大なメイドを見上げる。間近で見る彼女は、先ほど遠くで見たときに感じた以上に大きかった。それでも、やはり恐怖などの感情は生まれない。彼女が存在している事は、至極当たり前の事のように感じるのだ。彼女に対して生まれるのは、恐怖などではない優しい感情。彼女から放たれている感情も、やはり優しさである。
 彼女は座っていたビルから立ち上がり、ゆっくりと周辺に注意を払いながらしゃがみ込んだ。だが、やはり誰も逃げる事はしない。ただ彼女を見つめている。彼女はにこやかに微笑みかけ、掌を広げて地上に置いた。一瞬どよめきと歓声が沸きあがってから、その上に躊躇する事も無く集まっていた人間たちが乗った。それを確認すると、再び彼女は立ち上がり、ゆっくりとビルに腰掛けた。ゆっくりと座った為か、ビルはびくともしない。
(ああして掌に乗る事も、恐れる対象にはなりえないのですね)
 エリスはじっとその様子を窺う。掌に乗っている人間達は、巨大なメイドと楽しそうに対話をしていた。彼女はにこやかに話を聞き、時々何かを言い、楽しそうに笑う。
(何て、自然なんでしょう)
 それが普段よくある出来事の一こまなのだと、自然と思えてきた。よくある風景の一部。特別騒ぎ立てる事でも、特別恐怖を掻き立てられる事でもない。ごくごくある出来事であり、今更それを特別という方がおかしいとまで思えてくるのだ。
 ふと気付くと、彼女の掌に乗って対話をしようとする人の列が出来ていた。エリスはそれにそっと並んだ。
(是非、対話をしてみたいです)
 そんな思いでいっぱいだった。何故だかは分からない。だが、確かにエリスは対話をしてみたいと思えてならなかった。聞きたい事も山のようにあるような気がした。勿論、それを具体的な言葉にするのは難しかったのだが。
 何度目かの彼女と人々との対話が為され、いよいよエリスの番がやってきた。巨大なメイドは先ほどまでと同じような動作でゆっくりと立ち上がり、今まで話していた人々をゆっくりと降ろし、そっと掌を開いて上に乗るのを待った。エリスは並んでいた他の人々と一緒に、その柔らかな掌の上に乗る。想像以上に柔らかな掌の上は、まるで雲に乗っかるようであった。大体の人数が乗ると、巨大なメイドは再び立ち上がる。
「……高いですね」
 どんどん下がっていく眼下の景色に戸惑いつつも、エリスは呟く。そして気付く。眼下の景色が、どこまでも広がっている街であると。その果てしなく広がる世界の中に、自分が先ほどまでいたのだと。
「……凄いですね」
 エリスはそう小さく呟き、今度は眼下の景色ではなく、柔らかな掌の主を見上げた。エリスの目の前で、彼女は微笑んでいた。柔らかな眼差しで掌の上の人間達を見つめ、優しい眼差しを向けている。
(何て優しい眼差しを)
 エリスは思わず微笑み返す。自然と手が上がり、彼女に向かって手を振った。彼女は手を振り返すことが出来ない為、それに対しては優しく微笑む事で返してきた。エリスも微笑む。柔らかな空気がそこに流れ、温かな空間がそこに生まれる。
 エリスは何となく分かっていた。この巨大なメイドの正体を。別個の存在だが、一つの存在でもあるその彼女を。そうして気付く。
 破壊する事が全てではない。
 恐怖させる事が全てではない。
 人は残酷になることも出来るのだから、その逆だって出来るのだ。
 エリスは微笑む。安堵感が心の奥底から湧き出るようであった。そしてそれは、目の前で微笑む巨大なメイド……もう一人のエリスが微笑んでいる事がそれを裏付けていると思えて仕方が無かった。確かな言葉としては出てこないかもしれなくても、こうして微笑んでいる事が、全ての理由として存在出来得ると。


 エリスはそっと目を開く。目覚し時計は設定している時間の、一分前を差している。それが鳴らないようにスイッチを切り、エリスは起き上がった。
「夢、ですか……?」
 エリスは小さく呟き、掌をそっと見つめた。白く柔らかな、そして優しい掌。それは夢の中で体験する事が出来た。自らも持っているという認識を、改めて感じる事も含めて。
「支度を、しましょうか」
 そっと微笑み、エリスは掌をゆっくりと握り締めた。未だ残る夢の中の優しい空気を、逃さぬかのように。

<夢と現の狭間で優しき空気を掴み取り・了>