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<東京怪談ノベル(シングル)>


雨上がりのダンディ

 「………あ〜…………」
 間延びした、疲れたような声が微かにどこかから聞こえたような気がした。武彦は立ち止まり、傘を上げて周りを見渡してみる。周囲は、一刻前から急に降り出した雨で薄靄が煙り、情景としてはなかなかオツな感じだが、これから歩いて事務所まで帰る身としては、鬱陶しい事この上ない。
 「いくら梅雨入りしたからって言ってもなぁ…律儀に降り出さなくてもいいだろ…」
 ぶつくさと、言ってもしょうがない文句を垂れていたその時である。
 ぴと。
 何かが、武彦の肩に乗っかった。重さとしては子猫程もあるかないか、だが、そのにょろんとした感触には身に覚えが無い。第一、猫にしたって、この状況でいきなり肩に乗っかられる事などあり得る筈が………
 「うわぁっ!」
 柄にも無く思わず大きな声を出してしまったその訳は、自分の肩に乗っかっていたのが体長三十センチ程の真っ白い龍だったからである。
 「なっ、なっ、な………」
 「そんなに驚かないで欲しいアル」
 「喋ったっ!?」
 思わず裏返ってしまった声に、武彦が落ち着きを取り戻そうと、軽く咳払いをした。何をこの程度の事で驚いている草間武彦。今まで、これ以上の怪奇にも幾度と無く係わってきた、怪奇探偵とまで呼ばれたこの俺が……。
 「…………」
 「どしたアルか?急に黙りこくて」
 「…いや、自分で言って自分で情けなくなっただけだ」
 往生際の悪い武彦は、怪奇専門となりつつある己の探偵人生を、すっぱりと割り切る事は未だ出来ないらしい。
 「そんな事より、何か用か」
 「用て程のコトではないアルが…急に雨が降てきたから、びくりしたアルよ。私、雨、苦手アル。濡れると皺寄るし体縮むし重くなるし、イイコトないアルよ」
 肩の白龍は、同色の長い髭をピクピクさせつつ、そう言って上目で武彦を見詰めた。
 「それで目の前にあった傘に飛び込んだって訳か」
 「ご明察アル。それに、なんか気配を感じたアルよ。兄さ、イロイロと好かれるたちアルね?」
 「…好きで好かれてる訳じゃねぇ……」
 溜息を零す武彦は、肩に龍を乗せたままで歩き出した。
 「どこに行くアルか?」
 「俺の事務所。雨が苦手なんだろう?だったら止むまで雨宿りをしていけばいい。広いとこではないが、龍の一匹や二匹、増えたところで困りはしないさ」
 「ありがと♪兄さ、いいひとアルね」
 喜んで髭を揺らす白龍に、おだてたって何も出ないぞ、と笑う武彦であった。


 程なくして、ちょっとうらぶれた裏通りにある、煤けた草間興信所に辿り着く。貧乏性なのは致し方ないが、こう言う雰囲気が生来の探偵だ、などと意味不明な論理を引っさげて、武彦はこの界隈から動こうとはしない。怪奇が武彦の元に集まってくるのは、それも一因ではないかと思うのだが…。
 「なかなかいいところアルね。もう少し、こざぱり(こざっぱり)してると、尚宜しいアルが」
 「それは俺の所為じゃない、梅雨の所為だ」
 事務所内の湿っぽさを長雨の所為にして(そればかりが原因とは思えないが…)、武彦は畳んだ傘を玄関先の壁に凭れ掛けさせ、濡れて乱れた髪を手櫛で整えた。肩に乗っかったままだった彩―――道すがら、彩・瑞芳だと白龍は名乗ったのだ―――の腹を手の平で掬い上げ、来客用のソファの上に降ろそうとする。が、彩の長い身体はするりと武彦の手から滑り落ち、そのまま床を目指す。あっと武彦が微かな声を漏らし掛けた、その直後だった。
 「うわぁッ!」
 本日二回目の叫びに、さすがにクールを気取る探偵は自己嫌悪に陥りそうだ。
 「おまえ…最初っからその格好でいたら良かったのに……」
 「なんでアルか?龍の姿の方が、イロイロ都合宜しいアルよ」
 そう言って目をぱちくりとさせる彩は、白龍から小柄な娘の姿に変身していたのだ。物珍しげにあちらこちらを覗き込む彩に、武彦が溜息を零す。
 「都合宜しければ、龍のまんまでも良かったじゃないか」
 「あー、それはそれ、あれはあれ、これはこれ」
 のほほんとそう言って、ひらひらと片手を振る。足取りも軽く、事務所の奥、武彦のデスクがある辺りへと歩いて行く。
 「おい、勝手に……」
 「あー、久し振りアルね♪」
 「え?」
 誰か居るのか、と慌てて武彦は彩の後を追う。彩は、武彦に背を向ける姿勢で、事務所の隅の方を見ているようだ。
 「こんなところで会うとは奇遇アル」
 「……おい」
 「それにしてもリパ(立派)になったアルね」
 「誰と話してんだ、こら」
 「そんなにここは居心地いいアルか?あー、それは分かるような気がするアル」
 「…何故そこで、俺の方を見る」
 武彦は、振り返って自分をじっと見詰める彩に、今日何度目かの深い溜息をついた。彩が、緑の瞳をくりくりとさせ、にこやかに笑った。
 「武彦さとは相性がいいらしいアル。こんなに住み心地のイイトコはめたにない(滅多にない)らしいアルよ」
 「…あえて誰がだとは問わないからな。だからおまえも言うなよ」
 「何故アルか?」
 「…ヤツの存在を認めると虚しくなるからに決まってるだろ」
 俺の財務事情はお前の所為かお前の所為なんだな、と、何もいないように見える事務所の隅に向かって無言で毒づく武彦。だがそれも、それだけが原因とばかりは言えないような気がするのだが。

 そうして彩が、久し振りの再会に、事務所の角に向かって昔話に花を咲かせているのを横目で見ながら、武彦はデスクの椅子に座ると、椅子の背凭れに上体を預け、大きく背伸びをした。徐に、上着のポケットから幾枚かの紙切れを取り出す。
 「ぎゃあ―――ッ!」
 「な、どうしたアルか!?」
 隅に向かってしゃがみ込んでいた彩が慌てて立ち上がり、椅子に座ったまま凍りついている武彦の肩越しに、その手元を覗き込んだ。
 「…これは何アル?」
 「……領収書…必要経費の……」
 呆然と淡々と、クールがウリの怪奇探偵は、最早己の醜態に凹む余裕すらないらしく、まさに『真っ白に燃え尽き』ている。
 「あ〜…領収書アルか。でも何も書いてないアルよ?」
 「書いてあったんだよ…よく見てみろ」
 ぺらりと、一枚の領収書を彩に向け差し出す。それを手に取ると、彩は蛍光灯に透かして見た。
 「あー?…ちょとだけ見えるアルね。でも何が書いてあるかまでは分からないアルよ」
 「分からないと困るんだよ!」
 不意に我に返った武彦は、ガタン!と大きな音を立て、椅子を蹴倒しながら立ち上がる。あー!と彩が驚いて背後に飛び退いた。
 「武彦さ?!」
 「これがないと、依頼人に請求書が出せないんだよ!」
 それは武彦にとっては死活問題である。請求書が出せる依頼人と言うのは、草間興信所にとっては貴重な相手だ。それ以外の依頼人はと言うと、丼勘定のツケ払いが当たり前の奴らが殆どだからだ。
 武彦は簡易キッチンに飛び込み、ドライヤーを取り出す。温風を領収書に当てて乾かしてみるも、既に滲んだインクを元に戻すことは叶わず。ただ、濡れていた紙が乾いて、シワシワになっただけだった。
 「……あーあ………」
 「あー」
 がくりと肩を落とす武彦の顔を、彩が脇から覗き込んだ。
 「武彦さ、困てるアルか?」
 「ああ、困てるな…これ以上ないってぐらい、困てるアルよ……」
 動揺の余りか、彩の口調が移ってしまっている。
 「そか。困てるアルか。分かた、武彦さにはお世話になたし、ここは私が一肌脱ぐアル」
 そう言うと彩は、武彦の手から領収書を受け取る。何事か、と武彦は、小柄な彩を見下ろした。
 彩は、濡れて乾いて皺の寄った領収書に片手を翳す。暫くそのままの姿勢で、何か対話するように、口元を小さく蠢かせていた。
 「武彦さ、インクあた位置、覚えてるアルか?」
 「あ?…ああ、そこの横長の欄内に……」
 「ここアルね。…あー、ほんとアルね。……あ〜、あ……」
 彩は一言二言頷き、翳した手を軽く左右に水平に揺らす。すると、彩の手が作った影も一緒に揺らめいて、それに釣られるよう、滲んだインクが自ら移動を始め、元あった位置に戻ると、そこに記入されていた金額を再形成したのだ。
 「おお!元に戻った!?」
 「これでいいアルね?」
 彩がニコリと笑う。他の領収書も、同じ要領で全て金額を復元させた。
 「どうせなら、ゼロをひとつ増やしておいてくれると良かったのになぁ」
 危機を乗り越え上機嫌の武彦は、そんな冗談が出る程度には回復したようだ。
 「武彦さ、身分不相応てコトバもあるね。武彦さに大金は似合わないと、カレも言てるアルよ」
 「……悪かったな」
 彩が指差す、事務所の隅を恨めしそうに見詰めながら、武彦は溜息をついた。
 「まぁいい、とにかく助かった。サンキュ。これは礼だよ」
 武彦は、財布から紙幣を一枚抜き出し、彩に差し出した。彩は、両手を身体の前で振りつつ、首も振って遠慮をした。
 「とんでもないアルよ。私は、雨宿りのお礼にと思ただけアルよ。そんな気を使わないで欲しいアル」
 「…そう言いながら、しっかり受け取ってるじゃないか」
 武彦がそう言うと、既に彩の手へと紙幣が移っているのを見、彩がてへへ。と照れ隠しに笑った。

 いつしか雨も上がり、穏やかな夕暮れへと移行していた。まだ少し湿気は多いが、これからは乾いていく一方だろう。
 草間興信所を辞した彩は、謝礼に貰った紙幣を大事そうに胸の前で抱えている。そこには居ない、ずんぐりむっくりなヨチヨチ歩きの姿を思い浮かべると、自然と表情はほんわか笑顔になる。牛乳代、牛乳代♪と楽しげに口ずさみながら、水溜りを器用に避けつつ、帰路を辿る彩であった。


おわり。