|
【 漆黒の翼で2 - 夜想曲 - 】
あんなに気にするな、ゆっくりしていけと言ったのに。
「ファー?」
いたはずの部屋に、その姿が無い。
晩御飯を運んで持ってきたのに、この行き場のなくなった食事をどうしろと言うのだ。
「ファー?」
何度も名を読んでみるが、返事が無い。
家の中をうろついたことはなかったし、彼に限ってそんなことはしないだろう。
だとしたら――
「黙って出て行きやがって……」
心の中に残る不快感。
もう、ほとほりが冷めたのだろうか。だったらそれはそうと言えばいいものを。
何も言わず、黙って出て行った――ファー。
つまりそれは。
「迷惑をかけないためにとか言ったら、承知しねぇからな」
悪態と共に動き出した足。
律ははじかれたように家を飛び出した。
夜道を一人歩くことに抵抗はなかった。だから、どんなに漆黒の闇が続いていようと、怖いという感覚に襲われることはない。
ただ、自分の足音しか響かないほど、静かすぎる不気味さはひしひしと感じていた。
行き先は決まっているが、そこまでの道がよくわからない。
「どっちだったかなぁ……」
バイト先でちろっと噂になっていた、紅茶を専門に扱う喫茶店。記憶の糸を必死に手繰り寄せ、そのときバイトの仲間がどのあたりにあると話していたかを思い出しながら歩いていた。
その情報や、自分の記憶が間違いでなかったのなら――
「この辺のはずなんだけどなぁ」
大通りからやや小道に入った場所だ。外灯の数も少なく、看板の文字もよく読むことはできない。
こんな時間だから、両脇の家から明かりが漏れることもなく、目的だろうと思われる店からも明かりは漏れていなかった。
しかし、温度を感じる。同時に――かすかな香りも。
律は迷っていても仕方がないと、ドアに手をかけた。ノブは簡単に回る。カギはかかっていないようだ。
ドアを遠慮がち開くと、いち早く反応したのはカウベル。今の静寂には似つかない「からん、からん」という大きな音が、店の中に響き渡った。
はじかれるように「誰だ……」と知った声が返ってくる。ファーだ。間違いなく、あの男のものだ。
律は安堵のため息一つ、
「フリーパス貰ったから来てみたものの……なんか紅茶って雰囲気じゃないな」
明かりもつけずに店の中にいるファーへ、冗談交じりにそんな一言を送ったのだった。
「……律」
「まだあの女の子に追われてるのか? 黙って出て行くなんて、水臭いじゃねぇか」
歩み寄り、カウンターに腰をおろすとしっかりと確認できる、ファーの表情に浮かんでいるものは困惑。
「出来ることあれば手伝うからさ、あんまりうだうだ悩むなよ」
「……どうして、来たんだ?」
「手伝いにって、今言ったばかりだろ?」
「お前に迷惑をかけまいと思い、こうして出てきたのだが……」
戸惑っていたのは、これからを悩んでいたからではなく、純粋に律の行動を理解できなかったから。
赤の他人じゃないか。
突然、巻き込まれてしまっただけの事件じゃないか。
だったらどうして、そんなに関わってくれるんだ――
「一つ助けるのも二つ助けるのも、この際一緒だって!」
人懐っこい笑顔が浮かぶ。
自分には何の特にもならないことを、笑顔でやろうとしてくれる律の心が暖かい。
頼ってもいいのだろうか。
こんな頼みをしても、いいのだろうか――
「……力を、貸してもらっても、かまわないのか……?」
「フリーパスの回数、増やしてくれな」
「……ああ。わかった」
◇ ◇ ◇
「さて。どうしたものか」
紅茶館「浅葱」を後にして、またもや夜の街へ飛び出した律は、そっとつぶやき一つ。
ファーからの頼みは、得意ではない分野のものだった。
いや、得意ではないどころじゃない。
ファーを追っている女の子と接触をし、そしてなぜ彼を狙うのか聞いてほしいというのが頼みの一つ。
律は説得とか、話し合いというものの類が、苦手だった。
「拳と拳で語り合う! ……っていうのは好きなんだけど」
しかし、男と男の約束だ。彼の期待を裏切るようなマネはしたくない。
「理由も分からずってのが一番気持ちワリーから、とりあえずそれだけでも聞き出してくる」
律は紅茶館「浅葱」を出る前に、そんな一言をファーへと残した。それは、ファーのもう一つの頼みを否定するためにだ。
「律……」
「そっから先は……それから考えようぜ」
自分独りで決断するには、重すぎる二つ目の頼み。
それは――
もし、自分が本当に危険な存在だったのなら、殺してくれ。
お前の手でとは言わない。
そんな価値のないものに、これ以上関わらず、助けてもくれなくていい。
静かに、あの少女の手で殺されればいいからな。
律の判断に、ファーの命をかけろというのだ。あまりに重い。
そんな頼みを聞くわけにはいかない。
だからとにかく、今はファーが追われる理由を知らなければ、何もはじまらない。
そんなとき。
冷たい殺気があたりに立ち込めた。あまりにいいタイミングすぎる。求めていた少女との接触が、簡単に叶うなんて。
「……ファーを狙っているのは、あんたか?」
「名はスノー」
律の問いに、冷たい声が返ってきた。
「私との接触を試みていた……あの男の話を、聞きに来たの?」
「ああ。わけもわからず殺されるってのは気分が悪いだろ? だから、理由を聞きに」
「そう……」
深い緑をした瞳が、闇夜の中で輝いているように見える。ぞっとするが、ここで引き下がるわけにはいかない。
『話してやったらええやん。そしたら、ターゲットにも伝わるやろ』
少女の姿がはっきりと見えると、その手に持っている大きな鎌も一緒に姿を現した。
スノーのものではない、もう一つの声。もしかすると、その主は――
『俺はスノーの一部であり、最大の弱点であり、強みでもある鎌や。スノーは話すの下手やから、俺が説明したる』
「弱点とか、簡単に教えていいのかよ?」
『……目的は交戦やない。いつまでも追いかけっこしとっても、解決せんからな』
「なるほど」
相手も無駄なことはしたくないらしい。だったら話は早い。
「――罠にかかった気分でもいいから、話を聞かせてもらおうか?」
律はどこか、この状況を楽しむように、口元に「にっ」と笑みを作った。
「疑って当たり前。でも、判断してほしい」
「俺に? ファーが何者かを?」
「そう」
やはり荷が重い。重いけれど――律のほかにやるものがいない。やれるものがいない。
ならば、やってやろうじゃないか。
その重荷を、一身に背負って話を聞き、しっかりと伝えるんだ。
――ファーに――
◇ ◇ ◇
『どこにでもある堕天使の伝説は知ってるな?』
「……堕天使?」
『ファーはその伝説となっとる堕天使の一人だ。こことは違う異世界に天界っつーところがあって、そこで裏切りにあい、地上に堕とされ、そして――』
「人を殺すことに快楽を覚えた」
そこまで言うと、スノーが一枚の羽根を見せた。
小さなスノーの手のひらいっぱいに広がった羽根は、見たことのある漆黒だった。
「翼を失ったのは――完全に天使として追放されたから」
『だが、なぜか片翼を取り返した。でも、もう片翼は取り返せなかった。その片翼が、今、スノーの持っとる羽根なんや』
「この羽根にはあの男が殺戮を繰り返していた時の記憶と、感覚、感情などが全て詰め込まれている」
「ファーが……そんなことを……」
信じられなかった。口数は少ないが、決して人を殺すような感情を持っているようには見えない。
「全てをこれに封じ込めた。けれど、この羽根には意志があり、主人であるあの男のもとに戻ることを望んでいる」
『それが戻ってしもうたら、封じられている全てが開放されて、殺戮者に戻ってしまう』
「だからその前に狩る。必ず彼は人の害になる」
堕天した天使。
強い憎悪だけを抱えて、人を殺すことでその憎悪を晴らして生きていくしかなかった。
「その羽根を消すことは、できないのか?」
そんな堕天使だったときの記憶が込められた翼さえなければ、彼が再びそれを繰り返すことはない。
「一度――消された羽根。しかし、異世界からこの地へ来た彼と共に、再び羽根はこの地へ現れた」
『何枚に散ったかわからないから、羽根を消して歩くよりも、本体を狩ったほうが早いと判断したんよ』
「一枚いちまいに、全ての記憶が?」
「一枚消えれば、一枚現れる。記憶の全てを持って。厄介な羽根」
羽根を全て消すことはもはや不可能。
彼が、殺戮を繰り返した日々を思い出さないためにも、その前に殺さなければいけない。
「……他の方法は……ないのか……?」
『ないな。しかもこの羽根、厄介なことに無力な者に触れると、力が解放され、殺戮者であったときのあの男が身体を乗っ取る』
「堕天使――ルシフェルとして」
道はないのか。
羽根を全部探し出し、彼は今のままで生きるという道は――ないのだろうか。
異世界から来た存在であるファー。
その異世界から一緒に連れてきてしまった、何枚もの羽根。
その中に込められた――ファーの過去の記憶。
その記憶と、感覚、感情、そして何より――力を解放させないためにも、彼を殺すしか、道はないのか――?
いや、どこかにあるはずだ。
だから、最終的な判断はあくまで――ファーと一緒に考えなければ。
この全てを伝えて、ファーと正面を向いて話し合って。
それから……
「これからのことを、決めればいい」
スノーの姿が完全に消えたことを確認して、律は急ぎ足で紅茶館「浅葱」へと翻した。
○■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■○
■ ○ 登場人物一覧 ○ ■
○■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■○
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
‖天慶・律‖整理番号:1380 │ 性別:男性 │ 年齢:18歳 │ 職業:天慶家当主護衛役
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
○■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■○
■ ○ ライター通信 ○ ■
○■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■○
この度は、発注ありがとうございました!
律さん、またお会いできて嬉しいです! ライターのあすなです。
「漆黒の翼で」シリーズの第ニ話目、いかがでしたでしょうか。
今回もプレイングでいただいた台詞を中心に、話の展開をさせていきました。特
にお気に入りなのが、「そっから先は……それから考えようぜ」という台詞で、
律さんの前向きさや、優しさが伝わってくるなぁとしみじみ思いました。
楽しんでいただけたら、大変光栄に思います。
最期までお付き合いいただければ、大変嬉しいです!最終話への参加もお待ちし
ております。
それでは失礼いたします。この度は本当にありがとうございました!また、お目
にかかれることを願っております。
あすな 拝
|
|
|