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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


数十センチの距離
 駅前の本屋で、見知った人を見かけた。
 …ふぅん。
 見かけただけで声はかけずに中のコーナーへ移動する。ぶらぶらと、端から雑誌の棚を見ながら歩き、そして結局はいつも買っている演劇雑誌を手にレジへ向かう。その前には数歩違いで同じく雑誌を――とは言っても漫画だったが――片手に待っている2、3人の学生が立っており、静かにその後ろへと並ぶ。
「本当に好きなんですね」
 掛けられた声を聞いて、身体をそれほど動かさずに振り向いた。見ればさっきも見かけた女性…新野が功刀の手にある雑誌に目を向けている。そう言う本人は先程見かけた新刊コーナーから小説でも買って来たのだろう、自分とは大きさの違う文庫を手に功刀のすぐ後ろに並んでいた。
「大切なもの以外目に入らない時点で、新野だって僕と同類だ」
 たいせつな『もの』…自分に取ってはまさしく演劇。――だが、後ろで穏やかな表情を浮かべている新野に取っては…。
「功刀さんほど入れ込んではいませんけど」
 そして案の定、新野は会話の中身以上のものと受け取らなかったらしい。
「その意味じゃなくて……まあいいさ」
 ちら、と彼女の手にある本を眺め、自分の番になったのを機に話をあっさりと打ち切り、会計を済ませて店を出た。
 彼女が会計を済ませるのを何となく待ちながら。
 ――出て来た新野は功刀が其処にいることに気付くと一瞬だけ立ち止まりかけたが、あら、とも待ってたんですか、とも言わず、その独特の穏やかな…ある意味人を寄せ付けない顔のまま近寄ってきた。其れにちらと目を置くと、近づいてきたのを見計らってゆっくりと歩き出す。
「もう夏ですね」
「そうだね」
 さわさわ。
 耳に触れる、風…目で追うと街路樹の枝葉に絡み付いて流れて行く様が見える。もう暫くすればこうした穏やかな週末も、うだるような熱さに追いやられてしまうのだろうが、今はまだとても穏やかで。
 まるで2人の距離のように。
「皆は元気?」
「そうですね…いつも通りです」
 そう、呟いてそれ以上聞くことも無く。また、新野にしてもそこから新しい話に入る事も無く。
 肩を並べていて、くっつくことも離れる事もない、丁度良い距離。
 互いに会話を苦痛に思う事は無いが、かと言ってこの無言の間に重圧は感じない。寧ろ、そういった時期はとうの昔に通り過ぎた、そんな間柄だからだろう。
 互いに無言のままで。
 ゆっくりと、その時間そのものを楽しむように歩を進めて行く。

 *

 初対面の時から、こんな風だったように思う。
 人をそらさない2人には、いつも何人かの友人がいて。だが、其れは『みせかけ』のものが多いと…ほぼ初対面からお互いに気付いていたようだった。自称『親友』も居たが、現在そういった面々との交流はとうに薄れている。寧ろ淡白過ぎるほど淡白な功刀と新野の関係こそが、今もこうして会えば会話する程度の仲のまま数年続いていられるのだと、ふとそんなことを思ってしまう。
 功刀にしてみても、ある一線を越えて近づいて来ようとする人間…それは過去に居ないわけではなかったが、極力避けて通って来た。新野にしても似たようなものだ、と…やや遠い位置から眺めることが出来た分、身近な位置に居た者よりは良く見えていると思う。
 とは言え、互いに弱点はあったのだが。
 功刀が心底好きな演劇の話題を持ち掛けられれば、その時だけは穏やかな顔ではなく、少年そのものになって熱く語り合う。――新野にとって『家族』が何よりも大切なものであるように。
 だからこそ、それらを否定された時には穏やかな普段の様子からは想像も出来ない程冷淡にそういった人々を切り捨てて来た。
 尤も、演劇と言う範囲の中では仲良く出来ても、それが私的な事に関するとはっきり一線を引くのがいつものことだったのだが。身内と言う、初めから狭い範囲の外の知り合いは全て同レベルの関心しか持ち合わせないようにしている新野は言うまでも無く。
 そこもまた、2人が互いに認めている部分だった。認めたからと言ってやはりある程度以上は踏み込むことも無い。自分の線をきっちり決めているだけに、踏み込まれたく無い位置もある程度想像が付くからだろう。
 まさに、居心地の良い関係かな。
 ふとそんなことを思い…その途端失笑した。不思議そうな新野の目に気付いたがゆっくり首を振り「なんでもない」と示す。そのしぐさだけで納得したのかまた前を向く新野に、今度はほんの少し、ごく自然な笑みが漏れた。

 *

 駅までの短い距離。
 特に何を感じる事も無く…それは逆に言えば、隣に互いが居ても不快になることが無いということ。
 今まで過ごしてきた時間がそう言った遠慮や気詰まりを消してしまったのか。
 いや、そうではないだろう。
 この2人は大学で会った時からこんな風だったのだから。
 意識せずに居られるその距離をやっかまれたのか、付き合っていると言う噂を立てられた事もあったが…否定もせずに互いの生活を送っているうちにいつの間にか消えていた。多分、周囲がからかうのに飽きたのだろう。
 それはある意味では間違いではなかったらしい。後で噂好きの知り合いが教えてくれた所によると、新野の持つ顔立ちや雰囲気に惚れ込んでいた知り合いが、自分を寄せ付けないのは比較的近くにいる…ように見える功刀のせいだとやっかんでいたのが、其れを聞いた誰かが事実と受け取ったか流した噂だったと面白そうに新野に教えてくれた。その時も、「そうでしたか」の一言で済ませてしまったと…これは別ルートから流れて来た噂を聞いて功刀が面白く思ったものだ。――彼女らしい、と。
 『2人が付き合っている』噂が消えたのはその男に恋人が出来たすぐ後のことだったと言うのも、功刀に皮肉な笑みを浮かべさせ、新野を内心呆れさせた話だった。

 *

 ――風が、2人の髪を撫でるように揺らして行く。春と夏の合間の、穏やかなひと時。
 涼しげな風に目を細めると、隣で歩いていた新野がそっと僅かに乱れた髪を指先で整えていた。

 *

「それじゃ」
「うん。また」
 距離にしてほんの数分。
 駅の改札で、短く言葉を交わし…空いた手を軽く上げて別々の道に進んで行く。
 約束は無い。
 今日のように偶然会う事はあっても。
 そしてまた、会ってもやはり今日と同じように何気なく会話し、行き先が同じならば一緒に歩んで行くのだろう。
 そこに何らかの情が存在するとすれば――それこそが、『友情』なのかもしれなかった。
 つかず離れず。
 ある種…理想の関係としての、距離。
 数十センチのその幅――肩がぶつからない程度のその幅が、2人の間の距離だった。

-END-