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無為なる想い……
世は、大安平穏の流れの中に在るかに見えるが、そうで無い事も多々ある。殺人、誘拐、強盗etcetc……平和と思える影の中に存在する闇すらも、世の事柄なのだ。そして、そんな中の事柄に自分が関わる等、誰が予想出来るのだろうか?そう、彼もまたそんな一人……
清々しい朝の景色を愉しむのが、幻・― (まぼろし・ー)にとっての日課だ。今日も今日とて、朝の静謐な空気を感じながら、何時も通る公園を散歩している。例え、天気が今にも崩れそうでも、幻にとっては何時もと変わらぬ朝に変わりはないのである。道行けば、当然人とすれ違うのだが、すれ違う人は幻の事に気付かない。そう、幻が好きな時間……その時間だけは素顔で歩くのが日課である為、幻はその存在を世界から遮断していた。最も、普段から極度の対人恐怖症である為、出歩く時は常に存在を遮断しているのだが、朝は特に誰にも邪魔されたくないという思いもあるのだろう、普段の幻よりも表情に少し柔らかい印象を受ける。
何時ものコースを、何時もの様に歩く……そんな時間に安堵を覚えながら歩いている幻の視界に、それが引っかかる。気にしなければ、別段特に何も無い筈なのだが、何故か幻にはそれが気になった。
それは、真っ黒なゴミ袋……今では殆ど見なくなってしまった代物である。
「何であんな物が……?昨日は無かった筈なのに……」
一人呟くと、それに近付きそっと摘まんで引っ張ってみる。しっかりとした重みを感じ手を離した時、結ばれていた袋口の隙間から確かに見えた。
「……まさか!?」
幻は考えるより早く行動に移す。袋口を一気に開けて中を覗き込んだその視界には、予想と一致した物があった。
まるで、人体模型をばらばらにしたかの様なそれは、まだ幼い少年の骸……四肢は無残にも細切れにされ、胴体は四分割されており、頭部は顔を潰された挙句に真っ二つに切断されていた。成長し切っていない体躯には、切断された折に出た血が惨状を物語る様に付着し、異様さを更に醸し出していた。
「な‥‥なんでこんな……」
苦渋に顔をしかめる幻は、そっと触れる。最早、肉片としか呼べないその命に……
触れた瞬間、その命の記憶を奪って行く。こうなった事情を、幻は知りたかった。
『母さん〜父さん〜早くぅ』
『よーし!追いかけっこだ!』
『転ばないでよ〜?』
幸せそうな記憶……生前の少年の視点から見える二人の男女もまた、幸せそうな笑みに彩られている。幻は更に、記憶を視て行く。
『可愛そうになぁ……まさか、あんな事に成るなんて……』
『こんな小さな子供を残して逝くなんて……さぞ無念でしょうにね……』
次に見えたのは、大勢の大人が黒の服に身を包んでいる光景……少年の目線にあるのは先程見た男性の写真と、様々な飾り……葬儀の場である事は直ぐに分かった。視線が流れ、隣に座っていた女性……少年の母であろう女性は、誰憚る事無く涙を流し続けていた。
不意に、次の光景が映し出された。
『ごめん!母さん!!ごめんなさい!!』
『煩い!!謝れば良いと思ってるの!!ふざけないで!!』
幾度も幾度も振り上げられる女性の手……それに伴った衝撃と苦痛が幻には解る。女性の顔はまるで憎しみを叩き付けるかの様に激しく歪み、振り上げた手にも容赦は無い。幾度も幾度も叩き付けられた痛みに、記憶が途切れる。そして……視えなくなった……
幻は、泣いていた……不思議と涙が止まらず、声を出さずに泣いていた。
「分かったよ……君の気持ち……」
幻は徐に袖で涙を拭うと、その場にその亡骸を埋めるべく穴を掘り始めた。何の道具も持っていない為まともに埋まりはしないが、それでも何とか埋めると僅かの間黙祷をささげ、幻は駆け出す。
「間に合って!!」
何時の間にか取り出したマフラーを首に巻きつけ、フードを目深に被った幻は一つの想いだけを抱え目的地へと急いだ……
「近寄らないで!!」
渋谷、既に降り始めた雨の中、スクランブル交差点の中心に人だかりが出来ている。その中心の人物は米噛みに銃口を当てて見やる人々を牽制した。
「早まるな!考え直すんだ!!」
「早くやれよ〜パーンとさぁ」
「信じられない。馬鹿じゃないの?」
止める人、煽る人、呆れる人……様々な声が飛び交う中、その人物――少年の母親を幻は見付けると存在の遮断を解き、一気に前へと躍り出た。
「止めてください!!貴方が死んでどうなるんですか!!」
不意に現れた、目深にフードを被りマフラーを首に巻いた少年の出現に周囲がどよめき立つ。だが、女性は意に介した風もなく喚く。
「もう駄目なのよ!私は許されない!許しを請う事も出来ない!」
その視線は、最早何も見ては居ない。見詰める先に居る幻ですら、その眼には映っては居なかった。けれど、幻は叫ぶ様に言う。
「止めて下さい!!あの子は、こんな事を望んではいないんですよ!!」
一瞬、女性の表情がピクリと動いた。
「あの子は、何時も思っていました。早く大人になって、母さんを助けるんだ。それが父さんと約束した事だったから……そう思っていたんですよ!?あの子は決して、貴方を恨んだりしては居なかった!」
周囲からだんだんとざわめきが消えて行く。徐々に静まるその中で、女性と幻が見詰め合う……
「僕は……皆が貴方を許さなくても僕は貴方を許します!僕はあの子の記憶を見ました!あの子はあなたのことを最後まで信じていたんです!!貴方もあの子の事を……」
その時、初めてはっきり女性の表情が動いた。それは、とても儚い笑顔……左の目から一滴の涙が毀れた時……
パァン!!
妙に乾いた音が、辺りに木霊する。頭から血を飛沫かせ、ゆっくりとゆっくりと……女性の体が前のめりに倒れて行き……ドサリと倒れた……
「……な‥‥んで……」
呟く幻の周囲が一変、恐慌状態に陥るが、幻にはその声はまるで聞こえない。呆然と、ただ呆然と女性の遺体を見詰め立ち尽くす……
ゆっくりとゆっくりと広がって行く血溜まりを、降り頻る雨が流して行く。そして雨は、幻の頬に伝う涙も流していた……
了
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