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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


持ち込み歓迎します


「さ・ん・し・た・くん♪」
 猫なで声で肩を叩いてくる編集長・碇麗香に、過去の資料の山を整理していた三下忠雄は、その肩から冷気が流れ込んでくるような錯覚をした。
「は、は、はい。なんでしょうか」
 椅子ごとくるりと振り返り、三下は麗香の顔色をうかがう。なぜか満面の笑みだ。
「お客様よ。持ち込みですって」
 アトラス編集部には、一般人の原稿の持ち込みも多い。もっとも、そのほとんどがインチキ心霊写真だったり、ヤマなし、オチなし、意味なしのオカルト話のたぐいだから、実際に採用できるネタはホント少ない。面白いものでも読者コーナーの一部を飾るのが関の山だ。
 記事のほとんどは、編集部有志による、オカルトチックかつセンセーショナルかつファンタスティックかつバイオレンスな事実をもとにした創作だ。
 単純作業で集中力も鈍っていたところだ。気分転換にはちょうどいい。三下は腰を上げて言った。
「わ、わかりました。さっさとお茶飲んでもらって、出て行ってもらいますね」
「何言ってるの」麗香は三下の顔を見つめるとウィンクを飛ばした。
「丁重におもてなしして」
「は、はあ……」
 なんだか編集長、いつもと様子が違う。
 まさか――、今度の持ち込みは本物っぽい?
 つまり、この三下忠雄に得ダネゲットのチャンスをくれると?
 三下は久しぶりに胸の高鳴りを感じたのだった。

 衝立の向こうの応接室にいたのは、奇妙な男性だった。
 コートのフードを深くかぶり、首に巻いたマフラーで顔のほとんどの部分を隠している。
 ……よく見ると結構若い。学校に通っていてもおかしくない年頃に見える。
 しかし、こういった一見挙動不審に見える者ほど有力な情報を握っていることが常だ。三下は湧き上がった不快感を表に出すことなく、うやうやしくテーブルにお茶を置き、男性の正面に腰掛けた。
「それで……、本日はどういったものを……」
 三下が切り出すやいなや、男性は脇に置いていた紙袋を無造作にテーブルに上げた。
「2週間前に起こった『新生児遺棄事件』についての情報、及び1ヶ月前に起こった『13の死体バラバラ殺人事件』についての情報です」
 抑揚のない調子で男は言った。
 2件とも、今世間を騒がせている大事件だ。
 前者の新生児遺棄事件は、不況にあえぐ現代の悲壮を明確に切り取った事件として扱われていた。
 後者は、若い女性が立て続けにバラバラ死体になって発見されるという、史上まれに見る凶悪な連続猟奇殺人事件だ。解剖の結果から、犠牲者は生きながら身体を切断されていったこともわかっている。先日で13人目の犠牲者が出たが、犯人に繋がる手がかりは一向に発見されていない。
 三下はおそるおそる紙袋の中をのぞく。いくつかの裸のビデオテープが、いち、に、さん……13本……!
 なんとなくビデオの内容を想像できてしまって、三下は思わず口元を押さえた。
「中身はお察しのとおりですよ」
「あ、あの……」
 男は、三下をさえぎるように言った。
「報酬は必要ありません。僕がやろうとしているのはただの偽善ですから。そして、これが資料です」
 と、大き目の封筒がテーブルに投げ出される。
「いえ、そうではなく……、なぜ、うちに?」
 三下が問うのももっともなことだ。こういった決定的な証拠ならなおのこと、こんなオカルト雑誌社ではなく、きちんとした報道関係に持っていくべきだと思ったからだ。
「答えは簡単です。今の時代、『真実』がどれだけの力を持っているとお思いですか?」
 男はおもむろに身を乗り出すと、突然三下の右手を握った。完全な不意打ちだったので、逃れることはできなかった。
 触れ合った肌と肌を通じて、何かが流れ込んでくる。
 真っ青な空に、照りつける日差し。どこかで工事のドリルの音と、子供の笑い声が聴こえる――。だが、浮かぶ念はただひとつ。絶望。こちらをのぞきこむ視線がある。蔑むような女性の目。しかし、三下にはそれが誰かわかった。赤ん坊の母親だ。
「いつものように、扇情的にお願いしますよ」
 その言葉の終わりとともに男は手を離し、無駄の一切ない動作で応接室から離れた。
 遠ざかる足音を聴きながら、三下は自分の両手を見る。汗でびっしょりだった。
 ――薄気味悪い男だった。確かに有益な情報だったが、あの男について記事を――適度に尾ひれをつけて――書いたほうが、よっぽど売れるような気がする……。
 ふと、前方でぼすっ、と音がして、三下は顔を上げた。
「こんにちは、朱野芹香と申します」
 入れ替わり、今度は若い女性が笑顔でソファに座っていた。
「あ、あけのさん……?」
「そう、『あけのレディースメンタルクリニック』で院長をやってます」
「は、はあ……」
 その病院の名前は聞いたことがあった。なんでも、独自に開発したアロマオイルを使って治療を施し、若い女性を中心に絶大な支持を得ているようだ。なるほど。たしかに、彼女の首筋のあたりからいい香りがする。不快などと微塵も感じさせない、クリニックオリジナルの調香なのだろう。
「さっそく読んでいただけます?」
 モノトーンで細身のスーツを見事に着こなし、すらりと伸びた脚が、優雅に目の前で組まれている。長い黒髪は息を呑むほどの艶をたたえており、大きな金色の瞳は生命力にあふれていた。
 そして、その瞳が涼しげにこちらを見ている。その視線はある種とても蠱惑的で、三下は見られているだけで、身体じゅうがムズムズするのを感じた。編集長とはまた違った魅力を持った美しい女性だった。
「あっ……、あっ、いらっしゃいませ……」
 どぎまぎしながら、三下はテーブルに視線を落とす。
 そこには、原稿が置いてあった。すがるように手に取り、文字を追い始める。
 内容はどちらかというと小説に近かった。要約すると、『とある雑誌の編集者が、呪いにより次第に美女になってしまう』という物語だ。平易な文章だが丁寧に書かれてあり、なかなか読ませる。
 しかし――
「小説なら良品なのですが、正直申し上げまして、ウチ向きではないかと……」
 こんな美人の持ち込み原稿を突っぱねるのは、本当に忍びないのだが、安請け合いするとあとがこわい。三下はできる限りきっぱりと言った。
 三下のしゃべる様子を、朱野院長はじっと見ていた。三下は、その視線にただならぬものを感じた。気にしすぎだ――三下はなんとか目を合わせないようにとキョロキョロするが、院長は顔のど真ん中に視線をすえて離さない。その金色の瞳の輝きに触れるたびに、身体に電流が走ったようになる。その電流に、自分のDNAを組み替えられているような錯覚にさえ陥る。
 人が悪いな……。おおかた、ウブに見える僕をからかっているんだろう……?
「わかりました。残念ですが、ほかを当たってみます。お手間を取らせましたわね」
 朱野院長は急に立ち上がって、原稿をまとめ始めた。
「あ、あれ……? あの、ちょっと……」
「失礼します」
 にっこりと一礼して、院長は颯爽と去っていった。取りつく島もなかった。
 テーブルのお茶を片付けながら、三下は何度も首をひねる。案外、あっさりと引き下がったな。
 しかし……、三下は、朱野院長の妖艶な瞳の輝きを思い出しては、鼻の下を伸ばしてしまう。
 もうちょっと長く見つめられていたかったかも――
 いかんいかん! 頬を両手で叩きつつ、三下は仕事に戻った。
 机の上の資料の山を前に、気合いの入ったため息をひとつして、三下はいそいそと作業を開始した。
 ――約10分後、三下は異変に気づいた。胸が締め付けられるように苦しい。動悸もしだいに激しくなり、身体が重くなっていくどころか、周囲の空気に押し潰されているような気がする。
 日頃のオーバーワークがついにたたったか。三下は観念して机に突っ伏した。
 ――どうしてこんなに身体が重いんだ。特に胸の辺りが……。
 三下は思わず椅子から転がり落ちた。同時に、自分の胸の豊かな弾力を感じた。
 腫れたわけじゃない。ふくよかに膨らんでしまっている。スーツの中ではちきれんばかりに。そして逆に、肩の部分がブカブカだ。
 三下はつぶやいた。「女になってる……」
 そして、自分の声とは思えない女性の声に、思わず口を押さえてのた打ち回った。
「さんしたくん、なに遊んでるの……」
 そこへ、部下の仕事振りを観察にやってきた麗香。その端正な顔が、戦慄に歪んだ。
「あなた……、誰? いつの間に編集部に入ってきたの……?」
「い、いえ、あの……、これは……」
 なまめかしい声で弁解する間も三下には与えられず、
「警察を呼んで!」
 編集長の的確な指示が飛んだ。
 三下は条件反射的に走った。そのいつもの癖は毎日のように麗香にどやされて身についたもので、我に帰ったときはには、三下はサイズの合わない男物のスーツを着て、街の喧噪の中にたたずみ、通行人に奇異の目で見られていた。

「どうしよう……」
 裏路地をこそこそと歩きながら、三下は完全に途方に暮れる。
 ご丁寧にも麗香から携帯に安否を気遣う留守電が入っていた。――(いったいなにがあったの? さんしたくん、待ってるから!)――このままでは家にも帰れそうにない。
 ふと立ち止まり周囲を見回すと、すべての角度から日光をさえぎられ、時間から見放されたような月極の立体駐車場がひっそりとあった。
 車の影に、三下は絶望的な気持ちで座り込む。こんな格好では外もうかつに歩けないし、かといって家にも戻れない。編集長のあの様子じゃ、事情を話しても信用してもらえるかどうか……。孤独だ。悲しいほど孤独だ……。
 あのフードをかぶった男が与えた記憶――、捨てられた嬰児もこんな気持ちだったのだろうか。
「あの……、どうしましたか?」
 そこに降りかかる毛布のような感触の声に、三下は思わず顔を上げた。
「こんなところで……、何かありましたか?」
 細身の人当たりのよさそうな男性だった。髪は短めでいたってさわやか、シンプルなデザインのポロシャツを違和感なく着込んでいる。表情は柔和で、三下の心をどこまでもやさしく包んでくれた。
「い、いえっ……、すいません」
 おそらく、この駐車場を利用している人だろう。あわてて車から離れる。
「どうしたんです……。何かお困りですか?」
 男性はなおも気遣わしげに視線を送り、近寄ってくる。当然かもしれない、自分の姿や態度はどう考えてもただ事ではない。見ようによっては、今までどこかに監禁されていて、ほうほうのていで逃げてきた女性にも見えるだろう。できれば助けて欲しい。それに、この男性なら、すべてを預けられるかもしれない……。そう、三下の心は、すでに女性になりかけていた。
 三下は桃色の唇を震わせて言った。
「どこか……、安全な場所へかくまっていただけますか」
「……追われているんですね。警察はだめですか」
 三下は無言で首を縦に振った。余計に話がこじれるだろう。あとで編集長になんて言われるかわかったものではない。
「……わかりました」
 男性はすぐに事情を察してくれた。車の横に回りこみ、助手席のドアを開ける。
「さあ、乗ってください」
 三下はありがたくお言葉に甘えることにした。

 移動する車内なら、自分を見られることもまずない。三下は安堵のため息を、自分の膨らんだ胸に吹きかけた。サイズの合わない服ほどしっくりこないものはない。早くくつろげる場所で、くつろげる格好になりたい。
 さて、これからのことを考えよう。なぜ、自分はこんな身体になってしまったのか。
 ――これでは、朱野院長の持ち込んできた話とまったく同じではないか。こんなことになるなら、とりあえず原稿を採用して、傾向と対策を研究しておくんだった。どこの都市伝説だか知らないが、あの文章の中に、元の姿に戻るヒントが描いてあったかもしれないのに。
 と、ふと窓の外を見ると、そこはもう見慣れない風景。どんどん山奥に入り込んでゆく気がする……。砂利道に入ったらしく、車がガタガタ揺れ始める。
「あの、どこまでいくんでしょう……?」
 三下の問いに、男性は快活な調子で答えた。
「決まってるじゃないですか。神のもとへ、ですよ」
「は……、かみ? ……ですか?」
 三下は間延びをした声を出す。
「あなたは実に幸運です。偉大なるクトクラジャワ神に、その身体と血と魂を捧げられるんですからね」
 くとくら……じゃわ? ……意味がわからない。
「クトクラジャワ神は、まだその若き血と肉を欲しておらっしゃる。栄えある14人目の生贄は、あなたです。実に運がいい」
 ……14人目? ってことは、今までにすでに13人の若き血と肉がイケニエになったということか。なるほど。
 13って、つい最近どこかで聞いた数字だ――そこまで考えて、三下はやっと気がついた。全身が粟立ち、次いで、冷たい汗が滝のようにシャツの下を流れた。
「逃げようなんて考えちゃダメだよ」
 首筋に冷たいものが当てられる。それは、どんな硬い肉や骨でもやすやす切り砕けそうな、大型のサバイバルナイフだった。
 三下は金切り声を上げようとしたが、ナイフの柄が喉を強く押さえつけ、口から漏れたのは、カエルのような音だった。
 終わりだ。僕はこの男に生きながら身体をバラバラにされて死ぬ。
 そのとき、車がひときわ大きく揺れて、男の手の甲が三下の喉に食い込む。ブレーキペダルが強く踏まれたのだ。慣性で前に行こうとする身体と、男の腕に首を挟まれて、三下は激しい嘔吐感に襲われた。
 車は縁石に乗り上げながら停止した。めまいを感じながら顔を上げると、前方には十数台のパトカーが止まっていて、警官の一人が拡声器でなにやら怒鳴っていた。そしてその横に、見覚えのある二人組が立っていた。
 不敵な笑みを浮かべる碇麗香編集長と、くだんの原稿を持ち込んできた朱野芹香院長その人だった。

「どういうことか説明してもらえるんでしょうね」
 事後処理の警官が忙しく動く山道の途中で、気色ばんで詰め寄る三下に、
「さんしたくんって、女になると結構かわいいわね」
「同感ですわ」
 二人は済ました顔で応対した。
「はぐらかさないでください!」
 その怒りの一声で、麗香はやっと真顔に戻った。
「朱野さんの発明したアロマオイル、すごい効き目よね。性別まで切り替えてしまうなんて」
 話によると、あの編集室で、朱野院長は新作のオイルを試してみたらしい。どうりで何かなまめかしい雰囲気がただよっていたわけだ。
「効果は予想以上で、とても満足していますわ」
 と、院長はほんとうに楽しそうに微笑む。
「……しかし、どうして僕に?」
 三下の質問に、麗香は呆れ顔を返す。
「はあ? 何言ってるの? あんなやつが野放しになってちゃ、おちおち外も歩けないってものよ。女の敵よ、女の!」
「つまり……僕を連続猟奇殺人犯のエサにしたわけですね」
「そうよ。あなた以外の適任はいないじゃない」
 朱野院長がフォローするように続けた。
「データ班の研究で、過去13人の犠牲者と、女性化した三下忠雄さんのDNA配列パターンに共通点があるのがわかったんです。
 つまり、女性化したあなたは、猟奇殺人犯の……いえ、『彼が崇拝する神』の好みのタイプだったんですね。まさか、こんなに早く網にかかるとは思いませんでしたけど」
「モテモテじゃない。いっそ、そのままでいたら?」
 いつものようにそっけなく返す麗香を見て、わなわなと拳を震わせる三下。その様子を見て、たまりかねたように朱野院長は言った。
「あの……どうか悪いほうに考えないでください。さんしたさんは、世の女性を恐怖から解放するという、立派なことをされたのですよ」
「そう……そうですかね」
 笑顔の院長にそこまで言われると、怒りも自然と収まってくる。せめて、警察から感謝状とかもらえるといいな。
「で、この身体は元に戻るんですよね?」
 女でいるのは、なんとなく居心地が悪い。
 朱野院長はきれいに整った眉を寄せる。
「それが……昨日できたばかりなので、効き目を中和するほうのオイルがまだ完成していないのです」
「え……、ってことは」
「あと1週間くらいしないと、完全に男性になれないかと……」
「さあ、ボヤボヤしてないで帰るわよ。この事件をセンセーショナルに書き殴るの」
 愕然とする三下を置いて、麗香は何の気なしに車に乗り込む。そして、「きゃっ」と声を上げた。
 車の中をのぞいて、三下も目を見開く。
 いつのまにか、後部座席に男が座っていたのだ。
「ご苦労様です。あなたは職務の第1段階を全うされた」
 あの13本のビデオテープを持ち込んだフードの男だった。
「素材は揃いました。次は、編集長の言うとおり、あなたの体験を、あなた自身の筆で日本中に公表することです」
「誰なのよあんた」
 麗香の剣幕に、男は口元をゆがめながら、車の反対側から降りた。
「僕が何者かはこの際問題ではありません。問題は……、僕のような矛盾に満ちた存在が、なぜ生まれたのかということです」
 男は、足音も立てずに歩き出す。三下と朱野院長の脇を通り過ぎるさまは、幽霊と形容するのがもっとも妥当だった。
「待って……」
 朱野院長が声をかけた瞬間、男の背中は消えた。まるで森の景色の中に溶け込んでいくように。その存在そのものが幻だったかのように。


おわり



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

3362/幻・――/男性/15歳/能力の残滓
3269/朱野・芹香/女性/29歳/医師(精神内科)・調香師

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■         ライター通信          ■
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 ライターの大地こねこです。たいへんお待たせしてしまいました。「持ち込み歓迎します」をお届けします。
 シリアスとコミカルの融合を、なんとか違和感なく実現できたと思っていますが、三下が女性化するシーンは難しかったです。あまり詳細に書き込むと、いやらしくなりすぎる気がしてしまって(笑)。
 こんな結末になってしまいましたが、楽しんでいただければ幸いです。このたびはご依頼ありがとうございました。大地こねこでした。