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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


a neighbor's telephone
『翼か』
 突然の電話はその一言から始まった。傍若無人な物言い、柔らかく言葉を紡ごうなどとこれっぽっちも思っていないその様子が一言に集約されている。
「やあ、キミか。こんな時間にどうしたんだ?」
 ほんの数秒前まで眠りに付いていたとは微塵も感じさせない静かな口調が翼の口から滑り出る。ちら、とサイドテーブルに置かれた時計を見れば――夜明けまで後一時間程。
『煙草が切れちまってな…届けてくれねえか』
 …?
 遠くは無いが、かと言って隣近所に住んでいる訳でもない。しかもこの時間に使い走りの電話をわざわざかけて寄越すだろうか?いくら相手の都合を考えない男とは言え――
 その時、押し殺した、だがはっきりとした咳き込みの音が電話口から翼の耳を打った。
「もしかして、風邪かい?」
『――情けねぇことにな。引いちまった』
 ばれたとあっては隠す必要もないと思ったか、今度は盛大に咳き込む声が――恐らく枕に顔を押し付けているのだろうが――聞こえて来る。
 鬼の霍乱?
 そんな言葉が思い浮かんだせいか、思わず苦笑を浮かべ、相手の咳が収まるのを待って此方から言葉をかけることにする。
「金蝉に人を頼るなんて可愛げが備わってると思わなかったな。そんなに具合悪いのか?」
『うるせぇ。煙草が切れただけだって言ってるだろうが…』
 からかうような翼の言葉にも、普段なら剣幕を変えて怒鳴りつけてくるのだろうがそう言った様子も無い。
 そして本人の言を信じるとすれば、近所に煙草を買いに行く事も出来ない程まいってしまっているのだと…そういうことだろう。そういった言い訳でもしなければこの男のこと、余程切羽詰っているだろうに電話をかけてくる気にもならなかったに違いない。
「熱は?最後に何か口にしたのはいつ頃だい?」
『計ってねえ。――飯は一昨日の昼だ』
「…分かったよ。遅くても昼前にはそっちに行けるようにするから大人しく待ってるんだね」
『言われなくても動けやしねぇんだ。…さっさと来いよ』
 電話を切るまでは薄い苦笑いが浮かんでいたのだが、受話器を置くと翼の顔がさっと引き締まり、柔らかな金髪をくしゃりと掻き上げるとすぐさまベッドから降り立ってシャワーを浴びに向かった。
 F1は現在シーズンの最中。翼自身の出番もまだ済んでは居らず、今日は午後からメカニックとの打ち合わせもあり、それまでは休める筈だったのだが…まあ、あの男からのSOSともなれば本人も予想外のことなのだろうと推し量れもする。それ程身体へのダメージが大きい相手を放っておける訳は無い。
 温水から冷水へと、シャワーを切り替えて体を引き締め、頭から浴びせ終えるとバスローブ姿でドライヤーを当て、そして苦笑した――自分自身に。
 大事を取らなければならないこの時期に、風邪引きの見舞いとは。
 万一感染したらどうするつもりだ、正気の沙汰か――プロの姿勢か、とオーナーならかんかんに怒ってそう言うだろう。…午後の打ち合わせもキャンセルせざるを得ないと想像が付くだけに尚更。
 すっきりとした薄い白シャツにカフスを付け、夏用の黒の上下を手に取る。『仕事』着ではないのだからあっさりとしたアイテムで纏め、ついで金蝉の自宅周辺にある24時間営業のドラッグストアを調べ上げるとヘルメットとバックパック片手に車庫へ向かった。
 路上へ引き出した愛車に跨るとその秀麗な顔をすっぽりとメットで覆い、バックパックを背に、愛用の皮手袋をきゅ、っと締める。思いがけず急いている自分にもう一度薄く笑い――そしてフットギアを軽く踏み込むと暁の世界へ滑り出して行った。

*****

「――っ!」
 息苦しさでかッと目を見開くと、自分が眠っていた事に気付く。手元に握ったままの受話器は手汗のせいでじっとりと湿っている…気付いた途端、部屋の隅へ受話器をぶん投げ、再び激しく咳き込んで声にならない声で悪態を付いた。
 ちくしょう。
 滲み出る素質は異形の者をも引き寄せるのか、それとも今までの行いの報いか、体調を崩した途端周囲が敵意へと鮮やかに変化を起こし、目覚めている今もどこからか押し寄せてくる圧迫感が金蝉の体を苛んでいる。それは起きている間はまだ…力が落ちたとは言え並の術者では足元にも及ばないだけのモノを持っている彼には何のダメージも与えなかったが、眠りとなると話は別だった。普段はそう言った者共に感知されないよう能力結界を張っているのだが、現状はだだもれ状態。――眠る度に『彼ら』のちょっかいを受け、おぞましい色彩の中で足掻く自分に夢でも罵詈雑言を飛ばしながらいくらかの安らぎを夢に求める事も出来ず跳ね起きる。…その繰り返し。
 普段は自分が意のままに扱っている世界がせせら笑いながら見つめているような気がする。…こんな気分は久しぶりだった。
 自分の力を過信しているつもりは元より無い。元々からしてあまりに出来すぎた人生だと嘲笑うくらい、金蝉の能力は一族…いや、同じ職に就いている者から突出していた。これで穏やかな人柄であったならと嘆かれたことも1度や2度ではない。尤も、そんな泣き言など意にも介すことはなかったのだが。
「あの野郎、何処で道草食っていやがる…」
 何度目かの目覚めの後で掛けた電話。何時頃だったのか――そして今が何時なのか分からないが、目覚めた時にまだ来て居ないのを見れば苛立ちが募る。わざわざ頼ってやったのに遅れるってのはどう言うことだ、内心で呟きつつ、到着を待ち侘びる気持ちには無理やり蓋をし…目を閉じた。
「…無用心だな。鍵くらいは掛けておくものだよ」
 不意に意識を呼び戻したのは、若々しい声の持ち主――翼が来るなり言ったこの一言からだった。
「遅ぇ」
 翼を目の中に認めた金蝉が言い。翼が聞かなかった振りをしながら、ぱんぱんに膨れ上がったバックパックをどさりと床に降ろす。
「金蝉、頼まれてた煙草なら買ってないぞ。具合が悪いときぐらい禁煙しても撥はあたらないからね」
 なにぃ、と呻き声がベッドから上がり、熱っぽい視線が翼をじろりとねめつけた。
「買って来いっつっただろ?…何だよ、それじゃテメェを呼んだ意味ねえじゃねえか」
 返す金蝉の声はかなり刺々しい。
「せっかく来て『あげた』んだから少しは感謝して欲しいね」
 わざと言葉を強調し、ベッドの上で身動きもままならない金蝉のじっとりと汗が滲んだ額へひやりと冷たい手を置く。ふむ、と小さく呟いてから「少し待つんだよ」言いつつ一旦は床に置いたバックパックを取り上げて寝室を出て行った。
「何が、感謝だ…」
 ベッドの上の金蝉の口が歪む。――それは憤慨の印なのか、それとも来てもらった事への照れくささ故なのか…当人にも分かることはなかった。

*****

「起きられそうかな?」
「…あ?」
 再び暗転から明るい世界へと。何やら翼の声のする方から温度が感じられて、気付けば腰に枕を宛がわれ、よいしょ、という小さな声と共に身体を起こされ、この時期なのに思いがけず寒い空気にさらされてぞくりと身体を震わせた。ひとつには自分の体温の高さも関係しているかもしれないのだが。
「ほら。食べられるだけ食べなよ」
 起こした体に上着を着せかけ、膝の上にトレイを置く。中には湯気の立つおかゆと野菜のスープが置かれており、
「冷める前に少しでも」
 恐らくはレトルト食品を温めなおしたのだろう、にこりと笑ってすっと身体を引く。
「何だよ。重病人扱いしやがって…」
 文句を言いながら、それでもそれぞれ半分程腹に収めただろうか。「もういい」と下げさせた皿を持って行った翼が今度はなみなみと水を汲んだコップを手に持ってきた。
「何だ?」
「食後の薬」
 そう言い、解熱剤にビタミン剤を数粒金蝉の手に乗せる。
「さ。ぐっと一気に」
 言われるままにそれらを飲み込み、コップの水を全部飲ませると今度はベッドの中へと押し込まれた。
「大人しく寝てるんだね。…何か欲しいものはあるかな?」
「何、言ってやがる。元々テメェの看病なんざ必要ねぇんだ。煙草1つ買って来ねぇで役に立ってるとでも思ってんのか…」
 布団に潜らされた金蝉が勢いに任せてそこまで口にすると、流石に言い過ぎたと思ったのかその次の言葉を口にする事無くむっつりと黙り込んでしまった。
「………」
 翼は――というと。
 普段なら、柳眉を逆立てていたかもしれない金蝉のその態度にも怒る様子は無く。
 ただ、そっと、金蝉に見えないよう苦笑を浮かべたきり、だった。
 ――水を流す音が聞こえて来る。今さっき使ったばかりの食器を洗っているのだろうが…その音を聞きながら、ごろりと寝返りを打った。…底光りする瞳だけが、爛々と薄暗い室内を睨みつけている。
 ――情けねぇ。ただの八つ当たりじゃねぇか。とんだ醜態だ。
 ぎりっ、と力任せに噛んだ歯軋りの音が思いがけず辺りに響き、ばさりを頭から布団を被る。…身動き出来ない自分の不甲斐無さを、認めたくは、無かった。
 …認めざるを、得なかった。

*****

 夢はいつも突然訪れ、そして突然終わる。
 胸まで汚泥に浸かっていた体が引き抜かれると、そこには翼の顔があった。一瞬狼狽しかけ、目覚めたのだと――眠っていたのだと気付く。
「良く寝ていたね。…ああ、すっかり汗だ」
 うとうとしていた間に体中の水分を搾り出したかと思う程、寝具は汗を吸って重くなっていた。…逆に身体は嘘のように軽くなっていたのだが。
「脱衣所で着替えておいで。脱いだ物はそのまま洗濯機に放り込んでおけばいい」
 汗まみれの額に濡れるのも構わず手の平を付けた翼がそう言い、ベッドから金蝉を追い出す。病人に何しやがる、と言いかけたものの病人だと自らを認めるのも悔しく、ふん、と軽く鼻を鳴らし脱衣所へ向かった。
 既に用意されていたタオルで汗を拭き、替えの服に着替えて行く。…ついでにと冷たい水で火照った顔を冷やし、大きく息を付いた。
 戻ってみれば、ベッドのシーツやカバーも取り替えたらしく真新しい物に取り替わっていた。其れをするためにベッドから追い出したのだと気付いたが何も言わず、黙ったままベッドへと戻って行く。
「寝直す前にコレ」
 ずいと差し出されたのはまたなみなみと注がれたコップ。スポーツドリンクのようで、あまり冷えていない其れを無言で飲み干すとグラスを突き出し、糊の利いたシーツの香りに包まれながら翼へと背を向けた。
「必要ねぇって言ってんだろうが…」
 ぼそりと呟くその言葉は、重くなったシーツやカバーを持ち上げた翼には聞こえなかったらしい。がさがさと音を立てて運んで行く足音が遠ざかって行く。
 …気付けば。
 その後再び食事、薬…そしてうとうとした後でもう一度着替えさせられ。再度食事と薬を済ませると、いつの間にか夜になっていた。夕食は近くのスーパーで買い物をしてきたようで、消化の良いものだったがどうやら翼の手作りらしく、彼女も同じ室内で椅子に腰掛けながら一緒に夕食を摂り、
「…うん。大分下がったみたいだ」
 ぎりぎりまで絞った照明の中で額に再び手を当てた翼がにこりと微笑む。それは、いつもの貴公子然とした表情とはかけ離れた物だったが、それでいてごく自然な表情だった。――そう。光蝉ですら、一瞬…目を泳がせた程。
「まあまだ油断は出来ないから2〜3日はこのまま大人しくしてるんだね。言っておくけど、その間に煙草や酒を飲んだりしたら、今度倒れても僕は来ないからね」
「…誰が、テメェなんか呼ぶかよ」
 枕の上から懲りずに悪態を付く光蝉にやれやれと肩を竦めて見せた。

*****

「金蝉、いるか?仕事なんだが…」
 火の付いていない咥え煙草のまま、草間武彦がやってきたのはその次の日だった。
「無用心だな」
 鍵の掛かっていない扉からのそりと中へ遠慮無しに入って行くと、いくつかある部屋の扉を開けていく。そして最後に。
「金ぜ…」
 かちりと音を立てて開けた寝室のドア。そこから見える光景に武彦がポロリと煙草を取り落とした。「おっと」と呟きながら慌てて煙草を拾い上げ、ぱくりと口に咥え直す。
 昨日1日かけて高熱は下がったものの、熱を下げるために体力を使い果たし熟睡している光蝉。…そしてその傍、ベッドの端で静かな寝息を立てている翼。
「――ん?」
 ドアから流れてきた外気に気付いたか、金蝉がぱちりと目を開いた。そのままノブを掴んで固まっている武彦に視線を向け、
「おう…何か用か?」
 すっきりと軽い頭と共に身体を起こす。
「あ、いや…邪魔だったか?」
「あん?邪魔って何が――」
 ぽつん、と言葉を切る。すぐ傍で、看病疲れか――いや、時期的にレーサーの仕事もある筈だったからそれも含めてのことなのだろう、武彦が訪れ、金蝉が置きだした今も静かな寝息を立てて眠っている。
「違う」
「いや。戸が開いてたからって入ってきた俺が悪いんだ。気にしないでくれ」
「だからな、武彦――」
「今日は来なかった事にしておく。それでいいんだろ?」
「人の話を聞けッ!」
 何やら盛大に勘違いしている様子の武彦へ、業を煮やした金蝉が枕を抜き取って投げつける。ぼふん、と枕が武彦の顔面へ直撃し、
「そういう下世話な想像する暇があったらとっとと嫁の1人でも見つけやがれこの甲斐性無しが!」
「静かにしないと目を覚ましてしまうぞ」
「だからなぁっ」
 跳ね起きて首でも締めてやろうかと声を張り上げた途端。
「――どんな想像をしたのか、聞かせてもらおうじゃないか」
 むくりと身体を起こした翼が、静かに寝乱れたシャツの襟を伸ばしながら2人へと話し掛けた。

*****

「――ふぅん?」
 まだ本調子に至っていない金蝉には2リットルのペットボトルごとスポーツドリンクを押し付けておいて、自分達2人には濃いコーヒーを淹れた翼がその整った顔にほんの僅か稲妻を走らせる。
「だから違うと言ったじゃねえか」
「すまん。まさか本当とは」
 武彦が誤魔化すように眼鏡の曇りを拭きながらはは…と空々しい笑いを浮かべる。
「全く」
 一通り誤解した訳を聞いた翼がカタリと飲み干したカップを置き、
「どうしてそんな考えしかできないんだ?」
 じろりと――2人を酷く冷たい目で睨み付けた。何で俺まで、と言う金蝉の言葉さえ口から出せない程、凍りつきそうな瞳で。
 その目は雄弁に語っていた。
 誤解されそうな時に呼び付けたキミにもその責任の一端はある、と――。
 …この貸しは、大きくつくことになりそうだった…。
-END-