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<東京怪談ノベル(シングル)>


vanish in smoke

『私、あなたと生きていきたい』
桜の花が散る中で告げられた櫻疾風の恋は、
「私、あなたとやってけない」
葉桜の影の下で終わりを告げた。

『疾風くんの夢の話を聞くのが好きなの』
合わせた両手を口元にやって、はにかんで笑った彼女は、桜の舞う中で本当に可愛いと思ったけれど、それより何より、自分の想いを理解ってくれたのが嬉しかった。
「疾風くんの夢の話を聞くのが好きだったけど」
口元を被うように手で押さえ、声と感情とを堪える彼女は陽を透かして眩しい緑の下に居るのにとても辛そうに見えた。

『私には、疾風くんの夢がライバルね』
気の効いた台詞ひとつも言えなかったけれど、了承に頷いた自分にそう、誇らしげに笑って始まった、挫折を知らない拙い恋。
 終わりなど知らない、遠い時間の向こうに永遠が見えていた頃。
「ライバルに勝てる気がしないの」
別れの理由に黙り込み、俯くしかない疾風に倣うかのように、彼女は地面に目を伏せた。
 何が彼女を敗北させたのか、そしてそれが疾風の好き、という気持ちを拒否して二人の関係を破綻させたのかが解らない程、その恋は幼かった。

『よろしくね、疾風くん』
零れるような、笑顔。
「さようなら、櫻くん」
痛みを堪える、表情。

 反芻する記憶に重ねて変わってしまった呼び掛けが、本当に彼女の心が遠く離れてしまった事を疾風に告げて。
 駆け去る彼女に声をかける事も出来ず、疾風は別れの言葉と、大好きだという彼女の気持ちを持て余してその場に取り残され、立ち尽くすしかなかった。


 疾風の夢は、誰かを救う事。
 その誰かが不特定多数であり、救うという行為の漠然とした認識に西で犬が川に落ちたと聞けば助けに走り、東で道に迷っている老人が居ればおぶって目的地まで連れていってやり、とまさしく東奔西走に止まらず、北へ南へ、はたまた北東へ南西へと忙しい日々を送るを疾風が厭う筈がない。
 きらきらとした少年の瞳のままで語る『夢』が『仕事』になり、迷いのなさに惹かれる少女が、女性へと移りかわっても、どの交際も長続きしなかった。
 曰く、
「あなたの『夢』について行けない」
と。
 貴方が嫌いで別れるのではない、そう告げては去っていく恋人の寂しげな様子に心を痛めつつも、疾風には夢と仕事を手放す事は出来なかった。
 疾風が選んだ仕事は夢に繋がる。誰かを救う事、ヒーローになる事。けれどそれは恋人ただ一人の所有になれないという事。
 繰り返す経験に、それがダメなんだろうな、と漸くぼんやりと気付いた頃に彼は一人の少女と出会った。
「アタシ、兄弟多いから」
ほっそりとしたシルエットに似合わず、活動的な彼女はまるで子犬のようにころころと疾風の周囲を駆け回った。
「自分だけのモノってこだわりないの」
そうと言う癖、コーヒーにはミルクと砂糖がたっぷりと入っていないと飲めなくて、靴は右足から履かないと悪い事が起る、そんな他愛ない事を信じて頑として聞かない、そしてよく笑う。
 季節の花が咲いた、今年最初の燕の雛を見た、購買でコロッケパンが買えた、疾風の話を聞くのと同じ位に負けじと喋る、ただ自分の話を聞いていた今までの恋人とは全くタイプが違う。
 記念日が二人の間にあった事はなく、待ち合わせもめったにしなかったが、互いに仕事や用事で時間に遅れた、行けなくなった、の場合は軽いペナルティのみで負の感情を後を引く事はない。
 くだらない話で笑い転げ、時に悩みを共有するそれは恋、と呼ぶよりも友情であり、兄と妹のような気の置けない関係だった。
 多くを求めない、彼女がただ一つだけ願った事を、疾風は今も覚えている。
「アタシねぇ、ヒロインになりたいの」
「ダイジョウブ、僕が守って……」
「ちーがーうッ!」
自信満々の疾風の言葉を遮って、少女らしい動作で腕を突っ張り憤慨を示す。
「最後まで聞いてよ。そりゃ疾風は男だからヒーロー志望もいいけどさ。アタシは女の子なんだよ? これからちょっと社会に出ても、結婚して子供生んで家庭守らなきゃなんだから。場合によっては仕事と二足のわらじ履かなきゃなんだし」
両親が共働きの為、祖母に預けられる事が多かったせいか、時に妙に古風な事を言う。
「だからね、一度でいいの。ヒロインになりたいなぁって」
「だから僕が守って……」
「これだから男って!」
腰に両手をあてる、それが彼女の最後通告だ…これで聞かなければ拳が飛んでくる。
「ヒーローに守って貰うイコールヒロインだと思わないで。そんな第三者を頼ったご都合主義なのは認めてないから。それじゃヒーロー目立たせる為の脇役じゃない。女だって誰かを助ければ否応なくヒロインなのよ」
だから、と彼女は続けて照れたように笑った。
「疾風はアタシのライバルだったのよ、実は」
そして続ける。
「だから早くヒーローになってね。それから疾風を負かしたら名実共にヒロインだもの」
それ、ちょっと違う……と倒される前提の疾風が拗ねれば、彼女はまた明るい笑い声を立てた。


 そんな彼女を、奪ったのは炎。
 アパートの隣家の失火が燃え広がり、二階に取り残された生まれて間もない一番末の弟を助けに戻ってそのまま帰らなかった。
 彼女の退路断った火は、家屋が完全に焼失してしまう前に消し止められたものの、煙が彼女の命を奪っていた。
 火事で命を落とす人の多くは、有害な物質を含んだ煙が原因となる。
 それを知らない彼女ではない……それを証拠に、水を含んだガーゼのハンカチは、窓の下に踞った形で見つかった彼女がしっかりと抱えた弟の口元を被っていた。
 疾風は葬儀の席でそれを知った。
 守りたかった、守れなかったという後悔に囚われた重い悲しみが、彼女が救った命が泣く声に震わされる。
 だが、清められ、横たわる彼女から永遠に失われた筈の笑顔は、今、誇らしげな淡い微笑みでその眠りを彩り。
 疾風の寂しさを越えてこの上もないほど、彼女は完璧なヒロインだった。


「僕もあの頃は若かったなぁ」
ふとした呟きに疾風は遠い目になる。
「あ、もしかしてこれが噂に聞く走馬燈」
「不吉な事を言うなぁッ!」
ビル火災にホースを担いで突入したものの、漏電が失火原因と思しき安普請の古い建物の天井が炎と共に崩れて頼みのホースの水の供給も止まってまさしく絶体絶命だ。
 殉職の危機に直面した職場の先輩と同僚の焦りも何処吹く風で、疾風はとうとうと語りを続ける。
「だから僕の目標は彼女を超える事なんですよ。そしたら本当のヒーローでしょ。でも、なかなか超えれた! って思わないんだよね。ホラ、勝てば官軍って言うし。生きてたらこっちのモンでチャンスは幾らでもありそうな……」
「とりあえずコイツを黙らせろ!」
取り敢えずヒーローでもなんでもいい。
 目下は、自ら助くるものを助けて欲しい面々であった。