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<東京怪談ノベル(シングル)>


月の夢
 
 
 ──あたしのことだ。
 放課後、神聖都学園の図書館でその本をみつけて、そう思った。タイトルは『月の夢』。あたしの名前は月夢優名。月の夢の優しい名前。かわいい響きで、あたし自身、とても気に入っている。
 どんな本なんだろう。
 気になって書架に手を伸ばしてみた。けれど、本は高い位置にあって、あたしには届かなかった。背伸びしてみる。もう少し。あと数センチ。──届いた、と思った途端、その本をつかみそこねて床に落ちてしまった。
「はい」
 あたしが拾うよりも先に、近くにいたひとに拾われてしまった。同い年くらいの男の子。なんだか気恥ずかしくて、ついうつむいてしまった。
「いい本だよ、それ」
 彼はにっこりと笑って、そのまますぐに立ち去ってしまった。ありがとう、とお礼を言いそびれてしまった。
 
 
 次の日も、あたしは図書館にきていた。
 図書館は好きな場所のひとつで、放課後に寄るのがあたしの日課。特別読みたい本がなくても、書架をぼんやり眺めているだけでも充分に楽しい。図書館にはいろんな想いがつまっている。本を書いたひとの、それを読んだひとの。たくさんの想いの中でたゆたう時間は、なんとなく幸せな感じがする。
「──あっ」
 思わず声にでてしまった。
 相手も気づいたようで、目が合うと、やさしく微笑んでくれた。昨日の彼だった。二、三歩こちらに近よって、静かな声で、
「昨日の本、どうだった?」
「まだ半分しか読んでませんけど、好かったです。ああいうお話は好きです」
 お世辞でも社交辞令でもなくて、正真正銘、あたしの本音だった。
『月の夢』の主人公は高校生の少女。彼女はどこにでもいそうな女の子。でも、ひとつだけ特別なのは、年齢を重ねないということ。あたたかくて優しいお話なんだけど、時間の流れに取り残されている彼女の哀しみが少しせつない小説だった。
「よかった。あの本の作者ね、神聖都学園の出身なんだって」
「学園の?」
 驚いた。学園の規模を考えればそれほど不思議ではないのだけど、素敵な本の作者さんが身近に感じられて、うれしい偶然だった。この作者さんも学園の図書館の常連だったのかな、と想像すると、自然と頬がほころんでしまう。
「主人公にもモデルがいるって聞いたよ」
「本当?」
「うん。司書の先生から聞いた」
 どんなひとだったんだろう。今はなにをしているんだろう? 作者さんと同じくらいにモデルになったひとのことも気になってしまう。きっと優しいひとだったにちがいない。
「このひとの本って、ほかにないんですか?」
「先週、二冊目の本がでたばかり。あ、でもデビュー前の作品をいくつか持ってるよ。文芸部の機関誌とかアマチュア時代のネットの作品とか。読みたいなら貸してあげるよ」
「ほんと? ぜひ読んでみたいです」
「じゃあ、あした持ってくるね」
「ありがとう」
 あたしは笑った。今日はきちんと言えた。
 と、そのとき。なにかが頭の片隅をよぎった。軽い既視感。いつか、同じような会話をしたような気がする。けれど、いつどこで誰とそんな会話をしたのか憶えていなくて、あたしは少し混乱した。
 
 
 胸のもやもやは翌朝になっても消えなかった。
 以前もこういうことがあって、なにか引っかかりを感じているのだけど、あたし自身には全然憶えがない。だから、図書館で彼と会ったときに、思いきって訊いてみた。
「あたしたちって、どこかで会ったことある?」
「あるかもしれないよ」
「えっ?」
「前世で」
 思わず肩を落としてしまった。がっかりした。からかわれたのだ。
「まあ、冗談はほどほどにして」
 彼はいつものように微笑んで続きを言った。
「正確に言うと、会ったことはあるよ。この図書館で何度もすれちがってる。けど、それ以外で会ったことはないよ。残念だけど」
「そう」
 ため息がこぼれた。気のせいだったのかもしれない。記憶のいたずら。既視感なんて、たいていはそんなもの。どこかで彼と会っていたのなら、素敵な巡りあいだと思ったのだけど、偶然はそうは続かないらしい。
「そうだ。昨日言ってた本、持ってきたよ」
 彼は鞄のなかから数冊の本を取りだして、あたしに手渡してくれた。一冊はハードカバー。残りは薄い小冊子。
「どれがお勧め?」
「これかな?」
 青い小冊子を指さした。その小冊子のページを開こうとした途端、ねぇ、と彼に声をかけられた。
「少し話を聞いてもらえないかな」
「うん」
「できればここじゃなくて外で」
 あたしは首をかしげた。なんだろう。込みいったことなのかな。
「あ、別に変な話じゃないから、緊張とかしなくていいからね」
 
 
「月夢さんって、なにか夢って持ってる?」
 学園の敷地内をゆっくりと歩きながら彼は訊いた。
 夢──。苗字に「夢」ってあるのに、今まできちんと考えたことなかった。あたしの夢ってなんだろう。
「ごめんなさい。あんまり考えたことないみたい」
「別に謝らなくてもいいよ」
「あなたの夢は?」
「小説家なりたい──って言ったら笑う?」
「ううん」
「ありがとう」
 穏やかに彼は笑った。一度そこで足を止めて、近くにあったベンチに腰掛けた。あたしも隣に座る。
「小説家になるならないは、実はそんなに関係ないんだけどね。もちろん、なれれば嬉しいんだけど。ただ本を読むのが好きで、だから自分でも書いてみようと思ったんだ。でも、『月の夢』の作者の──さっきの青い小冊子に載ってる作品を読んで愕然とした」
「愕然? どうして?」
「上手なんだ、すごく。プロになるひとは素質からして違うんだなって思った。僕なんかじゃ、到底ああは書けないよ」
 なんて言えばいいのか、すぐに言葉は見つからなかった。
 問題の作品は読んでいないし、彼の書いた小説も読んでいないから、的確なことを言うのはむずかしい。でも、あたしに『月の夢』を勧めてくれた彼の感性は確かだと思うし、その彼が「到底ああは書けない」と言うのだから、それも嘘ではないのだと思う。
「較べる必要はないんじゃないのかな?」
「──」
 彼は黙っている。あたしはそのまま続けた。
「あの作者さんだって、誰かの作品と較べながら書いたわけじゃないと思うよ。ううん、もしかしたら他のひとと較べて悩んでたかもしれないけど、でも自分にしか書けない作品を書こうと思ってたんじゃないのかな」
「……うん」
 小さくうなずいた。
「自分が好きなことや好きなものを思ったように書くのが一番じゃない? 上手下手は、そんなに大切じゃないと思うよ。だって、本当に好きなら、きっと上手になるはずだから」
「好きなこと、かあ」
 彼は空を仰いだ。それから、あたしに向き直り、
「月夢さんの好きなことってなに?」
「あたしの? 石榴観賞でしょ? 半身浴に刺繍に」
 答えながら思いをめぐらせる。あたしの好きなもの。甘いものに読書。晴れた日に芝生の上でひなたぼっこするのも好き。でも虫は苦手。夜の散歩も好き。女の子が夜中に歩きまわるのは褒められたことじゃないけれど、星や月を眺めながら、夜の空気を吸うのは気持ちがいい。
 そんなあたしの好きなものの中に、彼の書く小説も加わるといいな、そんなふうにも思う。
「──あっ」
 あることを思いついて、つい声にだしてしまった。
 あたしにも夢がひとつできた。それは些細な、けれど叶えばとても素敵な夢。予感で胸がふくらんで、自然と笑みがこぼれた。
「ねえ、あたしをあなたの小説の読者にしてくれないかな。一番最初の」
 言うと、彼も笑った。
「うん。約束する」
 それと、と言葉を継いだ。
「僕もひとつ提案があるんだ。月夢さんのことを書いてみたいんだ。モデルにしてもいいかな?」
「もちろん──あ、でも、ひとつだけ条件を言っていい?」
「なに?」
「あたしのことは月夢さんじゃなくて、ゆ〜なって呼んで。友達はみんなそう呼ぶから」
 
 
 そして、あたしは今日も図書館へ向かう。
 図書館には、いろんなひとの想いがつまっている。もちろん、あたしの想いも。
 いつか、あたしの友達が書いた、あたしの小説がこの本棚に並ぶといいな。それはあたしの些細な、でも大切な夢。