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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


猫になる日。



オープニング

朝起きたら、義兄の耳がネコ耳に変化していた。


零は、今まで様々な奇妙な現象を目の当たりにしてきたせいでもあるのだろう。
大して動揺せぬまま、しかし30男のネコ耳姿という、嗚呼、神様。 もし、見なくて済むのならば、積極的に見ないまま人生を終えたかったのですなんていう、光景を目の当たりにし、とりあえず、この事態はどういう事なのか問い質して見るべきかと、強引に自分を納得させる。
何か、別に良いかなぁ…なんて、投げやりな感情に支配されつつも、「その、耳…、どうしました?」と、零が問い掛けてみれば、「耳が、どうしたんだニャ?」と武彦が答えてきた。


森へ、帰りたい。


別段森生まれでも何でもない零は、ガクリと、床に膝付きながら、何故かそんな郷愁に襲われる。


語尾にニャて、おいおい。
許されるキャラすっごい限定される口調やん。
ていうか、義兄がニャて、ニャて……うあー。

もう、項垂れるしかないという気分になりながらも、零は静かに立ち上がり、そして、「もし、わざとであるのならば、本日限りで、ここをお暇せねばならなくなるので、是非とも他に原因がある事を祈るばかりなのですが……兄さん。 ネコ耳生えてますよ?」と、告げる。
人生において、人に、それも兄に「ネコ耳生えてますよ?」という台詞を吐く機会に恵まれるなんて、私はなんと不幸な人間であろうか…、と自分の境遇を嘆く零に対し、武彦は目を見開き、それから、「プッ」と吹き出すと「なぁに、言ってんだかニャ」と言いながら、自分の耳に手を伸ばし、そして硬直した。
「……なぁぁぁっぁぁぁっぁぁああああああ?! ニャ」
事務所に武彦の絶叫が響き渡った。



「ええぇぇぇ? 誰も、求めてニャイだろ、これ? ええ? 何で、猫ニャ? どういうニーズニャ? ていうか、えーー?」
混乱しきったまま、自分の耳を触りつつ、そう呻く武彦に、零はあくまで冷静に言葉を掛ける。
「まぁ、誰かが求めてどうのこうのって訳じゃないでしょうが……、兄さん、何か心当たりとかありますか? 変な物を拾い食べしたとか」
「そんな、今時、子供でもしないような馬鹿な事しねぇニャ」と、抗議しつつも、「心あた…り?」と首を傾げ、そして、ポンと手を打った。
「そういや、昨日、街頭で、試飲サービスをやっていて、『またたびジュース』とかいう変な飲み物を飲んだ記憶があるニャ。 新製品とか言っていたけど、随分と人通りの少ない道でやっていたので、不思議に思ったニャ」
武彦の言葉に、どうして、そういう怪しげなものを呑んじゃうかなぁ…と呆れつつも、零は「多分それですね。 そういう仕組みかは分かりませんが、その飲み物のせいで、猫化したと考えるのが自然でしょう。 そのジュースを薦めてきた人間の容貌を覚えてますか?」と、聞いた。
武彦は、目を細め、考え込むような素振りを見せた後、「……女だったニャ。 うん。 真っ黒な髪した、何か背の小せぇ、ちんまい感じの……」と、答える。
「その人が、無差別にジュースを配っているとしたら、今頃はもっと騒ぎになっているでしょうから……」
「俺を狙っての、犯行…かニャ」
そう言いながら、武彦は自分の頬をつるりと撫でて、そして、「ひあ!」と素っ頓狂に叫んだ。
「ひ……髭ニャ! うあ! 尻尾も!」
動揺して、そう喚く武彦の鼻の側の頬から、確かに三本の髭がぴょんと生え、そして尾てい骨の辺りから、ズボンの外へ細長い尻尾が飛び出してくる。
さっき迄は、存在しなかったネコ特有の特徴に、武彦はネコ化が進んでいるという事実を悟り、戦慄した。
「ね、ネコになってるニャ! ネコになってるニャーーー!」
武彦が、動転し、ソファーから転げ落ちる姿を眺め、零も流石に、「もしこのまま、兄さんが猫になってしまったら?」という焦りのようなものを覚え、そして、とにかく誰かに助けを求めようと心に決めたのであった。


本編


暇になったので、というのが一番しっくりきた

いつもは眠って一日の大半を過ごす事も珍しくないのだが、今日は、何だか、それ程眠たくもなく、やりたい事もなく、だから興信所へ行ってみる事にした。

補佐・補導をする為に生まれた猫、斎・黯傅は、いつも通りの飄々とした足取りで草間興信所に、零に人肌に暖められたミルクでもねだろうと考える。
出来れば、窓の側の日の当たる所で、ボーッとしながら、職業上、トラブルの耐えない日々を送っている武彦が慌てふためいている様を眺められれば、言う事はない。

トントンと屋根づたいに歩き、狭い路地を抜け、黯傅だけが知っている秘密の小道を使い、草間興信所の前に出る。
階段を駆け登り、興信所の扉の前に辿り着いた黯傅は、何故か怯えたような表情で、扉の前に佇む海原みなもが目に入った。
(ん? 中に入んねぇのか?)
と疑問に思いながら、チョイとその足をつつく。
ビク!っと、大袈裟な位、震えるみなも。
そして、恐る恐るといった様子で見下ろし、そこに佇む黯傅を見ると、驚いたように目を見開いた。
挨拶代わりにみなもを見上げ「なぁお」と鳴くけば、「貴方も、猫の武彦さんを救いにきたの?」なんて声を掛けながら、抱え上げてくる。
(猫の武彦? なんだそりゃ?)と疑問を感じつつも、黯傅の大好きなみなもの海の匂いに包まれると、(ま、どうでも良いか)とすぐに考えることを放棄し、みなもの首元にスリスリと自分の頭をすり寄せて「なぅ」と鳴く。
それから、モソモソとみなもの腕の中で体の向きを変え、自分の落ち着ける体勢を見付けると、その後はどっかりとみなもに全身を預けた。
「何かあったら守ってね?」
なんて黯傅に言いつつ、ドアノブに手をかけるみなも。
(何か?って、何なんだ? そもそも何で、みなもはこんなに、怯えてんだ?)
なんて不思議に思いつつ、みなもに全てを委ねる。
その瞬間室内から「なぁぁに、しとんねぇぇぇん!!」の、物凄いドスの効いた女性の声が聞こえ、黯傅は思わず背中の毛を逆立てた。
「い、岩下志摩オーディション中?」
そう呟くみなもに(え? なんで、岩下志摩?)と、新たな不思議を抱え込まされる。
「う…撃たれたらどうしよう」なんて、呟いてるみなもに(や、撃たれるって…岩下志摩オーディション参加者にか? ていうか、そんなイベント、この興信所で開催してる訳ないだろう)と感じ、みなもを見上げ「なぅ……なぅ…」と鳴きながら、扉を開けるよう前足で、催促した。
「だってぇ……」
と、涙目で呟くみなも。
(や、良く分かんないが、あんたの性格から考えても、きっと、想像してるような事は、興信所の中では起こってないぞ?)と、心の中で語りかけている時だった。
黯傅のピンと立った耳が揺れ、大型バイクの走行音であろう爆音が聞こえてきた。
みなもが驚き振り返れば、階下の道路脇にキッと音を立てて、一台の美しいフォルムのバイクが止められるのが黯傅の目にも入り、そのバイクからはスラリとした見事なプロポーションをした女性が降りてくる。
ヘルメットの下からは、プロポーションから想像できる通りの、美貌が現れ、フルフルと首をふれば、汗のきらめきと共に、艶やかな黒髪が揺れていた。
「っ!」
みなもが頭上で息を呑むのを感じる。
確かに、あの美貌ならば、女だって見惚れてしまう。
しかし、みなもが驚いたのはそれだけではないという事を黯傅は、後に思い知る事になる。
みなもがツカツカとこちらに歩いてくるのを畏怖の念を込めた眼差しでみつめていた。
女性は、階段を上ってくると、扉の前に立ち尽くしているみなもに気付き、男性ならば骨抜きにされてしまいそうな、嫣然とした笑みを浮かべた。
「どうしたの? みなもちゃんだよね? こーんなトコでぼーっとしてさ」なんて、飄々とした口調で言い、ハッとしたようにみなもの体が揺れた。。
「摩耶さん! わ、お久しぶりです」そう、言いながらペコンと頭を下げたみなもに「うん。 久しぶり」と摩耶は答える。
そして何の頓着もなく、扉を開けようとする摩耶にみなもが慌てた様子で意味の分からない事を問うた。

「岩下志摩さんですか?!」

(え? 誰が?)
思わず、黯傅はマジマジと摩耶という女性を見つめ、岩下志摩でない事を確かめる。
摩耶も驚いたように「は? や、ご期待に添えずごめんなさい。 葛生摩耶です」と、何故か詫びていた。
みなもは更に、焦って「や、いや、そういう意味じゃないんです。 あの、エマさんが…」
「エマ姐さんが?」
「岩下志摩オーディションをしてるらしくって、ヤクザが哀川翔争奪戦で、武彦さんは猫だったんですぅぅぅ!」と、混乱しながら、更に訳の分からない事を言っている。
黯傅は、どーせ何かを勘違いしているんだろうと、呆れたように思えば摩耶も、「草間さんが猫になりかけちゃってるっていうお話は聞いてるケド、その他の時効はよく分かんないなぁ」と冷静に答える。
そしてポンポンと軽くみなもの頭を叩き「ま、何が何だか分かんないけど、猫ちゃんがジれてきちゃってるわよ? 中、入りましょ?」と黯傅の気持ちを代弁し、みなもの腕を引きながら扉を開けた。


中に入ると、何故か、武彦を間に挟んで、蛇とマングースのようにエマと影踏が睨み合っていた。


「え? えぇぇぇ?! どういう状況?」
と、驚いて叫ぶみなもを余所に、
「ま……、アレは日常茶飯事だし」
なんて、あくまで冷静なまま、摩耶がそう呟く。
黯傅は、思った以上の人口密度の高さに、まず目を見開いた。
余り人混みが好きでない性格をしている為、咄嗟に(帰ろうかなぁ)なんて考えてしまう。
摩耶が、武彦の姿をマジマジと凝視すると、「へぇ、マジで、猫になりかけちゃってんだ」と面白そうに言った。
その摩耶の言葉に、(そういや、武彦が猫になってるとか、なんとか言ってたな。 んな、馬鹿な)と思いながら武彦に視線を集中させれば、ピコピコと揺れるネコ耳と、猫ヒゲ、そして尻尾が30男に生えているという、何だろう、悲惨?っていうか、正直、ビシュアル的にはさ、犯罪って断言出来ちゃうよね的、姿に変じていた。
「うあ。 ひどい…」
と、思わず本音の呟きを漏らすみなもの言葉も相まって、堪えきれずに「プッ…ブハッ…」と、吹き出してしまう。
その途端、周りにいた人間達の注目がこちらに集まった。
みなもだけは、先程の混乱が後を引いているのだろう。
「エマさんが、岩下志摩?」
なんて、意味の分からない事を呟いているが、そんな事に構ってはいられない。
自分はただの猫である事をアピールすべく、近くにいた銀髪の美少女に向かって「なぁお……」と鳴いてみせた。
その美少女の隣りに立っていた、右目に眼帯をしたスーツ姿の男性が「さっき…誰か吹き出しましたよね? 男性の方が」なんて、言いだし、肝が冷える。
みなもも、「えーと…私も聞こえたんだけど……」と言いながら摩耶を見上げ、摩耶は「…あなた達、何か笑った?」と、眼帯青年と金色の髪をした大層な美形の青年をを順々に見回した。
「いいえ?」
眼帯青年は、首を振って答え、金髪の青年は無愛想な無表情で黙ったままだが、その表情を見ただけで、金髪青年が吹き出した訳ではない事が如実に伝わってくる。
(ていうか、俺だし)
と、心の中で呟けど、出来るだけならば、ばれたくなかった。
何だか、ややこしい状態に興信所内はなっているみたいだし、これで、自分が人語も喋れる(というか、人の形になることも出来る)猫だとばれたら、余計、事態がこじれるだろう。
「………」
最後に、皆で黯傅に視線を据えてくるも……「まさか……ねぇ?」の翼の一言で、「そうだよなぁ…」と皆、顔を上げ「気のせいか」という結論に達してくれた。
(助かった…)
と、思いつつ、全身の力を抜く黯傅。
しかし、暫くしてただ、一点からじぃぃっと焦げそうになる程の熱い視線を浴びせられている事に気付いた。
黯傅は視線をあげてその、視線の主と目を合わせる。
先程、鳴いてみせた、銀髪の美少女が、赤い目を瞬かせながら、こちらを見据えていた。
心の奥までもが見透かされそうな視線に、チリチリと焦燥のようなものを感じる。

猫の目に似ている。

本来見えない存在まで見通す猫の目に。

こりゃ、バレたな。
そう感じた黯傅はにやっと笑うと、(分かったのかよ?)という意志を込めて「…んなぁ」と鳴く。
少女の目が、確信を持った色に変わったので、(黙っててくれよ?)と思いながら「…なぁぁお」と鳴けば少女は数回目を瞬かせて、それから了承したという風に、ツイと視線を逸らした。
(このお嬢ちゃんは、黙っててくれそうだな)と、安心する黯傅。
いつになく、人の多い興信所内に視線を走らせながら摩耶が気怠げな声で提案した。
「えーと、初めましての人もいるから一応自己紹介する? 私は、葛生摩耶。 宜しく」
短くそう済ませた摩耶に続き、みなもが少し緊張しているかのような面もちで口を開く。
「私は、海原みなもと言います。 中学生やってます。 それから、彼は斎黯傅さんっていう、人語を解するスーパー天才猫なんです」
そう言いながら頭を撫でられ、面はゆい気持ちになりながら、黯傅は返事の意味を込めて「なぁう」と短く鳴いた。
銀髪美少女も「鬼丸鵺って言います。 で、この人は……」と言いながら、後ろを指し示し、「鵺お嬢さんの家庭教師と、護衛みたいな事もやってる魏幇禍です。 どうも」と、鵺の動きに答えて眼帯スーツ青年が自己紹介する。
最後に金髪青年の傍らに立っていた少年めいた容貌を持つ美少女が「僕は、蒼王・翼で、彼は桜塚・金蝉」金髪青年を指しながら告げ、これでシュライン・エマと武彦達の座るソファーの側で、何やら騒いでいる二人の青年以外の人間のフルネームを黯傅は理解することが出来た。
そのソファーで騒ぐ青年二人の内の一人が、何か武彦にちょっかいを出し、それをエマが防ごうとしているらしい。
「誰の許可を得て、武彦さんにいかがわしい事しようとしてんのよ、この野郎!」
と、エマが凄んでいるので黯傅は(は? いかがわしい? いかがわしいって、何で?)と疑問に思っていると、その迫力に涙目になりながら、青年が震える声で言い返していた。
「だって! 可愛いじゃないですか!」

可愛い。 何が?

まさか、武彦を指しての言葉とはどうしても思えず、心から不思議に思う黯傅。
「世の中には、ミラクルアイの持ち主がいるもんですね」なんて幇禍が呟いているが、影踏の言葉に同調して「あ! 僕もネコ耳は可愛いと思うぞ!」と、もう一人の青年が手を挙げ、その両者に対し、
「馬鹿ぁぁぁ! 武彦さんを可愛いと思うのは、私だけの権利なのよーーーー!」
と、エマが思いっきり叫んでいるのが耳に入る。

そうかー。 エマは、武彦の事を可愛いと思ってるんだなぁっていうか、あの青年達は、何か重大な目か、頭の病気を患っているのだろうか?

なんて、黯傅が心底青年達を気の毒に思っていると、幇禍が鵺と二人で声を合わせて「「ていうか、可愛いと思ってたんだ」」とヒいたような声で呟いていた。
そんな二人の呟きを騒ぎの最中ですら聞き逃さず、「可愛いわよ!」とエマが怒鳴り返している。
しかしエマは武彦の体を引き寄せて、守るように抱き締めてはいるが、その実うっかり、首のイイトコに入って、当の武彦は窒息しかけているらしい。
おぶおぶと暴れながら土気色に顔色が変わり始めている武彦に「ほ、本気で死んじゃいそうじゃないですか? 草間さん」と怯えたような声でみなも呟き、傍らにいた摩耶が「女の絞め殺されるだなんて、草間さんにしてみれば、これ以上ない位幸せな死に方だから、別にいいんじゃない?」なんて、薄情な台詞を吐いた。
(あー。 摩耶のその意見賛成)
なんて、ちゃっかり黯傅は胸の中で同意する。
エマは、一通り騒いだ後、ようやっと、事務所内の人数が増えている事に気付いたらしい。
「れ……零ちゃん? で? 何人の人が来るって言ってくれてたのかな?」
と、完全に傍観者していた零に問い掛ければ、彼女はニコリと笑って、「えーと…、エマさん含め10人の方が、お越し下さる予定だったのですが、有り難い事に、連絡が取れた方以外も来て下さってるみたいです」と答えた。
狭い事務所内は、二桁に突入する程の人数が入れば、もう、満員状態である。
(暑苦しいなぁ)
なんて、ぼんやり感想を抱いている間に、みなもは鵺と雑談を始めていた。
(いいのか? 呑気に喋ってて。 だって、武彦猫になってんだろ?)なんて、元来の世話好きの性格が表に出て、ちょっと不安になる黯傅。
みなもは、鵺に対して、どうして今日興信所に来たのかを説明してるらしい。
「…学校帰りに立ち寄っただけなんです。 新しい水着が欲しくて、アルバイト無いかな?って思って。 そうしたら…、あんなお気の毒な事に……」
と、沈んだ声でそう言うみなも。
ちらりと武彦を眺めて、溜息を吐く。
「あんなお気の毒な事になってるなんて……」
しかし、沈んだ声でそう言いつつも、みなもは鞄から常備してるっぽいカメラを取り出すと、「とにかく、珍しいので記念写真だけ撮っておきますね」と、あっさり言いながら、武彦の姿を数枚撮っていた。
(みなもも、結構、強者だなぁ)なんて、考えながらみなもを眺める黯傅。
鵺が含みある声音で「新しい水着って、今年の夏、海にでも行く予定なの? 里帰りでもするのかな?」とみなもに聞いている。
みなもの先祖の事を知っている黯傅は、(へぇ、鵺は、みなもの正体まで、見ただけで分かるのか)と、自分の人型の姿まで見抜かれていた事を見越して心中で感嘆した。
しかし、なーんにも分かってない顔で、みなもは「いえ? 私、別に海の方の育ちじゃないですよ? でも、海に泳ぎに行く予定なんです。 私、水泳好きだから。 鵺さんは、泳ぎ得意ですか?」と問い返している。
(みなもは、やっぱり強者だなぁ)と、鵺の、脱力した顔を眺めて、黯傅は少し笑った時だった。

「ここの興信所の主はご在宅かな?」

と、事務所の入り口で、古めかしい言葉遣いをしたハスキーな声が響いた。
「ゲ…、客かにゃ?」
と、身構える武彦。
今や、興信所内は万国博覧会よりも珍しい存在達の集まりになっている。
その上、肝心の主人が猫化の一途を辿っている訳であって、もし、奇跡的にまともな依頼が来たとしても、仕事を受けられる状態ではない。
「どうするんでしょう?」
みなもが心配げに呟く。
皆の中で一番入り口の近くにいて、煙草をふかしていた摩耶がヒラヒラと手を挙げて「私、出るわ」と言った。
エマは、摩耶の事をよっぽど信用しているのだろう。
安堵するような表情になりながら、両手を合わせて「お願い。 客だったら、適当に誤魔化して」と頼む。
「了解」と、短く答えると、摩耶は応接間と入り口を仕切る衝立の向こうへと消えた。
「此程までに、客でなければ良いと願った事は、未だかってないにゃ」と武彦が悲しげに呟いている。
お茶ををいれる為だろう。
興信所内にいる人数を数えていた零が悲しげに呟いた。
「……いつもだったら、お客さん大歓迎なんですけどね」
すると、鵺は零を元気付けようとしているのだろう。
その肩を叩きながら、
「ま、なるようになるって! 犬に噛まれたと思って何もかも忘れるといいよ★」
と、全く解決にならない事を言い、鵺の家庭教師である幇禍も笑いながら、
「長い人生こんな事もある、もし武彦が完全に猫化したら仕方ないから興信所は君が継げば良いよ。 はい! これで、何も問題は無いじゃないか」と、朗らかに言った。
これで、どちらも心から慰めているつもりなのだろうから始末に負えない。
(いやいやいや、多分、今、零が欲しいのは、そういう言葉じゃないし)
と、ツッコミを入れ、みなもを見上げる。
零も「えー…と…」と苦笑を浮かべつつ、みなもに救いの視線を向けているが、みなもはみなもで「でも、零さんは未成年だから興信所の経営は難しいし、それに、武彦さんは犬に噛まれてではなく、『またたびジュース』を飲んで猫化しちゃったんですよ? それでですね、提案なんですけど、ここは一つ、エマさんが興信所を引き継げば、今以上にこの興信所は発展し、武彦さんは、毎日高級キャットフードが食べられると思うんです。 羨ましいなぁ」と、のほほんとこれまたずれた発言をかました。
(や、その台詞も、何の慰めにもなってないというか、武彦が甲斐性なしである事を指摘している訳で、それってどうなんだよ?)
黯傅は盛大な溜息を吐き、零が困ったように、「あの、ま、そういう問題とは、ちょっと違うんですけどぉ…」と口を開いた時、ズカズカとした乱暴な足音が聞こえ、「ちょっ! あなた、勝手に!」と、誰かを制止しようとする摩耶の声と共に、何故か、武将が入室してきた。

そう、もう一度言うが武将である。

正直、現在の興信所内も、派手な外見を有する者や、自分のような人語を解する猫、特殊な能力を持ち、特殊な見た目をしている人間でひしめいている為、黯傅は「そうか、武将かぁ…」と一瞬納得しかけたのだが、やはり、どう頑張っても奇怪な者は奇怪にしか見えない。
武将て…、武将って……なんで?と、首を傾げど、そこにいるのはやはり武将で、何よりも最も奇怪だったのは、その武将にネコ耳が生えていた事だった。
額に、宝玉が埋め込まれている、中国風のシンプルな甲冑を身に纏った、凛々しい青年が興信所内にいる人間を見回しながら、最終的には摩耶に視線を据えて中性的なハスキーボイスで言い放つ。
「ここの主は、何処かと聞いているだけだろう? 大体、興信所というものは、誰にでも門戸を開かれている場所ではないのか?」
摩耶は、武将の視線を受け止めて、呆れたように答えた。
「だから、今、ちょっと取り込んでるって言ってるでしょ? それにね、えーと、泰山府君さんでしたっけ? 貴方、別に客じゃないんだよねぇ? そのお耳の事で、ここに依頼に来た訳ではないだよな?」と摩耶が言えば、泰山府君という青年は不機嫌そうな表情を見せ、「貴様、先程から一体何の話をしているのだ? 耳だと? 耳がどうしたと言うのだ?」と、問うた。
その問いに、近くに立っていた幇禍が、武彦を指し示しながら「つまり、貴方、あの阿呆面の、この興信所の経営者と同じ状態になってますよ?って事です」と告げる。
泰山府君は、「どういう意味だ?」と言いながら、幇禍の指先の方向へと視線を向け、そして固まった。
「な? なんだ、その姿は。 随分と巫山戯た格好ではないか? そんな風体で、興信所の主というのは勤まるものなのか?」
そう戸惑ったように呟きながら、それでも珍しさの余り、じっくりと武彦の姿を眺める泰山府君。
そんな泰山府君に今現在、自分がどんな姿をしているか悟らせるべく、、「あ、あの……」と、みなもが声を掛ける。
みなもに抱えられたままの黯傅は、(よしといた方が良いんじゃねぇかなぁ?)なんて、不安を感じた。
「あの、まず、えーと、写真を撮らせて貰って良いですか?」と問い掛け、みはもは泰山府君が返事をしない内に、パチリとデジカメでその、不思議な姿を撮る。
その後、デジカメのプレビュー画面を見せながら「ほら、草間さんと同じようにネコ耳生えてますよ?」と、あっさり告げた。
画面に映る映像に凍り付く泰山府君。
凛々しい顔が、ピシリと音を立てそうな勢いで固まっている。
武彦と同じ症状が見られる以上、多分、原因はまたたびジュースと鑑みて間違いないだろう。
語尾が「にゃ」に変じていないのは、飲料を飲んだばかりのせいなのか、それとも体質のせいか?
(この格好で、語尾が「にゃ」だったら本気で笑えるな)なんて、またまたずれた事を考えてるみなもの感情を泰山府君は知らないままに、最初のショックから解放されたのだろう。
憤懣やるかたないといった様子で「うぬぅ! たばかられたわ! やはり、先程の、『またたびジュース』なるもの、妖しの飲み物であったのか!」と、歯軋りし、そして武彦を睨み据えると、「貴様も、アレを飲んだのか! なぜ、あのような妖しき飲み物を口にするのだ! 馬鹿か! 馬鹿なのだな!」と自分を棚に上げて責め立てる。
「や、だって。 君も飲んだんだよね?」と冷静に鵺が突っ込めど、「我は喉が渇いていたんだ!」と、無茶苦茶な事を叫び返してきた。
「あー、だったら、しょうがない……の?」
と、泰山府君の自信満々な一言に、思わず納得し掛けてしまっている鵺。
(や、そこ納得するトコじゃないし、それに、だったら余計に武彦の事を馬鹿にできないし…)と黯傅は心の中でつっこむ。
幇禍が「や? でも、やっぱり、結構理不尽ですよ、この人」と黯傅の心中を代弁するような一言を鵺に言って、泰山府君に物凄い視線で睨み据えられていた。
そんな呑気なやり取りの間にも、事態は進行していく。
唐突に、泰山府君の事を呆れたような視線で見上げていた摩耶が、武彦達の座っているソファーの後ろにある窓の外へツト視線を向け、そして飛び出すようにして駆け寄った。
「な? 何よ? どうしたの?」
という、エマの問い掛けを無視し、ガラリと窓を開け、素早く腕を窓の外へ突き出している。
「! っと、何やってんのよ? あんた」
驚いてエマがそう問い掛ければ、摩耶はニッと笑って「今日の興信所は千客万来だね」と、武彦に向かって言った。
「どういう意味だにゃ?」
と、問い掛ける武彦に、意味ありげに笑いかけ、勿体ぶるようにゆっくりと何かを持ち上げる摩耶の手の先には、金色の長い髪をした、真っ白なネコ耳の生えた子供がいた。
(??? あいつ、何か、ちょっと変だ)
と、勘が反応するものの、その子供の、余りにも愛らしい姿に、思わず黯傅を抱く力が強くなったらしいみなもに締め上げられ、結果そんな疑惑も吹き飛び「にゃにゃにゃにゃ!」と、苦しさの余りその胸の中で暴れる。
「放すにゃ! 放すにゃぁ!」
しっかりと襟首を捕まえられ、よっぽど軽いのだろう。
子供が軽々と、細腕の摩耶に持ち上げられている姿は、本物の猫のようで、じたばたと暴れる姿も、何処か愛らしい。
「あちしを、誰だと心得てるにゃ! そんな風に、持ち上げるとは、不届きにゃ!」
そう摩耶に喚いている、その子供の側に近寄って、みなもは優しい声で尋ねた。
「窓の外で、どうしてたのかな? 耳が生えてるって事は、あなたも、ジュースを飲んじゃったのね。 それで困ってここへ来たの?」
近くで眺めると、ビリビリと畏怖に似た感情が黯傅の中を駆け巡り、子供から目が離せなくなる。
零も、怖がらせないように、微笑みながら、「可愛いお客さんなのかしら?」と首を傾げ、「兄さんだけでなく、他に二人もジュースを飲まされた人がいるなんて……、もしかしたら、もっと大きな事件へ発展するかも知れませんね」と呟きながらその子供を覗き込むが、摩耶は冷静な声音で、みなもと零の言葉を否定した。
「こいつ、見た目はこんなだけど、あなた達が考えてるような子供じゃないよ。 ふっつーの子供が、二階にある興信所の窓の外で、しっかも…」
半眼になりながら事務所内に居る人間を見回し「こぉんな、曲者揃いの人間達に気配も気づかれないで、部屋の中の様子窺えると思う?」と冷静に言えば、翼も頷きながら「確かに、もし困って此処に来たのなら、正面から普通に訪ねて来れば良い。 キミ誰だい?」と、問い掛ける。
(摩耶や、翼の言う通りだ。 こいつが、普通の子供だと? 馬鹿な)
二人の言葉に、大いに賛同しながら、黯傅は子供を観察し続ける。
吊り下げられたままの子供は、別段困った様子もなく「あちしは、ねこだーじぇる・くんなのにゃ!」と誇らしげに名乗った。
そして、小さな手をふるふると振り回すと「降ろすのにゃ! 降ろすのにゃ! にゃぁ、にゃぁ、にゃぁ!」と、身を捩らせる。
可愛らしい仕草であったが、ねこだーじえるから伝わってくるただならぬ力の気配、及び「ねこだーじえる」という名前に、聞き覚えがあるような気がして、黯傅は記憶を探り続ける。
金蝉がぐっとねこだーじぇるの顎をグッと掴むと冷たい声で「で、テメェは、外で何してやがったんだ?」と、問い掛けた。

(確かに、それを聞き出すのが先決だ)
と感じた黯傅だが子供相手に、そんな乱暴な口効かなくてもと、周りの人間は感じているらしい。
全く、だから人間はと、黯傅が呆れた時だった。
今度は泰山府君と武彦が二人揃って、「あーーーーーー!!」と叫び声をあげた。
お次は何だと、黯傅が二人の視線の先に眼をやれば、そこには背丈ほどの長い黒髪を垂らし、大きな赤い瞳を持つ、ランドセルを背負った小さな女の子が立っている。
小柄で、髪の長い…という特徴が、武彦にジュースを配ったという女性に酷似はしているが、どう見ても小学生にしか見えない。
予想外の人数がいた事、そして一気に注目を集められた事のせいだろう。
少女は「え? ……え? えぇ?」と、怯えたように身を縮こまらせた。
そして、オズオズと「あの……これ…」と、小柄な体一杯に抱えた段ボール箱を差し出す。
「と…届けにき、ました」
か細い声でそう告げた少女の抱えていた段ボール。
そこにはレトリックされた文字で、「またたびジュース」と印刷してあり、猫のキャラクターが描いてある。
瞬間、泰山府君は「よくもぬけぬけと!」と唸り、武彦に至っては、「にゃぁぁぁぁ!」とよく分からない奇声をあげた。
どうも、二人にまたたびジュースを配ったのはこの子らしい。
ただ、それにしては、今や敵の巣窟ともいえる直接この興信所を訪ねてくるのが奇妙に感じられたし、その態度も訳の分からない事態に巻き込まれて戸惑う人間の表情そのものだった。
「小柄! 黒髪! あいつにゃぁぁ!」と、錯乱したように叫ぶ武彦に、何か知っているのか、エマが「ちょっ! 落ち着いて! 彼女は、違うわよ!」と止めようとするが、まさに猫のような身軽さで、ソファーから跳ね起き、一気に少女に飛びかかる。
片や泰山府君は、何処から取り出したのか、狭い事務所内で刃の部分が青龍刀になっている鉾を振りかざすと、唐突に少女に振り下ろそうとした。
(っ! 何も聞かずにいきなりかよ!)
女の子相手への凶行に黯傅が、何とか防ごうと飛び出し掛けた瞬間だった。
泰山府君の鉾が少女を傷付けるよりも早く、翼が何処から取り出したのか、美しい剣を翳してその斬撃を受け止める。
金属通しのぶつかり合う甲高い音が、興信所内に響いた。
「僕の目の前で、レィディへの乱暴は許さないよ? 例え、君自身が、美しい女性であろうともね」
と、白い歯を見せて笑う翼に、「あれで、女かよ!」という純粋な驚きが黯傅含む他の面々にも走るが(そして、金蝉には「なんで、翼は、性別を判断できるんだよ」という別の驚きも)、そんな衝撃を受けている間にも、錯乱武彦は少女に「お前もこれを飲むにゃぁぁぁ!」と叫びながら段ボールをバリバリと破き、中に入っていたジュースを無理矢理ビンごと飲ませている。
(あんのクソバカ!)
と、胸中で喚き黯傅はみなもの胸から、ピョンと抜け出して、武彦の頭の上に乗り、そして思いっきり爪を立てたまま、その背中を滑り落ちた。
「ってぇぇぇぇ!」
そう叫んで、少女を放す武彦。
(正気に戻りやがれ! 阿呆)
そう思いながら、ピョンと武彦の背中から降り、再びみなもの元へ戻る。
武彦が痛みにのたうっている隙に、逃げ出した少女には、既にネコ耳が生えてしまっている。
事務所内にある、大きな机の下に小柄な体を更に縮めて、逃げるように潜り込んだ少女が、ガタガタと身を震わせ「ふっ…ふぇ…ふっふぇぇん」と泣き始めた。
(あとで、もういっぺん武彦の野郎引っ掻いてやる)と、黯傅が決意すれば、エマもキっと眉を吊り上げて腰に手を当てると、「武彦さん! あの子は、蒲公英ちゃんよ! ジュースを配っていた女性じゃないわ!」と、叱り、翼も、泰山府君と剣を合わせたままながらも、「女性をしかも、子供を泣かせるだなんて、君の罪は万死に値するね!」と叫ぶ。


そして、ようやく、興信所に、この事件における最後の登場人物が姿を現し、この事件は新たな展開を見せる事になった。 


「おや? 立て込んでるみたいですが…大丈夫ですか?」
混乱する興信所内に柔らかな声が、染み渡る。
振り返れば、柔応接間の入り口に柔和な笑みを浮かべ繊細な佇まいをした美青年が女性づれで立っていた。
「今日は、珍しく、満員御礼じゃないですか」と、穏やかな口調で、ちょっとした冗談を口にする美青年の隣りに立つ、背の小さな、黒髪の女性を見て、泰山府君は「貴様っ!」と叫びながら、やっと翼と合わせている剣を降ろし、武彦も呆然と、立ち尽くす。
どうやら、今度は本当に、またたびジュースを配っていた女性なのだろう。
優雅な足取りで、その女性の手を取りながら人の間を縫い、「お連れいたしました」と恭しく告げる青年に、「え? ど、どうやっ…てにゃ?」と首を傾げた武彦。
「やはり、武彦さんの猫姿は美しくないですね」
と関係ない事を言いながら嘆かわしいといった様子で首を振り、青年はそれからツイと、泰山府君に視線を送って微笑み掛けた。
「貴女のように、素敵な女性の猫姿をお目に掛かかれたのは、眼福ですけどね」
笑ってウィンクを自然にする青年に、翼除く皆が「だから、何故一発で性別を見分けられるのか? その能力を持っている人間の共通項は、ウィンクが自然に決められるという事なのか?」と疑問を深めるものの、「こちらへ来る前に、試飲を薦められまして、身体的特徴も一致しますし、武彦さんにもジュースを薦めたのはこの方じゃないかな?と思いまして、お話を聞いてみたところ、そうだと言うので………」頬を染めて自分を見上げている女性を見下ろし、笑う。
「…お連れしました」
「連れてこられましたんv」
女性は、身をくねらせて、そう答えた。
そして、アレ?という風に首を傾げると、相変わらず摩耶にぶら下げられたままのねこだーじえるに視線を向けて口を開く。
「ねこだーじえる様? そこで、何をしてるんですかにゃ?」
その瞬間、一瞬気を抜いてしまった摩耶から手からねこだーじえるが逃げだし、窓際に立った。
そしてビッと、女性を指差しながら、
「にゃにゃにゃ! もーう、怒ったにゃ! しかも、お前もにゃーんであっさり連れて来られてるにゃ! 最悪だにゃ! ほんっとーに、猫股は良い男に弱すぎだにゃ!」と喚く。
それから、
「こうなったら……にゃむにゃむにゃむ」
と、チョコンと両手を合わせて口の中で呪文を唱え始めると、「みぃぃんな、猫になるにゃぁぁ!」と、言いながら両手を広げクルンと廻った。
瞬く間にねこだーじえるの手から、キラキラと光る赤い粉振りまかれる。
(あれは?)と警戒すれど、対応できぬまま赤い粉を吸い込む黯傅。
みなもも、無防備に吸い込んだらしく「クシュン…」と一度くしゃみをした瞬間、ポンという軽い音と共に、ネコ耳が生えた。。
(猫化した?!)
と、瞠目する黯傅。
見回せば、興信所内の人間皆に、猫の耳が生えている。
「にゃにゃにゃにゃ〜〜ん! またたびジュースの粉末バージョンにゃん! 吸い込んだ人間は皆、猫化するにゃ〜〜ん! みぃぃんな猫になれば良いにゃん!」とねこだーじえるが笑って言うと、ヒラリと身を翻り、窓下へと飛ぶ。
「っ!」
と、息を呑みながら摩耶が窓に走り寄り、窓下を覗き込んだ後、「後、追うよ!」と言いながら興信所を飛び出した。
その姿に、じっとはしていられないなかったのだろう。
「あ! 私も、行きますっ!」と手を挙げみなもは摩耶の後を追う。
黯傅も、一緒に連れていって貰う事にした。


タタタタと階段を降り、バイクに跨りエンジンをふかす摩耶にみなもが「連れてって下さい!」と大声で言う。
摩耶は振り返り、にっと笑って頷くと、「被りな」と良いながらヘルメットを投げてきた。
みなもは、慌てて受け止め、頭に被ると、「大人しくしててね?」と黯傅に言う。
(どーするつもりだ?)
と、首を傾げれば、いきなり黯傅の体を、セーラー服の胸元に押し込んできた。
(!!!?)
首だけを、みなもの胸元から出し、それでもうら若き女性の服の中に体を突っ込んでいるという状態に、落ち着かない気分になる。
(こりゃ……ますます、正体バラせねぇなぁ)
遠い目をしながら、そう考えていると、みなもは、摩耶のバイクの後ろに跨り、黯傅を押し潰さないように気を付けながら、それでもしっかりと摩耶の腰に手を廻した。
「振り落とされないでね?」
と、笑みを含んだ声で言い、摩耶がアクセルをグッと踏む。
その一瞬後、物凄いスピードで走り始めたバイクの風圧に、黯傅はギュッと目を閉じた。


走行時間は、考えてみれば、数分もなかっただろう。
キィィィ!っと、甲高い、タイヤを削る音をたてて、バイクが唐突に制止する。
「此処に入っていったトコまでは、確認できたんだけど…」
と、呟きながら、バイクを降りる摩耶。
ヘルメットを外しながら、みなもも足を地面につける。
そこは、大きな公園だった。
「流石に、バイクでこん中入ってく訳にはいかないからね。 手分けして、探そう」
という、摩耶の提案に、みなもは頷き、黯傅を降ろす。
「見付けたら、私か摩耶さんを呼びにきて下さいね?」
と言われたので、「なぁお」と黯傅は答え、タッと軽い足取りで公園の中へと走り出した。


(妙な気配がすんだよなぁ…)
公園の中にある、人工の森の中、ヒゲがチリチリと震えるのを感じながら、黯傅は首を巡らせる。
此処に入った時から、妙に胸がざわつくような気配がしたのだ。
「なぁぁぁぅ」
一声高く鳴いてみる。
すると冷たい手がスルリと黯傅を掴んで抱え上げた。
「……静かにして」
ギラリと冷たい光を放つ、女の目が黯傅を見据える。
女には、ネコ耳が生えていた。
しかし、目の形が、完全に猫と同じ目をしており、気配や匂いから言っても、青年が事務所に連れてきたのと同じ「猫股族」である事を確信する。
「あの人を待ってるの。 だから静かにして」
一瞬、氷が背筋を滑り落ちていくような感覚が黯傅を襲った。
(っ! こりゃあ…ヤベェなぁ)
これは、何か獲物を狙ってる猫特有の目つきだ。
そう確信しや黯傅は、暫くただの猫を装い、言われたとおりに大人しく、女の腕の中に収まっておく。
「あの人さえいなくなれば、人間の事なんて気にせずに、もっと楽しくやれるわ」
そう呟く女。
「力の上では、私達の方が上なんですもの。 こそこそ、隠れて生活する必要なんてない。 そう思うでしょ?」
そう問われて、黯傅は、何も答えず、ビー玉のような目で女をじっと見上げる。
しかし、その視線に気付かないのか、思いつめたような声で「皆が、何故、あんなにあの人を恐れ、敬い、大事にするのか分からないわ。 ねこだーじえるなんて、ただの子供じゃない」と女は呟き続ける。
(まずいな。 この女に、あいつを殺されちゃあ、みなも達が元に戻る方法が分からなくなる)
それに……、ねこだーじえるが殺させれるのを黙って見ているのも寝覚めが悪いし、何より……、黯傅は、フンと鼻を鳴らして呟いた。


「あんたみたいな若い女が、何かを殺すだの殺さないだの、物騒な事言ってんのは、似合わねぇよ」


驚いたように、黯傅を見下ろす猫股。
その腕飛び出すと、クルンと一回転して黯傅は人の姿に変化する。


黒い髪と、着物の裾が風に煽られ、バサリと揺れた。


「うあ。 生えてやがる」
そう呻きながら、頭に手をのばす黯傅。
そこには紛れもなく、黒いネコ耳が生えていた。
武彦の情けない姿を思い浮かべ、俺も今、ああいう状態なのかと顔をしかめると、女に「どうよ、似合う?」なんて聞いてみる。
女は、呆然と黯傅を眺めていたが、ハッと気付いたように息を呑むと、「何者だ!」と問い掛けてきた。
「俺? 俺ぁ、斎黯傅。 ちっとばっかし、お嬢さんの話聞かせて貰って、放っておけなかったんでね。 お節介は重々承知で、あんたの事を止める為にこの姿に変化した。 よぅく分かりゃあしねぇが、ねこだーじえるとやらをただの子供だと思ってんなら、放っておきゃあ良いだろう。 子供殺すと、後々うなされんぜぇ?」
そう笑えば「うるさい! 部外者は黙っていろ!」と吠えて、鋭い爪を振りかざしながらこちらに迫ってくる。
黯傅は、ヒョイとその攻撃をかわすと、(女だしなぁ?)と悩みながら、攻撃したせいで伸びきっている腕を掴み、そのままぐいと後ろにねじ上げて、地面へと突き倒した。
「うにゃん!」
そう悲鳴をあげる女に「悪ぃ? 痛かったか?」と心から心配しながら声をかけ、それから顎を掴んで無理矢理顔を上げさせると、その目を覗き込んで言葉を掛けた。
「ヤ・メ・ロ」
黯傅の能力である催眠効果が発動し、その瞬間、女の全身からガクリと力が抜ける。
「良いか? ねこだーじえるを狙うのはよせ。 あいつは、お前にヤられるタマじゃねぇ。 ってぇか、下手すっと返り討ちに合うのがオチだ。 いいか? 大人しく帰って、今日の事も、下らねぇ殺意も忘れるんだ」
ゆっくりと噛んで含めるように言えば、コクリと女は霞がかった目をして頷く。
その様子を満足な気持ちで黯傅は眺めると「行け。 振り返るな。 一目散に立ち去れ」と告げた。


その後、黯傅は噴水のある広場にいたみなも、摩耶、それに後から追い掛けてきたらしい泰山府君と何故か完全に猫になってしまっているさな達と合流すると、見事彼たちの手によって捕獲されたねこだーじえるを囲んで、今回の事件のあらましを聞く事になった。


ねこだーじえるがというよりも、試飲イベント行っていた猫股族の面々が企んでいた事。
それは、ただ純粋に、あのまたたびジュースを気軽にネコ耳や尻尾が生やせるジュースとして商品化する事だったらしい。
確かに、こういった手合いのものを大っぴらに売り出す事は無理だとしても、それ相応のルートに乗せれば、かなりのヒット商品になるだろうとは考えられる。
ねこだーじえるは、猫達にとっては多大な権力を持つ存在らしく、猫股達にこのジュースを人間に効力があるのか試験したいのだがどうすれば良いだろう?と相談され、この試飲キャンペーンのアイデアを出したらしい。
ただ、あんな危ないジュース無差別に試飲させれば大騒ぎになる。
と、いう事で、ねこだーじえる曰くの「ぴっかぴかの慧眼」で、「またたびジュースを飲んで猫化が始まっても」すぐに警察に飛び込んだり、絶望の余り自傷行為に走ったりしない、それでいてねこだーじえるが見物して面白い人物に限定し、ジュースを飲ませていたそうだ。
で、まんまと、その餌食に泰山府君と武彦が選ばれたという事なのだろう。


ま、そんな事情は、もう、こうなったらどうでも良い。
肝心の元の姿に戻る方法が大事なのだ。

猫になってしまったさなを抱えながら、ねこだーじえるに「で? どうすれば元に戻れるんだ」と、問う摩耶。
しかし、ねこだーじえるは「あー! 蝶々にゃ」とか「水に濡れて気持ち悪いのにゃ」とか「またたびジュースはすこぶる美味なのにゃ」とか、話を逸らしてばかりで一向に質問に答えてくれない。
額に青筋を立て始めた泰山府君が「いい加減にせんと、今度は本気で刻むぞ?」と脅せど、ねこだーじえるは何処吹く風。
自分の顔を猫の仕草で、手で擦り「あちし、何だか眠たくなってきたにゃ」と呟く。
(こりゃ、もしかして……)
と、最悪な想像を始めた黯傅の気持ちに感化されたのか。
黯傅を抱えたまま、そのやり取りを眺めていたみなもは、ある最悪の可能性を口にした。
「あの……もしかして、だけど、元に戻る方法が無いって事、ないですよ…ね?」
すると、ねこだーじえるの耳がピクンと反応し、ニパッと笑いながらみなもを見る。
みなもも、その愛らしい笑顔につられて笑みを返し、黯傅も、
(まさか、そんな訳ねぇよな)と、安堵する。
すると、ねこだーじえるは笑顔のままで頷いた。
「凄いにゃ! 正解だにゃ!」
その瞬間、黯傅を含む、その場にいた全ての者達の視界が一瞬暗くなった。

 
「殺す! 殺し尽くす! もう、許さん! 成敗してくれる!」
「あー、うん、なんか、それで良いかもーって思えてきた」
「えーーーー?! そんな、駄目ですよ! く、黯傅さん! 何とかして下さい!」
「……なぁぅ」
「さ、さなさんもです!」
「んにゃ?」
「わーーーん、頼りにならないよーー!」
「あちしを殺すと、猫たちの祟りがすんごいにゃよーー?」
「ほら、祟りですよ! 摩耶さん、泰山府君さん祟りですって! きっと、毎日玄関にフンとかされちゃいますよ!」
「や、いいよ、掃除するし」
「今は、こやつの息の根を止める以外の何も望みはない」
「えええ?! ちょっ! 誰か!っていうか、ねこだーじえる君、とりあえず逃げて!」


と、いう騒々しいやり取りを経て、とりあえず興信所へ戻ったねこだーじえる含む面々は、そこで待っていた青年の言葉でこれ以上ないほどの脱力を味わう事になる。


「何だか盛り上がっているトコに水を差すのが悪いなぁと思って、能力の事言い出せませんでした」なんてかるーく笑い、「申し遅れましたがモーリス・ラジアルと言います。 了承さえ賜れば、私の思う通りに人の姿を変える事が出来ます。 あなた方の事も、すぐ元の姿に戻してあげますよ」とあっさり告げた。
その瞬間、「えーと、じゃあ、本当はもっと早くにこの話って終わってた筈って事ですか?」と、みなもは呟き、摩耶に「そんな、登場人物はおろか、ライター本人すら抱えていたツッコミを……」と呻かれていた。


黯傅は、「あほらし」なんて嘆息しながら、一人帰ろうとするが、モーリスがその体をヒョイと抱え上げる。
そして、「一応、黯傅さんも、元の姿に戻っておきましょう、ね? このままだと、人型に戻れなくなっちゃいますから」と穏やかに語りかけてくる。
そんなモーリスに小声で「鵺と良い、お前と良い、この興信所に集う奴は侮れねぇ…」と呻けば、モーリスは「ふふふ」と小さく笑い「貴方もね?」と、告げた。








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■   登場人物  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2411/鬼丸・鵺/13歳/中学生】
【3342/魏・幇禍/27歳/家庭教師 殺し屋】
【1252/海原みなも/13歳/中学生】
【0086/シュライン・エマ/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3317/斎・黯傅/334歳/お守り役の猫】
【2863/蒼王・翼/16歳/F1レーサー兼闇の狩人】
【2916/桜塚・金蝉/21歳/陰陽師】
【1979/葛生・摩耶/20歳/泡姫】
【3415/泰山府君・― /999歳/退魔宝刀守護神】
【1992/弓槻・蒲公英 /7歳/小学生】
【2309/夏野影踏 /22歳/栄養士】
【2640/山口・さな /32歳/ベーシストsana】
【2318/モーリス・ラジアル /527歳/ガードナー・医師・調和師】
【2740/ねこだーじえる・くん /999歳/猫神(ねこ?)】



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■         ライター通信          ■
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まず! 遅れてスイマセンでした!(平身低頭) 初めましての方も、そうでない方もヘタレでほんま、すいません! ライターのmomiziです。 今回、二回目の受注窓オープン。 前回の如く、緩やかに参加表明がなされるであろうと予想していた私を裏切って、14名参加っていうか、喜びと共に正直キョドってしまいました。 あえて、ウェブゲームの醍醐味を追求すべく、同じ物語で、それぞれの視点で書いてみた「猫になる日」。 やぁ、無謀でした。(遠い目) えーと、書いている間に、三度ほど、三途の川を見たのですが、渡らなかった私に、私が乾杯。 一人一人が、別々の感情で動き、見えている真実も違っていたりするので、色々読み比べて下さると、また別のお話の姿が見えたりするように書きました。 他の話にもお目通し下さると、ライター冥利に尽きます。  また、ご縁が御座いますこと、願っております。