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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


猫になる日。



オープニング



朝起きたら、義兄の耳がネコ耳に変化していた。


零は、今まで様々な奇妙な現象を目の当たりにしてきたせいでもあるのだろう。
大して動揺せぬまま、しかし30男のネコ耳姿という、嗚呼、神様。 もし、見なくて済むのならば、積極的に見ないまま人生を終えたかったのですなんていう、光景を目の当たりにし、とりあえず、この事態はどういう事なのか問い質して見るべきかと、強引に自分を納得させる。
何か、別に良いかなぁ…なんて、投げやりな感情に支配されつつも、「その、耳…、どうしました?」と、零が問い掛けてみれば、「耳が、どうしたんだニャ?」と武彦が答えてきた。


森へ、帰りたい。


別段森生まれでも何でもない零は、ガクリと、床に膝付きながら、何故かそんな郷愁に襲われる。


語尾にニャて、おいおい。
許されるキャラすっごい限定される口調やん。
ていうか、義兄がニャて、ニャて……うあー。

もう、項垂れるしかないという気分になりながらも、零は静かに立ち上がり、そして、「もし、わざとであるのならば、本日限りで、ここをお暇せねばならなくなるので、是非とも他に原因がある事を祈るばかりなのですが……兄さん。 ネコ耳生えてますよ?」と、告げる。
人生において、人に、それも兄に「ネコ耳生えてますよ?」という台詞を吐く機会に恵まれるなんて、私はなんと不幸な人間であろうか…、と自分の境遇を嘆く零に対し、武彦は目を見開き、それから、「プッ」と吹き出すと「なぁに、言ってんだかニャ」と言いながら、自分の耳に手を伸ばし、そして硬直した。
「……なぁぁぁっぁぁぁっぁぁああああああ?! ニャ」
事務所に武彦の絶叫が響き渡った。



「ええぇぇぇ? 誰も、求めてニャイだろ、これ? ええ? 何で、猫ニャ? どういうニーズニャ? ていうか、えーー?」
混乱しきったまま、自分の耳を触りつつ、そう呻く武彦に、零はあくまで冷静に言葉を掛ける。
「まぁ、誰かが求めてどうのこうのって訳じゃないでしょうが……、兄さん、何か心当たりとかありますか? 変な物を拾い食べしたとか」
「そんな、今時、子供でもしないような馬鹿な事しねぇニャ」と、抗議しつつも、「心あた…り?」と首を傾げ、そして、ポンと手を打った。
「そういや、昨日、街頭で、試飲サービスをやっていて、『またたびジュース』とかいう変な飲み物を飲んだ記憶があるニャ。 新製品とか言っていたけど、随分と人通りの少ない道でやっていたので、不思議に思ったニャ」
武彦の言葉に、どうして、そういう怪しげなものを呑んじゃうかなぁ…と呆れつつも、零は「多分それですね。 そういう仕組みかは分かりませんが、その飲み物のせいで、猫化したと考えるのが自然でしょう。 そのジュースを薦めてきた人間の容貌を覚えてますか?」と、聞いた。
武彦は、目を細め、考え込むような素振りを見せた後、「……女だったニャ。 うん。 真っ黒な髪した、何か背の小せぇ、ちんまい感じの……」と、答える。
「その人が、無差別にジュースを配っているとしたら、今頃はもっと騒ぎになっているでしょうから……」
「俺を狙っての、犯行…かニャ」
そう言いながら、武彦は自分の頬をつるりと撫でて、そして、「ひあ!」と素っ頓狂に叫んだ。
「ひ……髭ニャ! うあ! 尻尾も!」
動揺して、そう喚く武彦の鼻の側の頬から、確かに三本の髭がぴょんと生え、そして尾てい骨の辺りから、ズボンの外へ細長い尻尾が飛び出してくる。
さっき迄は、存在しなかったネコ特有の特徴に、武彦はネコ化が進んでいるという事実を悟り、戦慄した。
「ね、ネコになってるニャ! ネコになってるニャーーー!」
武彦が、動転し、ソファーから転げ落ちる姿を眺め、零も流石に、「もしこのまま、兄さんが猫になってしまったら?」という焦りのようなものを覚え、そして、とにかく誰かに助けを求めようと心に決めたのであった。




本編


零から、連絡を受けた時。
摩耶は、丁度起き抜けで、乱れた髪をかき上げつつ「さて…」とキングサイズのベッドの上で呟いた。
さて、面白いだろうか?
摩耶が動くかどうか決める判断基準はこれが一番重要で、だからこそ熟考する。
「猫化ねぇ…」
起き抜けのハスキーな声で、そう囁いて、「うん。 面白いかも」と決心すると、ベッドのスプリングを利用して跳ねるように、ベッドから降りた。


愛車のヤマハTMAXのエンジンをふかすと、知らず知らずの内に、摩耶の唇は吊り上がる。
今の所は、コレに乗っている以上の愉しい時間ってそうない。
「猫の草間さんって、可愛いかしら?」
そんな事を考えながら、アクセルを踏む。
摩耶が愛して止まない、スピードと一体化した風が、彼女の体を包んだ。


程なく辿り着いた興信所の前にバイクを停め、ヘルメットを脱ぎ、首を振って汗をキラキラと宝石のように振りまいた摩耶は、興信所の前の階段を上りきった所で、黒猫を抱え呆然と立ち尽くしている海原みなもに遭遇した。
何故、猫が? もしかして、アレが武彦さん?なんて疑問を抱く摩耶。
相変わらず、清純そうな雰囲気をしたみなもに何故か畏怖の視線で射られつつ、「みなもちゃんって、雰囲気私と正反対だな」なんて自嘲しながら、笑いかける。
「どうしたの? みなもちゃんだよね? こーんなトコでぼーっとしてさ」なんて、飄々とした口調で言えば、何かに気付いたかのようにピクリと体を震わせ、そして、「摩耶さん! わ、お久しぶりです」そう、ペコンと頭を下げてくる。
そんなみなもに「うん。 久しぶり」と摩耶は答え、扉を開けようとした時だった。

「岩下志摩さんですか?!」

いきなり、みなもが訳の分からない問い掛けをしてきた。

は? 岩下志摩?
極妻の?
ていうか、私の名前、みなもちゃん知ってるよね?
だって、呼んだじゃん。

摩耶は、みなもの意味の分からない言葉にポカンとした顔をして「や、ご期待に添えずごめんなさい。 葛生摩耶です」と、何故か詫びてしまう。
みなもは更に、焦ったように「や、いや、そういう意味じゃないんです。 あの、エマさんが…」
「エマ姐さんが?」
「岩下志摩オーディションをしてるらしくって、ヤクザが哀川翔争奪戦で、武彦さんは猫だったんですぅぅぅ!」と、更に分からない事を言ってきた。

ヤクザが、哀川翔争奪戦?
や、確かに、あの人その筋の人にはカリスマだけど、でも、そんなイベントが何故、興信所で?

そこまで、考え、摩耶はあっさり(ま、みなもちゃんの勘違いに間違いないな)と、冷静な判断を下すと、「草間さんが猫になりかけちゃってるっていうお話は聞いてるケド、その他の事項はよく分かんないなぁ」と答え、ポンポンと軽くみなもの頭を叩き、みなもの腕の中で、クタンと項垂れている猫を見つめ「ま、何が何だか分かんないけど、猫ちゃんがジれてきちゃってるわよ? 中、入りましょ?」と、言って、みなもの腕を引きながら扉を開けた。


中に入ると、何故か、武彦を間に挟んで、蛇とマングースのようにエマと影踏が睨み合っていた。


「え? えぇぇぇ?! どういう状況?」
と、驚いて叫ぶみなもを余所に、
「ま……、アレは日常茶飯事だし」
なんて、あくまで冷静なまま、摩耶はそう呟く。
だが、ピコピコと揺れるネコ耳と、猫ヒゲ、そして尻尾が30男に生えているという、何だろう、悲惨?っていうか、正直、ビシュアル的にはさ、犯罪って断言出来ちゃうよね的、姿に変じている、武彦の姿をマジマジと凝視すると、「へぇ、マジで、猫になりかけちゃってんだ」と面白く思った。
みなもは、眉を顰め「うあ。 ひどい…」と、正直極まりない感想を漏らしている。
すると、どこからか「プッ…ブハッ…」と、男の吹き出すような声が聞こえた。
「え?」
と、疑問の声を上げながら辺りを見回せば、零に協力を要請されたらしい、興信所内にいた数人の男女と目が合う。
(これまた、派手な面々ねぇ)
と、自分の容姿を棚に上げて考えるほど、煌びやかな者達だった。
金色の髪の、眼を見張る程に清冽で、美麗な顔立ちをした中性的な少女に、冷たいながらも端正な面立ちをしたこれまた金髪の背の高い青年。
それに銀色の髪をしたそこら辺のアイドル顔負けの美少女中学生と、黒髪に銀メッシュの入ったモデルのような美形のスーツ姿の眼帯をした男性。
よくもまぁ、これだけ揃えたものよなんて、別に誰かの意図で美形揃いにした訳でもなかろうが、四人が並んで立つと感じる妙な迫力に感嘆する。
しかし、先程、みなもが入り口で喚いていた事は、やはり勘違いだったのだろう。
少なくとも、哀川翔は取り合われていないし、岩下志摩オーディションも行われていない。
みなもが、何故此処にいるのかは分からないが音楽番組で見掛けた事のある「imp」というバンドのベーシストのさなと、摩耶は仕事で知り合いとなった夏野影踏に、必死になって何事かを喚いているエマを眺めて、また訳の分からない事を呟いていた。
「エマさんが、岩下志摩?」
(いや、エマさんは、エマさんでしょうが)
思わず胸中で突っ込む摩耶。
それにしても、さっきの男性の吹き出した声って、此処に居る男性二人のどちらかのものだったのだろうか?という疑問を抱く。
金髪の青年は、相変わらずの、完璧に整った顔に不機嫌な表情を浮かべているし、眼帯の男性の方も、キョトンとした顔をしている。
「さっき…誰か吹き出しましたよね? 男性の方が」と、眼帯青年が言いい、みなもが、「えーと…私も聞こえたんだけど……」と言いながら摩耶を見上げてくるので、摩耶は「…あなた達、何か笑った?」と、眼帯男性と金髪青年を順々に見回す。
「いいえ?」
眼帯男性は、首を振って答え、金髪青年は無愛想な無表情で黙ったままだが、その表情を見ただけで、彼が吹き出した訳ではない事が如実に伝わってくる。
「………」
最後に、皆で黯傅に視線を据えるも……「まさか……ねぇ?」の金髪少女の一言で、「そうだよなぁ…」と皆、顔を上げ「気のせいか」という結論に達した。
いつになく、人の多い興信所内に視線を走らせながら、摩耶はこのまま金髪青年だの、金髪少女だのと名前が分からないのも不便だし(主にライターが)と思い気怠げな声で提案する。
「えーと、初めましての人もいるから一応自己紹介する? 私は、葛生・摩耶。 宜しく」
短くそう済ませた摩耶に続き、みなもが緊張の面もちを見せながら口を開く。
「私は、海原みなもと言います。 中学生やってます。 それから、彼は斎・黯傅さんっていう、人語を解するスーパー天才猫なんです」
と、小さな頭を撫でれば、みなもの紹介に頷くように、黯傅が「なぁう」と短く鳴く。
女子中学生も「鬼丸・鵺って言います。 で、この人は……」と言いながら、後ろを指し示し、「鵺お嬢さんの家庭教師と、護衛みたいな事もやってる魏・幇禍です。 どうも」と眼帯男性も続いて自己紹介した。
最後に金髪少女が「僕は、蒼王・翼で、彼は桜塚・金蝉」と金髪青年を示しながら告げ、これで興信所内にいる人間の一通りのフルネームを幇禍は理解する事が出来た。
応接間のソファーでは、影踏が何か武彦にちょっかいを出し、それをエマが防ごうとしているらしい。
「誰の許可を得て、武彦さんにいかがわしい事しようとしてんのよ、この野郎!」
と、エマが凄んでいるので、(わぁ、姐さんヒートしてはるわぁ)と摩耶が感じていると、影踏が震える声で言い返していた。
「だって! 可愛いじゃないですか!」

可愛い。 何が?

どの子を指して言ってるのかな?と、思わず女の子達を見回す摩耶。
「世の中には、ミラクルアイの持ち主がいるもんですね」なんて幇禍が呟いているが、影踏の言葉に同調して「あ! 僕もネコ耳は可愛いと思うぞ!」と、さなが手を挙げ、その両者に対し、
「馬鹿ぁぁぁ! 武彦さんを可愛いと思うのは、私だけの権利なのよーーーー!」
と、エマが思いっきり叫んでいるのが耳に入った瞬間、全てを理解した。

草間さんを可愛いって言ってるんだってか、そりゃ、影踏さんは、眼か、頭の病気だな、うん。

なんて、摩耶が心底確信すると幇禍は鵺と二人で声を合わせて「「ていうか、可愛いと思ってたんだ」」とヒいたような声で呟いている。
そんな二人の呟きを騒ぎの最中ですら聞き逃さず、「可愛いわよ!」とエマが怒鳴り返した。
しかしエマは武彦の体を引き寄せて、守るように抱き締めてはいるが、その実うっかり、首のイイトコに入って、当の武彦は窒息しかけているらしい。
おぶおぶと暴れながら土気色に顔色が変わり始めている武彦に「ほ、本気で死んじゃいそうじゃないですか? 草間さん」と怯えたような声で呟くので、摩耶は「女の絞め殺されるだなんて、草間さんにしてみれば、これ以上ない位幸せな死に方だから、別にいいんじゃない?」なんて、薄情な台詞を吐いておいた。
エマは、一通り騒いだ後、ようやっと、事務所内の人数が増えている事に気付いたらしい。
「れ……零ちゃん? で? 何人の人が来るって言ってくれてたのかな?」
と、完全に傍観者していた零に問い掛ければ、彼女はニコリと笑って、「えーと…、エマさん含め10人の方が、お越し下さる予定だったのですが、有り難い事に、連絡が取れた方以外も来て下さってるみたいです」と答えていた。
狭い事務所内は、二桁に突入する程の人数が入れば、もう、満員状態である。


(ありゃりゃ。 混んでるし、ちょっと面倒臭くなってきたなぁ)
と、ぼんやり考えながら、セーラムピアニッシモに火を付け、銜える。
しかし、逆に言えば、こんだけ面白い感じの人達が集う風景というのも、なかなかお目に掛かれるもんじゃない。
(もうちょっと、観察してこうかな)と考えた摩耶の隣を、金蝉が通り抜けて入り口へ向かおうとしていた。
連れらしい、翼を置いて帰るのかと、不思議に思い声を掛ける。
「アレ? 帰るの? カノジョ置いて」
意識した訳ではないが、馬鹿にしたような声音になり、金蝉が、グッと底冷えのするような目つきで睨み据えてきた。
(うわぁ。 青いなあ)
そう感じ、「アハハ。 図星か」と摩耶は笑いかけると、銜えている煙草をくゆらせた。
「もうちょっと居なよ。 きっと、これから、もっと面倒臭くなるよ」
そう言えば摩耶に理解しがたいといった顔を向けて、金蝉は口を開いた。
「面倒臭ぇ事が嫌だから、ずらかろうとしてんだよ
青い、青い、青いなぁ。 摩耶はそう繰り返しニッと目尻を下げる。
「ばっかだねぇ。 面白い事ってのはね、みんな大なり小なり面倒臭いんだよ」
そう告げて、フフンと笑うと、先程から、こちらに不安げな視線を送っている翼に微笑み、なんだかこの可愛いカップルに意地悪したい気持ちになって、翼に笑みを向けたまま金蝉の腕に「ゴミ、ついてる」と言いながら手を伸ばしツイと指を滑らした。
咄嗟に、身を引きながら「触るな」と潔癖な様子で言う金蝉に、摩耶は、「かぁわいいv」と囁き、そして「あんたのカノジョもね」と告げた。
「で? 帰るの、帰らないの? ってか、言い換えると逃げるの? 逃げないの?」
そう、挑発するように言えば、案の定、もう一度睨み据えた後、クルリと踵を返して翼の元へと足を運んでいる。

ククククと、喉の奥で笑ってその、シャンとした後ろ姿を好ましく見送り、(やっぱ、結構愉しいや)と、摩耶は確信した。

何やら、金蝉は翼と揉めてしまっているらしい。
先程の意地悪のせいだななんて、確信しながら、一つだけとは言え、自分よりも年上の金蝉に胸中で「ガンバレ。 ワカゾー」と無責任に呟く。
そんな、摩耶の耳に、

「ここの興信所の主はご在宅かな?」

と、事務所の入り口で、古めかしい言葉遣いをしたハスキーな声が響いた。
「ゲ…、客かにゃ?」
と、身構える武彦。
今や、興信所内は万国博覧会よりも珍しい存在達の集まりになっている。
その上、肝心の主人が猫化の一途を辿っている訳であって、もし、奇跡的にまともな依頼が来たとしても、仕事を受けられる状態ではない。
「どうするんでしょう?」
みなもは心配げに呟いている。
(しゃぁないなぁ)
そう思うと、入り口に一番近い場所にいる事だしって事で、摩耶はヒラヒラと手を挙げて「私、出るわ」と言った。
エマは、安堵するような表情になりながら、両手を合わせて「お願い。 客だったら、適当に誤魔化して」と頼んでくる。
(珍しいや。 草間さん絡みだからか結構、エマさんへこたれちゃってるや)
なんて思いながら
「了解」と、短く答えると、摩耶は応接間と入り口を仕切る衝立の向こうへと向かった。



「はいはいはーい」
と、言いながら、扉を開けた瞬間、摩耶は硬直した。



武将だ!
武将がいる!


しかも、ネコ耳だ!


別に、摩耶は巫山戯ている訳じゃない。
実際目の前に、額に宝玉が埋め込まれている、中国風のシンプルな甲冑を身に纏った、凛々しい顔立ちの武将としか言いようのない青年が立っていた。
しかもネコ耳を生やして。
(みなもちゃん、哀川翔争奪戦や、岩下志摩オーディションは行われてなかったけど、欽ちゃんの仮装大賞なら、開催されるみたいよ?)
なんて、考えつつ「えーと、どちら様ですか? その耳の事で来られたお客様でしょうか?」と問い掛ける。
草間興信所はもっぱら怪奇事件専門の興信所として名を馳せている。
ネコ耳の対処に困って来たのならば、多分、原因は武彦と同じ「またたびジュース」と鑑みて間違いないし、招き入れた方が良いのかも知れない。
しかし、武将は首を振り「耳? 我の耳がどうした?」と、不思議そうに呟いた後、「我は泰山府君と申す。 いや。 ただ、この草間興信所なる場所、随分愉快な場所と聞き及んでいたので、本日暇な身故、少し見学させて貰いに参った。 まず、主に話を伺いたい。 通してくれ」と、中性的なハスキーな声で並べ立ててきた。
摩耶は、「え? じゃあ、耳は趣味?」なんて感じつつ眼を白黒させ、取り敢えず客でないのならと「ごめんなさい。 今、ちょっと、大変な事になってて入れてあげられないの。 また、後日来てくれるかな?」と、砕けた口調で頼む。
だが、泰山府君という青年は、整った眉を潜め「何故、我が日を改めてやらねばならない」と言い放つと、摩耶を押しのけ勝手に興信所内へと入っていく。
「ちょっ! あなた、勝手に!」と、制止しようとするも、強引に進む泰山府君を到底停められず、彼は皆のいる応接間へと足を踏み入れた。


泰山府君は興信所内の人間を見回しながら、最終的には摩耶に視線を据えて中性的なハスキーボイスで言い放ってくる。
「ここの主は、何処かと聞いているだけだろう? 大体、興信所というものは、誰にでも門戸を開かれている場所ではないのか?」
摩耶は、武将の視線を受け止めて、呆れたように答えた。
「だから、今、ちょっと取り込んでるって言ってるでしょ? それにね、えーと、泰山府君さんでしたっけ? 貴方、別に客じゃないんだよねぇ? そのお耳の事で、ここに依頼に来た訳ではないんだよな?」と問えば、泰山府君は不機嫌そうな表情を見せ、「貴様、先程から一体何の話をしているのだ? 耳だと? 耳がどうしたと言うのだ?」と、問うてくる。
(あら、この人、自分が猫化してる事に気付いてないのね)と、漸く理解した摩耶。
泰山府君の問いに、近くに立っていた幇禍が、武彦を指し示しながら「つまり、貴方、あの阿呆面の、この興信所の経営者と同じ状態になってますよ?って事です」と告げる。
泰山府君は、「どういう意味だ?」と言いながら、幇禍の指先の方向へと視線を向け、そして固まった。
「な? なんだ、その姿は。 随分と巫山戯た格好ではないか? そんな風体で、興信所の主というのは勤まるものなのか?」
そう戸惑ったように呟きながら、それでも珍しさの余りか、じっくりと武彦の姿を眺める泰山府君。
そんな泰山府君に、「あ、あの……」と、みなもが、声を掛けた。
「あの、まず、えーと、写真を撮らせて貰って良いですか?」と問い掛け、泰山府君が返事をしない内に、パチリとデジカメでその、不思議な姿を撮る。
その後、デジカメのプレビュー画面を見せながら「ほら、草間さんと同じようにネコ耳生えてますよ?」と、あっさり告げた。
画面に映る映像に凍り付く泰山府君。
凛々しい顔が、ピシリと音を立てそうな勢いで固まっている。
原因はまたたびジュースだとして、語尾が「にゃ」に変じていないのは、飲料を飲んだばかりのせいなのか、それとも体質のせいか?
(この格好で、語尾が「にゃ」だったら、もっと面白かったんだろうな)なんて、摩耶が考えている事なんか知らないままに、最初のショックから解放されたのだろう。
憤懣やるかたないといった様子で「うぬぅ! たばかられたわ! やはり、先程の、『またたびジュース』なるもの、妖しの飲み物であったのか!」と、歯軋りし、そして武彦を睨み据えると、「貴様も、アレを飲んだのか! なぜ、あのような妖しき飲み物を口にするのだ! 馬鹿か! 馬鹿なのだな!」と自分を棚に上げて責め立てる。
「や、だって。 君も飲んだんだよね?」と冷静に鵺が突っ込めど、「我は喉が渇いていたんだ!」と、無茶苦茶な事を叫び返してきた。
「あー、だったら、しょうがない……の?」
と、泰山府君の自信満々な一言に、思わず納得し掛けてしまっている鵺。
(や、しょうがなくないってか、だったら、自販機なり、喫茶店なりで飲み物飲めよ)
と、摩耶は心中で呟く。
幇禍が「や? でも、やっぱり、結構理不尽ですよ、この人」と鵺に言って、泰山府君に物凄い視線で睨み据えられていた。
(呑気だねぇ)なんて、そんなやり取りを眺めていた、その摩耶の視界を、何かキラリと眩い光を放つものが通り過ぎた。
「?」
光が見えた方向に視線を向ければ、そこには窓がある。

(……もしかして?)

実は、摩耶。
此処に来る途中に、どうやって事件を解決に導くべきか考えていて、思い付いた一つの推測があった。
またたびジュースを飲ませたのが草間さん個人を狙った犯行だというのなら、犯人はその『結果』を確認しに…つまり武彦がどのような状態になっているのか草間興信所周辺に来るんじゃないかなぁと、いう推測だ。
ただ、この興信所。
周りのビルが高すぎて、逆に内部を覗けるスポットというのが殆どない。
故に、「甘いかなぁ」と考え、一旦は捨てた推測だったが、此処にきて一気に、その想像が現実味を帯びてきた。
例えば、何処からも中の様子を窺えない事に焦れて、今、このすぐ外に、犯人がいるとしたら?

摩耶は、逃すものかと思い。
「な? 何よ? どうしたの?」
という、エマの問い掛けを無視し、ガラリと窓を開ける。
そこには、キョロンとした表情で此方を見上げてくる、金色の長い髪をした、真っ白なネコ耳の生えた子供がいた。
(ほんっと、今日はお客さんが多くて、良かったねぇ、草間さん?)なんて、思いつつ、何が起こっているのか分かってなさそうな子供の襟首を掴み素早く確保する。
「! っと、何やってんのよ? あんた」
驚いてエマがそう問い掛けてくるので、摩耶はニッと笑って「今日の興信所は千客万来だね」と、武彦に向かって言った。
「どういう意味だにゃ?」
と、問い掛ける武彦に、笑いかけ、勿体ぶるようにゆっくりと子供を持ち上げる。
「放すにゃ! 放すにゃぁ!」
と、今になって、大暴れを始めた子供を見て、皆が眼を見開くのを、何処か快感を覚えながら見せびらかした。
余り腕力があるとは言えない摩耶でも、片手で軽々持ち上げられる。
持ち上げられている姿は、本物の猫のようで、じたばたと暴れる姿も、何処か愛らしい。
「あちしを、誰だと心得てるにゃ! そんな風に、持ち上げるとは、不届きにゃ!」
そう摩耶に喚いてくる、その子供の側に近寄って、みなもは優しい声で尋ねた。
「窓の外で、どうしてたのかな? 耳が生えてるって事は、あなたも、ジュースを飲んじゃったのね? それで困ってここへ来たの?」
零も、怖がらせないように、微笑みながら、「可愛いお客さんなのかしら?」と首を傾げ、「兄さんだけでなく、他に二人もジュースを飲まされた人がいるなんて……、もしかしたら、もっと大きな事件へ発展するかも知れませんね」と呟き、その子供を覗き込むが、摩耶は冷静な声音で、みなもと零の言葉を否定した。
「こいつ、見た目はこんなだけど、あなた達が考えてるような子供じゃないよ。 ふっつーの子供が、二階にある興信所の窓の外で、しっかも…」
半眼になりながら事務所内に居る人間を見回し「こぉんな、曲者揃いの人間達に気配も気づかれないで、部屋の中の様子窺えると思う?」と冷静に言えば、翼も頷きながら「確かに、もし困って此処に来たのなら、正面から普通に訪ねて来れば良い。 キミ誰だい?」と、問い掛ける。
吊り下げたままの子供は、別段困った様子もなく「あちしは、ねこだーじえるくんなのにゃ!」と誇らしげに名乗った。
そして、小さな手をふるふると振り回すと「降ろすのにゃ! 降ろすのにゃ! にゃぁ、にゃぁ、にゃぁ!」と、身を捩らせる。
その仕草に思わず「飼いたいなぁ…」と、眼を細めてしまう摩耶。
摩耶だけでなく、その他人々も皆一様に同じ様な表情を浮かべている。
しかし、そんな様子に全く頓着しないまま、ぐっとねこだーじえるの顎をグッと掴むと金蝉は冷たい声で「で、テメェは、外で何してやがったんだ?」と、問い掛けた。

金蝉君は、アレだな。 凄い、強いというか、唯我独尊な人だなぁ…。

そこまで乱暴な口効かなくてもと、摩耶が呆れれば、今度は泰山府君と武彦が二人揃って、「あーーーーーー!!」と叫び声をあげた。
お次は何だと、摩耶が二人の視線の先に眼をやれば、そこには背丈ほどの長い黒髪を垂らし、大きな赤い瞳を持つ、ランドセルを背負った小さな女の子が立っている。
小柄で、髪の長い…という特徴が、武彦にジュースを配ったという女性に酷似はしているが、どう見ても小学生にしか見えない。
予想外の人数がいた事、そして一気に注目を集められた事のせいだろう。
少女は「え? ……え? えぇ?」と、怯えたように身を縮こまらせた。
そして、オズオズと「あの……これ…」と、小柄な体一杯に抱えた段ボール箱を差し出す。
「と…届けにき、ました」
か細い声でそう告げた少女の抱えていた段ボール。
そこにはレトリックされた文字で、「またたびジュース」と印刷してあり、猫のキャラクターが描いてある。
瞬間、泰山府君は「よくもぬけぬけと!」と唸り、武彦に至っては、「にゃぁぁぁぁ!」とよく分からない奇声をあげた。
どうも、二人にまたたびジュースを配ったのはこの子らしい。
ただ、それにしては、今や敵の巣窟ともいえる直接この興信所を訪ねてくるのが奇妙に感じられたし、その態度も訳の分からない事態に巻き込まれて戸惑う人間の表情そのものだった。
「小柄! 黒髪! あいつにゃぁぁ!」と、錯乱したように叫ぶ武彦に、何か知っているのか、エマが「ちょっ! 落ち着いて! 彼女は、違うわよ!」と止めようとするが、まさに猫のような身軽さで、ソファーから跳ね起き、一気に少女に飛びかかる。
片や泰山府君は、何処から取り出したのか、狭い事務所内で刃の部分が青龍刀になっている鉾を振りかざすと、唐突に少女に振り下ろそうとした。
「天誅!」そう叫びながらの、凶行に、「嘘!」と眼を見開く摩耶。
しかし、泰山府君の鉾が少女を傷付けるよりも早く、翼が何処から取り出したのか、美しい剣を翳してその斬撃を受け止める。
金属通しのぶつかり合う甲高い音が、興信所内に響いた。
「僕の目の前で、レィディへの乱暴は許さないよ? 例え、君自身が、美しい女性であろうともね」
と、白い歯を見せて笑う翼に、「え? 女? 嘘。 泰山府君さんって、女の人なの?」と摩耶は驚き、その他の人々にも「あれで、女かよ!」という純粋な驚きが走るが(そして、金蝉には「なんで、翼は、性別を判断できるんだよ」という別の驚きも)、そんな衝撃を受けている間にも、錯乱武彦は少女に「お前もこれを飲むにゃぁぁぁ!」と叫びながら段ボールをバリバリと破き、中に入っていたジュースを無理矢理ビンごと飲ませている。
「何してんの!」
と、摩耶が叫べば、今までみなもの胸の中で大人しかった黯傅が、ピョンと抜け出して、武彦の頭の上に乗り、そして思いっきり爪を立てたまま、その背中を滑り落ちた。
「っってぇぇぇ!」
そう叫んで、少女を放す武彦。
その隙に、逃げ出した少女には、既にネコ耳が生えてしまっている。
事務所内にある、大きな机の下に小柄な体を更に縮めて、逃げるように潜り込んだ少女が、ガタガタと身を震わせ「ふっ…ふぇ…ふっふぇぇん」と泣き始めた。
そんな様子を痛ましげに眺め、キっと眉を吊り上げて腰に手を当てると、「武彦さん! あの子は、蒲公英ちゃんよ! ジュースを配っていた女性じゃないわ!」と、エマが叱り、翼も、泰山府君と剣を合わせたままながらも、「女性をしかも、子供を泣かせるだなんて、君の罪は万死に値するね!」と叫ぶ。


そして、ようやく、興信所に、この事件における最後の登場人物が姿を現し、この事件は新たな展開を見せる事になった。 


「おや? 立て込んでるみたいですが…大丈夫ですか?」
混乱する興信所内に柔らかな声が、染み渡る。
振り返れば、柔和な笑みを浮かべ応接間の入り口に繊細な佇まいをした美青年、モーリス・ラジアルが立っていた。
もう、これだけ、美青年だと美少女だのが目白押しだと、むしろ見慣れて摩耶は食傷気味にすらなりかえる。
「今日は、珍しく、満員御礼じゃないですか」と、穏やかな口調で、ちょっとした冗談を口にするモーリスの隣りに立つ、背の小さな、黒髪の女性を見て、泰山府君は「貴様っ!」と叫びながら、やっと翼と合わせている剣を降ろし、武彦も呆然と、立ち尽くす。
どうやら、今度は本当に、またたびジュースを配っていた女性なのだろう。
優雅な足取りで、その女性の手を取りながら人の間を縫い、「お連れいたしました」と恭しく告げるモーリスに、「え? ど、どうやっ…てにゃ?」と首を傾げた武彦。
「やはり、武彦さんの猫姿は美しくないですね」
と関係ない事を言いながら嘆かわしいといった様子で首を振り、モーリスはそれからツイと、泰山府君に視線を送って微笑み掛けた。
「貴女のように、素敵な女性の猫姿をお目に掛かかれたのは、眼福ですけどね」
笑ってウィンクを自然にするモーリスに、翼除く皆が「だから、何故一発で性別を見分けられるのか? その能力を持っている人間の共通項は、ウィンクが自然に決められるという事なのか?」と疑問を深めるものの、「こちらへ来る前に、試飲を薦められまして、身体的特徴も一致しますし、武彦さんにもジュースを薦めたのはこの方じゃないかな?と思いまして、お話を聞いてみたところ、そうだと言うので………」頬を染めて自分を見上げている女性を見下ろし、笑う。
「…お連れしました」
「連れてこられましたんv」
女性は、身をくねらせて、そう答えた。
そして、アレ?という風に首を傾げると、相変わらず摩耶にぶら下げられたままのねこだーじえるに視線を向けて口を開く。
「ねこだーじえる様? そこで、何をしてるんですかにゃ?」
(ねこだーじえる…様ぁ?)
その呼び方を不思議に思い、一瞬気を抜いてしまった摩耶の手からねこだーじえるが逃げだした。
ひょんと窓際に立ちながらビッと女性を指差す。
「にゃにゃにゃ! もーう、怒ったにゃ! しかも、お前もにゃーんであっさり連れて来られてるにゃ! 最悪だにゃ! ほんっとーに、猫股は良い男に弱すぎだにゃ!」と喚き、それから、「こうなったら……にゃむにゃむにゃむ」
と、チョコンと両手を合わせて口の中で呪文を唱え始めると、「みぃぃんな、猫になるにゃぁぁ!」と、言いながら両手を広げクルンと廻った。
瞬く間にねこだーじえるの手から、キラキラと光る赤い粉振りまかれる。
何事が起こっているのか理解出来ぬまま、無防備に赤い粉を吸い込む摩耶。
「クシュン…」と一度くしゃみをした瞬間、ポンと軽い感触と共に、頭に何か違和感が生まれた事に気付く。
「……うあ、生えた?」
と、呟きながら手をのばせば、指先に、フサリとした感触を感じた。
指を這わせれば、ピコピコとした震えが伝わってくる。
「にゃにゃにゃにゃ〜〜ん! またたびジュースの粉末バージョンにゃん! 吸い込んだ人間は皆、猫化するにゃ〜〜ん! みぃぃんな猫になれば良いにゃん!」とねこだーじえるが笑って言うと、ヒラリと身を翻り、窓下へと飛ぶ。
「っ!」
と、息を呑みながら摩耶が窓に走り寄り、窓下を覗き込んだ。
金色の髪をなびかせ、ねこだーじぇる猫のように素早く走り去る姿を見留め、(逃がすものか!)と憤ると、「後、追うよ!」と叫んで興信所を飛び出した。


タタタタと階段を降り、バイクに跨ってエンジンをふかす。
そんな摩耶に「連れてって下さい!」と後を追ってきたらしいみなもが大声で声を掛けてきた。
正直、有り難い。
一人であの素早い子供を捕まえられるかどうか不安だったのだ。
心強く感じながら、摩耶は振り返り、にっと笑って頷くと、「被りな」と良いながらヘルメットを投げる。
みなもは、慌てて受け止め、頭に被ると、「大人しくしててね?」と言いながら、セーラー服の胸元に黯傅を押し込み、摩耶のバイクの後ろに跨ってきた。
しっかりと摩耶の腰に手を廻てきたのを確認して、
「振り落とされないでね?」
と、笑みを含んだ声で言い、摩耶はアクセルをグッと踏む。
ねこだーじえるの追跡が始まった。

流石にバイクのスピードには敵わないのだろう。
みるみる内に、ねこだーじえるに追いつき始める。
(何処かに追い詰めて、捕まえてやる)
そう思いながら、追い掛け続けると、ねこだーじえるもこのままでは不味いと悟ったのか、いきなり曲がり角を曲がり、そのすぐ正面にあった公園へと飛び込んだ。

キィィィ!っと、甲高い、タイヤを削る音をたてて、バイクを制止させる。
「此処に入っていったトコまでは、確認できたんだけど…」
と、呟きながら、バイクを降りる摩耶。
ヘルメットを外しながら、みなもも足を地面につけている。
そこは、大きな公園だった。
「流石に、バイクでこん中入ってく訳にはいかないからね。 手分けして、探そう」
という、摩耶の提案に、みなもは頷き、黯傅を降ろす。
「見付けたら、私か摩耶さんを呼びにきて下さいね?」
と言えば、「なぁお」と黯傅は答え、タッと軽い足取りで公園の中へと走っていった。
(へぇ、本当に、人間の言葉が分かるんだ)と感心しながら摩耶とみなもも頷き合い、二手に分かれてねこだーしぇるの姿を探す。
平日の公園には、人気は全くと言って良いほどない。
摩耶は、まず、遊歩道のようになっている木々の中の小道を探し、アスレチック等が置いてある場所を見回った後、噴水のある広場へと続く道へと出た。
(いっその事、猫になってしまった後の方が、匂いやなんやかんやで、ねこだーじえるの事見付けやすそうだな)
そんな風に思い始めた頃である、目の前を一匹の蝉がジジジジと鳴きながら飛んでいった。
「ああ、もうそんな季節か」
なんて、考える摩耶は、次の瞬間道に並んでいるベンチの下から、「にゃぁ! 待つにゃぁ!」と言いながら蝉を追って飛び出してくるねこだーじえるを見付け、「え?」と呟く。
同じ時に、ねこだーじえるも摩耶の姿を発見したのだろう。
隠れていた自分の立場を忘れて、蝉を追っかけてきたらしいが、実の所、自分が追われている立場だという事を思いだしたらしく、クルンと踵を返すと、一目散に逃げ出す。
そんなねこだーじえるを追って、摩耶も、懸命に走った。

「っ! 待て! 逃げんじゃない! コラ!」

そう言えど、そんな言葉で止まる筈もなくピョンピョンといった調子でねこだーじえるは逃げていく。
しかし、そんな摩耶の目に、噴水脇、丁度前方に立つみなもの姿が映った。
ラッキー!と快哉をあげ、大声で「捕まえて!」と叫ぶ。
みなもは、タッと走ると、猫のように素早く走ってくるねこだーしぇるの前に立ちふさがった。
「もう! 観念しなさい!」
と、みなもが言えど、「やだにゃ!」と答え、別の方向へと転じるねこだーしぇる。
しかし、「逃がすものか!」という声と共に、晴天の空から一条の雷撃がねこだーしぇるの目の前に落ちた。
「貴様、我にこのような生き恥を晒させた罪、重いと思え。 膾に切り刻んでくれる!」
そう言いながら、現れたのは泰山府君である。
そのタイミングの良さに「まるで、戦隊物のブラックのような良いトコ取りっぷりね!」と親指を立てたい気分になる摩耶。
「ね? ねこだーしぇる君。 お願いだから、私達が元の姿になる方法を教えて下さい。 このまま猫になっちゃったら、私達本当に困るの」
みなもがそう訴え、ようやく追いつけた摩耶も頷きながら「教えてくれたら、痛い目なんかには合わせはしないからさ」と言って、ゆっくりとねこだーしぇるに近付く。
しかし、ねこだーしぇるは首を振ると、「にゃにゃにゃ! 人類猫化計画の為にも、ここで捕まるわけにはいかないのだ!」と意味の分からない事を叫び、そして再び「にゃむにゃむにゃむ」と何事か呟くと「今度は、完全に猫になるがいいにゃ!」と叫びながら、クルリと回った。
再び、赤い粉が、ねこだーしぇるの手から散布されるのを見て、息を止める摩耶。
みなもが噴水に走り寄り、その中に手を入れると、突如水の膜が、三人の前に現れる。
みなもの触れている水を自由に操れるという能力なのだろう。
赤い粉は、水を通り抜けて、その奥に守られている存在まで到達する事は出来ない。
しかし、自分だけでなく、他人の防御まで請け負ったみなもの精神力の疲労は激しいらしく、また、赤い粉が待っている間は摩耶も泰山府君も、みなもの作った水の壁の前からは容易に動けなかった。
このままいけば、みなもが倒れてしまうと、摩耶が危機感を覚えた瞬間だった。
「じゃじゃじゃじゃーーーん! ヒーロー見参!」の明るい声と共に、ずっと潜んでいたのだろう。
噴水の近くに生えていた木の枝から、山口さなが飛び降り、そして、目測を誤ったのだろう。
そのまま、噴水の中へと……落ちた。

派手な水音を立てて、噴水から大きな水飛沫が上がり、そして近くに立っていたねこだーしぇるに派手に降り注ぐ。
「にゃーーーーーー!」と悲鳴を上げる、ねこだーしぇる。
そう言えば、猫って水が嫌いだったっけ?と、摩耶が思う間もなく、「でかした!」と、泰山府君が一声上げて、ねこだーしぇるへと突っ込んだ。
そうか、水が頭上から降り注いだ為に、粉が全て地上へと落下したのかと思う間もなく、泰山府君は、一気に距離を詰め興信所内でも振りかざして見せた鉾を脇に構え、ヒュッと鋭い音を立てて、ねこだーしぇるを横薙ぎに切り裂こうとする。
「!!」
その瞬間、なぁんにも頭の中には浮かばないまま、ただ、何とか止めようとして、摩耶はバッと走り寄り、ねこだーじえるを庇うように抱き締めていた。
「っ!」
泰山府君が、息を呑む音が聞こえる。
鉾を何とか留めようとしてくれたのだろうが勢いに乗っている刃は、摩耶の体に到達した。
ガンッ!と、重い衝撃が、摩耶の内部を揺らす。
「いやぁーーーーー!!」
みなもの甲高い悲鳴が、広場内に響き渡った。
「ま……摩耶さん…摩耶さん……」
と、涙声でみなもが何度も名前を呼んでくれる。
「にゃー」と言いながら、落下中にまたたびジュースの粉を吸い込んでしまい、猫へと変化してしまったらしいさなが、みなもの足に体を擦り寄せていた。
(うあ、みなもちゃんの中で、私、最早死んだ存在にされちゃってるよ)
そう感じつつも、それ程までに嘆いてくれるみなもの姿に、暖かい気持ちになる摩耶。
能力である『完璧な肌』のおかげで傷一つ追っていない摩耶を目の前に、泰山府君が信じられないといった表情を見せていた。
「残念だわ。 あなたの刃は私の肌を傷付けられない」と凛とした声で、泰山府君に告げる。
その声にみなもが、驚いたように顔を上げた。
強い視線を泰山府君に据え、それでも薄く笑いかける
「と、いっても、内蔵への衝撃までは防げないから、強く突かれたり、さっきの雷みたいなの喰らったら一発だろうけどね」
そう言いながら摩耶は泰山府君に勢い良く頭を下げた。
「あなたは、凄く強い人だってよく分かる。 多分、その気になれば私ごと、後ろの子も殺せるね。 でも、お願い。 今回の事で、あなたが凄く不快な気分になったのは分かるけど、許してあげて。 この子と、この子を庇ってしまう私を」
顔をあげ、満面の笑みを浮かべて摩耶は言う。
「これは命乞い。 あなたが望むなら、土下座だってしてあげる。 自分の身を守る為だもの、足だって舐められる」
誇り高くそう命乞えば泰山府君は、呆然としたままの表情を、安堵の表情に変え、それから掠れた声で「馬鹿者が」と呻く。
「怪我はないか?」
「大丈夫よ。 そういう体質なの」
「だが、痛かったろう」
「アハハ。 平気だって」
「………本当に馬鹿者だ。 我は無益な殺生は好まない。 先程の攻撃とて、寸止めて、脅すだけのつもりであったのに……貴様は…」
そう言いながら、ふうと、溜息を付くと、泰山府君は摩耶に対して一礼した。
「見事である。 感服した」
そして、ねこだーじえるに声を掛ける。
「さて、もう良いだろう? 教えてくれ。 我らが、元の姿に戻る方法を」



ねこだーじえるがというよりも、試飲イベント行っていた猫股族の面々が企んでいた事。
それは、ただ純粋に、あのまたたびジュースを気軽にネコ耳や尻尾が生やせるジュースとして商品化する事だったらしい。
確かに、こういった手合いのものを大っぴらに売り出す事は無理だとしても、それ相応のルートに乗せれば、かなりのヒット商品になるだろうとは考えられる。
ねこだーじえるは、猫達にとっては多大な権力を持つ存在らしく、猫股達にこのジュースを人間に効力があるのか試験したいのだがどうすれば良いだろう?と相談され、この試飲キャンペーンのアイデアを出したらしい。
ただ、あんな危ないジュース無差別に試飲させれば大騒ぎになる。
と、いう事で、ねこだーじえる曰くの「ぴっかぴかの慧眼」で、「またたびジュースを飲んで猫化が始まっても」すぐに警察に飛び込んだり、絶望の余り自傷行為に走ったりしない、それでいてねこだーじえるが見物して面白い人物を選別し、ジュースを飲ませていたそうだ。
で、まんまと、その餌食に泰山府君と武彦が選ばれたという事なのだろう。


ま、そんな事情は、もう、こうなったらどうでも良い。
肝心の元の姿に戻る方法が大事なのだ。

猫になってしまったさなを抱えながら、ねこだーじえるに「で? どうすれば元に戻れるんだ」と、問う摩耶。
しかし、ねこだーじえるは「あー! 蝶々にゃ」とか「水に濡れて気持ち悪いのにゃ」とか「またたびジュースはすこぶる美味なのにゃ」とか、話を逸らしてばかりで一向に質問に答えてくれない。
額に青筋を立て始めた泰山府君が「いい加減にせんと、今度は本気で刻むぞ?」と脅せど、ねこだーじえるは何処吹く風。
自分の顔を猫の仕草で、手で擦り「あちし、何だか眠たくなってきたにゃ」と呟く。
戻ってきた黯傅を抱えたまま、そのやり取りを眺めていたみなもは、誰もが思い浮かび始めども、怖くて言い出せなかった、ある最悪の可能性を口にした。
「あの……もしかして、だけど、元に戻る方法が無いって事、ないですよ…ね?」
すると、ねこだーしぇるの耳がピクンと反応し、ニパッと笑いながらみなもを見る。
みなもも、その愛らしい笑顔につられて笑みを返した。
摩耶も、少し安堵する。
(まさか、そんな訳ないよね)
すると、ねこだーしぇるは笑顔のままで頷いた。
「凄いにゃ! 正解だにゃ!」
その瞬間、みなもを含む、その場にいた全ての者達の視界が一瞬暗くなった。

 
「殺す! 殺し尽くす! もう、許さん! 成敗してくれる!」
「あー、うん、なんか、それで良いかもーって思えてきた」
「えーーーー?! そんな、駄目ですよ! く、黯傅さん! 何とかして下さい!」
「……なぁぅ」
「さ、さなさんもです!」
「んにゃ?」
「わーーーん、頼りにならないよーー!」
「あちしを殺すと、猫たちの祟りがすんごいにゃよーー?」
「ほら、祟りですよ! 摩耶さん、泰山府君さん祟りですって! きっと、毎日玄関にフンとかされちゃいますよ!」
「や、いいよ、掃除するし」
「今は、こやつの息の根を止める以外の何も望みはない」
「えええ?! ちょっ! 誰か!っていうか、ねこだーしぇる君、とりあえず逃げて!」


と、いう騒々しいやり取りを経て、とりあえず興信所へ戻ったねこだーしぇる含む面々は、そこで待っていたモーリスの言葉でこれ以上ないほどの脱力を味わう事になる。


「何だか盛り上がっているトコに水を差すのが悪いなぁと思って、能力の事言い出せませんでした」なんてかるーく笑い、「了承さえ賜れば、私の思う通りに人の姿を変える事が出来ます。 あなた方の事も、すぐ元の姿に戻してあげますよ」とあっさり告げた。
その瞬間、「えーと、じゃあ、本当はもっと早くにこの話って終わってた筈って事ですか?」と、みなもが呟き、摩耶は「そんな、登場人物はおろか、ライター本人すら抱えていたツッコミを……」と呻いた。








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■   登場人物  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


受注順に掲載させて頂きました。
【2411/鬼丸・鵺/13歳/中学生】
【3342/魏・幇禍/27歳/家庭教師 殺し屋】
【1252/海原みなも/13歳/中学生】
【0086/シュライン・エマ/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3317/斎・黯傅/334歳/お守り役の猫】
【2863/蒼王・翼/16歳/F1レーサー兼闇の狩人】
【2916/桜塚・金蝉/21歳/陰陽師】
【1979/葛生・摩耶/20歳/泡姫】
【3415/泰山府君・― /999歳/退魔宝刀守護神】
【1992/弓槻・蒲公英 /7歳/小学生】
【2309/夏野影踏 /22歳/栄養士】
【2640/山口・さな /32歳/ベーシストsana】
【2318/モーリス・ラジアル /527歳/ガードナー・医師・調和師】
【2740/ねこだーじえる・くん /999歳/猫神(ねこ?)】



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■         ライター通信          ■
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まず! 遅れてスイマセンでした!(平身低頭) 初めましての方も、そうでない方もヘタレでほんま、すいません! ライターのmomiziです。 今回、二回目の受注窓オープン。 前回の如く、緩やかに参加表明がなされるであろうと予想していた私を裏切って、14名参加っていうか、喜びと共に正直キョドってしまいました。 あえて、ウェブゲームの醍醐味を追求すべく、同じ物語で、それぞれの視点で書いてみた「猫になる日」。 やぁ、無謀でした。(遠い目) えーと、書いている間に、三度ほど、三途の川を見たのですが、渡らなかった私に、私が乾杯。 一人一人が、別々の感情で動き、見えている真実も違っていたりするので、色々読み比べて下さると、また別のお話の姿が見えたりするように書きました。 他の話にもお目通し下さると、ライター冥利に尽きます。  また、ご縁が御座いますこと、願っております。