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猫になる日。
オープニング
朝起きたら、義兄の耳がネコ耳に変化していた。
零は、今まで様々な奇妙な現象を目の当たりにしてきたせいでもあるのだろう。
大して動揺せぬまま、しかし３０男のネコ耳姿という、嗚呼、神様。 もし、見なくて済むのならば、積極的に見ないまま人生を終えたかったのですなんていう、光景を目の当たりにし、とりあえず、この事態はどういう事なのか問い質して見るべきかと、強引に自分を納得させる。
何か、別に良いかなぁ…なんて、投げやりな感情に支配されつつも、「その、耳…、どうしました？」と、零が問い掛けてみれば、「耳が、どうしたんだニャ？」と武彦が答えてきた。
森へ、帰りたい。
別段森生まれでも何でもない零は、ガクリと、床に膝付きながら、何故かそんな郷愁に襲われる。
語尾にニャて、おいおい。
許されるキャラすっごい限定される口調やん。
ていうか、義兄がニャて、ニャて……うあー。
もう、項垂れるしかないという気分になりながらも、零は静かに立ち上がり、そして、「もし、わざとであるのならば、本日限りで、ここをお暇せねばならなくなるので、是非とも他に原因がある事を祈るばかりなのですが……兄さん。 ネコ耳生えてますよ？」と、告げる。
人生において、人に、それも兄に「ネコ耳生えてますよ？」という台詞を吐く機会に恵まれるなんて、私はなんと不幸な人間であろうか…、と自分の境遇を嘆く零に対し、武彦は目を見開き、それから、「プッ」と吹き出すと「なぁに、言ってんだかニャ」と言いながら、自分の耳に手を伸ばし、そして硬直した。
「……なぁぁぁっぁぁぁっぁぁああああああ?! ニャ」
事務所に武彦の絶叫が響き渡った。
「ええぇぇぇ？ 誰も、求めてニャイだろ、これ？ ええ？ 何で、猫ニャ？ どういうニーズニャ？ ていうか、えーー？」
混乱しきったまま、自分の耳を触りつつ、そう呻く武彦に、零はあくまで冷静に言葉を掛ける。
「まぁ、誰かが求めてどうのこうのって訳じゃないでしょうが……、兄さん、何か心当たりとかありますか？ 変な物を拾い食べしたとか」
「そんな、今時、子供でもしないような馬鹿な事しねぇニャ」と、抗議しつつも、「心あた…り？」と首を傾げ、そして、ポンと手を打った。
「そういや、昨日、街頭で、試飲サービスをやっていて、『またたびジュース』とかいう変な飲み物を飲んだ記憶があるニャ。 新製品とか言っていたけど、随分と人通りの少ない道でやっていたので、不思議に思ったニャ」
武彦の言葉に、どうして、そういう怪しげなものを呑んじゃうかなぁ…と呆れつつも、零は「多分それですね。 そういう仕組みかは分かりませんが、その飲み物のせいで、猫化したと考えるのが自然でしょう。 そのジュースを薦めてきた人間の容貌を覚えてますか？」と、聞いた。
武彦は、目を細め、考え込むような素振りを見せた後、「……女だったニャ。 うん。 真っ黒な髪した、何か背の小せぇ、ちんまい感じの……」と、答える。
「その人が、無差別にジュースを配っているとしたら、今頃はもっと騒ぎになっているでしょうから……」
「俺を狙っての、犯行…かニャ」
そう言いながら、武彦は自分の頬をつるりと撫でて、そして、「ひあ！」と素っ頓狂に叫んだ。
「ひ……髭ニャ！ うあ！ 尻尾も！」
動揺して、そう喚く武彦の鼻の側の頬から、確かに三本の髭がぴょんと生え、そして尾てい骨の辺りから、ズボンの外へ細長い尻尾が飛び出してくる。
さっき迄は、存在しなかったネコ特有の特徴に、武彦はネコ化が進んでいるという事実を悟り、戦慄した。
「ね、ネコになってるニャ！ ネコになってるニャーーー！」
武彦が、動転し、ソファーから転げ落ちる姿を眺め、零も流石に、「もしこのまま、兄さんが猫になってしまったら？」という焦りのようなものを覚え、そして、とにかく誰かに助けを求めようと心に決めたのであった。
本編
退魔宝刀守護神泰山府君。
泰山に住まう冥府の神所有の、天下無敵の退魔宝刀『泰山』の思念が自我を持ち、実体化した際に、世界へと飛び出した彼女。
その理由は好奇心に他ならず、実の所、神と同等の力を持つ彼女とて『泰山』の中で永遠ともいうべき年月を生きる日々を蝕んだ「退屈」という毒には、勝てなかったという事なのだろう。
好奇心は猫を殺すが、退屈は神をも殺す。
泰山府君にとって、人々が住まう世界は、全てが物珍しく、不可思議だった。
また、泰山府君は人自身にも興味を持った。
人とは、泰山府君にとって、眺めても、眺めても飽きない程に、理解し難く、愚かでありながら可愛く、可愛くありながら醜い。
神という、上位的存在と意識の在り方が似通っており、また人と違い寿命という概念すらない泰山府君にしてみれば、流れ星の如く短い人生を燃やし尽くして生きる人々の姿は、一種の感銘すら泰山府君に与えていた。
さて、幾人もの人々に所有され、流転の人生を送ってきた泰山府君。
彼女は今、便利屋の青年に所有されて、「東京」にいた。
東京は、彼女が過ごしてきた街の中でも、一際騒がしく、猥雑で、寂しい街だった。
「ニャンニャン食品の新製品、またたびジュース！ またたびジュースの試飲キャンペーン行っておりまーす！ お一ついかがですか？」
背が小さく、髪の長い女がニコリと笑ってプラスチック製のコップを渡してきた。
コップの中には、赤い液体が揺れており、触れればひんやりと冷たい。
（またたびジュースとな？）
本日、やはり退屈に悩まされ、実体化して人通りの少ない裏道を独り歩きをしていた泰山府君は、眼を剥き、渡されたジュースをじっと見下ろした。
実は、泰山府君。
ナンパはおろか、キャッチや、怪しげな宗教勧誘の人々にまで、実体化して街を歩いている時に声を掛けられた事がない。
それは、本人が身に纏う、近寄りがたい空気のせいもあるが、何より、彼女が中国風の甲冑を身に纏って歩いている事が、人々から声を掛けられない要因とみて間違いないだろう。
だって、よく考えて欲しい。
幾らモードの最先端を行く（言い換えれば、素っ頓狂な姿で街を歩いている人の多い）、東京都心の街だとて、中国風の甲冑を着て歩くというのは、クラッシックを行き過ぎて、最早アバンギャルドの領域にすら達するファッションセンスといえる。
ちょっとどころでなく、声を掛けがたいっていうか、むしろ避けて歩かれる。
だが、泰山府君にしてみれば、人などの視線も、自分への態度もどうでも良いし、人目を気にする宝刀というのも確かに、おかしいといえばおかしいので、彼女の何もかも超越して過ごす態度は、泰山府君らしいといえば、そうなるのだろう。
だが、そんな泰山府君に、動揺も見せずにこやかにジュースを薦めてくるだなんて、その時点で奇妙と言えば、奇妙だ。
大体、こういうイベントは、もっと人通りの多い道ですべきだし、何よりキャンペーン中の割に、ジュースを配っているのが、その女性一人というのも訝しむべき点であろう。
だが、泰山府君は、まず、照りつける日差しによって喉の乾きを覚えていたし、こうやって試飲等を薦められるという経験も初めてだったので、少し嬉しくなり「ウム」と頷いて、ジュースを一気に飲み干す。
甘酸っぱい味が口の中に広がって、泰山府君は眼を細めると（売り出された暁には、所望しよう）とちゃっかり今の持ち主にねだる算段までつけた。
「美味であった」
そう言いながら、空のコップを返せば、女はニィィと唇を裂いて笑い「ありがとうございました！」と言う。
こういう、新製品の試飲キャンペーンというのは、商品を売りつけない場合は大体、市場調査としてアンケートを行うものなのだが、それすらない。
だが、試飲する事自体初めての泰山府君。
そんな常識なんて知る筈もなく「得したな」なんて、宝刀にあるまじき事を考えながら、再び歩き始めた。
「ここが、草間興信所か」
そう言いながら見上げた建物は、今にも倒壊しそうな程、古びたビル。
この間、家主から話を聞いた場所だ。
何やら、あやかしや、怪奇な事件を専門に解決する、その筋のプロフェッショナルが集う興信所らしい。
草間興信所の話を聞いて、泰山府君は自分の好奇心が疼くのを感じていた。
怪奇な物事専門の興信所というのも興味深いが、それ以上に、そのような興信所の主とは、どのような人間なのだろう？
きっと、その興信所の主人は、人の身でありながら、様々な事象に通じ、その「ぷろふぇっしょなる」な人々を取りまとめる、賢人の如く得難い人物なのであろうと想像し、是非とも話を伺いたいという欲求を感じたのだ。
泰山府君とて、自分が神に近い身である事を悟ってはいるが、しかしだからといって、人を疎んじる事はなく、むしろ、見識のある人間や、尊敬に値する人間とは積極的に接し、学べる事は、学びたいと考えていたりする。
ただ、泰山府君の場合向上心がある事は美点として数えられるべきであろうが、その欲求を昇華する為の手段を、往々にして強引に行使する事が多く、今回も、アポイントメントもなく、いきなり訪ねて行って、建物を見学させて貰い、今までの事件の話などを聞かせて貰いたいと勝手に考えていた。
「ここの興信所の主はご在宅かな？」
興信所の入り口で、そう声を張り上げる。
中に、数人以上の人の気配がある事は既に察していて、「おお！ ぷろふぇっしょなるな者達からも話が聞けるやもしれん」と泰山府君の気持ちは、最高潮に盛り上がっていた。
暫く後、何処か艶やかな、色っぽい女性の声が「はいはいはーい」と聞こえてきて、ガチャリと扉が開けられる。
女人も、このような場所で働いているのかと思うと、中から妖艶でスタイルの良い美女が現れた。
何故か、その女性は、眼を見開き、マジマジと泰山府君の事を凝視してくる。
と、いっても、泰山府君の甲冑姿は充分注視に値するものではあるのだが、本人にはそんな自覚がない以上、女性の態度は訝しい事極まりない。
（このように、人の顔を眺めるなど、失礼な女人だ）と、内心憤ると、女性は、「えーと、どちら様ですか？ その耳の事で来られたお客様でしょうか？」なんて、今度は意味の分からない事を問い掛けてきた。
「耳？ 我の耳がどうした？」
何を言っているのだ？ この者は。
耳とは、どういう意味だ。
もしや、このやり取りは興信所へ入るに相応しいものかどうかの試験なのか？
そんな想像を巡らせ、憮然とした気分になりながらも、やはり、きちんと名乗りこちらの要望を伝えるべきだと判断して、口を開く。
「我は泰山府君と申す。 いや。 ただ、この草間興信所なる場所、随分愉快な場所と聞き及んでいたので、本日暇な身故、少し見学させて貰いに参った。 まず、主に話を伺いたい。 通してくれ」
泰山府君の言葉に一瞬の間を置いて、女性は笑顔で「ごめんなさい。 今、ちょっと、大変な事になってて入れてあげられないの。 また、後日来てくれるかな？」と、砕けた口調で言ってくる。
だが、泰山府君は折角暑い中、出向いてきたのに、このように追い返されるだなんて微塵も想定してなくて、ムッと苛立ちを感じると「何故、我が日を改めてやらねばならない」と言い放った。
そして、この女人では埒が空くまいと感じ、女性を押しのけ勝手に興信所内へと入っていく。
「ちょっ！ あなた、勝手に！」
そう言いながら行く手を阻もうとする女性に構わず、人の気配がする応接間へと足を踏み入れれば、案の定そこには、泰山府君の予想を遙かに超える人数の、奇妙な雰囲気を有した者達が集っていた。
皆、それぞれに、眼を引くような姿をしているが、何というかそれ以上に、ビリビリと肌の震えるような空気と、それぞれの持つ力の奔流が感じられて、我知らず好奇心が暴れ出そうとする。
泰山府君は、誰が主であろう？と思いながら見回し、ソファーに座る、知的で美しい女性か、はたまた金色の髪をした人を威圧するような空気を発している美丈夫辺りであろうと見当を付けると、「ここの主は、何処かと聞いているだけだろう？ 大体、興信所というものは、誰にでも門戸を開かれている場所ではないのか？」と先程から、うっとおしく文句を言ってくる女性に言う。
「だから、今、ちょっと取り込んでるって言ってるでしょ？ それにね、えーと、泰山府君さんでしたっけ？ 貴方、別に客じゃないんだよねぇ？ そのお耳の事で、ここに依頼に来た訳ではないんだよな？」
呆れたような視線でそんな事を言ってくるので、色んな種類の混じり合った苛立ちを泰山府君は感じ、その感情を隠そうとしないままに彼女は答えた。
「貴様、先程から一体何の話をしているのだ？ 耳だと？ 耳がどうしたと言うのだ？」
すると、近くに立っていた眼帯をした青年が、武彦を指し示しながら「つまり、貴方、あの阿呆面の、この興信所の経営者と同じ状態になってますよ？って事です」と告げてくる。
泰山府君は、「どういう意味だ？」と言いながら、主？ 主と思われる者の耳は別におかしくはなかったぞ？と思い、幇禍の指先にいる、知的な容貌をした女性を眺め、ふとその隣りに座っている、正直、今まで存在に気付いていなかった男性に眼を止める。
耳?! 耳が、猫？？？
思わず、ポカンと口を開けてしまう泰山府君。
「な？ なんだ、その姿は。 随分と巫山戯た格好ではないか？ そんな風体で、興信所の主というのは勤まるものなのか？」
そう戸惑ったように呟きながら、それでも珍しさの余り（耳の付け根はどうなっておるのだ？）とか（あのような姿人目にさらしていて、恥ずかしくないのか？ 我だったら耐えきれないぞというか、即決自害だな！）とか（大体、主の割りにあの貫禄の無さは何たる事だ！）とか、グルグル考えながら、じぃっと男性の姿を凝視する泰山府君。
そんな泰山府君に、「あ、あの……」と、戸惑ったように黒猫を抱え、セーラー服を着た少女が、声を掛けてきた。
「あの、まず、えーと、写真を撮らせて貰って良いですか？」と問い掛けるので「何故？」と問い返そうとするも、、泰山府君が返事をしない内に、何やら、小さな銀色の箱のようなもので、パチリと撮影してくる。
いきなりなんだと、文句を言う前に、小さい銀の箱についている画面を見せながら「ほら、草間さんと同じようにネコ耳生えてますよ？」と、あっさり告げてくる。
何を言っておるのだと、憤慨しながらも、その画面を覗けば、そこには紛れもなくネコ耳が生えている己の姿が映っている。
画面に映る映像に凍り付く泰山府君。
凛々しい顔が、ピシリと音を立てそうな勢いで固まる。
（切腹！）と、一瞬で決意をつけるも、此処では不味かろうとか、表情に出ないままに混乱の極みに追いやられ、髪を掻きむしろうとすれば、指先に忌々しい猫の耳が触れる。
とにかく、惑っている場合ではないと、自分を持ち直し、すると今度は沸々と怒りが沸き上がってきて憤懣やる方ない気分に陥った。
「うぬぅ！ たばかられたわ！ やはり、先程の、『またたびジュース』なるもの、妖しの飲み物であったのか！」と、歯軋りし、そして此処の主の草間だとかいう男を睨み据えると、「貴様も、アレを飲んだのか！ なぜ、あのような妖しき飲み物を口にするのだ！ 馬鹿か！ 馬鹿なのだな！」と自分を棚に上げて責め立てる。
「や、だって。 君も飲んだんだよね？」と冷静に銀色の髪をした少女が突っ込んできたので、自信満々に「我は喉が渇いていたんだ！」と、を叫び返しておいた。
「あー、だったら、しょうがない……の？」
そう納得し掛けている少女を余所に、眼帯の青年が「や？ でも、やっぱり、結構理不尽ですよ、この人」と言うのを、泰山府君に物凄い視線で睨み据える。
理不尽なのは、この状態だ！
その通りだと言えば、その通りな事を内心吐き捨て、こうなったら、草間を連れだし、無理矢理にでもあのまたたびジュースを配っていた女を捜し出して、元に戻る方法を聞き出してやる！と決心を付けた時だった。
唐突に、泰山府君の事を呆れたような視線で見上げていた泰山府君の邪魔をした女が、武彦達の座っているソファーの後ろにある窓の外へツト視線を向け、そして飛び出すようにして駆け寄った。
「摩耶さん？」
その様子を見て誰かが彼女をそう呼ぶ声がしたので、彼女の名は摩耶というのだろう。
「な？ 何よ？ どうしたの？」
という、ソファーに座る知的な女性の問い掛けを無視し、ガラリと窓を開け、摩耶は素早く腕を窓の外へ突き出している。
「！ っと、何やってんのよ？ あんた」
驚いて女性がそう問い掛ければ、摩耶はニッと笑って「今日の興信所は千客万来だね」と、草間に向かって言った。
「どういう意味だにゃ？」
と、問い掛ける武彦に、意味ありげに笑いかけ、勿体ぶるようにゆっくりと何かを持ち上げる摩耶の手の先には、金色の長い髪をした、真っ白なネコ耳の生えた子供がいた。
（なんと！ もう一人、ネコ耳人間が！）
驚く泰山府君。
あのような、幼子までと、胸が痛くなるような気持ちになる。。
「放すにゃ！ 放すにゃぁ！」
しっかりと襟首を捕まえられ、よっぽど軽いのだろう。
軽々と、細腕の摩耶に持ち上げられている姿は、本物の猫のようで、じたばたと暴れる姿も、何処か愛らしい。
「あちしを、誰だと心得てるにゃ！ そんな風に、持ち上げるとは、不届きにゃ！」
そう摩耶に喚いている、その子供の側に近寄って、黒猫を抱えたセーラー服の少女が優しい声で尋ねた。「窓の外で、どうしてたのかな？ 耳が生えてるって事は、あなたも、ジュースを飲んじゃったのね。 それで困ってここへ来たの？」
もう一人の可愛らしい顔立ちをした少女も、怖がらせないように、微笑みながら、「可愛いお客さんなのかしら？」と首を傾げ、「兄さんだけでなく、他に二人もジュースを飲まされた人がいるなんて……、もしかしたら、もっと大きな事件へ発展するかも知れませんね」と呟きながらその子供を覗き込むが、摩耶は冷静な声音で、セーラー服服の少女と草間の妹らしい少女の言葉を否定した。
「こいつ、見た目はこんなだけど、あなた達が考えてるような子供じゃないよ。 ふっつーの子供が、二階にある興信所の窓の外で、しっかも…」
半眼になりながら事務所内に居る人間を見回し「こぉんな、曲者揃いの人間達に気配も気づかれないで、部屋の中の様子窺えると思う？」と冷静に言えば、じっと今までの騒動を眺めていた金髪の美少年も頷きながら「確かに、もし困って此処に来たのなら、正面から普通に訪ねて来れば良い。 キミ誰だい？」と、問い掛ける。
確かに、言われてみればおかしい。
（くっ、また、たばかれる所であった！）と、なまじ同情してしまっただけに、余計に怒りを募らせる泰山府君。
吊り下げられたままの子供は、別段困った様子もなく「あちしは、ねこだーじぇる・くんなのにゃ！」と誇らしげに名乗っていた。
そして、小さな手をふるふると振り回すと「降ろすのにゃ！ 降ろすのにゃ！ にゃぁ、にゃぁ、にゃぁ！」と、身を捩らせる。
そんな可愛らしい様子にも、怒りに目の眩んでいる泰山府君にしてみれば、ただ苛立ちを募らせる結果にしかならず、ぐっとねこだーじぇるの顎をグッと掴み、冷たい声で「で、テメェは、外で何してやがったんだ？」と、問い掛けている、先程此処の主ではないかと勘違いした金髪の青年に（殴り飛ばして、吐かせろ！）と、心の中でけしかける。
その時、フト新たな気配を入り口に感じ、視線を上げた泰山府君の目に、小柄で髪の長い段ボールを抱えた少女の姿が目に入った。
「ん？」
と首を傾げ、じーっと凝視する。
何やら、あのまたたび女と特徴が似通っているような？
そう考えた瞬間、草間が少女指差し、ワナワナと震え始めたので、確信を抱いた泰山府君。
草間とが二人声を揃えて、「あーーーーーー！！」と叫び声をあげた。
「え？ ……え？ えぇ？」と、怯えたように身を縮こまらせた少女。
それでも、オズオズと「あの……これ…」と、小柄な体一杯に抱えた段ボール箱を差し出してくる。
「と…届けにき、ました」
そこにはレトリックされた文字で、「またたびジュース」と印刷してあり、猫のキャラクターが描いてあった。
瞬間、（やはり、この娘！）と確信を深め、泰山府君は「よくもぬけぬけと！」と唸り、草間に至っては、「にゃぁぁぁぁ！」とよく分からない奇声をあげる。
まず、 まさに猫のような身軽さで、ソファーから跳ね起き、一気に少女に飛びかかる草間に続き、泰山府君は、愛用している武器『赤兎馬』を呼び出し、狭い事務所内で振りかざすと、怯えて動けなくなっている少女を、脅しつけるつもりで振り下ろそうとした。
「天誅！」そう叫びながら足下辺りを狙って、赤兎馬を振るう。
しかし、その攻撃の前に立ち、金髪の美少年が美しい装飾の施されている剣を翳して、泰山府君の攻撃を受け止めた。
衝撃が、泰山府君の腕に伝わり、刃と刃のぶつかり合う金属質な男が、興信所内に響き渡る。
ギリギリと腕にかかる力の強さに眼を剥けば、美少年が「僕の目の前で、レィディへの乱暴は許さないよ？ 例え、君自身が、美しい女性であろうともね」と、白い歯を見せて笑った。
少年の言葉に、意味の分からないどよどよっとしたざわめきが起こっているが、そんな事に構っていられる状態ではない
「貴様、邪魔だて致すと、ただではおかんぞ？」
そう凄みのある声で言えば、少年は「レィディが、そんな事を言うもんじゃないよ？ 大体、あんな小さな子にいきなりこんな怖いものを振り下ろすだなんて、正気の沙汰じゃない」と平然と答えてくる。
人は見た目では判断できぬ事、ねこだーじえるからも分かっておろうにと感じ、ツイと眉を寄せ、「アレは、あやかしのものではないのか？ ならば、身なりなど関係なかろう」と言えば、少年は少し首を振り、「違うよ、あの子は人間だ。 僕が保証する」と自信たっぷりに答えてくる。
その様子に、「もしや、本当に間違い？」と不安に感じ、少女に眼を走らせれば、錯乱状態の草間に少女は「お前もこれを飲むにゃぁぁぁ！」と叫びながら段ボールをバリバリと破き、中に入っていたジュースを無理矢理ビンごと飲ませられている。
その様子に（もし、違ったとしたら、我も草間も何という事を…）と、泰山府君は焦りを感じた。
すると、今までセーラー服の少女の胸の中で大人しかった黒猫が、ピョンと抜け出して、草間の頭の上に乗り、そして思いっきり爪を立てたまま、その背中を滑り落ちた。
「っってぇぇぇ！」
そう叫んで、少女を放す草間。
その隙に、逃げ出した少女には、既にネコ耳が生えてしまっている。
事務所内にある、大きな机の下に小柄な体を更に縮めて、逃げるように潜り込んだ少女が、ガタガタと身を震わせ「ふっ…ふぇ…ふっふぇぇん」と泣き始めた。
泰山府君の目が、不安に泳ぐ。
（まさか、本当に、勘違いだったのでは…？）
そんな泰山府君の疑惑を裏付けるように、知的な容貌の女性がキっと眉を吊り上げて腰に手を当てると、「武彦さん！ あの子は、蒲公英ちゃんよ！ ジュースを配っていた女性じゃないわ！」と叱り、少年も、泰山府君と剣を合わせたまま、「女性をしかも、子供を泣かせるだなんて、君の罪は万死に値するね！」と心から叫んだ。
そして、ようやく、興信所に、この事件における最後の登場人物が姿を現し、この事件は新たな展開を見せる事になった。
「おや？ 立て込んでるみたいですが…大丈夫ですか？」
そう言いながら、柔和な笑みを浮かべ応接間の入り口に立っているのは繊細な佇まいをした美青年だった。
「今日は、珍しく、満員御礼じゃないですか」と、穏やかな口調で、ちょっとした冗談を口にする青年の隣りに立つ、女性を見て、泰山府君は「貴様っ！」と叫びながら、やっと翼と合わせている剣を降ろす。
低い身長、小柄な体、長い黒髪、間違いない。
あの娘が、キャンペーンをやっていた女だ。
青年が優雅な足取りで、その女性の手を取りながら人の間を縫い、「お連れいたしました」と恭しく、告げる。
「え？ ど、どうやっ…てにゃ？」と首を傾げる草間。
「やはり、武彦さんの猫姿は美しくないですね」
と関係ない事を言いながら嘆かわしいといった様子で首を振り、青年はそれからツイと、泰山府君に視線を送って微笑み掛けてくる。
「貴女のように、素敵な女性の猫姿をお目に掛かかれたのは、眼福ですけどね」
笑ってウィンクを自然にしてくる青年に、あの少年と良い、どうしてこうも、てらいもなくこのような台詞を言うのかと疑問に感じる、泰山府君。
「こちらへ来る前に、試飲を薦められまして、身体的特徴も一致しますし、武彦さんにもジュースを薦めたのはこの方じゃないかな？と思いまして、お話を聞いてみたところ、そうだと言うので………」
青年はそこまで言って、頬を染めて自分を見上げている女性を見下ろし、笑う。
「…お連れしました」
「連れてこられましたんｖ」
女性は、身をくねらせて、そう答えた。
そして、アレ？という風に首を傾げると、相変わらず摩耶にぶら下げられたままのねこだーじえるに視線を向けて口を開く。
「ねこだーじえる様？ そこで、何をしてるんですかにゃ？」
その瞬間、一瞬気を抜いてしまった摩耶からねこだーじえるが逃げだし、窓際に立った。 そしてビッと、女性を指差しながら、
「にゃにゃにゃ！ もーう、怒ったにゃ！ しかも、お前もにゃーんであっさり連れて来られてるにゃ！ 最悪だにゃ！ ほんっとーに、猫股は良い男に弱すぎだにゃ！」と喚く。 それから、
「こうなったら……にゃむにゃむにゃむ」
と、チョコンと両手を合わせて口の中で呪文を唱え始めると、「みぃぃんな、猫になるにゃぁぁ！」と、言いながら両手を広げクルンと廻った。
その瞬間ねこだーじえるの手から、キラキラと光る赤い粉振りまかれた。
思わず口を掌で覆い、応接間の外へと顔を出す泰山府君。
嫌な予感がする…と、しばらくしてから後、恐る恐る興信所内に視線を戻せば、事務所内にいた人間全てに、容赦なくネコ耳が生えているという、「これ、何のイベントだよ……」的光景が広がって居る。
思わず「仲間が増えた！」と喜びかけたが、だからどうって訳でもない。
むしろ、どうしようもない状況が拡大しただけだ、と呆然とする泰山府君の耳に、「にゃにゃにゃにゃ〜〜ん！ またたびジュースの粉末バージョンにゃん！ 吸い込んだ人間は皆、猫化するにゃ〜〜ん！ みぃぃんな猫になれば良いにゃん！」とねこだーじえる笑う声が聞こえ、慌てて眼を向ければ、ヒラリと身を翻り、窓下へと飛ぶ所だった。
「っ！」
と、息を呑みながら摩耶が窓に走り寄り、窓下を覗き込んだ後、「後、追うよ！」と言いながら興信所を飛び出す。
その後ろを、「あ！ 私も、行きますっ！」と手を挙げたセーラー服の少女と、それからみなもの肩に乗ったまま黒猫が追い掛けた。
間もなく、バイクの爆音が響き、ねこだーじえるを追っていったのだろう。
あっという間に、その音が遠くなる。
「こんな姿で、生き恥晒すのはごめんだ。 行くぞ、翼」と、翼という名らしい、金髪美少年の肩を叩き、死ぬっ程似合わないネコ耳姿を草間にからかわれていた金髪青年も、走り出す
翼はといえば、なかなかに愛らしい姿ではあるが、心境は金髪青年と同じなのだろう、「あの子の行き先ならば、風が知っている。 追おう」と頷き、興信所から出ていった。
そんな様子を眺め、泰山府君はジリジリと心が焦げるような焦燥感に襲われ、蒲公英が潜んでいる机に向かって眼をギュッと閉じ、「間違いであった。 怖がらせてしまった非礼をお詫びする」とだけ呟き、一礼するとクルリと踵を返し、興信所から出ようとする。
そんな泰山府君の後ろ姿に、えらく幼い顔立ちをした男が声を掛けてきた。
「え？ 帰っちゃうの？」
すると泰山府君は「まさか！」と肩を怒らせる。
我に恥をかかせるとどのような目に合うか、思い知らせてくれる！
それに……。
怖がらせてしまった挙げ句、無理矢理猫化させられ、泣いている蒲公英という少女を思い、我が身以上にあの子だけでも、なんとか元の姿に戻してやらねば、お詫びのしようがないと決心を固くする。
「かくなる上は、あの子供。 我の手によって捕獲せしめ、この姿を元に戻させる。 己の始末は、己でというしな」
そう言えば、その答えが気に入ったのだろう。
ネコ耳姿が、何故か、おかしな程にはまる男は（実は３２歳）テテテテという音がしそうな走り方を見せ、泰山府君へと走り寄ってくると、「じゃ、一緒に行こう！ なーんか、楽しそうだしね！」と笑いかけてきた。
まるで、今自分の置かれている状況すら分かってないような、その臆面のないものの言いに目を見張れど、まぁ、断るほどの事でもないし、何かの役に立つかも知れないと考えながら「了解したが、足手まといになるようなら知らん」とだけ泰山府君は答えると、男と連れだって興信所を出る。
興信所の外で、さて、何処へ向かえば……と、ここら辺の地理にも疎く、迷う泰山府君に男は「ねーねー、泰山府君って本名？」と、全然関係ない事を問うてくる。
「本名というか、なんというか……、まぁ、複雑ではあるのだが、今の所、その名しか他人に名乗ってはいない」と、憮然と答えれば、男はにっこり笑って「僕はね、山口さな。 宜しく」と言い、ぴょんぴょんと先に立って歩き始めた。
「貴様、あのねこだーじえるとやらの行き先を知っておるのか？」
そう聞けば、「んー。 想像なんだけどね、ここからそう離れてない場所に公園があるんだよね」と言って、それからクルンとこっちを向いて笑う。
「ねぇ、泰山府君はさ、猫の集会って知ってる？」
その唐突な問い掛けに、首を振る泰山府君。
さなは、笑ったまま「あのね、猫って、猫同士で夜中に集会をやるんだよ」と言うので、「まさか……？ 本当か？」と、問えば「うん。 僕、見たんだよねぇ。 レコーディングの帰り道でさ、たまには歩いて帰ろうって思って、深夜だったんだけど、テクテク歩いてたらね…見たんだよ」と、さなは最後の方を、まるで怪談の様に声を潜めて、言葉を続ける。
「猫の集会をさ」
泰山府君は、フンフンと頷き、興味をそそれれたので「で？ どのような様子なのだ、その猫の集会というのは…」と、問いを重ねれば、ふにゃんとさなは表情を夢見るように緩ませ「満月の下でね、たっっくさんの猫たちがにゃぁ、にゃぁお話ししてて、まるでお伽噺の光景みたいだったよ」と答えた。
泰山府君は、その光景を想像し、「是非とも、見てみたいものだ」と考えつつ、ハッと今自分がすべき事を思い出すと「で、それが、あのねこだーじえると、どういう関係があるのだ？」と厳しい声を出す。
さなは、泰山府君を見上げ「チッチッチッ」と舌を鳴らして指を振ると、「考えてみなよ。 あのねこだーじえるって子はさ、猫股族とかいう女の子よりも地位が上だったわけだよね」と言う。
泰山府君は「確かに、『様』付けで呼ばれておったしな」と頷けば、「だからね、ねこだーじえるって子は、ネコ耳、猫尻尾なんて格好からも見て分かるとお、猫と関わりの深い、そして猫たちから敬われている存在な訳だ。 で、バイクで追われている徒歩のねこだーじえるが、ここら辺で咄嗟に逃げ込む場所を考えたとき、やっぱり内部の事をよく知ってる場所に逃げ込みたいって考えるよね」
「では…？」
「うん。 今、僕達が向かってるのはね、僕が猫の集会を見掛けた公園だよ。 あの興信所へ徒歩で、ねこだーじえるが来ていた事を考えても、彼がここら辺の住人、もしくはここら辺に良く来ている子だって確信出来るし、公園の集会なんかと無関係だったとは考えられない。 自然、咄嗟に逃げ込む場所も、その公園になるんじゃないかな」
そこまで、言い「じゃ、ちょっと急ぐ？」と笑うさなに、（なかなか、やるものだ）と感心しつつ頷くと、さなの先導に従って一路公園へと向かった。
その公園は、都内にあるにしてはかなり広く、人工の小さな森まで配置してあった。
公園の入り口に、確か興信所の前で見掛けたバイクがある。
摩耶達が出ていったあと、バイクの音が聞こえた事からも、これは摩耶の愛車と見て間違いないだろう。
つまり、ねこだーじえるが逃げた直後に追っていった、摩耶達が此処に来ているという事になり、彼がこの公園に逃げ込んだ確率は確信に近い部分まで跳ね上がったと見て良いだろう。
「よし。 では、手分けして探す。 我は、西の方から中央へと向かって探す。 お主は、東の方を頼む」
そう言って、ダッと駆け出す泰山府君。
「りょうかーーい！」という、ワクワクしたような返答が後方から聞こえてきて、「ホントにあいつは分かっているのか？」と首を傾げた。
森を探し、ベンチの一つ一つの下を覗き、ゴミ箱までひっくり返して探したが（勿論、ちゃんと元に戻した挙げ句、近くに落ちていた空き缶をブツブツ文句言いながら、ゴミ箱へ放り込んでおいた）やはり、ねこだーじえるは見つからない。
もし見つからねば、このまま、ずっと過ごさねばならないのか……。
自分が驚かしてしまった、蒲公英の強張った表情を思い出す。
間違いで、あんなに怯えさせてしまった。
悔恨の嵐が、泰山府君の中で吹き荒れていた。
我の力も、赤兎馬も、あのようにか弱げな子供を脅かす為の力ではないのに……。
恥ずかしい。
己に厳しい所のある、泰山府君は、浅慮な我が身をただただ恥じる。
我は、どうでも良いが、せめてあの子だけは、あの子だけは……。
そう、強迫観念の如く、思い込み始め、途方もない不安感に襲われながら、尚必死に探し続ける泰山府君は、とうとう中央にある噴水広場へと辿り着いてしまった。
（ここにおらねば、さなの成果に期待せねばならなくなる）と考え込む彼女の耳に、「もう、観念しなさい！」という、興信所で聞いたセーラー服の少女の声が飛び込んできた。
見れば、噴水の前で、少女は手を広げて立っており、その前には、にっくきねこだーじえるが、逃げようとこちらへ方向を向けて走り出そうとしている。
泰山府君はその足を止めるべく、「逃がすものか！」と叫ぶと、「白虎招来！」と印を結んで唱える。
すると晴天の空から、泰山府君に招かれ一条の雷が、ねこだーじえるの足下に突き刺さった。
「貴様、我にこのような生き恥を晒させた罪、重いと思え。 膾に切り刻んでくれる！」
そう言いながら、二人の側に近付いていく。
ねこだーじえるの背後には、走り寄ってくる摩耶の姿も見えた。
「ね？ ねこだーしぇる君。 お願いだから、私達が元の姿になる方法を教えて下さい。 このまま猫になっちゃったら、私達本当に困るの」
みなもがそう訴え、摩耶も頷きながら「教えてくれたら、痛い目なんかには合わせはしないからさ」と言って、ゆっくりとねこだーしぇるの側へ二人が寄っていく。。
しかし、ねこだーしぇるは首を振ると、「にゃにゃにゃ！ 人類猫化計画の為にも、ここで捕まるわけにはいかないのだ！」と意味の分からない事を叫び、そして再び「にゃむにゃむにゃむ」と何事か呟くと「今度は、完全に猫になるがいいにゃ！」と叫びながら、クルリと回った。
再び、赤い粉が、ねこだーしぇるの手から散布されるのを見て、息を止める泰山府君。
何故か、セーラー服の少女が、噴水に走り寄り、その中に手を入れる。
（何を？）と不思議に思う間もなく、突如水の膜が、三人の前に現れた。
（なんと、あの女人は自由に水を操れるのか！）
そう驚愕する泰山府君。
やはり、あの興信所は、只者でない者達の集まりだと確信を深める。
赤い粉は、水を通り抜けて、その奥に守られている存在まで到達する事は出来ない。
しかし、自分だけでなく、他人の防御まで請け負った少女の精神力の疲労は激しいらしく、また、赤い粉が待っている間は摩耶も泰山府君も、少女の作った水の壁の前からは容易に動けなかった。
このままいけば、少女が倒れてしまうと、泰山府君が危機感を覚えた瞬間だった。
「じゃじゃじゃじゃーーーん！ ヒーロー見参！」の明るい声と共に、ずっと潜んでいたのだろう。
噴水の近くに生えていた木の枝から、山口さなが飛び降り、そして、目測を誤ったのだろう。
そのまま、噴水の中へと……落ちた。
派手な水音を立てて、噴水から大きな水飛沫が上がり、そして近くに立っていたねこだーしぇるに派手に降り注ぐ。
「にゃーーーーーー！」と悲鳴を上げる、ねこだーしぇる。
さなめ、何処にいるかと思えば、存外役に立つ！と、快哉をあげ、「でかした！」と、泰山府君が一声叫ぶと、ねこだーしぇるへと突っ込んだ。
水が頭上から降り注いだ為に、粉は全て地上へと落下している。
その上、猫が水が嫌いであるが如く、ねこだーじえるも、余り得ではないらしい。
嫌がって、フルフルと水飛沫を飛ばしているねこだーじえるとの距離を一気に詰め、赤兎馬を脇に構えて、横薙ぎに切り裂こうとする。
勿論、本気で切るつもりはなく、目の前、皮一枚の部分で刃を留める積もりだった。
そこまですれば、この小生意気な小僧も口を割るに違いないと考えていた、泰山府君の前に、突如摩耶が立ちはだかり、そしてねこだーじえるの体を抱き締めた。
「っ！」
泰山府君は、息を呑み、「痴れ者が！」と胸中で悪態を吐きつつ、何とか自分の手を押しとどめようとするも、勢いに乗った刃は止まらない。
摩耶の美しい肢体を、為す術もなく泰山府君は切り裂いていた。
（くそぅっ！）
恐怖感に似た、戦慄が泰山府君の全身を駆け抜ける。
何故、あの少年と良い、摩耶と良い、自分の命を省みず、人の前に立ちはだかる！
しかも、摩耶は、丸腰じゃないか！
何故、己の命を惜しまない！
絶望の入り混じった怒りを感じる泰山府君の前に、切り裂いた筈の摩耶がゆっくりと立ち上がった。
呆然と立ち竦む、泰山府君。
傷一つない？
馬鹿な！ 我は、間違いなく、摩耶を切り裂いた！
顔を覆いうずくまった少女が、
「ま……摩耶さん…摩耶さん……」
涙声で何度も摩耶の名前を呼んでいる。
「にゃー」と言いながら、落下中にまたたびジュースの粉を吸い込んでしまい、猫へと変化してしまったらしいさなが、みなもの足に体を擦り寄せていた。
そんな少女を、優しげな視線で見つめ、それから凛とした眼差しで、摩耶は泰山府君に向かい合った。
「残念だわ。 あなたの刃は私の肌を傷付けられない」と摩耶が、泰山府君に告げてくる。その声にみなもが、驚いたように顔を上げた。
強い視線を泰山府君に据え、摩耶は、うっすらと笑う。
美しい。
染みいるように、美しく、強い笑み。
「と、いっても、内蔵への衝撃までは防げないから、強く突かれたり、さっきの雷みたいなの喰らったら一発だろうけどね」
そう言いながら摩耶は泰山府君に勢い良く頭を下げてきた。
「あなたは、凄く強い人だってよく分かる。 多分、その気になれば私ごと、後ろの子も殺せるね。 でも、お願い。 今回の事で、あなたが凄く不快な気分になったのは分かるけど、許してあげて。 この子と、この子を庇ってしまう私を」
顔をあげ、満面の笑みを浮かべて摩耶は言う。
「これは命乞い。 あなたが望むなら、土下座だってしてあげる。 自分の身を守る為だもの、足だって舐められる」
泰山府君は、貴様の方が強いと感嘆する。
人の身でありながら、このような強さを持つ者がおるのか。
敵わない。
人の、本当の強さに、我は敵わない。
泰山府君は誇り高い命乞いの前で、息を呑み、圧倒されるしか無かった。
そして、そのような人間であろう摩耶が、無事な姿を見せてくれている事を、心から安堵した。
このような人間を殺してしまっては、どんな償いをしても贖いきれない。
そのまま、首を振り、掠れた声で「馬鹿者が」と呻く。
そして、心配げに、摩耶の全身を見回し、
「怪我はないか？」
と、問い掛けた。
「大丈夫よ。 そういう体質なの」
「だが、痛かったろう」
「アハハ。 平気だって」
「………本当に馬鹿者だ。 我は無益な殺生は好まない。 先程の攻撃とて、寸止めて、脅すだけのつもりであったのに……貴様は…」
そう言いながら、ふうと、溜息を付くと、泰山府君は摩耶に尊敬の念を込めて一礼した。 「見事である。 感服した」
心から述べる。
それから、ポカンと座り込んで、二人のやり取りを見上げていたねこだーじえるに声を掛けた。
「さて、もう良いだろう？ 教えてくれ。 我らが、元の姿に戻る方法を」
ねこだーじえるがというよりも、試飲イベント行っていた猫股族の面々が企んでいた事。
それは、ただ純粋に、あのまたたびジュースを気軽にネコ耳や尻尾が生やせるジュースとして商品化する事だったらしい。
確かに、こういった手合いのものを大っぴらに売り出す事は無理だとしても、それ相応のルートに乗せれば、かなりのヒット商品になるだろうとは考えられる。
ねこだーじえるは、猫達にとっては多大な権力を持つ存在らしく、猫股達にこのジュースを人間に効力があるのか試験したいのだがどうすれば良いだろう？と相談され、この試飲キャンペーンのアイデアを出したらしい。
ただ、あんな危ないジュース無差別に試飲させれば大騒ぎになる。
と、いう事で、ねこだーじえる曰くの「ぴっかぴかの慧眼」で、「またたびジュースを飲んで猫化が始まっても」すぐに警察に飛び込んだり、絶望の余り自傷行為に走ったりしない、それでいてねこだーじえるが見物して面白い人物に限定し、ジュースを飲ませていたそうだ。
で、まんまと、その餌食に泰山府君と武彦が選ばれたという事なのだろう。
ま、そんな事情は、もう、こうなったらどうでも良い。
肝心の元の姿に戻る方法が大事なのだ。
猫になってしまったさなを抱えながら、ねこだーじえるに「で？ どうすれば元に戻れるんだ」と、問うている摩耶。
しかし、ねこだーじえるは「あー！ 蝶々にゃ」とか「水に濡れて気持ち悪いのにゃ」とか「またたびジュースはすこぶる美味なのにゃ」とか、話を逸らしてばかりで一向に質問に答えてくれない。
再び襲ってきた苛立ちに、額に青筋を立て泰山府君が「いい加減にせんと、今度は本気で刻むぞ？」と脅せど、ねこだーじえるは何処吹く風。
自分の顔を猫の仕草で、手で擦り「あちし、何だか眠たくなってきたにゃ」と呟く。
何処かから戻ってきたらしい黒猫を抱えたまま、そのやり取りを眺めていた少女が、誰もが思い浮かび始めども、怖くて言い出せなかった、ある最悪の可能性を口にした。
「あの……もしかして、だけど、元に戻る方法が無いって事、ないですよ…ね？」
すると、ねこだーじえるの耳がピクンと反応し、ニパッと笑いながらこちらを見る。
みなもも、その愛らしい笑顔につられて笑みを返している。
泰山府君も、少し安堵する。
（まさか、そんな訳なかろう）
すると、ねこだーしぇるは笑顔のままで頷いた。
「凄いにゃ！ 正解だにゃ！」
その瞬間、みなもを含む、その場にいた全ての者達の視界が一瞬暗くなった。
「殺す！ 殺し尽くす！ もう、許さん！ 成敗してくれる！」
「あー、うん、なんか、それで良いかもーって思えてきた」
「えーーーー?! そんな、駄目ですよ！ く、黯傅さん！ 何とかして下さい！」
「……なぁぅ」
「さ、さなさんもです！」
「んにゃ？」
「わーーーん、頼りにならないよーー！」
「あちしを殺すと、猫たちの祟りがすんごいにゃよーー？」
「ほら、祟りですよ！ 摩耶さん、泰山府君さん祟りですって！ きっと、毎日玄関にフンとかされちゃいますよ！」
「や、いいよ、掃除するし」
「今は、こやつの息の根を止める以外の何も望みはない」
「えええ?! ちょっ！ 誰か！っていうか、ねこだーしぇる君、とりあえず逃げて！」
と、いう騒々しいやり取りを経て、とりあえず興信所へ戻ったねこだーしぇる含む面々は、そこで待っていたあっさりイベントのキャンペーンガールを連れてきていた青年の言葉でこれ以上ないほどの脱力を味わう事になる。
「何だか盛り上がっているトコに水を差すのが悪いなぁと思って、能力の事言い出せませんでした」なんて笑う青年は「申し遅れましたがモーリス・ラジアルと言います。 了承さえ賜れば、私の思う通りに人の姿を変える事が出来ます。 あなた方の事も、すぐ元の姿に戻してあげますよ」
笑顔でそう告げる、モーリスを見つめながら、ガクリと膝を付くほどの疲れを感じる、泰山府君。
視線を巡らせれば、部屋の隅に、勘違いで脅かしてしまった蒲公英が座っている。
泰山府君と目が合うと、ガタガタと震え、一層隅へと体を寄せた。
泰山府君は、怯えられるのを承知で、蒲公英に近付く。
そして、視線を合わせる為に、蒲公英の前に膝を付くと「改めて、お詫び申し上げる。 怖い目に合わせてしまった。 すまない」と、言った。
既に涙に目を潤ませている蒲公英は、助けを求めるようにあちらこちらに視線を飛ばし、それから「……も、もう、もう、苛めませんか？」と、消え入りそうな声で問うてくる。
泰山府君は「苛めるものか…」と囁いて、それから、蒲公英にもうネコ耳が生えてない事を確認すると、安堵の溜息を吐いた。
「お主も、元に戻して貰ったのだな」
そう問えばコクンと頷き、それから不思議そうに泰山府君のネコ耳を眺める。
ヒクヒクと動く、人のネコ耳に興味を持ったのだろう。
モジモジとした様子で、それでも「あの、さ、触っていいですか？」と問うてきたので、泰山府君は、「構わぬ」と答え、ますます頭を下げて、蒲公英に手に触れやすいようにしてやった。
「……ふわふわ」と言いながら、泰山府君の頭に手を伸ばす、蒲公英。
モーリスが「次、どなたが、戻りますか？」と言いながら、部屋を見回し泰山府君と目があったが、彼は、蒲公英が一心に彼女のネコ耳を撫でている姿を見て、微笑むと「もう少し、後でですね？」と言いながら、また、視線を部屋の中へ戻す。
「猫ちゃんの耳だ…ｖ」
そう言いながら、やっと小さく笑った蒲公英の笑顔を見て「ま、この姿も悪いばかりではなかったな」と泰山府君はうそぶいた。
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■ 登場人物 ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
受注順に掲載させて頂きました。
【２４１１／鬼丸・鵺／１３歳／中学生】
【３３４２／魏・幇禍／２７歳／家庭教師 殺し屋】
【１２５２／海原みなも／１３歳／中学生】
【００８６／シュライン・エマ／２６歳／翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員】
【３３１７／斎・黯傅／３３４歳／お守り役の猫】
【２８６３／蒼王・翼／１６歳／Ｆ１レーサー兼闇の狩人】
【２９１６／桜塚・金蝉／２１歳／陰陽師】
【１９７９／葛生・摩耶／２０歳／泡姫】
【３４１５／泰山府君・― ／９９９歳／退魔宝刀守護神】
【１９９２／弓槻・蒲公英 ／７歳／小学生】
【２３０９／夏野影踏 ／２２歳／栄養士】
【２６４０／山口・さな ／３２歳／ベーシストｓａｎａ】
【２３１８／モーリス・ラジアル ／５２７歳／ガードナー・医師・調和師】
【２７４０／ねこだーじえる・くん ／９９９歳／猫神（ねこ？）】
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■ ライター通信 ■
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まず！ 遅れてスイマセンでした！（平身低頭） 初めましての方も、そうでない方もヘタレでほんま、すいません！ ライターのｍｏｍｉｚｉです。 今回、二回目の受注窓オープン。 前回の如く、緩やかに参加表明がなされるであろうと予想していた私を裏切って、１４名参加っていうか、喜びと共に正直キョドってしまいました。 あえて、ウェブゲームの醍醐味を追求すべく、同じ物語で、それぞれの視点で書いてみた「猫になる日」。 やぁ、無謀でした。（遠い目） えーと、書いている間に、三度ほど、三途の川を見たのですが、渡らなかった私に、私が乾杯。 一人一人が、別々の感情で動き、見えている真実も違っていたりするので、色々読み比べて下さると、また別のお話の姿が見えたりするように書きました。 他の話にもお目通し下さると、ライター冥利に尽きます。 また、ご縁が御座いますこと、願っております。
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