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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


雨は毛布のように


 繁華街は今日もうっとうしい雨。草間零は水玉模様の傘を広げ、主人に頼まれたマルボロ1カートンを小脇に抱え、草間興信所までの帰り道を急いでいた。
 アスファルトの歩道はでこぼこで、そこらじゅうに水溜りができていた。自然、零はジグザグに歩道を歩くことになる。
 長引く梅雨の影響もあって、主人の外出は減り、逆に煙草の量は増える一方だった。こんな生活、身体に良いはずがない。
 兄であり、主人の草間武彦は、
「探偵稼業は楽しいなあ」
 ――なんて自虐的な皮肉が口癖になりつつあった。
 生温かい湿気を浴びながら、零が出した結論はこうだ。やっぱり依頼は待っていちゃダメだ。こんな外に出るのがおっくうな日にこそ、凶悪な事件は起こり、誰に知られることもなく闇に消えてゆくのかもしれない。わたしもそろそろ部屋の掃除から卒業して、本格的に草間の片腕としてがんばりたい。
 その旨を伝えようと、意気込んで玄関の前に立ち、ドアノブをひねる。
「にいさ……きゃああああああああああああ!」
 絹を引き裂くような零の悲鳴とともに、マルボロのカートンが床に転がった。
 室内はまったくの別世界と化していた。かろうじて、デスクやソファなどの輪郭が見分けられる。しかし、部屋の調度のすべてが、白とも黒ともつかぬおぞましい灰色の毛布に覆われていた。
 ――いや、毛布じゃない、これはカビだ! ものすごい量のカビが、興信所のすべてを囲っている。
 その中に、全身灰色の主人はいた。つい10分前、新聞を広げていた同じ姿勢で椅子にふんぞり返り、死んだ魚のように、うつろな視線を中空に漂わせている。草間が呼吸をするたびに、顔の上で、細かいカビのホコリが舞い上がった。
「兄さん……、汚しすぎ……」
 零は口をパクパクさせながら、その場にへたり込んだ。肌の産毛が逆立つ感覚を味わったが、それでも動くことはできなかった。

 シュライン・エマは、聞き覚えのある悲鳴で、傘の角度を変え、上を見た。ちょうど出勤してきたところで、草間興信所の真下の歩道を歩いていた。
 ふわり、と、風に運ばれているのは、水玉模様の傘。エマはショルダーバックを肩にかけ、傘を片手に持ちながらも、もう片方の手で器用にそれをキャッチした。
 見覚えのある傘だった。……これ、零ちゃんのよね?
 首をひねりながらも傘をたたみ、雑居ビルの階段を上る。
「あら……」
 そして興信所入口で、ぺたりとお尻をついて座っている草間零本人を見つける。
「こんなところで何……」
 そばに駆け寄るエマは、そこで室内の様子が視界の隅に入って、固まった。
「なるほど……」
 ゆっくりと、目線を室内に向けながらつぶやいた。
 そのとき、階段のほうから、パタパタと元気な足音が聴こえてきた。
「やってきましたあ!」
 と、高らかに宣言したのは、ふんわりとしたウェーブのかかった金髪の女の子だった。かわいらしいメイド服まで身にまとって、どこかの国のお人形みたいな風体だ。
「……っと、お取り込み中ですかあ?」
 能天気に訪ねてくる少女に向かって、エマと零は、無言で視線を草間興信所室内へ向ける。
「なるほど……」
 その目で状況を把握した少女は、言ってからはじめて自分に注がれている視線に気づく。
 姿勢を正して、
「あはっ、申し遅れました。あけのレディースメンタルクリニックの新藤カレンです! うちの院長に頼まれて、書類をお届けにあがりました!」
 はつらつとしたあいさつが終わったあと、申し合わせたようなタイミングで、またもやパタパタと快活な足音がこだまする。
「あのう……、草間興信所ってここですよね」
 今度は制服に身を包んだ女の子だった。茶色の髪を短めに揃え、活発そうな印象を受ける。左肩に多数のアクセサリがついた女子高生然としたカバンを提げ、右手にはここまでの地図が書かれたと思しき紙切れを持っている。
「電話で連絡していた、新庄七地です。約束の時間より早く着いちゃったんですけど。ダメですか……?」
 てくてくと歩いてきた七地という少女の脚が、興信所入口手前でピタリと止まる。見てはいけないものを見てしまったという感じで、赤い瞳をしばたたく。
「あらら。……まあ、梅雨ですからね」
 エマ、カレン、七地、零の4人は自然と顔を見合わせる。
 ……これで役者は揃った。この場にいた誰もがそう感じていた。彼女たちの中で、奇妙な連帯感が生まれつつあった。

「さて……何から手をつけましょうかね……」
 エマは手もみをしながら、室内の惨状をもう一度見回す。気休め程度だとは思ったが、マスク、ゴム手袋、マスクを装着。バケツに雑巾、消毒薬入り霧吹きも用意した。だが、いかんせん部屋全体がカビというカビに覆われているため、見ているだけで自然とため息が漏れるのも仕方のないところだ。
「とりあえず床にこびりついたカビを取っちゃいましょう! まずは足場を確保しないとですね」
 カレンが真っ先に、カビの中に飛び込んでいった。窓を全開にしたのち、四つんばいになって、雑巾片手に懸命に床をこすり始める。その様子は板についたメイド姿もあいまって、献身的でかわいい。
 負けてられないといわんばかりに、七地、エマ、零の3人も戦場に突入した。
「室内に、異常なまでに水氣が集まってますね……」
 木目の見えた床を、七地はデッキブラシで丹念にこすり始める。
「この部屋のどこかに、カビの元凶があるんじゃないですかねえ?」
 言いながら、カバンの中から呪符を取り出し、掃除の終わった箇所からペタペタと貼りつけていく。
「でも……、タバコを買いに出る前までは、何もなかったんですよ。……まあ、もともとあんまりきれいな部屋じゃなかったですけど」
 竹ぼうきで照明についた汚れを落としていた零は、ケホケホと咳き込みながら首をかしげている。
「普段だらしなくしていたバチが当たったのね。身の回りのことは、みんな零ちゃんにまかせっきりなんだから」
 エマは、いまだ部屋の奥で『毛布』にくるまっている草間にはたきをかける。
「ほら! 武彦さんも手伝ってくださいよ……」
 そのとき、エマの頭に何かが浮かんだ。思わず手が止まる。
「ねえ、零ちゃん……」
「はい?」
「今、何か言わなかった?」
「……はい?」
「『スルメが食べたい』って言わなかった?」
「……言ってませんけど」
 カレンと七地もピタリと手を止め、4人は顔を見合わせた。
「あ、あたしも言ってませんよ」
「カレンはスルメよりタコ焼きが好きです」
「そう……」
 4人は作業に戻った。黙々とカビを削っていると……、
「では、月に一度の定期健診をオススメします!」
 と、突然にカレンが叫んだ。
「最近、動悸、息切れがする方はどなたですか?」
 七地、エマ、零は一様に首を振った。そして、黙々と作業に戻った。
 しばらくして、今度は、
「余計なお世話です!」
 七地が敵意をむき出しにして怒鳴った。
「あれ……」
 そして、我に帰ったのか、ぽかんとした顔で周囲を見回す。
「誰か、スカートのことで、ヘンなこと言いませんでした?」
「スカートのどんなこと?」
 七地はぽっと頬を赤く染めてうつむく。
 エマは目を細める。
「……そんなデリカシーのないことを言うのは、この中に一人しかいないわね」
 女たち4人の視線は、自然と、部屋のすみに鎮座する男一人に向けられる。
 カレンがおもむろに近づき、指でちょこん、と草間の灰色の腕に触れる。
 そしてくるりと振り返って、
「探偵稼業より、コンビニのアルバイトのほうが正直儲かるんだそうです」
 エマは頬をかいた。
「つまり、普段言えない仕事の愚痴を、カビを吐き出して解消してるってことかしら」
「そうみたいです」
 カレンはにこりと微笑んで言った。
「このカビは、草間さんのストレスが生み出したもののようですわね」

 部屋を支配していたカビはあらかた片付き、後の処理は、七地の施した呪符の封印で、水氣は完全に押さえられた。
「これでよし、と。当分カビは発生しないはずですよ。新庄家の誇りにかけ、保障します」
「ありがとう。で、残るは……」
 エマはゆっくりと視線をデスクの草間武彦に移した。
 みんなと協力して、ユニットバス近くまで草間の身体を運ぶ。
「まったく、世話の焼ける所長さんだこと……」
 エマはシャワーの水の勢いを最高にして、草間の灰色の毛布にくるまったような身体にお湯をかけた。
 ボロボロと、容易にカビは落ちてくれる。湯気の中から、つやつやの肌色が見えてきた。
「ヘビースモーカーのくせに、けっこうきれいな肌してるのね……」
 つぶやいたエマ。その涼しげな瞳が、次第に驚愕の色を帯びる。
「あれれ……?」
 カレンと七地も、同時に同じ言葉を発した。
「あのう……、どなたですか?」
 零も目をパチパチさせて尋ねる。
 整髪料が水に流れたせいか、ショートボブのような髪型、宝石のようなつぶらな瞳、剥きたてのゆで卵のようなほっぺ、カビの中から出てきたのは、草間武彦とは似ても似つかない、どうみても女の子の姿だった。
 草間と同じスーツを着て、決まり悪そうに、視線をあらぬ方向へ漂わせている。顔つきはあどけなく、零よりも年下に見える。
「まさか……」
 七地は口元に手を当て、目を輝かせる。
「……そのまさかだ」
 透き通った声で、その子は自己紹介した。
「草間武彦」
 憮然とした様子の所長を、カレン、七地、零の3人は、きゃぴきゃぴと嬉しそうに囲んだ。
「いやーん、かわいい〜」
 カレンは感極まった様子で草間を抱きしめ、ほおずりをはじめた。
「なんだか、妹ができたみたいです」
 つられた零が、ショートボブが愛らしい彼の頭を撫でる。
「でも、どうしてこんなことになったんでしょ? あたしは、水氣を解く呪符を施しただけなのに」
 今ひとつ合点のいかない表情で、七地がつぶやく。
「もしかして……、所長さんの一部が、カビになって出てきちゃったってこと?」
「新庄さんの推察は、半分正解ね」
 腕を組んで考え込んでいたエマが、口を開いた。
「先行き不安な事務所の経営から蓄積されたストレス、それに加えて毎日のうっとうしい雨――、このふたつの要素が組み合わさって、武彦さんの身体の中から、いえ、心の中から、カビが爆発した。……でも」
「カレン、なんだか心当たりあるな」
 メイド姿の少女は顎に指を当てて首をかしげる。
「カビの中にはきっと、ストレスに混じって『大人の男性特有の要素』まで入ってたのね」
「……で」
 草間が片方の眉をつり上げながら訊いた。
「元に戻るにはどうすればいい?」
 エマはいたずらっぽい目をして、胸を張った。
「決まってるじゃないですか。いつものように、バリバリ仕事に励むんですよ。もちろん、バランスの取れた食事とか、適度な睡眠とか、考えちゃダメですよ。そうすれば、だんだん普段の不健康そうな武彦さんが戻ってくるはず」
「ええー、このままでいいじゃないですか」
 つまらなそうに頬を膨らます零に、
「マルボロを」
 草間が短く言った。
「はいはい」
 零は、そそくさと買ってきたマルボロ1カートンから一箱取り出し、椅子にふんぞり返っている草間に差し出した。
「これだから、探偵稼業はやめられないよ」
 サイズの合っていない濡れたスーツを着た美少女が、こめかみに青筋を立て紫煙をくゆらす様が、またも女4人の爆笑を誘うのだった。


おわり


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/シュライン・エマ/女性/29歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
3284/新藤・カレン/女性/22歳/病院スタッフ(事務・院長秘書)
3408/新庄・七地/女性/18歳/学生兼呪禁師

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■         ライター通信          ■
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 ライターの大地こねこです。
 お待たせしました。『雨は毛布のように』をお届けします。
 こんなに多くの、個性の強い女性が一堂に会して、コミカルに動く展開はあまり書く機会がなかったので、こちらもたいへん楽しめました。
 女性化してしまった所長さんの今後は、前途多難かもしれませんが、エマ様の言うとおり、きっとバリバリ仕事をしていることでしょう。
 このたびはご依頼ありがとうございました。大地こねこでした。