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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


ずっと待ってる

プロローグ 〜怪我

 肩までかかったほんのりした亜麻色の髪、伏し目がちではあるが綺麗な茶色い瞳。そして、いつもおとなしく控えめな性格からも少女が決して誰かに疎まれ、嫌われるような人間ではない事や、私立神聖都学園の教員達から嫌われない理由でもあった。
 優しい言動や人を立てるような口調は女子生徒から嫌悪の対象として見られる事もなく、ごく普通の生徒のように思える。
「あら? また怪我をしたの?」
 早朝の教室、まだ鳥のさえずりさえも聞こえる中、学園教師・響カスミは美しい栗色の髪をかき上げながらその女子生徒の顔を覗き込んだ。
 ここの所、いや初めてこの女子生徒が学園に転校し、普通より少しだけ可愛いと思われる彼女に対し男子生徒達が嬉しそうに声をかけ彼女は一度だけ微笑んだ事がある。ただ、その微笑から想像もつかぬ程、日に日に彼女は身体の何処かしらに怪我を負うようになっていった。
 ある時は登校中に転んだと言う、そしてある時は図工時間中に間違いが起こったとも言う。
 とにかく、教師としての責任感からか、カスミは酷く少女の事を気にかけるようになっていた。
「ごめんなさい、お家の階段から転んでしまって…」
 消え入るような少女の額には痛々しい程腫れ上がった痣が出来ている。
「謝らなくてもいいのよ? でも…」
 あまりにも奇怪な少女だとカスミの脳は危険信号を発している。が、本人が間違いでそうなったと言っている事や、カスミ自身奇怪な事柄についてあまり良い印象がなかった為か、
「放課後でも昼休みでもいいわ、保健室か…病院に行って診てもらいなさいね?」
「…はい」
 怪我をしてから何度保健室や病院に勧めても、行ったという様子が微塵も感じられない彼女に疑問を抱きつつ、騒ぎ出す生徒達に向かい、早朝の号令の第一声を口にした。

〜後ろの少女

「鹿沼さん、いつも有難う御座いますね」
「いいえ、わたくしもこのような美しいお品を見せて頂けるだけでとても心が弾みますもの」
 夕暮れ特有のオレンジ色が射す美しい住宅街。
 その一角で整えられた庭に囲まれ、鹿沼デルフェスに届けられた品物。中世歴史が刻まれ、年代と作った者の心を感じさせるような硝子彫りの小さな置物を大切に受け止め、微笑んだ女性は、
「またお願いしますね」
 と、言い夕焼けより栄える美しい真紅の瞳に向かい丁重に頭を下げた。
「こちらこそ、またアンティークショップ・レンをよろしくお願いいたします」
 店員らしく柔らかな黒髪を絹のようになびかせながらデルフェスは物腰も穏やかに、婦人の家を後にする。アンティークショップなだけもあり、値の張る商品が揃っている店主の店はこういった裕福な家庭からも注文が多く、また美しく上流階級の女性の素晴らしさを持つデルフェスは特にそういった家庭からも歓迎される事が多い。
 とにもかくにも、最後の届け物を終えたデルフェスは柔らかな足取りでいつも通りなれた道を、風やその時間にしか起こらない自然の美しさ達に感覚を委ねながら歩いている筈、であった。
「きゃああっ!!」
 ドスン。という音が聞こえる程何かが、いやデルフェスよりも少しだけ小さいであろう亜麻色の髪の少女が胸に飛び込んでくるまでは。
「す、すみません! 本当にすみません!!」
「い、いいえ、わたくしこそ…。 それより貴女は大丈夫ですか?」
 泣いているのかというような震え声が聞こえ、デルフェスも小さくなっている少女の顔を覗き込み怪我の具合を確かめようとする。
「あ、あの。 私大丈夫ですから! その…有難う御座います……」
「ですが、その傷は…いえ…今の事で傷が無かったのは不幸中の幸いですが、その傷は…」
「あっ、本当に…大丈夫です!」
 ぶつかった衝撃による傷や痣などは傷の具合からして無い様に思えるが、デルフェスの側で小さく固まっている少女の身体にはおびただしい生傷や痣はとても大丈夫と言い切れるものではない。
 神聖都学園の物と思われるスカートから出た両足にも擦り傷や切り傷が無数に広がり、夏服という事もあり、半袖から出た二の腕から手首にかけても酷い有様で、このままではまた、その傷が開き血が流れて来そうな気がしてくる。
(そんな…大丈夫だなんて言われましても……)
 覗きこんだ少女の顔は苦く微笑んでいたが、痛みをこらえようと必死なのがデルフェスにもひしひしと伝わり、とても放っておけないような悲しみが心を締め付けた。
「えっと、…ええと……」
「はい?」
 ふと、少女に目を合わせると、彼女もまたデルフェスの心情に気付いたのか、何かを話しあぐねているような表情で小さな口を更に小さくしながら、
「怪我の事、心配してくれて有難うございました!」
 言い切るように、彼女なりの勇気を振り絞ったのであろう、それだけを口にすると一目散に走っていく。
 小さな身体は足を引きずるようにした速度はデルフェスが追いかけられるものであったのだが、丁度、少女が渡りきったその後で降りてしまった踏み切りに阻まれ、結局の所、大切な事は聞き損ねてしまったと、デルフェスは小さくため息をついた。
(神聖都学園…ですよね、あの制服は)
 ふと、脳裏に浮かんだデザインセンスも良く清楚な服装はデルフェスの良く知っている私立神聖都学園の制服であり、
(えっ…?)
 制服の事を考え、少女の傷の事ばかり気にしていたデルフェスはふと目の前を通り過ぎる電車に目が行った。
(もし…もしこの電車の時間があの子の転んだ瞬間と重なっていたら……)
 背筋が凍りつくような感覚に襲われた。電車が通った時間、自分が通っていなかったならと思うと、もしかすれば酷い惨劇となっていたのかもしれない。
 紅色に染まる整った唇を噛み締めると、踏み切りの前を通り過ぎる電車の風が黒髪を静かな炎のように触り、これからの彼女の行動を表すかのように走り去っていった。

 その頃、風が舞い上がり、アスファルトに残る少量の砂埃が舞う中、丁度デルフェスの後ろ、少女が転んだ位置に何かは佇んでいた。感情も示さない、いや、顔すらわからない何かが、小さな唇を誰も聞こえる事の無い言葉で囁き続けている。
『まだ、助けてくれないの…?』
 聞こえる事の無い声は悲しげにまた、その影を増していくのだった。

〜 あの子とあの子

 私立神聖都学園は文字通り幼等部から大学部まで揃い、それだけでも巨大施設だと思われる上、寮施設まで完備され、まさに教育の王国のようになっている。
 デルフェスがその巨大な場所に着く頃には、天高くそびえ立つ塔のから発せられる年代の重みある鐘の音は丁度昼休みの始まりを告げる合図となっていた。
(なんとか下校時間までにはつけたようですわ…)
 昨日出会った傷だらけの少女がどうしても気にかかったデルフェスは、いつの間にかあの怯える瞳を助けてあげたいという感情で満たされ、アンティークショップから来た依頼をいつものように手早く済ませると、その足ですぐにこの学園に向かったのだ。
 丁寧に整えられた庭に昼食をとりに来る生徒達を縫いながらデルフェスはこの学園で頼りにできそうなある人物を探し、由緒正しい門を通る。
 途中、彼女の美しさに見惚れ立ち止まる生徒達に暖かな微笑みを返しながら、それでも歩む足は緩める事無く、木の板で統一された廊下を進み何度も曲がり角を曲がったその時、静かに聞こえてくるピアノの音に安堵し奏でられる曲の美しさにまるで同調するかのようにノックをする。
「あら。 鹿沼さん?」
 ピアノの旋律が静かに止むと、すぐにも音楽室から顔を覗かせた人物がデルフェスに向かい嬉しそうに微笑む。
「お久しぶりで御座います、響様」
「ええ、私こそ。 鹿沼さんが来てくれて嬉しいわ」
 物腰やわらかに頭を下げ挨拶をすれば、この私立神聖都学園の音楽教師である響カスミも同様に返してきた。教師という職業柄でもあったが、礼儀正しい挨拶と大切な友人に微笑みを見せないカスミではない。
 いつも厳しさに満ちた表情を柔らかくし、「どうぞ」というように彼女の担当である音楽室にデルフェスを招き入れる。
「ごめんなさいね、お茶も用意出来ない様な場所で…」
「いいえ、今日はお話があって参りましたので。 お気を遣われないでください」
 グランドピアノの近くにある生徒用に置かれた、簡素で頑丈さを重視して作られた椅子に座りデルフェスが座った事を確認してからカスミもすぐ隣に座る。どちらも品のある女性の仕草を崩さない、まるで庭園で会話をする貴婦人達のような雰囲気が漂った。
「話…。 何かしら?」
 いつも微笑みを絶やさないようなデルフェスが真剣な瞳でカスミを見つめる。
「ええ、こちらに亜麻色の髪をした女の子が通っていると思うのです。 傷だらけの…小さな……」
 思い出すだけでも少女の傷の痛みが自分にも伝わってきてしまいそうで、細い眉を悲しげに伏せ、最後の言葉はまるで搾り出すようになってしまう。
「あの子の…、朱居優菜(あけい ゆうな)さんの事…かしら?」
「朱居さんとおっしゃるのですね」
 少女らしき名前を苦々しくも心配そうな口調でカスミは呟いた。
「鹿沼さんの言っている子は多分その子だと思うわ。 毎日怪我をして、何を言っても怪我を治そうとしないのよ」
 俯くカスミの言葉に絶句し、デルフェスも彼女のこれからの安否について考えるだけでも心が軋む。
「そんな…、お父様やお母様は病院に連れて行かれないのですか?」
 そうだ、まともな親が居ればこういう状態になる事も事前に防げたであろうし、今からでも遅くはない。
 が、カスミから帰ってきた反応はデルフェスの期待を裏切り、更に悲しい事実を告げるだけであった。
「両親とも居ないのよ。 学園の寮に入らないかしらって、何度も誘ったのだけれどお母さんの思い出のアパートが良いからって……」
 続けられた言葉はあまりにも残酷で、優菜という少女は父を早く失くし母と小さなアパートで暮らしていたという事であり、同時に母親を忘れられなく今まで過ごしてきた孤独が押し寄せてくる。
「わかりましたわ。 響様、では少しだけわたくしの我侭を聞いて頂けるでしょうか?」
「えっ…?」
 何かを思い立ったように訪ねてくるデルフェスに、カスミは始めこそ首を傾げたが、おおかたの内容を聞くと「今回だけよ?」と、嬉しさを隠せないらしく厳しい言葉もいたずらっ子のように微笑んだ。

『朱居様をなんとか助けて差し上げたいのです。 もしかしたら助けられないのかもしれません、でも動かなければ何も変わらないでしょう? ですから、わたくしは彼女の…できれば近くで見守って差し上げたいのです』

 差し出されたのは一着の私立神聖都学園制服。朱居という少女と同じデザインのその制服は、今現在カスミの知る中で一番あの女生徒に近い者の証でもある。
「あの子は高等部の二年生よ。 …よろしくお願いね……」
 授業の始まるチャイムが響きわたり、校庭に出た者や他の教室で友人達と昼食を楽しんだ生徒達が教室へ駆け込む足音が波のように聞こえてきた。
 そして同様、カスミもまた教師という職業に戻る為、受け持ちの教室に戻らなければならないのだ。
「鹿沼さん」
「…はい?」
「ありがとう」
 音楽室の扉を開けたカスミは一度だけ立ち止まり、デルフェスに向き直ると彼女なりの精一杯の言葉を口にしてその場を去っていった。
(こちらこそ、わたくしの我侭を聞いてくださって嬉しいです…)
 去っていくカスミの背を見送りながらデルフェスは静かに頭を下げた。
 元々学園の生徒ではないデルフェスに授業は必要ない。だが、下校時にこの制服はきっと役立ってくれるだろう。来た道を戻り、カスミから聞いた朱居の居そうな高等部二学年の教室を見上げる。
(えっ…!?)
 朱居の居る教室は普通の肉眼で見える階に位置し、彼女が窓際の席に座っている事に驚くことは無い。
 無いのだが、一つだけおかしなものがデルフェスの目に飛び込んできたのだ。
(お二人…ですか?)
 そう、目にとまったのは昨日出会った傷だらけの少女が机に向かい教科書を開いている様子と、その彼女と同じ顔、同じ髪の色、同じ目の色の少女が机に向かう朱居に向かい、ただじっと、生気の無い瞳で見つめている光景であった。

〜 お母さん

 アンティークショップの仕事を終えているデルフェスに今現在、予定が無かったのは幸いだった。
 カスミが気を遣い渡してくれた、普段は閉まっている筈の女子更衣室で素早く制服に着替え、貸してくれた友人の靴箱に、お礼の手紙と共に忍ばせておく。それからずっと、校舎近くにある大樹に教室からは見えないように座り込み、朱居を、そして側に居る朱居のような何かの動向を見守った。
 朱居の側に居る、一見同じように見える何かは確かに朱居自身、に見えるが一つだけ違う事が明らかにあるのだ。
 日に日に増える傷、昨日はデルフェスがぶつかった為防げたのかもしれないが、おぞましいと思える程に傷ついた彼女の身体はもう一人、つまり机に座っている朱居を見つめている何かには無い。頭に出来た痣が窓からはよく見えたが、その何かにはその痣が見えない。
(何故…でしょう……)
 始めに見た時こそ、その奇怪な現象に目を見張ったが一向にもう一人の朱居は机に座った彼女に対して何もしてはこない。奇妙な時間が流れ、デルフェスが事の真相を何度も脳裏に描き『生霊』という二文字を閃かせるとほぼ同時に、下校のチャイムが校内に響き、同時に各教室から喜びの声も沸きあがった。

「朱居ちゃん、昨日は大丈夫みたいだったね。 良かった」
 暫くすると下校する生徒達と共に、朱居ともう一人の友人らしき少女が帰路につく姿が見えてくる。
 朱居の周りにはその生徒以外、遠巻きに生徒達が歩いていたが気にする様子も無くポニーテールを揺らせた少女は、
「ガッコ、今日は早く終わったしさー。 ねっ、サテン寄らない? サテン!」
「ごめん。 今日はバイトがあるから…」
「なぁーんだ。 今日もバイトかぁ…、ま、いっか。 今度絶対埋め合わせしてよねっ!」
 明るく言うと、朱居もつられたのか「うん」と頷いていた。
 なんら変わることの無い普通の会話、友人同士の約束。
 にも関わらずやはりいるのは朱居の分身のような存在。
(学園の方には見えないのですね…)
 デルフェスは下校する列に混ざり、一定の距離を保ちながら朱居を尾行する。その間にも彼女の側には何かがぴったりとついて離れてはいない。

 そうして、朱居が友人と別れ、歩き出してから何十分経ったのであろう。いつの間にか暗い裏街道を歩き出した朱居にデルフェスは違う意味で驚きを隠せなかった。
(こ、こんな場所で…働くのでしょうか…)
 朱居の入った店は洒落てはいたが、店名の上には『カクテルバー』としっかり書かれている。
 未成年が、こんな場所、しかもお酒を扱う店でバイトをするなど学園で許されている筈は無いだろう。確かにこういう店の方が賃金が良いのは確かではあるのだろう。

「すみません。 未成年の方ですよね?」
「えっ? ええ…」
 店に入った朱居を見送り、その仕事が終わるのを待つ予定だったが、それまでの時間を稼ぐ場所に行こうとしたデルフェスを一人の男が呼び止めた。
 長く黒い髪に氷のように冷たい瞳。だが、着ている服装のデザインからしてバーか何かの店員に間違いは無いだろう。
「お酒は二十歳から…だと店長が五月蝿いので、この通りにはバー関連しか御座いませんし…」
「いえ、違います。 あの…友人を心配して……」
 本来、デルフェスは未成年などという歳ではなかったが、今は学園の制服を着た生徒である。たとえそれが大学部だったとしても、制服でバーに入るのはいけない事なのは承知だ。
「あの子…? 朱居に何か?」
 聞き返してきた店員はデルフェスの言葉が出る前に朱居の名前を口にした。
「お知りになって…いらっしゃるのですか?」
 会った事もない、しかも急に声をかけてきた男性店員にこういう事を聞き返すのもおかしな話かもしれない。だが、カスミの知らない情報を知っているのなら話は違う。
「知っていますよ。 彼女の母親の事も店長から聞いておりますし、何より私もアレが見えないわけではないですから」
 淡々と表情も変えずに、店員はまるで独り言を話すかのように喋り始めた。

〜 聞こえない

 朱居優菜は父親を早くから失い、母親である美佐の手一つで育てられた。母親の美佐のパートもまた母子家庭という事でかなりの物だったらしい。
 そして、開店当初からの副店長もまた美佐が勤め、店長を支えているのが店の日課であった。
 が、ある日の出来事で全ては一転する。高校に入りたての優菜が交通事故で足を捻挫した、という電話が店に入ってきたのだ。
 幸い、捻挫で済んだ優菜は自宅から母に「心配せずにお仕事頑張って」とだけ連絡した。一次はその事件で騒いだバーの従業員達だったが、不幸中の幸いだと微笑んだ美佐に安心し、帰宅時間を迎える事となる。

「帰宅時間を過ぎても、朱居の母。 美佐は家に帰る事がありませんでした。 当時…いえ、今も通り魔が多いですから」
 ふと、店員は目を細め朱居の入っていった店内を見た。そこには、長袖長ズボンといった男性従業員の制服を着て、甲斐甲斐しくもオーダーをとる朱居と、もう一人の朱居の虚無的な瞳が目に入る。
「見えていらして、知ってもいらっしゃるのに何故助けて差し上げないのですか?」
 デルフェスは悲しげに目を伏せ、店員の言葉を待つ。
「店長も試みました、勿論私も…。 ですがどうも…私達の言葉は彼女には聞こえないようですから」
 店員は自嘲したように笑うと、
「…そうですね。 今日は少しだけ、早く店を切り上げさせますので」
 そう、踵を返し店内に入ろうとする。
「待ってください。 あなた様やその店長様が届かない言葉を…どうしてわたくしが届けられるとお思いになったのですか?」
 デルフェスの言葉に、同じ黒髪をなびかせた店員が振り向きもせず、しかし一度だけ立ち止まると酷く優しい声で言った。
「貴女のように、こんな場所まで追って朱居を心配する方なんて今まで一度も居ませんでしたから」
 「ねぇ、学生さん?」そう言うと店員は店のベルを鳴らしながらドアをくぐって行った。

(届かない言葉…朱居様は一体…)
 店員の言葉がデルフェスの心に張り付いたように繰り返される。彼が、そして母親の事も知るという店長の言葉すら届かない朱居の心に、どうすれば届くというのか。
 ただ、校庭で朱居の友人が口にした「昨日は無事」という話には一つの真実が隠されているようだった。
(怪我は一日に一度だけ…という事ですわね)
 そこまでわかった以上、あとは本人に確かめる他なく店員の言葉を信じ、なるべくこの闇夜のような路地に制服が目立たぬようと身を潜める。
 デルフェスと朱居が初めて出会った日、その日が怪我の悪循環を狂わせる鍵となるのなら、尚更ここで引くわけにはいかない。
 バーの大きな窓から見える朱居となんとしてでも接触を図り、怪我の事を詳しく聞いてみる必要があった。

〜 ずっと待ってた

「本当にいいんですか?」
 暫くして、朱居の不思議がる声が店の外に響いた。
「ええ、今日は人が少ないですし、店長と私でなんとかしますから先に怪我を治してからになさい」
「……はい」
 先程の店員が朱居を店から上がらせているらしかったが、「怪我を治して」の言葉に彼女は静かに俯いてバーの入り口から去っていく。
 小さな身体が遠ざかるにつれ、泣く様に震えている事を店員は黙って見ていたが、店内の催促らしき大声に気付くと、今までの事が何も無かったかのような仕草で仕事に戻っていった。

「朱居様…でいらっしゃいますよね?」
 バーを出た朱居がまた学園の通学路を歩き始めた頃、デルフェスは意を決し、傷だらけになった少女に話しかけた。通学路で話しかけたのは、あの店で働いている事が同じ学園の生徒に知れてしまっては気まずいだろうとのデルフェスの気遣いもある。
「あっ…! は、はい!」
「覚えていらっしゃるといいのですが…この間の…」
「はいっ! 同じ学園の方だったんですね。 …あの時は本当にごめんなさい」
 声をかけた当初こそ、ビクリと動いた小さな肩だったが、同じ学園のしかも一度は会った事のある人物だと知り、少し落ち着いたのだろう。声こそあまり大きくはないが、返答を返してくる。
「いいえ、わたくしも不注意でしたから、おあいこになってしまいますわね」
「…ありがとう御座います」
 笑いあう姿はまるで本当に同じ学園の生徒のように、デルフェスと朱居はお互いの自己紹介から始まり、小さな事から順に話していく。
 その間も、もう一人の朱居は無表情で…。
「ですが、わたくしとぶつかった時には既に怪我をしていらっしゃったでしょう? 立ち入った事だとは思いましたが…やはり気になってしまって……」
「あっ…」
 話の題材が怪我となると、急に朱居は元々静かだった声を下げ、
「本当は私、病院に毎日行こうとしてるんです」
「それは…どういう?」
 思わぬ展開に、デルフェスは聞き返してしまう。
 彼女自ら話してくれたという事は少しでもデルフェスに心を開いてくれたという証拠ととっても良かったのだが、如何せん悪化の一途を辿る少女が病院に行こうとしたという真実が不思議でたまらない。
「行こうとすると…怪我を……するんです。 途中で転んで、暫く歩けなくなっているうちに病院が閉まってしまったり…」
 「そういう時に限って人って通ってくれませんよね」と、朱居は苦笑してみせたが、次の瞬間その笑いは凍てつく様な表情となり、睨むような視線となってデルフェスを見据えてきた。
『ど、して…?』
「朱居…様?」
 声色が先程までの朱居の小さいが清んだ物ではない。

 何より、今までついて歩いているだけだった筈のもう一人の朱居が居なくなっている。

『どうして、邪魔したの?』
「邪魔…とはどういう事でしょうか?」
 稀に、生霊となった者は自分に憑依する事があると、様々な理由のある品ばかり扱うアンティークショップで働いているデルフェスは聞いた事がある。
『あの日よ。 あなたとぶつからなければ…私は…お母さんを待てたのに…』
 偶然だった筈の出来事。デルフェスにとっても、そして当の朱居にとっても。
 しかし、この生霊と化した朱居にとってはそれがデルフェスと会話するきっかけとなったらしく、憎々しげに睨み付けられた茶色い瞳は緩められる事はない。
「お母様を? …いいえ、朱居様のお母様はもう……」
『知るもんか!! みんな言うんだ。 コイツに向かってっ! お母さんは死んだって! 通り魔に会ったんだって!!』
 デルフェスはその叫びに答える事をためらった。
 確かに、朱居の母親は死んだ。死んだが結局その事実に耐えられなかった朱居は、ずっと母親を待っているのだ。
『あの日、電話で言ったんだ。 お母さんが手当てをしてくれるから、だから家で待ってなさいって! だから!』
「だから…怪我をし続けたのですか? 病院に行かなかったのも…お母様が来てくれると思って…?」
 来てはくれない母親を待ち続ける朱居の生霊は既に自分の身体さえ傷つけば母親が舞い戻ると信じて疑ってはいなかった。見つめられる瞳も、デルフェスを見てはいるが母親をいつも見続けたのであろう。
『コイツが…また怪我わすればもどってっ…!!』
 切羽つまった言葉が朱居から発せられた事に鋭く反応を示したデルフェスは、咄嗟に細い指を手中に収め練成陣を組んだ。
『あっ…!!』
 生身の朱居が石に変化すると伴い、生霊の朱居は弾き飛ばされるようにまた地面に落ち着いた。
 乗り移っていた生身の身体が手にしていたのはアイスピック、おそらく働いていた店先で持ってきたのだろう。デルフェスが石にしなければ、危うく彼女の身体に容赦も無しに突き刺さっているところだ。

『なんで…邪魔するのよ…、会いたい…だけなのに……。 待ってる…だけなのに…』
 うずくまった朱居が始めて、生霊のそれではなくまるで生身の方が話しているように悲しみという感情を押し出す。
「心配…だからでは。 駄目なのですか?」
『なんで…』
「わたくし達が出会ったのは偶然だったかもしれません。 ですが、怪我をする朱居様がいたたまれなくて、心配で…それだけでは駄目なのですか?」
 純粋な言葉だけをデルフェスはかけることにした。いや、自分には純粋な言葉しかかけてやることは出来ない。それこそがデルフェスにとっての心配だったのだから。思った言葉であったのだから。
『優しく…しないで……お母さんみたいに…しないで…』
 耳を塞ぐ様に、泣きじゃくる朱居は必死に叫んでいたが、その姿は次第に薄れ、
「わたくしは朱居様のお母様ではありません…ですが、朱居様を心配しているのは本当です。 そして、きっとお母様も…朱居様の近くに居る皆様もきっとそう思っていらっしゃいますよ」
『そんな…お母さん……』
 耳を塞いだ手が、静かに下りる。生身ではない為、跡こそ見えないが茶色い瞳から溢れてくる水滴はコンクリートに滴り、生霊となってまで母を待ったその身体と共に空気へとかえっていった。

エピローグ 〜手紙

「石にしてしまってごめんなさいね……」
 白く細い腕を生身の朱居にかざせば、ゆっくりとその身体本来の色を取り戻し、デルフェスの胸に崩れ落ちた。
 まるで、初めて出会ったあの時の様に。
「あれ…? 私…あれっ? 泣いて……」
 消えていったあの朱居の思いが生身の身体に伝わっていたのだろう。止まらない涙と共に、いつも何かがある度に謝っていた事も忘れ、デルフェスに縋り付く様にして彼女は泣いていた。
「病院へ行きましょう? 朱居様」
「えっ…でも…っ!!」
 泣いてしまって恥ずかしいのか、デルフェスからさっと離れた朱居は、いつものようにまた怪我をするのでは、という不安を口にする。
「いいえ、そんな事は御座いませんわ」
「えっ?」
「ふふっ、だって朱居様。 わたくし、付き添って差し上げますもの! ねぇ? 絶対に大丈夫でしょう?」
 綺麗な微笑みを見せたデルフェスは、朱居の手首を掴むと彼女の歩調に合わせながらも夜間病院に向かい、歩き始める。朱居もまた、デルフェスの手に引かれながら、初めて大きな声を自らの意思で「はい!」と言い、ついて行く。

「ん? でも鹿沼さんって…どうして私に親切にしてくださるんですか? この間ぶつかっただけなのに…」
 コンクリートに二人分の足音がこだます中、朱居は改めてデルフェスに問うた。
 もう隠す必要も、彼女を尾行する必要もなくなった制服姿。それらは朱居が病院の待合室に居る時にでも、順を追って話していけば良い事だ。
「それはきっと、知らない所で心配している誰かがわたくしのように沢山居るという証拠ですわ」
 謎解きの様に、安心出来るようになった今はいっぱい考えさせてあげようと、デルフェスはまた小さく微笑んだ。

 そして後日、全てを知った朱居がアイリスの花の絵が美しく咲く紫色の封筒をアンティークショップまで届けに行ったのは、また別の話の事かもしれない。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2181 / 鹿沼・デルフェス / 女性 / 463歳 / アンティークショップ・レンの店員】

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■         ライター通信          ■
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鹿沼デルフェス様、始めましてこんばんは。
超の付く新人ライター・唄の初シナリオにご参加下さりまことにありがとう御座いました。
とても長く、読まれている内に疲れてしまわないかとか、
プレイングはしっかり反映できたでしょうかとか、表現もろもろの心配が沢山御座いますが、
少しでも鹿沼デルフェス様の思い出がまた一つ増えて下さると嬉しい限りです。
気を付けておりますが、
誤字・脱字や何か御座いましたらメッセージ頂けると真剣に受け止めさせて頂きます。
最後に、朱居からの封筒ですが、アイリスの花言葉は[優しい心]という事で、
今回、鹿沼様が朱居優菜という少女の心ごと全て助けて頂けたという感謝の気持ちです。

『 拝啓 鹿沼デルフェス様

先日はどうも有難う御座いました。朱居優菜です。
私は手紙を書く事に慣れていないので、もし間違って失礼な事を書いてしまったらごめんなさい。
貴女のような素敵な女性に出会えてとても嬉しく、これからは皆に相談して病院に行こうと思います。
また、何処かで会えると嬉しいです。私、ずっと待ってますから。

朱居優菜』

この度はご発注有難う御座いました。また何処かでお会いできると幸いです。

唄 拝