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<東京怪談ノベル(シングル)>


人魚姫のBelly Dance

 草間興信所からの依頼で、海原みなもがトルコ共和国の古都イスタンブールに旅立ったのは、まだ梅雨入り前のことだった。
 首尾よく依頼を果たし、おまけの観光も済ませて、みなもは帰ってきた。家族へのお土産を、たくさん抱えて。
 みなもを出迎えたのは、梅雨入り宣言後のしっとりと水分を含んだ東京の空気と、歓声を上げる妹と微笑む姉と、珍しく――本当に珍しく家にいた父と母の笑顔だった。
 ひとつずつ、みなもはお土産を渡す。いずれも、4000以上の店舗がひしめく中東最大の屋根付き市場『グランド・バザール』で、同行者たちに値切るのに協力してもらいつつ購入した戦利品である。
 父には海泡石(メアシャウム)パイプとラク酒を、母にはトルコ石で作られたクロスを。姉には金糸で縁取られた民族衣装を、妹には精緻な銀細工のブレスレットを。
「おや……? みなもはちょっと大人っぽくなったかな? 旅先で何があったんだい?」
 優しく問いかける父の声も、久しぶりだ。
「愛に不安を覚えていらした奥さまと、奥さまの心が掴みきれずにすれ違っただんなさまとの、縁結びをしてきました」
「そうか。それは良いことをしたね」
 にこやかに頷きながら、父はラク酒の瓶を開封する。
 アニスの香りが、ふわりと匂い立つ。
 トルコ特産のこの度数の強い酒は、通常は水割りで飲む。クリスタルのグラスに注がれた無色透明の蒸留酒は、水を注ぐと化学反応を起こしたかのように白濁した。
 ――ライオンズ・ミルク。ラク酒の別名である。
「……不思議」
 目を丸くしてクリスタルグラスを見つめるみなもに、父は笑う。
「何を言うやら。みなもはもっともっと、不思議なことが出来るだろう?」
「不思議なこと――ですか?」
 素粒子物理学に基づいて、ナノ単位で水を操ることも、確かに不思議なことには違いない。
 体感時間6ヶ月をかけて習得した新しい技、『水の鎧』――
 父の講義とレッスンはハイレベルで、ついて行くのにとても苦労したけれど、でも。
(でも、もっともっと、磨いてみたい)
 ローマ時代に造られた貯水池の、古く妖しい水の感触がまだ醒めやらぬ今なら、違う何かが掴めるかもしれない。
 防御でも攻撃でもなく、たとえばもっと、そう――芸術的に。
「お父さん。あの――お願いがあります」
 そしてみなもはささやかな出来心(?)から、水芸向上のためのレッスンを、父に依頼したのだった。

 * *

「みなもの方から練習を希望するとはね。習得中だったときは泣きそうになっていたのに」
「お父さん、お忙しいですか?」
「いやいや。他ならぬみなものためだ。いくらでも協力するさ。ただ――あまり時間はないな。この前の倉庫へは行けないがね」
 などと言いながらも、どこか嬉しそうに父は了承した。
 夜がふけるのを待って、父娘は家を抜け出した。やがてふたりは、近くの公園に到着する。
 住宅街の中にある公園であるが、さして広くない敷地のわりには大きな池を擁している。どうやらその池の水を使って、父はレッスンを行うようだった。
 周囲の家々から降りこぼれる灯で、公園内は深夜でも明るい。
「あの、お父さん……。ここだとご近所にご迷惑じゃあ……?」
「大丈夫だよ。今、一時的に公園にバリヤーを張るから」
 何でもない口ぶりで、父はいつも凄いことを言う。
 しかしみなもにとっては、その凄さは日常のものだった。
「そうですか。じゃあ安心ですね」
 みなもはにっこりと笑う。
 父が軽く手をかざしただけで、空気がさあっと変質し、公園周辺は異空間となった。
 ――そして。
 どこからか、音楽が流れてきた。
 オリエンタルな調べには、何となく聞き覚えがある。
「……これは?」
 イスタンブールでの観光中、みんなでナイトスポットに繰り出した時に見たベリーダンスの……踊り子さんのバックに流れてた曲に似てる?
(だけど、どうして?)
 もの問いたげに父を見る。しかし父は、
「芸術的なショーには音楽が不可欠だからね」
 と、微笑むのみだった。
 その手には――何が入っているのやら、風呂敷包みを持っている。

 * *

「基本があってこその応用だ。まずは『鎧』を纏ってごらん」
 みなもは頷いて、池の水の分子配列を変える。多重にしたクラスターで、ごく薄く、全身を覆う。
 つま先から、髪の一本一本までを。
 銀色に輝く姿に変わった娘に、父は風呂敷包みを広げた。
「よし。それだけじゃ寂しいから、これに着替えてみなさい」
「え? でも、それはお土産……」
 包みの中身は、姉に渡したはずの民族衣装だった。
 淡いブルーの布地に金糸の縁取りの胸当てと、いくすじも切れ込みが入ったスカートの上下。薄いヴェールがセットになっている。
「みなもに着せたいって言ったら、喜んで貸してくれたよ。これは民族衣装というよりは、ベリーダンサー用の舞台衣装だね」
 衣装を手にとってつくづく眺めてから、進められるままに着がえる。本当だ。お店で見たときは綺麗な服だなと思ったけれど、いや、綺麗には違いないのだけれど、身につけてみると……。
 きわどく開いた胸元と、なんとか腰骨で支えているだけのスカート。おへそもばっちり見えてしまう。
 被ったヴェールも半透明で、身体を隠す役には立たない。むしろ妖艶さが際だつばかりだ。
(恥ずかしい……)
「準備はいいね? じゃあ『鎧』の色を変えてみようか」
「色を……変える?」
「水の反射率や偏光率を変化させればいいんだよ。みなもなら簡単だろう?」
「やってみますけど……」
 父に言われるままに、反射率と偏光率を調節してみる。『鎧』は虹のようにめまぐるしく色を変えていく。
「ああ、みなも。せっかくだから髪の色は金色に、肌の色は褐色にするといい」
「せっかくだから?」
 ちょっと首を傾げながらも、みなもは素直に、そのとおりに色を落ち着かせた。
 父が満足そうな笑顔を見せる。
「いいね。本職のようだ」
 ……本職って、何の?
 顔を真っ赤にしつつ、頭の上にいくつものクエスチョンマークを浮かべたみなもは、自分がアラビアンナイト風の踊り子になっていることにまだ気づかない。
「あの、お父さん。やっぱり恥ずかしいです」
「水芸を向上させたいんだろう? 我慢しなさい」
 水芸。そう、水芸のレッスンなのに。
 なのに何故、あたしはおへそを出さなければならないのですか……? 
 
 * *

 深夜の公園で、父の指導はなおも続く。
「音楽をよく聴いて。中東のリズム感に慣れることで、ダンスの姿勢がきっちり習得できる」
 ……ダンス? ダンス、なの、ですか?
「指先に神経を集中させるんだ。鎧で光を集めて――そう」
 ……あのぉ、指からレーザー光線みたいなのが発射されましたが、これでいいんでしょうか?
「いいんだよ。……さて、みなも。前回の復習だ。気体になった水は、さらに高温になるとどうなるね?」
「えっと。原子核さんのまわりを回っていた電子さんが離れていきます」
「そうだね、原子は、正の電荷を持つイオンと、負の電荷を持つ電子とに分れる。そして、双方が不規則に運動する状態になるわけだが」
「プラズマですね」
「よくできました。それじゃ、そのプラズマを音楽に合わせていくつか浮かしてみよう」
 光線を放つ手を休めずに、みなもは次々に球電を作った。球電はふわふわと、思い思いの方向へ移動する。音楽に合わせて、というのは、なかなか難しい。
「ふむ。次はスモークを焚いてみよう」
 ……スモーク? スモークってあの。
「水の圧力を変化させればいいだけだよ?」
 ……理屈はそうですけど。どうしてスモークなのかなっていうのが、あの。
「お父さん。ちょっと小技が多いっていうか、いろいろ違ってるみたいな気がするんですけど」
「物足りないかね。みなもは向上心豊かだね」
 父はふっと笑みを浮かべ、目を細めた。
「じゃあ、プラズマの温度をもっと高めてみようか」
「どれくらいですか」
「数億度くらいかな」
「数億度?」
 みなもの優しい眉が、さすがにぴくっとなった。
「それは、いくらバリヤーを張っていても、今度こそご近所の皆さんにご迷惑です」
「どうしてだね」
「だって、核融合反応が起こってしまいます」
「ははは。物覚えがいいね」

 ……もしかしてあたし、お父さんにからかわれているのでしょうか?

 ――かくして
 純で素直な人魚姫と、果てしない謎を秘めた父親との水芸レッスンは、夜明けまで続いたのであった。
 みなもの水芸がどこまで極められたかは……また別の話である。
 

 ――Fin?