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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


彼女はどちらに微笑むか?


 ――プロローグ

 へーっくしょいっ! と……草間武彦が大仰なくしゃみをしたせいで、彼の混沌とした机は規律を失ってバラバラと崩れ落ちた。草間は一瞬顔を歪めたが、またすぐにくしゃみへ戻っていった。
「お兄さん……」
 だから日頃あれほど生理整頓を心がけるようにと注意を促したのに……言いたげに零は草間を眺めている。
 草間のくしゃみは留まることを知らないらしく、続けざまに五発六発と顔をがくんっと大きく揺らしている。
 その度に机の上の物はガラガラと落ちる。まず缶ビールの空き缶、草間を隠すほどに積まれている資料類(彼がゲンナリすることにほとんどが怪奇現象についての捜査ファイルだ)その後に、ボールペンやホッチキスがなだれ最後にいまだ使われているレトロな黒電話の受話器が落っこちた。
 零は、あまりのくしゃみの連発に小言を言うのも忘れて兄を見ているようだった。

「お風邪ですか」
「へーっくしょっ、くしょ、ちくしょ、違う、クソなんだコレ!」
 草間は乱れた髪を慌てて直しながら、零を呼ぶ。零は大きな白いリボンを揺らして草間の机へ寄った。
「まあ……」
 草間の片手には白い封筒が握られていた。草間がくしゃみと共に握り締めたからか、すっかりクシャクシャになっている。
 零はなんでもない顔で草間の手から白い封筒を受け取り、洋物の封筒の中身を覗き込んだ。まだ手紙は入ったままだ。
「読んでいいですか」
「へっくしょっ、ちくしょう、お前にはこの辛さがわからないのか!」
「え? どうしたんです」
「そんなのただの不幸の手紙だ! 封筒の中にわんさかコショウを入れやがった」
 零がきょとんとして草間を見つめる。草間は構わずくしゃみを連発した。
 草間は完全に、してやられていた。
「ああ、だから、鼻の粘膜にコショウが付着してお兄さんはそんなにくしゃみをして、コショウを排出しようと」
「どうだっていい! いいから、それをゴミ箱へ捨てろ」
 零は草間に背を向けた。
 ゴソゴソとワンピースから出た腕が動いている。おそらく、中身を見ているのだろう。
 そんな必要なんかあるか。草間は思わず声を荒げた。
「んなもん、捨てろって言って」
「お兄さん」
 草間は零の緊張の走った一喝で口をつぐんだ。
「……これ、果たし状ですよ」
「はあ?」
 零が振り返ると、またコショウが舞う。へーっくしょっ、という草間の鼻と口を零が片手で軽く押さえる。
 草間はむず痒い鼻をぴくつかせながら、そのコショウまみれの果たし状を読んだ。
 日本語で書かれている。

『名探偵草間くん
 明日夜十二時、帝都東京博物館にて展示中のダイヤモンド『楊貴妃の瞳』怪盗トリッキーズがいただきに参上します。警備の怠りがないようご準備を ―― doubt』

 零の手が離れたので、草間は自分の鼻を自分でつまんだ。
 鼻声になりながら、眉を寄せる。
「これは、果たし状じゃなくて予告状っていうんだ……って、はあ? 予告状だって?」
 草間は勢いに任せて途中で鼻から手を離した。そのお陰で、もう一度大きくコショウを吸い込んでしまい大きなくしゃみをした。
 ひとしきりくしゃみの嵐が襲ったあと、心底疲労した様子で草間は呟いた。
「バカバカしい、最悪のイタズラだ。くそ、煙草も切れやがった。おおい、零」
「どさくさに紛れて煙草を買いに走らせようと思っても無駄です。今月は切迫しているんですから」
「そんなのどうだっていいんだ。あんなくだらないことは放っておいて、お前は煙の出る物を買ってきなさい」
 零は両手に白い封筒と白いカードを持ったまま、口を尖らせ憎らしいぐらい可愛らしく草間を睨んだ。
「本当に盗まれてしまってもいいんですか」
「バカ言いなさい、盗まれるもんか」
 草間は渋顔のままだった。
 草間兄妹がしばらくじいと睨み合っていると、興信所のドアがぎいと開いてしもぶくれの男が転がり込んできた。
 そしてその男は、草間達の視線を受けてへっくしょんとくしゃみをした。


 ――エピソード


 美術館は大概大きな公園に面して建っている。
 それは、帝都東京博物館も同じだった。公園は都会をいびつに切り抜いた形をしていたが、緑に囲まれ、噴水がある、憩いの場所だった。
 デートスポットにもなっているのか、カップルもちらほら見受けられる。
 草間・武彦とシュライン・エマはそんな光景をぼんやりと眺めていた。時間は丁度午後十二時だった。シュラインは七部袖のワインレッドのシャツを着ている。草間は、いつもの麻のジャケットに青いシャツを着ていた。
「こういう場所もいいわね」
 事態にそぐわぬことをシュラインが言った。
 シュラインは零の買ったソフトクリームを持っている。その零は、助っ人に呼んだ十ヶ崎・正と博物館の間取り図や資料を取りに行った。零が帰ってくる頃には、シュラインの手元のアイスは溶けてしまうだろう。
「食べたらどうだ」
 草間の短い忠告。
 シュラインは困った笑顔で、ソフトクリームを口へ運んだ。
 暑い日差しに、手庇を作っていた草間は片手をベンチへついて、シュラインの持つソフトクリームへ顔を近付けた。一口食べようとしたところへ、突然アイスが消える。ベチャという音がしたアスファルトを見ると、無残なそれの残骸が見える。
 シュラインへ非難の眼差しを向けると
「……ごめんなさい」
 シュラインが小さな声で呟いた。
「どうした?」
 思わず怪訝な顔になって、下からシュラインの顔を見上げる。シュラインは照れ臭そうに草間の額に手を当てて、そっぽを向いた。
「零ちゃんが来たら、新しいの買ってあげましょ」
「まあ、そうだな」
 草間の納得がいっていない声。
 草間は体制を元に戻し、また手庇を作った。
「それにしたって、暑いな……」
 季節はまだ初夏だった。しかし日差しは夏のものと変わりがないように感じる。
 ジャケットの胸ポケットからマルボロを取り出す。癖で、トントンと指で箱を叩いてから一本口にくわえた。ジャケットのポケットを総ざらいして、百円ライターを見つける。さっと口許を囲って火をつけた。

 パタパタと十ヶ崎・正が駆けて来る。零はついて来ていないようだ。
「研究室を貸してくれるそうです」
 正が言う。彼は尻のポケットからハンカチを出して、額の汗を拭った。それから、少し清々しい顔で太陽を仰ぐ。草間はその仕草を見て、正は夏が嫌いではないのだろうと思った。草間だったら、こんな日に暑苦しい太陽なんて見上げない。
 草間はよいこらと腰を上げながら、正に訊いた。
「警察は? いい顔しないだろう」
 博物館へ訪ねて行って、草間達はすぐに追い返された。
 だからこうして、公園で作戦会議になっているわけだ。
「知り合いが直接貸してくれるって。ほら、僕そっち関係だから」
 十ヶ崎・正は美術商を営んでいる。美術商と言っても絵だけを取り扱っているわけではないのか、『楊貴妃の涙』の話をしたら飛んで来てくれた。
「ダウトって誰なんです?」
 正が突然訊ねてくる。草間はタバコを片手に持って、ベンチ横の灰皿へ押し付けながら答えた。
「ダウトなんていうのは悪ふざけらしい……。実際はKをコードネームにしている怪盗というのが世間的な見解だ。細かいことは置いておくことにして、ダウトと名乗って仕事をするのは今回がはじめてのようだし、予告状なんてフザケタ真似をしたのも今回がはじめてだ。
 あいつの見解を鵜呑みにするなら、あまり手を出したい奴じゃあないな」
 草間は苦い顔をした。
「あいつって?」
「翼くん。……エスパーみたいな力があるのよ」
 蒼王・翼の能力を説明し尽くすのは無理がある。百人中嘘だと言うだろうし、全員が語った人間の頭を疑うだろう。蒼王・翼の能力は、本人に会わなければわからないことが多いのだ。
 正は素っ頓狂な顔をしてから、眉根を寄せて疑わしそうに訊き返す。
「そんなこともわかるんですか、超能力って
「特殊な例だな」
 草間はシュラインをかすかに振り返った。シュラインは小さなハンドバックを開けて、中から二枚の紙を取り出した。
 一枚はシュラインが訳した日本語の物、もう一枚は翼がメールで送ってきた通称ダウトの略歴だった。
「十ヶ崎さん、英語は平気だったわよね」
 シュラインは言いながら、翼の英語で書かれた原書を正に渡した。向こうのパソコンから直接メールを書いたから、アルファベットの機能しかなかったのだろう。興信所には英語のできるシュラインがいるから、問題がないと踏んだのだ。
 正は紙を受け取り、草間達を促しながら歩き出した。
「それにしても……っくしゅん」
 正も予告状を見たときのコショウにやられたのだろう。草間は少し笑いたくなった。他人事なら面白いで済んでしまうのだから、薄情と言えば薄情か。
 正の後を追うように草間も歩き出す。草間の隣にはシュラインが並んでいる。シュラインは少し不安そうな様子だった。
「……戦争屋だったんでしょう? その……ダウトって」
「俺に聞かれても。訳したのはお前だろ」
「そうなんだけど。特殊部隊ともあったわ、そう考えると、例えば窓をプラスチック爆弾で破って中にいる全員を射殺ってことだって考えられるわけじゃない?」
「物騒だな、そりゃ怪盗じゃなくて殺戮者だ」
 草間が片手をシュラインへ出す。シュラインは手に持っていた紙を草間に手渡した。
 ガサリ、と開く音。するとすぐに、草間がその紙をシュラインへ返してきた。
「俺が欲しいのはデータ」
「え?」
 草間はピラリと紙を広げてみせる。そこには白い紙に青い文字で、『トイレットペーパー特売』と書いてあった。
 シュラインは慌ててハンドバックの中へ手を突っ込み、訳したばかりの紙を草間に渡した。代わりに特売のチラシを回収して、四つ折にしてしまっておく。
 翼の忠告は簡単だった。
『関わるな』
 である。
 彼が言うには『楊貴妃の涙は盗まれない』のだという。
 草間だって、依頼が来なければ関わろうとは思わなかっただろう。けれど、草間と同じくコショウを受け取った博物館館長が依頼を持ってきてしまったのだから仕方がない。
 断ろうとも思ったが、キッチンからわざと大きく話しているだろうシュラインの声が響いてきてやめた。
「この依頼断って宝石を盗まれたら、事務所の信用ガタ落ちね。武彦さんの煙草の数が減って身体にもいいってわけか」
 暗に断るなと言いたいらしい。
 
「どうしてダウトはうちみたいな貧乏事務所を選んだのかしら……」
 シュラインが呟く。草間がじろりとシュラインを睨んだ。
「新聞で読んだ、タウンページでたまたま見た」
 草間は興味がなさそうに上げ連ねる。
「翼くんの資料でも、私の調べでも、ダウトは予告状を出すタイプの怪盗じゃないらしいわ。今回に限って出してるのね……ゲーム……かしら。もしかすると、トリッキーズに草間興信所を快く思ってない人がいるとか」
 正はうんうんと大きくうなずきながら
「ありえますね」
 と力強く言った。
「……それ、どういう意味だ」
 草間が不服そうに眉根を寄せる。

 研究室は多少散らかっていたが、学芸員達は警察への対応などで忙しいからか、人がいなかった。奥へ進むと館長室があった。四人は研究室の椅子をガラガラと引きずって近くへ寄せ、座った。
 シュラインは、メモ帳を取り出してペンを走らせた。
『盗聴器がないとは限らない、これからは筆談で作戦を練りましょう』
『作戦と言っても、警察が警備をするならやることはない』
 草間がシュラインのメモ用紙に殴り書きをする。
『警察は事件がないと動けない組織ですから、きっと外に数名警護をつけるぐらいで、なにもしないでしょう。今は一般人だって入れる状態なのですから』
 博物館は閉館すらしていなかった。今回の企画が当たっていたからだろう。
『結局、私達が守るしかないってことね』
『どうやって』
 シュラインは不敵に笑って、零を見た。つられるように、男二人も可憐な少女を見やる。
『零ちゃんに本物を持たせるのが一番いいわ。本物には細工をして偽物に見えるようにしておくこと。備えあれば憂いなしよ』
 たしかに。零の素性を知っている三人は目を合わせてうなずいた。
 
 
 博物館の白い床が、『楊貴妃の涙』の回りだけは赤い絨毯に変わっていた。
 館長は草間達の提示した案に、半信半疑で同意した。同意するしかなかった、の方が正しいかもしれない。
 時刻は夕方四時半。警察も帰っていった。
 メモ魔の正がチェックするように訊く。
「さっき、シュラインさん出て行きましたけど、何しに行ったんですか」
「え? 化粧直し……だけど」
「本人かどうか確認するものは?」
 厳しい顔つきで正が訊く。シュラインが困りきった表情で草間を見た。草間はうーんとうなってから、質問をした。
「一番好きなシリーズは?」
 意図のわからない台詞だった。けれど、シュラインは当たり前のようにすぐに切りかえした。
「The Next Generation」
 シュラインはスタートレックシリーズのマニアである。語らせたら二晩は寝られない。
「十ヶ崎、こいつぁ本物だ……」
「そうなんですか?」
 草間はぞんざいにうなずいた。それから、三人を置いて歩き出した。
 正が慌てて訊く。
「草間ー、どこへ行くんです」
 草間は振り返って立ち止まり、口に人差し指と中指を当ててから、唇から指を離した。煙草を吸いに行くアクションをしてみせたようだ。
「そんな場合じゃないでしょ!」
「こういうところは喫煙者に優しくない……」
 言い返した草間が出入り口へ向かうと、喧騒が聞こえてきた。草間が弾けるようにシュラインを見る。

「エマ」
「足音、声、……ぐちゃぐちゃだわ。これはまるで、バーゲン会場」
 シュラインが叫んだ途端、出入り口から大勢のパワフルなおばちゃん達が会場へ押し入ってきた。
 出入り口付近にいた草間などグチャグチャどころではない。もう、どこにいるか姿さえも確認できなかった。
 楊貴妃の瞳におばちゃんが体当たりをする。ジリリリリという警報が鳴る。正は草間の姿を探すと同時に、楊貴妃の瞳を目で追っていた。伸びた手によって簡単に取り去られた(もっともケースを開けるのも至難の技のはずだから、ただおばちゃんが持って行ってしまったのではないだろう)楊貴妃の涙を見つめる。
 正の隣のシュラインが、手にビラを握り締めている。
 よく見ると、おばちゃん達はそれと同じビラを持っているようだ。
「シュラインさん、なにが……」
 正が短く訊いて、シュラインの隣に寄った。
 シュラインは手に持ったビラを正へ見せた。
 『帝都東京博物館、太陽の間にてロールティッシュ十二個入り百円。お一人様四つまで限定』
 誰かの声が号令をかける。
「ここじゃないわ、あっちの部屋よ!」
 そうして、おばちゃん達は楊貴妃の瞳を持ったまま大移動をしていった。
 残されたのは眼鏡がずれて、途方に暮れた表情の草間・武彦だった。頭はぐちゃぐちゃで、麻のジャケットもシワだらけである。
「クソ、ダウトめ!」
 正がおばちゃんを追いかけようと、出入り口へ向かう。
「零ちゃん」
 シュラインが短く呼んだ。零はワンピースの上のカーディガンをぎゅっと掴んで、シュラインにコクリとうなずいてみせた。
「十ヶ崎さん、まだダウトはやってくるわ……きっとね」

「……結局、ダウトって予告時間に正確とかそういう紳士的なところはないんですね」
 正がむうと口を膨らませて言った。
 夜食の時間だった。四人は壁際に腰をかけて、シュラインの持ってきたゆでタマゴを食べている。
「予告状はゲームで出しているんだろうな。他にダウトが行った犯行例はどれも単独秘密裏に実行し、確実に盗んでいる。おばちゃん集団にしたって、遊んでいるとしか思えない」
 草間は零の隣に座りタマゴを両手でもてあそんでいる。零を挟んで正、草間の逆隣にはシュラインが座っている。
 手際よく草間はタマゴを剥いて、塩を振りかけ中身を確認せずにパクリと食べた。
 
「そこまでよ、ダウト」
 ゴクリ、と草間がタマゴを飲み込む。びっくりした顔で、草間がシュラインを見やった。シュラインは草間の片手を掴み、じろりと草間・武彦を睨みつける。
「調査不足のようね……、武彦さんはどこへやったの。武彦さんを出しなさい」
 草間はひょいと捕まれている方の手を外し、片手がなくなった状態で後退って三人と距離を取った。
「草間探偵は男子トイレの用具入れでお休み中ですよ、美人さん」
 草間は急に高い声で言った。明らかに、人が変わっている。零が戦闘態勢に身構える。そこへ、バババババと荒っぽい音が近付いてくる。
「どうして、俺が草間探偵じゃないとわかった?」
「武彦さんは、半熟タマゴはけして食べないのよ」
 赤いコート姿の男が現れる。さっきまで草間だったものが、いきなり異質なものとして登場した。赤い髪はゆるく長く、黒い瞳が間接照明を受けてオレンジ色に光っている。
「それは、知らなかった。次からは気をつけるよ」
「次はないわ」
「どうして、宝石のありかがわかったんだ」
 正の怒気の篭った声が響く。ダウトはおかしそうに肩を震わせた。
「シュライン女史が、あのとき零嬢を見て確認をとったからですよ」
 零がふわりとダウトの影を掴む。ダウトは小さな男だった。零よりももっと現実的な素早さでダウトは動き、正に後ろを取られた。片腕をダウトが振り上げる。一瞬の間の後、ダウトの身体が宙を舞い、正の一本背負いが決まった……かのように思われた。正掴んでいるのは、ダウトのコートだけだった。
 ダウトはコートを脱いだ黒装束で、零が近付いてくるのを牽制するように、すす、すすすと後退する。ババババという音は博物館の太陽の間の前まで来ていた。ダウトは瞬間に出入り口から外へ飛び出した。三人はダウトを追った。ダウトは金髪の運転する大型バイクの後ろに反対向きに乗り、三人に笑顔で手を振ってみせた。
「零ちゃん、宝石は……」
「私、持ってます」
 大型のバイクが階段を疾走して行く。
 正が悔しそうに吐いた。
「ちくしょう、警察は何やってるんだよ」

「ちょっと……零ちゃん」
 宝石を片手に飛び出して行こうとしている零をシュラインが止める。
「それ、偽物の方じゃない?」
 零は『楊貴妃の瞳』に視線を落とした。正も同じようにする。楊貴妃の瞳は、キラキラ輝いて美しい。
 
「あ」
 と零の小さくか細い悲鳴が上がる。
 やられた。本物は、持ち去られてしまった。
 
 
 ――エピローグ
 
 反省会は続いているものの、どうやら『楊貴妃の瞳』は盗まれなかったらしい……のだ。
 なにがどうなっているかわからないのだが、ともかく盗まれなかったらしい……のである。
 その謎は翼のとんでもなく普通な言葉から立証された。
「だから言っただろ、盗まれないって」
 草間は不機嫌極まりない。国際電話の翼の言葉を聞いても、機嫌を直そうとはしない。ぶすっとした顔のまま、スパスパと煙草を吸うばかりだった。依頼人も前金プラス後払いの依頼料を支払ってくれたので、草間興信所はわずかばかり潤っているにも関わらずだ。
「まず翼、どうしてなんで、盗まれなかったなんて嘘八百が通るんだ」
 と電話口で草間が憤る。
 シュラインは冷たい麦茶を四人分お盆に載せたまま、途方に暮れた顔で草間を眺めていた。
「シュラインさん?」
 ソファーに座っていた零が声をかけると、シュラインは我に返った。
 麦茶を零と正の前にコトリ、コトリと置きながら
「翼くんならやりかねないと思うのよ」
 と呟く。正は意味が汲み取れなかった様子で、シュラインを真っ直ぐ見つめて訊いた。
「どういうことです?」
「……言ってもいいけど、笑っちゃ嫌よ」
「もちろんですよ」
 鼻息荒く正は意気込んだ。シュラインは、困ったように片手を頬に当てて
「歴史の書き換えをしたんじゃないかな、って思って」
 聞いていたのか、草間が机から大声で否定する。
「そんなことあるわけあるか!」
 シュラインは苦笑して、壁に貼ってある『怪奇厳禁』の文字をじいと意味ありげに眺めた。
 草間と同じように、正が手を振りながら口をへの字に曲げた。
「ないですよ、ないない」
 「そうよねえ」とからから笑いながら、シュラインはなんとなく考える。
 怪奇現金なのだ、この事務所はいつの間にか。
 翼の能力に救われたことは間違いなかろう。複雑な気持ちになりながら、シュラインは大声で翼の言葉を掻き消している草間の机にも麦茶を置き、草間の汚い机に腰かけて自分も麦茶を飲んだ。
「ダウトね、なんだか、もう一度会うような気がするわ」
 ぼんやりと言ったシュラインに正が立ち上がって同意した。
「今度こそ、捕まえて説教してやりましょう」
 両手を握り締めて正に、零とシュラインはくすくすと笑った。


 ――end

 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2863/蒼王・翼(そうおう・つばさ)/女性/16/F1レーサー兼闇の狩人】
【3359/リオン・ベルティーニ/男性/24/喫茶店店主兼国連配下暗殺者】
【3419/十ヶ崎・正(じゅうがさき・ただし)/男性/27/美術館オーナー兼仲介業】

【NPC/ダウト/男性/24/怪盗】

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■         ライター通信          ■
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「彼女はどちらに微笑むか?」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
今回はそれぞれのプレイングと筋がゴチャゴチャで、こういう形になってしまいました。
では、次にお会いできることを願っております。

 シュライン・エマさま
 
 毎度どうも! ご参加ありがとうございます。
 シュラインさんの先を読んだプレイングに、ドキドキハラハラしながら書かせていただきました。
 少しでもご希望に添えていれば幸いです。
 ご意見がありましたら、お気軽にお寄せください。
 
 文ふやか