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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


砂浜狂詩曲



「眠い」
金蝉の不機嫌な呟きが車内に響けど、何処吹く風。
武彦が笑いながら、「結構、穴場だかんなぁ。 思いっきり泳げるぜ?」と言えば、翼が「へぇ。 それは楽しみだな。 あ、でも、立花? 一人で遠くへ泳いでいっては駄目だよ?」と言い、この所子供が絡んできて一度も良い思いをした事のない金蝉の機嫌を一際悪くさせる存在、月偲立花が「うん! あのね、立花、浮き輪とね、ビーチボール持ってきたんだよー?」と嬉しげにはしゃいだ。
白いワンピースを着、細い足をバタバタさせて、「ねぇ、お魚さん一杯いるかなぁ?」と可愛らしく問い掛けてくる立花。
そんな立花に、翼は目を緩ませ、とろけるような微笑みを見せながら「立花がいい子だったら、きっとお友達になってくれるよ」と言う。

夏の盛りともいえる、7月の終わりに、金蝉と翼は武彦に海へと誘われていた。
丁度、第12戦と第13戦の間のオフを利用して日本に戻ってきていた翼は、「海か、久しぶりだなぁ」なんて乗り気で、人混みも、暑さも、太陽の光ですら、それ程好まない金蝉は、心から断るつもりだったのに「じゃ、金蝉も日程をあけておいてくれよ?」なんて言われて、いつもいつもいつもの如く、結局は連れ出され武彦の運転するレンタカーの中で揺られている。
あまつさえ、翼は、知り合いの娘だかなんだか知らないが月偲立花などと言う少女を連れてきており、この時点で既に「もう、絶対なんかある。 この先、俺が、また面倒事に巻き込まれて、眉間に皺を刻んでいる姿が、もう目に見える」と心の中で呻いていた。

「サンドイッチを作ってきたんだ。 あと冷たいレモネードも」
そう嬉しげに言う翼に、「キャァv」と歓声をあげ、それから立花が「立花もね、お世話になるんだからって、手作りのクッキー預かってきてるの。 すっごい美味しいんだよ?」と誇らしげに言えば、武彦が「へぇ、そりゃ、どっちも楽しみだ」と嬉しげに答えている。


なんだ、この空気は?


金蝉は、なんとも言えない気持ちになりながら背もたれに全身を預ける。
なんというか、平和過ぎて、人々がぼんやりと想像する家族の理想の団欒風景のようにすら見える。
翼が母親で、立花が娘、父親が武……と、そこまで考えて、余りの胸糞悪さと、自分の想像力にガクリと項垂れた。
そんな金蝉に「あれ? 金蝉気持ち悪いのか?」と心配げに翼が問い武彦は「どーせ、不健康な生活が祟って、朝から行動すんのに体がついてけねぇんだろ? うあ、じじぃみたい」と巫山戯た口調でからかってくる。
立花は(これも気に入らない事の一つなのだが)どうも、金蝉の事を怖がって(といっても、初見で金蝉に懐く子供は今までいた試しがない)側に寄らず、今も怯えたような視線でチラリと視線を送るだけで何も言わなかった。
「うっせぇ、黙って運転しやがれ」と、武彦の座る運転席の背中を蹴飛ばし「ふぅ」と溜息を付いて目を閉じる。
海まで、あともう少し。
その間、金蝉は眠って過ごす事に決めた。



「っわぁぁ!」
嬉しげに叫び、、跳ねる立花。
その立花の手を握って、翼も「奇麗だね」と感嘆の声をあげる。
「穴場なんだよ」という武彦の言葉に嘘はなく、人影もまばらで、出店などはないが、その分ゴミも全く落ちていない、キラキラと光る海と真っ白な砂浜が金蝉の目に染みた。


「んじゃ、まず、ビーチパラソル立てて、荷物降ろそうぜ?」
武彦の提案に「よーし、立花、お手伝いだ!」と翼が立花に声をかける。
嬉しげに頷き、翼と共にレンタカーから荷物を降ろすのを手伝う立花。
金蝉も、武彦に「俺、先にいって、適当な場所見付けてくるから、荷物運んできてくれ」と言われ、翼には「じゃ、これ運ぶの宜しく」と重いクーラーBOXを託された。
金蝉は「はぁ」と一つ溜息を吐き、砂浜へと歩き出す。
翼は、その隣を歩きながら「君もたまには、大自然ってものを感じてみるのも良いんじゃない?」なんて、悪戯っぽい表情で言うと、「あー、ここの風は気持ち良い。 涼やかで、優しい風だ」と、伸びをした。


流石の金蝉も海にきて和装という訳にもいかず、大きめのシャツに短パンなんて今までにない姿をしながら、しかしそうしてると普通の若者っぽいなぁ、なんて武彦に言われている。
確かに、妙な迫力はあれど、端正な容貌をし、金色の髪を風に揺らしている金蝉は、今風の格好をしていると、周囲に張っている壁の存在が薄くなるせいか、こういう穴場の海を好んで訪れているサーファー風の女性達からチラチラと注目を浴びている。
翼と立花はこの日の為に買ったのだという、水着姿を披露してくれた。
立花は、パステルカラーの可愛らしいワンピース型の水着で、本人にとてもよく似合っており、武彦に「お! 可愛いな」と誉められ、今まで翼にべったりだったのだが、初めてニッコリ笑いかける。
銀色のセミロングの髪を、水着とお揃いの色のボンボンで括っており、ピョンピョンと跳ねるとその髪が尻尾のように揺れた。
翼は、チューブトップのシンプルなデザインの水着で、鍛えられた無駄のない筋肉が女らしいラインを損なう事なくついており、いつもは皮パンなどを好んで穿いているために知ることの出来なかった、見事な足の美しさも露わになっていた。
「どうだ?」
そう言いながら胸を張る翼。
「いつもいつも、男に間違えられるが、これだったら大丈夫だろう?」なんて嬉しげに言う翼に、武彦は素直に「おお、見違えたぞ」なんて親指を立てているが、金蝉は、少し見惚れた自分が照れ臭いような、気恥ずかしいような気持ちになり、「そうだな。 ボディビルダーの女くらいには見えるな」といらん事をいって、思いっきり睨まれた。
「じゃ、泳ぎにいくか?」
ワクワクした子供のような表情で武彦が言い、立花と、翼が揃って頷く。
先程必死で武彦が膨らませたビーチボールを抱え立花が「バレー! バレー!」と嬉しげに提案した。
そんな立花を「準備体操が先だよ?」と諫め、「その次がビーチバレーね。 どうする? 丁度2対2だけど、チーム分けはジャンケンにする?」と翼が言うので、金蝉は不機嫌な声で「あぁ? 面倒臭ぇよ。 俺はここで、荷物番でもしながら見てるから良い」と言い放った。
思わず顔を見合わせる武彦と翼。
武彦が、「まーた、金蝉、そーいう事言う。 いいか? 海に来たら、泳がないと損じゃねぇか? 良いか? 海へ来て泳がないっつうのは、ドラえもんなのに一度も、道具を出してくれない話に近い、物足りなさがあるんだよ。 絶対、後悔するぜ? あの時、どこでもドアを使えば良かったって」と意味の分からない事を言い、翼も「折角なんだから、君みたいな人間も健全な空気とはどのようなものであるかというのを感じた方が良いよ」とナニゲに失礼な事を言う。
立花ですら「…海、遊ぶの楽しいよ?」とオズオズと言って来たので、金蝉は「てめぇら、いいか? よぅく考えて見ろ? 海・青空・爽やかな風、想像しろよ?」と、人差し指を立てて言う。
思わず金蝉の言葉に頷き、まさに今いる開眼の情景を頭に思い浮かべる三人。
そんな三人に、半眼になった金蝉がボソリと言った。
「そこに俺がいる」
「「「うっ……」」」
頭の中に広がる爽やかで、燦々とした光景の中に、強烈に浮いてしまう金蝉の姿。
「……どうだ? 辛いだろう? 似合わねぇだろ?」
確信を持った声で言われ思わずコクンと頷いてしまう三人はそれぞれに、
「辛いというか、最早、恐怖映像の域に達する光景だな」
「なんていうか、ごめんなさい金蝉。 って、訳もなく謝りたくなったよ」
「……可哀想」
と呟き、暗い表情で、「分かったよ。 無理言ってすまなかった」と翼が言った。
そして、トボトボと海に向かう三人の後ろ姿に「いや、てめぇ達が落ち込む事じゃないし、そこまで落ち込まれた俺が、なんか落ち込みたい気分になるし」なんて感じれど「よし。 今回は、切り抜けた」と密かに安堵する金蝉。
しかし、そんな金蝉は甘いとしか言いようがない。
数メートル進んだ地点で、顔を見合わせボショボショと何か言い合った翼と武彦。
ニッと笑い合うと、いきなり同時にこちらに駆け寄りながら、「金蝉ーー! やっぱ泳ごう」と翼が快活に言い放ち、座り込んでいる金蝉の体をヒョイと抱え上げた。
幾ら翼が女性にしては背が高く、鍛えているとはいえ、成人を越えた健全な肉体を持つ金蝉の体を抱え上げるなんて芸当出来る筈がない。
思わず目を見開き、「テメェ! 能力使いやがったな!」と喚けば、チロっと舌を出し、「こうでもしないと、君、海へ入らないだろう?」と翼は言いながら、トットットと人間の躯を支えているとは思えない身軽さで海へと駆け出した。
(吸血鬼の能力、こんなんで使うんじゃねぇよ!)と思えど、言っても仕方がないのだろう。
武彦も、「まぁ、一遍海に入りゃあ、どうって事ないぜ?」なんて言いながらその隣を歩く。
正直、金蝉の体を抱えて歩く翼の姿は大層目立ったが、人が少ないせいだろう。
殆ど騒ぎにもならず、ワクワクとした立花の視線に迎えられて金蝉は海へと放り出された。
派手な水飛沫を立てて、浅瀬に尻餅をつく金蝉の姿に、キャッキャッと立花が手を打って楽しげに笑い、武彦が腹を抱えて笑うのが見える。
「ボッコボコにしてやる」
そう唸りながら、水浸しになった髪をフルフルと振って水を飛ばし、海から立ち上がり掛ける金蝉を見下ろし翼が満面の笑みで言った。
「な? 気持ち良いだろ?」
翼に、そんな風に言われると、何も言えなくなって、金蝉は一度溜息を吐くと、「バレ−……」
「ん?」
「ぜっっっったいに、武彦とはチーム別れさせろ」とだけ、告げた。

金蝉の要望もあり、ビーチバレーを金蝉と翼、武彦と立花のチームに別れて楽しむ。
最初は、つまらなそうにしていた金蝉や、翼と別れてしまった事に不安げな気持ちになっていた立花も、金蝉は武彦にボールを頭にぶつけられた時点で、立花は、翼や武彦が楽しそうにボールを打ち合ってる姿を見て、ビーチバレーに夢中になる。
その内、「よし、立花! スーパーサーブだ!」なんて、言ってくる武彦に「うん!」と元気いっぱいな返事をしながら、立花が懐き始め、最後は頭にボールをぶつけられたお返しに、武彦の顔面に金蝉が力一杯ボールを叩き付けて、お終いになった。
負けた方が、近くのコンビニででアイスを購入してくると言うことで、惨敗した武彦が「じゃ、立花は翼と一緒にお昼の用意な?」と言いながら、砂浜を立ち去る。
翼は立花とおままごとのように、サンドイッチや武彦の妹が持たせてくれた唐揚げ等の弁当を取り出しながら「喉渇いただろ? レモネード? それとも、麦茶にするか?」と問い掛け、「ビール」と返ってきた答えに、ガクリと脱力した。
「あのねぇ、子供の前だよ? それにここまで来て、お酒なんて飲まなくていいだろう? ねぇ?」と、立花に同意を求め、その瞬間固まる。
そんな翼の様子に「どうしたんだ?」と言いながら、立花に視線を向ければ、そこには真っ白な子狼がチョコンと座っていた。
「な?!」
と叫び声を上げる金蝉を制し、慌てて覆い被さるように翼が狼を隠す。
「こ、金蝉も! 金蝉も、立花を隠して!」
なんて、言ってくるので金蝉は「あ? え?」と声をあげながら、それでも翼の体では覆いきれない部分を請け負おうとバスタオルを引っぱり出し翼を抱きすくめるように、二人で折り重なって、立花を隠す。
翼と金蝉は抱き合っているカップルを装い、必死で立花が一目に触れないように、努力した。
翼の剥き出しの腕や、腹が金蝉の体に触れるが、そんな事には構っていられない。
注目を引かないように、顔を伏せつつ小声で翼に怒鳴る。
「どういう事だ、これは!」
金蝉がそう問えば、間近にある翼の顔がすまなそうに眉尻を下げ、「言い損ねてたんだけどね、立花は人狼の血を引いていて、時々、狼の姿に戻っちゃうんだ」と言い、立花が「キュフン」と可愛らしく鳴いた。
「テッッメェ、なんでそういう事を早くに言わないんだ!」と言えば、翼は「だって、言えば、君とてつもなく面倒臭がるだろ? 行かないなんて言って欲しくなかったんだよ」と拗ねたように唇を尖らせる。
そんな翼を援護するように「キュンキュン」と鳴く、立花。
「あったま痛ぇ」と金蝉が呟くと、頭上に影が差し、ツと視線を上げれば「へぇぇ? 盛り上がってんなぁ」と楽しげににやけた表情を見せる武彦の姿が見えた。
確かに、こうやって抱き合っていれば傍目には、熱愛中の恋人同士に見えるに違いない。
白いビニール袋は冷たいアイスが入っているせいだろう。
汗をかいて、砂浜にポタポタと水滴を落としている。
「クーラーボックスへ入れるぞ?」
と武彦が言ったので翼が「頼むよ」と答え、それから「君、何か誤解してるみたいだけどね?」と言いながら、立花を抱えている腕を少し開ける。
しかし、そこには、もう元の人の姿に戻っている立花かひょこんと顔を覗かせて「暑いよ、翼」なんて言い、武彦は「何か、仲の良い親子みてぇ」と、益々金蝉の気に入らない事を言って笑った。


武彦は、先に翼から立花が狼に変身する体質である事を聞いていたのだろう。
「んじゃ、また変身したら、二人抱き合って隠せばいいじゃん」なんて、他人事のように言い、金蝉に殴られた。


「武彦ーー! 泳ごう!」
昼食を済ませた立花が浮き輪の中にスッポリ収まり、飛び回りながら武彦の腕を引く。
武彦は「了解、お姫様」と笑いかけると、「じゃ、ちょっと行ってくるわ」と立ち上がった。
いつのまにあんなに懐いたんだろう、なんて翼は不思議に思いつつ、それでも「あんまり沖へ行かないように」と注意し、武彦と立花は「競争しよう」なんて言い合いながら砂浜を一直線に駆けていった。
「大きな子供と、小さな子供だ」
と穏やかに笑う翼。
金蝉は、ゴロリと既に寝っころがり、「っつうか、武彦のがガキだな。 多分」なんて馬鹿にしたように笑う。
「結構良かっただろ?」
翼が、金蝉を見下ろしながら言った。
「海。 一緒に来て」
金蝉は、「ハッ」と鼻で笑い、それから「ま、暇つぶしにはなったかな」と呟く。
「素直じゃないね」
と笑いながら、「エイ」と寝転がってる金蝉の腹の上に頭を置いて、翼も横になった。
「……重てぇぞ」
と文句を言う金蝉に「鍛え方が足りないね」なんて、憎まれ口を聞いて「あーー、気持ち良い」と笑う。
金蝉の呼吸で上下する腹の緩やかな動きが気持ち良くて、体を横に倒すと、金蝉を見上げながら言った。
「僕がいない間、何してた?」
「あ? まぁ…いつも通りだな」
無愛想に金蝉は答え、「てめぇこそ、レースの調子はどうよ?」と問い返す。
「ふふん。 愚問だね。 不調という言葉は、僕の辞書にないよ」と不敵に答え、それから「でも、ちょっと疲れたかな」と呟いた。
「やっぱり、僕は日本、好きみたいだ。 女性は可愛いし、食べ物も口に合うし……」
「合うし?」
金蝉の漆黒の目と、翼の快晴の空よりも蒼い目がぶつかり合う。
「………良い天気だね」
翼が、そう言えば「あほみたいにな」と、皮肉気な笑いを唇に掃いて金蝉が答えた。
そういえば、金蝉と会う事自体久しぶりで、こんなに間近に顔を眺める事だって、久しぶりだ。
何だか、こそばゆいような、でも胸の内が満たされるような気持ちになる。

ああ、僕は、寂しかったのか。


ふと、唐突に翼は気付いた。
ずっと、側を離れていて、僕は寂しかったんだよ、金蝉。

冷たい位に美しい顔。
長い睫が、頬に影を落としている。
でも、この人の中が、思いの外、暖かいという事を、知っているのは屹度、僕だけで、これからも僕だけで良い。

翼はそう思いながら、海の穏やかな波の音に耳を澄ませる。
頬から伝わってくる金蝉の呼吸や、体温が心地よくて、うっとりと目を閉じると翼は、「良い枕を発見したよ。 これだけでも海に来た甲斐があった」と囁いて、金蝉に軽く頭を小突かれた。


それから暫く経った頃だった。
穏やかで優しい風達の中に、不穏な気配を感じ取り、翼はガバっと跳ね起きた。
そんな翼の様子に金蝉も厳しい表情を見せ「どうした?」と聞いてくる。
翼は風の言葉に耳を澄ませ、風達が何を騒いでいるのかを知った瞬間立ち上がると「行こう金蝉! 武彦達が危ない!」と叫んで走り出した。




久しぶりに泳ぐような気がするが、元より運動能力には優れている為、昔から水泳は得意な方だった。
金蝉は、翼の先導に従って、一気に沖へと泳ぐ。
「っ! 立花!」
翼がそう叫び、スピードを上げるのを見て、金蝉も水をかく手の動きを早めた。
立花は、海の中、浮き輪に捕まり、必死に立ち泳ぎをしながら、何かに語りかけていた。
金蝉の目に、立花の前にボンヤリとした幾つもの白い影の固まりがわだかまっているのが見える。
立花がこちらに視線を向けると、涙でグシュグシュに崩れた顔で「つ、つ、つつ、翼! 翼ぁぁ!」と叫び、手をのばしてきた。
「立花!」
そう叫びながら立花の体を抱き締める翼。
白い影達が、二人の体を包むように覆い被さってくるのを見て危機感を感じ、金蝉は精神を集中させ、術の詠唱を始めた。
「どうしたんだ? 立花」
「た、たけ、武彦が、連れてかれちゃったの」
「武彦が? 何処に?!」
「海の底…。 さ、寂しいからって…。 り、立花がいけなかったの。 そろそろ、戻ろうって、武彦が言ったのに、も、もっと泳ぎたいからって我が儘言って、と、遠くまで来ちゃったの……」
しゃくり上げながら、そこまで言い立花は、緊張の糸が切れたのだろう。
「うわぁぁん」と、泣きながら、大声で言う。
「あ、あの人達と、お、お話しして、武彦返して貰うよう、頼んで、お空に返して、あげてたんだけど、駄目なの。 立花、立花では、一人、一人ちゃんとお話してあげなきゃ、言う事聞いて貰えないの! た、武彦、武彦、死んじゃうよう!」
そう泣き叫ぶ立花に、「大丈夫! 武彦は、僕が助けるから!」と請負い、金蝉には「立花と、彼らを頼む!」とだけ告げて、翼は一気に海に潜った。
金蝉は、立花の側まで泳ぎ、その小さな体を抱きかかえると、詠唱を続けながら白いもやに向かい合う。
「テメェら? 覚悟しろよ?」
そう凄むと、金蝉は片手で印を切った。
その瞬間、金色の光が金蝉から放たれ、白いもやが漂う海を一気に包む。
眩い閃光が一瞬目を射、瞬く間に、その海からおびたたしい数の霊魂が空へと一気に飛び去った。
「…す……ごい」
立花がそう呟きながら、金蝉を見上げる。
実際、触れてみて、余計に感じる金蝉の持つ力の強大さに立花は我知らず震えた。
しかし、そんな立花の様子を勘違いしてのか、金蝉が、平淡な声で言う。
「安心しろ。 翼はやるといったらやる。 武彦は、帰ってくる」
その声音の冷たさに、一瞬気付けなかったが、金蝉が自分を気遣ってくれたのだと、思い至り、驚いてその顔を見上げる立花。
金蝉は真剣な表情で、翼が潜った海の底を見つめていた。




耳の奥が、痺れるような感覚。
吸い込まれるように翼は、底へ底へと潜っていった。
一番底の砂浜に、武彦が横たわっている。
(姫君ならば、命を賭けて救う価値があるけど、武彦なんて、本当に情緒がない)
なんて、不安で逸る心を抑えて、軽口を胸中で叩きながら、その体を抱え上げる。
ぐったりともたれかかってくる体は、水の中という事を差し引いても、全く力が感じられず、恐怖に似た焦りが、翼を襲った。
(急がないと!)
そう焦り、一転して、急いで上昇する。
潜った当初、うじゃうじゃと存在し、翼の行く手を阻もうとした霊魂達は跡形もなく消え去っていた。
金蝉がやってくれたのだろう。
ここの海で死んだ人々の魂の吹き溜まりに、武彦と立花は不用意に踏み込んでしまったに違いない。
孤独の余り、仲間を求める怨霊達の腕に武彦は引きずり込まれたのだろう。
腕が塞がっている為足の力だけで、上昇する。
水の中から見上げる太陽が、水の色に染まりながらゆらゆらと揺れていた。
奇麗だ。
金蝉の目の色に似ている。
ふと、そう思うと暖かな感情が胸の内に広がり、翼は早く彼の元へ帰ろうと、上昇するスピードを上げた。



ザバリと音を立てて、海面から顔を出した翼を、安堵した表情で眺める金蝉と、立花。
しかし、翼は厳しい表情のまま「…っ! 武彦の様子がおかしいんだ! 息をしていないっ!」と、叫ぶ。
慌てて、金蝉は翼の側まで泳ぎ、武彦の体を支えるのを手伝うと、「とりあえず、近くの岸辺まで泳ぐぞ!」と言い、振り返って「ついて来れるな?」と立花に確認した。
コクンと頷いた立花。
浮き輪をつけたまま、パシャパシャと足を動かし、必死についてくる。
二人はその姿を確認すると、武彦を抱えて近くの岩場へと運び込んだ。


「武彦! 聞こえるか、武彦!」
そう武彦の気道を確保し、その耳元で叫ぶ翼。
青ざめ、呼吸をしてない武彦に、金蝉は動悸が早くなるのを感じる。
立花は早くも涙ぐみ、「武彦ぉ。 起きてよぅ…」と呟いていた。
翼が金蝉を振り返り、
「金蝉、手伝え! 僕が合図したら、武彦の胸を強く押すんだ!」
そう言うと、武彦の鼻を掴み、口を開けさせると、自分の唇を重ね、息を吹き込んだ。
その光景に、一瞬息を呑み、固まりかけるも、そんな場合ではないと思い、金蝉は武彦の側に膝を付き、翼が武彦から唇を離し、呼吸する間に胸を両手で強く押す。
それを数回繰り返した時だった。
「ケホッ……! っ、うぇっ、ケホッ!」
そう、咳き込み、顔を横に向けて水を吐き出すと、武彦がうっすらと瞼を開いた。
「っげほっ……げほっ……うっ、うぁ、ん? ……立花? 何処だ? 立花?」
そう囁くように喋りながら手を宙に伸ばす武彦の手を、走り寄った立花が掴み、「武彦っ! 武彦! ここにいるよ? 立花、ここにいるから!」と叫ぶ。
すると、安心したのだろう。
ふっと笑って、
「大丈夫か? 怪我してねぇか? なんで、泣いてんだ? 怖かったのか?」
と、言いながら頭を撫でる武彦にくすぐったそうに笑いかけて、「あのね、翼と金蝉が助けてくれたんだよ」と告げる立花。
武彦は、大儀そうに身を起こしながらも「サンキューな」と二人に告げ、その瞬間、金蝉の表情に凍り付いたっていうか、むしろ、起きなきゃ良かったと後悔した。
「ホント、人騒がせな男だよ。 大体、保護者って事で、ついていった君が、立花に助けられてどうするんだ。 なぁ? 金蝉」
と、何も気付かない様子で金蝉に同意を求める翼。
金蝉は「全くだ」なんて声は出せど、心の中では、訳の分からない身を焦がすような感情が燻っていて、その対象である武彦に遠慮なく視線で殺意を伝える。
どうしたんだ、金蝉? なんて、寒さのせいでなく震える体を押さえながら、様子を伺っていた武彦だったが、立花が「でも、翼格好良かったよ! 武彦の事、チュウで助けるなんて、白雪姫の王子様みたい!」と告げた瞬間、全てを悟り、その上で、もう一度意識を失い掛けた。
翼は、先生のように「違うよ? 立花、あれはね、チュウじゃなくて、人工呼吸って言うんだ。 君も、誰かが溺れて、呼吸が止まった時には、ああやって助けてあげなよ?」と告げ「それからチュウはね、本当に大好きな、君の王子様の為にとっておくんだよ」と笑いかけた。

そうだぜ? 金蝉。 チュウじゃなくて、人工呼吸なんだから、そんな気にする事ねぇよ!なんて、爽やかに言ってあげれれば良いのだが、そんな言葉が通じる相手ではないことは重々承知の武彦である。

「金蝉? どうしたんだ? 武彦は助かったし、立花も無事なんだ。 もう、安心していいよ?」
なんて、不機嫌の極み、冷たい怒りと嫉妬を抱えた表情を見せている金蝉の肩をぽんと叩き笑いかけた翼。
「さ、武彦が買ってきてくれたアイスでも食べて、みんな一息つこう」
なんて言いながら立花の手を引き先を歩き出す翼の背中に、弱々しく武彦は手をのばす。
(つ、翼さん! 翼さん! 気付いてやって下さい。 金蝉の不機嫌の理由に。 ってぇか、先行くな! 取り残すな! 折角救った命が無駄になるぞ?!)
なんて、心の中で喚いている武彦に、金蝉が近付くと、冷たい表情で見下ろし「ちょっと後で話があるから顔貸せ」と囁き、怯えた武彦はうっかり「良し! 分かったぞ! 今、俺と接吻すれば、翼と間接キスだ! 許す! 犬に噛まれたと思ってやるから、来い!」と両手を広げて、本気で蹴り飛ばされた。





   終