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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


沈黙のビスクドール
 
 ラクス・コスミオンはご機嫌だった。いつも世話になっている「大家さん」が留守なのだ。とはいっても、もちろん大家の不在が嬉しいわけではない。「大家さん」はアンティークショップに良い出物がないか見に行きたいのになかなか行けない、と出がけにぼやいていた。
 ――だったら代わりにラクスが探して差し上げましょう。
 というわけなのだ。予期しないプレゼントは、人間の喜びを何倍にも大きくする。知識の番人たるアンドロスフィンクスであるラクスにとっては、もちろんそれくらいのことは先刻承知の上である。
 「大家さん」の喜ぶ顔を想像すると、自然とラクスの顔も綻んだ。ラクスは、自分がアンティークのことはよくわからないことも忘れて、足取り軽くアンティークショップ・レンへと向った。
「こんにちは、蓮様。大家さんが留守なので、代わりに良い出物を探しにきまし――」
 扉を開けながら無邪気に挨拶して、しかし次の瞬間、ラクスの笑顔は凍り付いた。
「おやいらっしゃい。いいところに来たね」
 にやりと意味ありげな笑みを浮かべた蓮が怖かったわけではない。問題は、彼女の前にいる先客だった。車椅子に乗った銀髪の男性。この世のものとも思えぬ程に端正な顔だちをした彼は、吸い寄せられるような美貌の持ち主だった。この顔で微笑まれたなら、女のみならず、男であっても、一瞬でとりこになってしまうだろう。
 けれど、男性恐怖症のラクスに限ってはそれはあてはまらない。どんなに美しかろうが男は男、である。
 びくりと身体を震わせたラクスがくるりと回れ右をして、「出直します」と口にするよりも一瞬早く。
「小さい女の子が困ってるんだ。あんたも助けてやってよ」
 店主の蓮にこう言われてしまうと、逃げるわけにもいかない。
「はい……。ラクスがお役に立てるなら……」
 ラクスはしおしおと翼を下ろして振り向いた。そのまま先客の男性、セレスティ・カーニンガムからなるべく遠い、店の隅に小さくなる。
 おそるおそる店の奥に目を向けると、セレスティの傍らに立っていた幼い少女が、目を丸くしてラクスをじっと見詰めていた。
 ラクスは普段、魔術を使って周囲の人間の認識を操り、自分の存在を違和感なくしているが、いまだ7つくらいのこの幼い少女には効きが悪いのだろうか、それとも単に、立派な体格をしたスフィンクスが怯えた様子で部屋の隅に縮こまっているのに驚いたのかもしれない。
「それで……、どうしたのですか?」
 いまだ引き攣りそうな表情をできるだけ優しいものにして、ラクスは少女に問いかけた。
「……舞のお人形さんがおしゃべりしてくれなくなったの。前はいっぱいおしゃべりしてくれたのに」
 ラクスの質問に瞬きを返した少女も、すぐにこのスフィンクスが自分を助けてくれる存在であると認識したのだろう。ラクスの側に歩み寄り、歳の割に幼い物言いで訴えると、上目遣いで大柄なラクスを見上げた。
「お話をした人形、ですか……」
 ラクスが呟くように繰り返すと、少女は視線をセレスティの方へと向けた。どうやら、人形は今、彼が持っているらしい。よくは見えないが、つくりの良いビスクドールのようだった。
 人形が話をした、というのなら、何らかの魔法がかけられているか、誰かの魂が宿っている可能性がある。本来なら、人形を直接手にとって、そういった状況を調べてみたいところだが、そのためにはセレスティに近付かなくてはならない。それに、セレスティも今まさにそれを調べているのではないだろうか。だったら、ラクスとしては、他の可能性も詰めておくのが合理的でもあるだろう。
「そのお人形はずっと前からお話していたのですか?」
 ラクスはナイルの恵みのような緑の瞳でまっすぐ少女を見詰め、柔らかな口調で尋ねた。
 人間社会の心理学の書によれば、人間は幼少期に自分にしかわからない友達を作ることがあるという。この少女の歳から考えて、霊的、魔術的なことが関係ないのなら、そちらの可能性も充分にあるはずだ。その場合、人形がしゃべらなくなったということは、彼女の無意識が「お友達」を必要としなくなったということだろう。
 順を追って聞いていけば、家庭環境や心理状況の変化などをうまく聞きだせるかもしれない。
「うん。おばあちゃんからもらった時からずっと。舞が3歳の時におばあちゃんが死んじゃって、その時に『この人形は舞に』ってくれたの」
 少女は、幼い口ぶりながら意外にしっかりと答えた。ちらりと視線をセレスティの方へ向けたあたりからすると、先程彼にも聞かれたのかもしれない。
「いつも舞が夜1人で話しかけたらお返事してくれてたのに、一昨日も昨日もお返事してくれないの……」
 そう言うと、少女はしゅんと俯いた。人形が話してくれなくなったのがよっぽど堪えたのだろう、その後は、ラクスが何を聞いても、少女は小さな声でぽつりぽつりと答えるだけで、実のあることは聞きだせなかった。やはり、小さな子から無意識的なことを言葉で聞き出すのは難しいのかもしれない。ラクスが軽く溜息をついた時、カウンターの向こうの蓮が少女に向って口を開いた。
「今日は人形はこの2人に預けてあんたは帰んな。人間だって病気になったら入院するだろう? そろそろ遅くなるし、あんたのお母さんも心配して……」
 いつものように歯切れのよい蓮の物言いは、途中で曖昧なものに変わり、消えて行った。「入院」という言葉を耳にした途端、少女の顔が激しく強張ったのだ。
「お母さんは心配なんてしてないもん! 今は赤ちゃんのことでいっぱいなんだもん!」
 何かを振り払うように叫ぶと、少女はくるりと踵を返して走り出て行った。
「あ、待って下さい」
 唖然とした顔をして少女を見ていたラクスだったが、すぐに我に返って、少女の後を追い始めた。

 どうも夕方時というのがよくなかった。近くに会社や駅でもあるのか、道に背広姿の男性が溢れかえっているのだ。見ているだけで背筋が寒くなるような光景の中に、依頼人の少女が混じっている。かといって、ここで引き返すわけにもいかず、ラクスは涙目になりながらも、少女の後を追いかけた。
 追跡はなかなか思うようにはいかなかったが、何分相手もまだ幼い子どものこと、見失うこともなく、どうにかサラリーマンの海を乗り越え、閑静な住宅街へと出た。先程までの喧噪は背後に消え、道ばたでは数人の女性が井戸端会議に花を咲かせている。
「あら、舞ちゃん。後でご飯食べにいらっしゃいね」
 少女の姿に気付いたそのうちの1人がにこやかに声をかけるが、少女は返事もせずに傍らの家へと駆け込んだ。
「やっぱり心配なんでしょうねぇ。あの子、賢いから……」
 その後ろ姿に、もう1人が溜息をついた。
「あの、どうしたんですか?」
 ラクスが声をかけると、主婦たちはほんの一瞬怪訝な顔をしたものの、すぐにそれを消し、親しげな顔つきになった。ラクスがいつもの魔術を少し強いものにしたのだ。彼女たちは今、ラクスを親しい友人の1人と認識しているはすだ。
「ほら、あそこの奥さん、今お産で入院してるじゃない。でもあの人、もともとあまり丈夫じゃなくて、お産の重い人なのよ。舞ちゃんの時も大変だったし、舞ちゃんが3つの時だったかな、次の子も死産だったのよ。あの時はお母さんの葬儀も重なって、奥さんも舞ちゃんも本当に大変だったでしょうけど……。それできっとあの子も心配してるのね。今回は無事に済めば良いんだけど……」
 溜息まじりの女の言葉に、彼女の友人の主婦たちも、一様に頷いて同意を示す。
「そう、ですか……。本当に、無事に赤ちゃんが生まれると良いですね」
 ラクスは静かに返すと、礼の言葉を口にしてその場を辞した。

 アンティークショップ・レンの扉をくぐると、帰りを待っていたのだろう、セレスティがねぎらいの言葉と穏やかな微笑みでラクスを迎えた。もっとも、せっかくの微笑も、身を強張らせたラクスの様子に、すぐに苦笑いへと転じてしまったが。
「何かわかりましたか?」
 セレスティが柔らかな口調で問いを口にした段になって、ようやくラクスもほんの少しだけ緊張を緩めた。自分の仮説と主婦たちに聞いた話を手短に報告する。
「なるほど、幼少期の特別な『お友達』ですか。興味深いですね」
「ええ、依頼人様が人形を手に入れられた時と、依頼人のお母さまが身ごもられていた時がほとんど一致します。心理学の書によると、幼い子は弟や妹ができた時に、親の愛情を奪われると思って、憎しみを向けることも多いとあります。そして、本当にその子が死んでしまった時に、自分が憎んでいたせいでそうなったと思い込んでしまうこともあるとか……」
 ラクスは静かに続けると、軽く目を伏せた。
「その罪悪感ゆえに、彼女には『お友達』が必要になった……というわけですか」
 ラクスの言葉を引き取ったセレスティの声にも、どこか沈痛な響きが含まれていた。
「ええ……。遣り切れません。それに……、人形が話さなくなった、というのもよくわからないんです」
 うつむいたままでラクスが嘆息すると、セレスティがおもむろに口を開いた。
「私はこの人形の方から何か読み取れないか試みていたのですが、今のラクスさんの話でわかったような気がします」
 考えをまとめるように小さく息をつき、セレスティは再び言葉を続ける。
「この人形は彼女のお祖母さんに本当に大切にされてきて、思いが宿るだけの器としても充分です。今はただの人形ですが、以前は確かに魂のようなものが宿っていたようです。ただ、最初は魂とは呼べないような漠然とした思いだったのが、『お友達』を必要とした彼女と会話していくことで育っていったのでしょうね。そして、育った魂がこの人形から抜けていった、と……」
 つまり、「しゃべる人形」は、人格を宿す器となりえた人形と、『お友達』を必要とした少女の相互作用の賜物ということだろう。けれど、とラクスは軽く首を傾げた。
「どうして抜けてしまったんでしょう?」
「これは憶測に過ぎませんが……」
 慎重に前置きをした後で、セレスティは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「彼女の弟か妹として生まれてくるため、というのはどうでしょう?」
「あ……」
 ラクスは小さく声をあげた。もしそうなら、どんなに良い巡り合わせだろうか。
「それじゃ、これで一件落着ってことかい?」
 カウンターの奥でキセルをふかしていた蓮が、やれやれとばかりに口をはさんだ。
「……いいえ」
 セレスティの返事に、ラクスも頷く。
「今回の件は、依頼人様が納得されなければ、問題が解決されたことにはなりません……」
 あの幼い少女が独りで抱えてきたであろう痛みは、命なき人形に頼らなければならないほどだったのだ。いつまでも人形と話しているわけにはいかないとはいえ、急にその手段を失ってしまえば、彼女とて遣り切れないはずだ。それを思えば、自然とラクスの口調にも陰が差した。
「じゃあ、どうするんだい?」
「依頼人様の無意識と交感を……。夢を通じてやってみます」
 静かながらも決意を込めた声で、ラクスは短く告げた。

 薄暗い部屋の片隅に1人っきりで、少女は毛布をかぶって縮こまっていた。夢の中だというのに現実とほとんど変わらないその様子からすると、よほど少女の不安が強く、かつ眠りが浅いということだろう。
 ――可哀想に。
 少女の夢を覗き見て、ラクスは小さく溜息をついた。少女に負担をかけすぎないように夢に潜り込むには、細心の注意が必要だ。ラクスは慎重に集中を高めると、少しずつ少女の夢の波長に合わせ始めた。
「誰?」
 少女が怯えたような声をあげる。ラクスを見上げるその顔にも、痛ましいくらいの緊張が貼り付いていた。どうやら少女の夢に潜り込むのには成功したらしい。何とか彼女を安心させようと、ラクスは笑みを作ると、ゆっくりと口を開いた。
「お人形っ!」
 が、その言葉が形になるより早く、少女はラクスの足元に置かれていた人形に目を留めて駆け寄った。なかばひったくるように人形をとると、強く抱き締める。まるで、不安の中でただ1つの光明にすがるかのように。
「舞様、その人形は……」
「違うもん!」
 ラクスの言葉を遮るかのように、少女は再び叫んだ。けれど、それはラクスへの拒否を示しているものではなかった。
「違うもん、赤ちゃんなんて生まれてこなきゃいいなんて……、本当に思ってたんじゃないもん」
 自分に言い聞かせるかのように、少女は何度も何度も繰り返す。
 彼女は今、自分の気持ちと闘っているのだ、この痛みを乗り越えるために。そう察したラクスは、黙って少女を見守った。ただ胸の中だけで、「大丈夫です、あなたは悪くないはずです」と何度も繰り返す。同じ夢の中にいるのだ、心は通じるはずだ。
 やがて、どこからともなく女性のうめき声が聞こえた。そして、それを励ますいくつもの声、何か緊迫した様子で指示をする声。いつしか現れたいくつもの影が、慌ただしくばたばたと動き回る。
 お産だ、とラクスは直感した。今まさに、病院ではお産が始まっているのではないか。その緊迫した影絵劇に、ラクスは固唾を飲んだ。少女もまた、ぎゅっと人形を抱え、青ざめた固い表情で黙って見守っていた。
 女性のうめきは次第に高くなり、悲鳴が混じるようになった。それに合わせて、周囲の声や動きもより激しくなる。見ているこちらまで目が回りそうな喧噪の中、一際大きな悲鳴があがり、そして静寂が訪れた。途端に、今度は凍り付くような冷たい緊張がさあっと広がる。赤ん坊が産声をあげないのだ。
「赤ちゃんが……息を……。このままじゃ……」
 赤ん坊の背中を叩いているのだろう、ぴしゃぴしゃという音の合間に、焦りをはらんだ女の声がする。固い表情をしていた少女の顔からさらに血の気が引いた。強張った頬がわずかに震え、唇が歪む。
「……死なないで……」
 少女の口から、かすれた声が零れた。
「……死なないで、死なないで、死なないで!」
 最初は弱々しかったそれは、次第に大きく、強い叫びへと変わっていく。
「死なないで! 生まれてきて! 待ってるからっ!」
 少女が全身で叫び切って荒い息をついたその時、その思いに応えるかのように、赤ん坊の産声が響き渡った。安堵の混じったざわめきと、祝福の言葉がその後を追う。
 少女は、脱力したかのように、大声で泣き崩れた。その腕の中に、もう人形の姿はなかった。すぐ側で黙って見守っていたラクスの頬にも、透明の雫が静かに伝った。

 翌日、ラクスがアンティークショップ・レンの扉をくぐったのはもう昼過ぎだった。どうやら昨夜でかなりの体力を消耗していたらしく、まだ身体にはだるさが残っている。
 すでに依頼人の少女は来ていて、人形を片手にセレスティと何か話していた。ラクスは挨拶だけすると、その輪に加わらず、また店の隅に縮こまった。少女の様子はもちろん気になるが、やはり、男性恐怖はどうしようもない。
 そんなラクスのところへ歩み寄ると、少女はおもむろに人形を突き出した。
「舞はお姉さんになったから、もうお人形はいいの。お姉ちゃんにあげる」
「え……? でも大事なものなのでしょう?」
 思わず目を瞬かせながらも、ラクスはそれを反射的に受け取っていた。
「いいの。赤ちゃんの方が可愛いから。舞はこれから帰ってお母さんのお手伝いと赤ちゃんの世話をするの」
 少女は済ました顔でそう言うと、あっけにとられたラクスを残して店の外へと走り出していった。
「もらっておきなさい。彼女なりの不器用な感謝と、決意のしるしなのでしょうから」
「あんた、もともと出物探しに来たって言ってたろ? ちょうど良いじゃないか」
 セレスティの穏やかな物言いに、蓮が賛意を重ねる。
「はあ……。それでは……」
 まだいくばくかの戸惑いを覚えながらも、ラクスは腕の中の人形に視線を落とした。そういえば、この人形を間近で見るのは初めてだ。滑らかな肌に、優しげな青いガラスの眼差し。わずかに紅をさされた口元は、上品な笑みを浮かべていた。この陶器の肌は、長い間持ち主の温もりを吸ってきたのだろう、その人の喜びや哀しみと共に。眺めているだけで優しい気分になれる、そんな温かみのある人形だった。
「本当に……、よい人形ですね。」
 いつしかラクスの口元も綻んでいた。その柔らかな表情は、まさしく彼女が腕に抱いている人形の微笑みにそっくりだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1963/ラクス・コスミオン/女性/240歳/スフィンクス】

【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、初めまして。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、「沈黙のビスクドール」のへご参加、まことにありがとうございます。
そして、長々とお疲れさまでございました。

 ラクスさんはとても気が優しくて感情の豊かな方、という印象がありました。
つい、多少(?)弄ってしまったり、人形を押し付けたりしてしまいましたが、彼女の魅力を少しでも引き出せていたら幸いです。

 ご意見等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。
 それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。