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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


狐狸




上質な時間が上質な人間を作る。
それが持論の城ヶ崎由代は、目を細め愛おしむような表情で、珈琲を口に含む。
落ち着いた知的な風貌も相まって、その姿はそのまま、珈琲のCMにだって流せそうな程絵になっていた。
浅草にある気に入りの古風な喫茶店は、さりげなく高級そうなアンティークの品々が飾ってあり、古い振り子式の時計が時を刻む、大人の為の空間として存在している。
店内に流れるのは、静かで、神経を苛立たせる事のないピアノジャズ。
珈琲は言うまでもなく、薫り高く、無口な店主がじっくりと時間をかけて淹れた最高の品で、舌先を焦がすような温度も、その香りを引き立てていた。
上質な時間だ。
由代はそう胸中で呟く。
間違いなく、自分の今までの人生の内で手に入れてきた大切な物の中でも上位に位置するだろう、上質な店での上質な時間。
本来ならば、ここで過ごす時間は外国のペーパーブックなんかを捲りながら、時が経つのを忘れて読み耽るという事に費やされる筈だったし、今まではそうだった。
だった……のだが。
「とっても美味しいのね! このクリームソーダ。 それにグラスも、可愛いわ。 ねぇねぇ、デリク。 ここへ来る途中にあった硝子食器のお店屋さんで、これと同じグラス売ってないかしら? あたし、このグラスで食べるからこそ、一層クリームソーダが美味しくなってると思うのよね」
フリルのたくさんついた白いブラウスの上に、赤いリボンがあしらわれた、これまたフリルのたくさんついているワンピースを着た人形のように作り物めいた顔立ちをした少女が、繊細で美しい意匠が施されたグラスを前にそう言いながら、良い事を思い付いたというような誇らしげな表情をして、隣りに座る男性を見上げた。
そのデリクと呼ばれた男性は大袈裟なほどに頷きながら「前から思っていたけど、君は天才だネ! ウラ。 ヨシ、分かった。 では、帰り道で、これと同じグラスと、それからソーダにバニラアイス、それからチェリーを買ッテ帰ろう。 私から見れば、チェリーもかなり重要だと思われるからネ」と笑顔で答える。
そんな二人を呆れたように眺め、「楽しそうだねぇ。 デリク」と言えば、デリクは「ええ。 貴方も、子供を一人くらい手に入れてみては如何ですカ? 生活に張り合いが出来ますヨ?」と、ココアを啜りながら、シレっと答えた。


殆ど自宅から出る事のない由代が、本日浅草へと出向いたのは、移り変わりの早い電子機器の世界の中で、最早旧式扱いされてしまっているパソコンに、懐かしい人物から一通のメールが届いたからだった。
送信者は「デリク・オーロフ」
過去、由代が所属していた魔術教団内で、本人非公認ながらも「猟犬」の二つ名を冠していた男。
由代の記憶にある彼は、小さな銀縁眼鏡の奥にある深い群青色の瞳を、常に色々な謀略や画策にめまぐるしく瞬かせている、油断ならない人物だった。
しかし、由代は、そんな彼の、隠さない出世欲や野心を、むしろある種の純粋性の現れではないかと捉えており、デリクを警戒しつつも、好ましく感じていた。
全く自分とは正反対の性質をしている事も、好感を抱く要因の一つではあろう。
人は常に、自分が持ってないものを他人に求め続ける。
そういう由代の感情を、聡いデリクはよく分かっていたらしい。
過去には、魔術理論についての論議を、何度も真剣に語り合い、お互いに研鑽し合った事もあり、深い知識に裏付けされた理論を持ち、そしてそれを実際に行使出来る由代の事を、デリクは尊敬している部分もあったようだ。
人より優れたる者は、どうしても妬みや嫉みを買いやすい。
まして、それが多大な野心を抱き、確実に自らの地位を上げていっている者ならば、尚更だ。
決して良いものばかりとは言えない風評を持つデリクに純粋に、魔術師の同士として接していた由代は、デリクにとっても希少な存在だったのだろう。
教団から由代が退いた後も、暫くは書簡のやり取りや、メールのやり取りを続けていたのだが、いつのまにかそれも途絶え、今に至っていた。
相変わらずの忙しい日々を送っているのだろう、なんて、時々思い出す程度になっていたデリクからのメールは、由代の中に懐かしいという想いと共に「一体、何故?」という疑惑を立ち上らせた。
書簡のやり取りをしていた時ですら、アドバイスや、知識を求める旨を書き記した内容であって、デリクは自分の近況や、雑談を無駄と切り捨て、全くといって良い程書きはしない。
まぁ、魔術教団のかなり中枢に近い所にいるデリクの近況などは、即機密事項に繋がっている可能性もあって、由代としても、そんなもの書かないでいてくれる方が、心穏やかに返事を書くことが出来たのも確かだった。
久しぶりの連絡に何事か面倒が?と思って、読めば「来週、東京の地を踏む事になりました。 ご紹介したい者も御座いますし、久しぶりに是非お会い出来たらと思います」と書かれてある。

デリクが、東京に?

確かに、デリクは、日本に対して興味を抱いている節があった。
「サムライは、お仕置きにハラキリさせられるって本当デスか?」なんて、尋ねられて、そういう時代もあったけど、今の日本では有り得ないよ、なんて笑って答えた記憶もある。
しかし、あのデリクが、物見遊山に東京に訪れる事は考えがたい。
それに紹介したい者とは誰だ?
穏やかで、人当たりが良いようでいて、その実余り他人と行動する事を好まない男であったのに……と、そこまで考えて、案ずるより産むが易しと言うし、とりあえず会って話を聞くかと決心する。
今や、魔術教団から離れて久しい由代だ。
教団への影響力は全く無い。
そんな由代に、無体な頼み事をしてくる事はまずないだろう。
そう考え、東京は不案内であろうデリクに、待ち合わせ場所にしようと思う喫茶店の名と、その詳しい場所の乗った地図を添付したメールを返信し、「さて、何が目的なのやら」と一人呟いた。


そして、場所は、浅草の喫茶店「気狂いアりス」に移る。
カウンターの席に腰掛け、珈琲カップを揺らしながらデリクの訪れを待っていた由代に、彼が開口一番に言った言葉は「相変わらず、老けてますネ」の一言だった。
「最後にお会いしてから、何年になりましたっケ? その時から老けてましたケド、やっぱり老けてるんですよネェ。 でも、その老け方は相変わらずと言う事なのデスから、つまりはお変わりないですネという言葉の方が、キット当たり障りがなくて宜しいのでしょう。 と、いう訳でお変わりありませんネ」
そう、身も蓋もない事をつらつらと並べ立て、片手を差し出してくるデリクに、(この野郎)と思わないでもないが、そこは、大人な由代。
「キミも相変わらず、心の無い笑顔が素敵だね。 もう随分いい歳になってるだろうに、昔と全く変わってない。 その成長のなさが、嬉しいよ」
と、やっぱり、大人げなく皮肉を返しながら、立ち上がりその手を握った。
それから、自分の傍らに立つ、少女を指し、「しばらくこの子と一緒に東京に滞在することになりましタ。今日はそのご挨拶というコトで。 ウラ? 御挨拶なさイ。 こちらユシロさん。 私の、古い知り合いなんだ」と良いながら、挨拶を促す。
ウラは、カクリとからくり人形のように首を傾げ、スカートの裾を両手で掴んで広げ、足を少し折ると、「初めまして。 ユシロ。 あたしは、ウラとゆうの」と自己紹介した。
「初めましてウラ。 よろしくね」と言いながら手を差し出せば、その大人扱いが嬉しいのだろう。
ウラはぎゅっと由代の手を握り、綻ぶように笑いかけてくる。
「しかし、君に娘がいたなんて初耳だよ? どうしたんだい、この子は」
と、問えば、「まぁ、そういう話は立ち話も何ですので、席について、落ち着かせて頂いてからでも宜しいですか?」と言い、由代の隣りに腰掛ける。
高いスツールの椅子に、ウラもデリクに手伝って貰いながら腰掛け、彼女は臆する事なく「あたし、クリームソーダ」と、気配無く佇む店主にオーダーした。
デリクも、昔と変わらず甘い物に目がないのだろう。
「ココア、お願いしまス」と告げて、「雰囲気の良い店デスね」と、由代に言う。
由代が、メールを返信する際、躊躇ったものの、このとっておきの場所へ案内してしまったのは、「こういう店を知る程に、自分は趣味も洗練され、こちらの生活に馴染んでいる」という事を証明したかったせいもあったのだ。
大人の見栄の張り方とは、えてして、子供の見栄よりも、子供っぽい。
そういう自分を自覚しながらも、出て来たココアを口にしたデリクの「ほぉ…」と感嘆したような呟きが嬉しくて、「浅草に来た際は、必ず寄っているんだ」なんて少し得意げに告げてしまった。


ウラのフランス人形のような姿は、前からそこに居たのかと思われる位、店の内装に合っていたが、如何せんウラは人形よりは大分と落ち着きなく、クリームソーダに夢中になっていたかと思えば、置いてあるアンティークの雑貨に興味を抱き、その数秒後には、ゴロリと空いている席に寝転がって、自作の歌を歌ったりしている。
店主は、商売する気がないのか、オーダーされた品物を作るだけ作ると、店の奥に引っ込んでしまい、今店内にいるのは、三人だけとなっていた。
「可愛らしい子だね」
そう由代が言えば、デリクは眉を顰めて「駄目ですヨ? 手を出しちゃ」なんて答えてくる。
由代は余りと言えば余りの言葉に、「手を出すって……、そういう意味で言ったんじゃないよ」と呆れたように由代は言った。
「だって、教団にいらした際から浮いた噂一つない貴方でしたシ、現在は奥様は?」とデリクに問われ、渋々「残念ながら…」と答えれば、それみた事かと言わんばかりの表情で「実は、当時少し噂になっていたのですヨ? あんまりにも、女性に興味を示さないものだから、あなたが特殊な趣味の持ち主ではなかろうか?っテネ」と知りたくもない事実を知らされて、ガクリと由代は項垂れた。
 
真面目に、研究一筋に過ごしてきただけであるというのに、それがそんな噂を生んでいたなんて。
ああ、そういえば、いやにしつこく迫ってきていたあの化粧の濃い女魔術師。
ある時期からピタッと側に寄らなくなり、遠巻きに哀れな生き物を見る目で眺めてきたのはそういう訳であったのか。
研究熱心である事の弊害は、日々の生活に必要な事を忘れてしまうという事以外にも、そんな落とし穴があったのか。
ああ、誠実に生きる者にすら、神は試練を与えたもうのか。

そんな風に嘆いてみるも、まぁ、過去の事ではあるし、と、一口珈琲を啜ってあっさり気分を落ち着ける。
そして、今度はこちらの番だとばかりに「それにしても、プラハ以来だね。 元気そうでなによりだよ」と言い、それから「そろそろ、ウラが、キミとどんな女性の間に産まれた娘さんなのか、教えてくれないかな?」と、穏やかな笑みを深めつつ問うた。
デリクは、来たな、来たなと、感じつつ笑みを一層深めて答える。
「残念ナガラ、私も、まだ運命の女性に出会っておりまセンので、妻と呼べる人はいないのデス。 そして、私が、妻と呼べる女性以外の方から子供を授かる程、不誠実な人間でないノハ、あなたもご存知の通り。 従って、ウラは私の娘ではアリません」
その答えを、勿論予想していた由代。
デリクと不誠実という言葉の相性の良さは別として、初っからウラがデリクの娘であるだなんて考えていたわけではない。
何しろ、髪の色も、目の色も全く違うし、似てないし、何よりデリクの子供にしては大きすぎる。
「へぇ、そうなんだ。 キミこそ、余り女性を寄せ付けない人だったけど、まさか…って事はないよね? キミを信じさせて頂きたいのだが…」
そう言いながら小首を傾げれば、ソファーの席で店に置いてある人形を使って勝手に遊び始めていたウラが「キミ、ロリコンじゃないのかい? って、聞けば良いじゃない! 残念ながら、淫らしい事されたことないケド!」と、大声で話しに割り込み、そして「ヒヒッ」と引きつるような笑い声を漏らした。
「ねぇ、ユシロ? それって、何でなのかしら? あたしに、魅力がないって事?」
そう問うてくるウラに、由代は動じず、穏やかな笑みを向けて、「キミは、とても魅力的だよ? ただ、もう少し、大人になって、経験を積み、男性の心の惑わし方を勉強すれば、屹度、デリクもキミに夢中になるさ」と返答し、「だろ?」と、デリクに対して、同意を求めた。
目だけは笑っていない張り付いたような笑みを浮かべつつデリクが「馬鹿な事を教えないで下サイ」と由代に言い、ウラには「大人の話に割り込むなんて、行儀良くないゾ?」と注意する。
しかし、ウラはめげずに「行儀が良い事の中で、面白い事なんて一つもないわ! マナーも、ルールも、約束も糞食らえよ! ユシロ? どう思う? あたしは、もう、立派なレィディなのに、デリクはいつまで経っても、子供扱い。 ほんと、いやんなっちゃう」と告げて、ふぅとわざとらしい溜息を一つ吐いた。
由代はクククと喉の奥で笑い、「さしものデリクも彼女には形無しみたいだね」と言えば両手を上げて「お手上げですヨ」と弱ったように呟く。
しかし、それまでのやり取りでも誤魔化される事無く「で? ウラはキミのなんなんだい? どうして、一緒に東京に? 僕が教団にいた間は、彼女はキミといなかった訳だから、出会いの話や、一緒にいる事になった訳なんかも聞かせてくれると嬉しいな」と、怒濤のような質問責めにする由代。
好奇心もあったのだが、それ以上に、面倒事に巻き込まれる可能性の高い存在の詳細を知りたいという切実な欲求もあったし、情報さえ手にしていれば、憂慮の際に取れる手段の幅が広がるという事も、本能的に察していた。
しかし、デリクが、そんな質問達に素直に答える筈もなく、ニッコリと笑って「源氏物語、お読みになった事ありマス?」と、関係ないような事を問うてくる。
本の虫の面も併せ持つ由代は、勿論という風に頷けば「私もこちらに来る前に目を通させて頂きましタ。 と、いっても流石に、変体仮名を理解するまでには至らなかったので、窯変のものですが、大変面白かっタ。 日本古来の男性のイメージは、サムライか、忍者しか私の中にはなかったものですから、貴族と呼ばれる男性の方々の暮らしぶりや、アバンチュール、何より繊細さは衝撃でしタネ。 あのように、頻繁に涙を零すだなんて、私の生まれた国では、有り得ない事デス」と、そうひとくさり外国人から見た、源氏物語について語り、そしてゆるりと悪戯っぽく目を緩ませる。
「それでデスね、この国では、紫の上のお話にちなんで、少女を幼き頃から育てて、理想の女性に育て上げる事を、光源氏計画と言うそうで…」
由代は、そんなデリクの言葉を制し「つまり、キミは、ウラの事を、自分の将来の妻にするつもりで育てているのかね?」と問えば「まさか…」と、笑い、それから「ただ、彼女が私の大事なレィディであるという事をお伝えしたかっただけですよ」と、言いながら、ココアに手をのばす。
「お代わりって、あの店主の方をお呼びすれば頂けるんでしょうかネ?」
そうあくまではぐらかそうという姿勢を崩さないデリクに溜息をつくと由代は「ウラ? この男との生活は大変だろう?」と、声を掛けた。
ウラは、いつのまにか、動かないジュークボックスを物珍しげに眺めており、構って貰えて嬉しいのだろう、両手を口に当てて「クヒッ……ヒヒッ…ヒッ…」と笑い声を漏らすと、「朝は、全然起きてくれないの、全然よ?」と、喚いた。
「それに、なっとーが駄目なの。 美味しいのに。 臭いって、買ってもくれないのよ? でも、味噌スープは好きみたい。 私、レシピ覚えなきゃ。 ユシロ? 美味しい、味噌スープの作り方知ってる?」と言いながら、踊るような足取りで由代に近付き、その腕を引くウラ。
「味噌汁だったら、僕の家に美味しく作れるレシピがあるよ。 今度、キミにプレゼントしよう」とだけ言い、それからデリクに聞いても答えては貰えないと早々に見切りをつけて由代は「キミは、何処で、どうやってデリクに出会ったんだい?」と問い掛ける。
するとウラは、感極まったような声で「運命よ!」と叫び、クルリと廻ると「運命だから、何処で? とか、どうやって?っとか、ウラ、キミは一体、どういう存在なのだい?とか、聞いても、しょうがないわ」と、言いながら、ウラは由代の目を覗き込み、「ね? 聞きたかったのでしょ」と首を傾げる。
由代は「鋭いね」と言いながら、言葉の続きを促せば「退屈だわ、ユシロ。 それに、デリクも。 もっと面白い話をして? 日本のゲイシャの着物の着方とか、寺と神社の違いは何なのかとか、デリクとユシロの昔の頃の話とかよ。 初恋の話とかでもイイわ。 少なくとも、初恋は、今、貴方達が交わしている、まわりくどく、まどろっこしい会話よりも、美しいもの」と、一気に喋り、また、「クヒッ…」と笑い声を漏らした。
「ウラ。 キミの言葉は全て正しいよ。 でもね、大人だから、美しい話は、汚れた舌の上では清すぎて、舌ごと頬まで赤く燃え上がらせてしまう。 それは、とても恥ずかしく、大人にとってはみっともない事だから、どうしたって話はまどろっこしくなってしまうんだ」
由代も、ウラの言葉を真似して芝居がかった台詞を吐けば、愉快気に見守っていたデリクが笑い声をあげ、手を叩き「ブラヴォー」と快哉を送る。
「イヤイヤ、ユシロ? かなりセンスの無いセリフではあったケド、あなたにしては、素晴らしかった。 例えるならば、記憶の中のあなたは、ただの物言わぬ固い石であったのに、今や貴方はミトコンドリア程度には成長している。 これは素晴らしい事だ」
そんな誉めてるのだか、けなしてるのだか理解しがたい台詞に半眼になり、「喜んでいいのかね?」と問えば、デリクは、勿論ですと頷きながら言葉を重ねる。
「無機物から、有機物へと変化するなんて、本来ならば有り得ない進化なのデス。 最早、奇跡という言葉ですら生ぬるい変化ダ。 ユシロ、私はあなたのその変化に心からの賞賛を送っているのです」と告げ、ですから、と笑った。
「ですから、こちらと致しましては、あなたがそこまでの成長を遂げる事の出来た、要因の一つであろう、あなたの大事な蔵書達を、何かの際に活用させて頂けると嬉しいのですガ」と、何でもない事のように言う。
確かに閲覧させる位ならば、構わないがと思いつつ「へぇ? 何かの際とは、『何か』が、起こりうる可能性が、今のキミにはあるという事かね?」と穏やかな笑顔のまま突っ込めば、「いえいえ、そんな…。 ただ、人生とは、何が起こるか分からない、厳しいレース。 特に、私達のように、余り真っ当とは言えない道を歩んでいる物ならバ、障害物も他の人より多いと考えるのが賢明デス。 その時のために、頼れる存在、信頼できる友、そして確実な情報というのはたくさんあっても、損はしないのではないだろうか?という、それだけの事デス」と、デリクも笑顔で答えた。
ウラは、「ゲーッ」と言いながら舌を出し「なーにが、人生は厳しいレースよ。 自分が好きで、厳しい道選んじゃってる癖にさ! そんな言い方しなくても、素直に『何かあったら、助けて下さい。 そして必要な時には、蔵書を活用させて下さい』って頼めば、ユシロだって、きっと素直に頷いてくれるだろうに、ほんっと、バッカみたい。 大人って」と、吐き捨て、「兎のしーっぽ♪」と訳の分からない鼻歌を唄いながら、また、寝転がっていたソファーへと戻る。
デリクは、「ふぃー」と溜息をつき、「そういう事です」と告げてくるので、由代は堪らず吹き出しながら、「了解。 ま、本位なら読ませてあげるから、いつでもおいで」と言うと、三人分の飲み物の代金をカウンターに置いて立ち上がる。
「ア? 我々の分は、イイですよ」
と言うデリクに「懐かしい友人と、その友人の大事なレィディに、美味しい飲み物をご馳走できる機会を僕から奪わないでくれ」と笑って答え、それからのんびりと喫茶店を立ち去った。


由代が、結局デリク達が東京へ来た目的は何なのかという、一番大事な事を聞き損ね、しかも向こうの要求は全て呑まされたという事に気付いたのは、帰宅して、ゆっくりと風呂に浸かっている時の事である。
 

「……ま、いっか。 また機会があるだろうし」なんて、思いつつも、あのダークブロンドの髪の、ペテン師と人形のような少女の二人組に一杯食わされたような気分に陥ってしまったのはしょうがない事であると言えよう。



 
   

  終