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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


Contentment + Dissipation


【chapter:0】

 今年は空梅雨なのだろうか?
 昨日も雨らしい雨は降らなかった。
 明日もそんなに降らないという。
 そして今日も、少し雲は出ているが、そこから大量の雨粒が落ちてきそうな気配はなかった。
 しかし、気温は、最高気温が約三〇度。
 このまま夏に突入してしまうのではなかろうかと思えるほど、暑い。
 まあ、もっとも、このゲームセンター「Az」内にいる限り、そんな外気温など構う必要もないのだが。
 それにしても、だ。
 ちらと右の視界だけで、カウンターの上に置かれたキャラクターものの卓上カレンダーを見やると、左目に鋲の打たれた黒い眼帯をし黒いスーツを纏ったAzの店長は、ふっと溜息をついた。
 そこには、赤い丸印が書きつけられている日がある。
 梅雨の中休み頃に合わせて行われる祭がある日だ。
 鬱陶しい梅雨時の気分を発散させるのが目的なのか何なのかは分からない。それどころか、何に由来した祭なのかも知らない。近くに神社があるのかといえば別にそうでもない。なら、何のための祭か?
 ……いや。
 そんな事はどうでもいいのだ。本当にどうでもいい。
 それよりも、祭といえば。
「やっぱり、アレだねぇ。今年もやらなきゃだな」
 ぽつりと呟いてから、その唇を歪めてニヤリと笑うと、店長はカウンターの上に卓上カレンダーと共に並べて置いてある太めの筆ペンを手に取り、さらさらと紙になにやら書きつけていく。
 そしてふと手を止めて、目を上げた。
「あー。たまにはバイト生たちにも休暇くらいはくれてやるか。あいつらも祭なら行きたいだろうし。何なら浴衣くらいなら提供してやってもいいな……」
 言ってから、あ、と声を漏らし。
「さすがに私一人では手が足りんから黒には残ってもらう事にして、と」
 呟きに、モップを引きずって傍を通りがかった黒いゴシックスタイルの、通称「黒のバイト生」が一瞬嫌そうな顔をしたが、店長には見えなかった。

 翌日。
 店内の壁に、豪快な文字が綴られた一枚の紙が貼り付けられていた。

                *

■毎年恒例行事――店長の欲しい物を当てろ!■

 六月三〇日に行われる祭にて、店主が望む物を入手して店に持ってきた者には、以下の景品の内、望む物を贈呈する。
 ちなみに、欲しいものが被った時には早い者勝ちとする。
 ハズれた場合は残念賞進呈。特別賞は、正解以外の物でも店主が気に召せば、進呈。

1:当店で、どのゲームでも一週間無料で遊び放題。
2:兵庫県城崎温泉への一泊二日ペア宿泊券(近くの水族館入園無料チケット付。但し交通費は自前)。
3:薔薇五〇本の花束。
4:サマージャンボ宝くじ連番十組(発売後贈呈)。
5:DVDプレーヤー。
残念賞:図書券五百円分。
特別賞:人形師、霧嶋聡里製作『白惺(はくせい)シリーズ』の一つ、銀のお下げ髪に緑の瞳の『萌葱』(女/白浴衣着用)。

 なお、店長からのヒントキーワードは「彩」「透」「涼」。
 品物は一品のみ、持ち帰ること。一品以上だと失格とみなす。
 祭の出店は以下の通りである。

食べ物>りんごあめ、飴細工、べっこう飴、かき氷、たこ焼き、お好み焼き、たい焼き、大判焼き(カスタード・あん・チョコ)、焼きそば、クレープ、焼き鳥、いか焼き、フランクフルト、フライドポテト、わたあめ、焼きとうもろこし、五平餅、鈴カステラ
遊び・その他>金魚すくい、水ヨーヨーすくい、スーパーボールすくい、お面、花火、くじ、射的、輪投げ、風鈴、サイリューム(ブレスレット型)、盆栽、風船、子供用おもちゃ

                *

「さあ、参加者がいるといいけどねえ」
 紙の前で立ち止まっている者を見やって、店主が笑みを浮かべて呟いた。


【chapter:1】

 ――頼みたい事があるんだけど。

 それは梅雨時期の、ある日の事。
 ほんの少しだけ灰色に濁った雲が浮いている空の下、とりあえず今日の天気は洗濯が乾くまでは持ちそうだなと思いながら、退屈しのぎついでに午前中の空いているであろう時間を見計らって近くのスーパーへ足を運び、今夜の夕食の買い物を済ませて帰って来た矢先。
 買い物袋を提げた香坂蓮に向かい、雲切病院内にある特別室の主はそんなことを言った。
「帰って来たばかりのところ、申し訳ないけど」
 室内へ迎え入れながら、蓮の手から買い物袋を引き受けつつ苦笑する彼に、蓮は小さく首を傾げた。
「いや、それは構わないが……頼み事?」
 何だろう、と不思議そうに口許に手を当て、思案するような顔つきになる。
 謝罪を述べてからでないと口に出来ないほど、何か問題のある願いなのだろうか?
「……そんなに難しい顔しなくてもいいのに」
 眉間に微かに皺を寄せて考え込んでいる蓮の顔を見て笑うと、彼は空いた手で白衣のポケットから一枚のメモを取り出し、蓮へと差し出した。つられるように蓮が紙面に視線を落とす。
 そこには、見覚えのある店名が書かれている。
 ゲームセンターAz、と。
 それはつい先頃、一度行った事がある店だ。確か、透明の鎌を持った黒衣装の少年がいる――……
「その店に行って、ある人の様子を見て来て欲しい」
「え? ……ある人?」
「キリシマ・サトル……いや、キリシマ・サトリ、という人がいるから。僕の患者さんで、二月頃に交通事故に遭って運ばれてきた人なんだけど……様子を見てきて欲しいんだ」
 頼めるかな、と再度問われ、蓮はメモを受け取りながらただ素直にこくんと頷いた。
 どうせ、演奏活動縮小中で暇な身である。
 それに、何より。
 彼――雲切千駿の頼みなら、何でも聞いてあげたいから。
 彼の頼みに限り、「断る」という選択肢が、蓮には欠如しているのである。


【chapter:2】

 自動ドアが開いた瞬間。
 中からさあっと、肌に纏わりついていた生温い外気を切り払うような冷えた空気が流れてきた。
 梅雨時期、湿度の高い外気に晒されていた肌は、冷気のシャワーによりべとつきを洗い流され、清涼感を覚える。
 ふっと一つ息をつくと、蓮は店内へと足を進み入れた。
 店内は、平日だというのに結構な賑わいだった。別に学生が多いわけではなく、何だか妙に浴衣姿の女性やカップルなどが目に付いた。
 そういえば、街中を歩いている時にも何人か、浴衣を着た者とすれ違った気がする。
 どこかで祭でもあるのだろうか、などと思いながらそれ以上、特に何の感慨を持つでもなく綺麗に着飾った女の傍を通り過ぎる。
 店内はあちこちから様々なゲーム機が紡ぎ出す音に満ちている。蓮の耳に触れるのは、ヴァイオリニストでありクラシックに馴染んだ蓮にとっては、どこか遠さを感じさせる曲ばかり。
「――――……」
 耳に入り込む音をごく自然に聴き流しているだけなのに、頭が勝手にそれらを脳内で譜に起こしていく。頭の中で煩く跳ね回る幾つもの音符たち。
 纏わりつく音を厭うように僅かに眉を寄せると、蓮は左耳の辺りに左手を当てて一度緩く頭を振った。その仕草で、譜面を起こし続ける意識のチャンネルを切り替えるかのように。
「…………」
 電源を切られたかのように一瞬にして静かになった脳内に、安堵するようにふっと一つ吐息を漏らすと、その双眸を周囲へと巡らせた。
 霧嶋聡里、という名の人物を求めて。
「ん……?」
 ゆっくりと周囲を見渡していたその眼に、ふと、探すものとは違うものが映り込んだ。
 それは、壁に貼りつけられた一枚の紙。
 豪快な文字で何かが書き綴られており、そこに赤いインクで一際目立つように書かれているのが今日の日付だったため、意識を引かれたようだ。
(……なんだ?)
 するりと人の波をすり抜けて、蓮はその紙の前まで移動した。そしてざっと文面に眼を通し、ああ、と微かに声を漏らす。
 店内に浴衣姿の女性の姿がいるのはやはり、近くで祭がある為らしい。
 しかし、だ。それはどうでもいいとして。
「……なんだか、どれも微妙な……」
 それもまたどうでもいい事ではあるのだが、店長が欲しい物を買って来たら与えられるという景品一覧を見て、蓮は呟く。
 まあ……金儲けに精を出していた頃の名残だろうか、サマージャンボが気になると言えば気になる。
 が、ふと。
 視線が、三番目の景品に留まった。
(五〇本の薔薇の花束……?)
 そういえば、まだ彼にはそういう類のものを贈った事はない。花というと、つい先頃蓮の双子の兄と結婚した義姉が植えた物が特別室のすぐ外の花壇に四季折々咲いている為、買ってくる必要がなかったからだ。
(……いきなり薔薇の花束なんて持って帰ったら驚くだろうか)
 千駿の鳶色の瞳が驚きに見開かれる様を思い浮かべて、ふと口許に笑みを浮かべた。
 その時。
「どうだい、兄さん。退屈そうじゃないか。ちょっとソレに参加してみないかい?」
 いきなり背後から声をかけられて、蓮は肩越しに振り返った。
 そこには左眼に眼帯をした自分と同じくらいの身長の、あまり女らしさを感じさせない黒スーツの女が立っていた。にやにやと化粧っ気のない唇に笑みを刻みつつ、腕を組んで蓮を見ている。
 先の台詞からするに、どうやらこの店の関係者らしい。そうと悟ると、蓮は眉宇に縦皺を刻んだ。さっきまで愛しい人を思って浮かべていた柔らかな微笑みが一転、いつもの怜悧で冷めた表情へと戻る。
「人混み苦手だから嫌だ」
 素っ気無く答えて、その場から歩き去ろうとして……ふと、蓮はもう一度その女の顔へと視線を向けた。
 正確に言うなら、その左眼を覆い隠している鋲つきの黒い眼帯に。
 躊躇ってから、蓮は少し視線をずらして問いかけた。
「……、見えないのか? その左眼」
「ん? ……さあて? 私が仕掛けたお遊びに参加してくれないような冷たい輩に、教える謂れはないねえ?」
 つまり、この女が紙に書かれている「店長」という事か。
 そう判断すると、蓮は静かに視線を斜めに落とした。
「仕方ないだろう、別に心惹かれる商品もないんだし。何でもっと見るからに欲しくなりそうなものはないんだ?」
「この選択肢の絶妙さが分からないとはアンタもまだまだ若いな」
「…………」
 絶妙と言うよりは微妙。そんなもの分かってたまるか。
 ……と言いかけた言葉は飲み下し、こんな変な人間には関わらないのが得策と言わんばかりにさっさとその場から離れようと、踵を返しかけた時。
 ふと、視界の端に白い何かを捕らえた。
「?」
 視線をそちらに転じると、頼りなくふらふらと歩いている一人の少女が眼に映った。
 白いドレスのような、ひらひらとレースがあしらわれたワンピースを纏った太腿近くまでの長い銀の髪を持つ少女。その銀の髪を見て蓮は、同じ色の髪を持つ自分の師を思い出したが、それも一瞬の事。意識はすぐに別の事に向いた。
 歩く、その少女の双眸。
 なぜか、閉ざされたままなのだ。
「……あ」
 近くにある壁に手を添え指先で探るようにしながらふらふらと歩いている彼女を暫し眺めていた蓮は、その小柄な体がふらりと前に傾いだのを見て微かな声を零し、次の瞬間には何か考えるより先に彼女の傍へと歩み寄っていた。そしてふらりと前に倒れこみそうになったところを、片腕を伸ばして支える。
「――――……」
 それに、ぱっと少女が蓮へと顔を向けた。そして穏やかな微笑を口許に浮かべて唇を動かそうとして……そのまま黙り込んでしまう。
(……、何だ……?)
 何か違和感を感じて眉を寄せた蓮に、後をついて来た店長が横から少女の頭に手を置きつつ、微かに笑った。
「この子は両方、眼が見えないんだ。それプラス、喋る事も出来ない」
「……見えないし、喋れない……?」
「そう。なあ、瑪瑙?」
 瑪瑙、と呼びかけられた少女は、さらと長い髪を揺らせて少し首を傾げてから、にこりと笑う。やはり、双眸は閉ざしたままだ。
 その瑪瑙の体をきちんとその場に立たせてから腕を放すと、蓮は口許に手を当てて暫し少女を眺めた。
 そんな状況に置かれているのに、どうしてこんなににこにこと笑っているのだろう。目は見えず、何も喋れないのに……。
「……ところで暇そうな兄ちゃん。一体ここに何しに来たんだい? 遊びに来たって訳でも無さそうだけど」
「え?」
 言われて、蓮は瑪瑙から視線を外して店長の方を見やった。そして、ここに来た目的を思い出す。
「ああ……キリシマ・サトリという人に逢いに来たんだが」
「霧嶋に?」
 両眉を持ち上げて、店長が不思議そうな顔をした。
「一体何の用だ? マスコミ関係の人間にも見えないが」
「そいつ、二月頃に一度、交通事故に遭ったんだろう? その時そいつを診た医者が様子を見てきてくれと言うから来たんだが」
「お医者がねえ……と言う事はアンタも医者か? いや、医者っていうよりはむしろ、芸術家? な感じがするが」
「いや、俺は……」
 芸術家ではなく演奏家、と言いかけたその時、くい、と蓮の纏った白いシャツの裾が引かれた。何かと視線を向けると、瑪瑙が白い手でシャツを掴み、引っ張っている。
「……?」
「あー、この子、霧嶋の子だからさ」
「え?」
 店長の言葉に、蓮は眼を瞬かせて瑪瑙を見る。その視線を感じてか、瑪瑙はまた小さく首を傾げてあどけなくにこと笑う。白いヘッドドレスに結ばれている白く長いリボンが肩口で銀の髪と一緒にさらと揺れた。
 その笑顔に答える術を持たない蓮の事を意に介せず、今度はシャツを掴んでいた手を離し、瑪瑙は蓮の左手をきゅっと握り、軽く振る。
「…………」
 どう反応したものかと戸惑うような顔をする蓮に、あー、と店長が声を零した。
 どうやら瑪瑙はこの愛想のない青年が気に入ったらしい。そう見て取ると、ニッと笑って。
「よし。アンタには瑪瑙を連れて祭に行く事を命じよう」
「え?」
 いきなりの発言に、蓮はまた眉を寄せた。
「……ちょっと待て。そんな、勝手に俺の都合を」
「どうせ霧嶋に逢いに来ただけで、実際は暇なんだろう? じゃあその暇な時間を、眼が見えず話も出来ないためロクに外へ出る事も出来ず世の楽しみも知らない哀れな小娘に祭という楽しい行事を教えるために使ってもバチは当たらんよ」
 一息に紡がれたその言葉に、蓮は少し言葉を詰まらせてから、だが、と口を開く。
「そんな状態のこいつを人混みの中に出したりしたら危ないだろう」
「そこはそれ。兄さんが上手くエスコートしてやんな。それはもう男の義務として当然の事として」
「いや、だから……」
 この強引さは一体何なのか。
 呆れがちに、自分は用を済ませたらさっさと帰りたいからと言いかけるが、ふと。
 傍らから、手を握ったままじっと蓮の反応を眼を閉ざしたまま伺っているらしい瑪瑙の様子に視線を向ける。
(……眼が見えなくて……自由に外へ出て行けない……)
 その二つを思い、蓮は暫し黙してから、ふっと一つ溜息をついた。
 蓮がその時何を考えたかは、明らかだった。
 彼をここへ送り出した恋人の事、である。
 生まれつき右眼に視力がなく、現在はある事情で外に自由に出て行くことが出来ない、恋人の――……。
「……、お前……外、行きたいか?」
 その問いかけに、瑪瑙は蓮の顔を見上げるように少し顎を持ち上げてから、ほんの少しだけ小さくこくりと頷いた。
 それを見て、店長がにやりと笑った。
「決まりだな。霧嶋には後で逢わせてやるから安心して行って来い。アイツも祭に行ってるから、その内帰って来るだろ」
 背を勢いよくバシバシと叩かれて迷惑そうな顔をしながら、蓮はちらりともう一度、壁に貼られていた紙の方へと双眸を向けた。
(……彩、透、涼……か)
 キーワードを頭の片隅に置くと、左手を瑪瑙に掴まれたまま、蓮は自動ドアの方へと向かって歩き出した。


【chapter:3】

 元々、そんなに口数が多くはない蓮である。
 そして、その隣を歩いているのは、喋ることが出来ない少女。
 ……としたら、自然と無言がその間には流れ続けるわけで。
「…………」
「…………」
 露店が幾つも並び、様々な食べ物の匂いが漂う賑やかな通りの中、黙々と、ただ手を繋いで歩いている白いシャツの青年と真っ白いドレスのような服を着た眼を閉ざした少女。
 傍から見ると、なんとも妙な二人である。
 ちらちらと好奇の色を含んだ視線が向けられるが、そんな物には構う事なく、蓮はふっと僅かに眉間に皺を寄せて短く息を吐いた。
 ゲームセンター内に居た浴衣姿の人々と、そこへ行くまでに見かけた同じような姿をした人々の姿から、薄々想像はしていたが。
(やはり、人が多い……)
 祭である。人が多いのは当然の事だと言われればそれ以上何も言えないのだが、ただでさえ、本当に人混みが苦手な蓮である。長時間こんな場所に居たら、人酔いして確実に、気分が悪くなる。
 さらに、それに加えて今は傍らに眼の見えない少女がいる。
 転ばないように、通行人にぶつからないように、と足許と周囲に常に気を回しておいてやらなければならない。身体的疲労は感じないのだが――Azを出る時にこの場が特殊な空間内にあるのだという事は既に店長から聞いた蓮である。今まで幾度か変な異空間に入り込んだ事がある蓮にとって、それは「ああ、またか」程度のものだったが――いい加減、精神的疲労が蓄積して来て、眉間の皺が標準設定状態になりつつある。
(もう帰ろうか……)
 この場に来てまだ一〇分も経っていない内からそんな事を思い、また一つ、凝り固まりかけた意識を解すようについた溜息が聞こえたのか、瑪瑙が少し顔を上げた。
 どうかしたのかと問われているような気がして、蓮は緩く頭を振る。
「……いや、何でもない。それより、何か……」
 欲しい物とか食いたい物は、と問いかけて、この場では味覚が意味を成さない事を思い出し、さらに、彼女はおそらくこの場にあるものの殆どを知らないのではないかと思い、口ごもる。
 けれど、一つ一つ説明して回るのもなんだか億劫で――代わりに、別の言葉をかけてみた。
「退屈じゃないか?」
「…………」
 それに、ゆるく頭を振る瑪瑙。
 ……それだけで、会話が終わってしまう。
 だが、別に沈黙が嫌いな訳でもない蓮は、そうか、とだけ短く答えると、気を悪くするでもなくとりあえず再びゆっくり歩き出した。
 何をする訳でもないが、歩いているだけでも瑪瑙は十分に楽しそうにしている。それならそれでいい。
 滅多に出られない、外。その場に居られるだけでも、彼女にとっては嬉しいものなのかもしれない。
 人いきれや、その場に流れる空気だけでも。
 特に用事もなかったし……人混みは苦手だが、まあ喜んでいるのならそれでいいかと思い、蓮は微かに笑みを零した。
 そしてふと。
(そういえば……)
 脳裏に、店内にあった貼り紙を思い描く。
(彩、透、涼……か)
 浮かぶのは、かき氷か飴細工か、すくい物系の――水に泳ぐ金魚か、水風船か……あとは。
(風鈴屋に金魚の模様でも描かれた透明な硝子の風鈴とかあれば……)
 思い、ふと瑪瑙を見る。そして握られたままの手を軽く持ち上げて。
「すまない、少し……風鈴を買いに行ってもいいだろうか?」
「――――」
 問いに、こくと頷く瑪瑙。
 別に、店長への土産として買っていこうと思ったのではない。むしろ、それはこの際もうどうでもいい。
 それより。
 風鈴を買い、それを病院で待っている彼への土産にしようと思ったのだ。
 窓の向こうにぶら下げれば――毎日同じ景色しかないその場所に、少しは、夏の雰囲気が色濃く漂うかもしれない。
 ……あの人に、涼しげな音色を紡ぐ夏の彩を、味わってもらえるかもしれないから……。
 
 
【chapter:4】

 結局、風鈴を買ってから、何をしていいのか分からないままふらふらと歩き――いつしか祭の人波を抜けて近くの住宅街の中にあった人気のない小さな公園のベンチに腰掛けて、二人は休んでいた。
 いや、別に疲れている訳でも何でもないから「休んでいた」というよりはただ「座っていた」だけなのだが……その間に、長ったらしい瑪瑙の髪を結んでやろうと思い立ち、公園に来るまでにあった店で買った赤いリボンで、蓮は長い銀の光を宿す瑪瑙の髪を器用な手つきで編み込み結んでやった。
 随分前に師の長い髪も纏めてやっていた事があったため、編み方くらいは分かっていた……が、あまりにも瑪瑙の髪が長かったため少し手間取りはした。
 さらさらと零れて指先に絡まる絹のような髪に苦笑すると、不思議そうに瑪瑙が肩越しに振り返ろうとする。それを「動くな」と制止し、細く長い指を操り、綺麗に編み込んでいった。
 なんだか、祭の場にいるよりよほど嬉しげに、眼を閉ざしたまま周囲にある音を聴いている瑪瑙の横で、蓮も何となくぼんやりと空を眺め――そのままその場で無言のまま三〇分ほどぼんやり時間を潰し、結局、それ以上何をするでもなくまっすぐAzに戻って来たのである。
「やあ、おかえり」
 帰りついたところ、入口間近から唐突に声をかけられ、蓮は深い溜息をついてそちらを見やる。
 それは丁度入口からは死角になる、プリクラ筐体の裏側。そこに体半分を潜めたまま、ニヤニヤと右眼を細めて笑っているのは店長である。
「どうしてそう、人を驚かせるような声のかけ方をするんだ。悪趣味だな」
「なにを言う、ちっとも驚いたような顔してないくせに」
「…………」
 そういえば、前にここに訪れて変な空間に飛ばされた時――あの時にも、数日後、街でバッタリ出会ったあの黒衣装に透明な鎌を持った少年に背後から唐突に声をかけられたが……。
 自分の周りはそんな奴ばかりか。
 溜息をつきながら、蓮は傍らに立っている瑪瑙へと視線を戻した。それにつられるように、店長も瑪瑙を見る。
「おかえり瑪瑙。どうだ、楽しんできたか? この兄ちゃんに何か変なコトされなかったか?」
「誰がするか」
 動揺する事も慌てる事もなくごく冷静に言うと、蓮は瑪瑙と繋ぎあったままの手をちらと見てから微かに笑った。
「荷物、持たせて悪かったな」
 言い、瑪瑙の手に下げられていたビニール袋を受け取る。中には、硝子製の風鈴が三つ、入っていた。買った時、蓮は自分で持とうとしたのだが、横から瑪瑙が手を差し出し「持ちたい」というようなジェスチャーをしたので、まあ別に拒む事もないかと彼女に持たせてやったである。
 落として割るなよ、とだけ指示を与えて。
「お、瑪瑙が持ってやってたのか。えらいぞ瑪瑙……ん?」
 手でわしゃわしゃと瑪瑙の頭を撫でていた店長が、半透明のビニール袋から透けて見える中身に、あ、と声を漏らした。そしてぱっと蓮を見る。
「兄ちゃん、ちゃんと買ってきたんだな! しかも三つも!」
「は?」
「ほらほらっ、景品は何がいい? あんまり売れ行きよくなくてねえ、まだ全部残ってるんだよなァ。なんか皆、図書券がいいだの人形がいいだの言うし」
 これだけ微妙な商品ばかりだったらそれも自然な事だろう。妙な物を貰うよりは図書券を貰っておくほうがよほど有難い。
 ……とは思うが、あえてそれは口にせず、どうやら自分の土産として買ってきた物が正解だったらしいその事態を前にして、さてどうしたものかと暫し悩み――結局、蓮は袋の中から一つ、風鈴を店長へと差し出した。
 本当は、一つは自分と千駿の部屋用、一つは兄夫婦宅へ、一つはまるで本物の親子のように仲良くしている千駿の父への土産にしようと思っていたのだが。
 自室には、風鈴を持ち帰る代わりに別のものを持ち帰ってもいいと思ったのだ。
 持ち帰るのなら、最初に、あの貼り紙を見て考えた物、を。
「なら……薔薇の花束を」
「薔薇の花束? あっはっは、アンタきっとよく似合うだろうなァ真紅の薔薇のデカい花束!」
 褒めているのかバカにしているのかいまいち分からない事を言いつつ、この上もなく楽しそうに笑いながら風鈴を受け取ると、店長はふと、仮面を剥ぐように一瞬で真顔に戻り、顎先でビデオゲーム筐体が並んでいるスペースの奥を示した。
「霧嶋、戻ってきてるよ。何か話あるんだろ? 終わったらカウンターに来な。景品渡すからさ」


【chapter:5】

 ようやく、この店へ来た元々の理由と対面し、蓮は眼を細めた。
 少し薄暗いスペースに、まるで身を隠すように居る、黒尽くめの男。この蒸し暑い時期に、黒いコートを纏い、帽子を目深に被り、両手には黒い皮製の手袋をはめている。
 ……何処からどう見ても、怪しい。
「私に用があるらしいが」
 傍らにある、三日月と太陽のような模型が中にぶら下がった白い鳥籠を指先で撫でながら、霧嶋が口を開いた。
 紡がれたのは、低く静かな声だった。よく言えば落ち着いた――悪く言えば、抑揚のない声。
(これが、霧嶋聡里……)
 聞く所によると有名な人形師らしいが、そんな人物が一体こんな場所で何をしているのだろう……と思い、ゆると頭を振る。
 とりあえず、今自分がすべき事は一つ。
 それは、そんな詮索ではなく。
「雲切病院の雲切千駿医師に、お前の様子を見てきて欲しいと言われて来た。体の具合はどうだ。……もっともここは奇妙な空間らしいからこの質問は意味がないかもしれんが」
 意識的にではないが、相手が見るからに胡散臭いためだろうか……自然と声が抑え気味になる。昔、便利屋でよくこういう雰囲気の者と「裏の」仕事の打ち合わせなどをしていた時と同じような感覚が、蓮の意識を包んでいた。
 ちらりと、その先程までとは違うやや硬めの蓮の声に、傍らでまだ彼の左手を握ったままの瑪瑙が、閉ざした双眸の裏の瞳で様子を伺うかのように顎を少し持ち上げた。が、すぐにその顔を正面にいる霧嶋へと向ける。そして、少し、握った蓮の手を持ち上げた。
 その瑪瑙の仕草に何を感じたかは分からない。が、自らの顎先に手を当てつつ霧嶋はその口許に笑みを浮かべた。よく見ていなければ分からない程度の、微かな笑みを。
「それはわざわざ。千駿先生には問題ないと伝えてくれ」
「……、分かった」
 それだけを聞くと、蓮は踵を返した。用はそれだけだったからだ。
 千駿には「彼の様子を見てきてほしい」としか言われていない。なら、自分が成すべき事はこれだけだ。
 そう思い、歩き出そうとした所。
 く、と。
 まだ瑪瑙に掴まれたままだった左手が引かれた。帰ろうとしたら自然に離すものだと思っていたのだが、さっきより強くその手を握られている。
「……、どうした」
 問いかけると、す、と瑪瑙が繋いでいた蓮の手にもう一方の手を添え、持ち上げた。そしてその掌に、左の人差し指を滑らせる。
「……?」
 ――ありがとう。
 不思議そうに瑪瑙の指の動きに視線を落とした蓮は、その掌の上に綴られた文字に一つ瞬きする。ちらと、瑪瑙がもう一度蓮の表情を伺うように、双眸を閉ざしたままの顔を上げた。
 分からないか、と言うような顔つきに、いや、と蓮は答えると、微かに笑った。
「そうか……喋れなくてもそういう事は可能なんだな。見えなくても文字は知っているのかと驚いたんだが」
 ――ふたごのかたわれにおしえてもらいました。
「え? お前、双子なのか……?」
 ――こはくという、あにが。
「……そうか」
 その言葉に、蓮の表情がごく自然にふわりと解けた。
「俺も双子なんだ。お前と同じで、兄がいる」
 ――おなまえは。
「え? 兄のか?」
 ――あなたの。
 綴られた文字に、そういえばまだ名乗りもしていなかった事を思い出して苦笑する。
 瑪瑙の左手を取り、そこに左手の人差し指で「香坂蓮」と綴った。
「こうさか、れん……という」
 ――れん。
「ああ」
 確認するように書かれた文字に応えを返す蓮に、嬉しそうににこにこと笑顔を見せ、もう一度瑪瑙は「れん」と蓮の掌に書いた。
 その二人のやり取りを暫し眺めていた霧嶋が、顎先に手を置いて微かに笑った。
「おいで、瑪瑙」
 呼ばれて、瑪瑙はパッと顔を霧嶋の方へ向け、するりと蓮の手を離してそちらへと歩み寄る。そして、霧嶋の傍らにあった鳥籠の傍に座り込んだ。
「……もしお前が」
 蓮の少し紫がかった青い瞳が自分へ向けられるのを感じながら、霧嶋はゆっくりと言葉を紡いだ。
「死者と話したい時には、瑪瑙に、その死者に纏わる物を渡すといい。この子ならその望みを叶えることが出来る」
「……、死者と?」
「今日、瑪瑙を楽しませてくれた礼だ。望む時にはいつでも来るが良い。ただし、会話できるのは一分間のみ。同じ死者は二度と喚べない」
 言われて、ふと、蓮は自分の左手の薬指に嵌っている指輪を見た。
(死者と、話したい時……)
 その指輪は、蓮が最愛の人から貰ったもの。そして、その指輪の内側には、千駿の亡くなった母親が彼に遺した天然のブルーダイヤモンドが嵌め込まれている。
 これを瑪瑙に渡せば……。
(千駿のお母さんと話せる、のか……?)
 黙り込んでじっと指輪を見つめている蓮の様子に、霧嶋が帽子の下の双眸を僅かに細めた。
「……、どうやらお前には聞きたい言葉があるようだが」
 少し考えてから、蓮は、目を伏せてゆっくりと頭を振った。そして視線を上げて微かに笑う。
「話したい人はいる。でも、きっと……」
 そっと指輪に触れて、もう一度その双眸を伏せ。
「……死者の眠りは、生者の感情一つで妨げてはいけないと思うから」
「死者も、話したいと思っているかもしれないのに?」
「……、だとしたら……俺が話したいと思う人の言葉を聞くのは、俺ではダメだと思う」
 もしそうだとしたら――きっと、千駿こそが聞くべきだから。
 それに、と言葉を継いで、蓮は笑った。
「俺はこの指輪を外せない。何があっても。だから、瑪瑙に渡す事もできない。つまり、どっちにしても俺には言葉を聞くことはできないということだ」
 だが、必要な時には利用させてもらう、と常の彼らしいクールな言葉を紡ぐと、蓮は今度こそ踵を返して歩き出した。


【chapter:Final】

 もう二度とやらない。
 絶対に、しない。
 ――そんな事を思いながら、蓮は雲切病院に戻ってきた。
 思い切り表玄関から入った事を、まず失敗だったと思う。思わず、こういう時に特殊技能でもある「侵入」という、昔便利屋時代に役立てた能力を使わなくてどうする、と後悔してしまったりしたのだが。
 そんな事をしたらしたで、きっと、千駿に「何をやっているんだ」と言われるのだろう。
 いや、たとえそう言われても、それを決行すべきだったかもしれない。
「――――……」
 いや、それよりも早くここを抜けなければ。
 ……なんだかまとまりのない思考を抱えつつ、とりあえず、蓮は足早に外来待合室を抜け、外来棟から渡り廊下へと向かうルートを取る。
 その途中にある薬局前では、なぜか殊更、足が速くなった。
 それもひとえに、「こんな所を義姉に見られるわけにはいかない」という思いから、であろう。
 何となくそんな事を考えつつ、ひたすら早足で――それは半ば駆け足にも近い速さで――移動する。とっくに外来受付の時間が終了しているためか、薬局受付前にも人は疎らだった。
 ……とりあえず、義姉に姿を見られずに済んだか、と薬局前を通過して軽く息をついた、その時。
 心に出来た間隙を突くように、薬局のドアが開いた。
 まさか、という思いが一瞬過ぎり、体がびくりと硬直し……ついでに、足が止まった。
 そして、嫌な予感というものは得てして当たるもので。
「あら、蓮?」
 聞き慣れた、優しい女性の声が耳に届く。
 勿論それは、義姉のもの。
 一瞬、振り返ろうかどうしようかと迷った。ただ声をかけられただけなら聞こえなかったふりをして逃げればいいのだが、足を止めてしまった以上、そんな真似もできない。
 どうしようかと、混乱しかける頭をフル回転させる。その間に、彼の義姉は不思議そうに首を傾げた。さらりとその肩に零れた艶やかな黒髪が揺れる。
「蓮? どうしたの? ……あら、一体何を抱えて……」
 その言葉を聞いた瞬間、蓮は体の硬直を解き、ほんの少しだけ肩越しに振り返り。
「ごめん、姉さん!」
 それだけ言い置くと、院内だと言う事も忘れて一目散に駆け出した。
「あっ、蓮……、……」
 軽く持ち上げた、行き場のない手をそのままに、義姉は暫しその場に取り残されて立ち尽くしていたが、ふと、その足許にはらりと舞い落ちた何かに目を留め、しゃがみ込んだ。
 そして、それをひょいと指先で抓む。
「……薔薇の花びら?」
 ――それは、真紅の薔薇の花びらだった。


 もういやだ。
 絶対に、二度とやらない。
 そもそも、こんな事を考えた自分が莫迦だったんだ。浅はかだったんだ。
「…………」
 ようやく辿り着いた、蓮の現在の住まい――雲切病院内・特別室前。
 けれども、蓮はドアから少し離れた場所に立っていた。そして、そこでまたしてもぐるぐると後悔と言う名の意識の檻の中を行ったり来たりしていた。
 ドアの前に立たないのは、そこに数秒立ち続けると室内でベルが鳴り、人が立っている事を知らせてしまうからだ。
 ……自分の住まいに入るのに何をそんなに躊躇うのか、と思う反面、どうしよう、という思いが、ぐるぐる。
 ううう、と低く唸ると、蓮は酷く困った顔付きで自分の腕の中を見下ろした。
 そして、深い溜息をつく。
「……今更捨てる訳にもいかないしな……」
 ――人間、諦めが肝心である。
 覚悟を決めると言うよりはむしろ諦める感じで、蓮はようやく、とぼとぼと特別室のドアの前に立った。そして、中にベルが鳴る前にドアの横に取り付けられているインターホンを押す。
 ドアが開く前に、深く一つ深呼吸して。
 静かにドアが開くのを見て、蓮はそのドアの隙間に割り込ませるように、手に持っていた物を差し出した。
「えっ」
 中から微かに、驚きに満ちた声が聞こえた。
 それは紛れもなく、愛しい人の声。
「……、蓮?」
 一瞬、真っ赤に染まった視界に「何事か」と思った特別室の主――千駿は、それが真紅の薔薇の花束だと知り、数度瞬きしてからドアの向こうにいるであろう者の名を呼んだ。それに、ちらりとドアの隙間から、青い瞳を覗かせるのは……蓮である。
「……ごめん、驚いたか」
 自然と、何やら申し訳ない事をしたかのように、声がトーンダウンしてしまう。
 ――蓮がここまで一体何を激しく後悔しながら歩いてきたかと言うと。
 その少し両腕に五〇本もの見事な真紅の薔薇で作られた花束を抱えて来た、という事だ。
 店長が蓮の望みを聞いて大笑いした理由が、蓮はここへ帰りつくまでに嫌というほど分かったのだ。
 蓮は、ここからAzへ向かうのに、徒歩と電車を使った。
 車などではなく、徒歩と電車である。
 ……どれだけの人の眼に晒されたか……想像するのは容易いだろう。
 元々、ヴァイオリニストであるため、舞台などに立ち、人の視線を浴びることには慣れている。人の眼が怖いなどという事はない。
 だが、それとは明らかに質の違う視線のシャワーが、ここに戻ってくるまでの蓮に降り注いだのだ。
 ――まさか、花束を抱えて街中を歩くのがこんなに恥ずかしいことだとは思わなかった。
 そしてやっと病院まで辿り着いたかと思ったら、また、外来待合室に居た人々に驚きと好奇の視線を向けられてしまい……。
 義姉から逃げたのも、そんな物を抱えた姿を見られるのが恥ずかしかったからだ。
 深く一つ溜息をつくと、蓮はドアの隙間から見える千駿の様子をちらりと伺った。彼はただ、瞬きをして薔薇の花束を見ている。
「どうしたんだ、これ」
 その問いに、ふう、とまた一つ溜息をつくと、蓮は視線を斜めに落とした。
「……、プレゼント」
「プレゼント?」
「……、千駿に」
「僕に、薔薇の花束を?」
「…………。……悪い、なかったことにしてくれ」
 言うと、蓮は差し出したままの薔薇の花束を引き戻そうとしたが、逆に、ドアを大きく開かれてその手首を掴まれ強く引かれ、半ばよろけるようにして室内に足を踏み入れた。
 倒れそうになった体は、そうなる前にふわりと抱きとめられる。
 ぱたんと、背後でドアが閉まった。千駿が蓮を抱きとめたのとは逆の手で閉めたのである。
「……、千駿……?」
 様子を伺うように、ちらりと顔を見る。
 と。
 その顔がふっと下りてきて、額に何かが触れた。
「ありがとう。こんなプレゼント貰うのは初めてだ」
 見ると、千駿は優しい微笑を浮かべていた。
 その笑顔を見るだけで、さっきまで蓮の中で蟠っていた種々の後悔は一気に氷解する。
「……よかった」
 呟くと、ようやく蓮も笑みを浮かべ、抱きしめられる腕に答えるように――ほんの少し躊躇ってから、そっとその背に腕を回し、静かに目を伏せた。
 やっと帰りついたこの場所を――愛する人の腕の温もりを、その心で確認するように。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業/階級】

0086 … シュライン・エマ――しゅらいん・えま
        【女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員/大天使】
0733 … 沙倉・唯為――さくら・ゆい
        【男/27歳/妖狩り/大天使】
2577 … 蓮巳・零樹――はすみ・れいじゅ
        【男/19歳/人形店店主/大天使】
1532 … 香坂・蓮――こうさか・れん
        【男/24歳/ヴァイオリニスト/天使】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 香坂 蓮さん。
 異界依頼への初のご参加、ありがとうございます。そして、再会できて嬉しいです。
 瑪瑙を祭に連れて行っていただいてありがとうございました。
 過去の依頼を少し拝見しました所、「目」に拘っておられるようでしたので、やたらと「眼が見えない」に拘る感じになってしまいましたが……。
 祭シーンよりは、どちらかと言うとその他の部分を多く書かせていただきました。
 瑪瑙の能力につきましては、入用な時にはいつでもご利用ください。
 景品は、薔薇の花束……という事で、なんか……薔薇の花束抱えてる蓮さん想像して何度も何度も眩暈覚えて倒れそうになったのは内緒で……(笑)。
 どうぞ雲切さんとこれからも仲良く……(笑)。
 そしてまたしても、ヴァイオリン演奏描写がないですね。
 一体いつになったら書くのかと……スミマセンっっ(倒)。つ、次こそは!

 本文について。
 界の詳細な規則等は、すでに異界をご覧頂いていると思い、省かせていただいています。
 わかりにくい、と言う場合は、異界にてご確認ください……。
 今回は、全PCさん完全個別となっております。
 他の方が祭で何をされていたか、興味ありましたらちらりと目を通して頂けると嬉しいです。

 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームかテラコンからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。

 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。