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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


朱色の永久(しゅいろのとわ)


 梅雨入りをしたと言うのに晴れた日が続いている。
 照梅雨の空には白い雲がちらほら浮かんでいるが、どう見ても雨を連れて来そうなそれとは違っていた。
 御柳狂華(みやなぎ・きょうか)は広大な神聖都学園にいくつかあるうちの一つである中庭のベンチの上に座って空を仰ぎ見る。
 ベンチは自然の多い中庭に並ぶ木のおかげでちょうど日陰になっていたため幸いなことに狂華の白い肌が強い日差しにさらされることはなかった。
 常日頃はどちらかと言うと長袖を着ているために肌の露出は少ないのだが、この異常なまでの暑さに太陽に照らされた旅人同様彼女も上着を脱いでいた。
『……暑い』
 そう心の中で呟く。
 彼女には『声』が無い―――正確に言うならば無いと言うより失ったのだが。
 失ったものは多いのに、それと引き換えに何を得たのか……。
 人がその2本の腕で抱えられる『荷物』は限られている。だから、狂華は得たくもない『モノ』の代わりに失くしたくない『モノ』を次々とその腕から手放さなければならなかった。そのうちのひとつが『声』だった。
 そんな過去が、狂華に翳を落としている。
 その翳も狂華の美貌にとっては装飾として他人の瞳には映るらしく、皮肉にも学年一の美少女という彼女の人気に拍車をかけると同時に、一目置かれてしまう理由となっていた。
 だからと言うわけではないが、狂華は一人でこの場所で過ごすことが多かった。
 でも、それも狂華にとっては嫌いな時間ではないのだが。
 狂華が暑さに小さく息をこぼした時、ごく微かな葉の擦れる音。
 声は失ったが、その分狂華は音に対して敏感になっていたので、小さなそんな音にもすぐ反応をして音の方を見る。
 かさかさ―――
 そんな音と一緒に茂みからひょっこりと艶のある白銀の毛並みの子狼だった。
 その銀狼は見る見るうちに二十歳過ぎ程の人型へと姿を変える。
 銀の長い髪と金の瞳の麗しい見目になったその銀狼は、
「きょーか」
と、その見た目の割りにともすると幼く聞こえるような呼び名で狂華の元へ駆け寄って来た。
『お姉ちゃん』
 狂華は自分に駆け寄って来た彼女―――九条真夜(くじょう・まや)に心持ち和らいだ念話で呼び返す。
「きょーか、明日この前言ってた遠乗りに行かない?」
 以前に狂華と真夜、そして狂華の恋人である御影蓮也(みかげ・れんや)の3人でお弁当を持ってどこかへ遠乗りに行こうと約束していたのだ。
『ん……。そしたら、蓮也にも言っておくね』
 こくりと狂華は素直に頷く。
 待ち合わせの場所と時間を決めると真夜はまた子狼の姿に戻り、現れた茂みへと姿を消した。


■■■■■


 判りやすいようにと、狂華と真夜が決めた待ち合わせ場所は神聖都学園の校門前でだった。
 最初、待ち合わせ場所を聞いた蓮也は、
「狂華ちゃん……そんな目立つ場所で待ち合わせなんてまずいんじゃない?」
と、思わず問い返してしまった。
 何せ、今日の目的は、
『お姉ちゃんの背中に乗せてもらって、気持ちのいい場所に行って、一緒にお弁当食べたい』
という狂華の希望を叶えるためだったからだ。
 自分たち2人が乗っても平気だと言うことは、成狼状態の真夜は相当大きいのだろう。
 人目を引くような場所に蓮也は心配をしたのだが……よくよく考えればこんな朝早い時間の校門に人が居るはずもない。
 堂々と、真夜は成狼の姿で待ち合わせ場所に現れた。
 真夜は蓮也と狂華の前に腰を下ろして、
「じゃあ、早速行きましょう」
と言うと、2人を自分の背中へと促した。
 まず先に乗った狂華が、
『お姉ちゃんの背中……毛並みが綺麗だから柔らかくて気持ちいい』
と真夜の背中を撫でる。
 真夜はその感触が気持ちいいのかうっとりと目を眇めた。
 作ってきたお弁当は大きな風呂敷のような布に包んで真夜の首にしっかり括りつける。
 それから、蓮也は狂華の後ろに座った。
「で、義姉さん、目的地は?」
 狂華の後ろに乗った蓮也がそう問いかけると、
「それは着いてからのお楽しみです」
そう答え、
「じゃあ、2人とも気をつけて乗っていて下さいね」
と真夜は注意を促して早速大きく跳んだ。
『すごく早いな……』
 あっという間に、神聖都のあの巨大な敷地が見えなくなった。
 2人を乗せたことなど感じさせないスピードで空を翔る。
 高層ビルの屋上を飛びながら真夜はどんどん進んでいく。
 真夜の背中で狂華は体中に風を感じていた。
「きょーか、怖くない? 大丈夫?」
 振り向く真夜に狂華は首を横に振って見せた。
 それに安心して真夜は更にスピードを上げる。
 3人の行く手には都庁あたりのビル群が広がっていた。
 しかし、どんな時にもトラブルメーカーと言うか運の悪い人間は居るもので、
「ふぁぁぁぁぁ―――」
と、一瞬大あくびをした蓮也は間違いなくその部類の人間だった。
 都庁から一際大きく真夜が飛んだ瞬間大欠伸をして手を離してしまったものだから、大きく体が揺れ蓮也は背伸びをした態勢のまま横倒しになった。
 当然重力に従って蓮也の体はビルとビルの隙間に真っ逆さまに落ちて行く。
『蓮也!―――お姉ちゃん、蓮也が』
「きょーか、しっかりつかまってて」
『わかった』
 狂華がしっかり自分の背を?んだのを感じて、真夜は高層ビルの壁を一気に下り降りる。その速度は重力と相俟って今までの速度よりも更に桁違いの速さだった。
 そして落下していく蓮也にたちまち追いつくと、壁を力強く蹴った。
 ビルとビルの間を飛びながら蓮也を上手く口でキャッチして隣のビルを再び壁伝いに駆け上がった。
 当然、不注意だった蓮也はいったんそのビルの屋上に上がって再度真夜の背に乗る時に、
「もう絶対手は離しません」
という約束をしっかりきっちりさせられたのは言うまでもない。


■■■■■


「着いた」
 そういって、真夜が2人を下ろした。
 真夜の背中の上から見た時は森の中にある小さな湖だった。
「義姉さん、ここはなんてところ?」
 その場所はまさしく、狂華リクエストにぴったりと嵌った、自然の蔽い気持ちのいい場所だった。
「四尾連湖(しびれこ)っていうのよ」
 四尾連湖は山梨の標高850メートルの少し小高い場所にあり、湖はぐるっと一周しても2キロメートルあるかどうかというそう大きくはない湖だ。近くの山からは富士山や八ヶ岳、南アルプス連邦が見渡せる自然が未だに色濃く息づいた場所であった。
 しかも、場所自体が非常に判りにくいところにあるためそう人は多くなく、人目を避けねばならない真夜にとっても好都合な場所でもある。
 真夜が人の姿に戻るのをまって、湖のそばにレジャーシートを敷いてそれそれが持ち寄ったお弁当を広げた。
 真夜は前に話をしていた団栗と胡桃の入ったパン。
 蓮也はバスケットに何種かのサンドイッチと魔法瓶にはブレンドコーヒー。
 そして、料理が得意な狂華のお弁当はというと、彼女がもっとも得意な日本料理―――魚の照り焼きや煮物、だし巻き卵などがそれぞれ詰った3段重ねの重箱だった。
 一の重は焼き物など、2の重は煮物、3の重にはデザートとして果物が詰め合わせてあった。
「うわぁ、きょーかホントにお料理が上手なんですね」
『お姉ちゃんのパンも美味しそう』
 真夜は狂華の作ってきた料理一つ一つを食べながら作り方を熱心に聞いている。
『1度軽く下味をつけてから煮てやると味が良く染み込むんだ―――』
「じゃあ、きょーか、これは?」
『あ……それはね―――』
 じゃれているうちにいつの間にか狂華は真夜の膝の上に乗せられているが、それはなんだかごく自然な仲の良い姉妹のような姿に蓮也の目には映り、微笑ましさに自然と笑みが浮かぶ。
「れんや、にこにこしてどうしたんですか?」
『……?』
 それに気付いた真夜と狂華は不思議そうな顔をして蓮也を見たが、蓮也はただ、首を横に振って、
「なんでもないよ。ただ、こんなに美味しい……しかも手作りのお弁当を食べれて嬉しいだけだよ」
という。もちろん『手作り』という言葉の前には“狂華の”と言う一言が当然隠されているのだが。
「2人とも、俺が持って来たサンドイッチも食べてくれよ」
「はい」
『うん』
 同時に答える2人を蓮也は温かな眼差しで見守っていた。


■■■■■


 お昼を堪能した後、湖の周りを散策してそのまま心地のいい原っぱで寝転んだ3人はいつの間にかそれぞれ眠りについていた。
 そして、連夜と狂華が目覚めると、そこに真夜の姿はなかった。
『お姉ちゃんは?』
 蓮也は狂華のその台詞に首をゆっくりと振った。
「義姉さんどこに行ったんだろう」
 そう呟いてから、腕時計を見ればもうしばらくすればここを出る予定の時間が近づいている。
 蓮也はすっと自分の手を狂華の目前へ差し出した。
「ちょっと探しに行ってみよう」
 差し出されたその手を狂華は取った。

 もう1度2人は周囲を歩き始めた。
 さっき3人で歩いた風景とは何も違わないのに何かが違っていた。
 それは景色だけのことではなくて、気温が……雰囲気が……そう、言うならば空気が違っていた。
 2人だと言うだけで。
 繋いだ手はそのままに、
「義姉さーん―――」
『お姉ちゃん―――」
 周囲を見回しながら歩いていた狂華がふと足を止める。
 必然、手を繋いでいた蓮也の足も止まった。
『―――蓮也。見て』
 そういって狂華が指差した先。
 湖を囲む山の一つに夕日が沈んでいく姿が、そこには見えた。
 夕日の朱に染まった空にキラキラと何か小さな粒のようなものが光る。
 その粒子は季節外れの小さな氷の粒だった。
 もちろんそれはこの季節に自然に見られるもののはずはなかった。
 季節関係なしのダイヤモンドダストは、今日の締め括りに恋人である蓮也と狂華を2人きりにしてあげようという心遣いの元しばらくの間大きな木の頂上に姿を隠し2人の様子を見守っていた真夜が作り出したものだった。
 その夕日を見つめる狂華を蓮也は背中から躊躇いがちに抱きしめる。
 自分の背後から前に回された腕に、狂華はそっと自分の手を添えた。
 3人それぞれが叶えられるはずもない“永久”を沈む夕日に願わずにはいられなかった。