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<東京怪談ノベル(シングル)>


運命の女に出会うまで、あとわずか


―これは、今より少し前のお話……。


 ぴちちちち……。ぴちちちち……。
 鳥たちのさえずりが、耳に入る。
 ぴちちちち……。ぴちちちち……。
 まるで、朝の訪れを歓迎するかのように、鳥達は歌う。
 ぴちちちち……。ぴちちちち……。
 龍也は、ぼんやりとした意識の中でそれを聞いていた。次第に大きくなる歌声に誘われて、龍也はゆっくりとまぶたを開く。最初目に飛び込んできたのは、落ち着いた色調の木の天井であった。天井の木目をたどりながら、だんだんと意識をはっきりさせていく。
―まぶしい。
 ふと窓に目を移す。
 差し込む日の光は、床に陽だまりを落とし、部屋全体を柔らかく包みこんでいた。
 龍也は、二、三度まばたきをするとゆっくりと上体を起こす。ぼりぼりと頭をかきながら、椅子にひっかけてあるシャツを着込む。
 爽やかな朝。そよそよとした風が吹き込み、黒髪を揺らす。龍也はベッドから降り立ち、壁にかかっている鏡を覗き込んだ。
 鋭い緋色の瞳。ややすねたような顔立ちの若者がそこに映る。
 日向・龍也。それが、彼の名前だった。
 ぴちちちち……。ぴちちちち……。
 再び、鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
―何か、良い予感を感じる。
 そんな思いを胸に、龍也はシルバーのペンダントを首からかけた。


 朝の道は、様々な人が行き交っていた。マラソンをしている男、子供をつれた母親、犬を連れた中年のおばさん、カートを押しゆっくりと歩いている老婆。
 いつもの風景。なにげない日常のひとコマだ。
 そして、龍也自身もその中の一部として、歩を進めていた。
 龍也はふと、空を振り仰ぐ。抜けるような青い空。きらめく太陽。そのあまりのまぶしさに、龍也は思わず目を細める。と。
「お前さん、今日は運命の日じゃぞ」
 しゃがれた声で、はっきりとつぶやかれる言葉。ごく小さな声であったにもかかわらず、それは龍也の耳に届いた。龍也は、慌てて後ろを振り向く。そこには、カートを押した老婆の姿が見えた。老婆はそのまま、右の路地へと曲がる。
「婆さん、今のは……!」
 龍也は、老婆を追いかけた。だが路地にたどり着いた時、すでに老婆の姿は消えていた。
「運命の……日だと?」
 龍也は、眉をひそめた。


「さー、いらっしゃい、いらっしゃい!! 本日は福引大セールだよ!!」
 メガホンを持ったその男は、暑苦しい笑顔を浮かべて周囲に呼びかけていた。
「買い物2000円分のレシートで、一回の福引だ! さあ、いらっしゃいいらっしゃい!」
 スーパーの店先には簡易テントが設置され、様々な景品が置かれている。醤油、商品券、大きな熊のぬいぐるみ。だが一番の目玉はやはり特賞、海外旅行。それにつられたのか、周囲には福引券を握りしめた人々が多く集まっていた。
 龍也もなにげなくそこに並んでいた。前の買い物で、2000円分レシートがたまっていたのを思い出したからだ。
 なんとなく、やってみるか。
―がらがらがら。
 龍也の目の前の人物まで順番が回る。その女性は、勢いよく福引機を回す。だが、結果は白い玉。はずれだ。女性はがっかりした表情で、龍也に譲る。
 レシートを渡し、龍也はゆっくりと福引機に手をかける。
―がらがらがら。
 しばらく回転が続き、龍也はなおも回す。皆の視線が一点に集中する。
 そして。
 玉が、転がり出た。
「お……おおおおお!!」
 周りがどよめく。
 から〜んから〜ん。
 高い鐘の音が、辺りに鳴り響く。
「おめでとうございま〜〜〜っす!!」
 店員は、にこやかに微笑むと龍也に話しかけた。
「特賞、海外旅行獲得です!!」
 ……玉は、黄金色に輝いていた。



 龍也は、壁を机代わりにして何かを削っていた。月に一度発売されるスクラッチくじ。コインで銀の部分をこすると、あたりはずれがすぐにわかるという代物だ。
 10円玉を使って、丁寧に銀の部分をはがしていく。たて、よこ、ななめどれかいずれかが、王冠のマークがそろえばあたりだ。もちろん、揃った数は多いほど良い。龍也は削る。だんだん、銀紙が剥がれ落ち、イラストが浮き上がる。
「……!!」
 龍也は、絶句した。それは、たてよこななめすべて揃っていた。
 くじを持つ龍也の手が、ぷるぷると震えた。


「あっちーな……」
 立て続けに起きた幸運。龍也は、すでにびっしょりと汗をかいていた。太陽はいつの間にか、高い位置まで登り、じりじりと照りつける。龍也は、目の前の駄菓子屋でアイスを購入した。
 包み紙を破り、アイスを頬張る。ひんやりとした氷菓は、ほてった龍也の体を冷やしてくれるようであった。
 すべてを食べ終わり龍也は、残った棒を捨てようとした。
 だが。
「ん?」
 棒に、なにか文字が書いてある。龍也はその文字をよく眺めた。
「……!!」
 そこには、当りの文字が浮き出ていた。
 
―ナニカ、オカシイ。

 龍也の胸に、そんな思いが広がった。



 信号は、赤をさしている。すでに紫色に染まり始めた空を背景に、龍也は交差点に立っていた。大勢の男女が肌の触れる距離でひしめき合う。明滅するネオンの明かりに、電光掲示板。話し声と笑い声。騒音がそれぞれ混ざり合い奇妙な音楽を奏でる。
 だが、誰一人気にとめるものはいない。皆、考えていることは自分のことだけだ。どこに飲みに行くか、もう帰ろうか、待ち合わせに遅れる、バイトに行かなきゃ。そんな行き先も、目的もまったく違う人々が、今このひと時を共有している。
 信号が、青に変わった。
 その瞬間、一斉に人々が歩き始めた。数百人もの人々が、吐き出されたかのように足早に、歩を進める。あちこち、好き勝手に行き交う中、龍也は人ごみをすり抜けていく。
 そこに。
―ふわり。
 長い髪の毛が、風に吹かれて揺れる。一瞬、花のような香りが漂う。
 すれ違った。
 龍也は、振り返る。
―彼女。
 美しい横顔。すっと通った鼻筋。
 龍也は、戻る。彼女を追うために。龍也は、走る。だが。見失った。彼女はいない。もう、いない。雑踏と喧騒に包み込まれて。この大都会という魔物に飲み込まれて。
 ぷぁーん……。
 龍也の耳に、クラクションの音が激しく響きわたった。
 龍也は空を振り仰ぐ。すでに日は暮れており、夜の帳が降りていた。ちかちかとしたネオンが、まぶしい。

―頭が、痛い。

 なぜか、軽い頭痛がする。だが、何故かはわからない。
 龍也はきびすを返すと、帰途を目指した。
 人気が無い街を、歩いて。

―運命の女に出会うまで、あとわずか。



<了>