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【 師匠と弟子の実施修行 〜「夜の華」の巻〜 】
「どうして女性が夜に咲く花なんですか?」
こんなことを思いついたきっかけは、弟子である秦十九が少し前に言った、そんな言葉からだった。
超一流の腕を持ちながらも、仕事は趣味でやっているという眞宮紫苑にとって、秦十九とその双子は初めてできたかわいい弟子であった。
師匠と、弟子という関係でありながらも、なかなか師匠らしいことをしてやったことがない。
だったらここは一つ、「夜に咲くお華」の意味を知らない十九に実施で教えてやろうと、思いついたのである。
「え? 実施で修行……ですか?」
その日、十九はたまたま遊月画房に遊びにきていた。
何かの仕事を依頼されたわけでもなく、ただ、暇をもて遊ぶように遊月画房を訪れていた十九にとって、寝耳に水の一言だった。
「ああ、そうだ。十九に良いものを教えてやる」
「でももうこんな時間ですよ。これから行くんですか?」
「これからが、夜の時間だ」
時計が指す時刻は二十一時。
たまたま主人の留守を預かっていた紫苑と他愛ない会話をし、軽く食事を取ったので、そろそろ帰ろうかと思っていたところだったのに。
「……良いものって、なんですか?」
「行けばわかる」
紫苑は終始、口元に笑みを浮かべている。ついには、十九から肯定の言葉を聞いてもいないのに、腰を上げ、歩き出そうとする仕草一つ。
自然な動きの中で見せた仕草に、何の違和感も感じず、十九も腰を上げ、並んで横を歩き出した。
「行けばって……待って下さい、眞宮さん。あの、許可を……」
「許可? 遅くなんなきゃ良いってさ」
いつの間に聞いたのか。いや、聞いていないだろう。十九に疑いの眼差しを向けられつつも、気にせず紫苑の足は進む。
「本当に、良いものを教えてくれるんですか? 眞宮さん」
「もちろんだ。任せておけって」
そんな会話をしたときは、すでに、繁華街の入り口まで足を運んだところだった。
◇ ◇ ◇
にぎやかな夜の街。
あちらこちらで輝きを見せている、色とりどりのネオンサインが目に痛い。
もう少し抑えた色合いにすればいいのに、どれも原色で、自己主張が激しい。自己主張が激しいものがたくさん並んでいて、さらに自己主張が激しくなり、色合いを悪化させているような気がしてならない。
というのは、十九からみた繁華街の姿である。
間違いではないが、見るものから見ればそうは映らないのが繁華街である。
現に、隣を平然と歩いている紫苑は、この原色ばかりの色合いになれた感じだ。
「十九……煙草、平気か?」
心配そうな声を上げた紫苑が気にしているのは、すれ違う人のほとんどが咥えていたり、手に持っていたりする煙草。
繁華街で歩き煙草なんて当たり前の話。そこらじゅうが煙草の煙で充満している。
「ええ、これがあるので」
ここに入った辺りからしっかりと羽織っている一枚の布。
それは、守護獣から借りた『紅壁布』と呼ばれる布で、ありとあらゆるものを遮断することができる。これさえ羽織っていれば煙草の煙も匂いも感じることはない。
「便利だな」
「あげませんよ?」
「もらいやしないさ。借りたいときは、あるかもしれあいがな」
苦笑交じりに言葉を前した紫苑の視線が、一点で止まり、足も止める。十九もつられて足を止めた。
「……眞宮さん、あれはなんでしょうか?」
「また、か……」
めんどくさそうに髪を一度かきあげると、鋭い眼差しを前に立つ二人の男に向ける。
「ずいぶん美人さんつれてんじゃねぇーか」
「ちょっと貸してくれよ、おにーちゃん」
性質の悪い酔っ払いだ。
繁華街に入ってからこれで三回目。
もともと綺麗な顔立ちをしていて、中性的な雰囲気をふんだんに出している十九が、布を一枚羽織っていることによって、普段は感じられない色気が出ているのだ。
秘められたものこそ美しいと感じるのが、哀しい男の性。
見えるような、見えないような、そこから感じる「美しさ」という魅力が、絡まれる原因となっているに違いない。
長く関わるのも面倒だから、一瞬で方をつける。
「ぐふっ」
「ぐはっ」
「お見事です。眞宮さん」
「……まぁな」
そのあたりに寝かせておけばそのうち起きるだろう。
気絶させるだけさせて、紫苑は目的地へと足を急がせた。それに続くように十九も足を進める。
「なぁ、十九」
「はい? なんですか」
「ここでその布取れって言うのは、刻だよな?」
「はい」
「そうか……わかった」
それから目的地に到着するまで、数回ほど絡まれたが、やはり全部、紫苑が対処することになった。
◇ ◇ ◇
「あら、紫苑じゃない」
「よぉ」
片手を軽く上げて挨拶一つ。まるで中世の城を思わせる外装建物の中に入ると、とても現代的で、機械的。
しかし、綺麗で清潔感にあふれている白一色の内装。十九は嫌いではなかった。
「久しぶり。なに、相手でもしにきてくれたの?」
なれた雰囲気で紫苑に話しかける――というより、抱きついている女性に、十九は一つ頭を下げた。
「あら? 紫苑の子供?」
「まさか、そんなわけ無いだろう」
どういう、店なのだろうか。
疑問が十九の頭の中に募っていく。男性が客として入ってきて、フロントのようなところで受付を済ませる。
受付を済ませた男性のもとに女性が現れて、一緒にエレベーターで上がっていく。
上に何があるのかはわからないが、見たところホテルになっているのではないだろうか。
「眞宮さん、ここは一体どういったところなんですか?」
「良いモノを知るには、最高のモノを見飽きるくらい見る事だ」
「はい」
「というわけだ、彼女と仲良くして来い」
「はい?」
いまいち言われている意味がわからなくて、首をかしげる十九。
「坊やのお相手すればいいの?」
「頼めるか?」
「そうね、紫苑の頼みだから聞いてあげましょう」
「よろしく頼む」
女性に十九を勝手に頼むと、紫苑はその店――ホテル?――から出て行ってしまった。
「眞宮さん」
と、声をかけるが振り返ってはくれず、ひらひらと手を振るばかりで、戻ってくる気配も無い。
「坊やは――」
「秦十九です」
「じゃあ、十九でいい?」
「はい」
「十九は、こういうお店は初めて?」
「はい」
エレベーターへと促され、このまま立っていても仕方が無いと思い、彼女に誘われるままに足を動かした。
「女性の相手をしたことは?」
「……女性の相手というのは、どういったものを言うんですか?」
「女性と夜を一緒にすごしたことはない?」
「はい、ありません」
「あらあら……」
ちん。
控えめな音と共に、エレベーターの扉が開くと、予想通り、目の前に広がったのはホテルの廊下だった。
しかし、普通の廊下とは雰囲気が違う。一室ずつの間が妙に広く、扉がずいぶん頑丈そうだ。
部屋の中に入らず、部屋のドアの前で抱き合い、唇を重ねあっている男女も見受けられる。
「さっきの人たちがしてたようなことは?」
「ありません」
「あらあらあら……」
彼女が苦笑をもらす。
「……おかしいですか?」
足を止め、一室のカギを開ける彼女の仕草を見つめながら、十九が素朴な疑問を投げかける。
「ああいったことをしたことが無いのは、おかしいのでしょうか?」
「そんなことはないわ。とりあえず、中に入ってお話でもしましょう」
「はい」
言われたとおり、十九はしっかりと閉ざされていたドアの向こう、綺麗な部屋の中へと案内されていった。
◇ ◇ ◇
あまり遅くまでつれまわしていると、十九の保護者に怒られてしまう。
紫苑はころあいの時間を見計らうように、バーを後にした。
旧知の女性がいるあの店に近くて、何時間も時間を潰さなければいけないとなると、やはり酒に限る。
バーに入ればそれなりに話し相手になってくれる女性や、もしかするとちょっとした知り合いと顔をあわせる機会があるかも知れない。
そんな期待をしてバーに入ったが、後者はともかく、前者すらおらず、一人時間を潰すためだけに飲んでいた。
面白くもなんともない酒だったが、以外にも早く時間はつぶれてくれて、今はちょうど二十四時を終わろうとしている時刻。
そろそろ迎えに行き、家まで送り届ければちょうど二十六時ぐらいになるだろう。いい時間だ。
店につき、自動ドアの中に入っていくと、一番に近づいてきたのは十九を任せた、旧知の女性。
「紫苑!」
突然、抱きつかれ、キスをされた。
「ど、どうした? 十九は?」
「あの子を紹介してくれてありがとう! あの子に会えて、本当に良かった」
はい?
一体、どういうことだ? これは。
「……そんなに、よかったのか?」
「そうよ! すっごいの! あの子」
「そうか、そりゃ、よかった……」
興奮している女性の後ろから、十九が静かに近づいてきて、女性に「今日はありがとうございました」と声をかける。
どうやら、実施の修行はうまくいったらしい。
女性と店に別れを告げ、十九と紫苑が帰路につく。
もう日付が変わったというのに、まだまだ輝きを失わないネオンサインの中を歩きながら、ふと、紫苑が言葉を口にする。
「どうだ? 夜咲くお華の意味、わかったか?」
「やはり、そのことを教えるための修行だったんですね」
嬉しさのあまりに自分に抱きつき、思わずキスをしてきたあの女性とは違い、十九の表情はいつもどおりで、興奮のかけらも見られない。
情事のときでも十九のポーカーフェイスは崩れないのか、とか、それとも終わった後だったから、あのいつもの表情だっただけで、最中は崩れていたのか、とか、勝手な妄想を脳内で繰り広げる紫苑。
「夜に咲くお華の意味、しっかり理解しました」
「そうか。それで、その意味は?」
「夜に明るい方、つまりは繁華街で生き生きとする、云わば夜版アサガオで『夜の華』という事ですね」
しっかりとした口調で答える十九。
「ん……?」
しかし、その答えに困惑したのは紫苑。
「なぁ、十九。あの女性と、何した?」
「なにって……話を聞いていました」
「話しぃ?」
「はい。やはりあのような時間に働いていることもあり、悩みも多いようです。それでも力強く生き生きとしていらっしゃるのですから、女性はすごいですね」
紫苑は目を点にした。
あんなに長く一緒にいたというのに、やったことは話だけ。
「話をすることで、少しでもお力になれていればよいのですが……」
二人きりで、ベッドの上にいたはずなのに――それじゃまるで、人生相談係じゃないかっ!
「――十九、女性を見て想うことって、なんだ?」
「はい? 女性を見て、想うこと……ですか?」
「ああ。女性に対して抱く感情、少しはあるだろう?」
しばらく十九は考えて、何かに行きついたらしい。
紫苑の目を見、強い意思の眼差しで一言。
「敬愛ですね。尊敬すべき、存在だと感じます」
だめだ、こりゃ。
紫苑はため息混じりに「そうかぁ」と脱力する。
そんな様子の彼に首をかしげながらも、黙って歩く十九。
十九が本当の意味で、「夜に咲く華」と「女性」を理解するのは、もう少し先のことになりそうだ。
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