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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


時空図書館〜紫陽花の園〜

■オープニング
 草間の事務所に、紫陽花の花束と共にカードが届けられたのは、降り続く雨の日々に珍しく晴れ間が覗いたある日の午後のことだった。
 誰が来たとも知れないのに、いつの間にか事務所のテーブルの上にそれが置かれてあったのだ。見つけたのは、零だった。カードを開いて、彼女はうれしそうに草間を呼ぶ。
「兄さん、時空図書館の管理人さんから、お茶会の招待状です」
「なんだって?」
 奥から出て来た草間は、カードを受け取り開いた。そこには、こう書かれてあった。
『図書館の庭園の一画に、紫陽花の園を作りました。その花を愛でつつ、お茶をご一緒しませんか? どうぞ、お友達を連れておいで下さい。菓子などの持参も歓迎いたします。では、お待ちしています。  時空図書館管理人・三月うさぎ』
 それを読み下している草間に、零は期待に満ちた目を向ける。
「兄さん、皆さんをお誘いして、行きましょう。ね?」
 同意を求めるように言われて、彼は小さく肩をすくめた。雨のせいでか依頼も少なく、ここのところは暇だ。時空図書館で供されるお茶が美味なのは充分承知してもいた。暇な時に羽根を伸ばすのも、悪くはないだろう。
「そうだな、行ってみるか」
 答えて彼は、誘う人間のリストをさっそく頭の中で繰りながら、電話へと向かうのだった。

■紫陽花の園へ
 すでにお馴染みになりつつある、軽い浮遊感と眩暈が去った後、シュラインはあたりを見回し、思わず小さな歓声を上げた。
 草間の事務所にいつの間にか届けられた紫陽花の花束とカード。そのカードを扉として彼女は何度目かの時空図書館の庭園へと訪れていた。
 シュライン・エマ、二十六歳。本業は翻訳家だが、普段は草間の所で事務員のバイトをしている。今日の彼女は、動くとゆるやかに足にまといつくフレアーの入ったノースリーブの白いワンピースにサマーニットの白いカーディガンを羽織り、いつも後ろで束ねている髪はほどいていた。常に変わらないのは、胸元に揺れる薄い色のついたメガネだけだ。手には、差し入れの菓子の入ったバスケットと、三月うさぎへの土産の白い傘を下げている。
 同行者は、草間と零の他に四人。友人でリンスター財閥総帥にして占い師のセレスティ・カーニンガムと、同じく友人で図書館司書の綾和泉汐耶、初対面だが友人の母親だという主婦兼傭兵の海原みたま、そして時おり草間が仕事を頼んでいるらしいイフリートでフリーターのシオン・レ・ハイである。
 彼らも、視力の弱いセレスティを別にして、皆あたりを見回し感嘆の声を上げている。が、それも無理はない。あたりは一面、紫陽花に埋め尽くされていたのだ。いったい、どれぐらいの広さがあるのだろうか。かなりの面積の中に、色とりどりの紫陽花が植えられている。あまりに大量にあるので、淡い紫色の霞としか見えないほどだ。その至る所では、噴水が細い水を吹き上げていて、地上から空に向かって雨が降っているのかと錯覚するほどだった。
 たしかにこれは、「紫陽花の園」に違いない。
(なんというか……相変わらず、凄いわね)
 シュラインは、ひそかに感心しつつ、背後をふり返った。
 彼女たちの後ろには、人工のものらしい広い池が広がり、その中央には大理石の四阿(あずまや)が作られていた。池のほとりから四阿へは、移動のための小さな橋がかけられている。
「シュライン、ここは、どういう所なのですか?」
 そのどこか絵のような風景に見入っていたシュラインは、隣に立つセレスティに声をかけられ、我に返った。
 彼は、一見すると彼女とさほど変わらない年齢に見える。長い銀の髪と青い瞳を持つ美貌の麗人は、ほっそりとした体に、やわらかなブルーグレーのソフトスーツをまとい、片手に小さなクーラーバッグを持っていた。そして、もう一方の手にあるステッキを支えにそこに立っている。
 その友人が、本性が人魚であるゆえに視力が弱かったのだということを思い出し、シュラインはその場について説明する。
 彼女がちょうど説明を終えたところに、橋を渡って一人の青年が姿を現した。すらりとした体に白い中国風の衣装をゆったりとまとった二十代半ばとおぼしい青年である。薄紅色の髪の間からは、途中から羽根と化した耳が、まるで髪飾りのように覗いていた。赤い瞳は、光の加減によって髪と同じ薄紅色に見える。
 この青年こそが、世界中のどの場所・どの時間ともつながっていて、古今東西全ての書物が収められているといわれる時空図書館の管理人、三月うさぎだった。
「ようこそ、皆さん」
 やわらかく微笑んで彼らを出迎える三月うさぎに、代表して草間が口を開いた。
「紫陽花の園とはよく言ったものだな。……いったい、どれだけの紫陽花が植わってるんだ?」
「さあ、どれぐらいでしょうね。いろいろな種類や色がありますから、きっと充分楽しんでいただけますよ」
 答えて彼は、シュラインたちを四阿の方に招いた。先頭に立って歩き出す草間に、他の者たちも続く。シュラインは、目だけではなく足も弱いセレスティを気遣って声をかけ、彼の肘に手を添えて歩き出した。普段は車椅子で生活しているという彼にとっては、ステッキをついての歩行はずいぶんと困難なものだろうと予想できたからだ。
 一行の一番後ろを、彼女はセレスティと共にゆっくりと歩いて橋を渡った。

■水上の四阿
 四阿の中は、広々として風通しが良く、快適だった。
 中央に据えられた白い丸テーブルの上には薄紫色のテーブルクロスが掛けられ、紫陽花が生けられている。
 何度かここを訪れているシュラインや草間、零にとっても、この場所は初めてだ。シュラインは、みたまやシオン同様に軽い驚きと興味と共にあたりを見回す。それへ三月うさぎが、それぞれに席を勧めた。
 セレスティがホッとしたように手近の椅子に腰を降ろす。それを見やってから、シュラインは持参して来たバスケットをテーブルの上に置いた。中身は、ロールケーキだ。紫陽花をモチーフに、ヨーグルトを混ぜて爽やかに仕上げた生クリームに、グレープ、イチゴ、牛乳でそれぞれ色づけしたゼリーを角切りにして散らしたものを生地に巻き込んである。
「本日は、お招きいただいてありがとう。こっちは差し入れよ。それと、これは三月うさぎさんに」
 言って彼女は、同じく手にしていた傘をそちらに差し出した。どうやら常に晴天であるらしいここでは必要のないものかとも思ったが、店で見つけた時、あまりにも彼に似合いそうだと感じて、結局買ってしまったのだ。
「私にですか?」
 三月うさぎは、幾分驚いたように目を見張る。そして、彼女が差し出した傘を受け取り、広げた。それは中国風の端の角張ったもので、しかも骨の先の部分にそれぞれ小さな玉飾りがついている。洒落た雰囲気で、シュラインが思ったとおり、彼にはよく似合っていた。
「似合うじゃない。なんだか、オリエンタル風ね」
 そんな声を上げたのは、みたまだった。金髪に赤い瞳、その上深紅のパーティドレスを着て、ヒールや手袋、化粧やアクセサリーまでを同色でコーディネートしている彼女は、なんとも艶やかで、とても中学生の子供がいるようには見えない。実際、年齢はシュラインよりも四つ下だと聞いた。
「それはどうも。……シュラインさんも、ありがとうございます。遠慮なくいただいておきますよ」
 言って傘を閉じる三月うさぎに、みたまも手にしていた深紅のペーパーバッグをテーブルに置いた。
「こっちは私からよ。娘の手作りのクッキーと、日本茶。……今日は、娘の代理で来たのよ。また、妙な所に飛ばされると困るってあの子が言うんでね。よろしくって言ってたわよ」
「ああ……」
 三月うさぎは、彼女の言う「娘」が誰なのかに思い当たったのか、小さくうなずいた。
「あれから、セキュリティを少し調整しましたのでね。今度いらして下さる時には、きっと弾かれることはないと思いますよ。娘さんには、そうお伝え下さい」
「ふうん。……まあ、伝えておくわ」
 みたまは、信じていないような目で彼を見やって、それでもそう答える。
 二人の話が終わるのを待っていたのだろう。セレスティが、椅子に座したまま、手にしていた小さなクーラーバッグをテーブルの上に乗せて言った。
「私も、スィーツを用意して来ました。どうぞ、みなさんで召し上がって下さい」
「あ……。私も」
 シオンが慌てて腕に抱えていた紙袋を差し出す。
 彼は、一見すると四十前後だろうか。長く伸ばした黒髪を後ろで束ね、鼻の下と顎にも髭をたくわえていた。長身でがっしりした体には、シルクのシャツとソフトスーツをまとっている。十九世紀の貴族といった風情だが、なんとなく胡散臭い雰囲気も漂っていた。もっとも、彼の物腰は礼儀正しく、外見ほど胡散臭い人物でもないようだった。
「私も、持って来ました」
 同じく零も言って、こちらも小さなクーラーバッグを差し出す。
「これはこれは。どんなお菓子だか、楽しみですね」
 三月うさぎは微笑みと共に言って、いつの間にかやって来ていた翡翠色の髪と目の女たちに、それらをテーブルに並べるように命じる。女たちは、一旦彼らが持参したものを全て手にして、そこから運び去った。
 それを見送り、改めて三月うさぎがシュラインたちに椅子を勧める。すでに座しているセレスティ以外の者も、それぞれ腰を降ろした。
 そんな中、汐耶が幾分バツが悪そうな顔で口を開く。
「すみません……。私だけ、何も用意してなくて。急なお話だったものですから」
 シュラインより三つ下の彼女は、長身の体に濃紺のパンツスーツをまとい、短い黒髪と涼しげな青い瞳にメガネをかけていた。その姿は、どこか青年のようにも見える。
 彼女の言葉に、慌てたように横から零が口を挟んだ。
「そうなんです。汐耶さんは、本を届けに来て下さったんですけど、それを私が無理にお誘いしたんです」
「気にすることはありませんよ。こちらでも、菓子は用意していますし。カードにあんなふうに書いたのは、以前持参していただいたのが、思いのほか美味しかったのに味をしめてしまったから、だけですからね」
 言って、三月うさぎは笑った。
 ほどなく、翡翠色の髪の女たちが、銀のワゴンで紅茶や菓子類を次々と運んで来る。むろん、シュラインたちが持参したものも、一緒にテーブルに並べられた。
 シュラインが持参したロールケーキは、彼女の意図どおり、切り口が紫陽花のように見えて、なかなか目にも楽しい仕上がりだった。一方、他の者が持参したものといえば――セレスティのは、フルーツゼリーとムースが二層になったスィーツだった。これは、一つずつ小さな透明の器に入っていた。みたまのは、彼女の言葉どおりクッキーだ。日本茶は後で出すつもりなのか、今はそこにはない。シオンのはホットケーキで、中央に愛らしい兎の焼き目が入っている。そして零のは、枇杷のシャーベットだった。
 対して、三月うさぎが用意していたのは、アップルバナナブレッドと紅茶のティラミスだった。ティラミスは、セレスティのスィーツ同様に小さな器に入っている。
 紅茶は極上のダージリンで、時期的に言ってセカンドフラッシュだろうか。なんとも深い味わいがある。
(相変わらず、美味しい……)
 シュラインは、その味と香りをゆっくりと楽しみながら、思わず胸に呟いた。
 草間と零から今日の招待のことを聞いて、即座に参加を決めたのは、何よりもこの紅茶の味が忘れられなかったからだ。
 小さく吐息を漏らして、彼女はやっと、女たちに取り分けてもらった菓子に手を伸ばす。彼女がもらったのは、紅茶のティラミスとクッキーだった。どちらも、紅茶とはよく合うだけでなく、それぞれの味もなかなかに美味だ。
 それらをゆっくり味わっている彼女の隣では、セレスティが三月うさぎに訊いていた。
「なかなか素晴らしい味わいですが……これらは、どちらで?」
「インドの奥地の村でしか採れない茶葉を、ここの庭園で育てたものですよ」
 三月うさぎの答えに、セレスティは青い目を見張る。シュラインも、それは初めて聞く話だった。
「ここで育てているのですか?」
 思わずというように問い返すセレスティに、三月うさぎがうなずく。
「ええ。……ご案内したいところですが、この園からでは少し遠いので。興味があれば、今度はそちらへご招待しますよ」
「機会があれば、お願いします」
 セレスティが、うなずき返した。
 そのやりとりを聞きながらシュラインは、いったいここの庭園はどのぐらい広いのだろうと、改めて考えみたりする。が、すぐに考えるのをやめた。図書館の内部と同じで、もしかしたら無限の広さを持つのかもしれないとふと思ったからだ。

■紫陽花巡り
 それからしばらく後。シュラインは、草間と二人で紫陽花の園の中を回っていた。
 せっかく来たのだし、紫陽花をしっかり堪能して、ついでに別館にある本物の本もせめてタイトルだけでも眺めたいと、そちらは三月うさぎに許可をもらい、こうして四阿を後にして来たのだった。
 草間と二人きりなのは、半ば成り行きのようなものだったが。しかし、たまには彼と二人きりでこういう場所の散策をするのも悪くないと思う。
 紫陽花の園には、いくつか散策用の小道がつけられていて、病院や役所のようにそれぞれが色分けされていた。彼女たちが歩いているのは、黄色いタイルを貼られた道で別館はその終点にある園のはずれから行けると、三月うさぎに教えられた。
 紫陽花は、植わっている土に含まれるPHによっても色を変えるものなのだが、シュラインが思ったとおり、ここではそういうことは関係ないようだ。同じ土に植えられているものであっても、それぞれにまったく異なる色を持つ。また、種類が違うものもあって、紫陽花と一口に言ってもこうして眺めてみると、なかなかに味わい深いものだとわかる。
「紫陽花と言っても、いろんなものがあるんだな」
 草間も同じことを思ったのか、しばらく歩いた後に、そんなことを言った。
「そうね。……でも、こんなにたくさんあったら、手入れが大変でしょうね」
「だなあ。……まあ、あの女たちがやるんだろうけどな」
「ああ……。そうだわね」
 草間の呟きめいた言葉に、シュラインは以前、花の手入れをしている翡翠色の髪の女たちを目にしたことを思い出し、うなずいた。が、ふいにクスリと笑って言う。
「こんな広い庭園のあるお屋敷に住むのも悪くはないわね。大勢の使用人に囲まれて、毎日お茶や花を愛でてくらすの」
「優雅だけど、退屈そうだな」
 草間は、軽く眉をしかめて返した。
「……それはそうかも」
 少し考え、シュラインもうなずく。貧乏暇なしを体現しているような草間だが、あくせく働く必要がなくなれば、それはそれで暇をもてあまして退屈してしまうだろう。そして、それは自分も似たようなものだという気がした。
 そんなたわいのない話をしながら二人で歩くうち、小道は終わりを告げ、目の前に白い小さな門が現われた。門の向こうには、以前たしかに目にした別館らしい建物が見える。距離的にはここから少し離れているようだが、門の向こうにもまた新たな小道が続いているようだ。
 門には鍵などはかかっておらず、軽く押すと開いた。ここまでけっこう歩いた気がするが、頭上に広がる空は明るく、少しも変わらない。それをちらりと見上げてシュラインは、思わず自分の腕時計に目をやった。ここでは、周囲の明暗で時間を計るということができない。が、時計を見た彼女は、思わず眉をひそめた。秒針が動いていない。時計が止まっているのだ。
(ちょっと待って。この間、電池を交換したばっかりなのよ?)
 一度交換すれば五年は持つ電池だ。止まることなどあり得ない。つまりは、この場所のせいだということだろうか。
 彼女は思わず深い溜息をついた。
 それに気づいて、草間がこちらを覗き込んで来る。そうして、小さく口元をゆがめた。
「ここでは時間なんか気にするなってことじゃないのか?」
「そうなのかしら。でも、前に来た時はちゃんと動いてたのよ」
 思わず反論する彼女を、草間がなだめる。
「まあまあ。その別館とやらに、行きたいんだろ。気にせず行こう。戻って暗くなってたら、俺が送るから」
 言われてしかし、彼女は思わず棘のある目で草間を見やってしまった。「送る」という言葉になんだか引っかかってしまったのだ。どうせなら、「泊まっていけ」と言ってほしいのにと。
(……気持ちをはっきり伝えていないんだもの。しかたないか)
 すぐに気づいて彼女は胸に呟く。それに、あそこに泊めてもらったにしたところで、昼間の延長で、甘い雰囲気など皆無だという気がしなくもない。
 胸に溜息を一つ落として、彼女はうなずいた。
「じゃ、その言葉に甘えて、別館へも行ってみましょ」
 言って、彼女は門の向こうへと足を踏み出した。

■別館にて
 やがてシュラインと草間は、門から続く小道をたどり、時空図書館の別館へとたどり着いた。小さなポーチのあるその建物は、シュラインにはたしかに見覚えのあるものだ。
 三月うさぎの話では、彼女がいつもオークションなどで指をくわえて見ているだけしかできない古辞書の類は、人文科学のコーナーにあったはずだという。玄関ロビーの案内板で確認すると、人文科学のコーナーは、一階の三号室となっている。玄関ロビーを入って左手方向に奥へと向かう扉があって、どうやらその先に廊下が続いているらしい。
 シュラインは、草間と共にその扉をくぐった。
 一緒に歩きながら、草間はしきりとあたりを見回している。
「どうしたの? 武彦さん」
「うん? ……いや、俺が零を探して一番最初にこの時空図書館へ来た時に入ったのが、こんな所だったんで、なんだか気になってな」
「ふうん」
 そういえば、そんなこともあったのだと思いながら、曖昧に相槌を打って、シュラインは歩き続ける。
 目指す部屋は、ほどなく見つかった。だが。
「あら」
 彼女は小さく目をしばたたいて、足を止める。草間も立ち止まった。
 三号室の扉には、二枚の板切れが打ち付けられ、開閉を遮断していたのだ。
「どういうこと? ロビーには何も書いてなかったし、三月うさぎさんも何も言ってなかったのに」
 思わずシュラインが呟く。
 その時だった。
「その部屋は入れませんよ」
 ふいに穏やかな声をかけられて、シュラインと草間は驚いてふり返る。
 そこに立っていたのは、三月うさぎの茶飲み友達だという、妹尾静流だった。シュラインよりはいくつか年上の、長身の青年だ。
「妹尾さん……」
「静流」
 シュラインと草間が驚きの声を上げるのへ、静流は小さく笑いかけた。
「こんにちわ。すみません、驚かせてしまいましたか。……そこは、先日から修理中でずっと立入禁止になっているんです」
「でも……三月うさぎさんは、何も言ってなかったわよ」
 シュラインが言うと、静流は軽く天井を仰いだ。
「彼が留守の時のことですから……たぶん、まだヒスイたちが報告してないんだと思います。それとも、彼の方が知っていても知らないふりを決め込んでいるか、ですね」
「そっか。……残念だけど、入れないんじゃしかたがないわね」
 静流の言葉に、シュラインは小さく吐息をついた。話の様子では、ずっと入れない状態のままではないだろうから、また次の機会にでも閲覧できるだろう。
「じゃあ、戻るか?」
 草間に問われて、シュラインは少し考える。他の蔵書にも興味はあったが、お茶やお菓子にも未練はあった。それに、帰りも来た時と同じ程度の時間を費やす必要があるのだろうと考えれば、そろそろ戻った方がいいようにも思う。
「そうしましょうか」
 言ってから、ふいに彼女は目をしばたたく。どうして静流がここにいたのか、疑問が湧いたのだ。
 それを問うと、静流は生真面目に答えた。
「一号室で、本をあさっていたんです。今日は、草間さんたちを招くと管理人から聞いていましたから、そろそろ紫陽花の園の方へ行こうかと部屋を出て来たところで、こうしてお二人に会ったというわけです」
「そう。じゃ、妹尾さんも一緒に行く?」
「ええ」
 うなずいて彼は、シュラインの横に並ぶ。歩き出しながら、彼は訊いた。
「他には誰が?」
 草間が、同行した人間について教える。
「汐耶さんが来ているんですか」
 少しだけ驚いたように呟く静流に、シュラインは小さく笑ってからかうように訊いた。
「うれしい?」
「シュラインさん。……前にも言いましたけど、本当にそんなんじゃないんですから。頼みますから、その話、管理人の前ではしないで下さい」
 静流は、軽く眉をひそめて返す。シュラインは、小さく首をかしげた。
「三月うさぎさんに知られると困るの?」
「ええ、まあ。……あの人は、あれでけっこう独占欲が強いですから」
「ふうん」
 歯切れ悪く言う静流に、シュラインはこれ以上追求するのをやめた。たしかに、三月うさぎは敵に回すと怖い相手だと思えたし、静流と彼との関係というのも、本当のところ今一つ判然としない。下手に首を突っ込んで、ヤブヘビになっても困る。
 そんな話をするうちに、彼らは別館の玄関ポーチへとたどり着いていた。

■賑やかにお茶を
 静流を伴ったシュラインと草間は、再び来た道をゆっくりとたどり、あの池の上に造られた四阿へと戻って来た。
 戻ってみると、四阿にはみたまの姿がなく、シオンの傍には一輪挿しに飾られた紫陽花があって、汐耶と零はなぜか来た時とは違う服装をしていた。シュラインたちがそこを出た時と変わらないのは、セレスティだけだ。
「おかえりなさい、シュラインさん、草間さん。紫陽花の園はいかがでしたか?」
「とてもよかったわ。ただ、別館の方は、私の見たい本のある部屋が、ちょうど修理中で、入れなかったけど」
 三月うさぎに問われて、シュラインは正直に答える。傍から静流が補足するように言った。
「あなたに報告が行っていなかったのかもしれませんが、別館の一階三号室は、先日から修理中です」
「初めて聞く話ですね。……もしかして、私が留守の時のことですか? その日の記録もちゃんとチェックしたはずですが」
 軽く眉をひそめて呟くように言うと、三月うさぎは幾分咎めるような目をして、静流を見上げた。
「あなたは知っていて、今まで黙っていたんですか?」
「ヒスイたちに、そう頼まれましたから。それに、私はあなたの配下ではありませんし」
 静流は穏やかに答えて、翡翠色の髪の女が持って来た新しい椅子に腰を降ろした。どうやら、「ヒスイ」というのはこの女たちのことらしい。
 静流の言葉に、三月うさぎは幾分ムッとしたように黙り込んだ。が、すぐに軽く肩をすくめる。
「ここであなたに文句を言っても、しかたありませんね。管理人は私で、その私が別館の状態について知らなかったのは、職務怠慢と言われてもしかたのないことですし」
 言って彼は、改めてシュラインの方を向いた。
「シュラインさん、私の管理が行き届かず、申し訳ありませんでしたね」
「あ……。いいえ、次に来た時の楽しみに取っておくから、気にしないで。それより、新しいお茶をいただけないかしら。歩いたら、喉が乾いてしまって」
 シュラインは、小さくかぶりをふって言った。
「ああ、そうですね。では、他の皆さんにも、みたまさんからいただいた日本茶をお出ししましょうか」
 うなずいて、三月うさぎはヒスイたちの一人にお茶の用意を命じる。
 それを見やってシュラインは、さっきからおちつかない様子の汐耶にそっと声をかけた。
「服をどうしたの? 汐耶」
「……濡らしてしまったから、これを借りたのよ。でも、なんだかおちつかなくて」
 わずかに頬を赤らめて言う彼女が着ているのは、白いフレンチスリーブのワンピースだった。そういえば、それなりに長いつきあいになるが、シュラインは彼女がスカートをはいているところを見たことがない。おそらくそれで、なんとなくそわそわしているのだろう。同じ服装をしていても、零の方はいつもどおりの様子で、草間と何か話している。
「何か、変じゃない?」
「全然。スカートも似合うわよ」
 問われてシュラインは、笑って言った。
 二人がそんな話をしている間に、初対面の静流とセレスティ、シオンの二人がそれぞれ挨拶を交わしている。シオンの傍に置かれた紫陽花は、どうやら彼が友人への土産に一本もらったものらしい。
 そこへ、みたまも戻って来た。
 どこへ行っていたのか、意気揚々とした足取りで三月うさぎの傍まで来ると、手にしていたトランプ大のカードを見せる。
「少し虐めさせてもらって、言われたとおり、封印したわ。面白い武器になりそうだから、もらって帰るわ。それと、こっちは返すわね」
 言って彼女は、反対側の手首に巻きつけていた腕輪のようなものをはずして、テーブルに置いた。かなりの重量があるのか、重そうな音がする。
「それはそれは。……傭兵というのも、伊達ではありませんね」
 三月うさぎは、軽く目を見張って、感心したように答えた。
 そこへ、ちょうどおりよく新しいお茶が運ばれて来た。
「あら、うれしい。ちょうど喉が乾いていたのよ」
 言ってみたまは、自分の席に腰を降ろした。そうして、初めて静流に気づいたようにそちらをふり返り、互いに挨拶を交わす。
 そんな彼らの前に、女たちが次々と日本茶の入った茶器を並べて行く。
 シュラインはそれを手に取り、一口飲んだ。途端、さわやかな苦味と芳ばしさが口の中に広がる。どうやら、緑茶に玄米茶をプラスしたものらしい。
 それを半分ほど飲んでから、彼女は新たに菓子類も取り分けてもらう。菓子類には、日本茶に合うようにとの配慮なのか、葛餅が加えられていた。シュラインは、それとアップルバナナブレッドと、セレスティの持って来たスィーツを取ってもらった。
 それらを口にしながら、隣のセレスティに尋ねる。
「あんたは、ずっとここにいたの?」
「ええ。三月うさぎさんに、ここの蔵書について聞かせていただいたり、庭園について話したりしていました。なかなか、楽しかったですよ。シュラインは?」
「私も、楽しかったわ。紫陽花に、あんなにたくさん色や種類があるものだとは、思わなかったわね」
 言って彼女は、小さく吐息をついて、再びお茶を口に含んだ。
 その時、シオンが慌てたように三月うさぎに切り出した。
「すみません。こちらに出されたのや、皆さんが持参したお菓子ですが、残ったら、いただいて帰ってもいいですか?」
「私はかまいませんよ。他の皆さんは、いかがですか?」
 三月うさぎは、にこやかに答えて他の者たちにも問う。シュラインは、むろん否やはなかったので、快く承諾した。他の者たちも同様だ。シオンは安堵したように一人一人に礼を言ってから、自分の前に取り分けられた菓子に手を伸ばす。
 次に口を開いたのは、汐耶だった。
「三月うさぎさん、ここで出されるお菓子は、皆手作りなんですよね? 洋菓子作りのコツってあるんですか?」
 さっきに較べて、ずいぶんおちついた様子の彼女にシュラインは小さく微笑む。そうして、洋菓子作りのコツってなんだろう? とふと考えた。シュライン自身はさほどそれを苦手だと思ったことはない。が、三月うさぎがなんと答えるかには、興味があった。
「洋菓子作りのコツですか……。それは難しい質問ですね」
 しかし三月うさぎはそう言って、問うように静流の方を見やった。取り分けてもらったフルーツゼリーとムースのスィーツの器を取り上げながら、静流は少し考え、口を開く。
「洋菓子と一口に言っても、種類はいろいろですから、作り方のコツはそれぞれ違うと思います。ただ、全体として言えることは、細部まで手を抜かず丁寧に、細かい作業を一つ一つきっちりこなすことですね」
 彼の言葉にシュラインは、なるほどそうかも……と内心に一人うなずく。
 が、汐耶は、もう少し具体的なことを聞きたかったらしく、言った。
「なんとなくわかるけれど……本のとおりに作っても何か物足りなくなってしまうのは、なぜかしら。私は、そういうことが多くて、それで洋菓子作りは苦手なんだけど」
「それはきっと、慣れの問題ですね」
 静流は、笑って言った。
「苦手だと思うことは、あまりやろうとしませんから、それでよけいに苦手になってしまうんじゃないかと思います。だから、失敗してもかまわないぐらいの気持ちで、何度でもチャレンジすることがうまく作れるようになる秘訣ですよ」
 それを聞いてシュラインは、再び内心にうなずく。たしかに彼の言うとおりで、洋菓子に限らず、料理は全般に数をこなして作ることに慣れるのが、上達する秘訣のように彼女も思う。
 にしても、こんなことをさらりと言ってしまうあたり、静流も菓子作りを常にやっているということだろうか。
(そうよね。でなければ、三月うさぎさんが話をそちらにふるわけがないんだし)
 シュラインは、ふと気づいて胸に呟く。
 汐耶も、似たようなことを思ったらしい。やはり小さく首をかしげて訊いた。
「ずいぶんと詳しいけれど……妹尾さんもお菓子を作るんですか?」
「今日ここで出した菓子は、静流からの差し入れですよ。葛餅は、日本茶に合うようにと、以前彼にもらったレシピでヒスイたちに作らせたものですけれどもね」
 今度は三月うさぎが、苦笑と共に告げる。思いがけない答えに、汐耶が軽く目を見張った。シュラインも同じく瞠目する。思わず、テーブルの上のティラミスとアップルバナナブレッドを見やる。その絶妙の味を思い出し、彼女は低く嘆息した。
 つまりは、先程の言葉はまさに彼の経験から出たものだということだろう。
 ややあって、シュラインは小さく苦笑する。
(ほんと、ここへ来ると退屈しないわね。……素晴らしいお茶とお菓子、そして花園に乾杯、というところかしら)
 胸に呟き、彼女は乾杯がわりに自分の茶器の縁を軽く指先で弾いて、静かにそれを口元へと運んだ。

■エンディング
 シュラインたちが草間興信所へと戻った時には、例によってあたりは真っ暗になっていた。だが、シュラインはすっかり満足していた。
 彼女が持って行ったロールケーキは評判が良く、かなり減っていた。が、さすがに持参された菓子類が多かったせいもあって、全部食べ尽くすというところまでは行かなかったようだ。残った菓子類は、その言葉どおりシオンが全部持ち帰るのだといって、小さなビニールバッグに詰めてもらっていた。
 シュラインは、他の者たちと別れて、家路をたどっている。隣には、約束どおり草間がいた。車で送ってやると言うのを、最寄の駅まででいいから、徒歩で行こうと言ったのは彼女自身だ。
 こうして一緒に歩いていると、なぜだかあの紫陽花の園を共に巡ったことを思い出す。
 紫陽花の花言葉は「移り気」だというが、あそこで見た景色を思い出すと、ゆるやかに色を変えて行く紫陽花は、まるで光の角度によって色彩を変えるダイアモンドのようだとも彼女は思った。そしてそれは、気持ちが移り変わって行くのではなく、その時その時で表情が変化していく艶やかな女性のようなものなのではないかとも思う。
 駅の入り口まで来て、シュラインは足を止めた。
「ありがとう。ここでいいわ。……お茶、美味しかったわね。いつかまた、三月うさぎさんが誘ってくれたら、一緒に庭園の中を歩いてくれる?」
 ふり返り、彼女は尋ねる。草間は、とまどったようにそんな彼女を見返した。
「あ、ああ」
 うなずいて、思い出したように付け加える。
「おまえの作ったロールケーキ、うまかったよ」
「そう? ありがとう。じゃ、また明日」
「ああ」
 なぜかまぶしげに目を細める草間に笑いかけ、シュラインは踵を返す。そのまま彼女は、明るい駅の構内へと足を踏み出した――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員(バイト)】
【3356 /シオン・レ・ハイ /男性 /42歳 /びんぼーEfreet】
【1685 /海原みたま /女性 /22歳 /奥さん兼主婦兼傭兵】
【1449 /綾和泉汐耶 /女性 /23歳 /都立図書館司書】
【1883 /セレスティ・カーニンガム /男性 /725歳 /財閥総帥・占い師・水霊使い】

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■         ライター通信          ■
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ライターの織人文です。
私の調査依頼に参加いただき、ありがとうございます。
6月→梅雨→紫陽花、という発想で、紫陽花と噴水といった舞台を考えてみました。
皆さんに、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

●シュライン・エマさま
いつもありがとうございます。
ロールケーキのアイディアは、なかなか素敵でした。
シュラインさまのお茶やお菓子についての知識やアイディアには、
いつも感心させられてしまいます。
ということで、今回もありがとうございました。
また機会がありましたら、よろしくお願いします。